東方理想郷 ~ Unknowable Games. 作:まこと13
虐げられていたのがいつのことかなど、もう覚えてはいなかった。
それでも、ただその時の恐怖だけが脳裏に刻み込まれていた。
たとえ自由を得ても、自分が道具のような存在である感覚が抜けることはない。
恐怖から逃避するために捨てた自分の心が、元に戻ることはなかった。
「あのっ! 射命丸文さんですよねっ!?」
そんな記憶から解放されたのは、とある友人に出会えたからだった。
文のことを尊敬の眼差しで見る一人の天狗に、出会えたからだった。
「……そうだけど」
「きゃあああああ! 私、文さんのファンなんです! 握手してもらってもいいですか!?」
「はぁ……」
余計な感情を捨ててただ淡々と仕事をこなし続けてきた文は、妖怪の山随一の実力の持ち主との呼び声も高かった。
そのため、それにあやかろうとする者や、自分の保身のために文に近づく者も少なくはなかった。
だが、誰一人として文と長い時間を供にする者はいなかった。
数百年にも渡る時間を無機質に生きてきた文は、もはや目の前の存在に興味を抱かなかったからだ。
自分の周りにいる者だろうとそうでない者だろうと、ただ平等に処理していくだけだったからだ。
それ故に、文に近づく者は僅かな時間だけ取り入るように接し、自分にその恩恵が向かないことを察するとすぐに失望したように文から離れていった。
それを文が咎めることはなかった。
それ以前に、そんな相手にはそもそも見向きもしなかった。
誰かと一緒にいることに、特段の価値なんてないのだから。
文は誰も愛さず、誰にも寄り添わず、一人で孤独に仕事をこなしていくだけの一生を送るはずだった。
「文さん! 今度、私の友達も連れてきてもいいですか?」
だが、その天狗が文から離れていくことはなかった。
どれだけぞんざいに扱おうとも、文を支えるように勝手に傍に寄り添い続けていた。
「……何だ。 噂に聞いていた通り、本当につまらない奴だな」
「椛!? 文さんに向かってなんて口きくのよ!!」
「純然たる事実だろう?」
そして、いつの間にか勝手に傍に居座る者は、もう一人増えていた。
烏天狗よりも下位で従順な種族であるにもかかわらず、なぜか上から目線で話す生意気な白狼天狗。
だが、不平を述べながらも、その白狼天狗も文から離れていくことはなかった。
文の周りに勝手に集まって勝手に騒いでいくだけの2人。
文にとって、それは初めての経験だった。
不思議と、それが嫌ではなかった。
「何をしている、さっさと来い」
「ほら文さん、早く早く!」
「ま、待ってよ2人とも――」
それから、文はいつもその2人と一緒の時を過ごしてきた。
時には難解な任務を共に切り抜けながら。
時には他愛のない話で平穏を過ごしながら。
そんな日常は、それでも文が初めて感じた安らぎの時だった。
自分が生きていると感じられる、幸せという形だった。
そんな日々に身を委ねながら、文は長い年月をかけて少しずつ自分の心を取り戻していった。
「ねえ、2人とも。 私、自分の新聞を作ろうと思うんだ」
「新聞? 文さんがですか?」
「まあ、自分で言うのもアレだけど、それなりに顔は広いつもりだしね」
「それにしても、文がいきなり新聞とはどういう風の吹き回しだ?」
「いやあ。 何ていうか、面と向かって言うのも照れくさいんだけどさ」
時間の経過とともに、それまでの能面の面影など全く感じさせないほどに、文の表情は誰よりも明るくなってきていた。
文は少し照れるように、それでも裏のない屈託のない笑顔を2人に向けて言う。
「こんなに楽しい世界なら、それを皆に知ってもらわなきゃ損じゃない?」
そして、いつしか文は新しい人生を生きる希望を得るまでに至った。
だが、そんな幸せは永遠には続かなかった。
「聞いたぞ、文。 天魔様に呼び出されたそうだな」
「……うん」
ある日、文に天狗社会のトップから直々の辞令が下った。
それは文を2人の元から遠ざける、異例の異動だった。
「で、どうした?」
「断ったよ。 私には耐えられそうもないから」
「……そうか。 ま、文らしいといえば文らしいけどな」
一人は、文のことをわかってくれた。
今の時間を大切にしたいと思う文のことを尊重してくれた。
「……なんで?」
「ほら。 私そういうガラじゃないし、それに私は今が十分に楽しいからさ」
だから、もう一人の親友も、きっとそれをわかってくれるのだと思っていた。
今までのように楽しく、3人一緒に過ごせるその選択は間違っていないと、そう思っていた。
「ふざけないでよ」
「え?」
「どうして……なんで、文さんは――――っ!!」
だが、それを聞いた天狗は涙を浮かべながら文から離れていった。
その目に微かに浮かんでいたのは、確かに文を睨むような憤りの色だった。
その日以来、その天狗は文を避けるようになった。
それでも無理にいつも通りに接しようとする文を、次第に道端のゴミを見るかのような冷たい目で見るようになっていった。
いや、文に対する視線ではなく、むしろその人格が変わったと言った方がいいのかもしれない。
身内を売り、弱者を虐げ、上層に媚を売ることで一人その社会を昇りつめるようになっていた。
それは、その天狗が文のことをあくまで出世の道具として見ていたのだろうという周囲の思考を、確固たるものとしていった。
手段を選ばず、あらゆる者をただ自分の地位のためだけに利用していく烏天狗。
そして、その名は遂に文を追い抜くところまで台頭してきた。
卑怯者の姫海棠という異名が。
東方理想郷 ~ Unknowable Games.
