姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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86 初詣と考え方と

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 一年の終わりの、深く静かな夜を明けて新年。元来であれば親族や親しい人に、それこそ方々を回ったり里帰りをして挨拶をするのが一般的なのだろうが、拳児にそのつもりはまるでなかった。もしかしたら想い人である塚本天満が正月ということでアメリカから日本に帰って来るということもあるかもしれないが、もともと住んでいた矢神に戻る気はしない。拳児にとって矢神とは彼女と出会えた奇跡の地であると同時に、どう頑張っても彼女に思い通りには近づけないという呪われた地でもあった。たとえるなら回し車のように、どれだけ走ってもちっとも前に進まないのだ。加えてたまに邪魔さえ入る。さすがの拳児といえどまるまる一年のあいだそれが続けば学習もする。彼女がたまに帰省している可能性を踏まえてなお拳児が矢神に一度も帰らなかったのにはそういった理由もあった。それにもう二、三ヶ月経てばその日はやってくる。播磨拳児に焦る必要などどこにもないのだった。

 

 とりあえずは起きたまま新年を迎えたが特別に夜更かしをすることもなく、半ば強引に詰められた初詣の予定のために拳児は眠りについた。夢を見た覚えはなく、目を開けてみれば朝が来ていたといった感覚だった。もそもそと布団を出てひとつ伸びをし、窓を開けると急に冷たい空気が流れ込んできた。天気予報は見ていないがそれでも傘の準備は必要なさそうな空模様で、拳児はそれを見ると鼻を鳴らしてさっさと窓を閉めた。

 

 

 比較的早い集合時間の設定だったためか、集合場所である最寄り駅までの道のりはかなり静かなものだった。人の姿は数えるほどしか拳児は確認していない。あるいは正月といえば自宅でのんびり過ごすか気合を入れて二年参りをするかの極端な選択をする人が多いのかもしれない。だからお参りをする人はすでに出払ったあとで、家にいる人はまったく出て来ないという状況なのかもしれないが、そんなことは拳児にはわからないしどうでもいいことでもあった。

 

 拳児の、つまり一般的な姫松生からすれば高校の最寄り駅が集合場所になったのは四人で初詣をするなら結局だれもがこの駅を経由するからであり、その意味で非常に便利な立地にあると言える。高校ともなれば場合によってはなぜこんな僻地に建てたのかと言いたくなるようなところもさして珍しくはなく、したがってこれから初詣に向かう四人は恵まれた環境にあると言えた。しかし言ってみたところでおそらくそんなことには誰も気付いていないだろう。

 

 拳児が時間通りに駅に着いてみると、すでに三人組は揃ってなにかを楽しそうに話していた。全員が全員暖かそうだが動きやすそうな服装で、よくニュースで見るような気合の入った参拝をするというわけではないようだった。

 

 「お、播磨ー」

 

 体の向きの関係で、拳児に最初に気付いたのは洋榎だった。体格が大きいわけではないが、長いポニーテールが駅前の人ごみの中でもやけに目立つ。続いて恭子と由子も振り返って拳児の姿を確認したようだった。たとえどれほど人の波がすごくても拳児を探すのには苦労しないだろう。どちらも軽く手を振って呼んでいるようだった。

 

 「あけましておめでとう、ってなんや播磨、お前私服持っとったんか」

 

 「なんだイキナリ。それくらい持ってるに決まってんだろーが」

 

 「でも言われてみれば合宿もインハイもずーっと制服やったような……」

 

 新年の挨拶も満足に終わらないうちに話は一気に逸れた。とはいえこれまで実際のところ姫松に彼の私服を見た人間はいない。新鮮だという反応も当然だろう。しかしそれでもまだ見た目で一番印象に残るのがヒゲグラサンにカチューシャという主に頭部だというのだからどうしようもない。逆に言えばそれらを取り除いてしまえば誰も拳児には気付けないのだから、姫松とはまるで関係ない変装の当初の目論見は達成できていると判断できそうだ。どのみちロクでもないのは否定できそうもないが。

 

 拳児が歩いてきた道に比べればさすがに駅前には人の姿が見られたが、それでも平日の通勤通学の時間帯に比べればおとなしいものだった。空気も澄んでいる。まるで誰かが意図して作ったような静かな朝に、拳児たちも風景の一部として溶け込んでいた。

 

 「で、どこ行くんだ」

 

