東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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※注意

 もう気付いている方も多いとは思いますが、今回の話では正確には原作キャラではない名前が出てきます。
 かなり有名で原作に最も近い部類の存在だと思っているので、その辺のモブ以外に自分で考案したキャラとかは出てこない話で、この一人だけのために「オリキャラ」タグをつけるのはどうかと思い、つけない方針にしました。
 本人の名前タグも、始まる前からタグで中盤のネタバレになるのも嫌なので、つけない方針にしました。
 ここまで読んでくださった方で完全な原作キャラ以外を好まない方は大変申し訳ありませんが、これからも読んでいただけると幸いです。




第21話 : 約束

 

 彼女は一人、地の底へと向かっていた。

 妖怪からも人間からも拒絶された彼女の目が、地底に向くまでにそう時間はかからなかった。

 自分と同じような嫌われ者たちが虚ろな目をしてひっそりと暮らしているだろう地底世界の存在に、少しだけ救いの光を求めていた。

 繋がりを捨てるために。

 誰にも干渉されず、孤独に身を捧げるために。

 だが、自分自身にそんな言い訳をし続けながらも、彼女は本当はただ誰にも嫌われたくないだけだった。

 

 それすらも、世界は拒絶する。

 

 地底世界は彼女の期待に反して、嫌われ者の楽園とでも言うべき場所だった。

 争いは絶えず、それでもそこにいる者たちは嫌われ者との繋がりの中で生き生きとした目をしていた。

 そんな世界が、彼女に馴染むことはなかった。

 

「放してっ!!」

 

 孤独を求めた彼女はある日、ただ自らに降りかかる火の粉を振り払っただけだった。

 それでも、彼女の持つあまりに危険な力は問答無用に全てを敵に回してしまった。

 嫌われ者の中でさえ、嫌われる。

 誰の隣にいることも決して許されない。

 それを痛いほどに再確認した彼女は、旧都すらも捨てて誰もいない地獄の底へと向かった。

 決して交わることのない繋がりを、これ以上持ちたくはなかったから。

 

「待ちな。 そこから先は、通行止めだ」

 

 だが、それでも彼女が孤独になることはなかった。

 たった一人の鬼の気まぐれによって、その道が阻まれたからだ。

 その出来事が彼女にとって幸運だったのか不運だったのかは、わからない。

 ただ確かに言えるのは、その新たな繋がりから彼女が再び始まったということだけだった――

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第21話 : 約束

 

 

 

 

 

 妖怪の山は炎に包まれていた。

 見渡す限りの全てが灰と化し、麓と天を繋ぐかのようにきのこ状の雲が昇っていく。

 先の勇儀の奥義が最強の暴力とするのなら、これはまさしく最凶の虐殺だった。

 

「……何、だ?」

 

 何か懐かしい記憶の中を漂っていた気がした勇儀は、自分の身がひどく揺れる感覚で、失っていた意識を取り戻した。

 掠れた景色を見る勇儀の頭は、まだ十分に働いていない。

 あの時、確かに勇儀は死を覚悟した。

 だが、自らの命が破壊される直前に光った何かに、個の死という概念ごと全てを持って行かれてしまったのだ。

 

「ありゃ、生きてましたか勇儀さん。 これは失敬」

 

 そして、その声を聞いて勇儀はやっと自分が何かに運ばれていることに気付く。

 勇儀が起きていることに気付いたお燐は、嫌らしい笑みを浮かべながら勇儀を乗せた手押し車を止める。

 

「……何のつもりだ、お燐?」

「いやぁ。 あのまま勇儀さんの死体が燃え尽きちゃ勿体ないので回収しようかにゃーと」

 

 状況から考えて、恐らくお燐が勇儀のことを助けたのだろう。

 いや、助けたというよりは『死体を持ち去る程度の能力』を持つ彼女の本能が、全身火だるまになって気を失っていた勇儀を自然と回収していたと言った方が正しいのかもしれない。

 それでも、結果的にお燐が勇儀を助けたというのは確かに事実のはずだった。

 

「そういうことを聞いてるんじゃない」

「え?」

「まだ勝負は終わっちゃいなかったんだ、邪魔をするな」

 

 だが、助けられたはずの勇儀の目に感謝の色など全く浮かんでいなかった。

 むしろお燐を睨むように、不機嫌な表情を浮かべていた。

 少しだけ予想はしていたものの、勇儀から明らかな敵対の目を向けられたお燐は、バツの悪そうな顔でそれに返す。

 

「……あー、そんなのあたいに言わないでくださいよ。 ってよりも、ぶっちゃけ勇儀さん負けてたじゃないですか」

「違う、私はまだ負けちゃいなかった。 ……いや、別に負けてもよかったんだ」

「……」

「本当に強い奴に撃ち滅ぼされる。 それほど名誉ある最期は無い」

 

 鬼は、自らの命に執着はしない。

 強大すぎる生を享けながらも、その力を超える誰かに退治されるために生きているといっても過言ではない種族なのである。

 そして、勇儀もまた自分より強い者にいつか負かされるために自らを高めてきた。

 最高に楽しい戦いの中で、実力で滅ぼされるのならそんなに嬉しいことはない。

 それが、勇儀の胸の奥を鎖のように固く縛り付ける矜持だった。

 そんな待ち望んだ瞬間に横槍を入れられた勇儀は、不快感を拭いきれずに憤っている。

 だが、それを聞くお燐の目は白けきっていた。

 いや、むしろ苛立ちを抑えきれなくなったかのように、ため息を一つついて呟く。

 

「はぁ……。 全く、本当に軟弱な思考だなぁ」

「何?」

「まぁいいです。 とりあえず、あくまであたいたちに介入するなと命令するつもりなら、あたいが言いたいことは一つですよ」

「はあ? さっきから、お前は誰に向かって…」

 

 地底にいる時より明らかに強気なお燐。

 それでも、勇儀はいつものように自分が一睨みすれば、お燐は大人しく退くと思っていた。

 だが、その予想に反して、お燐の目はいつもからは想像できないほど挑発的に、見下すような視線を勇儀に向けて、

 

「あんたこそ邪魔すんな。 負け犬は負け犬らしく、尻尾巻いてとっとと地の底に帰りな」

「なっ……!?」

 

 そう言われて逆上しかけた勇儀の気迫は、虚しく空を切る。

 お燐の目には、既に勇儀の姿など入っていない。

 勇儀を乗せた手押し車から手を放し、目を光らせてその先で起こっているだろう戦いを見据えていた。

 

「さーて。 お空はどうしてるかにゃー、っと!」

 

 そう言って、お燐は勇儀を置いてまだ煙の消えない戦場に飛び込んだ。

 その先で何が起こっているかはわからない。

 ただ、勇儀に残されていたのは、その辺の有象無象と同じと言わんばかりに自分を無視された耐えがたい屈辱だけだった。

 

「っ……待ちやがれ、お燐!!」

 