第22話 : 卑怯者
――あれ? 私は……
気付くと、一人森の中で木にもたれかかっていた
朦朧とする意識の中、文は何かを試すように自分の手を握ったり開いたりを繰り返す。
その身体に思ったほどの外傷はなく、その気になればすぐにでも全力で飛べることがわかる。
「……また生き残った、か」
だが、その心だけはどうしようもないくらいに砕けかけていた。
「こんな時に私を助けたのが、あの人だなんてね」
文は、自分がくらった技の正体を知っていた。
三歩必殺。 鬼の四天王の一人、星熊勇儀の奥義。
それは紛れもなく、文の根底を侵食する心的外傷だった。
文がこの世で最も恐れていた存在。
文を支配し、その心に消えることのない傷を負わせた張本人。
それに命を救われたという事実は、文から憎しみという負の原動力すら奪っていた。
「いつまで、寝てんのよ」
「え?」
そんな文の目に入ってきたのは、自分と同じように木に寄りかかって座り込んでいるはたての姿だった。
その木陰には、傷ついた河童たちが丁寧に横たえられていた。
「ああ……ありがと、はたて。 約束、守ってくれたんだ」
はたてはあの戦場から、倒れた河童たちを全て避難させていた。
最悪の天狗として名高いはたてがこの状況で何を企んでいるのかは文にはわからなかったが、それを考える力などもう残されてはいなかった。
ましてや、立ち上がる気力など、もう残されていなかった。
ただ、昔のように少しでも自分の気持ちを汲み取ってくれたのかもしれないはたてへの、裏のない感謝を向けるだけで精いっぱいだった。
それを、はたては憎しみのこもったような目で見る。
「……だったら、あんたはどうしたのよ」
「え?」
「私はあんたの言いつけを守ったわ。 それで、私にこの子たちを任せたあんたは、何をしてんのかって聞いてんのよ!」
そう叫んだはたての口からは、唾と混じって止まることなく血が飛び散っていた。
その身体は、どう見ても文よりも重傷だった。
まともに立つことすらもままならない身体で、それでも両手に9人もの河童を抱えてここまで飛んできたはたて。
それに気付いた文の心には、必要以上に自分の情けなさがこみ上がってきていた。
「見ての通りだよ。 私は何もできなかった。 一人でカッコつけて異変を解決するつもりで無様に敗けて、嫌いなはずの鬼に頼ることしかできない…」
「誰が、あんたに異変の解決なんて頼んだのよ」
「え?」
「あんたがそうやって助けようとした河童の、最後の一人はどうしたのかって聞いてんのよ!」
文は、困惑した表情を浮かべていた。
はたてが、何を言いたいのかがわからなかった。
そんな文に向かって、はたては小さな何かを投げ渡す。
それは、はたて愛用の携帯電話だった。
電話というものが存在しない幻想郷において使い道のないオーバーテクノロジーに思えるそれは、はたてのカメラとして使われていた。
自分が潰した河童や妖怪たちを写してコレクションするための、悪趣味な道具。
そして、『念写をする程度の能力』を持つはたてが、遠くにあるものを記録するための道具。
それは、はたてを最悪の天狗として知らしめる最大の要因である能力だった。
はたては人知れず起こっているはずの出来事を記録に残し、それを使って誰かを脅し、陥れるためにその力を使い続けてきた。
文にとってもそれは他人ごとではなく、その携帯は忌むべき道具であった。
だが、落ち着いてその画面を見ると、そこにはにとりを追い詰めていく勇儀の姿が映っていた。
「これは……」
「星熊勇儀。 あんたも知ってると思うけど、アレは掛け値なしに幻想郷最強と言っていいような鬼よ。 それに加えて、今は多分そいつと同等の実力の助っ人もいるわ」
「そう。 だったら、任せておいても…」
「ええ。 多分あんたが行かなくても、あの河童を殺せるでしょうね」
「そっか」
文は、自分が責められているのだと気付いた。
自分が、見下されているのだと思った。
何もできない、いてもいなくても変わらない自分が、一丁前に出しゃばったことを責められているのだと理解した。
だけど、それを謝るつもりなんてなかった。
どうしようもないのだから。
今さらあの場に行ったとしても、自分が勇儀たちの助けになることなどできないのだから。
「……そっか、ですって?」
だが、それを聞いたはたての表情に浮かんでいたのは、出会ってから今まで見たことのないような、殺意すら浮かべるほどの目だった。
