姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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89 終われなかった男

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 今日の式の主役たちが教室に集まる時間まではまだまだ余裕があるというのに、不思議なことに姫松高校には、あるいはどの学校もそうなのかもしれないが、校門に驚くほど制服姿が見られた。比率で言えば女子のほうが多く、また表情に幅があるのも女子だ。大いに笑いあったり涙を流したりと大変そうだ。比率として少ないほうの男子たちはほとんどが楽しそうに話をしている。ちらほらとはしゃいでいるのも散見されるようだ。多少の肌寒さは残るが真冬の寒さはもうとうに過ぎ去って、コートなどの上着は見かけられない。ときおり風が髪や制服を揺らしていくが、それは口を揃えて強いと言うほどのものではない。空はきれいな浅縹色をしている。三月八日は、全国的に晴れだった。

 

 

 しばらく経って予鈴が鳴り、その音を聞いた三年生に限らない生徒たちは名残惜しそうにそれぞれの教室へと向かうことになった。卒業式の段取りだけを考えるならば最後に入場する三年生だけはまだ余裕があるとも言えるのだが、下級生たちが体育館に向かっている途中で卒業生の姿が目に入るようなことになってしまえばいささか締まりが悪いことになるだろう。それを知ってか知らずか、予鈴が鳴り終るころにはもう校舎の外に生徒の影はひとつも見られなかった。

 

 ひとつの区切りとしての卒業式というものは、まだ十八歳の少年少女にとってはその人生の中で間違いなく大きなイベントだった。三年二組のクラスメイトたちも普段の登校時間よりずっと早く学校に来て思い出話をしたり別れを惜しんだりしていた。たった一人を除いて。

 

 「センセ、播磨のやついないみたいやけど大丈夫なん?」

 

 式が始まるまではまだ時間があるなかで、クラスメイトがきちっと正装をした担任教諭に呼びかける。担任教諭はすこし困ったような顔をして、欠席の連絡は入っていないことを前置きした上でとりあえずの自身の考えを口にした。

 

 「いっつも時間ぎりぎりに来とるし、今日もそうなんやろとは思うけど」

 

 拳児の性格を考えれば納得のいく論理ではある。高校三年生とはまるで思えないほどにとにかくはしゃがない。学校の授業でそうならないのは特筆すべきことではないが、インターハイを制した後のインタビューでさえ普段と変わりない態度で受け答えしてみせたのだ。人によっては達観しているというか、あるいはすさまじく大人びているような印象を与えるような振る舞いであった。唯一の例外といえば体育祭でアンカーと入れ替わった事件であるが、あれは真相を知る者が意外と少なく、拳児のイメージを一新させるような出来事として認知されなかったのが実際のところである。つまるところ播磨拳児という男は卒業式だからといっていつもと態度を変えるようなことはしないと言ってしまえば、それはそれで頷けるような過ごし方をしてきたのである。

 

 呼びかけたクラスメイトは担任教諭からそう聞くと、それもそうかと納得して他の生徒と話を始めた。当然ながら人によって進路は異なるし、そうなればこうやって顔を合わせる機会は減るだろうからこの時間は誰にとっても貴重なものだった。あるいは思いの丈を打ち明けるような甘酸っぱい出来事も控えているかもしれない。今日は、三年間という期限付きの “いつも” が終わる特別な一日なのだ。

 

 

―――――

 

 

 

 下級生たちがおおよそ神妙な態度で体育館の後ろ半分に敷き詰められたパイプ椅子に座って待っている中を、卒業生たちがクラスごとに担任教諭の後をゆっくりと付き従う。気軽に声を発することができないような空間として成り立ってしまっているために、我慢してすすり泣くような声があちらこちらから聞こえてくる。特定の先輩後輩の間柄が部活などを通して出来上がったのかもしれないし、あるいはまたまったく別の事情があるのかもしれない。わずかに館内の空気が変化したのは二組が入場し終わったあとのことで、その原因はいちばん目立つはずの男の姿がそこに見当たらなかったからだった。いても目立つしいなくても目立つというのはなんとも厄介なことだった。

 

 そのまま後続のクラスがどんどんと体育館に集まっていき、そして最後のクラスが席に着いた。それでもやはりあの男の姿はなかった。誰もが途中のどこかのタイミングで姿を見せるだろうと考えていたが、それらはすべて空振りに終わった。この良き日の卒業式に、四月にいきなり転入してきて麻雀部の監督代行となった播磨拳児の姿は、なかった。

