東方理想郷 ~ Unknowable Games. 作:まこと13
長い繁忙期を乗り越えて、私は帰ってきたっ!!
……いや何かほんとに3か月以上も空けてしまってすみません、予想以上に時間が取れなかっただけで、失踪した訳ではないんですm(_ _)m
夏は少し余裕があると思うんで、安定して月1ペースくらいには更新できるよう頑張ります。
そして、誤字脱字の修正をして更に誤字脱字が増えるという大失態……これからはもっと落ち着いて書くようにします。
戦いは終わった。
誰も欠けることなく成し遂げられた、奇跡とでも言うべき所業。
それでも、それは終幕ではない、新たな旅路への始まり。
それまでの自分を捨て、新たに高みを見据えた勇儀。
それまでの自分の弱さと向き合いながら、それでも世界を変えると決めた文。
それまでの自分の罪を背負いながら、人生をかけて文を支えていこうと誓ったはたて。
だが、その3人の新たな旅立ちの裏に、もう一つの誓いの始まりと、そして一つ戦いの終わりがあった。
東方理想郷 ~ Unknowable Games.
第24話 : 科学兵器
彼女は世界の因果に支配されていた。
既にその身が限界まで酷使されている中で、それでも新たな敵が現れるとともに、彼女の身体は苦痛を伴って変容していく。
身体だけではない、その存在を書き換えるかのごとく何もかもが歪んでいく。
なす術もなく、ただ闇に飲まれていく。
だが、自らの存在そのものが引き裂かれるほどの苦痛の中、それでも彼女の魂は必死にもがいていた。
彼女が追い求め続けてきた、本当の願いだけを探して。
――私はただ、敗北を禁じた。
それは即ち、自らの願いが妨げられなくなるということ。
望むままに世界を書き換えられるということ。
だから、世界は彼女の弱さを拒絶した。
彼女が目の前の敵に打ち滅ぼされることのないように、超える者なき強さを与えた。
だが、次に世界は彼女の闇を拒絶した。
――どうして?
そして、鬼を蝕む記憶を拒絶した。
烏天狗の死を拒絶した。
――何のために?
それは必然の出来事で、簡単な問だった。
彼女が禁じたことは、たった一つ。
世界は、彼女にとっての本当の敗北を禁じただけ。
彼女はただ、あまりに強大すぎる力に支配されて、わからなくなっていただけなのだ。
自分にとっての、本当の敗北とは何なのかを。
敗北とは、死ぬことなのか。
――違う。
それとも、天狗や鬼に支配されることなのか。
――そうじゃない。
たった一つ、守りたいものがあるから。
たとえ自分が生き残ろうとも、全ての支配を打ち砕けようとも。
それを失うことは、何よりも最悪の敗北だから。
全てに嫌われ拒絶された自分を受け入れてくれた、たった一人の大切な人を。
――そのために、私はあの社会を捨てた。
嫌われ者の自分のせいで、彼女まで迫害されることのないように。
自分の犠牲と引き換えに、彼女が平和に暮らせるように。
――そのために、私は地上へ出た。
暴走していく世界に、彼女が傷つけられることのないように。
せめて自分が彼女を護ってあげられるように。
――そのためならば、私は悪魔にだって魂を売ろう。
たとえ全ての災厄を自分一人で引き受けることになろうとも。
その結果、たとえ世界さえも闇に染めることになろうとも、絶対に見失わない。
全てを失ったはずの自分に残されていた大切な子が、いつまでも笑っていられる未来を。
それさえ叶えてくれるのならば、もう何も未練はないと願った。
だから、この結果はそんな彼女の呪われた能力が、最後にその願いでもって書き換えた奇跡。
この残酷な世界に立ち向かおうとする心強き烏天狗が壊れる世界は、あの子が生きる未来にとっての敗北だから。
木端妖怪にも隔てなく手を差し伸べてくれる心優しき烏天狗が死ぬ未来は、あの子が生きる世界にとっての敗北だから。
彼女はただ、願った。
種族など関係なく、誰もが手を取り合って生きていける未来を。
誰もがそんな日常を進んでいける幸せな時間を。
そして、いつか――
「――にとりに、そんな優しい世界を見せてあげたいから」
それが、河城みとりが願った全てだった。
◆
それは、あまりに強くにとりの心に響いていた。
自分の悲しみなど一瞬で押しつぶされてしまいそうなほどに強く流れ込む苦悩の中、それでも全てを押しのけて脳裏を支配する、たった一つのみとりの願い。
懐かしいその感覚は、深い暗闇の中で、それでもにとりの心を包み込むように守り続けていた。
――バカだなぁ、私。
姉が自分のことを嫌いだなどという戯言に惑わされて、勝手に一人で嘆いていた。
みとりのことを、最後まで信じてあげられなかった。
みとりが、その人生の全てをかけて……いや、死してなおにとりを守ろうとしていたことに気付かないまま。
――ごめんね、ありがとね。 私はもう、大丈夫だから。
にとりは、自分の中にある一つの力が消えていこうとするのを感じていた。
にとりを守るためだけに全てを投げ打った一つの人生が、今ここで終わろうとするのを悟っていた。
だが、にとりは嘆かない。
本当は泣いて引き留めたい気持ちを抑えて、一人強がってみせる。
