東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第27話 : 無知

 

 

 

 

「……なんで、助けたの?」

 

 最初は、その言葉は耳に入ってこなかった。

 特に興味はなかったから。

 助けた訳ではない。 彼女を捕食しようとした魔物を、ただ自分がここで殺す運命だったからそうしただけだった。

 だから、窮地を救われた魔法使いが、自分に恩義を感じようと感じまいと、別にどうでもよかった。

 

「ならば、私が貴方の盾となりましょう。 いつか貴方を超えられる日まで」

 

 勝手にすればいいと思っていた。

 別に護衛が欲しくてそうした訳ではない。

 自らの進む道に迷った彼女を、ここで自分が打ち負かす運命だったからそうしただけだった。

 だから、目標を見つけた武術家が、自分について来ても来なくても、別にどっちでもよかった。

 

「……殺せ。 何故、私を生かす」

 

 それにも意味はなかった。

 ただ、自分がそこで生き残る運命だったからそうしただけだった。

 吸血鬼として悪名高い自分を殺しに来た彼女を、返り討ちにした後に生かそうが殺そうが、自分が変えたい運命には何の関わりもない。

 だから、新たに生きる意味を見つけた人間が、自分に忠誠を誓おうと誓わまいと、別に何も感じなかった。

 

 自分のことを彼女たちがどう思っているのかなど、考えようとしなかった。

 そんな余裕などないのだから。

 自分には、全てを投げ打ってでも成し遂げなければならないことがあるから。

 

 だけど、どれだけ考えないようにしていても、その気持ちは心の奥深くで眠っている。

 彼女たちと笑いあえる、幸せな日々を。

 そんな明日を夢に見ない夜は、一度としてなかった。

 

 そして、苦悩の日々を越えてやっと手が届いた、夢にまで見たその日は……

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第27話 : 無知

 

 

 

 

 

 微かに光る弾幕が夜の闇を少しだけ照らしている。

 レミリアの放った弾幕は、世界をほんの一瞬だけ照らしてすぐに闇に消えていく。

 

「呪詛『ブラド・ツェペシュの呪い』!」

 

 既に月光から得る魔力に限界が来ていたレミリアは、その身に禁呪を纏い、自らの生命力と引き換えに一時的に力を得て立ち向かい続ける。

 そんなレミリアを見るルーミアの目は、冷ややかだった。

 

「……もう、充分だろ?」

 

 だが、ルーミアとは対照に、闇の隙間を潜りぬけながら飛ぶレミリアは未だ笑っていた。

 身体を再生させる魔力すらも尽きかけていたにもかかわらず諦めないのは、昔のように孤独ではないからだ。

 レミリアの周りに、かけがえのない友がいるからだ。

 右を見れば、こんな自分に一生ついていくと誓ってくれた従者の姿が。

 左を見れば、こんな自分を見捨てることなく支え続けてくれた親友の姿が。

 

 無残な屍となって、ゴミのように打ち捨てられていたからだ。

 

 ――ああ、こんな状況でも私は笑えているのだろうか。

 

 本当は泣き出して、最後に2人を抱きしめてあげたかった。

 2人と一緒にただ闇の中に沈んでいっても、それでもよかった。

 だけど、それはできなかった。

 それは命を投げ出してまで自分についてきてくれた2人を、何よりも裏切る行為だから。

 その気持ちを、無駄にすることになるから。

 それをわかっていてなお、涙が溢れそうになってくる。

 

  ――あ。 咲夜、あとよろ。

 