はたてはまともに立つことすらできないはずの身体で、それでも文に掴みかかった。
「あいつらは、殺せるのよ。 この異変の犠牲になっただけのあの子を、何の躊躇いもなく殺すのよ!」
「え?」
「あんたは助けるんじゃないの? 弱い妖怪が虐げられてるのを、黙って見ているつもりなの!?」
文は未だにわからなかった。
弱い妖怪。
虐げられる。
そこに成り立つ方程式はわかっていた。
だからこそ、文は文なりに自分のできる範囲で、はたてに追われている河童たちを助けようと思った。
誰よりもそれを傷つけてきたはずのはたてに、そう言われる意味が理解できなかった。
「……そんなの、はたてにだけは言われたくないよ」
「っ――――」
その瞬間、文の頬は思いっきり叩かれていた。
手の形の痣ができるほどに思いっきり。
だが、文は何も言い返すことができなかった。
自分に掴みかかってくるその顔を見てしまったから。
悔しさに震え、大粒の涙を流したはたての表情など、あの決別の日以来一度として見たことがなかったから。
「私だって……」
「え?」
「私だって、助けたいわよ!! この子たちを! 今も何かに苦しんでるあの子を!!」
端を切ったようにそう打ち明けるはたての言葉は、もう止まらなかった。
「確かに私は、上層の気に障った子たちを何度だって傷つけたわ。 この子たちを虐げて、「制裁」を受けさせた! そうしないと、この子たちが受けるのは拷問なんかじゃすまないから。 誰かに壊されでもしてない限り、この子たちにもう明日は来ないから!!」
妖怪の山の支配体制は、一種の「恐怖政治」だった。
鬼がいた頃から、上の意向に反する行動をとれば命を奪われるという恐怖から、弱い妖怪は逆らえないという構造が定着していたのだ。
だが、鬼が去って天狗の支配が始まってから、妖怪の山では殺戮はなくなった。
正確には、最近になって殺戮は徐々に減っていった。
「死よりも辛い体験」と銘打って生きたまま恐怖を植え付けることで妖怪たちをより強い支配下に置くべきだと進言し、それを執り行ってきた一人の烏天狗がいたからだ。
「辛くても、何度吐いても、それでも続けたわよ! いつかこんなことをしなくても済むように。 いつか私が頂点に立って、社会そのものを変えられるように!」
何かを成すのは、常に力ある者だということを知っているから。
何かを変えられるのは、常に高みから世界を見渡せる者だけだということを知っているから。
ならば、力ある者が成すしかない。
それでも駄目なら上り詰めて変えるしかない。
たとえ誰かを傷つけるとしても。
たとえ誰かを裏切るとしても。
たとえどんな汚いことに手を染めてしまうとしても。
「だけど、私じゃ無理なのよ。 私の力じゃ、どれだけ頑張ってもこれが限界なのよ!!」
だが、力なき者が何かを変えるには、自らの全てを懸けてもまだ足りないことを知っていた。
はたてはあくまで上層の手足の一人であることしかできなかった。
変えることなどできない。
血反吐を吐きながら、弱者に「死」を与える代わりに「苦しみ」を与えることしかできない。
卑怯者の烙印を押されてまでずっと続けてきたはたての行いは、そこが限界だった。
「なんでよ……あんたにはその力があるのに。 あんたにはそれができるのに! どうしてよ!?」
「それは……」
「私に、あんたの半分でも力があればいいのに……なんで、どうしてっ……」
文を、いや、ただ力のない自分を責めるよな言葉を何度も吐きながら、はたては泣き崩れていた。
掠れて裏返ったような声を聞きながら、文は何も言えずに立ち尽くしていた。
自分に縋り付くように泣いている、かつての親友に声もかけられなかった。
自分は誰かを虐げてなんていない。
自分はもう関係ない。
そう自分に言い聞かせてずっと見て見ぬふりをしてきた。
目の前で起きていることからすら目を背けて、何もしないくせに終わったことにだけ憤慨していた。
自分ができるはずのことからすら逃げて、ただ自己満足に浸っていただけだった。
――最低だ、私。
それなのに、ずっと裏切られたと思っていた。
上層に取り入って弱者を虐げる親友を、卑怯だと陰で罵ったこともあった。
自分がただのうのうと生きている間に、はたてがどれだけ苦んでいるかも知らないまま。
「……卑怯なのは、私じゃないか」