最後の瞬間を悲しみで終わらせないために。
たとえ一人でも強く生きていける自分を見せるために。
だから、にとりは掠れた声で、それでも笑顔のままぽつりと呟く。
「……大好きだったよ、姉さん」
そして、その力の消滅と同時に、にとりの目から一筋の雫が溢れかけたところで、
「いやあ、そう言ってもらえると姉冥利に尽きるってもんだねぇ」
「ひゅいっ!?」
突然至近距離から聞こえたその声で、にとりは飛び起きた。
ニヤニヤしながら自分に膝枕をしていた妖怪のもとから飛びずさり、まだ頭痛の残る中、辺りを見回す。
そこでは、妖怪の山の妖怪なら誰もが知る有名人たちが、揃いも揃ってにとりを取り囲んでいた。
かつて幻想郷最強の暴力と恐れられた鬼の四天王、星熊勇儀。
妖怪の山最悪の卑怯者と知られ、上層との癒着を繰り返して権力に溺れた烏天狗、姫海棠はたて。
その実力は天狗随一であると噂されながらも、自ら好んで下っ端に紛れている天狗一の変わり者、射命丸文。
それに加えて、肌で感じられるほど強大な力を身に宿した地獄烏の姿。
そこにあったのは、目の前にすれば河童であれば卒倒必至の層々たる顔ぶれだった。
自分が異変の元凶であることを考えると、それは自らの死を確信するほどの、絶体絶命の状況のはずだった。
だが、それでもにとりには勇儀たちのことなど目に入らなかった。
自分に向かって笑みを浮かべているお燐だけを、ただ呆然と見ていた。
「まったく。 いつまでボーっとしてんだい、にとり」
「えっと、あの…」
「お、お燐、どうしたのいきなり!?」
突然口調の変わったお燐に、一番反応していたのは空だった。
それを見るお燐は、少しため息をついて空に言う。
「はぁ。 お前も図体はでっかくなったくせに、中身は全然変わらないんだねえ、空」
「え? お燐?」
「ははっ。 まぁ、そう言ってやんなよ、それがお空の持ち味だろう。 みとり」
「えっ!?」
勇儀の言葉に、にとりは跳ねあがるように反応する。
だが、そこにみとりはいない。
そこにいるのは、どう見てもみとりとは似つかない、猫のような妖怪だった。
「ど、どういうこと? みとりさんって、だって、お燐がみとりさんで、そしたらみとりさんがお燐で…」
「ああもう。 ちょいと身体を借りただけだ、心配するな」
戦いが終わった時、既にみとりの魂は文から弾き出されていた。
それに気づいていたお燐は、自らの操る怨霊を使って、みとりを侵食する負の感情を食らわせることに成功していた。
そして今は、ただの怨霊と化したみとりを一時的に自分に憑りつかせているのだ。
「……本当に、姉さんなの?」
「ああ、そうだよ。 久しぶりだね、にとり」
にとりは信じられないという顔で、お燐の姿容をしたみとりに飛びつきそうになる。
だが、その前にその言葉の意味をどうしても確認したかった。
「でも、待ってよ。 身体を借りたって、どういうこと?」
「……ま、それは隠してどうなるもんでもないか。 実は私はもう死んでてね、今は誰かの身体でも借りないと言葉を発することもできないただの怨霊なのさ。 ここに留まれるのも、あと数分が限界のね」
「っ…!!」
みとりの魂は、既に限界まで消耗していた。
いや、限界というよりは、むしろ成仏とでも言うべきものだった。
怨霊は、この世に負の未練を残した魂のなれの果て。
その未練を既に成し遂げ、お燐の力によって残る負の感情さえも食らわれていたみとりの魂は、怨霊としての存在意義を失ったが故に、この世に留まることができなくなった。
それでもみとりに残っていた僅かな未練を汲み取ったお燐が、にとりが起きるまでみとりの魂を保護し、そして今その最後の灯を自らの身体に乗せたのだ。
故にこれは、お燐がここにいるという偶然がなければ決して成すことのできないはずの時間。
だが、少しだけ希望を持ったにとりの表情は、また曇る。
ずっと探し続けて、やっと見つけた自分の姉。
それでも、そこにあるのはもう少しで消えてしまう幻なのだ。
「えっ!? ちょっと待ってよ、数分って……私まだいろいろ聞きたいこととかいっぱいあるのに!!」
「落ち着け、お空。 ってかちょっと黙れ」
みとりのタイムリミットを聞いて一番取り乱していたのは、空だった。
だが、勇儀に引き止められて、ついさっき決めたことを思い出す。
にとりが起きるしばらく前、目を覚ましたはたてを見て泣きじゃくっていた文は、やがて冷静さを取り戻し、お燐や勇儀と異変について知っている情報を交換していった。
その中で、恐らくは今眠っているにとりと、特にみとりが大きな情報を持っているだろうと考えた。
そして、お燐は自分が今みとりの怨霊を保護していること、少しの時間ならそれを自分の身体に入れられることを打ち明けた。
だが、それは僅かな時間のみ。
それ故、空にみとりのことを事前に伝えるとその僅かな時間を無駄話に使いかねないと考え、お燐はにとりが起きた後に何が起こっても必要以上にその時間を妨げないということだけを取り決めて空に伝えていたのだ。
「……そっか」
にとりは呟き、ただ自分の手を握りしめたまま何かを耐えるように目線を下げている。
