東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第12話 : 化物

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第12話 : 化物

 

 

 

 

 

 あまりに突然の出来事に、誰も口を開けなかった。

 いや、開くことすらできなかったという方が正しいだろうか。

 いつも軽くあしらっていた、いつもと同じ姿の小さな妖怪。

 あえて視覚的に変化があるとすれば、少しだけ長く伸びた髪と、その頭につけていた大きなリボンの代わりに蛙のような帽子をかぶっていたことだけだった。

 だが、それは全くの別人といえる雰囲気を纏っていた。

 

「なん、なのよ、あんたは……」

 

 霊夢だけが、辛うじてその声を発することができた。

 だが、その目には一切の余裕はない。

 目の前にいるそいつがとてつもなく危険なものであると、直感が、本能が告げていた。

 それは、霊夢以外の者ですら同様だった。

 動くことすらできず、それでも心の底から「逃げろ」という危険信号だけが湧き上がっていた。

 

「どうして、だってお前は…」

「ああ、そのつまらない反応……懐かしいな九尾の妖狐。 だけど、もう薄々勘づいてはいたんだろ?」

「っ……ああ、そうだな」

 

 藍はにとりが感染していることを知った時、計画に支障が出ているだろう予感はしていた。

 だから、霊夢や魔理沙たちを不安にさせてはいけないと、藍は少しでも強がって見せようとする。

 だが、そう思えば思うほどに、体はうまく動かなくなっていった。

 

「お、おい、藍! 何で、ルーミアが……」

 

 そして、その重圧に耐え切れなくなった魔理沙が会話を遮るように震えた声で問い詰める。

 

「紫様が「存在」の要素を封印した容れ物……それが、ルーミアという妖怪だ」

「っ!!」

 

 闇の能力と聞いた時、魔理沙は少しだけ予想はしていた。

 だが、普段とはあまりにかけ離れたルーミアの雰囲気を前に、魔理沙はうまく対応できない。

 そして、嫌でもその目に入ってくる見覚えのある物体。

 諏訪子がいつもかぶっていた蛙の帽子。

 魔理沙が何度も奇襲をかけて盗もうとして、それでも触れることすらできなかったそれは、ボロボロになってルーミアの頭に乗っていた。

 

「おい、それは……まさか、洩矢様は…」

「洩矢様? ……ふふふ、なるほどなるほど。 お前はもう八雲紫から乗り換えていたのか、この尻軽め」

「いいから、答えろ!!」

 

 この状況を愉しむかのように藍をからかって笑い始めるルーミア。

 だが、それとは対照的に他の誰にも笑う余裕すらない。

 

「私はお前のそういうところは嫌いじゃないよ。 わかっている現実から少しでも目を逸らそうとする、その歪んだ性格はな」

「おいルーミア、さっきから話を逸らしてんじゃ…」

「安心しろー、あの蛙ならさっき消してきたさ」

「……え?」

 

 堪えきれずに叫んだ魔理沙は、その二の句を継げなかった。

 神々の中でも最高位に位置するはずの諏訪子。

 だけど、ルーミアはそれをまるで歯を磨いたと言うくらい気軽な口調で、ただ消したという。

 

「……ははは、なんだよそれ、冗談もほどほどにしろよ!! お前程度の妖怪にどうやって諏訪子が…」

 

 魔理沙が声を震わせながら叫ぶ。

 だが、今のルーミアがただの低級妖怪と呼べるような代物ではないことは、魔理沙にもわかっていた。

 それでも、心のどこかでは未だに信じられずにいた。

 それを聞いたルーミアは、少し首をかしげながら答える。

 

「そうだな……こうやって、かな」

 

 突然ルーミアがその腕を振り上げる。

 何をしようとしているのかわからず、一瞬戸惑った魔理沙だったが、

 

「お前が動くと、死ぬぞ」

「――っ!?」

 

 ルーミアのその忠告の意味を、魔理沙は考える余裕すらなかった。

 直感のままにその身を屈めると、そのままルーミアの腕から溢れだした何かが魔理沙の上を細く広がっていく。

 魔理沙は、何も考えていなかった。

 ただ、本能から湧き上がる恐怖に導かれるように身を屈めただけだったが、

 

「ぁっ……」

 

 後ろから、消え入りそうな声が聞こえかけて振り向く。

 そこには……

 

