東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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後編ノ壱 ~戯曲~
第32話 : 永遠


 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第32話 : 永遠

 

 

 

 

 

 

 ひどい寒気とともに目覚めると、そこには何もなかった。

 見渡す限りの全てが、果てしなく続く真っ暗な世界。

 

「……え?」

 

 霊力で光を灯し、辺りを360度見回した。

 何もない。

 おもむろに飛び立ち、数キロメートルを進んでみた。

 だが、何もない。

 下にはただ砂漠のような冷たい大地がどこまでも広がり、上は星ひとつ見えない暗闇が覆っているだけ。

 探し求めていたはずの世界は、もう影も形もなかった。

 

「冗談、でしょ?」

 

 やがて地に降り立った霊夢は、かつてないほどの眩暈に襲われる。

 過去を乗り越えて、紫に助けられて、やっとのことで脱出したはずの闇の呪縛。

 だが、その先に待っていたのは、それ以上の絶望でしかなかった。

 

「魔理沙、早苗! ねえ皆、誰かいないの!?」

 

 その声は、響くことなく虚しく消えていく。

 当然ながら、返事は無い。

 

「……なんでよ」

 

 失意のままに、やがて霊夢は膝から崩れ落ちた。

 遅すぎたのだ。

 既に、幻想郷は敗北した。

 ルーミアに、闇の力に飲み込まれた世界は、誰一人生き残ることなく滅びてしまったのだと、そう思っていた。

 だが、それを悟って呆然としたまま動けずいた霊夢に、たった一つの希望が届く。

 

「やっほ、霊夢」

「え?」

 

 肩を叩かれてとっさに振り返ると、そこにはいつの間にか一人の少女の姿があった。

 笑顔で霊夢を迎える、たった一人の姿。

 

「輝夜……?」

「久しぶりね、元気してた?」

 

 もう、誰にも会えないのではないかと。

 孤独のまま、誰にも見送られずに一人死んでいく未来しかないのだと。

 そう思い始めていた霊夢は、しれっとそう聞いてきた輝夜に会えた安堵で、泣いて飛びつきそうになった。

 それでも、霊夢は湧き上がってくるその衝動に身を任せることができなかった。

 

「……ん。 元気、とは言えないわね」

「そっか。 ま、こんな状況じゃしょうがないのかしら」

 

 その心の奥では嬉しさと、そしてどうしようもない不安がせめぎ合っていたからから。

 異変の日、他に誰もいない永遠亭で、目を覚ました霊夢を見守っていたのは輝夜のはずなのに。

 早く妖怪の山に向かったほうがいいと、見送ってくれたのは輝夜のはずなのに。

 なのに「久しぶり」と言われた違和感が頭から離れず、霊夢は恐る恐る輝夜に尋ねた。

 

「……ねぇ輝夜、一つ聞いてもいい?」

「なに?」

「生き残ってるのは、あんただけなの?」

 

 霊夢に会うことが久しぶりというのなら、まだいい。

 だが、もしかしたら輝夜は、人と話すこと自体が久しぶりなのではないか。

 どちらにせよ、異変の日からひどく時間が経ってしまっただろうことに変わりはないが、少なくとも前者であってほしかった。

 今この近くにいないだけで、実はどこかにまだ皆がいるのではないかという僅かな望みは……

 

「え? そうね、もう他に誰もいなさそうよ。 不満?」

「っ……いいえ。 あんたが残ってるだけでも、ちょっとは救いなのかしらね」

 

 あまりにもあっけなく、打ち砕かれていた。

 霊夢は、ゆっくりと座り込んでうなだれる。

 輝夜が生き残っているのに、ガッカリしたというのは失礼なのはわかっている。

 それでも、霊夢は溜め息をついた。

 その言葉の信憑性は、疑うべくもない。

 なぜなら、霊夢は輝夜が持つ特性を知っているから。

 不死。 つまりは、滅びた世界でも生きられる唯一の存在。

 妖精も、自然がなければ生きられない。

 妖怪や神でさえも、それを信じる者がいなければ存在できない。

 だから、この世界に不死の能力を持った一人しかいないという状況が、自然も人もない、他に誰一人いない状況を十分なほど霊夢に理解させた。

 