文は、覚悟を決めた。
自分には荷が重すぎると、できないとずっと逃げ続けてきた一つの道。
だが、自分にしかできないのなら、それを継ぐ覚悟を決めた。
こんなにも頑張ってきた親友と比べれば、自分の覚悟など紙切れにも等しいほどに薄く容易いものなのだから。
文は一度大きく深呼吸し、はたての頭を撫でるようにゆっくりと引き離す。
そして、目を赤く腫らして見上げてきたはたてに言った。
「今度こそ。 この子たちのことは頼んだよ、はたて」
「え……?」
「あの子は、私が絶対助けるから」
そして、涙で霞んで見えないはたての視界から、文字通り風のように文の姿が消え去った。
◆
「……何のつもりだ?」
みとりを消滅させる寸前に立ちはだかった文を、勇儀は憎々し気な目つきで睨んでいた。
正面に浮かぶ文は、みとりを風の檻で覆ったまま動かない。
そんな文に、勇儀は脅すように強く言う。
「何故、邪魔をする? 昔お前の上司だった私へのあてつけのつもりか?」
「……」
「だがな。 そこにいるのはこの異変の元凶であり、私の友人だ。 お前に手を出す権利は…」
「黙りなさい」
だが、文から返ってきたのは、勇儀が全く予想していなかったそんな言葉だった。
自分に対して従順な文から出るはずのない、確かな命令口調だった。
「……ほう?」
突如、殺気という言葉では表せないほどの威圧感が妖怪の山を覆った。
勇儀の後ろにいる空とお燐さえも、突然の気迫にあてられて僅かに身がすくんでいた。
そして、勇儀は本気の言霊を文に向けてぶつける。
「なるほどねぇ。 お前は、誰に口を聞いてるのかまだわかっちゃいないみたいだなァ!!」
「黙れと言ったのが聞こえないのか、この痴れ者がっ!!」
だが、その叫びは勇儀の気迫をものともせずにまっすぐ響き渡った。
「貴様こそ、誰に物を申しているつもりだ?」
「はあ?」
「ただの野良妖怪風情が、誰に向かって意見しているのかと聞いている」
勇儀は、それに返すことができなかった。
言い負かされたからでもない。
そこに脅威を感じたからでもない。
ただ、自分の記憶とはあまりに違う文の強い声に、戸惑いを隠せなかった。
そして、文は勇儀の拳が届くほど目の前に降り立ち、宣言する。
「我が名は射命丸文。 天魔様より次代『大天狗』を拝命し、守矢神社が一柱、洩矢諏訪子様より統括を一任された、妖怪の山の全権だ」
「なっ……」
勇儀は開いた口が塞がらなかった。
大天狗。 即ち天魔にその力を認められた、全ての天狗の頂点に立つ者。
さらに、たった2人で天狗社会全体と張り合えるほどの実力を持つ、土着神の頂点とまで言われた神から認められた存在。
それは鬼の四天王という名にすら匹敵する、幻想郷の一大権威だった。
そして、文がその手を振り上げると、周囲を竜巻のような風が覆った。
それは、この数百年一度として全力でぶつけたことのない自らの力。
誰かを傷つけ傷つけられることから逃げるために隠してきた本気の力を、文は初めて目の前の相手に向けて振う。
流石の勇儀も、予想以上のそれを前に困惑していた。
文はそんな勇儀に敵対の目を向けたまま、厳かな口調で続ける。
「そして、貴様がたった今手に掛けようとした河童は我が部下だ。 それを許可もなく傷つける権利が、山から逃げ出した貴様ごときにあると思うか?」
「何、を……」
「それでも貴様が、鬼としての矜持すらも忘れて彼女に手を出そうというのなら、我が山に仇名す敵として今ここで私自ら討伐してくれよう」
「っ……」
「だが、貴様にまだ、この社会を構成する一員としての誇りが一片でも在るというのなら」
そして、文はその手に構えた大天狗の団扇を勇儀の喉元に突きつけて、
「私に従え――――星熊勇儀!!」
そう、強く宣言した。
だが、文の足は微かに震えていた。
いかに覚悟を決めようとも、そこにあるのは紛れもない自分の心的外傷なのだ。
――お前たちは誰よりも強くなれるって、何だってできるって、私が保証する。
それでも、今ここにいるのは、誰よりも強き友が信じてくれた自分だから。
文は、もう自分の強さを疑ったりはしない。
――……文? っ!? バカ、来るな!!
自分に宿っているのは、誰よりも勇敢なる友に助けられた命だから。
文は、もう自分の気持ちに嘘をつき続けるような無駄な生き方はしない。
――あんたには、それができるのに! どうしてよ!?