本当は、昔のようにまた一緒に暮らせるのではないかという期待もあった。
それができないのならせめて、今の自分のことと、自分にできた友達のことを聞いてほしかった。
どうして自分を置いていなくなったのか、問い詰めたかった。
だが、にとりは知っていた。
今、幻想郷がどんな状態にあるのか。
そして、勇儀や文たちが今、自分を取り囲んでいる状況。
にとりは、恐らく自分が試されているのだろうと察した。
破邪計画の技術主任として、果たすべき責任がある。
みとりに残された時間があと僅かであるならば、今が感傷に浸るために、自己満足のために使っていいような時間ではないことがわかっていた。
「だったら、教えてよ姉さん。 幻想郷で今、何が起こってるのか」
だから、にとりは迷いのない真っ直ぐな目でそう聞いた。
自分は今まで、取り返しのつかないことをしてきた。
天狗たちを消し、大切な友人を傷つけ、そして世界を壊そうとしたこと。
その原因が未だ幻想郷を取り巻いている現状を、知っていたから。
ならば今すべきなのは、その解決のために自分の全てを尽くすことなのだろう。
確かに、闇の支柱として存在した自分にもわかっていることはある。
だが、何年間もずっと闇の力をその身に纏い、多くを知ってきただろうみとりに聞くべきことが、たくさんあった。
何より、みとりがいなければ決して解明できないだろう謎の存在を、にとりは知っていた。
「ま、少しは冷静みたいで安心したよ。 この状況で私のことなんか聞こうとしてきたら、引っぱたいてやろうと思ってたからね」
「大丈夫だよ。 こうやってまた少しでも話せるだけで、私は十分だから」
本当はそんなことはなかった。
だけど、今は少しでも強がって見せようと思っていた。
にとりは一度大きく深呼吸してから、真剣な表情で口を開く。
「……それで、姉さん。 あの力の正体は一体何だったの?」
「正体、とは?」
「時間がないんだ、とぼけなくてもいいよ。 多分、あれに混合されてたのは科学の力だよね。 それも、とても私たちなんかの手におえるような代物じゃない、数世代先の」
「えっ!?」
それを聞いていた文は、会話を妨げはしなくとも、戸惑いを隠せなかった。
およそ500年前、外の世界ですらまだ木炭によるエネルギー、せいぜいが石炭への移行を迎える程度の発展しかない頃。
そんな時代の存在が強力な科学力のメカニズムを知っているはずがない。
ましてや、そんな技術を創造できる者など、それに対応できる者などいるはずがない。
それ故の、破邪計画。
だが、飛び出してきたのはその根拠を完全に打ち崩す情報だった。
いや、忘れていたと言った方が正しいのかもしれない。
それがあり得る、一つの可能性を。
「さあな。 だが、だとしたらその技術の存在があり得る可能性くらい、お前がわからない訳じゃないだろう?」
「うん。 ……第一次月面戦争、だよね?」
およそ1000年前、紫の率いる妖怪軍団が月に攻め入った戦争。
地上の民の大敗に終わったその戦争は、それでも月面で起こったが故に攻め入った妖怪以外に被害は出なかった。
地上には特段の影響をもたらさなかった。
その、はずだった。
「恐らくは、な。 科学者の端くれなら誰もが一度は憧れる月の先端技術。 ただの都市伝説だったはずのそれが、地上に実在していた」
「ちょ、ちょっと待ってください! そんな、ことが…」
文は、遮ってはいけないとわかりつつも、思わず会話に割り込みそうになる。
文の脳裏にはあまりに違和感が強く残っていた。
自らが参加したわけではなくとも、第一次月面戦争のことくらいは知っていた。
月の民が持つ、圧倒的な技術力のことも。
だが、破邪計画が科学の力に頼ったものであることを知りながらも、なぜかそれを今まで考えることができなかった。
いや、むしろ一番の疑問は、幻想郷で誰よりも月の技術の恐ろしさを熟知しているはずの紫が考えたとは思えない穴が、計画に存在したことだ。
本当に紫もそれを考慮していなかったのか、それとも知っていてあえて放っておいたのか。
それでも、残る時間の少ないにとりたちは、混乱する文をよそに次々と話を進める。
「……姉さんは知ってるんだよね。 それが一体どんな技術だったのか」
「ああ、何年もそれを取り込み続けてきたんだ、予想くらいはつく。 あれは恐らく、生命のストレス反応を無理矢理に起こし続けて負の感情を増幅させる医療科学の完成形だ。 多分、本来は心を砕くため……拷問か何かに使うための技術、だったんだろうな」
それは、完成された技術体系を持つ月社会において、ただ相手を無限に苦しめるためだけに作られた、精神を破壊するための技術。
本来ならばそんなオーバーテクノロジーが幻想郷にあるはずがない。
だが、この状況で考えるべきことはその技術の内容などではなかった。
「拷問……でも、それだけだったら問題はなかった。 重要なのはそこじゃないよね」
「え?」
「たとえどんな技術だろうと、使う人によっていくらでも良いものにも悪いものにもできるからね。 だから、大事なのはその技術を地上に送り込んだのが……あるいはその力を手にしたのが誰かってことでしょ」