「冷たい反応ね霊夢。 せっかく会えたんだから、もうちょっとくらい嬉しそうにしてくれてもいいじゃない」

「……そうね」

 

 唯一の朗報は、孤独じゃないことだった。

 たった一人でも話す相手がいれば、気が狂うこともなく少しくらいは精神を保てそうだったから。

 それでも、再び空を見上げた霊夢は実感する。

 この世界には、他にもう誰もいないし、何もない。

 どこまでも続く同じ景色に、真っ黒な空。

 全てが闇に飲まれた世界、これが幻想郷の末路なのだ。

 

「……輝夜、もう一ついい?」

「うん?」

「幻想郷がこんなことになってから……あの異変の日から、一体どれだけ時間が経ったの?」

 

 輝夜が久しぶりと言ったからだけではない。

 1日や2日でここまで世界が変わってしまうことはないだろうから、相当に長い時間が経ってしまったのだろうことがわかる。

 全ての命が失われるほどに、全ての有機物が消えてしまうほどに。

 下手すれば数年、数十年、それ以上か。

 それでも、何があったのかとは、もう聞かない。

 そんなことを知っても今さら取り返しがつかないし、そもそも聞くのが怖いから。

 ただ、自分の生きていたはずのあの日々から、どれほどかけ離れた場所にいるのか。

 今の自分が一体どれだけ遠き世界に迷い込んでしまったのかだけでも、知りたかった。

 

「さあ、わからないわ。 ここは日が昇ることもないし、時間なんていちいち数えてるほど私も気が長い方じゃないしね」

「ああ。 そう、よね」

「そんなことより霊夢、ちょっと退屈なのよ。 弾幕ごっこでもしない?」

「……ごめん。 今そんな気分になれないわ」

「えー」

 

 そう言って霊夢は輝夜の不平を無視し、その場に寝そべって目を閉じた。

 もう、何もかもがどうでもよかった。

 どれほどの力を持とうとも何を誓おうとも、家族も、友達も、守るものが何もなくなった世界で、一体何を目的に生きればいいのか。

 これから輝夜と2人で、適当に喋りながら寝転がって一生を終えるのか。

 いや、そもそも水も食料もないこの世界では、人間である霊夢は数日もすれば餓死して終わってしまうだろう。

 そんな、何も無い終わりを待つだけなのだろう。

 

 ――だとしたら。

 

 霊夢は、ふと思った。

 輝夜は一体どうなるのだろうか。

 自分がこのまま死んだら、目の前の不死者はこれから先、一体何を思って生きるのだろうか。

 この、他にはたった一人の、数日もせず死んでしまう人間しかいない世界で今、何を考えているのだろうか。

 

「……輝夜」

「ん?」

「弾幕ごっこ、する?」

 

 自然と、その口は開いていた。

 これから永遠の孤独に囚われてしまうだろう輝夜の、最後の願いを聞き入れたくなっていた。

 

「あれ、そういう気分になれないんじゃなかったの?」

「気が変わったのよ」

 

 それは、せめてもの罪滅ぼし。

 自分がもっと強く、もっと早くに目覚めて異変に立ち向かっていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

 輝夜が、こんな世界で孤独に取り残されることもなかったのかもしれないから。

 

「それって、同情のつもり?」

「……さあ。 どうでしょうね、私にもわからないわ」

 

 確かに、同情もあった。

 だが、霊夢自身もそうしなければ救われない。

 何もできず、何の意味もなく死んでいくということに、耐えられない。

 だから、せめて目の前の一人を最後に少しでも笑顔にできるのなら、それでいいと思っただけだった。

 