そして、誰よりも心優しき友の覚悟を継ぐと決めたから。
文は、もうどんな困難からも逃げたりしない。
どこまでも、たとえ誰が相手であっても立ち向かい続けると誓った。
その強き眼差しは、勇儀の心の奥まで貫かんほどに迷いなく真っ直ぐ向けられる。
それに対峙する勇儀は、動かなかった。
いや、動けなかった。
いつの間にかそれに聞き入っている自分に気付いていたからだ。
――嗚呼。
勇儀は、振り上げかけたその拳をゆっくりと下ろす。
――あの弱虫が、よくぞここまで……
そして、一瞬だけ自らを嘲るような笑みを浮かべて片膝をつき、拳を自分の胸に当てるようにして宣言する。
「……失礼した。 礼の到らぬ我が身の無礼を、お許しいただきたい」
「……」
「私はもはやこの社会の一員ではない。 だが、志を同じくする一人の鬼として、貴方のもとで共に戦うことを認めてほしい」
だが、そう言った次の瞬間、勇儀はその拳を文の顔面めがけて振り抜く。
それは、ただ文の力を試すための行為。
この程度のことに反応すらできない弱者に与するつもりはないという、一種の試験のようなものだった。
それを前に、文は瞬き一つしなかった。
突然のことにもかかわらず、風の力で華麗に受け流した勇儀の腕をとって、
「了承した。 鬼の四天王、星熊勇儀。 貴殿を我が山の一員として快く迎え入れよう」
そう、厳格な口調で言った。
そして暫くの沈黙。
鋭く、静かな視線が交わり合ったままただ時間だけが流れていく。
やがて、勇儀はその口角を上げて、
「……ふふふ。 はははははははは」
大声で笑い始めた。
「なるほどな。 まだまだ天魔にゃ及ばないが、それでも十分だ。 成長したなぁ、射命丸」
「……いえ。 私なんて、まだまだですよ」
「ああ、そうだな。 それで満足してもらっちゃ困る」
勇儀は今さっき自らの拳を流されてしまった風の盾に再び手を突っ込んで食い破る。
そして、文の額を掴んで言った。
「私が従うのは、私が認めた相手だけだ」
「……」
「だから、お前が妖怪の山の頭として相応しくないと思ったら、その時は遠慮なくその喉笛掻っ切って好きにさせてもらうからな」
「ええ。 そんな覚悟くらいできてますよ」
「ははっ。 まぁ、せいぜい私を失望させないようにな」
そんな厳しい言葉を吐く勇儀は、それでも声色は軽く、その表情は滅多に見ないほどに愉快そうだった。
少しだけ、文はそんな勇儀に怪訝な目を向けていた。
今の勇儀からは、昔のように暴虐的で憎むべき鬼の姿を感じることができなかったからだ。
だが、別に勇儀は昔と比べて性格が変わった訳でも何でもない。
それが、鬼の中でも異端として知られる勇儀の特徴なのだ。
勇儀は他の鬼のように、自らの力を誇示するために弱者を甚振ったりはない。
いや、そもそも弱者に対しては興味すら抱かない。
だが、強い者、自分が認める者、そして期待する者に対しては誰よりも厳しかった。
その勇儀が唯一長期に渡って厳しく接し続けていた一人の烏天狗は、裏を返せばそれほどまでに勇儀を期待させる潜在能力を秘めていたのだろう。
それこそ、いずれ社会の頂点にすら立てるほどの逸材であるかのように。
「さて、それで『大天狗』射命丸殿。 そいつを、これからどうするつもりだ? まさか勢いで止めただけ、なんてぬかすんじゃないだろうな」
そう言われた文は、臆することもなく勇儀の後ろに目線を移す。
「ええ。 ……そこにいるのは、地霊殿の火焔猫燐さんと霊烏路空さんですね」
「え?」
「火焔猫さんは、確か旧地獄の怨霊の管理者ですよね。 そして、怨霊の声を聞いたり操ったりすることもできる」
「あ、ああ、そうだけど」
返事をしたお燐は、答えつつも文を警戒していた。
幻想郷において、異変の関係者の多くはその存在が広く知られる。
異変の解決後に、博麗神社で宴会が行われるからである。
だが、地底の異変についてはまだ解決から十分な時間が経たない内に今回の異変が起こってしまったので宴会はまだ行われず、地上にお燐たちのことは広まっていないはずなのだ。
それにもかかわらず、お燐や空の名のみならず、お燐が実質的な怨霊の管理者であるという、地底の住人であっても知る者が少数である情報を地上の天狗が知っているというのはお燐には理解できないことだった。
だが、お燐の怪訝な目を、文は当然のことのように特段気にしてはいなかった。
幻想郷一の速度、というのは何も飛行速度のことだけではない。
誰よりも速い「情報力」という新たな武器を、文は手にしていた。
それは、天狗という強大な種族のエリートでありながらも気取ることなく、あらゆる種族を超えて気ままに幻想郷を飛び回っていた文にしか手にすることのできない、その人生の結晶とでもいうべき力だった。
そして、文はみとりのことを指さして言う。
「火焔猫さんの力を使えば、彼女を怨霊から分離させて解放することができると思います。 協力してくれませんか?」