 そして、勇儀はその拳を握りしめ、お燐の後に続いて煙の中に駆け入った。

 

 そこには既に視界など存在していなかった。

 全てが灰色に染まった世界。

 灼熱地獄にいるかのような異常な気温。

 問答無用に生きる者を拒絶するかのような景色だけがその目に入ってくる。

 その光景の原因に心当たりのあった勇儀は、焦りを隠せなかった。

 

「こいつは、まさか…」

「動くなあっ!!」

 

 そして、聞き覚えのある無邪気な声が聞こえてくる。

 そこにいたのは、宇宙空間のような深淵を思わせるマントを羽織った、一羽の地獄烏。

 いや、それは烏と呼ぶにはあまりに異形だった。

 人間のような姿容をしながらも、その胸には不気味なほどに大きな眼が覗いている。

 右足は鉄に覆われ、左足は電子を纏い、右手のようにも見える第三の足に付けられた制御棒の先からは、妖怪の山を燃やし尽くした火を物語る煙が出ていた。

 

「動くと撃つよ、もう撃っちゃったけどねっ!」

「っ!!」

 

 ただ一面の白煙とその影しか見えない中で、それでも勇儀は脅威を察して飛び退く。

 それは、長い間どんな相手にでもまっすぐに向かっていた勇儀が、ここ最近になって初めて覚えた「逃げ」の一手だった。

 そうさせるだけの凶悪さがその一撃にあることを、勇儀が知っていたからだ。

 突如として発生した光は辺りを覆う煙を掻き消し、勇儀が立っていた場所のみにくっきりと穴を開けて余波で大地を溶かしていった。

 それは、魔理沙が放つような魔法波でも、勇儀が放つような空圧でもない。

 一撃で草も生えないほどに世界を破壊する核エネルギーを、一点に集中させて放った超高密度のエネルギー波だった。

 

「あれっ、避けた!?」

 

 だが、それを避けられると同時に地獄烏は驚いた表情を浮かべて立ちすくんでいた。

 まるでその先の展開を全く考えてなかったかのように、次の手段をとれずあたふたとしていた。

 そこに猛スピードで勇儀が距離を詰めていく。

 

「あわわ、あわわあわわわわわ」

「待て。 私だ、お空!!」

 

 だが、勇儀のその声は届いてはいなかった。

 辺りに残る轟音の余響と、大気さえも焦がして視界を遮る黒煙が、勇儀の存在を認識させなかった。

 ただ、「誰か」がいるという気配だけを頼りに、とっさに制御棒を一振りすると、

 

「えっと、えーっと…えいっ!!」

「くっ……!!」

 

 大地から突如として高密度エネルギーの柱が飛び出し、天空を突き破って昇っていく。

 それは、万全の勇儀をしてまともに受けることなどできない、絶対の破壊。

 いくら強靭な体を、強力な能力を持つ者でも、近づいた瞬間に全てを跡形もなく蒸発させる、この上なく理不尽な力だった。

 

「あーっ、また避けたっ!? じゃあもう一発…」

「落ち着きな、お空」

「ふぎゃっ!?」

 

 だが、突如として背筋に何か悍ましいものが走ったかのように地獄烏の身体は硬直する。

 首にヒヤリとしたものが当たっている気配を感じて、恐る恐る振り返ると、

 

「あ、お燐!」

「まったく、誰に向かって撃ってんのさ。 あそこにいるのは勇儀さんでしょうが」

「えっ!? ……あ、ほんとだ!」

「はぁ…もうちょっと落ち着きを持ちなさいよ、お空」

「あはは、ごめんねー勇儀さん」

 

 そう言って、さっきまでの危険極まりない力を出していたとは思えないほど屈託のない笑顔で手を振られた勇儀は、ため息をつくばかりで何も言い返せなかった。

 緊張感のない表情で地に降り立った彼女の名は、霊烏路空という。

 一見ただのアホの子に見える空だが、その実態は八咫烏という高位の神をその身に宿すことで『核融合を操る能力』という幻想郷最高の破壊力を持つ力を得た、古明地さとりの左腕である。

 空がその力を手にしたのは最近になってのことだが、それでも八咫烏の力は日に日にその身体に定着し、今や地底最強の称号を勇儀と争うほどになっている。

 もっとも、本人には別に勇儀と争おうという気など全くないのだが。

 

「……まあいい、そんなことよりお空。 お前、ここにいた奴がどうなったのか知らないか?」

「え?」

「さっきまで、私ともう一人いただろう」

 

 一度深呼吸して冷静になった勇儀は、そんな空のことも自分を挑発するような目を向けてきたお燐のことも大して気にせず、周囲を警戒していた。

 さっきまで戦っていたはずのにとりのことを、忘れた訳ではなかった。

 それでも、その気配は不思議なほどに感じられなかった。

 

「あ、それならもう大丈夫ですよ。 さっきの敵は、私がやっつけちゃいましたから」

 

 そう言って空はドヤ顔で胸を張る。

 その片割れが勇儀であると気付かないまま消し飛ばそうとしたことにも問題はあるが、全力で打ち抜いたが故に、空はもうにとりを倒したのだと気楽に思っていた。

 だが、勇儀は自分の全力で仕留められなかったにとりが、そんなに簡単に終わるとは思っていなかった。

 

 

   ――消スルコトヲ、禁ズ――

 

 

 そして、その予測は間違っていなかった。

 

「っ! お空!!」

「ほえ?」

 

 勇儀が叫んだその瞬間、空の後ろには異常な量の怨霊に囲まれたにとりの姿があった。

 気配もなくそこに現れたにとりは、空の全力をその身に受けてなお、まるでたった今戦場に降り立ったかのごとく健在だった。

 突如として背後に回り込んだにとりに、空は反応することすらできなかった。

 もしここにいたのが勇儀と空だけだったのなら、この瞬間に全て終わっていただろう。

 

「おっと。 流石にいきなりそれはないでしょ、お姉さん?」

 

 だが、そこに響いたのはまるでそれを危機的状況とも思っていないような軽い口調だった。

 にとりは身体の奥底で何かが暴走するような生理的嫌悪感に襲われ、その足が一瞬止まる。

 そんなにとりを見て……いや、にとりから溢れ出しそうになった怨霊たちを見て、お燐は一転して顔に喜色を浮かべながら言った。

 

「おお、久しぶりだね皆ァ! 元気してたかい?」

「***、************!!」

「っ――――!?」

「ははっ。 そっかそっか、それは何よりだねぇ」

 

 お燐の声に答えるがごとく、怨霊たちの「声」が辺りに響き渡った。

 それは他の者にとっては聞くに堪えない雑音の塊だが、お燐はそこから怨霊たちの声色を聞き分けている。

 お燐の持つ能力は、自己申告において『死体を持ち去る程度の能力』とされているが、それは彼女の本質ではない。

 怨霊の声を聞き、怨霊の思考を誘導し、怨霊を思うままに操ることのできる力を持っているのだ。

 

 