「そ。 だったら一つお願いがあるわ、霊夢」

「何?」

「本気で勝負してくれない?」

「当然よ」

 

 最初からそのつもりだった。

 恐らくは世界最後の弾幕ごっことなる勝負で、手を抜くはずがなかった。

 

「スペルカードは3枚。 ボムは互いに1枚につき1回ずつ。 それで、いいでしょ」

「了解~」

 

 この状況でも、輝夜はいつものような笑みを浮かべながら空に漂っていった。

 最後の「遊び」を、心から楽しもうとしているように見えた。

 だから、霊夢はその期待に応えられるよう力を練りながら空を飛び始める。

 最初から自分の切り札で、最高の一戦を。

 輝夜の記憶に何よりも美しい華を最後に遺せるよう、霊夢は全力で弾幕を解き放つ。

 

「じゃあいくわよ輝夜。 スペルカード宣言、霊符『夢想封印』!!」

 

 そして、数多の光が辺りを覆い尽くした。

 現実とは思えないほど神秘的な創生の光は、何もない世界でこそ真価を発揮した。

 暗闇の空間に咲いた光の波紋が、小宇宙の彼方に広がる無数の銀河のような未知の美しさを視界いっぱいに広げていく。

 それを発した霊夢自身ですらも瞼に焼き付いて離れない、まさに終焉を飾るに相応しき弾幕は―――

 

「難題――『火鼠の皮衣 -焦れぬ心-』」

「え?」

 

 同時に、輝夜を取り囲んで辺りに広がった炎に、あっけなく掻き消されていた。

 被弾しそうになったからでもチャンスだったからでもなく、輝夜は瞬時にボムを使って霊夢の弾幕を無効化した。

 その意味を霊夢はすぐに理解できずに、思わず弾幕を放つのを止めてしまった。

 たった今自分が放ったその弾幕が、輝夜を満足させるに足るものである自信はあったから。

 渾身の弾幕を蔑ろにされ、流石の霊夢も苛立ちを隠せなかった。

 

「……どういうつもりよ。 あんた、本当にやる気あんの?」

「それはこっちのセリフよ。 どうして、霊夢は本気になってくれないの?」

「え?」

 

 だが、その苛立ちはすぐに薄れていった。

 霊夢が本気ではない。

 輝夜がそう言った理由に、心当たりがあったから。

 

「本気じゃないって……なんで、そう思うのよ」

「だって私、知ってるもの。 霊夢の中に封印されてる力のことを」

 

 霊夢の中に眠っている、邪神の力。

 それは、幻想郷でまだほんの一部にしか知られていないはずの機密情報。

 今までずっと永遠亭に引きこもっていた輝夜が、知っているはずのないことだった。

 

「どうして、あんたがそんなことを知って…」

「あー。 まぁ、いろいろ御託を並べるより見せた方が早いかな」

「え……?」

 

 だが次の瞬間、霊夢は自分の目を疑った。

 

 輝夜の言葉と同時に、世界が歪んでいく。

 この世界の暗闇そのものが、輝夜の意志に合わせるように動いている。

 まるでこの世界を覆う闇の全てが、輝夜のものであるかのように。

 霊夢は、ただ唖然としてその光景を見ていることしかできなかった。

 

「まさか、あんた……」

「そうよ。 私が、ルーミアや貴方に封じられているその力を幻想郷に解き放って、世界をこんな風にした張本人よ」

 

 そんなことを、輝夜は何事もなかったかのように微笑みながら言う。

 要するに、幻想郷を滅ぼした原因が。

 この結末を招いたのが、他でもない自分であると。

 輝夜のそんな自白を聞きながら、霊夢は自分の鼓動が速くなっていくのを感じていた。

 

「なんで……どうして、あんたはそんなことを…」

「どうしてって言われてもねぇ……まぁ、強いて言えばちょっとした興味本位かしらね」

「っ!!」

 