「ああ、それがわかっているのなら及第点だ。 厄介なのは科学の力ではない。 その力とあまりに強く適応してしまった、一つの人格だ」
「人格……? それに侵食された誰かのせいで、ここまで異変が発展したってこと?」
「そうだな。 正確には、その心の闇。 たった一人の絶望と嘆き、怒りと憎悪が無限の闇を創造し、暴走した力に支配されて永遠に止まらぬ殺戮兵器と化した」
元々は、みとりが怨霊に感染してしまったのは、旧地獄跡に入り込んでしまったが故の偶然だった。
それでも、本来ならばみとりの生まれの特殊性のおかげで、怨霊の侵食はみとりを完全に破滅させるほどのものではないはずだった。
だが、みとりは怨霊に侵食されながら、自らの内の負の感情が不自然なまでに増幅されていくのを感じていた。
そして、同時に怨霊の奥に潜む、それを遥かに超える脅威に、闇の力の根源となる一つの存在に気付いてはいた。
自分の抱える闇など塵にも等しく思えるほどに深く歪み、全てを破滅に導きかねない異物。
それ故に、みとりはあえてそれを自らの内に封じてその暴走を禁じ、地獄のような負の圧力を長年耐え続けてきた。
にとりが住む世界に、そんなものを解き放つわけにはいかないから。
それでも、やがてその闇は無数の怨霊よりも深くみとりを侵食し、たった一つでみとりを死に追いやるほどに巨大化していった。
「それは、一体誰の…」
「そいつが何者なのかは、わからない。 その記憶はあまりにも真っ黒に塗りつぶされていて、私の力なんかじゃとても入り込むことは許されなかったからな。 ……ただ、私に一つ分かるのは、そいつの感情が考えうる限り最悪の理の上に存在していたことだ」
「最悪の理?」
みとりはそれを口にするのを少しだけ躊躇った。
だが、それでも大きく息を一つ吸ってから、
「悪。 そいつが持っていたのは、誰とも相容れることなき『絶対悪』としての存在原理だ」
「絶対悪? それって…」
「いや、多分お前が想像しているようなものとは違うだろうな」
「え?」
「多分、お前は邪仙や天邪鬼、あるいは悪魔や邪神なんてものを想像したのかもしれない。 だが、そいつらはただその名や行動故に相対的に悪と認識されるに過ぎない。 ただ平和に暮らしたいだけの嫌われ者がいるように、そしてどこかにそれを受け入れてくれる奴がいるようにな」
嫌われ者も、邪悪な存在も、それは絶対的な悪になることなどできない。
みとりやさとりを受け入れる勇儀がいるように、誰かがそれを肯定することはできるはずなのだ。
「実際、勇儀なんかは目の前に悪魔か何かが現れたところで、別に邪険に扱ったりしないだろう?」
「さあ、実際に会ったことはないからわからんが……ぶっちゃけ地底はそんな奴で溢れてたしな。 相手の種族なんてどうでもよくなってくる」
「そうだろうね。 だが、そいつにだけはそうはいかない。 善悪の二元論において悪であることを絶対的に義務付けられた存在。 たとえどれだけ温和な奴にも、邪悪な思考を持った奴にさえも相容れることなく、目の前にしただけで問答無用に排除すべき悪として「認識させられてしまう」、私以上に呪われた存在さ」
思考とは関係なく敵対され、排除すべき存在と捉われてしまう。
魔理沙や霊夢ですらもが、スペルカードルールの存在も忘れて躊躇なく「殺そう」と思ってしまう。
いや、共有された意識の中で、無理矢理にそう思わされてしまうのだ。
そうなるためには、森羅万象の心に例外なくそう認識される必要がある。
それこそ、世界の法則に組み込まれるほどに。
「二元的に、認識……なるほどね。 そういうことか」
「え?」
「そいつは悪として自然に誕生した訳じゃない。 そういう風に、裁かれたんだろ?」
「ああ。 ま、勇儀なら知ってるか、閻魔の持つ力くらいは」
映姫の持つ『白黒はっきりつける能力』、それは物事に「絶対」を決定することのできる能力である。
その存在が比べるまでもなく悪であるということを因果律にまで刻み込み、それ以外の結果の帰結を棄却することのできる力。
その力を用いれば、存在不能であるはずの絶対悪を無理矢理に創造することすらも可能なのだ。
「だからこそ、閻魔はお前を取り込んだんじゃないのか、勇儀?」
「何?」
「『怪力乱神を持つ程度の能力』……ある意味で的を射てるじゃないか。 法則や因果律、そんな一介の生命の手に及び得ないものと同じ次元に立てる力。 それが勇儀の持つ本当の能力だろう?」
「……そう、なのか?」
怪力乱神を持つ、即ち理屈では説明しきれない不可思議に届く力。
森羅万象が従う法則からも外れることのできるその力は、確かにあらゆる力を打ち破る可能性を秘めている。
勇儀は単純な力だけでさえ幻想郷の頂点に立てるほどの実力を持ちながら、世界の理さえも壊しかねない、誰よりも危険な能力をも持っているのだ。
「ま、それが可能なのも無自覚で無邪気ゆえか。 だが、だからこそ閻魔は勇儀の力を恐れ、逆に利用しようと考えたんだろう。 封印した絶対悪という記号に勇儀が意図せずに接触してしまわないように、旧地獄を守る番人として使うことによって、ね」
勇儀が地底で持つカリスマは、確かなものだった。