   ――答スルコトヲ、禁ズ――

 

 

「……あれ?」

 

 だが、邪悪の力の、怨霊の感染者には天敵ともいえるその能力を、今のにとりが黙って使わせる訳がなかった。

 お燐と話をしていた怨霊たちが突如としてその口を閉ざし、辺りを静寂が覆う。

 そして、怨霊の声が聞こえなくなって呆気にとられたお燐のもとへ、にとりは即座に駆け抜ける。

 

「まぁいいや、弾けなっ!」

 

 その声と同時に、にとりを取り囲んでいた怨霊たちが四方八方に弾けるように飛んでいった。

 それに伴ってにとりから感じられる力が急激に萎んでいく。

 にとりは慌てて怨霊を引き戻そうとするが、そんな余裕はなかった。

 

「お空、頼んだよっ!」

 

 お燐がそう合図すると、ボーっとしていた空が我に返ったように構える。

 

「わ、わかったよお燐っ! 地熱『核ブレイズゲイザー』!!」

 

 そう高らかに宣言して空が制御棒で地を突くと、若干の時間を置いて地面が大きく揺れていく。

 遥か地の奥深く、マグマ溜りに発生した核エネルギーが、その熱で核分裂を起こして地上へと溶岩を伴って噴出していた。

 大地に空いた数多の穴が噴火し、視界を埋めていく。

 それは触れることなど叶わぬ力だったが、それでも弾道があまりに単純であったが故に、にとりは怨霊の暴走によって痛む自らの頭を押さえながらもそれを避けて再び怨霊を治めようとする。

 

 

   ――離スルコトヲ、禁―――ッ!?

 

 

 だが、にとりは何かに気付いたように、集めかけた怨霊を振り払った。

 そこにあるのは、さっきまでにとりが纏っていた怨霊だけではない。

 怨霊たちの集団の中には、お燐によって新たに召喚された怨霊が混じっていた。

 

「恨霊『スプリーンイーター』。 惜しいねえ、もう少しだったのに」

 

 そう言って、お燐は挑発するような笑みを浮かべる。

 たとえ空の攻撃が当たらずとも、一瞬でもにとりの注意を引ければお燐にとっては十分だったのだ。

 隙をついてお燐が召喚したのは相手の負の感情を食らう怨霊。

 もしそれを取り込んでしまえば闇の力の源を根こそぎ奪っていただろう、今のにとりにとっては悪夢のような力だった。

 

「……」

「あらら、そんなに睨まないでよお姉さん。 こいつらは元々あたいの所有物だ、それをあるべき姿に戻そうとして何が悪いのさ?」

 

 お燐はあっけらかんと言う。

 にとりの目は、もうお燐の方にしか向いていなかった。

 お燐の持つ能力は、怨霊の感染者にとってはあまりに相性の悪い、天敵と言うべき力だったからだ。

 そして、少しずつ、それでも確実に自分の力を削ってくるお燐の周到さは、今のにとりをして最大の警戒を払うべき危険因子であることをよく理解していた。

 それ故に、空のことも勇儀のことも、既ににとりの思考からは外れかけていた。

 だが、その2人は戦いの最中に軽視していいような相手ではなかった。

 

「さーて。 んじゃ、お次はっと…」

「よし! 下がってて、お燐!」

「え? ……げ」

 

「爆符っ!!」

 

 そこに、空気を読まずに空の声が響いた瞬間、お燐は青ざめた顔をした。

 にとりだけでなく、勇儀や自分も蒸発してしまうほどの大技を、空が放とうとしていたからだ。

 別に、空はお燐や勇儀ごとにとりを倒そうなどと思ったわけではない。

 ただ、それを放てばその2人も危ないということを、この鳥頭は何も考えていないだけなのだ。

 空の上空に溜まった小型太陽は、そのまま破裂寸前にまで膨れていく。

 

「あー。 ご武運を、勇儀さん」

「何?」

 

 お燐は小さくそう呟き、とっさに小さな猫の姿となって空の背中に張り付いた。

 勇儀の前に怨霊で逃げ道をつくって、後は勇儀の身体能力を信じることしかできなかった。

 そして空の宣言とともに、留まりきれなくなったエネルギーが暴走して、

 

「『ギガフレア』!!」

 

 幻想郷は核の炎に包まれた。

 

 

   ――融スルコトヲ、禁ズ――

 

 

 かに思われた瞬間、その炎は突如として無に還った。

 鎮火されたのではない。

 ただ、にとりが上げたその手に微かに爆風が触れると同時に、まるでエネルギー源の全てを失ったかのように、完全に消滅していたのだ。

 

「えっ……」

「嘘っ!?」

 

 それには、空だけでなくお燐も驚愕の表情を浮かべていた。

 相殺された訳でも掻き消された訳でもない。

 何の前触れもなく、空の全力など初めから存在しなかったかのごとく消滅させたその力を、理解することができなかった。

 そんな唖然としている2人に向かって、にとりは既に駆けていた。

 思考をとられて一瞬だけ隙のできてしまったお燐は、とっさに対応しきれなかった。

 

「しまっ…」

「はッ!!」

 

 だが、勇儀だけは空の放った力が消滅すると同時に走り出していた。

 まるで、こうなるのが予想通りの出来事だったかのように。

 

「きゃっ!?」

「ちょっ……」

 

 勇儀が張り手のような突きを打つと、その風圧で空とお燐が吹き飛ばされる。

 それと同時に飛び散った土石流がにとりの足を止めていた。

 勇儀はすぐさま空とお燐の前に立ち、にとりに向かって再び構える。

 だが、なぜか振り抜いた勇儀の手は見るも無残なほどにボロボロだった。

 

「……なるほどな。 これは、お空の砲撃を止めた時に禁則が解除された……いや、弱まったか?」

 

 勇儀は今まで、お燐や空がにとりと戦っているのをただ指を咥えて見ていた訳ではない。

 ずっとその戦いに加わろうと奮闘していたが、どれだけ頑張ってもにとりに近づくことも、その拳を構えることすらもできなかったのだ。

 だが、空の砲撃が掻き消されると同時に、拳を突き出すことができた。

 それでも、その行動をとろうとした瞬間に自分の腕が拒絶反応を起こしたように壊れ、気付くとその拳はにとりから逸れて空たちに向けられていた。

 それを理解して、勇儀はようやく確信に至った。

 身体が上手く動かなかったのは、負ったダメージが原因ではない。

 これが、そんなに単純な力ではないことを知っていた。

 

「実際に身に受けて……この目で確かめてわかったよ。 これは破壊や洗脳の力なんかじゃない、法則や因果律そのものへの干渉だ。 私の知る限りじゃ、そんなことができるのは閻魔様を除けば一人しかいない」

「……」

「なあ、答えろよ。 この理不尽な力……お前なんだろ――――みとりッ!!」

 

 みとりという名は、しばらく前に地底で死んだはずの勇儀の友人のものだった。

 だが、死んだはずの相手の名を呼ぶのに、勇儀は躊躇わなかった。

 ここにいることがあり得る特殊性を、彼女が持ち合わせていたからだ。

 

