東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第13話 : 運命

 

 全ての事象が予想通りに進んでいく。

 それは、誰もが羨むことであるかもしれない。

 だが、実際にそんな世界が存在するとしたら、そこには一体何の面白みがあるのだろうか。

 全てはただ決められた運命に従って動いていく。

 運命を知る吸血鬼、レミリア・スカーレットはそんな世界に絶望していた。

 

 

「こんなに月も紅いのに」

「楽しい夜になりそうね / 永い夜になりそうね」

 

 ――わかっていた。

 

 異変を起こせば、自分が退治される運命にあることくらいわかっていた。

 それでも、いつか何かが変わる日が来るのではないかと思っていた。

 

 

「聞いたわよ魔理沙。 あの風見幽香に勝ったんだって?」

「いやー、正直自分でもあんまし覚えてないんだけどな」

「奇跡ね。 てっきり手足の1本や2本くらい失くしてくるかと思ってたのに」

「ってオイ!!」

 

 ――それも知っていた。

 

 誰もが目を疑うような奇跡であっても、その奇跡が起こるのが必然の運命であると知っていたならば、そこに何の感動があるというのか。

 「努力や執念で運命を変えた」などという戯言は、それは別に何も変わってなどいない、「最初からその運命だった」に過ぎない。

 

 何が起ころうとも、その結末は決まっている。

 全ての事象には何の新しさも希望も無い。

 

 ――そんな人生を、果たして私は「生きている」と言えるのだろうか。

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第13話 : 運命

 

 

 

 

 

「……幻想郷が滅びる? ちょっと待てよ、何言ってんだよレミリア!?」

「言葉通りよ、今日この世界は崩壊するの。 貴方たちがどれほど足掻こうとね」

 

 周囲の困惑の目をよそに、レミリアはただ淡々とそんな言葉を発していく。

 そこには何の負い目も悲しみもあるようには見えない。

 ただ、疑いようのない事実を述べているだけのようだった。

 

「何だよ……冗談もほどほどにしろよ!」

「はっ。 冗談?」

 

 レミリアの後ろでルーミアが嘲笑うように言った。

 ルーミアが一歩前に踏み出す。

 そしてその手を振り上げる直前、それを遮るようにレミリアの放つ圧力がさらに強大なものと化した。

 

「――――っ!?」

 

 満月と闇の力を得て強大化したレミリアの爪が、突如として大地をゼリーのように切り裂く。

 それを察知した魔理沙が後ろに飛びずさったのは、その攻撃が届いた後だった。

 魔理沙のいる場所をわざと外して囲うかのように景色が割れ、大地を覆う砂が地の底に飲み込まれるように流れ出していった。

 

「ぁ……」

 

 魔理沙は腰を抜かしたまま、無意識に小さく恐怖の声を漏らした。

 レミリアに殺意はなかった。

 もし仮にレミリアが殺意を持っていたのならば、魔理沙は気づくことすらないまま頭と胴体が離れていただろう。

 だが、レミリアはあえて魔理沙に攻撃を当てずに、ただ魔理沙を見下していた。

 まるで、抵抗に意味のないことを本能に刻み込むかのように。

 それを見たルーミアは自ら上げかけたその腕をゆっくりと下ろし、満足気に問う。

 

「じゃあ聞くが、お前たちにはこの状況を変える策があるのか? 八雲紫も、山の神々も、博麗の巫女さえも失った烏合の衆に、一体何の運命を変えられるんだ?」

「……」

 

 誰一人として一言発することすらできない。

 霊夢とルーミアの戦いを前に一歩も動くことすらできなかった自分たちに、今のレミリアの急襲に反応すらできなかった自分たちに、何かができるだなんて思えなかった。

 

「そういうことさ。 お前たちには何も変えられない、救えない。 もう、わかってるんだろ?」

「……」

「自分の無力さを嘆き、絶望し、私への怒りと憎悪を抱きながらただ有象無象のように消えていく運命しかない。 そんなお前たちに、もはや何の希望がある?」

「それは……」

 

 そんなことを言われてなお、何もできない。

 魔理沙の表情が悔しさと絶望に満ちていく。

 その様子をレミリアは何の感情の変化もなく、ルーミアは満足そうな表情で見下ろしていた。

 

「でも、そんなの知ったことじゃないわ」

 

 だが、既に諦めていたとさえ思われていたパチュリーが、ふいに立ち上がる。

 パチュリーの反応に、ルーミアは露骨に不服そうな声を上げた。

 

「……はあ?」

「そんな運命だって、誰が決めたっていうの?」

「私よ。 もういいでしょう、パチェ。 終わるなら終わらせてしまえばいい。 無駄に足掻くことの無意味さを知らない貴方でもないでしょう」

 

 もう決まった運命だから。

 だから、抗う意味は無い。

 そんなことはわかっていた。

 だが、それでもパチュリーは何かを思い出すかのように少しだけ微笑みながら、まっすぐにレミリアに視線を向けて言う。

 

「ねえレミィ、覚えてる? 私たちが初めて会った時も、貴方はそんな感じだったわよね」

「……何の話かしら」

「私はよく覚えてるわ。 死にかけだった私を見て、貴方は今と同じような絶望に満ちた目で、それでも私を救ってくれたこと」

「そう」

 

 パチュリーは大切な記憶を慈しむかのようにレミリアに語りかける。

 だが、レミリアは何の感慨も受けていないような顔だった。

 全く何一つ届いていないのではないかと思うほど、レミリアの受け答えは淡々としていた。

 

「それは、咲夜や美鈴の時だって同じ。 貴方はそんな光のない目をしながら、誰よりも何かを変えようと思ってきたはずよ。 なのに……」

 

 パチュリーはレミリアに問いかけようとした言葉を、何かに気付いたかのように飲み込む。

 

「……いや、霊夢の言うとおりか。 レミィが今までどれだけ辛い時間を送って来たかなんて、聞いたところできっと私たちには一生かかっても理解なんてできないでしょうからね」

「何?」

「どれだけ足掻こうとも全てが無駄になるってわかってる人生なんて、想像したくもないわ」

「そうでしょうね」

「……だけど――」

 

 ――火水木金土符『賢者の石』

 

 そう言ってパチュリーが手をかざすと、周囲に5つの大きな石が現れた。

 その石はそれぞれがレミリアの方向に向けて力を増幅し、異なる属性を帯びていく。

 