「何でそんなことを知ってるのかは知らないけど……随分と簡単に言ってくれるねえ」
お燐が文に向けたのは、厳しい敵対の目だった。
「ここまで深く絡み付いた怨霊とのリンクを外すには、本人の意識の覚醒が不可欠だ。 だけど、あたいたちがそいつを追い詰められてるのは運が良かっただけで、今そいつを始末する機会を逃したら次に捕えられる保証なんて無い強敵だよ? お姉さんは、それであたいたちが返り討ちにあってもいいってのかい?」
確かに、お燐の力でみとりが弱っていったことを考えると、文の案は不可能ではないように思える。
だが、今なら簡単に始末できるはずのみとりをもう一度起こして助けようとするのは、お燐にとっては必要のないリスクを再び負うだけのことでしかないのだ。
それでも、それを承知の文は何でもないことのようにサラッと答える。
「わかりませんか? 妖怪の山の頭が今、貴方に頼みごとをしているんですよ。 地上の一大勢力に恩を売って強い後ろ盾を得るのは、古明地さとりの地位をより確固たるものにできるチャンスではありませんか?」
「なるほどねぇ。 あたいたちにもメリットはある、と。 だけど、本当にそのリターンは、これから負うリスクに見合ってるのかい?」
「ええ、貴方たちにリスクを負わせるつもりはありません。 もし仮に返り討ちになりそうになったら、貴方たちは私やこの星熊勇儀を盾にして逃げていただいても結構です」
それを聞いて、お燐の思考は一瞬だけ逸れる。
いくら種族の長になったとはいえ、勇儀に対して全く遠慮の欠片もないそんな物言いをする相手だとは思っていなかったが故に、お燐は一瞬勇儀の反応を察しようとしてしまったのだ。
だが、当の本人である勇儀はそれに反発するでもなく、愉快そうに笑っていた。
そして、ほんの少しだけ面食らったようなお燐に気付いた文は、会話の主導権を得たとばかりに畳み掛ける。
「それと、この異変が起こってしまったのは貴方だけの責任ではありません」
「え?」
「元はと言えば、山を上手く支配できなかった我々天狗や鬼の不始末ですからね。 貴方たちや古明地さとりに非難の声がいかないように情報を操作してもいいんですよ?」
「あ、ああ。 まぁ、それなら別に…」
「いや、少し待ってもらおうか」
なぜか自分が異変の元凶であると知られていて戸惑うお燐への提案を、遮ったのは勇儀だった。
勇儀は文を試すように食ってかかる。
「一つ聞いてもいいか? どうしてお前は自分の命や私たちの命を懸けてまでその河童を助けようとする?」
「どうして、とは?」
「今のお前は、この山にいる妖怪全ての代表なんだ。 そのお前が下っ端の一人にそこまで入れ込むのは、巨大社会の上層として正しい判断なのか?」
勇儀は文を試すように言う。
今この瞬間にも、幻想郷全体で犠牲者は増えているはずだったからだ。
生き残った天狗たちも、ましてや力のない他の河童や妖怪たちも、無事である保障はない。
だが、大天狗と鬼の四天王に加えてお燐や空という大戦力が4人もいれば、相当数の者を助けることができるかもしれない。
それにもかかわらず、助けられる保証もないたった一人の河童の救出にその全てを使うのが本当に正しい判断であるかと聞いているのだ。
文は、少しだけ口ごもる。
「それは……」
理由なんていらない、ただ助けたいと思ったから。
かけがえのない友に、彼女を助けると約束したから。
今までの文なら、そう答えていただろう。
そして、恐らく勇儀も、そんな真っ直ぐな答えを一番気に入ったことだろう。
だが、それはここにいるのが烏天狗の射命丸文だったらの話である。
事実上、今の妖怪の山の頂点である大天狗としての射命丸文に、そんな回答が許されないことくらい、わかっていた。
だから、文が口にしたのはただの感情論ではなかった。
「今私の後ろにいる彼女は、河城にとり……いえ、河城みとりと言った方が正しいでしょうか」
文は、みとりのことも当然のように知っていた。
だが、勇儀の興味を引いたのは、みとりのことではなく、「河城にとり」という名の方であった。
「河城にとり? って、待て!? その名……偶然じゃないんだよな?」
「ええ、彼女は河城みとりの妹です。 その2人は昔、天狗社会に引き裂かれた不幸な姉妹なんです。 恐らく、それが原因で心を壊してこの異変の犠牲になったのでしょう」
文は、みとりの能力も、その危険性から天狗社会を追放されたことも知っていた。
個人的な感情から新聞の記事にすることは避けていたが、それが妖怪の山が抱える闇を象徴する出来事であることは知っていた。
そして、文以上に勇儀が、その話題には敏感だった。
「なるほどな。 みとりの怨霊が支配してたのは、自分の妹だったってことかい。 そりゃあ、何とも皮肉な話だねえ」
「そうですね」
「……で? それなら、そいつらを引き裂いた張本人であるお前は何が言いたい?」
