東方理想郷 ~ Unknowable Games.   作:まこと13

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第11話 : 虐げられし者

 

 沈みかけの夕焼けが映える妖怪の山。

 その色が微かに薄まったと思われた瞬間、2つの立方体が結界となって霊夢とにとりを覆いこんでいた。

 

「これは…」

 

 それは、霊夢のスペルカード宣言とほぼ同時だった。

 警戒する間もなく周囲を取り囲まれてしまったにとりは、少しだけ困惑していた。

 そして、霊夢の登場自体が想定外だった魔理沙は取り乱しながら言う。

 

「霊夢! なんで、もう身体は大丈夫なのか!?」

「何よ大袈裟ね、あの程度の傷で寝てられる訳ないでしょ?」

 

 永琳の話では、霊夢は少なくとも一週間は動けないだろうということだった。

 それなのに、目の前の霊夢はそんな雰囲気を一切感じさせないのだ。

 霊夢のその言葉が本心から言えているものなのか、ただの強がりなのかはわからないが、魔理沙は再びにとりがそれを霊夢に向けている状況を思い出し、慌てて叫ぶ。

 

「霊夢、にとりが持ってるやつに注意しろ! 何だか知らないけど…」

 

 そして、魔理沙が言い終わる前に再びその音が鳴り響いた。

 全く躊躇なく霊夢の心臓めがけて発射されたそれは、

 

「霊夢っ!!」

「……そうね、見ればわかるわ。 秒速にするとだいたい800メートルってところかしら。 そんな速さで飛んでくる鉛玉なんかに当たったら、妖怪ならともかく人間なんてひとたまりもないでしょうね」

「えっ?」

「まぁ、弱ってるとはいえ藍やパチュリーならこの程度で死んだりしないから安心しなさい」

 

 霊夢の胸の前で、その右手に構えられた2枚の札によって挟むように受け止められていた。

 魔理沙にも、藍やパチュリーにすら何なのかわからなかったそれは、霊夢には見えていた。

 そして、にとりも敵意を見せるような目をして言う。

 

「なるほどね。 これが、博麗の巫女か」

「なるほどね……じゃないわよ!」

 

 霊夢は自分に向けられたそれを、まるで何の脅威とも思ってないかのようににとりを叱咤する。

 そして、今一度スペルカードを構え、

 

「今の幻想郷で殺し合いは御法度よ。 いい? 今から見せるのがこれからの喧嘩の仕方よ、見てなさい!」

 

 一方的にそう告げて飛び上がった。

 霊夢はスペルカードルールの説明なんてしなかった。

 にとりがスペルカードルールを知っていてあえて無視していることを、霊夢は知らないにもかかわらずだ。

 ただ、見ればわかると言わんばかりに、にとりに向かって周囲の結界から大量の弾幕が放たれる。

 

 ――ああ。

 

 そして、その瞬間世界が変わった。

 その光は夕焼けに染まった空を、満天の星空のように染め上げた。

 

 ――相変わらず、綺麗だ。

 

 夕焼けに映えるはずのない星空は、それでも結界の周辺だけがその赤に溶け込んで不思議な景色を創り出していた。

 その弾幕は見る者全ての心を照らし、魅了する。

 それは魔理沙だけではなく、瀕死の藍やパチュリーでさえも例外ではなかった。

 

 弾幕を見れば、その個人のだいたいの特徴がわかる。

 たとえば、威力と勢いに任せたパワータイプの魔理沙。

 様々な属性魔法を使い分け、手数で攻めるパチュリー。

 境界を操る能力を使って、予測不能な弾幕を操る紫。

 皆それぞれ違う特徴をもつ弾幕を使うが、その誰もに一つだけ言える共通点がある。

 それは、弾幕が最終的には「相手に当てるため」、「勝負に勝つため」に練りこまれたものであるということである。

 しかし、霊夢だけは別だった。

 

 それは、背景に合わせるように溶け込んでいく。

 まるで絵を描くように周囲の世界を美しく染め上げる光。

 隙だらけのよう見えて、一分の隙もない芸術の虹。

 たとえ戦いの最中であろうとも、それすらも忘れてただ見入ってしまうような弾幕。

 それはまさに、「美しさと思念に勝る物は無し」という、スペルカードルールのあり方そのものを体現しているかのようであった。

 

「……なるほどね」

 

 それを、霊夢と向かい合っているにとりさえも即座に理解する。

 守矢神社の異変で魔理沙と戦っていた時にはいまいち納得しきれなかったそのルール。

 ただ美しさこそが至高であるという考え方。

 相手を魅了したほうが勝ち。

 だが、たった今それがルールの全てである理由を理解させられたにとりは、一人呟くように言う。

 