 それを聞いた途端、霊夢は怒りのままに輝夜に掴みかかりそうになった。

 だが、そんな自分の気持ちを、必死に抑えた。

 目の前にいる最悪の敵に向かって、霊夢はそれでも理性を保とうとしていた。

 自分の人生は、母に、紫に託されたかげがえのないものなのだから。

 たとえ恨んで然るべき仇敵であったとしても、怒りや憎しみに支配されるような最後は、誰も望まないはずだから。

 

「あらら。 これだけ聞かされても、まだ本気は出さない?」

「……そんな戯言、私はまだ信じてないのよ。 幻想郷はあんたごときにどうにかできるほど弱い世界じゃないわ」

 

 あからさまに挑発するような輝夜の言動に、霊夢は惑わされない。

 霊夢は、輝夜の実力を把握していた。

 過去に一度異変の黒幕であった時でさえも、永琳に、強力な財宝の力に頼っていただけ。

 自分一人の力では何もできない箱入り娘、それが輝夜の本質なのだと思っていた。

 だから霊夢は、輝夜なんかに幻想郷を滅ぼすことなんてできるはずがないと思っていたが……

 

「ふーん、なるほどね。 じゃあさ」

 

 だが、それでも霊夢の直感が突如として危険信号を放った。

 輝夜はその身の奥深くに閉ざしていた何かを、少しだけ表出させる。

 そして、その視線が冷たく変化すると同時に……

 

 

「これでも、そう思う?」

 

 

「―――――っ!?」

 

 辺りの空気の質が、あまりに重く沈んだ。

 気付くと、霊夢は飛び退いて輝夜から距離をとっていた。

 身体の震えが止まらなかった。

 うまく声が出なかった。

 その感覚に、覚えがあったから。

 一瞬で身体の奥底まで冷やされるほどの、別次元の殺気。

 何より、忘れられるはずのないその静かな狂気に、確かに覚えがあったから。

 

「やっと思い出した? だったら、もう手加減なんていらないはずよね」

「あ、ぁ……」

 

 そして輝夜は、ただ呆然と立ち尽くす霊夢に向かって、

 

「あの子を……貴方の母親を殺した、その『存在喰らい』の力を使って」

 

 自らの内に眠る力の暴走で、霊夢が母を殺してしまったこと。

 それを知っているのは、誰だったか。

 紫や藍がそんなことを言いふらすはずがない。

 ならば、霊夢と。

 死んでしまった、母と。

 あとはもう一人、あの時に母を殺そうとしていた冷たい狂気の持ち主。

 

 目の前にいる、寒気のするような微笑とともに、その身に漆黒の闇を纏った―――

 

「貴方たち家族の人生を、幻想郷の未来を終わらせた全ての元凶である、私と遊びましょう?」

「ぁ……ぅぁぁあああああ"あ"あ"あ"ッ!!」

 

 霊夢の奥底から力が湧き上がってくる。

 もう、何も考えられなかった。

 霊夢はただ、憎しみに支配されて地を蹴る。

 殺す。

 殺してやる。

 霊夢にはもう、そんな感情しか浮かばなかった。

 紫や母の言葉など、既にどこかに消えてしまっていた。

 ただ抑えきれない衝動のままに、目の前の憎き仇敵の心臓を貫かんばかりに手を伸ばすと、

 

「違うでしょ。 それじゃあルール違反じゃない」

「なっ……!?」

 

 気付いた時には、輝夜が後ろから霊夢の腕を捻り上げるように掴んでいた。

 本気のルーミアさえ一度追い詰めたはずの霊夢の力は、それでもあっけなく止められていた。

 

「せっかくだし、ちゃんと弾幕で撃って来なさいよ、霊夢」

「っ……あんたなんかにっ!!」

 

 霊夢は輝夜の手を振り払って距離をとり、その身に秘めた力を腕一本に溜めていく。

 魔理沙たちが周囲にいた時には出し切ることのできなかった全力。

 妖怪の山など跡形もなく簡単に消し去ってしまうほどの力の暴走は、それでもこの世界でなら出し切ることができる。

 もう、スペルカードルールのことなど考えられない。

 ただ殺意だけを乗せて霊夢が自らの全てをかけたその力は……

 