 

 もちろんのこと誰も余計な言葉を発することはできない。そうでなくとも拳児と同じクラスのあの三人は出席番号が離れているために話すことは叶わない。混乱とまではいかないが、困惑が精神状態を占めるなかで式は進行しようとしていた。

 

 ( えっ、結局アイツ来てへんって何してんの )

 

 ( 寝坊、はなさそに思うけど。何気にこれまでそんなんなかったしな )

 

 ( 卒業したくなーい、ってキャラには思えへんのよー )

 

 姫松高校では生徒の数も考慮して、クラスごとに名前を全員呼び、その後でクラス代表に卒業証書を渡すという方式を採っており、個人個人に証書が渡されるのは教室に戻ってからということになっている。もちろん名前を呼ばれれば返事をするのが当たり前の対応であり、そこで返事がないというのはあってほしくないことに違いなかった。

 

 一組から出席番号順に名前が呼ばれていく。元気よく返事をする者もあれば、涙ぐんで返事にならないような声で返す者もあった。時間が過ぎていけば状況が進むのは当然のことで、二組のあいだでは次第に変な緊張感が高まりつつあった。やがて一組の名前がすべて呼ばれ、クラス代表がもう一度呼ばれて壇上へ証書を受け取りに行く。それが終われば間を置かずに二組の名前が呼ばれることになり、そこで播磨拳児の欠席が周知も含めて確定する。既に知れ渡っているだろうことはさておいて、デッドラインはもうすぐだった。

 

 

 出席番号一番の洋榎はとうに呼ばれ、恭子も返事をし終わっている。由子こそまだ名前を呼ばれてはいないが、もう十人もしないうちに呼ばれる位置だ。二組の生徒のやきもきはもはや頂点に達しようとしていた。

 

 「野島隆行くん」

 

 「はい」

 

 「播磨、拳児くん」

 

 「…………」

 

 「春田由香さん」

 

 「……はい」

 

 姿を見せていないことは事前に知らされていたのだろう、拳児の名前を呼ぶときにはかすかな間があった。しかしそれでもあの特徴的な声が聞こえてくることはなかった。それでもたった一人のために式を止めるわけにはいかず、粛々と卒業式は進んで、最後のクラスの代表者が証書を受け取るところまで行き着いた。クラスとして、高校生としての最後のイベントに欠員がいるというのはあまり気分の良いものではなく、さらにそれが中心的人物ではないにしても圧倒的な存在感を持つ人物となれば消化不良の感が残るのは仕方のないことだった。既に式次第で言えば卒業生の退場の段まで状況は進んでいた。

 

 式さえ終わってしまえば特有の重苦しい雰囲気からは解放され、教室へ戻る途中の廊下ではもうほとんどのクラスメイトが普段通りに話を始めていた。ただしその内容は言い方や調子に差こそあれど、どれもこれも変わりのないものだった。なんだかんだと一年ものあいだ一緒にやってきた仲間である。無視しろというのが難しい話だった。

 

 

 校門の近くに麻雀部員全員が揃って大所帯を形成しており、そこでは先輩の卒業を祝う姿とそれに応える姿が見られたが、そのうちほとんどがどこか納得のいかないといった表情をうすく滲ませていた。その理由にはいまさら触れる必要もないだろう。ただし彼女たちの先輩後輩としての絆は非常に強く、外から見た程度ではまだ足りないものがあると思っているようには見えなかった。それは麻雀部という組織の中にいて、やっとお互いにわかる程度のものでしかなかった。彼女たちの卒業に対しての想いは、祝いの気持ちにせよ悲しみの気持ちにせよ間違いなく本物だった。

 

 夏のインターハイでレギュラーメンバーを務めた五人はさすがと言うべきか、すでに涙を流して別れを惜しむような段階はとっくに越えてしまったようだった。今でこそ五人で集まっているが、それまではむしろ大泣きしている部員たちをなだめに回っていたほどである。

 

 「なんやっけ、卒業式のあとも普通に練習あるんやったっけ」

 

 「ありますね、なんやいったん学校から出なあかんみたいなこと聞きましたけど」

 

 「ほっといたらいつまでも学校に居座る子みたいなのもおるいうことやと思うのよー」

 