「え?」

「だから言ったろ? 動くと死ぬって」

 

 返事はなかった。

 ただ首のない身体と、目を見開いたまま地面に転がっているにとりの首だけが目に入った。

 それを見て、魔理沙は呆然としたまま、

 

「そんな、にとり……嘘、だろ……ぅわあああああああああ!?」

 

 泣きながら駆け出す。

 他に何も見えていないかのような目で、ひたすらに走る。

 ただ、その耳に届いていた言葉だけは消えなかった。

 自分が動いたせいで、などという訳のわからない自責の念にとらわれながら、魔理沙の表情は崩れていく。

 その姿を見て、ルーミアは満足そうに笑っていた。

 そして、魔理沙は無残に転がったそれを拾い上げようとして、

 

「落ち着け、魔理沙!!」

「っ――!!」

 

 その首が、紙になって崩れ落ちる。

 魔理沙の見覚えのある、十字型の紙の束。

 それは、藍の使う式神の札だった。

 

「え……?」

「……何とか、間に合ったか」

 

 いつの間にか、藍がにとりを抱えて立っていた。

 だが、藍はもう限界だった。

 にとりの攻撃で傷つき、ほとんど霊力が残されていない藍には、一度身代わりの式神を出すだけが精一杯だった。

 それに気付いて、藍のことを未だ信用していなかったにとりが声を漏らす。

 

「なんで、私を……」

「……別に、意味なんてない。 私はただ、お前を護れという紫様の命令に従ったまでだ」

「でも、お前は!!」

「私のやり方がお前を追い詰めたというのなら謝ろう、すまなかった。 ……だが、私は他にやり方を知らんのだ」

 

 式神は基本的には主人の命令だけに従って動く。

 そして、それが徹底できればできるほど、式神が出せる力は大きくなる。

 だが、そのためには多くの感情を押し殺さなければならない。

 それ故に、優秀な式神ほど相手の感情を汲み取ることが下手なのである。

 にとりを護れ。

 にとりに技術を開発させろ。

 紫からにとりに関してこの2つの命令だけを受けた藍には、ただそれを遂行することしか見えていなかった。

 

「だから……」

「あーあー、余計なことを」

 

 そのやりとりに、ルーミアがつまらなそうに口を挟む。

 だが、そのつまらなそうな表情の裏には、何かをあざ笑うような笑みが含まれているようにも感じられた。

 たった今にとりを殺そうとしながらも、そんな表情で挑発してきたルーミアに対し、霊夢は怒りを抑えきれずに睨みながら言う。

 

「余計なことって、何よ……」

「余計なことは、余計なことさ。 そいつも私の気まぐれに任せてそのまま死ねれば幸せだったかもしれないのになー。 その狐が横槍を出したばっかりに、更なる悲しみを背負うことになった訳だ」

「はあ?」

 

 霊夢は何を言っているのかわからず、不服な声を上げる。

 そして、ルーミアはただにとりに目を移して問いかける。

 

「なあ? 確かお前には、大好きな大好きな姉がいるんだろ?」

「っ――!!」

「え?」

 

 にとりは意に介してないようだった。

 だが、ルーミアがそう言うと、なぜかパチュリーが何かに気づいたように叫ぶ。

 

「やめなさい! それは…」

「いや……いた、とでも言うべきかな」

 

 それを聞いたにとりの表情が変わる。

 他の誰も知らなかった、にとりの姉の行方。

 にとりの目には既に、そのことを知っているかもしれないルーミアしか映っていなかった。

 一人、藍のもとを離れてルーミアに近づいていく。

 

「お、おい…」

「姉さんのこと、知ってるの!?」

「ふふっ……ああ。 そいつな、」

「ダメっ!!」

 

「もう、死んだよ」

「……え?」

 

 にとりはただ呆然とした顔でルーミアの方を見ながら固まっている。

 その目の焦点は合っていなかった。

 

「そんな……違う、そんなの嘘だ、だって……」

「ちなみになー、そいつはお前のことを恨んでたよ」

「え?」

「同じ姉妹のくせに自分と違って才能もあり、周りから疎まれもしない。 ただ自分に哀れむような目を向け続けてくる妹を、地の底で怨霊になってからもずっとな」

「まさか……」

 