勇儀がたった一つ触れるなと命じたそれに、この数百年必要以上に進んで関わろうとする者はいなかった。
そして、仁義を通す勇儀自身が、自らその禁を破ることはない。
映姫がそれを理解していたのだとすれば、それは確かに危険なものから万人を遠ざけるための正しい判断だったと思えるかもしれない。
誰かが興味本位で怨霊の巣窟に、邪悪を構成する「能力」の要素に近づかないようにするため。
だが、仮にそうだとすれば、文には不可解なことがあった。
いや、前々から気になっていた一つの懸念が、今の話で確信へと変わったのだ。
「……ちょっと、待ってください。 閻魔様は封印した邪悪の危険から皆を遠ざけるために、勇儀さんに旧地獄の管理を任せたんですよね?」
「ああ、そう思うが…」
「でも、だったらおかしくないですか。 勇儀さんに守らせるのなら、わざわざ旧地獄跡になんて封印する必要はなかったじゃないですか。 負の感情を増幅させる科学の力と、それを糧にする闇の力。 そんなものに絶対悪なんて原理を植え付けて、よりにもよって怨霊の巣窟なんて場所に誰の手にも触れないように一緒に置き続けるなんて、それじゃまるで…!!」
「怨霊の持つ全ての負の感情を絶対悪という記号に無理矢理に向けさせることで怨霊を闇に「感染」させ、人知れずその力を増幅させるために閻魔が手を回した…ってとこか」
「恐らくは、ね」
そして、それこそが異変の真の元凶であるとみとりには確信があった。
それはきっと、文たちもただ知らされていないというだけの話ではない。
今までのようにただ破邪計画の歯車の一つであったのならば、決して知ることのできなかった裏の事実。
本来の計画からは明らかに外れた、月の科学技術の存在。
気づかなかったのか、あえて無視したのか、それを視野に入れていなかった紫の計画。
そして、紫と協力者であったはずの映姫の、不可解な行動。
藍たちから文が聞かされていた話では、邪悪の「能力」の要素は、本来ならば旧地獄跡に単独で封じたはずだった。
微弱な力しか持たない怨霊たちの中に細かく分けて溶け込ませることで、その増幅を永久に分散させ続けてほぼ無力化するために、そこに隔離したのだ。
それにもかかわらず地獄の底にあった『絶対悪』の存在は、その話の前提を覆すのに十分なものだった。
それを考えた時、とある懸念が文の脳裏に駆け巡る。
話を遮ってはいけないと思いつつも、文にはみとりに確認したいことが山ほどあった。
「だったら…」
「でもまぁ、すまないが私も詳しいことは知らんよ。 それと、そろそろ時間だ」
「え?」
だが、緊張の面持ちで唾を飲んだ文たちに、みとりはあっけらかんとそう言った。
あまりに突然のことに、にとりは上手く反応できなかった。
「え、ちょっと待ってよ。 だって、時間って、まだそんなに…!!」
「いやー、実は私が今やってるのはこう見えてけっこう危険なことでね。 あんまり長く続けると燐が危ないんだよ」
「え……?」
「だから、伝えることを伝えたら、後はすぐに身体を返す。 そういう約束だったからね」
お燐の好意でその身体にみとりを憑りつかせてはいるものの、妖怪に怨霊が憑りつくという行為は、憑りつかれた妖怪の存在を消滅させてしまうほど危険なことなのだ。
今のお燐は、みとりに憑りつかれることによって「火車」という妖怪のアイデンティティーを失っている。
もしその状態が長く続いて世界に溶け込んでしまえば、火車という妖怪の消滅、すなわち火焔猫燐という妖怪自体が消えてしまうことになる。
実際には、負の感情に支配された怨霊が宿主に身体を返すこと自体があり得ないため、妖怪を怨霊が乗っ取ることはそのままその妖怪の消滅を意味する。
これはあくまで、みとりが裏切らないとお燐が信じて身を委ねたが故に成せただけで、本来は実現自体があり得ないことなのである。
「ま、でも私は最後ににとりの声を聞けただけで満足だ、燐には感謝しないとねえ」
今から消えるとは思えないほどいつも通りの態度で話すみとりを前に、にとりは焦りを隠せない。
そんなにとりに、みとりは軽い口調で言う。
「そう心配するなって、私はただ成仏するだけさ。 あ、せっかくだしついでに彼岸で閻魔のことでも問い詰めてみるかな」
「……」
「それに、そんなに心配しなくてもさ。 確か幻想郷は、冥界と行き来することもできるんだろ?」
「え?」
「だから、この異変を無事解決できた暁には、たまーに冥界にでも遊びに来てくれりゃいいだけだろう? ま、もしかしたら私は地獄行きかもしれないけどね」
にとりの頭を撫でながら冗長めいた口調で思いつくままに言うみとりが、笑顔を崩すことはない。
にとりには、みとりの考えていることがわかった。
まだ心配の残るにとりを、少しでも励まそうとしているのだ。
そして、この異変を乗り越えてみせろと、にとりを奮起させているのだ。
――そうだよ、何やってるんだ私は。 決めたじゃないか。
もう、みとりを心配させないと。
最後くらい、強い自分を見せようと誓ったのだから。
ならば、ここでわがままを言ってみとりを困らせる訳にはいかない。
にとりは気持ちを落ち着かせ、ゆっくりと口を開く。