「――くだらない」

 

「え?」

 

 魔理沙たちが見とれていたその星空は、突如としてその色を失い始める。

 ただ、元の夕焼け空に戻っていく景色の中に、喉を抑えて苦しむ霊夢の姿があった。

 

「ぁっ、ぐ……」

「霊夢!? おい、どうしたんだ!」

「どうでもいいよ。 美しいだとか、そうでないとか。 私の一番嫌いな考え方だ」

「まさか、これは……っ、霊夢、今すぐ結界を解け!」

 

 よく見ると霊夢だけではない、にとりの周囲にあった草木は枯れ、大地が砂となって形を崩し始めていた。

 藍のその声を聞いて、霊夢はその目を閉じながらも、激痛の走るその体に鞭打って結界につくった微かな隙間を潜り抜ける。

 結界を抜けた霊夢は、少しだけやせ細っているように見えた。

 喉を枯らし、口元からは微かに血が滲んでいた。

 

「霊夢、大丈夫か!?」

「……ええ。 これは多分、水分をやられたわね。 とっさに全身に結界を張ったおかげで助かったけど」

 

 にとりは、結界内の湿度を瞬間的に完全な0%にしていた。

 一般的には砂漠ですらありえないとされるその湿度は、闇の力で強化されたにとりの『水を操る程度の能力』によって可能になっていた。

 全ての水が吸い上げられ、極限まで乾燥していく。

 そんな状況に人間がいれば、まともに呼吸することすらできず、死に至ってもおかしくはない。

 それは、あまりに危険な裏切り行為だった。

 だが、スペルカードルールを否定され、殺されかけてなお、霊夢はただにとりに向かって面倒そうな目で語りかける。

 

「……あんた、一応言っておくけど今のはルール違反よ」

「……」

 

 にとりには反省の色など見えなかった。

 霊夢が助かって悔しそうにするでもなく、安堵の表情を浮かべるのでもない。

 ただ、何事もなかったかのように霊夢に問いかける。

 

「ねえ、ひとつだけ聞いていいかい?」

「なによ」

「さっきのあんたの弾幕が美しいのなら、ルールを破った今の私や……負けた奴は醜いっていうのか?」

「はあ?」

「いくら御託を並べても、結局それで勝つのは力のある奴や美しい奴だけなんだろ? 弱い奴に、醜い奴に生きる意味なんてないのか? 強いのが、美しいのがそんなに偉いのか?」

 

 ――そんなのが、正義なのか。

 

 ――そんなのが、幻想郷のあり方だというのか。

 

 そして、口には出さなくとも、にとりの表情はそんな嘲るような色を浮かべていた。

 

「別にそんなことはないわ」

「はっ。 もう聞き飽きたんだよ、そんな戯言は!」

「違うわ、どんな奴にだって…」

「っ、うるさい!! じゃあ、だったらなんで…っ!!」

 

 叫ぶようにそこまで言って、にとりは口を閉ざす。

 ただ悔しそうに唇を噛みながら、光を失った目には微かに涙が滲んでいた。

 

「まぁ、あんたに何があったのかは知らないけどさ」

「……別に知ってほしいとも思わないよ」

「そうね、私も別に知りたいとは思わないわ」

「……っ」

 

 そう言って、霊夢は再びスペルカードを構えた。

 にとりは憎しみのこもったような表情で霊夢を見る。

 

「なんだよ。 そんなこと言っておいて、結局それか」

「ええ。 それとこれとは話が別だからね。 幻想郷の決闘のルールはただ「美しい方が勝ち」。 私はただそれに従って、博麗の巫女としてすべきことをするだけよ!」

「……そうかよ」

「スペルカード宣言、霊符『夢想妙珠』!!」

 

 そう宣言するとともに、大きな弾幕が虹のように色彩を変えながら四方八方に飛び出し、にとりを取り囲むように回転していった。

 それもまた、光のコントラストが目を奪う、ただ美しさだけを追求した弾幕だった。

 

 だが、にとりはそれを見てすらいなかった。

 ただ一人立ち尽くす。

 弾幕がどんな軌跡を描こうとも。

 どんな景色が広がろうとも。

 それに決して目も向けずに、

 

「……ははは、はははははは」

 

 にとりは乾いた声で、笑い出す。

 その目は完全に死んでいた。

 何も信じていないような、ただ悲しみに支配されたような目。

 

 ――そうか、結局そうなのか。

 

 相手のことなど顧みない。

 力を持つ者は、いつもそんな風に力ずくで勝手な言い分を、欲望を貫き通す。

 どれだけ表向きは取り繕っても、それが結局強い者の、支配する者の、そして、世界の在り方なのだ。

 

 ――どうせお前たちにとって私たちは、ただそうやって支配して、嘲笑って、使い捨てるためだけにいる存在なんだろ?