「……何よ、興醒めね」

「がっ!?」

 

 いつの間にか、放つことすらできずに止められていた。

 知覚すらできない速さで霊夢の正面にいた輝夜は、片手で霊夢の首を絞め上げていた。

 

 信じられないという顔でもがき苦しむ霊夢は、別に油断をしていた訳ではない。

 それでも、今の状況を避けることなど、できるはずがなかった。

 どれほどの速度も力も、輝夜の前では全く意味を成さないのだから。

 その『須臾を操る能力』をほんの少し使うだけ……輝夜自身の「時間」という単位をたった千倍程度に圧縮するだけで、たとえ音速で動けたとしても、それは輝夜の目には徒歩の速度よりも遥かに遅く映るのだから。

 

「まぁ、霊夢がただの殺し合いを望むというのなら別にいいけど……それなら、これでもう終わりよね?」

「っ……ぁぐぁぁぁっ…」

 

 あと、数十センチ。

 たったそれだけ目の前に手を伸ばせば、それで全てが終わるはずなのに。

 なのに、届かない。

 輝夜に最後の反撃を試みる霊夢の思いは、永久に届かない。

 『永遠を操る能力』によって止められた霊夢の時間は、すぐ目と鼻の先にいるはずの仇敵に、いつまで経っても決して届くことはない。

 

「……で? この結末に、一体何の意味があったというのかしら」

 

 霊夢の声にならない憎しみの悲鳴を聞きながら、輝夜は独り言のように呟いた。

 その言葉は、誰に向けられているのかもわからない苛立ちに満たされていた。

 

 自分が介入しなければ、霊夢が幻想郷で何かを成していたかもしれない。

 自分と戦ったりしなければ、霊夢が未来を変えていたかもしれない。

 

 ならば、この選択は――――

 

「結局は、無意味だったってことよね」

「ぁ゛っ……」

 

 そして、遂に喉を握り潰された霊夢の呼吸が停止するとともに、世界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……輝夜」

「ん?」

「弾幕ごっこ、する?」

 

 暗闇に閉ざされた世界で、ふとそんな声が聞こえた。

 全てを諦めたような視線を感じながら、輝夜は軽い気持ちでそれに返す。

 

「あれ、そういう気分になれないんじゃなかったの?」

「気が変わったのよ」

 

 その気持ちも、わかる気がした。

 なぜなら、この世界にはもう何もないから。

 これからすべきこともなければ、守るものもない。

 それは、ただの消去法なのだろう。

 最後に残された2人で遊ぶくらいが、残された唯一の気晴らしなのだから。

 

「それって、同情のつもり?」

「……さあ。 どうでしょうね、私にもわからないわ」

 

 そして、それが唯一生き残った一人の少女の、霊夢からの一つの礼儀でもあるのだと、輝夜にはわかっていた。

 運命を変えられなかったのは自分のせいだと責めている霊夢の、罪滅ぼしという名の自己満足に過ぎないこともわかっていた。

 

「そ。 だったら一つお願いがあるわ、霊夢」

「何?」

 

 だから、輝夜はその提案自体に特に興味はなかった。

 ただ、それで霊夢が少しでも気楽になってもらえるのならば、別に何でもいい。

 霊夢が必要以上に思い悩む必要なんて、ないのだから。

 だから、輝夜はこれから自分の唯一の遊び相手になるだろう相手の気持ちを、少しでも晴らそうとして……

 

「あんまり気負わずに、気楽に勝負しましょう」

「……はぁ。 あんたは、いつもそうよね」

 

 最後の弾幕ごっこを本気で勝負するつもりだった霊夢は、気の抜けるような返答に溜め息をついた。

 