 ――神槍『スピア・ザ・グングニル』

 

 それに無反応のままレミリアはただ片手に槍を構えた。

 その槍は、存在するだけでパチュリーの魔法などかき消してしまうほど強大な魔力の波動に包まれている。

 だが、まるで巨像と蟻の戦いでとも言うべき力量差の前でも、パチュリーは一歩も退かずにレミリアを強く見据えていた。

 

「だけど最後に、これまでの感謝の意味も込めて、いつまでたっても子供な貴方に一つだけ教えてあげるわ」

「……」

「運命なんて知らなくったって、未来に希望なんてなくたって、それでも誰だって前に進んでる。 どんな力を持っていても誰もが平等にね。 私もそれなりに長く生きてきたつもりだけど、そんなことを考えたことすらもなかったわ」

 

 パチュリーが少しだけ魔理沙の方を見る。

 

「だけど貴方に会って……そして魔理沙たちに、いろんな奴に会って、私も少しだけ気付いたわ」

「……」

「何かをする過程で運命を変えられたか? 人生の中で何かを成せたか? そんなのはきっとどうでもいいことなのよ」

「……」

「でもね。 たとえ何も変わらないとわかっていても、報われないとわかっていても……それでもみっともなく足掻くのが、きっと「生きてる」ってことなのよ!!」

 

 そして、パチュリーはそのまま無数の弾幕をレミリアに飛ばす。

 それは今のレミリアには指先一つ振るだけで消し去れるような矮小な魔力の弾。

 だが、パチュリーの目はそれでも何かを信じているような強い光を帯びていた。

 

「五月蝿いわ」

 

 そう言うレミリアは、パチュリーの目に宿る眩いばかりの光を見てなどいなかった。

 ただ、まるで自分のものであるかのようにパチュリーの魔法を自らの槍に纏い――

 

「……そんなこと、もうわかってるのよ!!」

「っ―――――!?」

 

 その槍はそのまま半回転し、闇を貫いてルーミアに向かって一直線に飛んで行った。

 それはルーミアの首元を掠めて、それでも最後には闇に飲まれて消えていく。

 完全な不意打ちにもかかわらず、ほぼダメージはなかった。

 だが、少なくともルーミアを含め、その場にいた全員が一瞬呆気にとられていた。

 

 ――冥符『紅色の冥界』

 

 レミリアはその手を緩めない。

 レミリアの放った弾幕が、ルーミアを取り囲むように炸裂し続けた。

 そして、ふと楽しそうな声が辺りに響く。

 

「何なのパチェ? 大して長く生きてもいないくせに私に説教? 随分と偉くなったじゃない!!」

「レミィ……!?」

 

 レミリアは満月の力を集めるように両手を上げ、凝縮した魔力の塊を爆発させる。

 その爆音とともにルーミアへ降り注いだ光の十字架を操るレミリアの表情は――

 

「紅符『不夜城レッド』!!」

 

 確かに、笑っていた。

 

「どうしたのレミィ!? なんで…」

「私のことなんて気にしてる場合じゃないでしょう。 貴方たちは早くここから離れなさい」

「え?」

「流石の私も、この人数は守りきれないわ」

 

 レミリアの視線の先には、僅かについた傷跡を摩りながらレミリアを睨むルーミアの姿があった。

 その表情はさっきまでとは一転して不機嫌なのが、一目見てわかるほどになっていた。

 

「どういうつもりだ?」

「どういうも何も、私がいつお前の手下に成り下がった? この誇り高き吸血鬼、レミリア・スカーレットがお前のようなただの妖怪風情に手懐けられるとでも思ったか?」

「……ああ、そうか」

 

 だが、ルーミアは別に焦ってなどいなかった。

 少し面倒事が増えたという程度の感覚で、小さく呟く。

 

「お前にはもう一度、絶望を見せてやる必要があるか」

「っ!!」

 

 ルーミアが手をかざすと、再びパチュリーの周りに闇が湧き出てくる。

 レミリアが気付いた時には、既にそれはパチュリーを覆い切ろうとしていた。

 しかし、闇の隙間を縫って魔理沙の箒がパチュリーをぶら下げるようにすくい取り、そのまま高く舞った。

 

「ふぅ。 間一髪だぜ」

「魔理沙!」

「よくやったわ。 貴方たち、さっさと消え失せて頂戴」

「はぁ? いきなり来て何命令してんだレミリア、私たちも一緒に…」

「邪魔よ」

「うおっ!?」

 

 レミリアは魔理沙の提案を一蹴し、魔理沙に向かって何かを放つ。

 とっさに魔理沙が避けたそれは、いつものスペルカードルールで使う弾幕だった。

 

「な、なにすんだよ!?」

「それが、貴方の得意分野でしょう? そしてそれが、これからの時代の証」

「レミリア……?」

「問答無用で殺しにかかるような、今の幻想郷の風情も解さぬこの古臭い根暗妖怪は私が引き受けてあげるわ」

 

 そう言って、レミリアは再びルーミアに対峙する。

 その後ろ姿からは、死んだような目でただ生きてきただけのレミリアの面影など全く感じられなかった。

 この場にいる誰よりも強く、まっすぐに前だけを見据えて言う。

 

「だから、貴方たちは貴方たちの、今すべきことをしなさい」

「待って、レミィ!!」

「……わかった、礼を言う。 行くぞ、魔理沙」

「あ、ああ!」

「ちょっと!?」

 

 既にほとんどの力を失っていた藍だったが、それでも残った僅かな力を振り絞って跳ぶ。

 魔理沙も、パチュリーを箒にひっかけたまま飛び立とうとする。

 

「誰が逃げていいって言った?」

 

 だが、それをルーミアが黙って逃がす訳がなかった。

 レミリアに向けていた視線を外し、静かに地面を蹴る。

 そのスピードは明らかに魔理沙のそれよりも速かった。

 だが、無音のまま一瞬で距離を詰めるルーミアの腕を、

 

「誰が、私に背を向けることを許可した?」

「――っ!!」

 

 レミリアはそれよりもさらに速いスピードで動き、その左手でルーミアを纏う闇ごと捕える。

 そして、その腕に魔力を込めて、

 

 ――『レッドマジック』

 