 

 いつもそうだった。

 それは、永遠に変わらない強者の倫理だと知っていた。

 それは、永遠に悲しみを生み続ける世界の摂理だと知っていた。

 

 そんなことを、にとりはずっと見続けてきたから。

 

 

 

 

 

東方理想郷 ~ Unknowable Games.

 

第11話 : 虐げられし者

 

 

 

 

 

 妖怪の山に住む、河童を含めた多くの妖怪たちは、長い間ずっと鬼に支配されてきた。

 もう、それがいつの記憶だったのかもわからない。

 確かに言えるのは、そこにあったのは道徳も権利も何もない、ただ強者のための世界だったことだ。

 勝手なことをした。

 鬼に従わなかった。

 気に障った。

 ただの気まぐれ。

 そんなことで仲間が傷つけられ、殺されていく。

 だけど、それが当然のことで、逆らう気すら起きなかった。

 死んだら運が悪かった、しょうがないと思うしかない。

 自分たちにはどうしようもない、弱い自分たちが悪いと思うしかない。

 それが、世界のあり方なのだからと思うしかなかった。

 そんな日々だけが、ずっと続いていた。

 

 そして、たとえそんな日々に終止符が打たれる日が来ようと、歴史は繰り返す。

 

 鬼たちが地底に移り住むと、次は天狗による支配が始まった。

 鬼の時のような殺戮はない。

 だが、天狗には強い力だけではなく、鬼よりも高い知性があった。

 だから、その支配はもっと固く、逃れがたきものとなった。

 自由なんてない、ただ組織のためだけに奴隷のように動かされる。

 全てその組織の決まりに、倫理に染め上げられて支配される。

 

 だけど、それに慣れていた。

 逆らう力のない者に、希望なんてないことを知っていたから。

 

 だけど――

 

 

  ――どうして? いやだよ、待って、行かないで!! 姉さん――

 

 

 ……それでも、そんな世界でも、いずれ誰もが悲しみに気付いていく。

 それも、本当に大切なものを奪われてからやっと。

 悲しいという気持ちが、こんなにも苦しいものなのだと初めて気づく。

 

 ――それなら、そうなる前に消してしまえばいい。

 

 始まる前に。

 脅かされる前に。

 奪われる前に。

 悲しみに、気付く前に。

 

 そんな感情を、誰も感じることのないようにすればいい。

 この世界は素晴らしいと、誰もが思える世界を創ればいい。

 それを妨げる奴らが全部、消えてしまえばそれでいい。

 

 ――私はもう、お前たちが悪いとは思わない。

 

 ――だけど、今度は私がお前たちの全てを奪ってやるから。

 

 ――だから、もう心配しないで。

 

 ――私たちは間違っていない。

 

 ――悲しみだけを平然と生み出し続ける世界が間違っているって、私が証明してみせるから。

 

 ――そんな世界は、私が壊してみせるから。

 

 

 ――そして、いつかきっと、迎えに行くから――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 にとりは俯いたまま立ち尽くしていた。

 霊夢の弾幕が周囲を覆い尽くしてなお、にとりは動かなかった。

 霊夢に、その勝負に、一切興味を示さずに、

 

「……もう、いいよ。 わかった」

 

 投げやりな口調でそう言った。

 にとりは霊夢の弾幕に目を向けずに、持っていたその道具を、機械を全て投げ捨てる。

 ただ、そのまま静かに地面に手をつけて言う。

 

「だったら、今度は私たちじゃなくてお前たちが逃げ惑えよ」

 

 それとともに、妖怪の山が大きく揺れていった。

 大地が干上がったように地割れを起こし、全ての木や草が枯れて崩れ落ちていく。

 そして、消え去った水が塊となって霊夢の目の前の地面から飛び出し、突如として散弾銃のように勢いよく弾けとんだ。

 

「――っ!!」

 

 避ける隙間など全く用意されていない水の弾丸。

 それは大岩さえもヒビ一つ入れずに貫けるほどに圧縮され、強く放たれていた。

 にとりを取り囲んでいた霊夢の弾幕すらも、あっさりと掻き消して辺りの景色を塗り替える。

 それは、もしかしたら霊夢一人だったなら防ぎきれたかもしれない攻撃。

 だが、後ろにいる魔理沙たちに結界を張ることに気を取られて判断が鈍ってしまう。

 

「霊夢っ、大丈夫か!?」

「大丈夫……じゃないわねっ!」

 