勇儀は少しだけ文を責めるように問い詰める。
実際に文が2人を引き離した訳ではないことくらい、勇儀にはわかっていた。
だが、そんなことは関係なかった。
大天狗であると名乗った以上、妖怪の山、天狗社会での出来事に「自分は関わっていない」などという言い訳は通用しないのだ。
「私は、この2人を助けます。 殺さず、罰さず、彼女たちに憑りついた邪悪を引きはがします」
「殺さず、罰さず? それでこの異変で住処を壊滅させられた天狗どもの生き残りを納得させられるのか?」
「力ずくにでも、認めさせます。 そしてそれを契機に、この異変の真の元凶である、妖怪の山の悪しき風習を変えます」
「何?」
悪しき風習を変える。
それはつまり、妖怪たちの心に多くの闇を生み出した、恐怖政治による支配体制を根本から変えようということだった。
だがそれは、異変の影響で大半を失ったとはいえ、未だ残りの天狗の大部分を占める強硬派をたった一人で敵に回すことを意味していた。
勇儀がまだ山にいた頃から、誰も変えることのできなかった支配構造。
それを変えるなどとは、軽々しく言えることではなかった。
「……戦争になるかもしれないぞ? お前を目の敵にして、今回の責任も全て押し付けられて消されるかもしれないぞ?」
「その時は、その時です。 我々が、天狗社会が間違った結果なんですから、その代表である私が責任をとるのは当然のことでしょう」
文の目に、迷いはなかった。
もともと言い訳をするつもりなど、文にはなかった。
今まで知りながらも見て見ぬフリをしていた自分など、実際に虐げていた者たちと何一つ変わりはしないのだから。
「ですが、私は簡単に退くつもりはありません」
「……ほう?」
「強硬派の圧力を抑えるために、同じ志を持つ穏健派の妖怪を集める必要があります。 ですが、長期に渡って恐怖で支配されてきた者たちに私を信じさせ、奮い立たせるのは容易ではありません。 ですから、私が本当にこの山に変革をもたらす意志を示すためのシンボルとして、妖怪の山が抱える闇を象徴する彼女たちの……今回の異変の元凶である彼女たちの救出という、目に見える成果が必要不可欠なんです」
つまりは、今危機に瀕している他の妖怪たちを見捨てて、異変の元凶の一角であるにとりたちを、将来的に妖怪の山を変えるための道具として助けるということ。
それは、ある意味では残酷で政治的で利己的な物言いだった。
そして、それは勇儀が何よりも嫌う、狡猾なやり方のはずだった。
だが、それを聞く勇儀の表情は笑っていた。
自分がそんなやり方を嫌うことなど、文がわからないはずがない。
にもかかわらず真剣にそれを主張する文に、勇儀は確かな信念を感じとったのだ。
「くくっ、はははははは! なるほどねぇ、そうかいそうかい。 よし、それならこいつらを無事に助けなきゃならないな。 山の支配構造の犠牲者である、河城の姉妹を」
「ええ、よろしくお願いします。 火焔猫さんも、霊烏路さんも、いいですか?」
「……今さら反対したところで聞いてくれるつもりもないでしょうに。 どうするよ、お空」
「え? 私たちでみとりさんを助けるんでしょ? なら、反対する理由なんて、なんにもないよ!」
空の目は、輝いていた。
少し前に死んだと聞かされたみとりを、いつの間にか助けられるかもしれない状況に好転しているのだ。
そんな作戦に、空が反対するはずがなかった。
「……はぁ。 人の気も知らないで」
そうため息をついて、一人だけゲンナリとした表情を浮べながら、お燐は一人みとりに近づいていく。
そして、その手をみとりに翳してから、文に確認する。
「まぁ、こいつから怨霊を引き剥がすのなら、出来る限り怨霊が定着し直す前にした方がいいから今すぐにでも始めるけど……もう一度だけ確認するよ。 もしここでこいつを始末すれば、異変の解決に一気に近づける。 あたいたちの手も空いて、恐らくは数百や数千以上の命を救うこともできる」
「ええ、そうですね」
「でも、もしこいつを開放して失敗すれば、あたいたちはここで犬死だ。 下手すればそのせいで幻想郷が滅ぶかもしれない。 ……それでも、やるのかい?」
「覚悟の上です」
その言葉は、一点の曇りもなく響き渡った。
勇儀と空の目にも、一切の迷いもなかった。
お燐は諦めたように、それでもその口角を上げて、
「……まったく。 ま、そういうバカな奴も嫌いじゃないけどね」
ボソリと言ったその言葉で、4人は微かに笑って気持ちを一つにする。
「じゃあいくよ。 あたいは、こいつを起こした後に怨霊たちを治めて引き剥がす。 お姉さんたちは、その間こいつの注意を引き付けて止める。 それで、いいかい?」
「ああ」
「うんっ、大丈夫だよ!」
「お願いします」
それを確認したお燐は目を閉じると、そのまま大きく息を吸って、
「野郎共、起きなァ! 一世一代の祭りの始まりだっ!」