 そこで魔理沙は何かに気づいたように声を上げる。

 地底で見た怨霊の記憶。

 世界を、何もかもを、そして、にとりを恨んだ怨霊の記憶。

 

「やめろ! それは…」

「まあ、たとえ私の言うことが信じられなくても、実際に地底に行ったこいつらの反応を見ればわかるだろ?」

「あ……」

「――っ!!」

 

 魔理沙とパチュリーは、しまったと言わんばかりに顔を引きつらせる。

 だが、もう遅かった。

 微かに光の戻りかけたにとりのその目は、また暗い色に侵食されていく。

 

「事実、なぜお前が真っ先にこんなものに感染したと思う? 一体誰がお前を貶めようと、お前に復讐しようとしたと思う?」

「違う……そんな訳ない。 だって、姉さんは…」

「はっ。 なんだ、お前がまだ気づいていないのなら、お前の姉に代わって私が言ってやるよ」

「!!」

 

 ――日符、『ロイヤルフレア』

 

 これ以上は、いけない。

 それを感じ取ったパチュリーがルーミアを止めようとして、

 

「このっ……!?」

 

 全力で放ったはずの火柱は発生した直後、辺りから溢れ出した闇に飲み込まれ、初めから存在していなかったかのように消え去った。

 そして、闇の波がそのままパチュリーに向かって広がっていく。

 

「恋符『マスタースパーク』!!」

「式神『十二神将の宴』!!」

 

 それに気づいた魔理沙と藍がその勢いを止めようと、とっさに自分ができる最大級の魔弾を放った。

 それはほんの一瞬だけ闇の波を止めたかに見えたが、それでもすぐに全てを飲み込んでパチュリーに襲いかかる。

 そしてパチュリーが飲み込まれる寸前……間一髪、飛び出していた霊夢がパチュリーを抱えて何とかそれを避け切っていた。

 

 だが、ルーミアはその一連の攻防に目を向けてすらいなかった。

 まるで何も起きていないかのように、ただにとりに語りかける。

 

「お前の姉はな、死ぬ直前までずっと…いや、死んでからさえずっと」

「やめろっ!!」

 

 魔理沙は遠くから叫ぶ。

 だけど、それは届かない。

 

「お前のことが――」

「やめろおおおおおおおおお!!」

 

「大嫌いだったんだよ」

「ぁ――――」

 

 にとりの口から、少しだけ声が漏れたように聞こえた。

 だが、にとりはもう何も感じてすらいなかった。

 ただ微かに涙を浮かべ、何もかもに絶望してしまったかのようなその目からはゆっくりと力が失われ、そのままにとりは膝から崩れ落ちていく。

 魔理沙は慌ててにとりのもとに駆け寄った。

 

「にとり!!」

「脆いもんだな。 まぁ、私としてはその方が好都合だけど」

「黙れよ! おい、にとり、しっかりしろ!!」

 

 魔理沙が必死に肩を揺すりながら呼びかけるが、にとりは何も反応しない。

 もう二度と何も見えることすらないのではないかと思うほど光の失われてしまった目は、閉じることもなく少しだけ開いていた。

 そして……

 

「魔理沙、離れろ!!」

「えっ―――?」

 

 突然、藍の放った式神に魔理沙が弾き飛ばされる。

 そして魔理沙がにとりから引き離された次の瞬間、にとりの身体が黒く染まって……消えた。

 

「え……にとり…?」

「ふぅ。 やっと揃ったか」

「っ!? お前は……っ!!」

 

 魔理沙は、ただ怒りのこもった目でルーミアを睨む。

 だが、その怒りはどう向けたらいいものかすらわからない。

 魔理沙が会ってきたどんな相手からも今まで一度として感じたことのない、確かな悪意。

 それに対する感情は、魔理沙が初めて感じるものだった。

 アリスとパチュリーがさらわれたとき勇儀に向けた怒りとは違う。

 全てを忘れて殺してしまいそうになるほどの、殺意。

 それを感じているのは、パチュリーも、その身に限界が来ている藍ですらも同じだった。

 

「……ああ、それだ、その目だ」

 

 だが、それを見たルーミアは恍惚とした表情になる。

 それを待っていたと言わんばかりに、満足そうに笑いながら3人を見つめていた。

 誰も理解できなかった。

 目の前の妖怪が何をしたいのか、何を言いたいのか。

 

「……ねえ」

 