 そのまま闇に汚染された己の腕ごと爆発させた。

 飛び散った血飛沫でできた弾幕は、網のように広がって辺りを覆い尽くす。

 レミリアの血液に触れた大地は熔け、微かに残っていた枯れ木の残骸は焦げ落ちていく。

 幻想郷の王たる吸血鬼が片腕を犠牲にしてまで放ったその力。

 だが……それはやはりルーミアに届くことなく無情にも闇の中へ消えていく。

 

 それでもレミリアは笑っていた。

 気づいた時には、既に魔理沙たちの姿は遥か遠くに消えようとしていた。

 その殺風景な砂漠には、レミリアと、それを睨むルーミアの姿があるだけだった。

 

「どうした? そんなに悔しそうな顔をして」

「……ああ、本当に飼い犬に手を噛まれた気分だよ。 お前はあの中でも優秀な方だと思っていたんだけど」

「そうか。 それは、残念だったな!」

 

 爆発させて失ったはずのその腕を、満月の吸血鬼の再生力によってすぐに再生させたレミリアは、再び弾幕の雨をルーミアに浴びせ続ける。

 その弾幕はさっきよりもさらに強力なものだった。

 そこにはもう、レミリアとルーミアしかいなかったからだ。

 誰を気遣う必要もないからこそ、レミリアは己の出しうるすべての力を開放することができた。

 

 しかし、ルーミアはまるで蠅でも振り払うかのようにそれを軽く飲み込む。

 レミリアを見る目には、失望の色が浮かんでいた。

 ルーミアにはレミリアの行動がまったく理解できないのだ。

 

「……わからないな。 お前には、今もこの世界の終わりが見えているんだろ?」

「ああ」

「今さら何をしても何も変わらないことくらいわかっているんだろ?」

「そうだな」

「だったら、なんで……」

 

 運命が変わらないことくらい、誰よりもレミリアが知っているはずだった。

 幻想郷にいる誰よりも、深い絶望を抱えているはずだった。

 それなのに、どれだけ全力の攻撃を潰されようとも、レミリアのその目は誰よりも強い光を帯びていた。

 誰よりも未来を見ていた。

 ならば、もうその目にはきっと、ルーミアを失望させる希望の光しか残っていないのだろう。

 

 だが、それでもルーミアは諦めきれなかった。

 数百年間、ただ絶望だけを見続けてきた吸血鬼。

 その目に再び闇を取り戻すことは、何よりも最優先にすべきことだった。

 だからルーミアはただ、レミリアに疑いようのない力の差を見せつけるかのようにその猛攻を防ぎ続ける。

 レミリアが死なない程度に加減しながら、徐々にその身を蝕んでいく。

 だが、自分の血肉を、魔力を、全てをないがしろにして続けている猛攻をあっさりと掻き消され、自分の身を侵食されながらも、レミリアは楽しそうに笑う。

 

「……確かに、私はどうしようもないくらい自分の力を呪っていたよ。 何も変えられないくせに結果だけが見えてる。 たとえ幻想郷が滅ぶ運命が見えていても私には何もできない。 そんな無力さにずっと絶望してきた」

「それなら」

「ああ、もう希望なんてものは持ってなかったよ。 でもな……」

「……何だ」

「さあ、なんだろうな」

 

 レミリアはそんな含みのある言い方をする。

 侵食されかけた自分の体を自ら切り落とし、何度も再生させながらルーミアに立ち向かい続ける。

 それは、傍目から見ても勝ち目などまるで見えない無駄な足掻き。

 だが、それが無駄だとしてもレミリアは足掻き続ける。

 

 いや、その目はむしろ、それが決して無駄ではないと信じているような目だった――

 

 

 

 

 

 

 

 

「……そろそろね」

「何がですか?」

 

 時はしばらく戻って紅魔館の食堂。

 数百人は入れるのではないかというほど広いそこにいたのは、ゆっくりと食事を口に運ぶレミリアと、一歩下がった位置に立つ咲夜だけだった。

 

「この世界の終わりが、よ」

「え?」

 

 何かの冗談かとも思ったが、唐突すぎるそれに、流石の咲夜もうまく対応できなかった。

 レミリアは全てを悟ったかのような、諦めの表情をしていた。

 咲夜はただ、どう反応していいのかわからず困惑した表情を浮かべている。

 

「それは、新しい遊びか何かですか? お嬢…」

 

 そう言いかけて、咲夜が倒れる。

 死んだのではなく、気絶させられていた。

 それも、気配すら全く感じられない内に突然である。

 だが、そんな出来事にもレミリアは顔色一つ変えない。

 

 ――ああ、もう時間か。 思ってたよりも早かったわね。

 

 レミリアだけが知っている、幻想郷の運命が消えるその時間。

 今何が起こっているのかはわからなくとも、これから何が起こるのかだけはわかっていた。

 そう、全ての終わりが来るだけである。

 

「ごきげんよう。 貴方が、レミリア・スカーレットかしら」

 

 誰もいないはずの背後から、何者かの声が聞こえた。

 レミリアがゆっくりと振り返ると、そこには小さな細腕の少女が立っていた。

 突然現れたそいつを見て、レミリアは驚く様子もなくただ淡々と答える。

 

「そうよ」

「あら、突然仲間を気絶させられた上に背後をとられたのに全く焦らないのね」

「わかっているからよ。 これから起こる出来事も、もう私にはどうしようもないことも」

「……なるほど、これは重症ね」

 

 纏っている雰囲気から言いようのない不気味さだけが感じられたが、その少女はどう見ても吸血鬼であるレミリアより強大な力を持っているようには見えない。

 だが、レミリアはそれに抵抗する気すら全く見せない。

 たとえ何がどう見えていようとも、結局自分の力では何も変えられないことを知っているからだ。

 

「……それで、貴方は私に何の用?」

「貴方が持つ『運命を操る能力』っていうのにちょっと興味があってね」

「運命を操る? ……はっ、そんな大それたものじゃないわ。 見たくもない、変えることすらできない結果が見えてしまうだけのつまらない力よ」

 

 レミリアは自虐するように言う。

 だが、少女はその言葉に大きな反応を示さない。

 ただ静かにレミリアを見据えながら、ゆっくりとそれを追及する。

 

「変えられない結果? それは一体何なのかしら」

「さぁ、教える必要なんてないでしょう? もう私にも貴方にも、いえ、誰にだってどうしようもないのだから」

「……そういう運命だから?」

「そうよ」

 

 レミリアはそう断言し、最後の晩餐を少しでも愉しむかのように再び食事に戻る。

 その様子をしばらく黙って見ていた少女は、つまらなそうに呟く。

 