 輝夜はいつも、適当に弾幕ごっこで遊んでいた。

 自分が異変の黒幕であった永夜異変の時ですらも、勝とうが負けようがヘラヘラと笑ったまま、本当に弾幕ごっこをする気があるのかすらも怪しいほどに。

 だが、この状況でなおいつも通りの返答をする輝夜に、霊夢が一種の安心感を感じていたのもまた確かだった。

 

「そしたら、スペルカードは5枚。 ボムは……まぁ、私はセオリー通り1枚につき1回ずつにするわ。 あんたは?」

「じゃあ、私はボム2回ずつで」

「ああもう。 ほんっとそういうところ空気読まないわよね、あんたは」

「だって、私霊夢に勝ったことほとんどないしー。 最後くらいどんな形でもいいから勝ちたいじゃない」

 

 そう言う輝夜は、言葉とは裏腹に、別に勝ちたいと思っている訳ではない。

 負けたいなどとも思ってはいない。

 遊びの上では、その場で楽しければ勝敗はどうでもいいから。

 永遠を生きる者にとっては、勝敗なんてものは所詮、ただの事実関係の積み重ねに過ぎないから。

 

「……ま、それはそれであんたらしいし、別にいっか。 じゃあいくわよ。 スペルカード宣言、宝符『陰陽宝玉』!」

 

 そして、霊夢が軽い気持ちで放った弾幕から、弾幕ごっこが始まっていく。

 本気で勝ちに行く弾幕ではなく、ただ美しい光を辺りに散りばめるだけの、ただの遊び。

 互いにスペルを取得し、被弾することもほとんどない。

 それでも、時々視界に捉えきれなかった弾に被弾する。

 ただ、それだけの決着。

 何のドラマもない普通のごっこ遊びは、終わるとともにもう一回、またもう一回と繰り返されていく。

 次の日も。

 その次の日も。

 

 だが、永遠の狭間で、それでも次第に終わりが近づいてくる。

 

「……ごめんね、輝夜。 私、もう…」

「そっか。 まぁ、しょうがないわよね」

 

 既に倒れて動けなくなった霊夢を、輝夜は地面に座りながら静かに見下ろしていた。

 最初の頃は霊夢が勝っていたはずの勝負も、1日も経った頃には霊夢は一度も勝てなくなっていた。

 霊夢にはもう、弾幕ごっこをするほどの体力が残っていなかったから。

 水も食料も無く日に日に弱っていき、遂にミイラのように痩せ細って動けなくなった霊夢の姿は、それでも不死である輝夜の心に特に変化をもたらすことはなかった。

 それは、ただの無意味な結末の一つに過ぎないのだ。

 だから、どうでもよかった。

 その言葉を最後に、瞬きをすることすらなく冷たくなった霊夢を見つめたまま―――

 

 

 また、世界が暗転した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間とは、『須臾』の集合体。

 感知できないほど短い歴史の集合体。

 その中を生きるということは、無数の歴史の全てを感じるということ。

 今までずっと、そんな世界を見続けてきた。

 

 目の前に広がるほとんどが、意味の無い結果。

 無限に広がる、虚無の連続。

 

 だけど、それすらも受け入れると決めていた。

 

 ……決めていた、はずだった。

 

 最初の頃は。

 幾千、幾万の時を重ねても、決してその気持ちが変わることはなかった。

 

 だが、それでも次第に歯車はずれ始める。

 

 数千万の時を経た頃から、何が善で何が悪なのかもわからなくなった。

 数億の時を経た頃から、何が現実で何が夢幻なのかもわからなくなった。

 時という概念すらもわからなくなった頃から、自分が何をしたかったのかさえわからなくなった。

 

 やがてその決意は、「永遠」という監獄の中で虚しくも――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 永く眠っていたような気がするくらい、それまでのことがどうでもよかった。

 いつの間にか目の前に広がっていたのは、誰もいないし何もない、どこまでも暗闇に閉ざされた世界。

 だが、そんな空虚な世界にさえ何も思うことはなかった。

 ただ、その世界にはもう一人だけ、誰もいないはずの場所で叫ぶ人間の少女がいて。

 