 そんな中、霊夢だけが一人、無理矢理作ったような冷静さで呟いた。

 それに不満なルーミアが聞き返す。

 

「何だよ、博麗の巫女」

「こんなことして……あんたは一体、何が目的なのよ」

「さぁね。 聞きたいと思わないんだろ? お前には何もわからないから、聞くこと自体が無責任なんだろ?」

「それは……」

 

 霊夢が少しだけ口ごもる。

 そんな霊夢に向かってルーミアが満面の笑みを浮かべるとともに……突如として闇の中から何かが次々と飛び出してきた。

 

「だから、優しい優しいお前はきっと私のことも許してくれるんだろ? たとえ私がこの帽子も、標縄も、瓢箪も、鏡も、鎌も、弓も…」

「――っ!?」

 

 それは、どれも霊夢に見覚えのあるものだった。

 ボロボロの諏訪子の帽子。

 切れた神奈子の標縄。

 穴の開いた萃香の瓢箪。

 割れた映姫の鏡。

 刃が砕けた小町の鎌。

 折れた永琳の弓。

 突然飛び出したそれらを、ルーミアは全て目の前で粉々に粉砕する。

 

 そして――

 

「この、センスの悪い日傘も」

「っ!? 待って…」

 

 一つだけ、ルーミアは自らの手でそれを取り出す。

 それは、霊夢がいつも見てきたもの。

 ずっと霊夢の傍にいた紫の日傘は……そのままルーミアが虚空に投げるとともにぐしゃぐしゃに折れ曲がり、そのままバラバラに砕け散って再び闇の中に消えて行った。

 

「ぁ……」

「私が全部、消し去ったとしても」

「そんな……」

 

 霊夢や魔理沙だけではない。

 状況を把握していると思っていた藍ですら、自分の目を疑っていた。

 紫たちだけではない、既に神奈子や映姫、そして永琳すらも敗れたという事実に。

 

「だけど私はあの河童の望み通りに、幻想郷を支配するような奴らを消してやっただけさ。 だから私は悪くないんだろ?」

「……」

「それでも、私にも哀れみを向けるか? お前の大事な大事な相棒を、八雲紫を消した元凶である私にも」

「……ふざけんなよ」

 

 霊夢は呆然とした表情で膝をついたまま、もう何も喋らなかった。

 ただ信じられないという顔の目からは一筋の涙が流れていた。

 そして魔理沙は、まるで霊夢を挑発するかのようにうすら笑いを浮かべながらそんなことを言うルーミアに対し、もう我慢の限界が来ていた。

 魔理沙は、初めて自らに芽生えた殺意という感情に身を任せ、たった一人でミニ八卦炉を構えて言う。

 

「もう、喋るな。 お前はこの幻想郷にいちゃいけない」

「そうだなー。 いいよ、それなら私のことも煮るなり焼くなり好きにするといいさ」

「っ!! そうかよ、なら消えろよ、魔砲『ファイナルマスター…」

 

 魔理沙は全ての殺気を乗せて魔力を凝縮する。

 だが、そこから一瞬ルーミアの姿が消え、

 

「……ん? どうした、ほら、早くしろよ」

「ぐっ!?」

「なっ……」

 

 次の瞬間、魔理沙の目の前には、藍の首を無造作に掴んで盾のように自分の前に構えているルーミアの姿があった。

 

「何故ためらう? こんな、今日には消えるような式神一匹のために」

「お前は…」

「私を許せないんだろ? 消すんだろ? なら、それでいいだろ、早くすればいいさ」

「っ―ー」

 

 魔理沙のその手は震えていた。

 その態勢で固まったまま、ルーミアを睨む。

 ただ、その視界には、どうしてもその前にいる藍の姿が焼かれるように入ってくる。

 やがて魔理沙は悔しそうな表情のまま、構えたミニ八卦炉を下ろしかけた。

 そして、霊夢は……

 

「……ごめんね、藍」

 

 一人、震えた声で口を開いた。

 それに気づいた魔理沙が霊夢を見ると、霊夢はゆっくりと立ち上がり、ただ何かを堪えるように上を向いていた。

 

「へえ、切り捨てるか。 さすが、博麗の巫女は冷静だな」

「……ごめんね、紫」

「まさか、霊夢…っ!?」

 