 怨霊が憑りつくのは一般的に人間とされるが、それが妖怪に無害なものであるかと言われれば、そうではない。

 確かにさとりのように怨霊が憑りつくことを忌避するほどに強い精神を持つ者や、お燐のように怨霊から好かれ敵対されない者にはそれほどの脅威はないように思える。

 だが、妖怪が怨霊に憑りつかれることは精神を乗っ取られることを意味するのではない。

 妖怪としてのアイデンティティーを乗っ取られ、自らの存在定義を失って消滅してしまう、実際には人間よりも深刻な被害を被る出来事なのである。

 それ故に妖怪は怨霊を恐れ、怨霊に近づくという行為そのものがタブーとされるため、本来ならば妖怪に怨霊が憑りつくのはごく稀な出来事なのだ。

 

 そして、河城みとりは人間と妖怪の間に生まれた、その両面性を持つ特殊な存在だった。

 みとりは自らの内にある人間の血と妖怪の血が補助し合い、怨霊に憑りつかれても自らの精神が完全に乗っ取られることもなく、存在が乗っ取られて死へ導かれることもなく生き残っていた。

 更に、その時の彼女はもう一つ特殊性を持ち合わせていた。

 それは、怨霊に憑りつかれた時にいた場所だった。

 誰も近寄ろうとしない地底の奥底、無数の怨霊に囲まれた地。

 そこで怨霊に憑りつかれながらも生き残った彼女は、たった一人で数多の怨霊にその精神を蝕まれながらも、完全に乗っ取られることなく消滅することなく永きを生き続けた。

 そして、闇の力を抱えた無限の怨霊を身に宿し、その果てに死んだ彼女の魂は、異常な力を溜め込んだ最大の怨霊となって留まりきれずに分裂した。

 魔理沙が憑りつかれたのはその怨念の欠片に過ぎなかったが、もしその本体が誰かに憑りついたのならば、その存在をまるごと乗っ取ってしまっても不思議ではない。

 それこそ、ここにいるのが地上の河童の存在を乗っ取ったみとりであることは、十分にあり得るのだ。

 

 にとり……いや、みとりと呼ぶべきそれは、勇儀の言葉に答えなかった。

 何を言う訳でもなく、ただじっと何かを狙うように様子を窺っていた。

 それに対峙する勇儀は、遂に耐え切れなくなって、叫ぶ。

 

「……おい、何とか言いやがれ!!」

 

 勇儀は地を蹴り崩して無理矢理に駆ける。

 だが、それでもみとりは何も反応しなかった。

 そこからは、ダメージや疲れなど欠片も感じられない。

 全ての攻撃は、彼女の持つ『あらゆるものを禁止する能力』で無力化されるからだ。

 その身体に直撃したはずの勇儀の拳も、それが触れると同時に右手の動作を禁じてダメージを最小限に抑えていた。

 奇襲のようにくらった最初の空の攻撃すらも、とっさに自らの幻想の生を否定して一時的に世界から外れることで完全に回避し、時間差でその死を拒絶して無傷のまま幻想郷に再び舞い戻っていたのだ。

 それは、因果律さえも無視して全てを否定する、絶対的で呪われた力だった。

 

 その力を相手に真っ向から一歩を踏み出そうとした勇儀の表情は、その身に奔った激痛で曇る。

 まだその拳を振り抜かずとも、目や耳から噴き出した血飛沫と切れていく全身の筋繊維の音が、「抗うことを禁止」する力にたった一歩だけ立ち向かおうとした勇儀の身体にかかる負担の大きさを物語っていた。

 

 ――それが、どうした。

 

 それでも勇儀は止まらなかった。

 皮膚が破れたのなら筋肉で受け止めればいい。

 筋肉が壊されたのなら、骨で殴ればいい。

 骨が砕けたのなら、その破片を飛ばせばいい。

 その一撃の後に自分が死んだとしても、後悔は無い。

 

「ォオオオオオオ雄雄雄雄雄雄ッ!!!」

 

 勇儀はまるでそれが自分に残された「最後の」使命だと言わんばかりに、命を賭した雄叫びを上げる。

 そして、ただ力のままにその腕を振りかぶり、もう一歩を駆けようとして……

 

「……あーもう。 だから、邪魔すんなって言ってんでしょうが」

「え? ……なっ!?」

 

 それが夢か、現実か判断することすらできない。

 ただ、勇儀はいつの間にかお燐に伏されて大地と対面している自分に気付いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 みとりの足は、自然と大きく一歩後ろに下がっていた。

 自分に向かって駆けだそうとしてそのまま倒れ込んだ勇儀に、攻撃を仕掛けられなかった。

 その後ろで構える2つの視線に気付いていたからだ。

 勇儀を足蹴にしながらも鋭く自分を捉え、辺りの怨霊を操るお燐の視線。

 そして、お燐の後ろで呆然と自分を見つめる、もう一つの視線。

 

「みとりさん……なの?」

 

 空は、信じられないという顔でそう言った。

 突然勇儀を押し倒したお燐の姿など、今の空の目には入ってこない。

 ただ、ヨロヨロとした足取りでみとりに近づいて行く。

 攻撃を仕掛けようとしてなどいない。

 感情のままに、空は叫んだ。

 

「覚えてる? まだちっちゃかった頃しか知らないのかもしれないけど、私だよ、空だよ!」

 

 まだ空が八咫烏の力を手にするより昔。

 空は旧灼熱地獄の温度調節をするだけが仕事の、一介の小さな地獄烏だった。

 そこにあったのは、毎日ただ同じ仕事の繰り返しの日々。

 現状に満足はしながらも、変化のない退屈の中を過ごし続けていた。

 そんな中、ある日空は偶然、一人洞穴の奥で暮らすみとりに出会った。

 誰もいない場所でひっそりと暮らすみとりに、空は興味を持っていた。

 お燐の運んでくる死体以外に新しい出会いがなかった空は、暇を見つけてはみとりに、そしてそれに時々会いに来る勇儀に付きまとうようになった。

 みとりが進んで空と関わりを持とうとすることはなかったが、それでも空は確かにみとりを友達だと思っていた。

 

 だが、数年前みとりは何も言わずに突然姿を消した。

 空がどれだけ待っても、もうそこに戻ってくることはなかった。

 その相手が今、目の前にいる。

 それも、自分や勇儀の敵として。

 

「なんで? わかんないよ。 どうして、みとりさんと争わなきゃいけないの? どうして……」

「……」

「なんで、そんな顔をしてまで戦わなきゃならないの!?」

 

 みとりの表情は、変わってなどいない。

 暗く淀んだ無表情な目で、空のことを捉えているだけである。

 だが、勇儀に名を呼ばれて立ち尽くしていたみとりの目に、確かに何かが溢れかけていたのを空は見逃さなかった。

 