 最初にやられたのは、パチュリーだった。

 誤ってルーミアの射程範囲に入ってしまった時、パチュリーは咲夜にレミリアのことを優先させ、最後にありったけの魔力を月の光に変えたところで貫かれた。

 ルーミアはあえてパチュリーの屍を消すことなく、レミリアに見せつけるように目の前に捨てた。

 それでも、レミリアは躊躇することなくルーミアに立ち向かい続けた。

 パチュリーが最後に遺した灯をその身に乗せ、レミリアは再びルーミアに牙をむいていく。

 だが、満月から魔力を得られるレミリアとは違い、人間である咲夜にも次第に限界が訪れる。

 パチュリーを失い、隠れている余裕を失って前線に出た咲夜の体力は、急速に奪われていく。

 いくら強力な能力を持とうとも、どれほどの忠誠のもとに気力を振り絞ろうとも、生まれついた種族という限界は超えることはできなかった。

 そして、満身創痍の咲夜に生まれた一瞬の気の緩みが、時を止めてなお避ける隙間を残さぬほどの無数の闇の刃で咲夜を囲うことを可能にしてしまった。

 いくら運命を弄ろうとも助けることなど叶わない絶体絶命の状況が、咲夜にも訪れる。

 それでも、その直前に咲夜がいつものように微笑みながら放った最後の言葉が、

 

  ――お嬢様の笑顔、いい冥途の土産になりましたよ。 メイドだけに。

 

 そんなだった。

 

「……ふふふ」

 

 それを思い出したレミリアからは、少しだけ笑みが漏れていた。

 涙を浮かべながらも、その表情はどこまでも笑っていた。

 最後の瞬間までレミリアを信じ続けて、そんなバカみたいな終わり方をした2人に報いようとしていた。

 だが、それも既に限界だった。

 

「っぐっ、あっ!?」

「……終わり、だな」

 

 レミリアの身体を刺すように闇の刃が貫き、捕えられていた。

 全身が侵食され、もう身体を切り離すことも再生することもできない、本当の決着。

 パチュリーを失い、咲夜を失い、レミリアも既に動くことなどできないにもかかわらず、ルーミアには傷はおろか息切れ一つない。

 だが、完全になす術を失ったレミリアは、それでも笑みを浮かべていた。

 そんなレミリアに、ルーミアは苛立ちを含んだ声で呟くように聞く。

 

「なぜ、この状況で笑う?」

「約束したからな。 私は絶対にお前には屈しないと、お前の望むとおりになどなってやらないと! だから、たとえ死んでも、私は不敵に笑い続けてやるよ」

「今更そんなに無理をして何になる? もうお前には何一つ残されていないというのに」

「……いいや、残されているさ」

「何?」

 

 もう、大事なものはほとんど失ったけれど。

 自分の命すらも既に消えかかっているけど。

 それでも、レミリアは最後まで大切な人を守って笑顔で死ぬ。

 誰よりも幸せにならなきゃいけない子を。

 化物なんかじゃない、誰よりも優しい子の未来を。

 

 何があっても、たとえ―――

 

 

「たとえこの身が朽ち果てようともフランだけは守る、ね」

 

 

 レミリアが自らの命を諦めかけたその瞬間、辺りに少しだけ声が響いた。

 世界の存続さえかけたその戦場に存在するにはあまりに矮小な力しか感じられなかったが故に、その声が聞こえるまで気付くことはできなかった。

 だが、既にレミリアへの興味を失いかけていたルーミアは、突然のそれの登場に警戒心を引き上げた。

 

「古明地さとりか。 何だ、お前もこの根暗妖怪を倒しにでも来たのか?」

 

 レミリアは目の前に現れたさとりを歓迎するかのような笑みを浮かべながら言う。

 心強い援軍の到来に、戦いの続行を諦めかけていた自らの闘志を再び燃やし始める。

 

「いいえ、私はただ貴方の足掻きを見物に来ただけよ」

 

 だが、再びその目の炎を灯したレミリアとは対照に、さとりの態度はどこか落ち着いていた。

 その返答に少しだけ落胆しながらも、レミリアは再び笑みを浮かべようとするが…

 

「……そうか。 まあいい、私がこいつに屈することなくいられるのもお前のおかげだ、少しだけ感謝の…」

「ふふっ、ふふふふっ」

 