 魔理沙には霊夢が何をする気なのかはわからない。

 ただ、ルーミアに掴まれている藍だけが、霊夢を見て焦った表情を浮かべていた。

 

「ごめんね、―――」

 

 そして、霊夢が誰かの名を呟いたように見えた。

 だが、それは誰にも聞こえなかった。

 ただ、霊夢の纏う気配が変わって――

 

 

「私……もう、我慢できそうにないわ」

 

 

 その瞬間、霊夢の姿が消えた。

 同時に辺りの闇が拡散して爆ぜる。

 

「――――え?」

 

 その間抜けた声を漏らしたのは、ルーミアだった。

 自分の周りを囲んでいた闇は弾け飛び、藍を掴んでいたはずの自分の左腕は消え去り、その肩から大量の鮮血が飛び散っていた。

 だが、ルーミアはそれを理解できない。

 ここには今、ルーミアの思う虫ケラ以外誰もいない。

 自分を脅かす者など存在するはずのないそこで、いつの間にか自分の片腕が爆ぜて消え去っていた状況を把握できなかった。

 

「な…」

 

 しかし、驚く声を上げる間もなく、いつの間にか藍の姿は消えている。

 そして、次の瞬間にはルーミアの胸に大きな風穴が空けられていた。

 ルーミアが貫かれた自分の胸を見ると、そこにあったのは血に染まった手。

 全てが赤く染められた巫女服の袖。

 鋭く吊り上がり、赤く光った二つの眼。

 そこでやっと、ルーミアは我に返る。

 

「あ”っ!? ああああああああああ!!」

 

 ルーミアはとっさに全ての闇を纏い、その力を自らに注ぎ込む。

 それに伴って、誰の目からもわかるほどに、ルーミアから発される力が増幅する。

 だが、ルーミアの周囲に存在した力は、増幅したそれを掻き消すほどに強大だった。

 その速さは、それでもやっとルーミアの目にさえ辛うじて見えるかどうかの速さだった。

 

 辺りの闇が飛び散って形を失くす。

 ルーミアの全身が切り刻まれる。

 ルーミアの身体が徐々に爆ぜていく。

 

「何だ、これ。 何が起こってるんだよ……」

 

 魔理沙は立ち尽くしたまま、声を漏らす。

 

 ――まさか……霊夢、なのか?

 

 そんな思考が魔理沙の頭をよぎる。

 そして、その考えを無理矢理に払拭する。

 その身に湧き上がっていたのは、ルーミアが現れた時以上の体の震え。

 言葉にできない、身の毛もよだつほどの恐怖だった。

 そんなものを、自分が霊夢から感じているなんてことは考えたくもなかった。

 だが、そこから目を背けていられるような状況ではなかった。

 

「なんなんだ、お前はスペルカードルールが無ければ何もできないただの人間じゃないのかっ!?」

 

 ルーミアは、訳がわからずに叫ぶ。

 既に魔理沙の目にすら映らない光速の移動。

 余裕の表情で挑発していたルーミアは、得体の知れないそれに追い詰められていた。

 

「なんで、こんな……だって、あいつは…」

「違うわ」

「え?」

 

 もはや誰に言っているかもわからない魔理沙の声を、微かに否定する声が聞こえた。

 何を否定されたのかはわからない。

 ただ、その声は魔理沙が何を言おうとしたかがわかっているかのように、はっきりとそう言っていた。

 

「一体、どういうことだよ」

 

 魔理沙は、そう呟くことしかできなかった。

 

「……そうね。 じゃあ一つ昔話をしてあげるわ」

 

 その声に答えるように、霊夢は迫り来るルーミアの闇を、身体を切り裂きながら、その声が届くよりも遥かに速い速度で動きながら言う。

 その姿はもう、魔理沙には見えない。

 だが、その声はどこか寂しそうな響きを放っていた。

 

「むかしむかし、幻想郷に一匹の化物がいました」

 

 そんな話が辺りに響きながらも、ルーミアに残っている右腕が飛ぶ。

 ルーミアはその傷口を闇で覆いながら少しずつ身体の再生を繰り返すものの、その再生速度は明らかに失うスピードについていけていない。

 

「その化物は、ただ何もかもを破壊し、奪い、終わらせるだけの存在でした」

「まさか、霊夢……っ!?」

 