「……こんなの、おかしいよ。 戦いたくないなら逃げればいいのに、苦しいなら助けてって言えばいいのに」

「……」

「ねえ、答えてよ!!」

 

 それでも、みとりは答えなかった。

 空の言葉も虚しく、みとりは空のことをただ敵としか認識していない。

 周囲に漂う怨霊を警戒しながら、みとりは再び地を蹴る。

 対話など考えてはいない。

 ただ目の前の異物を排除しようとするかのように、感情もなく空に向かっていた。

 

「っ……このっ、わからずやっ!!」

 

 そんなみとりに向かって、空もまた核の力を纏って全力で飛んだ。

 

 

   ――燃スルコトヲ、禁ズ――

 

 

「っ―――!? …まだまだああああああっ!!」

 

 空が纏っていたエネルギーは、灯ることなく消滅していく。

 それでも空は止まらず、灯らない火を無理矢理に自らの中で暴走させる。

 そして、燃えることなく外に溢れだしたエネルギーが化学反応を起こし、炎を遥かに超える熱を生み出して空を包み込む。

 

「核熱、『核反応制御不能ダイブ』っ!!」

「っ――――――!?」

 

 そして、空はそのままみとりに向かって突っ込んだ。

 究極のエネルギーが破裂したことで発生した推進力。

 それは空を一瞬でトップスピードまで加速させ、みとりに能力を使う隙を与えなかった。

 その身体を貫かんばかりに加速した空に正面から衝突したみとりは、そのまま宙を舞う。

 

「うぐっ、あぁぁっ…」

 

 それでも、それは決定打にはならない。

 空自身の身体が、それに耐えきれなかったからだ。

 空は一人、掠れて消えそうな声を上げながら力を失い、地面を滑るように倒れ込んだ。

 

 空は近接戦を得意としない。

 最近になって八咫烏の力を手にしたとはいえ、少し前まで非力な木端妖怪の一人だった空に、複雑な戦闘はできない。

 大きすぎるダメージに耐えられるほどの屈強な肉体を持ってもいない。

 それ故に、空には近づかれる前に遠距離から一撃において相手を粉砕する戦術しかとれないのだ。

 だが、空はそうしなかった。

 そこにあるのは、相手を破壊しようという思いではないからだ。

 自らの身を危険に晒してでも、友人と対話するための覚悟があったからだ。

 空はゆっくりと起き上がり、咳き込みながらも少しだけ笑顔を向けて言う。

 

「ぐっ……けほっ。 ほら、やっぱりそうだよ。 みとりさんは戦いたくなんてないんだ。 今だって本当は私を殺せたのに、そうしなかった」

「……」

「私も少しだけわかるよ、その気持ち。 ……だけど、きっと私とは違う。 みとりさんは私なんかとは違って、優しすぎるから」

 

 そう言って空は立ち上がり、腕を広げて再びみとりに向き直る。

 

「ねぇ見てよ、みとりさん。 私こんなに強くなったんだよ。 あんなにチビで弱かった私が」

「……」

「どうしてこんな力が私についたのかはわからないんだけどさ。 最初は、少しだけ嬉しかったんだ。 何の役にも立たなかった私が、大好きな人のためにできることがある、って。 でも、だんだん自分が制御できなくなってきて、全部壊そうとして……それでも、自分じゃ止められなかった」

 

 空が八咫烏の力を得た時、最初にあったのは間違いなく戸惑いと、そして嬉しさだった。

 自分に何かできることがあるかもしれないという、献身の心のはずだった。

 だが、それが身体に馴染むにつれて、空は次第に暴走していった。

 誰かのためという目的など忘れ、強すぎる力に支配されて地上の侵略さえも考えるようになっていた。

 

「それを止めようとしてくれたのが、私の友達……お燐だった。 でも、私はお燐すらも邪魔者扱いして、傷つけた」

 

 空は少しだけ拳を握りしめ、悔むように唇を噛んだ。

 一見すると隙だらけなその状況。

 だが、そんな空を前に、みとりは動かなかった。

 

「だけど、それでもお燐は私を助けてくれた。 自分が危険に晒されるのを、さとり様に怒られるのを承知で……それでも、私なんかを助けるために異変を起こした」

 

 地底の異変。

 それは、お燐が空を助けるために起こしたものだった。

 空の暴走が地底で知られてしまえば、空に厳罰が下る。

 ただのペットの一人に過ぎない空など、そのまま始末されてしまってもおかしくはなかった。

 だからこそ、お燐は怨霊を地上に逃がすことで、地上に空の異変を伝えようとした。

 地底で問題にすることなく、地上人に人知れず異変を解決してもらおうという、お燐の作戦だったのだ。

 

 そして、結果として異変は人知れず霊夢によって解決され、空は何のお咎めを受けることもなく日常に帰ることができた。

 その裏でお燐がどれだけ奔走していたかなど、誰一人として知ることすらなく。

 

「そう。 お燐のおかげで、私は今ここにいる。 私に、そんな友達がいてくれたから!」

「……」

「……だから、私は決めたんだ」

 

 空は暴走する力を再び自らの中に巡らす。

 自らが太陽と化していくかのように全ての光を吸収し、月光を掻き消して辺りを染める。

 

「ぐっ……あああああああああああああッ!!」

 

 だが、それは空の身体を極限まで蝕んでいた。

 空はその痛みを忘れようと必死に叫ぶ。

 それは、核反応の蓄積。

 言うなれば、体内で無数の爆弾を爆発させ続けるような無茶な所業。

 だが、明らかに限界を超える力を自らの内に治めながらも、空はみとりを強く見据える。

 

「どれだけ大変でもっ! 私は絶対に友達を見捨てない!!」

「……」

「たとえどれだけ拒まれても、なんて言われても! それでも今度は私が、苦しんでる友達を……みとりさんを助けるって決めたんだ!!」

 

 そして、空は留めきれなくなった力を放出して宣言する。

 

「『アビスノヴァ』!!」

 

 突如として目の前に太陽ができたかのように視界は白く潰れる。

 それは全てを掻き消す光。

 全ての闇を照らす、陽の波動。

 相手を壊すためではない、ただ何もかもを光に染める恒星となって空は飛び立つ。

 

 それを前に、みとりは未だ動いていなかった。

 空に心を動かされてしまったからなのか、空を傷つけたくないとでも思ってしまったのか。

 だが、それは違った。

 

 

   ――……光スルコトヲ、禁ズ――

 

 

 みとりは冷静だった。

 空が一人で叫んでいる間、みとりの意識は空から外れていた。

 みとりは空の話を聞いていたのではない。

 空から受けた衝突のダメージは、予想を遥かに超えてみとりの身体を蝕んでいた。

 故に、空の攻撃も勇儀の攻撃も来ないチャンスを使って、朦朧とする意識を回復しようと専念していたのである。

 そして、空が再びその力を放つとともに臨戦態勢に戻り、再びその能力で空の力を禁じたのだ。

 それと同時に、空から発される光が無情にも途絶える。

 