 それでも霊夢は全ての水の弾丸をギリギリで躱しきっていた。

 その弾丸を受け流すように霊力を展開し、避けられる隙間のないはずの猛攻を、自ら受け流してつくったわずかな隙間をくぐり抜けて、何とかグレイズ(かする)だけで済んでいた。

 しかし、それは掠っただけで人間にとっては致命傷になりかねないものだった。

 体の至るところから再び血を吹き出し、傷だらけになりながらも、それでも止まることのないにとりの水撃を捌き続ける。

 その攻撃を何とか凌いでいるようには見える霊夢は、完全に防戦一方だった。

 それはもはや、弾幕といえるものではない。

 ただ終わりなく放たれ続ける殺傷兵器の洪水は、確実に霊夢を追い込んでいく。

 

「流石に、これは……」

 

 視界を完全に埋め尽くすほどの水の弾丸。

 それを捌いてつくりだした隙間から……いつの間にかにとりが霊夢の懐まで一歩で踏み込んでいた。

 

「っ!!」

「消えろよ」

 

 にとりの手に導かれるように辺りを漂う水流が、薄く、細く形を変えていく。

 やがてそれは一本の細長い剣のようになって、辺りの景色を縦に一閃した。

 

「おわっ!?」

「そんな……」

 

 魔理沙とパチュリーが絶句して声を漏らす。

 霊夢がとっさの判断で避けた、高密度かつ細く生成された水の剣は、魔理沙たちを取り囲んでいた結界さえも切り裂いてわずかにパチュリーの頬を掠める。

 一般に最高硬度を誇るとされるダイヤモンドの加工にすら使われる、ウォーターカッターという名の圧縮された水の刃は、一瞬にして大地を真っ二つに裂いていた。

 辺りは2つに分かれて崩れ、再びにとりに水分を吸い上げられて風化した景色が砂となって流れ出す。

 

「魔理沙!」

「ああ、わかってるっ!」

 

 流石の霊夢にも他の誰かを守っている余裕がないことくらいは魔理沙にも理解できた。

 魔理沙は微かに動くようになった腕を無理矢理伸ばして、箒を掴む。

 たとえ自分の体が動かなくても、魔力で動かした箒に掴まっていればいいのだ。

 

「つかまれ、パチュリー、藍!」

 

 そして、崩壊していく土砂に飲み込まれかけていた2人を逆の手でぶら下げた直後、その場所は津波のように押し寄せた砂に飲み込まれていた。

 形を成すものが全て細かくなって流れ出し、その地獄のような光景とは対照に、不気味なほど静かに辺りが崩れていく。

 気付くと、多くの草や木々が生い茂っていたそこは、砂漠のような殺風景な場所になっていた。

 誰もが絶望すら感じる状況。

 だが、それでもにとりの追撃は終わらない。

 

 岩をも貫く水の弾丸の雨と同時に、ダイアモンドさえ切り裂ける水の刃が今度は蛇の大群のようにうねりながら霊夢に襲いかかっていく。

 弾丸の勢いすら止める、霊力のこもった札さえも、ただの紙切れのように切り裂かれていく。

 それは、不死の能力でも持っていなければ人間であろうと妖怪であろうと、まともに当たれば即死必至の明確な殺意だった。

 

「どういう気分? 見下してきた相手に殺されかける屈辱は」

「っ……悪いけど、今はそんなことに答えてあげられるほどの余裕はないわ」

「だったら、そんな下らないプライドを捨てて早く私を殺せよ。 いつものように、私をただゴミのように切り捨ててみろよ!」

「……」

 

 霊夢は答えない。

 答える余裕すらないのか。

 反撃する余裕すらないのか。

 逃げる道すら閉ざされているのか。

 ただ、終わりなく続くそれを辛うじて避け続けていられるのは、霊夢が持つ能力のおかげだった。

 

 霊夢が持つ『空を飛ぶ程度の能力』。

 それは、霊力や妖力といった力、あるいは翼や箒といった媒体を使わずに空を飛べる能力である。

 誰もが空を飛ぶことが当たり前の幻想郷においては意味がないとすら思えるその能力。

 吸血鬼のように強く飛べる訳ではない。

 天狗のように速く飛べる訳でもない。

 紫のような異空間の移動もできない。

 それでも、「自然と」空を飛ぶことのできる霊夢は、空を感じ取る力に関してだけは他の誰よりも長けていた。

 それは、言葉にするとすればただの直感。

 何かある、嫌な感じがする、危険な気がする。

 ただ、それを本能で感じ取ることができる。

 それは弾幕の飛び交う空を、誰よりも自在に動ける能力なのである。

 

 だが、その力も万能ではない。

 本来避けることのできないはずの攻撃から致命傷は避けているものの、その服や体は弾丸に掠り、鞭に切り裂かれて、だんだんボロボロになっていく。

 それを見ていた藍は、遂に耐え切れなくなって叫び出す。

 

