姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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88 逆オオカミ少年計画

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 受験も近づき、授業も自習が増えてきたある日のこと。

 

 ( あれ、俺フツーに監督してねえか? )

 

 教室を見渡してみれば、予備校に行っているのか静かなところで自習をしているのか空席がいくつも見受けられる。日によっては隣に座る真瀬由子がいないこともある。当然ながら残っているクラスメイトもそのほとんどが机に向かってペンを走らせたり学校の教科書とは違う冊子を開いたりしている。そんな環境の中で拳児がいま現在やっていることと言えば部について考えることなのだから、先ほど拳児が自分に対して持った疑いを否定する要素はどこにもない。単純な話、監督業を放棄するなら放棄するでサボってしまえばいいのだから。

 

 いま拳児が麻雀部で行っているのはほとんどアドバイスや提案に近い指導と団体戦の編成を煮詰めていくことと、これらはどちらも郁乃と組んで進めている、それととりあえず部室の戸締りまでである。まだ指導に関して独り立ちできていないだけで、動きとしては完全に監督のものと言い切ってしまって差し支えないだろう。もうそれに馴染んでしまってしばらく経つし、部員たちは誰も拳児が郁乃のメモをもとに指導していることを知らないからもはや言い訳はきかない。来たばかりのときはあれほど囁かれた裏プロなどという単語はまるで出てこなくなり、春から来るであろう新しい部員たちにとってはあの白糸台をねじ伏せて姫松を優勝に導いた優秀な監督という評価になるだろうことが動かせないところまで来ていた。

 

 ついでに言えば節分にはどういうわけか鬼の役を任され豆をしこたまぶつけられたし、バレンタインデーにチョコを渡そうとする愚か者がもしも複数いるならまとめて一個にしろと通達も出した。これはもちろん郁乃の指示によるものだ。この指示がなかったなら血糖値的な意味合いで播磨拳児を殺す量のチョコが集まる可能性は高かっただろう。ちなみに拳児自身は塚本天満から来年にもらうことだけを考えているため、今年もらうことなど毛ほども考慮していなかった。この辺りの扱いを見ても、もう一般的な生徒からは離れた存在であることははっきりしている。

 

 しかしそんな状況に置かれているにもかかわらず、拳児に焦りはなかった。余裕さえあった。春に向けたメンバーの選定をしながら自分が監督っぽいことをしてるのではないかと考えているほどなのだからよほどである。ちなみに外から見ると周囲のクラスメイトと同様に真剣に机に向かっているため、はた目には真面目に勉強しているチンピラという不思議な映像が拝める。

 

 ( 俺様もバカじゃねえ、なんだか知らねえが監督としてうまく行っちまったのはわかる )

 

 ( そんで部の連中も俺が来年も当たり前にいると思い込んでんのも最近わかってきた )

 

 正しく言えば夏休みに入るころには部員のうちほぼ全員がそうなるものと認識していたのだが、彼にそんなことを知る由はない。

 

 ( 認めたくねーが俺様は日和っちまったらしい。居心地悪くねーと思ってんのはホントだ )

 

 ( ただ悪いがよ、ここは踏み台でしかねえ。アメリカが、天満ちゃんが俺を待ってる )

 

 ( 男にゃ曲げちゃならねえモノがあんだ。そのための計画だって順調だぜ! )

 

 変な気合が入って、ふう、と力強く息を吐いた拳児を妙なものを見る目で由子が見ていたが、彼はそのことにまるで気付いていなかった。由子は由子で隣に座る男が誰なのかを考えて、別におかしなことでもないかと再び問題集とのにらめっこに戻った。

 

 

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 授業と授業の合間の短い休み時間に用を足しておこうと拳児が廊下を歩いていると、向かいのほうから恭子がちょっとした荷物を片手にやってきた。拳児は授業が終わってすぐに教室を出たはずなのでなんだか状況がおかしい気もするが、事実なのだからどうしようもない。

 

 「オウ、末原じゃねーか。何してんだこんなトコで」

 

 「自習の科目変えよ思てな、さすがにはじめっから全部図書室に持ってく気はせんし」

 

 「言われてみりゃさっき教室にいなかったような気がしてきたぜ」

 