「っ……諦める、もんかあああああああっ!!」

 

 空は飛び立ちながらも自らの中に溜めた力を全力で放出するが、それは光を発するどころか微かな熱すらも持たない。

 何も起こらないまま耐え切れなくなった自分の皮膚が、血肉が崩れ落ちるだけ。

 どれだけ頑張ろうとも、みとりの能力の前ではそれはあまりに無力だった。

 それでも、空が屈することはなかった。

 

「……だって、私は一人じゃないから! 信じるって決めたから!!」

 

 空の身体は限界を超えて次第に痛みを失っていく。

 だが、今にも消えそうな命の灯の中で、その目だけは確かに何かを信じていた。

 そして、決して灯ることのない光を練り続ける空は、みとりを強く見据えて、

 

「っ――――!?」

 

 突如としてみとりの足が、何かに絡め取られるように停止する。

 稲妻が走ったかのように足から脳にまで伝わった振動は、みとりの思考を一瞬止める。

 そして、空は更に高く舞い、

 

「私は、私の仲間を……友達を、信じるって誓ったんだ!!」

 

 そう叫んで、灯るはずのない光を辺りに拡散した。

 それはあまりに無駄な悪あがきのはずだった。

 もし、みとりがあと少しでも空にその力を向ければ、終わりの状況。

 だが、その時みとりの目に映っていたのは、空ではなかった。

 その視線の先で、心の奥深くにまで響かん声とともに膨らんでいく一つの力の暴走に、みとりは思考を奪われていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 何が起こったかを理解できない。

 ただ、少しだけ意識のとんだ後に勇儀の目に映ったのは、一人でみとりと交戦している空の姿。

 そして、自らの腕を絡め取って地に叩き伏せたお燐の姿だった。

 勇儀はうまく体を動かすことができない。

 さっき一度拳を振り抜けたのは、それが逸れて空たちへと向けられ、付属的にみとりに土が飛んだだけだからなのだ。

 だが、今回はそうではない。

 みとりに向けて直接駆けただけで、たった一歩を踏み出しただけで、自分が一瞬とはいえ意識を失い、お燐に叩き伏されるほどに弱らされてしまったのだ。

 それを理解していてなお、勇儀は自分の限界を認めなかった。

 お燐に向かって脅すように言う。

 

「……放せ、お燐」

「嫌なこった」

「放せって言ってんのが、聞こえねえのかっ!!」

「足手纏いなんだよ、今のあんたは」

 

 だが、無理矢理にお燐を引き離しかけた勇儀の身体は、それを聞いて硬直する。

 足手纏い。

 それは、勇儀が初めて聞く自分への評価だった。

 

「あの河童との間に何があったかなんてどうでもいい。 でも、今のあんたはどう見ても戦える状態じゃない。 それで死なれちゃ迷惑なんだよ」

「……邪魔だというのなら私を放っておいて、最悪盾にでもすればいい。 その結果私が死のうと、お前には関係ないだろ?」

「いいや、大ありさ」

 

 そう言うお燐の目は冷静に、そして真剣に勇儀に向けられていた。

 

「知ってるよ。 この異変が、お空を止めるためにあたいが逃がした怨霊のせいで起きたものだってことくらい。 それを、さとり様やあんたが、あたいたちに、誰にも気付かせないように隠してることくらい」

「……」

「あたいたちが気に病まないように? あたいたちに非難の声が行かないように? どうせ、さとり様やあんたはそんなこと考えてるんだろうさ」

 

 数百年に渡って守られ続けてきた閻魔の忠告、妖怪の賢者との契約を勝手に反故にした結果起きてしまった、計り知れないほどの犠牲を生んだ大異変。

 その原因をつくった妖怪がその先どんな扱いを受けるか、どれほどの苦悩を背負って生きていくことになるのか、想像に難くない。

 だからこそ、さとりと勇儀はそれを隠そうとした。

 これから先の空とお燐の人生を、深い苦悩の中に追い込まないために。

 

「でもね、そんなの余計なお世話なんだよ」

「何?」

 

 だが、お燐はピシャリと言い切る。

 

「これはあたいとお空の問題だ。 さとり様にも、ましてやあんたにも関係ない」

「だからって…」

「それに、自分の立場ってものを理解しなよ。 もし、それであんたが死んだらどうなる? 地底のカリスマ星熊勇儀が、古明地さとりのペットが起こした異変のせいで死んだ。 もしそれが知られれば、あたいたちが処分されるだけじゃない。 さとり様が迷惑を被るんだよ」

 

 ただでさえ危うい地位についているさとりが、辛うじて地底を纏められている理由の多くは勇儀にあった。

 嫌われ者のさとりを差別せず、ただ力のある者が上に立つべきだという、鬼神や天魔と同じような思想を持つ勇儀が仕切っている地底だからこそ、さとりは認められていた。

 だが、その勇儀がいなくなれば、ましてやそれがお燐たちのせいだとバレてしまえば、すぐにでもさとりは追われる身となってしまうだろう。

 お燐は、それだけは絶対に避けなければいけなかった。

 

「だから、あたいはあんたを死なせるわけにはいかない。 そして、あたいたちはこの異変を「存在しなかった」ことにする」

「はあ!? どういうことだ?」

「簡単なことだよ。 そもそも、あたいたちのせいで起きた異変なんてものを地底に伝えなければいいだけだからね。 そのために、この異変が地底まで広がる前に怨霊を回収して、さっさと元凶を潰す。 そして、あたいたちは何事も無かったかのように地底に帰る、ただそれだけのことさ」

 

 ただそれだけのこと。

 簡単にそう言うお燐の目に、迷いはなかった。

 そのための前準備はもう済んでいると言わんばかりに、怯えのない目だった。

 

 そして、勇儀はようやく理解した。

 自分と同等の力を持つ空を差し置いて、お燐がさとりの右腕だとされる理由。

 それは簡単である。 お燐の思考が、本当は他の誰よりもさとりに近いといえるほどに冷静で周到だからなのだ。

 裏表のない冴えないペットとして知られるお燐が、実はさとりの計画すら越えて陰で行動する妖怪であるなどと、誰が想像するだろうか。

 自分を隠しながらも常に一歩先を見据えて状況を調整するお燐の存在は、既にさとりには決して欠かせないものになっているのだ。

 

「だから、悪いけど今回だけは大人しく退いてくんな。 この異変が終わったら、別にあたいは何でも言うこと聞くからさ」

 

 そう言ってお燐は立ち上がり、勇儀に背を向ける。

 お燐は、振り返らない。

 勇儀が誰よりも仁義を重んじる鬼であることを、知っているからだ。

 勇儀には、今の自分以上の目的はない。

 その計画を無視してでも、この異変に介入する理由などない。

 それにもかかわらず自分の邪魔をするような無粋なことを、勇儀が絶対にしないと知っていた。

 

「ま、安心してよ。 あんたのお友達は、あたいとお空でちゃんと成仏させてあげるからさ」

 