 さとりが浮かべたのは、何か愉快なものを見るかのような笑みだった。

 まるで、レミリアのことをバカにしているかのような。

 それに気付いたレミリアは、怪訝な表情を浮かべて聞く。

 

「何が、そんなにおかしい?」

「いいえ、ごめんなさいね。 ただ―――」

 

 そして、さとりは少しだけ勿体ぶるように間を空けて、レミリアを嘲るように言う。

 

「そうやって何も知らずに一人で強がってる貴方の姿が、あまりにも滑稽だったから」

「……え?」

 

 レミリアは、さとりの言っていることの意味がよくわからなかった。

 確かにレミリアは今、ルーミアに敗けて捕えられている。

 だが、レミリアの闇を解消させたのは、ルーミアに立ち向かう状況になるよう仕向けたのは、他でもないさとりのはずだったのだから。

 

「どういう、ことだ?」

「その身が朽ち果ててでも、貴方が守ろうとしたのは―――」

「……え?」

「あの、死体のことかしら?」

 

 レミリアは動けなかった。

 何が起こっているのかわからなかった。

 ただ、その瞳の奥に浮かんでいたのは、さとりが紅魔館に現れた時と同じ運命。

 フランが死ぬ運命だった。

 

「お前、一体何を……」

「貴方はあの時、無事に運命を変えられたと思ったのかもしれないけど、実は変えられてなんかいなかったの。 私の持つもう一つの能力で、貴方が昔見た記憶を一時的に貴方の心に再現してあげただけよ。 その昔貴方が捻じ曲げた、「フランドール・スカーレットの死」という運命をね」

「なっ……」

 

 さとりの能力は心を読むことだけではない。

 相手の心的外傷を再現して、その心に映し出す力を持っている。

 

「貴方は昔、自分の能力を使って妹が死ぬ運命を創り出してしまった。 過ちに気付いた貴方は、もう一度その能力を使って妹の死の運命を無理矢理捻じ曲げた」

「待って、お前は何を言ってる、フランは…」

「だけど、一度決定づけられた運命を変えるそれは、因果律さえも塗り替える、貴方の能力の限界を超える所業だった。 それを成し遂げるためには貴方の生涯の力を全て注いで、本来あるべき運命を騙し続ける必要があった。 別の運命を変えることに力を使ってしまえば、代わりに貴方が捻じ曲げていた運命が戻ってしまう、妹の死という運命が再発してしまう。 だから貴方はどんな運命が見えていても、それが決して変わらないように必死になっていた。 そういうことでしょう?」

 

 何故さとりがそれを知っているのか、などというのは愚問だった。

 さとりは、レミリアの心を読めるのだから。

 だからこそレミリアは、さとりがその苦しみを理解し、偽りの枷を外してくれたのだと思っていた。

 

「だけど、ただ運命の通りにしか進まない世界なんていうのはつまらな過ぎるでしょ? だから私が、貴方の「運命を変えれば妹が死ぬ」という固定観念を壊したように見せかけてあげたのよ」

 

 だが、さとりはレミリアを救おうとした訳ではなかった。

 目前に差し迫った「フランの死」という、レミリアがその呪縛を無視してでも変えざるを得ない運命を擬似的に見せることで、衝動的に『運命を変える能力』を使わせただけなのだ。

 さとりは、一介の吸血鬼に可能なはずがない、数百年も世界の法則を騙し続けるほどの所業を、更にペテンにかけた。

 どんな些細な運命さえも変えないことにその人生を捧げ続けてきたレミリアを騙し、ずっと守り続けてきた禁忌を破らせたのだ。

 レミリアは、震えた声で恐る恐るさとりに尋ねる。

 

「何だ、意味がわからない、だったら何だ、今見えてるのは……」

「ええ、そうよ。 私は今、貴方に見せていた偽りの平穏の記憶を解いただけ。 今見えているのが……運命を変えられるだなんて希望を貴方が持ってしまったばっかりに再発した、あの子が死ぬ未来が偽りなき本当の運命よ」