「魔理沙、早苗! ねえ皆、誰かいないの!?」

「……」

 

 その声は聞こうとしたのではなく、ただ聞こえてきただけ。

 特にそれに耳を傾けるつもりはなかったから言葉の半分以上は頭に入ってこなかったが、自然と何を言っているのかだけは理解できた。

 それでも、理解できることと興味が湧くことは全くの別問題であり。

 たった一人の矮小な人間の存在が、特にその心を動かしてくれることはなかった。

 

「……輝夜?」

 

 暗闇の世界で何かを見つけた少女の呟きは、無音の空間で僅かにだけ届いた。

 輝夜。

 それはきっと、誰かの名前なのだろうと思った。

 それが自分の名前であると知覚できるまでに、ひどく時間がかかっていた。

 

「霊夢」

 

 だが、自分の名前を思い出すことも困難なのに、自分のことを呼んだ者の名は自然と口から出てきた。

 なぜかそれだけは、鮮明に思い出せた。

 理由はわからない。

 ただ、その名の持ち主に、きっと自分が何かしらの期待を抱いているのだろうことだけは、なんとなくわかっていた。

 たとえそれが、一体どういう期待であるかすらわからなくとも。

 

「やっぱり、輝夜じゃない! よかった、生きてたのね!」

「……」

「ねえ、一体何があったの? 他に誰か生き残ってないの!?」

 

 僅かな希望に縋るかのように質問をまくし立てる霊夢に、輝夜は反応を示さない。

 だが、返答がなくても、その反応は自然と霊夢に理解を促していく。

 

「……まさか、もう誰もいないの?」

「……」

「だったら、幻想郷は……皆は、もう…」

 

 その無言は、肯定と同義だった。

 霊夢は膝をついてうなだれる。

 その光景を見るのは初めてでも、なぜか輝夜は見飽きている気すらもしていた。

 その答えに、特に返答の必要性すらも感じることはなかった。

 だが、輝夜が一言も発さずとも、そこに静寂は訪れない。

 なんでよ、どうしてよと。

 理不尽を嘆くような、霊夢のそんな独り言だけが、永延と空間を覆い続けていく。

 

「……ねえ、輝夜」

 

 やがてその「沈黙」を破ったのは、霊夢だった。

 輝夜からの返答は何一つなくとも。

 自分一人で、勝手に何もかもを自己完結した思考の末に放った一言は、

 

「弾幕ごっこでもしない?」

 

 それでも、輝夜が予想していた通りのものだった。

 どうして霊夢がその結論に至ったかなど、今さら聞くつもりもなかった。

 なんとなく、知っていたから。

 それは恐らく、これから永遠の孤独に放り出される自分へ向けた、ただの同情。

 だけど、それは同時に霊夢自身の精神の限界。

 輝夜のためにと心の中で言い訳しただけの自己満足であり、行き場のない悲しみを散らすための無意味な逃避でしかないとわかっていた。

 

「そんな同情みたいなことするくらいならさ。 霊夢」

 

 だから、どうでもよかった。

 結局はいつも通りでしかないのだから。

 もう、何もない。

 この世界にも、この先の未来にも。

 そこから何かが変わろうと変わらなかろうと、自分には何も――――

 

 

 

「……もう、全部終わらせてよ」

 

 

 

「……え?」

「っ――――!?」

 

 だが、輝夜はそこで我に返った。

 自分が何か意味の分からない言葉を呟いていたことに気付くと、もう一度無理に笑みを浮かべた。

 

「え、何? 終わらせてって…」

「あー、何でもないの。 ほら、だいぶ長いことこんな陰気くさいところにいたから、ちょっと冗談言ってみたくなって」

「冗談?」

「そ、冗談。 弾幕ごっこね、退屈してたし丁度よかったわ」

 