「……そうだね。 じゃあ、そうできるように頑張るよ。 だから、お別れなんて言わない」
「そうか。 頑張れよ、にとり」
みとりの返事はそっけなく、それでいて表情は柔らかかった。
そして、みとりはにとりの頭を撫でながら、大きな声で、
「あー。 それと、空!」
「え……?」
「確かにお前は強くなったよ、本当に。 だけど、一つだけ約束しろ」
「……」
「お前の良さは強さなんかじゃない、そんなもんはどうでもいいんだ。 だから、たとえこの先どんだけ強くなったとしても、お前のその最高に無邪気で馬鹿みたいな優しさだけは、絶対に忘れんじゃないよ」
「……うん」
「あと、勇儀……は、別にいいか。 お前にもう言葉はいらないよな」
「ああ。 達者でな、みとり」
「あいよ」
俯いたまま顔を上げられない空と、いつもと変わらぬ表情でみとりを送り出す勇儀。
最後にそれを見て満足気な表情を浮かべたみとりは、それでも何かを思い出したように、
「……ああそうだ。 そういえば言い残したことが、一つだけあった」
「え?」
「そこの2人!」
そして、みとりは文とはたてに視線を向けて、
「今度また私の妹を泣かせたら、末代まで祟ってやるからな」
その顔は、まるで喧嘩を売るような不敵な笑みを浮かべていた。
それでも、それは確かに文たちを信じる、まっすぐな目だった。
「ええ。 絶対、させません」
文はみとりとまっすぐ視線を交わし、芯の通った声で答えた。
それを隣で聞くはたては返事どころか、みとりに目線を合わせることすらしない。
だが、それでもみとりは笑みを浮かべていた。
――大丈夫だよ、貴方は何も悪くないから。
それが、その優しさを押し殺して無理に作っている非情さなのだと、身をもって知っているから。
その昔、面識もない嫌われ者のみとりを、自分の身も顧みずに庇ってたった一人そう笑いかけてくれた、心優しき烏天狗のことを知っているから。
――文句があるのなら、私にどうぞ。
そして、みとりの代わりにその烏天狗を処罰するという理不尽をたった一人で蹴散らして立っていた、強き烏天狗のことを知っているから。
だから、それで十分だった。
にとりが生きる世界に、勇儀たちだけではない、その2人がいてくれる。
最後に、みとりの願いを聞き入れてくれるというのなら……
「……そうかい。 それだけ聞けりゃ――」
――私にはもう、何も思い残すことはないな――
みとりはゆっくりと目を閉じてにとりを強く抱きしめる。
それに力を入れ返したにとりに向かって、
「っ……痛たたたた、ちょっとお姉さん、強いって」
「あ……」
お燐がいつもの口調でそう言った。
目の前にいるのは、もうみとりではなかった。
あまりにあっさりと、みとりの魂は旅立っていた。
にとりは、強く力を入れていた腕をゆっくりと解く。
「……すみません。 ありがとう、ございました」
にとりは、そう言って頭を下げ、一歩退く。
みとりがもういないと考えるだけで、目頭に熱いものがこみ上げてくる。
だが、にとりは泣かないと決めていた。
強くなると決めていたから。
だから、にとりは涙を切り、すぐに気持ちを切り替えて思考を巡らす。
なぜなら、そこにまだ最も警戒すべき敵が残っていたからだ。
会話の流れから、恐らく勇儀やお燐や空がみとりの味方だったのだろうことはわかる。
そして、穏健派の天狗であり、今回の計画の協力者の筆頭である文も、やり方によっては味方につけることもできるのだろう。
だが、残るもう一人は、妖怪の山に住む力無き妖怪なら誰もが警戒する強硬派の中でも特に最悪の天狗。
にとりが闇の力を得た時、本当は最も復讐を果たしたかった相手だった。
故に、にとりは緊張の面持ちで口を開こうとして……
「……っぇぐ。 うっ、うぇっ」
「え?」
だが、聞こえてきたのは、なぜかすすり泣くような声だった。
「いい、お姉さんじゃない、本当に……」
「うん……なのに、ぅぁぁ、みとりさんが…うわああああああああん」
「えっと……」
そこにあったのは、文の背中で泣き続けるはたてと、一人で大泣きしている空の姿だった。
それを、にとりは理解できなかった。
一人困惑の表情のにとりに向かってはたてが駆け寄って、その手をがっしりと掴む。
「貴方も、頑張って強く生きるのよ。 お姉さんの分まで! 私も…わだじも、ぎょうりょぐずるがらっ!!」
「あの、えっと……」
「うああああああ、お燐、お燐っ、みとりさんがあぁぁぁ」
にとりは、ただ困惑するばかりで何もできなかった。
収拾のつかなくなった現状を見て、文がため息をついてはたてを引き剥がす。
「あー、ほら、はたて。 にとりさんが困ってるでしょ? 離れて離れて」
「……う、うん、ごめん」
「お空も、いつまでも泣いてんじゃないよ。 みとりの妹は泣いてなんかいないぞ?」
「だって、だって……」
お燐に諭されて、空もやっと泣き止む。
そして、文はにとりの前に立って一つ咳払いしてから言う。
「騒々しくてすみません。 何度か取材中に顔を合わしたこともあるので初めましてって訳でもないけど、私のこと覚えてますか? にとりさん」
「は、はい」