 「そんなん神社に決まっとるやろ」

 

 「バカ言ってんじゃねえ、場所を聞いてんだ場所を」

 

 「あれ、言うてもこの辺に住んでそれなりに経つのに知らへんの?」

 

 「住もうが何しようが外に出る時間がねーんだからどうしようもねーだろ」

 

 夏まで同じ部活に出ていたのだから彼女たちはもちろん知っているが、全国大会常連のレベルともなれば土日のどちらか一日であってもすっかり休みということはまずない。たしかに木曜日だけは週に一度の部活休みとなっているかもしれないが、監督代行である拳児は外部が思っている以上に忙しく、加えて彼は学校が終わってから神社仏閣を巡るような趣味をしていない。となれば拳児が神社の場所を知らないのはあまりにも当たり前すぎることだった。

 

 「ゆーて私、播磨がわりと小さいころからこの辺におったような感覚やったのよー」

 

 「あ、わかるわそれ。なんや春に来たばっかいう気せーへんやんな」

 

 けらけら笑いながら拳児いじりに花を咲かせつつ、四人は改札へ向かって行った。

 

 

―――――

 

 

 

 平和なものだと拳児が思っていたのもつかの間、電車が駅に停まるたびに乗客の数はぐんぐん増えていき、目的の駅に着くころには熱と密度と混じりあった匂いでうんざりするほどまでになっていた。気が付けば近くに三人が見当たらない。拳児と違って平均的な女性の身長とさほど差のない彼女たちは、満員電車の中だとすっかり埋もれてしまうのである。彼女たちから降りる駅の名前を聞いていない拳児はどうしたものかと考えたが、それは乗客のほとんどが参拝に行くということで杞憂に終わった。一斉に人が流れたのでそれに合わせてホームに降りてみると、車内がつらかったのだろう三人がすこしだけ息を切らせていた。

 

 「去年も思ったけど、やっぱり大阪ってホント人多いのよー」

 

 ため息と同時に歩き出そうとしても前がぎゅうぎゅうに詰まって思うように進めないのがなんとも滑稽に思えて、女子三人組はくすくすと顔を見合わせて笑っていた。後ろのグラサンは本気で面倒くさそうな顔をしている。初詣だからといってわざわざこんな朝から行かなくてもよかったんじゃないかと今にも言い出しそうな雰囲気だ。すし詰めになってはちょっとずつ押し出されていく自動改札を見てところてんみたいだな、と思ったのは拳児だけではないだろう。ぐいぐいと押し出された駅の外はやっぱり寒かった。

 

 参ろうとしている神社に近づけば近づくほど、それこそ伝統になるほどに長いこと続けてきたのだろう、屋台やらいまひとつ判断のつかないものやらの呼び込みがそこらじゅうから聞こえてくる。普段イメージする雑踏という言葉よりもずいぶん濃度を上げたそれは、電車の中と比べてみるとたしかに華やかな感じがあった。

 

 くらくらしてしまいそうになるほどの人の海は、なるほど目の前の三人組だけでは大変だったろうと拳児にさえ思わせた。見渡せる限りの人の中にも数こそ少ないが晴着が散見され、からころと特徴的な音も耳に入る。どうにも動きづらそうなのと合わせて色合いのせいでやけに目について、知らないうちに拳児は目で追っていたらしかった。

 

 「なんや播磨、おもろいモンでも見えるんか」

 

 「あー、いや着物の連中が動きづらそーだなって思ってよ」

 

 「たぶん播磨が思っとるよりはしんどいで。外できちんと直せる人もおらへんやろし」

 

 「んだオメー着たことあんのか」

 

 「着付けはやってもらわんとダメやけどな」

 

 拳児には着付けがどういうものか知識がなかったが、とりあえず言葉の感じから一人ではできないものなのだろうと結論付けた。そのうえでそんな面倒なものをわざわざ人の集まる日に着てくる女性たちをただ不思議に思うのだった。すぐそばでは今の拳児と洋榎の会話から派生したのか成人式だの神前式だのという単語がぴーちくぱーちく聞こえてくる。この辺りの長いこと一緒に過ごしているだろうに話題の尽きないところは素直に拳児が驚くポイントになっていた。

 