 彼女たちはやはりどこまでいっても麻雀部なのであり、結局のところ話題の大部分はそこに関係のあることばかりだった。青春の大半を部活に捧げたのだからどこにもおかしなところはないし、どちらかといえばそうであるべきと言えるのかもしれない。そんな卒業生たちがいろいろなことに興味を持ち始めるのはこれから先のことであり、そしてそれ以上に麻雀一色の高校生活を良しとするかどうかは、これから様々な経験をしていった先でいつの間にか理解することである。

 

 校門のそばにいる関係で、彼女たちの近くを卒業生たちがちらほらではあるが通り過ぎていく。それぞれの性格や事情があるのだろう。ときおり麻雀部の知り合いに声をかけていく生徒もいた。どのみちどのクラスも時間を置いて卒業パーティーのようなものをやるのだろうから、今はあっさりと帰っても問題がないのかもしれない。

 

 「あの、コーチ、学校出なあかん時間っていつぐらいなんです?」

 

 「ん~、まだ大丈夫やと思うわ~」

 

 「ていうかコーチこんなとこいてええんですか、仕事とかないんですか」

 

 「まあまあ~、たぶんもうちょっとやと思うから~」

 

 一年を通して変わらなかったふわふわした笑顔を浮かべて、郁乃はずっと視線を校門のほうへと向けていた。それは明らかに何かを待っている様子だった。わいわいと雑談が広がっている空間にあってなお、なぜか郁乃の言葉は部員たちに届いたようだった。あるいはコーチの声というものは聞くべきものだと叩き込まれているからかもしれない。そして誰もが同じような疑問を持った。

 

 するとこの近辺ではあまり聞きなれない大型のバイクの音が近づいてきた。そのこと自体は誰も気に留めようともしなかった。ただ、やかましい、という感想ばかりが彼女たちの頭の中を渦巻いた。どうやら校門の前の道をまっすぐ走ってきているようで、どんどんと音が大きくなっていく。通り過ぎるときには耳を塞ごうかと思う者が出始めた辺りで、急にその音が小さくなる。停車しようとしているのだとしか考えられなかった。そして音が完全になくなってわずかにあったあと、ある一人の男が校門にふらりと姿を見せた。

 

 

―――――

 

 

 

 「もしもし、愛宕か」

 

 卒業式が終わってその後のあれやらこれやらをこなしてひと息ついたところで、辻垣内智葉は電話をかけていた。いまは周りにクラスメイトも友人も例の留学生どももいない状況で、ひどく落ち着いて話をすることができる。彼女の学校での立ち位置を考えると、あるいは無理やり作った時間なのかもしれない。

 

 「ああ、突然すまないな、ちょっと時間取れるか?」

 

 「違う違う、ただ世話になった連中に挨拶しようと思っただけだ」

 

 しかしスマートフォンから聞こえてくる音声を聞いているうちに智葉の表情が怪訝なものに変わっていった。騒がしい音が漏れ聞こえてくるわけでもなければ逆に音が小さすぎるということもない。となれば残すはその内容だけだ。

 

 「ちょうどよかった? 何がだ? というかお前ちょっとテンションおかしくないか」

 

 「播磨? あいつ卒業式でなにかやらかしたのか」

 

 「なんだひょっとしてサボりでもしたのか? 見た目よりは真面目なやつだと思ってたが」

 

 「逃げっ、おいおいなんだそれ、不穏な話じゃないだろうな」

 

 「アメリカとはずいぶん剛毅な……、って待て、それはおかしいだろう」

 

 「…………は?」

 

 「なあ愛宕、あいつ本当はただの馬鹿なんじゃないか」

 

 それは事情を知ってしまった智葉の拳児に対する最後の援護だったのだが、結局のところそれが彼女の望んだ正しい効果を発揮するかどうかは誰にもわからないことだった。

 

 

―――――

 

 

 

 校門に現れた拳児はいつもの姿からは信じられないほど消耗した様子で、彼の身になにか普通でないことが起きたのは誰の目にも明らかだった。がっくりとうなだれたように肩を落とし、足取りは右に左にと覚束ない。何よりいつもの自信満々と言ってもいいあの覇気が霧散してしまっている。これではチンピラというよりも浮浪者と呼んだほうがいくらか近い。学生服であることだけがそれを否定する唯一の要素と言ってもよさそうだった。

 

 「…………ートが、……ぇんだ」

 

 「なんや!? はっきり言い!」

 