「************************」
「************************」
「************************」
それとともに、一斉に「声」が辺りに木霊する。
とても言葉には思えない騒音が、世界を揺らすように産声を上げていく。
文たちはそれを聞きながら、黙って身構えたまま待ち続ける。
それが起こる瞬間を。
みとりが再び起きる、その刻を――――
◆
幸せなんて、いらない。
嬉しいことや楽しいことなんていう贅沢は、自分には望むことすらおこがましいとわかっている。
それでも、何もかもを捨ててでも、たった一つだけ成さなければならないことがある。
だけど、それすらも叶わない。
どれだけ力を手にしたところで、それを妨げる者が存在するから。
どれだけその力を封じようとも、それを超える覚悟で立ち向かってくる敵がいるから。
――為レバ、其ヲ――
妨げる全てを禁じればいい。
そう、思ってきた。
――否――
だが、それでは足りない。
どれだけ禁じようとも、その力を超える意志を打ち砕くことなどできない。
ならば、禁則でもって相手の意志を挫くのではない、止められないほど強い意志でもって迎え撃てばいい。
――唯、一ツ――
たった一つ、それを成し遂げると誓った自分が、その意志を打ち砕けばいい。
そうして全てに勝ち続ければいい。
それさえできれば、あとは何も必要ない。
――私ハ最後ニ、禁ズル――
だから、この世界に禁じることは、一つだけ。
――唯、我身ノ敗北ヲ――
◆
「――禁ズル――」
「っ――――――――!!」
4人が同時に感じた。
耳が痛いほどの怨霊の声がぷっつりと切れて訪れた静寂の中、不気味なほどに響き渡ったその一言。
みとりの口から微かに漏れたその声と同時に、心の奥から悍ましいほどに湧き上がった危険信号に従って文たちは一斉に大きく飛び退く。
みとりから発されるその力は、さっきとは別人のように一線を画す勢いで溢れかえっていた。
いや、むしろその姿は、既に河童ではない何かに変化しつつあった。
その細き腕では、鬼の腕力には及ばない。
――ならば、それを超える力を――
その静かなエネルギーでは、太陽神の破壊力には及ばない。
――ならば、それを超える力を――
河童という貧弱な種族では、天狗の速度には及ばない。
――ならば、それを超える力を――
みとりを敗北に導きかねない弱さは、世界から拒絶される。
勇儀の拳をも砕く、異常に膨れ上がりながらも最適化された屈強な肉体。
空の砲撃をも掻き消す、肉眼で見えるほどに大気を歪ませる絶対のエネルギー。
文の飛翔をも追い越す、禍々しい黒に染まった巨大な翼。
そこにあるのは、まさしく異形の魔物とでもいうべき姿だった。
だが、みとりの身体はその力の増幅に耐え切れず、崩れるように悲鳴を上げている。
一切の感情の抜け落ちたような表情に、それでも何かが流れ落ちる。
血の涙だった。
流す涙すらも失った、悲痛な叫びだった。
みとりも、確かに苦しんでいるのだ。
それでも、暴走した闇の全てを取り込んだみとりに同情していられるような余裕はなかった。
見ただけで瞬時に感じる、全員で挑んでも届くかわからない最強の敵。
それを前に声も出せずに立ち竦んでいる文たちに目も向けず、みとりはゆっくりと身を浮かび上がらせながら、その音を発する。
「――喜ヲ、信ヲ、願ヲ、想ヲ、愛ヲ――」
ただ世界に響き渡るように。
全ての心に刻み込むように。
何もかもを、自分自身さえも拒絶するかのように。
「ははっ。 はははははは」
「あはははははは……」
「……ふふっ」
それと対峙する4人は、皆が違う笑みを浮かべていた。
勇儀は生まれて初めて出会った、足が竦むほどの恐怖という感情を愉しむかのように喜々とした笑みを。
空はあまりに次元の違う力にあてられて、壊れたように呆然とした笑みを。
お燐は数秒前にこの選択を受け入れた自分を恨むように、乾いた諦めの笑みを。
そして……
「怯むなっ!!」
文はその3人を、いや、震える自らを奮い立たせるように叫んだ。
それでも、たった一人、文の表情に浮かんでいるのは恐怖による笑みではなかった。
神奈子たちの計画に協力したときも、感染者やルーミアを犠牲にするプランに、文は本当は反対だった。
それでも、自分ではどうしようもないと言い訳して逃げていた。
だが、今の文は諦めない。
たとえ容易ではなくても、それを救える力を持ってしまっているから。
人生を懸けてそれを成し遂げようとしてきた友人に、必ず助けると誓ったから。
この絶望的な状況で自らの意志を通すことのできた自分に向けて、文は初めて称賛の笑みを浮かべていた。
文の強い目を見た勇儀たちも、我に返ったように息を整える。
そして、静かに向けられたみとりの視線に合わせるように、
「――全ノ希望ヲ――」
「来るぞっ!!」
「永久ニ、禁ズル」
決戦が、幕を開けた。