「ダメだ霊夢、そいつはもうスペルカードルールに則るつもりなんてない!」

「……」

「たとえお前がそれを避け続けてもずっと終わらない、いつか絶対に捕えられる」

「うるさいわ。 勝負の途中よ、藍」

 

 だが、霊夢は藍の言葉を一蹴する。

 霊夢はただ避け続ける。

 その体は既に傷だらけで、たとえ避け続けられようと、いつかは出血多量で死んでしまう。

 そんな状態でなお、霊夢はただひたすらににとりの殺意を避け続けた。

 

「やめろ、もういい霊夢! もういいから…」

「嫌よ」

「霊夢っ!!」

 

 少し離れた空から藍と魔理沙が叫ぶが、霊夢は答えなかった。

 にとりの攻撃を躱すだけで、逃亡はおろか反撃すらしようとしない。

 霊夢はあくまで、スペルカードルールに則った動きだけを続けていた。

 

「……何だよ、それ。 私へのあてつけか? そんな遊びみたいなことして、私なんて取るに足らない存在だって見せつけたいのか? そんなに、自分たちが上だって見せることが楽しいのかっ!?」

「ちょっと何を言いたいのかわからないわ。 それより、あんたはそんな調子で大丈夫なのかしら?」

 

 霊夢が何を心配しているのかは知らないが、にとりはそれに惑わされない。

 終わらないにとりの猛攻に、霊夢は既に限界を感じているはずだったからだ。

 そして、疲れがたまっていく霊夢とは対照に、にとりを取り巻く力の波動は衰えるどころかどんどん勢力を増してすらいる。

 霊夢が倒れるのも、もう時間の問題だった。

 だが、そこでふいに霊夢が口を開く。

 

「制限時間よ。 スペルカード・ブレイクね」

「……はあ?」

 

 スペルカード。

 殺意だけが込められた今までのにとりの攻撃を、霊夢は確かにそう呼んだ。

 既に息も切れ切れになり、満身創痍の霊夢は、それでも再び自分のスペルカードを構えて言う。

 

「まだ諦める気はない? それなら、今度は私がスペルを唱える番ね」

 

 にとりは、霊夢が何を言っているのかわからなかった。

 諦める。

 それも、目の前にいる死にかけの人間ではなく、ほぼ無傷の自分がだ。

 そして、何も言わないにとりに向かって放たれたのは、

 

「スペルカード宣言、霊符『夢想封印』!」

 

 またも、色とりどりの光球たちだった。

 霊夢の代名詞ともいえる、そのスペル。

 数多の光から広がる波紋が空間に咲き、小さな銀河が幾重にも重なりあって辺りを包み込む。

 にとりはそれを見て一瞬呆気にとられてしまう。

 流石のにとりもそれに見惚れてしまったからなのか、ただ霊夢の言動の意味を理解できなかったからなのか。

 ただ、気付くとその死角から迫った弾幕に、にとりは被弾してしまっていた。

 

「しまっ……え?」

「あら、あんたやる気あるの? ま、でもとりあえずはこれで私の1勝ね」

 

 しまった、と思おうとしたにとりだったが、しかし実際には傷一つなかった。

 実は、霊夢の放つ弾幕は、殺傷能力が皆無のただの光の塊なのである。

 相手を傷つける気など一切ない、スペルカードルール以外に使い道の全くない弾幕。

 霊夢の放つ弾幕は、いつもそうだった。

 被弾後にまだ動けるかなど関係ない。

 相手はただ、その弾幕に見惚れてしまう。

 そして、それに被弾した者はただ、どうしようもなく「負けた」と思ってしまうだけなのである。

 

 だから、ルールを気にしていない者には、当然霊夢の弾幕は何の意味も成さなかった。

 

「……ふざけんな」

 

 ――こいつは、どこまで私を馬鹿にすれば気が済む?

 

 そんな風に言いたげな目をしながら、にとりは強く拳を握り締める。

 

「いい加減にしろよ……お前がどれだけそのくだらないルールを続けても、私には知ったことじゃない」

「……」

「私はお前たちを殺す。 それだけが目的なんだ。 だから、お前は…」

「はっ。 それこそ、私の知ったことじゃないわ」

 

 そう言って霊夢は、この絶望的な状況の中、いつものように弾幕ごっこをするかのような気安さで笑う。

 にとりには、それが気に入らなかった。

 この余裕は何なのか。

 自分が死にそうでも気にかけず、ただルールだけを遵守するその姿勢。

 いや、これはむしろルールを遵守してるというよりは――

 