 お燐は勇儀に背を向けながら気楽にそう言う。

 恐らくは勇儀の気がかりになっているだろう一人の河童のことも、忘れてはいないという合図。

 それは勇儀が安心してそこで見ていられるようにという、お燐なりの気遣いのつもりだった。

 

 

  ――勇儀。 一つだけ、お願いがあるんだ。

 

 

「……いや。 ダメだ」

「に”ゃっ!?」

 

 だが、勇儀は走り去ろうとするお燐の尻尾を掴んで引っ張り、独り言のように呟く。

 その一言は、お燐のミスだった。

 それは、勇儀の心に眠っていた一つの記憶を蘇らせてしまった。

 

「ぁぁああああ、ちょっと、何を…」

 

 涙目で勇儀に振り返ったお燐の言葉は、そこで止まる。

 まだ伏したまま話す勇儀の表情は、今まで見たことがないほどに真剣だった。

 

 

  ――もし、私がまた誰かを傷つけそうになったら――

 

 

「悪いお燐、そいつは……」

 

 勇儀がみとりと交わしたたった一つの、そして最後の約束。

 みとりが亡き今、もう終わったものであると勇儀の中からも消えかかっていた誓い。

 誰も信じようとしなかったみとりが、たった一人最後に信じて託した想い。

 

 たとえそれが、残酷な願いであったとしても――

 

 

  ――その時は、勇儀の手で私を終わらせてほしい。

 

 

「そいつだけは……絶対に、譲れねえんだよっ!!」

「っ―――――!!」

 

 それでも、自分しかいないから。

 その昔、その能力に抗って彼女を孤独から引き上げてしまった。

 『あらゆるものを禁止する能力』という、全てを遠ざける力を持った彼女に救いを与えてしまった。

 それに後悔などない、あるはずがない。

 だが、それならば自分には彼女に希望を持たせた責任がある。

 その能力に抗うことのできる強さと、しがらみに囚われることなき自由さ。

 彼女を止めることができるのが、できると彼女に託されたのが、それらを兼ね備えた自分だけなのだから。

 

 ならば、せめてその最期の餞は自分が贈るべきなのだろう。

 本当は心優しき彼女が、再び誰かを傷つけ、傷ついてしまう前に。

 そして何より、彼女を慕っていた空の手を、彼女の血で染めてしまう前に。

 

 ――それが、何もできなかった私が、みとりの気持ちに報いてやれるたった一つの方法なのだから!

 

 勇儀は立ち上がり際に思いっきり大地を踏み抜く。

 それとともに、お燐とみとりの足が何かに捕われたように地に縫い付けられた。

 神経を麻痺させるほどの振動で、全てを硬直させる震脚。

 それは、直接みとりに向けた攻撃……いや、攻撃と呼ぶものですらないが故に辛うじてできたことだった。

 

 だが、そこから先は勇儀にとっても一つの賭けだった。

 勇儀は、みとりの能力を知っていた。

 触れた物に対し一定の禁則を創り、「それが結果的に起きない事実」を創れるよう世界を歪められる力。

 たとえば「みとりへの接近」という事象を禁じたのならば、みとりに近づくほどに相手に大きな傷が生じたり、あるいはみとりへと続く道の一切が崩れ落ちるなど、その禁則を破ることを世界が妨げるようになる。

 それは禁じる事象の質や大きさによって妨げる力の大きさも変化し、たいていの禁則に関しては決して破れないというほどに強力な妨害ではなかったが故に、みとりの存在は危険視されつつも、今までそれほどの脅威になることはなかった。

 

 だが、闇の力を得て強大化した今のみとりの能力がそんなに甘いものではないことを、その力を実際に受けた勇儀はよくわかっていた。

 抗う者の意志や力の強さなど関係なく、禁じた事象が起きなかった事実を問答無用に創るために因果律を捻じ曲げる、絶対不可避の力。

 それでも、勇儀はそこにわずかな活路を見出していた。

 勇儀は単純であっても馬鹿ではない。

 みとりの能力には制約があることを、これまでに学習していた。

 みとりが科すことのできる禁則には、数、あるいは禁則の程度によって質的な限界があること。

 右手を動かす禁則やみとりに抗うことへの禁則は、太陽神の全力を完全に掻き消す禁則や、自らの死と生を世界から騙すというあまりに大きな禁則に上書きされて弱まったが故に、勇儀は自らの身を犠牲にしながら少しならみとりに抗うことができた。

 それは、みとりが新たな禁則を創る度に、それ以前の禁則は徐々に弱まっていくことを意味する。

 つまり、もし勇儀が倒れている間にみとりが禁則を乱立させていたのなら、全力でみとりに攻撃を仕掛けることもできるのだ。

 

 それでも、その仮説が実行できるためには、みとりがこの短時間で必要以上に能力を使っていることが前提である。

 さっき倒れた時も、「途中でお燐が止める」という結果があったからこそ、勇儀は今こうして生きているに過ぎない。

 だが、もしその禁則が十分に弱められず、勇儀を止めるものもないまま拳を振り抜こうとすれば、その瞬間に自分がまるで存在していなかったかのごとく世界から消滅してしまうだろうことが勇儀にはわかっていた。

 

 それでも、勇儀は次の一手に自らの全てを懸けていた。

 認めていたから。

 今みとりと向かい合っている空の力が、心の強さが、本物であると。

 そして、恐らくは自分と同じくらい、みとりへの気持ちが本物だと知っているから。

 だから、勇儀は疑うことなく全力でもってその拳を振りかぶる。

 

「四天王奥義っ!!」

 

 その一歩目は、思考を止めるほどの地響きを引き起こした。

 二歩目以降が成就しやすくするための一歩目、つまりは望む世界を創り出すために、その一歩目は状況により様相を異にする。

 そして、その力は一度目のようにはるか遠方まで届かせるためのものではない。

 空間そのものを歪ませ、目の前の世界の一切を無に還すほどに凝縮していた。

 

 それに気付いたみとりは、空に向けていた注意を本能的に一気に勇儀へとシフトさせた。

 遥か遠くから一瞬で三歩目を踏み込もうとしていた、勇儀の突然の急襲。

 完全に意表を突いた、渾身の一撃だった。

 

 

   ――近スルコトヲ……ッ!?