「……つまらないわ」

「そうよ。 この世界は、つまらない」

「いいえ。 貴方が、よ」

「何?」

 

 そう言った少女は突然、背に抱括りつけていた小さな木の杭を手に取り虚空に向かって投げつける。

 すると、次の瞬間その杭が忽然と消え去った。

 

 木の杭を心臓に突き立てるのは吸血鬼を殺す手段の一つであり、木の杭というのは吸血鬼にとっては見過ごせないはずの武器である。

 それが突如として投げられ、視認できなくなったのならば、吸血鬼にとってそれほど脅威のあることはないだろう。

 しかし、レミリアはそれに大した興味を示さない。

 

 ――どうでもいい。 ここでお前が私を殺さないことくらいわかっている。

 

 そんな無関心を貫きながら食事に戻るレミリアを前に、少女は奇妙な薄ら笑いを浮かべながら、誰に言っているのか一人呟いた。

 

「ここを出て右。 つきあたりを曲がった先にある左側6番目の部屋の床」

「……え?」

「地下に行ける隠し階段があるはずよ。 そこにいる奴を……可能な限り残虐に殺しなさい」

「っ!? お前、何を…」

 

 何か見てはいけないものを見てしまったかのように、レミリアの表情が突然変わる。

 ただ焦ったような、激昂したような表情のレミリアが目線を上げると……そこに立っていた少女には、いつの間にか得体の知れない瞳が絡み付いていた。

 それまで視認することのできなかった瞳が大きく見開き、レミリアを射抜くようにまっすぐに向けられていた。

 それを見たレミリアは、呆然と呟く。

 

「そんな、まさか……お前、古明地さとりか? でもなんで、さっきまでその瞳は…」

「あら、何をそんなに焦ってるのかしら。 私にはどうしようもないのだから、何をしても運命は変わらないのだから、関係ないでしょう?」

「それは……」

 

 レミリアの表情が歪んでいく。

 初めて出会ったイレギュラーに怯えるかのように、その身体は硬直していく。

 

「ふふっ、そんなに失うのが怖い? 良くない結果が待っている未来に向かうことが怖い? だけど、誰だって皆そういう世界に生きてるわ。 貴方はただ、自分の能力を言い訳にして逃げてきただけよ」

「っ……違う!!」

 

 そこにいるのは、いつもの無表情なレミリアではなかった。

 目に涙を浮かべ、悔しそうに歯を食いしばり、我慢できなくなったように言い立てる。

 

「お前に……お前なんかに何がわかる!? どうしようもない運命を何百年も見せられ続けて、どれだけ努力しても結局何も変えられない。 そんな絶望だけをずっと見続けてきた私の気持ちが、お前なんかにっ…!」

「ええ。 わからないし、わかりたいとも思わないわ。 ただ心が読めるだけの嫌われ者の私なんかにはね。 ……だけど、貴方は違うでしょう?」

 

 さとりはレミリアに向かって静かに手を伸ばす。

 レミリアは警戒し、僅かに後ろに下がって身構える。

 

「貴方には今、どんな運命が見えているのかしら? ここで貴方が死ぬ運命? 私が死ぬ運命? ……それとも、あの子が死ぬ運命?」

「っ……」

「それに目を向けるのが怖い? まだ実感が湧かない? でも、貴方にはもう見えているとは思うけれど、一度だけ言葉にしてあげる。 このまま運命を変えられなければ、あの子は死ぬわ」

 

 レミリアに見えてしまったのは、そしてさとりに読まれてしまったのは、たった今生まれた新たな死の運命だった。

 一度芽を出してしまった運命は、決して変えられないことをレミリアは知っていた。

 今まで変えられたことのない絶対の運命。

 それを知ってしまったレミリアは目を見開き、怯えた表情になる。

 そして、両手で顔を覆いながら震えた声で言う。

 

「やめて……」

「嫌よ。 あの子はこのまま無残に壊れて、何もかもを恨みながら考えうる限り最も残酷な最期を越えて消えていく。 どんな死に方よりも苦しく絶望に満ちた…」

「お願い、やめ…」

「黙りなさい!!」

 

 レミリアがビクッと跳ね上がる。

 

「泣けば誰かが助けてくれると、何かが変わるとでも思ってるの? いいわね、嫌われ者でも何でもないお子様は」

「……」

「でもね、貴方が今までどれだけ甘い環境で育ってきたのかは知らないけど、世界はそんなに優しくできてはいないわ」

「でも、私は……」

 

 そこにあるのは、誰もが恐れる吸血鬼の姿などではない。

 自分がどうしたらいいかもわからない、どうしようもなく弱いただの子供。

 ただ怯えた瞳で縋るように見上げてくるレミリアを、さとりはまるでゴミでも見るかのような目で見下して吐き捨てる。

 

「この世界で何かを得たいのなら、自分の手で勝ち取るしかないわ」

「……」

「どんなに絶対的に深い暗闇しか見えなくても、どんな手を使ってでもそれに抗おうとする気の無い奴になんて、決して何も起こりはしないわ! だから――」

 

 そう言いながら、さとりはもう一つ隠し持っていた、吸血鬼の弱点である銀のナイフを片手に、レミリアに向かって地を蹴った。

 

「――抗いなさい」

 

 そして、静かにそう告げる。

 レミリアは恐怖した。

 だが、それは自分に向かってくるさとりにではない。

 

 さとりがどんな手段を使っているかはわからない。

 だけどあと数分。

 いや、もしかしたら数秒しかないかもしれない。

 それで全てが終わってしまう。

 

 ずっと、それだけを望んできた。

 ずっと、それだけを求め続けてきた。

 それさえ叶うのなら、何もかもを捨ててもいいと思っていた。

 

 ――あの子が

 

 

    ――ありがと、おねえちゃん。

 

 

 ――いつか、もう一度笑ってくれるのなら……

 

「――っぁぁぁぁあああああああああああ!!」

 

 レミリアは力の限り叫ぶ。

 ただひたすら、何も考えずに。

 

 運命を。

 

 自分の力を。

 

 今までの全てを。

 

 それからの何もかもを。

 

 全てを忘れ、力の赴くままに全てをさとりにぶつけようとして、

 

 

「――――何が見えたかしら」

 

 