「知ったことじゃない? 私は幻想郷を滅ぼそうとしているのに? 博麗の巫女なら、それを止めるだろ?」

「ええ、そうよ」

「……なら、私を殺せよ。 いつもみたいに、全部奪ってみろよ!!」

 

 そして、余裕のあるはずのにとりの方が耐え切れなくなり、力のまま霊夢に向かって走り出した。

 その水の刃を避ける隙間すらない網目状に変えて、ただ霊夢に明確な死を振りかざそうとしているにとりを前に、藍が必死に叫ぶ。

 

「頼む霊夢、もう無理だ! そいつを…」

「嫌よ」

「なんでだ、お前には…」

「だって……」

「霊夢っ!!」

 

 言いかけた霊夢に、遂にそれが直撃した。

 

 人間ならば、受けた瞬間に全て終わりの一撃必殺。

 全てが細切れになり、血の色だけが散乱する凄惨な光景。

 目の前に広がるだろうそんな光景に恐怖し、思わず魔理沙たちは目を背けた。

 だが、その腕の感触に違和感を感じたにとりが目線を上げると、

 

「……だって、こいつは悪くないじゃない」

「なっ……!?」

 

 そこには、目の前でにとりの腕を掴んでいる霊夢の姿があった。

 その状況に戸惑ったにとりは、動けずにただ固まっている。

 

「なんで……」

「結界の強度を限界まで引き上げたのよ。 動きが鈍って弾幕に当たりやすくなるから、スペルカード戦では使えないけどね。 でも、実質当たったようなものだし、今回は私の負けね」

 

 そう言って霊夢はにとりから距離をとって、再びスペルカードを構える。

 

「っ!!」

「だから、これで1勝1敗よ。 続きを始めましょうか」

「なんでっ!! ……なんで殺さなかった」

 

 にとりが思い切り叫ぶ。

 霊夢ほどの力があるのなら、ここで終わらせることもできたはずだった。

 いや、今だけの話じゃない。

 さっき当てた弾幕にしろ、そこに少しでも殺傷力を込めていたのならば、少なくともにとりは無事ではすまなかったのだ。

 それにもかかわらず、これだけ目の前で隙だらけだった自分を、霊夢が殺さずに再び離れたことが、にとりには理解できなかった。

 

「なんで殺さなきゃならないのよ」

「私は、幻想郷を滅ぼそうとしてるんだぞ」

「そうね」

「私が天狗たちを……幻想郷の奴らを皆、皆、消した元凶なんだぞっ!」

「……そう。 それは問題ね」

「だったら退治しろよ!! 都合の悪い奴は、いつもみたいに…」

「そんなつもりはないわ」

 

 焦燥しきったにとりに、霊夢ははっきりとそう伝えた。

 そして、その手に構えたスペルカードを下ろす。

 

「どうしてっ…」

「……じゃあさ。 あんたは、なんでこんなことをしようとしたのよ」

「はあ?」

「あの時、なんて言おうとしたの? だったら何で…って、何を言いかけたの?」

「……別に関係ないだろ? お前も、知りたいとも思わないんだろ!?」

「そうよ。 私はあんたの過去を聞こうだなんて思わないわ」

 

 霊夢ははっきりとそう言う。

 だが、その目にあるのは無関心ではなかった。

 

「……だって、それを聞くなんて無責任じゃない。 あんたがどんな悲しみを抱えてるかなんて、どれだけ辛い思いをしてきたかなんて、聞いたところできっと私にはわかってあげられないのに」

「……」

「あんたが何かに苦しんで、誰かに復讐をしたいと思っても、その気持ちを消してあげることなんて、私なんかにはきっとできない。 でもね…」

 

 そう言って、霊夢は今までの真剣な表情とは打って変わって優しい目を向ける。

 

「それでも……私はただ、あんたを助けたいのよ」

「なっ……」

「未熟な私にも、あんたを受け止めてあげることくらいならしてあげられるからさ」

 

 にとりは戸惑っていた。

 もしかしたら、自分を油断させるための罠かもしれない。

 だけどそれでも、その目は一切の迷いも見えないほど、ただ真っ直ぐににとりの目だけを見つめていた。

 そして、霊夢はその両腕を開いて、

 

「幻想郷は全てを受け入れるわ。 あんたの悲しみも、苦しみも、過去も、未来も」

「何を、言って…」

「だから、あんたはもう心配しなくていい」

 

 次の瞬間、雷鳴と共に夕焼け空が色褪せ、不気味な雲が空を覆う。

 誰もが幻想郷の終わりすら予感する、異様な空の色。

 だが、そんな状況でなお、霊夢はにとりから一瞬たりとも目を逸らさずに、ゆっくりと歩き出す。

 にとりはただ、怯えたように霊夢を見ながら立ち尽くしていた。

 