 そう言って、輝夜は露骨に話を逸らすように、懐から一つの宝石のようなものを取り出した。

 『龍の頸の玉』。 輝夜の持つ、幻想上にしか存在しない秘宝のレプリカ。

 それでも、それは弾幕ごっこに使うには十分すぎる力を秘めていた。

 自分の力ではなく、財宝の力に頼った弾幕で戦う。

 それが輝夜の、弾幕ごっこの流儀だった。

 

「さ、それじゃあ始めましょうか。 スペルカードは3枚、ボムは1枚につき1回ずつでいい?」

「……」

「……霊夢?」

 

 だが、いつものようにそれを構えた輝夜を見る霊夢の目が、いつもと違った。

 何か悲しいものを見るかのような、切ない眼差し。

 輝夜はそれに気付いていた。

 それは恐らく、この暗闇の世界で永遠の孤独に閉じ込められる輝夜が、最後に無理に明るく振る舞っているのだろうという、霊夢の勝手な推測と憐み。

 そんなの、霊夢が理解できるはずがないのに。

 本当の気持ちなんて、欠片も知らないくせに。

 

「……何でもないわ。 そのルールでやりましょうか」

 

 霊夢のその視線に、輝夜は気付かないふりをしていた。

 どうでもよかったから。

 これも、結局はいつも通りの結末なのだから。

 ただ弾幕ごっこという遊びを楽しむだけの、永遠の始まり。

 そうなるはずだと、思っていたから。

 

「じゃあ、私から行くわよ。 夢符―――」

 

 だが、霊夢の奥底に眠る力が、突如として巨大に膨れ上がるとともに、

 

 

   「『封魔陣』」

 

 

 輝夜の視界が、真っ白に染まった。

 

「……え?」

 

 輝夜の肩から先を切断するかのように、その結界は境目の空間を世界から消し去っていた。

 不意打ちのごとく始まった弾幕ごっこは、とてもごっこ遊びとは言えない殺意をもって、輝夜の半身を消し飛ばしていた。

 殺傷能力の無い、いつもの弾幕ではない。

 霊夢の内に眠る邪神の力を結界の形に変えて放たれたそれは、再生する余裕すら与えないままに、輝夜の意識を少しだけ奪っていた。

 

「あら。 やっぱり不死身にも効くのね、これ」

 

 霊夢は、そう言った。

 少しだけ混乱する輝夜に向かって、霊夢はもう一度その力を身に纏いながら、

 

「何を驚いてんのよ。 あんたが言ったんでしょ、終わらせてって」

 

 その、あまりに無理して出したような震えた声を聞いて、輝夜は理解した。

 霊夢は恐らく、さっきの輝夜の言葉が、「もう死にたい」という意味だと受けとったのだろう。

 誰もいないこの世界で一人生き続けるのが辛いという、心の叫びだと思ったのだろう。

 だから霊夢は、屈強な妖怪さえも消滅できる力を持った自分が、輝夜の全てを終わらせてあげようとした。

 蓬莱人、本当の意味での不死者に自分の力が通用するかはわからなくとも、それでも成し遂げようと決めたのだ。

 輝夜には、それが殺意ではなく、霊夢の純粋な優しさなのだとわかっていた。

 自らの内に眠る力に怯え、誰かを傷つけることを恐れていた霊夢が、その気持ちさえも押し殺して絞り出した優しさなのだと気付いていた。

 そんな優しさを、求めていた訳じゃないのに。

 

「あはは」

 

 それでも、輝夜は久しぶりに心から笑った。

 

 

 ――これで、いいのかもしれない。

 

 ――ここが、潮時なのかもしれない。

 

 ――だったら、最後くらい楽しんでもバチは当たらないわよね。

 

 

 ――私の、最後の命をここで――

 

 

「……いいわ、それを待ってたのよ。 だったら始めましょうか。 永い永い、終わりの始まりを―――」

 

 

 そして、輝夜はその笑みのままに、最後の弾幕戦へと向かった。

 

 

 

 

 


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