 銀のナイフを粉微塵に粉砕して焼けただれたレミリアの左手の爪が、さとりの顔を抉り取る寸前で止まる。

 レミリアのその目に写っていたのは、自分の目の前で涼しい顔をしているさとりの姿。

 

 だけど、レミリアの瞳の奥に浮かんでいたのは――

 

「なん、で……」

「私にも貴方の知る運命が見えているからね。 私はちょっとしたきっかけを与えただけよ。 そして、貴方は変えようと思った。 だから変えられた、それだけよ」

 

 消えるはずのない死の運命は、そこから完全に消滅していた。

 そこにあったのは昨日までと同じ、ただ幻想郷の滅びる運命だけだった。

 だが、レミリアは未だに何が起こっているのか理解しきれていない。

 そんなレミリアに、さとりはさっきまでとは一転して優しく言葉を投げかける。

 

「何度だって言うわ。 貴方がいくら無理だと言おうと、運命は変えられる」

「……」

「それでもこの世界には絶望しかない? 抗う意味すらない?」

「私は……」

「違うでしょう? むしろ、貴方には誰よりも希望が見えているはずよ」

 

 そして、最後にさとりは呆然と立ち尽くすレミリアの頭を少し撫でながら通り過ぎ、振り向かずに囁く。

 

「だって、貴方には――」

 

 

 

 

 

 

 

 

「ふふっ」

「……何がおかしい?」

 

 ふと、笑い声が漏れていた。

 押し寄せる闇の津波を避けながら、ルーミアに向かって弾幕の嵐を放ち続けているレミリアは、ただ自らの何もかもを嘲笑していた。

 

「さあな。 強いて言うなら自分の滑稽さが、かな」

 

 

 ――そうだ。 馬鹿だったんだな、私は――

 

 

 自分のせいじゃない。

 この世界が悪い。

 どうしようもない絶望だけしか存在しない、この世界が悪い。

 そう決めつけて、勝手に自分が不幸なのだと思っていた。

 救いなど何もないのだと嘆いていた。

 

 だけど、違った。

 ただ自分が未熟なだけだった。

 ただ自分が逃げていただけだった。

 思い通りにならない世界に、立ち向かい続ける勇気が無いだけだった。

 

 

 ――それなのに、私はこんなにも長い間、何を枯れたフリなどしていたのだろう――

 

 

 どんな力を持った妖怪も、神も、あの霊夢ですら決して変えることなどできない運命。

 だけど、それは変えられる。

 誰にできなくとも、『運命を操る』ことのできる自分になら変えられる。

 

 

 ――そう。 運命を変えること。 それは他の誰にもできない、世界でただ一人私だけに許された『特権』なのだ――

 

 

 そこにあるのは、他の誰にも成し得ない希望。

 容易くはない、けれどそれでも、世界を変え得る力。

 自分を包み込んでいたのは、くだらない人生なんかじゃなかった。

 

 

 ――為ればこそ、私は生れて初めて神に感謝しよう――

 

 

 だから、もう決して歩みを止めないし、何も恐れない。

 どんな運命を前にしようとも諦める理由なんて何一つとしてない。

 たとえ未来に待っているのが絶望だけだとしても、それでも構わない。

 

 

 ――決して変わらぬ絶望の運命を、世界を、全てを打ち砕ける力がこの手に宿っているのだから!!

 

 

 ――そして――

 

 

 ただ一人笑いながら弾幕を撃ち出し続けているレミリアは、しかし既に限界だった。

 幾度となくその闇に飲まれかけ、感染した腕を、足を、内蔵を、頭すらも、すぐに切り捨てて再生し直す。

 だが、残された魔力でレミリアが再生できたのは半身だけだった。

 満月の夜だからこそ可能なその戦法は、それでも徐々にレミリアに残る体力を、魔力を奪っていく。

 

「どうした、その程度か? あまりガッカリさせてくれるなよ、闇の帝王よ」

 

 そんな状況でなお、レミリアは強気にそう言う。

 そこに残されているのは、全てを再生しきる余裕すらなく、存分に力を発揮することなどできない左半身。

 もう、その闇をほんの少しすら切り裂くことのできない程度の魔力。

 それでも、その目にだけは、もう誰にもどうしようもないくらい強い光が奥底まで根差していた。

 

「……ああ、そうだな。 本当にガッカリだ」

 

 そして、ルーミアは白けた目でレミリアを見ながら、

 

「お前を連れ戻すことすらできなかった、今の私の無力さがな」

 

 遂に臨戦態勢に入った。

 恐らくもう戻ることのないであろう、その目の奥にあったはずの暗く淀んだ色。

 ルーミアはまるで、その色への餞のように一瞬だけ黙祷して言う。

 

「だけど、せめてお前に相応しい最期くらいは贈ってやるよ」

 

 そして、気づけばレミリアの周囲には一瞬にして黒一色に彩られた景色が広がっていた。

 全てを飲み込み急成長する闇の花畑。

 束になって形成された大きな闇の蔓に、レミリアは掴まれかけていた。

 だが、レミリアは動かない。

 ただ静かに、自らに片方だけ残された左腕を振り上げて言う。

 

「……ならば、私も全霊をもってそれに応えるとしよう」

 

 誰もが平伏すはずの吸血鬼の全力の力が、制御しきれないほどに強大化してその手の中で渦巻いている。

 だが、その力の渦すらも今のルーミアには全く届かないであろうことは明白だった。

 たとえ逃げたところで、立ち向かったところで、決して敵わぬと本能が告げていた。

 それでもレミリアは、狙いすら定まらないその力をただ全力で解放する。

 そして、為す術もなくレミリアが闇に飲み込まれかけて……

 

「――月符『サイレントセレナ』」

 

「――幻象『ルナクロック』」

 

 レミリアの姿が、次の瞬間ルーミアの視界から消えた。

 

「なっ!?」

 

 ルーミアの目前にあったのは闇に阻まれて飲み込まれていく、しかしそれでもルーミアの視界を遮るように存在する大量のナイフ。

 そしてその頭上から降ってくる、眩いばかりに増幅された月の光と、

 

「紅魔、『スカーレットデビル』!!」

 

 その月の光を存分に浴びて、最初よりもさらに強大な力を纏ったレミリアの放った光柱だった。

 月よりも明るく、太陽よりも眩しいその光は、さっきまで全く貫くことのできなかった闇の壁を霧散させて突き進む。

 やがてルーミアの元にたどり着いた光は乱反射し、幻想郷に束の間の朝を導いた。

 