 

 

「……まったく。 本当に話を聞かないんだから」

 

 それを再び禁じようとしたみとりの思考を、しかし次の瞬間怨霊たちが妨げる。

 無数の怨霊たちの声がみとりの中で鳴り響き、その力の根源を喰らい尽くそうとしていた。

 空に、勇儀に、あまりに注意を割き過ぎたが故に忘れてしまったもう一つの脅威。

 お燐が召喚した怨霊の残照が、みとりの奥に潜みながら侵食していた。

 お燐は戦いを長引かせるよう誘導することで、怨霊がみとりの負の感情を食らいつくし、弱らせるのをずっと待っていたのだ。

 

 本当はあと数秒で、空の力だけでもみとりに勝てるほどに弱らせられるはずだった。

 だが、勇儀が勝手に飛び出したことで狂った計算は、それでも瞬時に計画を早めて無理矢理に帳尻を合わせていた。

 みとりの力が萎むとともに、空が発した光は徐々に色彩を帯びていく。

 そして、勇儀の拳が阻まれることなく世界を切り裂いて、

 

 

「いっけえええええええええっ!!」

 

「『三歩必殺』ッ!!」

 

 

 みとりは朦朧とする意識の中、なす術もなくその力の奔流に飲み込まれていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

   ――唯、一ツ――

 

 ――私ハ最後ニ、禁ズル――

 

 

 

 

 

 

 

 

 空は目を閉じながら、ゆっくりと息を吐いた。

 その表情は苦痛に歪みながらも、安らかだった。

 お燐や勇儀のことを信じていた。

 自分一人ではダメでも、2人がきっと助けてくれる。

 そう信じてただ自分の全力を出し切った空は、疲れ切った身体を休めるように、ゆっくりと地に降り立つ。

 

 ――やっと、終わったよ。 これで……

 

「……え?」

 

 だが、微かに目を開いた空の視界に映ったのは、全てが終わった世界だった。

 

「どうして、こんなに……」

 

 空が放ったのはみとりを傷つけるための力ではないはずだった。

 その闇を照らし、みとりを助けるための力のはずだった。

 だが、その一方で勇儀の放ったそれは、とても助けるための力ではなかったのだ。

 その一撃で確実にみとりを殺すための、確かな殺意。

 そして、そこには未だ煙の上がるほどに熱を帯びた拳を突き出したままの勇儀の姿があった。

 既にボロボロで動くのも辛いはずの空は、それでも勇儀に掴みかかる。

 

「なんで……どうしてっ!? みとりさんだったんでしょ? なのに、なんでっ!!」

 

 勇儀なら、絶対に助けると思っていた。

 みとりを助けたい気持ちは自分と一緒なのだと思っていた。

 そう信じて戦い抜いた空は何もかもに裏切られたかのような思いに駆られ、勇儀を捲し立てる。

 勇儀は何かを耐えるように唇を噛んだまま、微動だにしなかった。

 それでも、その顔に後悔の色はなかった。

 

「お空……」

「せっかく会えたのに、どうしてっ!?」

「違うんだ、お空。 みとりは……」

「言い訳なんて聞きたくない! だって、勇儀さんは…」

「聞け、お空!!」

 

 勇儀に気圧された空は、一瞬口を閉ざす。

 勇儀は何かを躊躇ったような表情を一瞬浮かべ、少しだけ申し訳なさそうに話し始める。

 

「みとりはな……もう、何年も前に死んでるんだよ」

「え?」

「悪いなお空、黙ってて。 あれは、みとりの怨霊の欠片……みとりに憑りついた無数の怨念が生んだ、ただの負の遺産なんだ」

 

 勇儀が地底でみとりの異変に気付いたのは手遅れになった後、もう戻れないところまで怨霊の浸食が進んでいたのだ。

 だから、勇儀にはどうすることもできなかった。

 死に逝くみとりの願いを、聞いてあげることくらいしかできなかった。

 

「どうして……? そんなの私、聞いてないよ!」

「お前には伝えないことにしたんだ。 お前を傷つけたくないと、みとりが望んだことだからな」

「……私を?」

 

 みとりは、誰かを傷つけることを恐れていた。

 無邪気に近づいてくる空を、自分でも気づかない内に傷つけてしまうのではないかと恐れていた。

 そして、次第に怨霊に支配されて制御できなくなっていく自分の力が、非力な空を傷つけることを避けたいと、勇儀に頼み込んでいたのだ。

 それ以降、みとりは空から離れるようなった。

 勇儀が、2人を引き離したのだ。

 嘘はつかずとも、ただ遠ざけることだけならできるから。

 そして、みとりの死という悲惨な事実を、空に伝えないようにすることくらいはできるから。

 

「そして、もしもう一度自分が誰かを傷つけようとしたのなら、その時は殺してほしいと。 誰かを、お前を傷つける前に、終わらせてほしいと。 そう、みとりが望んだことなんだ」

「そんなのって……!」

「恨むなら、私を恨めばいい。 だが、私は後悔なんてしていない。 やっと、あいつを静かに眠らせてやれたんだからな」

 

 そう言って、勇儀はみとりが消えていったその煙の先に目を向ける。

 もう、そこには自分を縛る制約も、空を縛る制約も、感じられなかった。

 それはつまり、もうみとりの力が消滅したことを意味していた。

 それ故、終焉を悟って寂しそうな目でその先を見据えていた勇儀だったが……

 

「……何、だとっ!?」

 

 その先には未だ、消滅したはずのみとりの姿があった。

 

 ――バカな、アレで生きていられる訳が……

 

 そう思いながらも勇儀には少しだけ違和感があった。

 風圧が当たったのではない。

 確かに勇儀の拳はみとりに直撃した……ような気がする。

 だが、その拳にあった感触には、どこか距離があったように思える。

 まるで、それが当たる寸前に巨大な壁が立ちふさがったかのような。

 みとりの身体が勇儀の拳に合わせるように後ろに跳んだかのような。

 

 ――まさか、避けたってのか?

 

 勇儀は信じられなかった。

 一歩目で、確かに動きを封じた。

 その隙を突いた最速の二歩目と不可避の三歩目、絶対の破壊。

 それ故に必殺。

 スペルカードルールを除けば、それが完全に決まって終わらせられなかったことなど、未だかつて一度も無かった。

 確かに自分が万全であったとは言えないが、少なくとも三歩目の時にはみとりの禁則はほとんど感じられなかった。

 それにもかかわらずみとりが無事だとは、とても考えられなかった。

 

「……え?」

「な、何だい、これっ!?」

 

 そして、その瞬間3人の足を何かが地に縫い付ける。

 それは、あまりに堅く圧縮された大気の枷。

 いつの間にかみとりとの間にできた暴風の壁は、近づく全てを切り刻まんほどに強く張り巡らされていた。

 それに気づいた勇儀が改めてみとりを見ると、それは自らの力で立っているのではなかった。

 気絶したまま、ただ虚空に浮かんでいた。

 まるで、何かに守られているかのように。

 

 やがて辺りを覆っていた煙は霧消し、みとりの前に一つの影を浮かび上がらせる。

 

「お前は……」

 

 勇儀は、それを強く睨む。

 その表情に浮かんでいたのは、怒りだった。

 目の前の相手に向けられた、殺意とでも言うほど確かな威圧だった。

 その殺意は、耳障りなほどに鳴る風の音に遮られながらも、辺り一帯の景色を貫くほどに鋭く向けられる。

 

 だが、そんな勇儀の殺気をものともせずに、文は倒れたみとりを背に一人悠然と立ち塞がっていた。

 

 

 


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