 いつの間にか魔理沙の後ろにいた藍が、その話を聞いて焦った声を上げる。

 魔理沙には藍の感情を読むことはできない。

 だが、その目の奥に浮かんでいるのが明らかに悲しみの色だということだけはわかった。

 

「そして、幻想郷を壊される訳にはいかなかった妖怪の賢者は立ち上がり、それを止めようと必死に策を練りました」

「やめろ霊夢、もういい!!」

 

 藍が叫ぶが、それでも霊夢はただルーミアの闇を吹き飛ばしながら、藍の声など聞こえていないがごとく嘲笑するような声で続ける。

 

 相手の四肢を破壊しながら。

 辺りの景色を欠片すら残さないほどに蒸発させながら。

 敵味方問わず、あらゆる者に恐怖だけを撒き散らしながら……

 

「だけど、それでも化物は止まりませんでした。 やがて化物は山を消し去り、動物たちを殺し、妖怪たちを殺し、そして――」

「霊夢っ!!」

 

「その妖怪の賢者の……大切な人さえも殺しました」

 

 霊夢に向かって伸ばしかけた藍の手は、まるでスイッチが切れてしまったかのように地に落ちる。

 魔理沙とパチュリーはただ唖然とした顔でそれを聞いていた。

 理解が追いつかない。

 それでも、その化物というのが誰のことを指すのかだけはなんとなく理解できた。

 

「それでも、妖怪の賢者は幻想郷を守るために化物をどうあっても制御する必要がありました。 ……そこで生まれたのが、スペルカードルール」

「じゃあ…」

「そうよ。 スペルカードルールというのは、私という化物を縛り付けるために紫がつくった鎖。 私からこの幻想郷を守るために作られたシステムなのよ」

「……」

 

 魔理沙には、もう何も言えなかった。

 いつも、ただ殺傷力のない光の弾幕しか使ってこなかった霊夢。

 誰が相手でも、今回のにとりのように霊夢を殺しにかかる相手にでも、一度として威力のある弾幕を使わなかった霊夢。

 だが、霊夢は強い弾幕を使わなかったのではない、使えなかったのである。

 少しでも本気になれば、全てを壊してしまう。

 今まで魔理沙が見てきたのは、本当の霊夢の姿ではなかった。

 

「霊夢、お前は……」

「……ああ、そうかなるほど。 お前が――」

「――っ!!」

 

 だが、既に両手両足を失い満身創痍のルーミアが、それを聞いてなぜか笑い始める。

 その目は、もう霊夢を追ってはいなかった。

 ルーミアに微かに残ったその命を刈り取ろうと回り込んでいた霊夢も、それに気付く。

 そして、一歩遅れて藍は何かを察すると、

 

「魔理沙、逃げろ…」

 

 そう言いかけて、気付く。

 その闇が迫っていた先は魔理沙ではなく、藍だった。

 だがそれを理解した藍は、少し微笑むような顔でゆっくりと目を閉じ、心の中で呟く。

 

 ――ああ、よかった。

 

 自分ならいい。

 自分ならば、もう消えてしまってもそれでいい。

 紫の言いつけを守り切って、紫と同じ場所にいけるのなら、それでいいと。

 

 それはルーミアが自らの防御すらも全て捨てて放った、いわば捨て身の一撃。

 この隙に霊夢がルーミアを殺せばそれで終わりの状況。

 だが――

 

「藍っ!!」

「なっ……!? 来るな、霊…」

 

 霊夢はルーミアに突きつけかけたその霊力を、直前で曲げて藍のもとに向かっていた。

 藍を取り囲むように溢れ出した闇は全て爆ぜて消える。

 だが、ルーミアに背を向けた霊夢の身体を、次の瞬間闇が貫いていた。

 

「ぁっ……」

「霊夢っ!?」

 

 霊夢の全身が侵食されていく。

 そこにあったのは、中から染め上げられていくかのような感覚。

 その心の中が、暗く、深い闇の底に沈んでいくかのような感覚。

 そして、倒れこんだ霊夢は、

 

「嫌……なんで? やめて…もう、お願いだから…」

 

 目を見開いたまま微かに体を震わせていた。

 そこにあったのは、ただ何かに怯えるような霊夢の姿だった。

 

「ごめんなさい、ごめんなさい、私は……」

「しっかりしろ、霊夢!!」

 