 彼の姿を見るや否や飛び出した洋榎が胸倉をつかんで揺さぶると、あのいつもの野太さとはまるで縁のない消え入りそうなか細い声で拳児はぼそぼそとつぶやいた。初めから聞かせるつもりがないのかうわ言のようにつぶやき続けるだけだったため、洋榎は拳児の口元に耳を近づけてなんとか聞き取ろうと胸倉をもう一段階引き寄せた。するとそのとき彼の手から一枚のチケットがはらりと落ちたのだが、あまりにも拳児に意識を向け過ぎていた洋榎はそれに気付けなかった。

 

 「……俺は、アメリカには、行けねーんだよ……」

 

 「アメリカ!? 何言うとんねん、しっかりせえ!」

 

 どれだけ声をかけてもまともな反応が返ってこない隣で、拳児の手元から落ちたチケットに気が付いた由子がそれを拾って眺めている。盛大にため息をついて、そして笑い飛ばしていいのかどうか困ったような表情で恭子へと視線を飛ばした。

 

 目だけで応じて恭子もチケットを覗き込むと、彼女はそこでぴしりと固まった。そこに記載されている情報と拳児の発言を合わせると驚くほど簡単な結論が導かれた。しかしそうだとするとおかしい。状況からすると渡米したくて仕方がないはずの拳児がどうして戻って来る必要があるのか。突然の事態と意味のわからない状況に一斉に襲われて、恭子は混乱してしまっていた。その一方で由子がやさしく洋榎に声をかける。

 

 「ヒロ、これたぶんあんまり真面目に心配するような案件とちゃうのよー」

 

 「へ? でも播磨こんなんなってるって相当やろ?」

 

 「んー、それやったらちょっと聞いてて」

 

 そう言うと由子は拳児に近づいて普段と変わらないような調子で話しかけた。

 

 「ね、播磨。あなた何を持ってなかったの?」

 

 「…………パスポート」

 

 それを聞いた途端に由子を含む十数人が堪えきれずに噴き出した。残りは未だに状況が理解できずに呆けている。飛行機のチケット、帰ってきた播磨拳児、そしてたった今の発言。混乱が押し寄せているこのタイミングは別にしても、冷静であれば理解できないほうがどうかしている。混乱状態から立ち直った部員たちが同時に必死に笑いを堪える状態に移行していく。校門近くの風景は、外から見るとあまりにも異様なものだった。ときおり吹く風に拳児の大きな体が揺られるのがいつもと違って部員たちの目に映った。それは姫松高校麻雀部では一人として抱いたことのない、滑稽という言葉にぴたりと当てはまっていた。

 

 そのあまりにも混沌とした空間に他の生徒たちも気が付いたのか、だんだんと校門近くの集団の人数は膨らみ始めていた。すこし離れたところからでは視認できないが、今日の卒業式に姿を見せなかったはずの播磨拳児という名前が飛び交っているのだから仕方のない部分もあるだろう。近くへ行ってみれば雰囲気がいつもとは違っているとはいえその姿も確認できるのだからなおさらだ。下手をうてば場が変な熱狂に包まれかねない空気の中で、大満足といったふうに羽のような黒髪を遊ばせて一人の女性が動いた。

 

 実家にパスポートを置いてたんだった、と頭を抱える拳児の姿を見ながら、いつもどおりのとろけそうな笑顔を浮かべながら郁乃がぱん、と手を叩く。堪えきれずにもう普通に笑ってしまっている部員たちもなんとか意識だけはそちらに向けた。

 

 「はい、それじゃあ拳児くんも帰ってきたことやし、いったん解散な~」

 

 そう言ったあと、念のために確認しておくけど、と前置きをする。

 

 「今日の練習は二時からやからね~、遅刻したらあかんで~」

 

 びゅう、と突然強い風が吹いて、恭子の手から例のチケットを奪っていく。チケットは風に乗って、ひらひらと舞い、遠くへ飛んで、まるで初めから何もなかったかのように一度も地面に降りることなく姫松高校から姿を消した。ひとつ浮かんだ乾いた笑いは果たして誰のものだったのか。

 

 

 どうやら播磨拳児の伝説は、まだ始まったばかりということらしかった。

 

 

 

 

 

 

 

 




おしまいです。
長い間お付き合いいただき本当にありがとうございました。

長々と書くのはあまり得手ではありませんので、この辺で失礼させていただきます。

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