 「……ま、別にええけど」

 

 やれやれといった感じで恭子が返すのも、拳児に他意というものがまるでないと知っているからだった。雑談そのものをすること自体が少ないこともあるが、彼が人をからかうシーンを恭子は見たことがなかった。真面目かどうかは曖昧だし態度はひいき目に見たところで悪い。それでも監督として信頼を得ているのはそういう部分があるからなのかもしれないと恭子は考えたことがある。ちなみにこれはまったく関係ないが、意味もなくもしも彼が平均的な高校生のノリで活動していたらどうだろうと考えて頭の奥に鈍い痛みを覚えたこともある。

 

 思い出してみればここしばらくは受験受験で目の前にいる男と話した記憶がないことに恭子は気が付いた。ざっと記憶を浚った限りでは正月以来まともな会話をしていない。彼女は集中するためにしょっちゅう授業をサボって図書室に通い詰めていたし、そう決めて動いていたときには学校の授業時間に合わせて行動などしなかったのだから拳児と顔を合わせることすらなかったのも道理である。そもそもよほどタイミングが合わない限り、学校の友人ともあまり話せていなかったことに思い当たって恭子はこっそりダメージを受けた。

 

 「あ、ああ、そういえばやけど、なんや最近頑張っとるらしいやんか」

 

 「は? ナンの話だ」

 

 「漫ちゃん中堅に置いてやっていく、みたいな話したんやって? 本人から聞いたけど」

 

 「そりゃトーゼンだろ、最後になるんだしよ」

 

 そこまで言って拳児はおっと、と自分の手で口を塞いだ。仕草から見るに言ってはいけないことを言ってしまったか言いそうになったかのどちらかだが、恭子には前者も後者もさっぱり思い当たりそうもなかった。年度最後の仕事になるのだから力を入れるのはそれこそ拳児自身が言ったように当然なのだから。

 

 わからないことを拳児が言うのはいつものこととして、その一方でその言葉が流れるように出てきたことに対して恭子は感心していた。裏プロなどというおそらく個人主義が中心となるであろう環境で過ごしてきたはずなのに、学校としての強さにきちんと目を置けていると理解できたからだ。麻雀における強さとは継続性である。一度の半荘、あるいはもっと凝縮すれば一局であれば、ラッキーでなんとかなってしまうのがこの競技であり、その中で勝ち続けることができるからこそ評価というものがついてくる。夏を制しても三年が抜けて春の結果が散々ならば相応の評価が下される。次代のメンバーを恐れる必要はないと言われることさえある。だからこそこれ以上ない栄誉を手に入れた姫松は春に注力する必要があった。

 

 「言うても出場校はまだやけどエグいとこ多いんちゃうん」

 

 「さあな、赤阪サンからも色々聞かされてっけどどこもオーダーが見えねえしよ」

 

 「そやったな、急にぽこっと出てくるような子もいるし」

 

 「去年出た印象とかなんかねーのか」

 

 「どこも案外お試しでやってるとは思うけどな、ヤバい新入生は無視しての話やけど」

 

 実際に何度も泡を吹かされたことを思い出して恭子は乾いた笑みを浮かべた。思い出してみれば決勝戦に限っても姫松以外は一年生を大将に据えていたし、他にも清澄、有珠山など頭の痛くなるような一年生はごろごろいた。もう一年さかのぼれば荒川憩などという異物が出たこともあって、正直なところ恭子は他校の新一年生という層にあまりいい印象を抱いてはいない。

 

 ところで恭子は自分が言ったことがそのまま姫松自身にも当てはまるのだろう、とその回転の早い頭で推測していた。素質はたしかなものだし実力が伸びたと聞けば素直に信じる用意はあるが、だからといって漫を中堅に置くことが最善になるとは限らない。そう考える恭子はこれを実験の一種だろうと捉えていた。もちろんベストである可能性はあるどころか一番高いのは間違いないのだろう。そうでなければ春に試す意味がないからだ。情けない結果を残すわけにもいかず、そのうえで次の夏を見据えた動きをしなければならないとなるとなんとも厄介な大会だと言えそうだ。選手の立場から離れてみると意外とよく物事が見えるものだと恭子はちょっぴり驚いていた。

 