 ――なんなんだよ、こいつは。

 

 今まで、ずっと虐げられてきた。

 ルールを犯した自分たちに優しさが向くことなんて、決してなかった。

 

 にとりは今、ルールを破って霊夢を殺そうとしているというのに。

 それなのに、霊夢はにとりに一切の危害を加えようとしない。

 それなのに、霊夢はにとりを助けたいと言う。

 それなのに、霊夢はそのボロボロの身体でにとりに向かって笑いかける。

 

 理解できない。

 にとりには理解できない、今までに向けられたことのない優しさ。

 

「だって、私は――」

 

「ぅ……うわああああああああ!!」

 

 初めて自分に向けられたそれに恐怖し、にとりは思わずその力の全てを本能のままに霊夢にぶつけようとしていた。

 山一つ分の水を凝縮して放ったそれは、そのまま妖怪の山全てを消し飛ばすことすらできる兵器だった。

 その後のことなんて考えていない。

 魔理沙も、藍も、パチュリーも、そして、にとり自身さえも跡形も無く消し飛んでしまいそうな力の塊が炸裂しようとして、

 

 

 ――霊符、『夢想封印』

 

 

 突如としてその周囲に現れた光球が、取り囲むようにそれを押しつぶして飲み込む。

 さっき出した霊夢の弾幕と同じはずの光の球と、そこから広がっていく波紋。

 だが、今度はただ強く光ったそれが、破裂しかけたその兵器を消し去って広がっていく。

 

「―――っ!?」

 

 誰ひとりとして、何が起こっているのかわからなかった。

 にとりから放たれたのは、神ですら消し去れるかわからないほどの絶望的な力の塊。

 だが、突如として現れた光に、その力ごと世界が覆われて……

 

 …。

 ……。

 …………。

 

 しばらくの沈黙。

 誰も目を開くことも、声を発することもできない、まぶしい光に包まれた世界。

 

「……ごめんね」

 

 ふと、にとりの耳元で小さく囁くような声が聞こえた。

 それを聞いて我に返ったにとりは、いつの間にか自分が目を瞑っていることに気づく。

 そして、慌ててその目を開くと、

 

「……え?」

 

 そこには、霊夢の姿だけが見えた。

 そのボロボロの身体で、ただ自分を優しく抱きしめる霊夢の姿。

 

「なんで……」

「あんたは悪くない。 あんたの苦しみをわかってあげられなかった、何もしてあげられなかった私たちが未熟だっただけよ」

 

 そう言って、霊夢は強くにとりを抱きしめる。

 にとりには何が起こっているのかが未だによくわかっていなかった。

 そこにあるのは、いつものような蔑みの目ではない。

 ただ、自分のことを優しく包み込む手があるだけだった。

 

「……でもね。 今までずっと悲しい思いをしてきたのかもしれない、辛い思いをしてきたのかもしれない。 だけどあんたはもう、一人で抱え込まなくてもいいでしょ」

「うるさい、私はっ!!」

「だって、あんたには居場所があるんでしょ。 あんたには、頼んでもないのに助けに来てくれるようなバカがいるんでしょ?」

「あ……」

 

 

  ――にとり、無事で良かった!

 

 

 そう言われ、にとりの脳裏にふと浮かんだのは、温かい声。

 こんな自分を心配してくれた友人の、屈託のない笑顔だった。

 

 ――そうだ。 どうして、忘れていたんだろう。

 

 自分にはまだ、大切な友がいた。

 バカみたいで、時々迷惑で、だけど頼もしくて、優しくて……

 そんな、かけがえのない人が待っていてくれる世界。

 そして――

 

「だけど、それでも……それでもあんたが辛くてどうしようもなくて、壊れそうになったときは、今度は私が助けてあげるから」

「……」

「たとえあんたが何をしようと、その時は私があんたの気持ちを何度だって受け止めてあげるから」

「私、は……」

 

 昔とは違う。

 もう、見捨てられたりしない。

 こんなにも自分たちのことを想ってくれる人たちがいてくれる。

 きっと、これからもずっと。

 

 ――ああ、そうか。

 

 ――私たちは間違っていないのかもしれない。

 

 ――世界は、きっと残酷だ。

 

 ――だけどそれでも、私たちには信じられるものがきっとできるから。

 

 ――だから――

 

 にとりの体から力が抜け落ちる。

 その表情は柔らかく、ただ霊夢に身を任せるかのように倒れかけて、

 

 

  ――……ごめんな、にとり。

 

 

「―――っ!!」

 