「っぐ、ぁぁああああああっ!!」

 

 その朝は日の光を浴びた余韻すら残さないほど一瞬で、再び完全な暗闇へと戻っていく。

 だが、そこにあったのは一面の暗闇だけではない。

 闇が支配する景色の中心には、その黒を押しのけるほどの赤い色が飛び散っていた。

 

「お前たちは……」

 

 その身を焼かれ、焦げ落ちた傷跡から血を滴れ流しているルーミアが恨めし気に空を睨むと、そこには2つの影が浮かんでいた。

 

「あーらら。 これでもまだダメとは、正直もう万策尽きたってところね」

「ダメですよパチュリー様。 諦めたら試合終了ですよ、ね、お嬢様」

「……ええ、そうね」

 

 

 ――……そして、もし許されるのならば、私はもう一度だけ感謝しよう――

 

 

 そこにいたのは、いつものように少し眠たげな声を出すパチュリーと、笑ってレミリアに語りかける咲夜の姿だった。

 まるでいつもの食事風景のごとく気楽な雰囲気を出している3人。

 それでも、その目はルーミアだけをしっかり見据えて身構えていた。

 そこでふいにレミリアが、2人に目を向けることすらなしに口を開く。

 

「ねぇ。 パチェ、咲夜」

「何よ」

「何ですか、お嬢様」

「私は今まで、この幻想郷を見捨てていたわ。 自分の目的のために、貴方たちが生きるこの世界を」

 

 レミリアは少しだけ懺悔するかのように言う。

 だが、その声に弱弱しさなど全くなかった。

 まるで一国の王のような上から目線の態度でそんなことを言うレミリアに、パチュリーはため息をつきながら言う。

 

「レミィが周りに迷惑かけるのなんていつものことじゃない。 今さら気にすること?」

「かまいません。 私はいつも、お嬢様の仰せのままにいますから」

「いや、お願いだから咲夜はレミィを止めて」

「すみませんが、今日ばかりは丁重にお断りさせていただきます」

「……それも、いつものことでしょ」

 

 そんなパチュリーと咲夜の反応を聞いて、レミリアは小さく笑う。

 それは、とても切羽詰まった状況でするようなものではないバカ話だった。

 

 それを見ていたルーミアは、何も言わず奇襲するかのように3人を闇で振り払った。

 身体の再生をできないパチュリーと咲夜など、今のルーミアにとっては本当に手を払えばそれで息絶える羽虫と同じ程度の存在なのである。

 少しでも気を抜けばその瞬間死が待っている、危機的状況。

 

「時符『プライベートスクウェア』!!」

 

「日月符『ロイヤルダイアモンドリング』!!」

 

「夜王『ドラキュラクレイドル』!!」

 

 だが、その声は恐怖で震えるどころか、かつてないほどまっすぐに響き渡っていた。

 

 時空が歪んでいく。

 ルーミアが、ルーミアの放った闇が……いや、辺りに吹く風の流れさえも全てが時に置き去りにされていく。

 何もかもがゆっくりと動く中で、咲夜の放ったナイフだけが、ルーミアの纏う闇の動きを掻き乱すように高速で乱舞する。

 その隙に太陽と月が交錯し、日光に照らされた闇が消耗し、月光に照らされたレミリアの力が増幅していく。

 そして、暴走した力を纏ったレミリアのその腕の一振りとともに辺りを包む闇が爆散し、3人はその隙間を突き進んだ。

 

 そのスペルを唱えるまで、いや、唱えてなお、3人は互いに一度たりとも目線を交わさない。

 一瞬たりとも目線を外してはいけない相手だということくらいは、本能で理解していたからだ。

 だがそれ以上に、たとえ見なくとも、口には出さずとも、その脳裏には互いを信じて動いている2人の姿が確かに浮かんでいたのだろう。

 それくらいの絆があることはわかっていたから。

 だがら3人はお互いの姿を、無事を確認することすらなく、ただ目の前のルーミアの姿だけをしっかりとその目に捉えていた。

 

「まったく、もう何でもいいからさっさと終わらせてお茶でも飲みましょうか、レミィ、咲夜」

「承知致しましたパチュリー様。 行きましょう、お嬢様!」

「ええ。 しっかり私についてきなさい――パチェ、咲夜!!」

 

 

 ――こんなにも素晴らしき友に巡り会わせてくれた、その運命に!!

 

 

 そして、何者も恐れぬ希望をその目に宿した3人は、軽口をたたきながら一斉に虚空を蹴った。

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ちぇっ、ちょっと妬けちまうぜ」

 

 既に妖怪の山から離れていた魔理沙は、魔法の森を進みながらそんなことを呟く。

 

 急スピードでルーミアから逃げている途中、パチュリーだけは一人浮かない顔をしていた。

 まだ迷っていたような表情のパチュリーだったが、その横を咲夜が颯爽と走り抜けていった。

 こちらに気付いて一瞬だけ目を向けたものの、そのままスピードを落とすことすらなく過ぎ去っていく咲夜をパチュリーは引き留めて、

 

  ――ごめん魔理沙、やっぱり私はレミィと一緒に戦うわ。

 

 それだけ言い残して、パチュリーは咲夜と一緒にレミリアのもとに向かった。

 それを、魔理沙は止めることなどできなかった。

 止められる訳がなかった。

 

「……まあ、しょうがないよな。 あれがパチュリーの選んだ道なら、私はそれでいいさ」

「……」

「何だよ、その目は」

「いや、なんでもないさ」

 

 本当は、レミリアよりも自分のことを選んでほしかった。

 そう思いながらも強がって言い訳する魔理沙を、藍は少し生温かい目で見ていた。

 それに少し居心地の悪さを感じたのか、魔理沙が真面目な口調に切り替えて藍に言う。

 

「それより藍……私に、霊夢のことで何か言うことがあるんじゃないのか?」

「……」

 

 それを聞いた藍は、露骨に魔理沙から目を逸らした。

 だが、魔理沙はそれを追及するでもなく、ただ黙って飛びながら藍が自分から話すのを待っていた。

 やがて、藍がゆっくりと口を開く。

 

「……もう予想はついているとは思うが、霊夢のあの力は、封印した「力」の要素によるものだ」

「ああ、やっぱりな」

 

 ルーミアは霊夢を取り込んだ際、「やっと戻った」と言っていた。

 それが、元々ルーミアの持つ力であったことくらいは、魔理沙にもすぐに予想できた。

 