「それと、多分はたてのことを警戒してるんだと思いますけど、大丈夫ですよ。 もう、はたては誰かを傷つけたりなんて絶対にしませんから」
「え?」
「あ……」
にとりは、目を赤く腫らしたままのはたてを、怪訝な表情で見つめる。
すると、はたての顔は血の気が引いたように青ざめ、にとりに頭を下げて叫んだ。
「ごめんなさい! 貴方のお姉さんを山から追い出したの、私なの。 私が全部悪いの!!」
「え……?」
「だから、私のことなら煮るなり焼くなり好きにしていいから! 貴方たちがそうなったのもみんな私が、私の、せいで…」
にとりは、言葉が出なかった。
突然目の前に現れたのは、にとりが長年ずっと恨み続けてきた仇敵の姿。
にとりはずっと、はたてが上層のご機嫌取りのために、危険分子であるみとりを追い詰めたのだろうと思っていた。
だが、そこにどう見てもにとりが憎むべき烏天狗の姿はなかった。
本気でみとりのことを想う姿。
それ故に、にとりは確信した。
はたての行動が必要なことだったという、たった一つの可能性を。
「いいんですよ」
「そんなの、いい訳…」
「だって、姉さんのためだったんですよね」
「っ!!」
「姉さんを貶めるためじゃない、姉さんを逃がすために……助けるために、仕方なかったんですよね」
「……ごめんね、本当に、ごめんね」
はたては、答えない。
ただ謝り続けるだけ。
危険な力を持ちながらもいずれ妖怪の山の社会に反旗を翻しかねないみとりが、いずれ始末されてしまうだろう立ち位置にいたこと。
そして、もしみとりを妖怪の山から追い出していなければ、みとりだけではない、にとりまでも排除の対象となっていたかもしれないこと。
それをはたては伝えない。
それは、言い訳にしかならないから。
自分の地位を上げるためにみとりを利用したというのも、あながち間違いではないのだから。
いや、そもそも自分がもっと強ければ、そんなことをする必要すらなかったのだから。
ただ自分を責めるように謝り続けるはたてを見て、文はその頭を軽く叩いて言う。
「まぁ、確かに彼女は取り返しのつかないことをしたのかもしれません。 それに、私たち天狗が今まで数えきれないほどの妖怪たちを虐げてきたのも、また事実です」
「……」
「ですが、その責任なら私がとります。 貴方たちに、もう二度とそんな悲しい別れをさせないと、私が約束します」
「え?」
文の目は、まっすぐにとりに向けられていた。
ただの下っ端の天狗の一人である文に、そんなことをできる力がある訳がない。
それでも、それは有無を言わせないほど強く、力ある言霊だった。
そんな文に向かって、勇儀は一つため息をついて言う。
「……ってかよぉ。 迫力に欠けるから、その口調は何とかならねえのか、大天狗殿?」
「へ? 大、天……えええええええっ!?」
勇儀が皮肉めいた口調でそう言うと、にとりとはたてが思わず叫んだ。
はたても、文が大天狗を継いだという話は、まだ知らなかったのだ。
「だ、大天狗って、そんな、まさか…」
「文さん、それって…」
「……そうですね、その件ですが」
文が一つ息を吸う。
勇儀は、一時的とはいえ天狗の長となった文がどう振る舞うのか楽しみにニヤニヤと笑っていた。
だが、文は頭を掻いて、何事もなかったかのように、
「まぁ、ぶっちゃけると嘘です」
「はあ?」
「さっきまでそういうことにしてましたけど、正式に天魔様から辞令を受け取った訳でもありませんし、洩矢様たちからも有事の際に早苗さんのことを任されただけですからね」
「……ほう?」
突如、空気が重くなった。
勇儀の視線が、文に向かって一瞬で鋭く突き刺さるものになったのだ。
はたてとにとりは焦りを隠せない。
どんなやり取りがあったのかは知らなくても、文が勇儀に嘘をついたことだけはわかる。
その勇儀が嘘を嫌うということは、誰もが周知の事実だった。
「つまり、アレか。 お前がさんざん語った決意は、ただの虚言だったと。 私に対して、偽っていたと」
「ええ。 事実として、私はさっき嘘をついたことにはなるんでしょうね」
「そうかい。 そいつは随分ナメたことしてくれるなぁ、射命丸。 それは私に喧嘩売ってると…」
だが、殺気を放っている勇儀に向かって、文は怯むことなく淡々とした口調で、
「でも、私はそれをただの虚言にするつもりなんてありませんよ。 ってよりも、別にそんな辞令になんて興味はありません」
「何?」
「私は、大天狗ごときで終わるつもりはありませんから」
大天狗ごとき。
それがたとえ最上級のものであろうと、天魔から与えられた役職などに興味はない。
それは紛れもない、いずれ天魔にとって代わるという意思表示。
穏健派や強硬派などというレベルではない、それは天狗という種族全てに喧嘩を売るほどの物言いだった。
それを聞いて一瞬呆けた様な表情を浮かべかけた勇儀は、
「……ぷっ。 はははははっ。 何だ、言うようになったじゃねえかよ、射命丸」
「また、背負うものが増えちゃいましたからねぇ」
「え?」
文は少しだけにとりに視線を流す。
「約束しちゃいましたからね、お姉さんと。 もうにとりさんを泣かせないって」
「あ……」