 「結局は自分のとこの事情が最優先だァな。それでも簡単じゃねーけどよ」

 

 「ほー、どっかで詰まってんの」

 

 「主に妹さんの置き所でな。他の連中との兼ね合いがあんのが団体はメンドクセー」

 

 「なんや意外とさらっとバラすんやな」

 

 サングラスで目が見えないはずなのに、そのとき恭子は拳児が目を開いてきょとんとしていることがなんとなく雰囲気で感じ取れた。

 

 「現役じゃねーんだから問題ねーだろ。オメーが後輩どもを変に煽るとも思わねーしよ」

 

 信頼と取れる言葉を恥ずかしげもなく吐いてもらったことは本音を隠さず言えばたしかに嬉しかったが、同時に現役ではないのだと直接言われてショックな面もあった。もうずっと練習に出るどころか牌を握ってすらいないのに、どうしてかそこには寂しさがあった。

 

 しかし彼女は幸か不幸か頭が良く、ここで感傷に浸るのはお門違いだとしっかり判断していた。

 

 「それもそやな、煽るんはコーチか監督の仕事やもんな」

 

 「なんならオメーが監督やるか? 俺ァそのほうがずっとラクだぜ」

 

 「アホか。どこに大学生になるのと同時に監督なるのがおんねん」

 

 「……それは俺様が誰だかわかった上で言ってんだよなオイ」

 

 なんだか拳児が意識していじられる位置に動いたように思えて、恭子は思わず笑ってしまった。洋榎の言い分ではないが、たしかにおいしすぎる。しかも本人がそのことに自覚的でないということが、なんというか余計にずるい。こんな人物が裏の世界にいたと言われても今ではとても信じられないほどだ。どの立場でものを言っているのかと自分でも思うが、彼にとって姫松という場所は正解だったのだろうと恭子は思う。他のどこでもこううまくはいくまい。つまりきっと、播磨拳児という男は運の強い人物なのだ。そんなのが姫松に今後もいるのだからと思うと、今度は安心感が恭子を包んだ。

 

 「いやいや悪かったて、それより播磨もなんか用事あって廊下に出てきたんとちゃうの」

 

 「あ? ああそうだ、便所行こうと思ってたんだ。時間なくなっちまうぜ」

 

 そう言うと拳児はポケットに手を突っ込んで、いつものチンピラくさい歩き方でその場を離れた。そこまで長く話をしていたわけではないから彼が授業に遅れることはないと思うが、もしも遅れてしまったらと思うと恭子はちょっと悪いことをした気になった。なにせ自分は授業には出ないで自習するつもりなのだから。しかしすぐにいまさら授業に一回だけ遅刻したところでどうなるものでもあるまいと思い直し、ほんの一瞬だけトイレを向かう拳児の背中に目を向けて恭子は自分のロッカーへと歩いて行った。

 

 ( ……しっかし丸一年も女子の群れにおったのにデリカシーだけは身に着かんかったな )

 

 

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 「は? 卒業式?」

 

 「そ。ジブンなんかやらへんの?」

 

 授業もホームルームも終わって、忙しい受験生たちはさっさと教室を出てしまっている時間帯。拳児の行動サイクルで言えば今は部活前に教室でちょっとだけ待つ時間だ。拳児が姿を見せることが部活開始の合図という形式がいつの間にか出来上がってしまったため、ある程度の間を置いて行かないと練習を始めるための準備が整わなくなってしまうこともあるのだ。この時間、やることがなければ拳児が退屈だということを知っている人物は意外と少ない。外の明るさと教室の電灯の明るさはおおよそ釣り合っているように見える。

 

 「やるワケねーだろ、考えたこともねー」

 

 「高校最後なんやし播磨みたいなんがバーッとやったらおもろなるんちゃうん」

 

 「んーなガキくせえことやってられっかよ」

 

 「なんやつまらんやっちゃな」

 

 「うるせー俺様は意外とオトナなんだ」

 