 

 レミリアは、ただ呆然としたまま動けなかった。

 さとりの言っていることを理解した結果を、受け入れられなかった。

 つまりは、あの呪いは偽りの枷などではなかったことを。

 運命を変えることなんて、本当はレミリアには許されなかったということを。

 

「……ふざけるな」

「あら、何がかしら」

「だったら……フランは今どうなってる? 咲夜は、パチェは、一体何のために死んだ? 私は今まで、何のためにっ…!!」

「もう貴方自身も気付いているんでしょう? ま、でもしょうがないから貴方にもわかりやすいように言葉にしてあげるわ」

 

 そしてさとりは、レミリアを憐れむような視線を向けて、

 

「貴方の妹も、従者も、親友も、貴方の勝手な思い込みのせいで何の意味もなく死んでいった。 ただそれだけのことよ」

 

「っ!? ああああああ”あ”あ”あ”ッ!!」

 

 それが聞こえた瞬間、レミリアは奇声と共に自らを捕えていた闇を振り払ってさとりに向かって飛ぼうとしていた。

 限界を超えた身体で、その心に発生した負の感情が、レミリアの奥底に眠っていた闇の力を再び呼び起こしていく。

 だが、伸ばしたその手はさとりに届かず、もがくほどに辺りを覆う闇に飲み込まれていく。

 涼しい顔をしているさとりを睨みつけるレミリアの目にあったのは、誰よりも強い怒り、嘆き、憎悪の色、そして――

 

「ふざけるな……ふざけるなっ!! 殺してやるっ、お前だけは絶対っ……!!」

「ふふっ、いい顔をするようになったじゃない。 今までで一番魅力的よ。 でも、残念だけど私は負け犬の遠吠えに興味はないの。 だから――」

 

 そして、さとりは再びその能力をレミリアに向ける。

 レミリアの心的外傷、変えることのできなかった運命の末路。

 両親の死の瞬間。

 パチュリーと咲夜の死の瞬間。

 そして、フランが死んでいく、運命の果ての未来。

 その光景を、まとめてレミリアの脳裏に映して……

 

「ぁ……」

「さよなら、哀れな吸血鬼。 せっかくだし最後に一つだけ教えてあげる」

 

 レミリアはもう、何も信じてはいなかった。

 ただ止めどなく溢れていく絶望に支配されながら、

 

「貴方のそのくだらない人生には、結局最後まで何の価値もなかったわ」

「っ……ぅあああああああああぁぁぁっ――――」

 

 悲痛な断末魔を上げて、そのままレミリアは闇に飲み込まれていった。

 その一連の出来事を前に、ルーミアは一歩も動くことができなかった。

 ルーミアは目の前にいる得体の知れない妖怪に向かって、恐る恐る尋ねる。

 

「……お前、一体何をしたんだ? あいつは…」

「貴方がいくら絶望を叩きつけようと、闇には墜ちなかったと?」

「ああ」

「でも、私はただあの子に「昔の」運命をちょっと見せてあげただけよ。 そしたら、あの子が勝手に勘違いして絶望しただけ。 まったく、随分と間抜けよね」

「なっ……」

 

 さとりは別に、紅魔館にいた時から能力を使い続けていた訳ではない。

 たった今、かつてのレミリアの心的外傷を想起させただけ。

 たとえさとりが持つのが相手の「心的外傷を想起」させるだけの能力だとしても、その本質を知られていなければ、見せ方によってはそれを「あらゆる記憶を再現」する能力であるとミスリードさせることはできる。

 さとりはただ、追い詰められたレミリアの焦燥感を煽るようにその能力を使い、必要な分だけ偽の情報を与えることで、想起させたその心的外傷を現実と錯覚させただけなのだ。

 つまりは、別にレミリアの行動によってフランの死の運命が蘇った訳ではない。

 ただほんの少し、レミリアの心の奥を抉る未来を、レミリア自身が現実と思い込むように仕向けただけ。

 それだけで、レミリアはフランが死んだと勘違いし、その瞳に強く宿っていた光は簡単に消え去ってしまったのだ。

 