 それでも、にとりは霊夢を突き飛ばして大きく後ろへ飛び下がった。

 その目に残る悲しみの色が消えることは、なかった。

 

「……嘘だ」

「嘘じゃないわ、私たちは…」

「嘘だ嘘だ嘘だ嘘だ! それならなんで……なんで姉さんは見捨てられたんだ!!」

「姉さん?」

 

 にとりに姉がいたというのは、魔理沙には初耳だった。

 そんなそぶりすら、一度も見せたことはなかった。

 そう言ったにとりは光のない、それでも涙を溜めたその目でただ霊夢を睨んでいた。

 

 

 人間と河童の間に生まれたにとりの姉。

 ちょっと不器用で厳しいところもあったけれど、優しくて、にとりにとって誰よりも大切な人だった。

 だけどそれは、そこにいることすらも許されない。

 人間でも河童でもない姉は次第に人間から疎まれ、他の妖怪たちからも、誰からも避けられていった。

 誰もが自分と違う者を、醜い者を自然と避けていく。

 それが世界のあり方だからと、諦めていた。

 

 それでも、にとりだけは姉のことが大好きだった。

 どんなときも、ずっと傍にいた。

 他に何がなくとも、ただそれだけで幸せだった。

 

 だけど、それは突然いなくなってしまった。

 人間でも妖怪でもなく誰ともうまく打ち解けられない、山の社会に不適合な存在だと烙印を押されていた姉は、天狗たちによって追放されたのだと後から聞かされた。

 それを信じた訳でもない。

 それがいつのことだったかすらも、もうわからない。

 ただ、にとりは考えないようにしていた。

 考えれば、辛くなるから。

 その悲しみに、押しつぶされてしまいそうになるから。

 

  《お前は、何を嘆く》

 

 だが、その力に巡りあった時、にとりはその声に答えてしまった。

 鬼がいなくなれば。

 天狗がいなくなれば。

 支配する者がいなくなれば。 

 この山が変わる日が来れば。

 そうすれば、姉が帰って来れる社会ができるのだと、心のどこかできっと思っていたから。

 それで、またいつか幸せな時間がくるのだと思っていたから。

 

 それでも、歴史は繰り返す。

 今度はその力を消そうとする妖怪と神々の支配。

 まるで、物のようににとりを操る藍の冷たい目。

 にとりは結局、それに抗うことはできなかった。

 自分に変えることなどできないのだと、気づいてしまった。

 もう、自分たちの居場所なんて、どこにもないと気づいてしまった。

 

 だから、にとりは壊そうと思った。

 変わることがないのなら、その世界ごと壊してしまおうと思った。

 そうして新たに始まった世界は、きっと何もかもを受け入れてくれる。

 そうすればいつか、姉が戻ってくる日が来るのだと信じていたから。

 

 

 端を切ったように大声でそう言ったにとりに、霊夢は寂しそうに返す。

 

「……悪いけど、私は知らないわ」

「そうだよね、知ってるわけないよね。 どうせどうでもいいんだろ、お前たちに見捨てられていなくなってしまった姉さんのことなんてっ!!」

「っ!!」

 

 それを聞いて、なぜかパチュリーが顔色を変える。

 何か、気づいてはいけないことに気づいたかのような目。

 それを、にとりに感づかせてはいけないとする目

 だが都合よく、今のにとりにはパチュリーのことなど見えていなかった。

 

「だけど、お前たちが消えれば、きっと姉さんは帰ってくる」

「……」

「支配する奴らさえいなければ、私たちみたいに弱くたって、蔑まれる存在だって、きっと安心して暮らせる」

「……」

「ただ、それだけでいいんだよ。 それ以上のものなんていらないんだ! ……それなのに、私たちみたいな存在がそんなことを望むのすら、いけないことだっていうのかっ!?」

 

 

「――ああ、いけないことさ」

 

 

 そこに突如、どこからともなくそんな声が響いた。

 寒気のするような、悍ましい気配とともに。

 

「え……?」

「それが世界の摂理だ。 虫ケラは虫ケラらしく、ただ闇を抱えて消えればいい」

 

 そして、気配だけが近づいてくる。

 どこに存在する訳でもなく、ただゆっくりとそれだけを感じさせる。

 

「まさか……」

 

 それに伴って藍の顔が次第に恐怖に歪んでいく。

 いや、藍だけではない。

 その場にいる誰もが、自然とその体を震えさせる。

 やがて崩れ去った砂の中から黒い何かが無限に溢れ出して、それを形作っていった。

 そして――

 

 

「そうだろ? 嘆きの支柱よ」

 

 

 そこから現れたのは、その黒に合わない金の髪を靡かせ、どこか見覚えのある帽子を被ったルーミアの姿だった。

 

 

 


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