「なら、私はたとえ天魔様が……天魔が相手だとしても、それを下してこの山を変えなきゃいけない。 ただ、それだけのことですから」
少し面倒そうな口調で言う文は、それでも表情は晴れやかだった。
必要以上に気負ってはいない、自然体での静かな闘志。
それは、組織の長として十分な貫録を備えた佇まいだった。
そんな文を前に何も言えず立ち尽くしているにとりに、勇儀は軽い気持ちで肩を叩いて言う。
「ま、そういうことだ。 お前は何も心配せずに、生きたいように生きればいい。 この適当で自由気ままな、新しい妖怪の山の長に任せてな」
「それは……」
にとりには、今起こっていることが現実とは信じられなかった。
だが、それに現実味を持たせるように、文は自らの内の何かを切り替える。
いつものような親しみやすい雰囲気を消し、鋭く全てを見通すような目で大きく息を吸う。
「だから……河城にとり!」
「は、はいっ!」
「私は、これからこの山の腐った体制を変える。 そのために、お前の力が必要だ。 真にこの山の今を憂う、この異変の首謀者であるお前だからこそ、私には必要だ!」
そこまで言って、文は少しだけ躊躇う。
それがどれだけ自分勝手な物言いなのかを。
今までずっと一人で逃げ続けてきた自分に、そんなことを言う資格がないのを知っているから。
だが、文はそこから目を逸らすつもりなどない。
その罪を背負いながらも、一切の弱さも感じさせないほどに強くにとりに言う。
「……だから、私は偽らない。 私はお前を使う。 この山の未来を切り開く同志として、これからお前をボロボロになるまで使ってやるつもりだ!」
「っ!!」
それを聞いたにとりは、一瞬だけ震える。
「使う」という言葉が、支配されてきた者の心をどれほど痛めつけるか、文は知っていた。
自分も、昔はそちら側の立場だったのだから。
それでも、文はあえてその言葉を使った。
真にその痛みを知っているからこそ、それを偽るべきではないと思った。
これから本当に、味方につく全ての者の力を酷使しなければ成し得ない、想像を絶するほど過酷な道を進むのだから。
だから、文は迷いなくその道を見据えるために、まっすぐに心からの言葉で――
「だが! もしそれでも。 それでも、貴方が私を信じてついてきてくれるというのなら―――」
そして、文はにとりに手を差し出して、
「いつか私が、みとりさんが望んだ優しい世界を実現させることを約束します」
「あ……」
最後に、そう微笑んだ。
それを聞くにとりの目からは、自然と何かが零れ落ちる。
にとりが長年追い求めて、それでも決して叶えることのできないと諦めていた夢。
それを本気で成そうと立ち向かう天狗が目の前にいる。
今までの経験上そう簡単に信じることはできないはずのこと。
だが、それは確かに現実だった。
にとりは、感極まってその目から溢れた何かを必死で隠しながら、
「……はい。 貴方の、仰せのままに」
下を向いたまま跪き、胸に手を当てて誓った。
迷うことは何もなかった。
この人についていけば大丈夫だと、そう思える上司に初めて巡り会えたのだから。
だが、心から自分を信じてくれたにとりの姿を目の前で見る文は、微かに赤面して言う。
「……いやー、やっぱり私には似合いませんよね。 こういうのは」
「ったく、そういうところが最後まで締まらねえな、お前は。 だがまぁ、むしろそれがこれからの天狗の正しい姿になんだろ。 お前が本当に天魔を下した暁には、きっとな」
「あー……改めて考えてみると、けっこうヤバいこと言ってますよね、私」
「ま、正直言うと「何を血迷ったことを言ってんだこの馬鹿は」と一蹴してやってもいいくらいの戯言だな」
「ははは、そこまで言いますか」
天魔を一介の烏天狗が下す。
それは、長く続けてきた天狗という種族の理の全てを否定して塗り替える、一つの革命だった。
それを勇儀の口から聞いた文は、自分でも現実と想像できない未来の姿を思い浮かべ、少し苦笑する。
「ああ。 だがな、射命丸。 だからこそ私は――――」
だが、その笑みは瞬時に凍りつく。
突然、勇儀はその場に座り込むとともに、表情を変える。
そのまま文を見上げるような態勢で、その言葉は重く響き渡った。
「私は、お前を初めて真に認めよう」
その鋭い気迫は、まっすぐ文を貫いていく。
さっきまでそこにあった柔らかな雰囲気など、一瞬で断ち切られていた。
目の前にしただけで震えるほどに感じる圧倒的貫禄は、たった一言で場の空気を支配する。
「だから、聞かせろ。 お前がこれから思い描く、お前が進まんとする道を」
真に認める相手だからこそ、殺気を向けるほどに本気でぶつかる。
それが勇儀の在り方だった。
だから、勇儀はもう文に一切の加減もするつもりはない。
「……ええ、いいでしょう」
そして文も、勇儀の本気を前にしても縮こまったりはしなかった。
文は、その正面に同じく座り込む。
目の前の相手への畏怖など欠片も感じさせない、不敬な態度でもって。
その身体は、勇儀に劣らないほどに大きく見えた。
そこには上下関係などない。
勇儀と対等の気迫でもって向かい合う文は、自らの言葉でゆっくりとその未来を語り始めた。