 だが、レミリアの全てを壊すような残酷な仕打ちをしたはずのさとりの表情には、一点の曇りもない。

 まるでただの日常の一コマを終えたかのような、いつもと変わらない態度でルーミアに向き直っていた。

 それと対峙するルーミアは一度ゴクリと唾を飲み込んでから、冷静を装って言う。

 

「……ははは、酷いことするな、お前。 流石の私もそこまではできないぞ」

「あら、一端上げてから落とすのなんて心理戦の基本中の基本じゃない? それより、貴方の今の調子はどうかしら」

「え?」

「レミリア・スカーレットが墜ちれば、貴方には本当の意味で力が戻るんでしょう? その感覚を聞いてるのよ」

「あ、ああ。 良好だな」

 

 さっきまでのように、レミリアたちを相手に苦戦してしまうような、中途半端にしか戻らない脆弱な力ではない。

 全ての闇を抱えたレミリアを飲み込んだルーミアの力は、多くの支柱を失ってなお再び膨れ上がっていた。

 ルーミアには、別に全ての支柱が揃っている必要はない。

 一度その力の復活を終えてしまえば、自分の力の糧にするに十分な力の源があれば、それで問題は無い。

 そして、今やレミリアの抱える闇は、たった一人で全てを支えうるものとさえなっていた。

 だが、今のルーミアはそんなことよりも、レミリアを陥れた直後とは思えないほど淡々と事を進めるさとりへの、生まれて初めて心から抱いた畏怖の念に支配されつつあった。

 

「そう、それはよかったわ」

「……お前、一体何が目的だ? 私に加担する気なんてなかったはずだろ」

 

 闇の支柱として、ルーミアが最もふさわしいだろうと思っていた人材。

 それは、実はレミリアではなくさとりだった。

 その人生の全てを絶望の感情に捧げてきたレミリア以上であり得るのは、人生の全てを嫌われて憎悪の中を生きてきたさとりくらいだろうと思っていた。

 その心の中は、世界への憎しみで溢れ返っているものだと思っていた。

 だが、さとりは闇の力に感染しようとも決して屈することはなく、ルーミアの支柱として存在することはなかった。

 それ故に、ルーミアの復活は容易に進まなかった。

 最大の闇を抱えるはずだった憎悪の支柱の不在により、チルノが墜ちる以前は一度は危機にすら陥ったのだ。

 

「別に、貴方なんかに加担する気なんてないわ」

「だったら、なぜ……」

 

 ルーミアは怪訝な表情を浮かべてさとりに問いかける。

 ルーミアには、さとりが支柱として存在している感覚は未だにない。

 ならば、さとりは闇の力に感染しているものの、実は支柱足り得るほどの憎悪など抱えてはいないのか。

 あるいは、闇の力の浸食を無効化できる能力を、さとりが持っているのか。

 だが、そんなルーミアの思考を読んだのか、さとりはため息をつきながら見下した目で言う。

 

「……貴方、何か勘違いしてるようね」

「何?」

「自分がこの異変の主導権を握ってるとでも思ってるの? 今進んでいるのが自分の描いたシナリオの上だとでも思ってるの? だとしたら、それはひどく滑稽だわ」

 

 ルーミアにはさとりの言っていることの意味がわからなかった。

 今の異変の元凶の全てが、自分にあると思っていたからだ。

 

「一体、どういうことだ?」

「そうね……じゃあ、一つ質問してあげる」

 

 そして、さとりは少しだけ意地の悪そうな表情を浮かべて、

 

「貴方――――『嫦娥計画』という言葉に、心当たりはあるかしら?」

「嫦、娥……っがぁぁあああ”!?」

 