 そして、そんな霊夢を見て、魔理沙は叫びながら駆け寄った。

 だが、魔理沙が伸ばしたその手が届く寸前に…

 

「霊夢っ!!」

 

 辺りの闇に溶け込んで、霊夢の姿が消えていった。

 

「あ……霊、夢…」

 

 魔理沙は立ち尽くす。

 その目に焼きついていたのは、初めて見た霊夢の怯えきった表情。

 そして、最後の表情だった。

 魔理沙は自分自身でも何なのかわからない、湧き上がってきたどす黒い感情に支配され、思わず呟いていた。

 

「殺す……お前を……っ!!」

「ふふふ、あははははははははは」

 

 そこに、突然高笑いが響いた。

 魔理沙が振り返ったその時には、満身創痍だったはずのルーミアは既に全身を再生させていた。

 その力は、最初に現れた時よりもさらに強大になっているようにすら感じる。

 

「あー、やっと戻った。 やっと……どれだけこの日を待ったことか。 なあ!!」

 

 殺意を向けている魔理沙のことなど、ルーミアは見てはいなかった。

 ただ勝ち誇った目で藍を見下して言う。

 

「ぁ……」

「屈辱だったよ……何百年もずっと無能で居続けるのは」

 

 藍は、魔理沙がかつて見たことがないほどの絶望の表情を浮かべていた。

 為す術の見つからないその状況に、抗う気力すら失っていた。

 

「だけど、これで終わりだ。 お前を消して、それで…」

「いい加減にしろっ!!」

 

 魔理沙は殺気立ったまま、ミニ八卦炉を再びルーミアに向ける。

 だが、それは全く相手にされていない。

 最大の殺意を向けている魔理沙を、ルーミアはまるで最初からそこに存在していないがごとく無視しながらただ藍に近づいていく。

 

「止まれよ……」

「いいぞー、お前のその諦めきった表情。 ずっとそれが見たかった」

「本気だぞ……私は、お前を――」

「じゃーな、狐。 その絶望を抱いたまま…」

「――っ、魔砲『ファイナルマスタースパーク』!!」

 

 そして、それは放たれた。

 一切手加減のない、魔理沙の最終兵器。

 小さな山一つくらいなら簡単に消し飛ばしてしまうほどの魔力の暴走。

 だが、ルーミアはそれに目線すら向けずに言う。

 

「……何だ、来たのか」

 

 その言葉とともに、魔理沙の砲撃は押し返される。

 ルーミアの前には誰かがいた。

 そいつは魔理沙に対抗する攻撃を放っているのでもない。

 ただ魔力のこもった手で押し返すように……魔理沙の砲撃を全て受けきっていた。

 

「なっ……嘘、だろ……」

 

 魔理沙には自信があった。

 たとえこれで終わらせることができなかったとしても、それでも深刻なダメージを負わせることはできると思っていた。

 だが、それはルーミアに届くどころか、突然現れたそいつに片手で消されてしまった。

 闇に飲み込まれたわけでもなく、何か特別な力で相殺されたのでもなく、ただ正面から。

 そしてその煙の中、ルーミアの前にあったのは……

 

「……レミリア?」

 

 無表情のまま立っているレミリアの姿だった。

 それを見たパチュリーは、唇を震わせながら弱弱しい声で問いかける。

 

「なん、で……嘘、でしょ?」

「……」

「答えてレミィ、貴方は!!」

「どうした? 今はお前が来る必要など無いんだけどな」

「ごめんなさい、別に来たことに意味はないけれど…」

「――っ」

 

 パチュリーは、口を動かしてはいるものの、もう声が出ていなかった。

 ただ、そこにあったのはレミリアがルーミアの言葉に答えたという事実だけだった。

 

「なんで……レミリア、お前は…」

「……もう、いいでしょう? 貴方たちは十分頑張ったわ」

 

 突然レミリアが発したその言葉に、魔理沙は困惑する。

 憔悴しきっていた魔理沙は、この状況でレミリアが助けに来てくれたのではないかという希望すらもった。

 

「レミリア、まさか私たちを助けに…!?」

「だから、もう諦めなさい」

「え……?」

「もう、貴方たちの足掻きに意味なんてないわ。 だって――」

 

 そして、レミリアはその光のない目を向けて言う。

 

 

「幻想郷は、滅びる運命にあるのだから」

 

 

 


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