「だけど、私が聞きたいのはそこじゃない」

「……」

「お前は……お前たちは、今までずっと霊夢を封印のための人柱として利用してきたのか?」

 

 ずっと霊夢の傍にいた紫。

 そして、それをサポートし、見守ってきた藍。

 魔理沙からは、2人の姿は霊夢の家族のように映っていた。

 他に身寄りのない霊夢の、心の支えなのだと思っていた。

 だから、それが偽りの信頼だったなどと思いたくはなかった。

 

「……最初からそういう目的が全くなかったと言えば、嘘になる」

「……」

「だが、そうするつもりはなかったし、そのためだけに霊夢と一緒にいたつもりもなかった。 霊夢は……私たちの、大切な家族のようなものなのだから」

 

 藍は、目を逸らしたまま呟くように言う。

 どんな誹りでも受ける覚悟はあった。

 だが、それを聞いて魔理沙は安心したように言う。

 

「そうか、ならいい」

「……それでいいのか?」

「ま、お前が不器用なのも嘘が下手なのも知ってるしな。 ましてや、こういうことに嘘をつくような奴じゃないことくらいはわかるさ」

 

 魔理沙には、それだけわかれば十分だった。

 霊夢の中にあるものが何だったのかは別にどうでもいい。

 霊夢に近づいた当初のきっかけが、目的が何だったのかも、どうでもいい。

 ただ、藍や紫に霊夢を想う気持ちがあるのなら、それでいいと思っていた。

 だから、魔理沙が気になることはあと一つだけだった。

 

「なぁ藍。 霊夢とにとりは……まだ、生きてるのか?」

「……わからない。 だが、奴があの闇の中から物を取り出したことを考えると、ただあの中に取り込まれているだけだという可能性もある」

「紫たちも……か?」

「……その可能性も含めて、な」

 

 藍は、あの能力について詳しくは知らない。

 藍のその言葉がただの希望的観測に過ぎないことが、魔理沙にもわかっていた。

 だがそれでも、魔理沙はそれを聞いて元気を取り戻したかのように笑顔になった。

 そして、いつものような口調で話し始める。

 

「じゃあ、それなら私たちも今できる限りのことを頑張らないとな! それで、私たちはこれから何をすればいいんだ?」

「……ああ」

 

 そんな魔理沙を見て、藍は少しだけ笑った。

 ここにいるのが自分だけだったのなら、そんな僅かな希望にすがって前を向けるほどの精神的余裕はなかったからだ。

 ずっと子ども扱いしていた魔理沙が、わずかながらも今の自分の心の支えになっていることを、嬉しく思っている自分に気付いたからだ。

 そんな魔理沙にしっかりと応えるべく、藍は真面目な表情に切り替えて話し始める。

 

「現状で私にはもう戦う力はないうえに、スペルカード抜きではお前も戦力としては心もとない。 だから、私たちに今できることは…」

「あ、……ちょっと、待てっ!」

 

 そう言って魔理沙が少しだけ身を逸らすと、黒い影を纏った異形の妖怪が魔理沙が元いた空間に向かってその腕を振り下ろしていた。

 さっきから、すれ違う者のほとんどが闇の力を纏いながら襲いかかってきている。

 狼や熊のような野生動物から辺りを彷徨う妖怪まで、全てを相手取っていたらキリがないほどになっていた。

 だが、魔理沙は流れた体勢のまま指先から放った魔法波を妖怪の頭部にぶつけて気絶させ、また何事もなかったかのように体勢を立て直して進み始める。

 その魔理沙の動きを、藍は何を言うでもなくただじっと見つめていた。

 

「……なんだよ」

「いや……少し訂正しよう。 お前も少しは頼れるようにはなってきたな」

「っ!? 何だよ、気持ち悪い!」

 

 魔理沙は照れくさそうに目線をそらす。

 だが、魔理沙にはそれが残された時間の、力のほとんどない藍の精一杯の受け答えなのだと、なんとなくわかっていた。

 

「まあいい、続けるぞ。 今私たちがすべきことは……2つだ」

「それは?」

「まず一つは博麗大結界の再構築だ。 が、現状でそれを構築できるような者はいない」

 

 藍の知る者の中でそれができるのは、紫、霊夢、そして可能性があるとすれば永琳や映姫、そして神奈子と諏訪子だった。

 つまり、博麗大結界を張れるような人材は既にいないのだ。

 

「いないって……じゃあ、どうするってんだよ!? 例えばお前が…」

「わかっているとは思うが、私にはもうそんな力は残っていない。 幻想郷にいられるのすら、もってあと2時間程度だろう」

「……っ」

 

 わかってはいたことだが、改めて本人からはっきり言われると魔理沙は息が詰まりそうになる。

 

「なら、私は何をすればいい」

 

 だが、だからこそ魔理沙は自分がすべきことをしっかり確認しておこうとする。

 その魔理沙の真剣な表情を見て、藍は少し安心したように続ける。

 

「……ああ。 だから、お前には博麗大結界を構築できる人材を探してほしい。 お前の友好関係の範囲は多分もう私よりも広いからな」

「探すって、どんな奴を……」

「そうだな。 普通ならば新しい博麗の巫女が2,3年かけて習得するものなんだが……そんな時間はない。 霊夢のように直感で構築できる天才か……あるいは高い知能と能力を持つ者ならば博麗神社にまだ微かに残っている結界の残照を参考にして構築することも可能だろう」

「いや、そんなこと言われても……」

 

 条件が漠然としすぎていて、魔理沙はうまく判断できない。

 

「それって例えば…」

「それを探すのがまず一つだ。 そして、もう一つ」

「って、ちょっと待て、もう終わりか!?」

「ああ。 今、博麗大結界について私から説明できることはそれだけだ、それについての判断はお前に任せる」

 

 藍は急かすように話を進める。

 魔理沙は納得のいかない表情だったが、すぐに頭を切り替えた。

 

「もう一つは……」

「……何だよ」

「だが、それは危険な…」

「危険かどうかなんて聞いてねえよ、何をすればいいんだ?」

「……ああ。 奴の力の糧。 ただの感染者とは違う、闇の支柱たちを止めることだ」

「闇の、支柱?」

 

 魔理沙には、その単語は少し聞き覚えがあった。

 支柱という言葉。

 それは、確かにルーミアの口から発された言葉のはずだった。

 