 その瞬間、ルーミアは頭を押さえて苦しみ始めた。

 その脳裏を、どす黒く耐えがたい苦痛が過ぎっていた。

 それが何なのかはわからない。

 あまりに捉えどころがなく、心的外傷と簡単に言葉にするのも憚られる、何か。

 だが、得体の知れない記憶にもがき苦しむルーミアを、さとりは何故か既に興味を失ったかのように冷めた目で見ていた。

 

「……はぁ、何よとんだ期待外れね。 貴方は何も知らない。 いや、そもそも知ること自体を許されていないのかしら。 それなら、もう貴方は用済みよ」

「何だ、お前は、一体何を……っ!!」

 

 そして、ルーミアは何かを感じ取ったのか、突如として跳び下がって闇を纏った。

 だが、そこには誰もいない。

 いないはずだが、確かにその空間が歪んで――

 

「っあああああああッ!!」

 

 ルーミアはその場で纏った闇を散弾銃のように開放して辺りを飲み込もうとするが、それは次第に勢力を失っていく。

 今、確かにルーミアの目に映っているのは、法則の歪曲に耐え切れずに波打っていく空間。

 ルーミアの纏う闇さえも、全てを平等に飲み込んで無色に染め上げていく世界。

 そして――

 

 

 ――審判『ラストジャッジメント』――

 

 

 天空にそびえ立つ、光と闇に二分された大剣だった。

 ルーミアは現状を把握できていない。

 目の前にあったのは、既に消し去ったはずの、今ここに存在するはずのない能力。

 かつてルーミアを陥れた、そのトラウマとでもいうべき力だった。

 

 ――違う、そんなはずがない。 確かに…

 

「確かに、四季映姫・ヤマザナドゥは消したはず? 自分が直接手を下した訳でもないのに? その瞬間を直接見た訳でもないのにそう言い切れる?」

「っ――――黙れ、そんなこと…」

「信じられないのなら、信じなくてもいいんじゃない? ただ、一つ知っておくといいわ。 貴方は無知よ。 今何が起こってるのか……いえ、自分が何者かすらもわかっていないほどに」

 

 さとりは、狼狽えるルーミアを嘲るように笑う。

 だが、今のルーミアにさとりの言葉を気にする余裕などない。

 ルーミアの周りを再び空間の亀裂が覆っていく。

 

「黙れ黙れ黙れ黙れっ!! そんなに死にたきゃお前もすぐに消してやるよ、この嫌われ者がっ!」

「ふふっ、随分と混乱してるみたいね」

 

 そう言って、さとりは音も立てないほど軽やかに上空へ飛んで手を伸ばす。

 それを追うように、ルーミアの闇がさとりを一瞬で覆いつくした……かのように見えた。

 

「まあいいわ。 じゃあ、せっかくだし少しだけ遊んであげる」

「なっ……!?」

 

 だが、さとりが何か合図をするようにその手を振りかざすとともに、突如としてさとりを覆い尽くそうとしていた闇が断ち切られる。

 そして、その闇の中から一つの影が現れた。

 

「な……なんで…」

 

 ルーミアは目を疑っていた。

 いつもと変わらぬ姿で佇む彼女は、冷徹な表情を浮かべたままルーミアをその視界に捉えていた。

 その手に握られているのは、人間も妖怪も神をも平等に、その罪の重さ分だけ一方的に裁く悔悟の棒。

 だがそれ以上に、幻想郷最強と言われる鬼さえも屈服させるほどの、存在するだけで全てを委縮させる絶対者の力は、彼女が本物であることをルーミアの本能に刻みつけるのに十分だった。

 既にルーミアの目にはさとりの姿など入っていない。

 そんなルーミアをあざ笑うように、さとりは愉悦の表情を浮かべて言う。

 

「ま、せいぜい私を愉しませてね―――不死の亡霊」

 

 そして、ルーミアを囲うように発生した空間断裂が、世界を飲み込んでいった。

 

 

 

 





この章はレミリアパートだけで終わりではなく、いろいろな重要な視点が入り混じってきます。



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