 拳児の返しまで聞くと洋榎はわざとらしく頬を膨らませた。どのみち最初からノってくれるとは考えていなかったのだろう。あるいは拳児が自分で “意外と” なんて言っているのに注目するならば、むしろ洋榎の反応は予想以上のノリの良さに驚いていると取るのが自然かもしれない。そんな彼女は日中であれば由子が使っている机にわかりやすく頬杖をついた。拳児は拳児で話を始める前から自分の机に頬杖をついており、二人の様子はポーズだけはまるで鏡移しのように話をしやすいものになっていた。ちなみに真瀬由子は育ちのおかげか頬杖をつくようなことがなかったから、もしかすると拳児は新鮮な感じを覚えていたかもしれない。

 

 教室にはそれほど急ぐ理由がないということなのか、まだいくらかクラスメイトが残っている。しかし彼らあるいは彼女たちはそれぞれに意識を向けるべきことがあるようで、一人として拳児と洋榎のほうへ注意を払うことはないようだ。相変わらず頬杖をついて前を向いたまま拳児が口を開いた。

 

 「つーかよ、オメーこっちいるんなら練習出ねーの?」

 

 「あれ、言うてへんかったっけ。出られへんねん。もうプロ契約してもうたからな」

 

 「どういうこった」

 

 「プロはなんや資格取らんとアマに指導したらあかんのやって。プロアマ協定いうてたかな」

 

 「ハッ、ご苦労なことだぜ」

 

 「ま、播磨からしたらそういう反応にもなるわな」

 

 よく意味が掴めなかったのか拳児は眉根を寄せたが、その割に眉はすぐに元に戻ってしまった。考えることを放棄したのかもしれない。

 

 これは部の一年生や二年生、つまり現在の麻雀部にはあまり知られていないことだが、播磨拳児はまったく無口というわけではない。部でこそ資料と格闘したり対局を見たり考えごとに集中したりでしゃべる機会が少ないが、日常生活では話を振られれば答えるし軽口を叩くこともある。クラスではむしろ裏プロなどという色眼鏡がないぶん馴染んでいるとさえ言ってもいいかもしれない。たしかに自発的に話を始めることは少ないかもしれないが、合宿やインハイなどを見る限り社交性は普通にあると言っても問題ないだろう。あくまで問題なのは見た目の威圧感だけであって、そこを乗り越えればいちおう男子高校生の範囲に収まりはするのだ。バカかもしれないが。

 

 「そーいやよ、北海道ってまだ寒みーのか?」

 

 「寒いなんてもんちゃうわ、いま二月やで。なんやもう空気から違うわ」

 

 「すくなくとも冬にゃ二度と行きたくねーな」

 

 「……ホーム試合のチケットとか送ったろかホンマ」

 

 「もうちょくちょく向こうで生活してんだろ? どんな感じなんだ」

 

 「送る荷物はもうあらかた送ったからなあ、部屋だけで考えたらあんま変わらんで」

 

 しれっと言い放つ洋榎の様子に拳児は何か思うところがあったようで、珍しく感心したような声を上げた。それを聞いた洋榎が頬を掻く。もともと拳児のほうに寄せていなかった視線をわざとらしくさらに逸らした。

 

 「……お前サングラスいつまでしとんねん、たまには外したらどや」

 

 「やなこった」

 

 「よう考えたらお前そのカッコおかしいやろ、なんやねんヒゲにサングラスにカチューシャて」

 

 「うるせーな、これは特別なんだよ」

 

 「さすがに卒業式はまともなカッコするんやろ?」

 

 「カンケーねえから気にすんじゃねえ」

 

 その言葉に洋榎が違和感を覚えてその原因を考え始めると、拳児がすっくと立ちあがった。横に立っているときの身長差にはだいぶ前から慣れてはいるが、一八〇センチを超える身長を座った状態から眺めると、やはり大きいのだなあと妙な感慨が湧く。拳児は中身の少なそうな音しかしないカバンをひっつかむとそのまま首をぐるりと回して洋榎のほうを向いた。

 

 「じゃーな、時間切れだ。俺様が行かねーと練習が始まんねえもんだからよ」

 

 それだけ言うと洋榎からの返事も待たずにさっさと廊下のほうへと歩を進めていく。いまさらそんなことに何を思うでもなく、洋榎は由子の席に座ったままさっきの違和感について考え続けていた。

 

 ( なーんか言い方おかしい気がすんねんけど、なんやろ )

 

 

 

 

 

 

 




次でおしまいです

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