「順を追って話そう。 奴の今の能力の原動力は感染者だけではなく、この世界の闇全てだ。 そして、その闇は幻想郷に住む者たちの負の感情から生まれる」

「負の感情?」

「ああ。 大まかに分けて、絶望、嘆き、怒り、憎悪の4つ。 そして、そんな感情を司る支柱たちがそれぞれ存在しているはずだ。 現状で最も強い感情を持ち、極限までその力を高めた奴らがな」

「それが、にとりやレミリアって訳か」

「ああ、そういうことだ」

 

 魔理沙は、ルーミアがにとりのことを嘆きの支柱と呼んだことを覚えていた。

 そして、レミリアもその支柱の一人だったと考えられる。

 

「なるほど。 じゃあその支柱って奴らを倒せばいいってことか」

「ああ。 だが異変の影響で力を持った奴らは多くいるが、その支柱だけは別格だ。 元々大した力を持たない河城にとりですら、全盛期の私を超える力を持っていたのだからな」

 

 魔理沙もそれを重々承知していた。

 魔理沙とパチュリーと、弱っているとはいえ藍さえもいてなお、にとりに全く歯が立たなかったのだから。

 個としての力がそれほど大きくはないはずのにとりでさえ、妖怪としては最上級の力を持つ藍の全盛期を上回る力を持っていたという。

 もしレミリアのように、元々大きな力を持っている者がそれを手にしてしまったとしたら、その力は計り知れない。

 事実、魔理沙が残った全てを懸けるように放った全力の最終兵器は、レミリアに片手で消されてしまったのだ。

 一体くらいその支柱を何とかしたいとは思うが、自分一人ではそれが無理であることを魔理沙は悟っていた。

 ましてや藍はもうほとんど動けず、パチュリーすらいない状態で倒せる相手ではなかった。

 だが、魔理沙の表情はまだ希望を宿していた。

 

「だけど、勇儀やさとりなら…」

「何?」

「アリスが今、地底の奴らに協力してくれるように頼んでいるはずなんだ。 ……多分、少なくとも勇儀は私たちを助けてくれると思う」

「勇儀、だと……? それは星熊勇儀のことかっ!?」

「ああ」

 

 藍は本気で驚いた顔をしている。

 実際に地底を取り仕切るような政治的活動はしないものの、その力は実質的には今の地底のトップであると言っていいほどの実力者。

 それと話をつけてきたことなど、普段の魔理沙だったらかつてないほどのドヤ顔で胸を張れる話だが、今の余裕のない魔理沙はそうせず、ただ冷静に続ける。

 

「まぁその辺はアリス次第だけど、きっと何とかしてくれる。 それに、アリスが戻ってきてるのなら、もしかしたらあいつなら博麗大結界も何とかしてくれるんじゃないかと思う」

 

 アリスは、特段目立った能力を持った妖怪ではない。

 それを必要以上に持ち上げる魔理沙に、少しアリスを買いかぶりすぎではないかと言おうとしたが、藍はそれを止めた。

 既に魔理沙の行動は藍の想定を遥かに超えるものになっている。

 それならば、今の無力な自分よりも、魔理沙の判断の方が正しいのではないかとすら思ったのだ。

 

「なるほどな。 ……では、それに関してはお前を信じて任せるとしようか」

「任せるって……お前はどうするんだ?」

「私にも、現状を打破できる可能性のあることに、あと1つだけ心当たりがある。 私にそれができるかはわからないが……少しでもやれることはやっておこうと思ってな」

「そうか」

 

 それは、さっきまで藍は無理だろうと、やるだけ時間の無駄になるだろうと思っていたことだった。

 だが、藍が無理だと思っていたことを次々と成し遂げていく魔理沙を見て、自分も何かをすべきであると決断したのだ。

 

「……それでは、私はもう行くとしよう。 彼女たちがいつまで奴を足止めできるかはわからない。 事態は一刻を争うからな」

「ああ。 ま、パチュリーたちなら大丈夫だと思うけどな」

 

 レミリアたちがどれだけ時間を稼げるか、という計算を頭の中でしていた藍だったが、魔理沙は少し違った。

 少なくとも、魔理沙はレミリアたちが負けることなど考えてはいなかった。

 

 霊夢に紫、神奈子に諏訪子。

 それだけではなく、魔理沙は相手にしたらまず自分では歯が立たないであろう相手を数多く知っている。

 だが、チームとして絶対に敵に回したくないのは誰かと聞かれたら、それは霊夢たちでも神奈子たちでもない、紅魔館のメンバーだと魔理沙は即座に答える。

 幻想郷でも最強クラスの破壊力とスピードと再生力を持つレミリアに、あらゆるサポートや遠距離攻撃に長けたパチュリー、そして時間操作という反則的な能力を使って独自の世界を創り出す咲夜。

 そこに近接戦のスペシャリストの美鈴やもう一人のサポートの小悪魔が揃えば非の打ちどころがないが、たとえその3人だけでも、誰も敵うはずのない無敵のチームだと魔理沙は思っていた。

 だから魔理沙は、今自分のすべきことはルーミアに対抗できる策を練ることではなく、その他の不安要素をどうするかということだと考えていた。

 

「じゃ、とりあえず私もさっさとアリスと合流してくるぜ。 あいつは多分、もう紅魔館に着いてるはずだからな」

「わかった。 それでは健闘を祈る」

 

 それだけ言って、藍は今までの道から外れて一人で走り去ろうとする。

 それを見た魔理沙は少しだけ足を止めて言う。

 

「藍!!」

「何だ?」

「……明日、さ。 久々に博麗神社で霊夢や紫と一緒にお茶でも飲もうな」

「……ああ、そうだな」

 

 藍は少しだけ優しい目を魔理沙に向けて、そのまま森の中に消えて行った。

 そして、魔理沙はすぐにまた飛び立つ。

 その目は前だけを見ていた。

 

 ――絶対、取り戻す。

 

 レミリアたちの方を振り返らない。

 藍の行った方向に視線を向けない。

 ただ、まっすぐ前だけを見つめて、

 

 ――皆が笑っていられるような明日を……霊夢も、にとりも、きっと藍たちもいてくれるような、

 

「そんな明日を……私は、絶対に諦めてなんかやらねえからなっ!!」

 

 そう、誓うように口にした魔理沙は、紅魔館へと一直線に飛んで行った。

 

 

 


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