 大きな鳥居をくぐってそのまま賽銭でも放りに行くのだろうと拳児は思っていたが、人の流れに任せてそのまま進もうとしていたところで腕を引っ張られた。拳児がきょとんとしていると脇にそれるコースの先頭で洋榎が親指で行く先を示していた。恭子と腕を引いた由子はやれやれといった顔をしている。

 

 人の流れがかなり大きくなっていたこともあってそこから抜け出すのにいくらか苦労したが、それでも不可能ということもなく、抜け出すとあの息苦しさが和らいだような感じがあった。視線を先にやると、小さな屋根の下に岩から水が湧き出ているように見える手洗い場があった。いわゆる手水場というやつで、柄杓が意外なほど置かれている。たしかに手洗いうがいは大事かもしれないが、外でやったところでそれほど効果がないのではと考えた拳児はつい片眉を上げた。

 

 「ああ、そういえば播磨はあんまりお参りしないって言うてたっけ」

 

 「なんだ、ここ寄んなきゃなんねーのか?」

 

 「そ、ヒロがやり方教えてくれるから聞いておいたほうがいいのよー。恭子より詳しいし」

 

 「ホントかよ、全然そんなふうにゃ見えねーけどな」

 

 手水場の水は冬だからといって特別に温められているということもなく、単純に冬の気温のせいで驚くほど冷たくなっていた。手を洗うのも一苦労だし、人によっては口をゆすぐときに歯に染みるかもしれない。それくらい暴力的な冷たさだった。

 

 「人多いし流されたら仕方ないけど、できるだけ真ん中通らんようにな」

 

 「あ? なんでだ、なんかあんのか?」

 

 「いちおー神社やからな、真ん中は神様の通り道いうわけや」

 

 「オメーがそういうの詳しいってのはなんか違和感があんぜ」

 

 「やかましいわ、オカンがそういうのきっちりしとるだけや。せやからキヌも詳しいで」

 

 「や、妹さんはなんとなく納得できんだよな」

 

 聞いていた恭子と由子の二人が同時に噴き出した。実は去年の初詣で似たようなやり取りをしていたのだ。どうやらどちらも似合っていないという認識が共通していたらしい。二人が笑っていて拳児が本当に意外そうにしている光景は、愛宕洋榎には失礼な話かもしれないがなんだか救いがなかった。とはいえ特に夏を過ぎてからはこういうやり取りが自然なものになりつつあるのでそれほど洋榎にダメージが残ることはないだろうが。当然ながら反撃を加えようにもびっくりするような人口密度の中では迷惑になってしまうためそれもできないのだった。

 

 

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 「しっかしよ、終わったから言うわけじゃねーがなんであんな待たなきゃなんねーんだ」

 

 「ようさん人がお参りに来てんねやからしゃあないやろ、なあきょーこ」

 

 「まあ、行事ごとくらい大目に見たったらええんやないかなとは思うけど」

 

 列の先頭にたどり着くまでやたらと時間がかかった初詣もどうにか済ませて、一行は近くのファストフード店に陣取っていた。さすがに朝も早かったことと周囲を人で埋められた状況のこともあって満足に食事を摂ることができるわけもなく、こうしてひと息つきがてら朝と昼兼用の食事をしに来たのだ。幸いなことにボックス席が空いていて、困ることなく腰を下ろすことができている。テーブルの上を見てみれば食事はもうある程度のところまで進んでいるようだ。

 

 「それっくらい大事なお願い事があるんやと思うのよー」

 

 「ああいうのって大抵決まってるモンじゃねーか? 健康祈願とか学業成就とかよ」

 

 「だとしても大事やからお願いもするし、それに結局は自分の頑張りも必要やからねー」

 

 「そーそ、ゆーこの言うとおりや。言葉にすると気合の入りも変わるしな」

 

 そんなもんかね、と曖昧に返事をして拳児は紙コップを傾けた。店内に入ってそれなりの時間が経っていることもあって、トレイに乗せて受け取った時には熱いほどだったコーヒーも今では中途半端な温かさになっている。もともと味で売っているとは言えないそれはお世辞にもおいしいとは言えないものになっていた。

 

 気が付けば、というよりも大概の場合がそうなのだが、グループで話をしている時には拳児は何も聞いていないのがほとんどで、今回も例に漏れずにいつの間にか話題が変わってしまっていた。注意深く聞いてみるとどうやら冬休み明けのことについての話をしているらしい。会話の勢いから判断すると拳児が話に参加しているかどうかはどうでもいいことのようでもあった。拳児からしてもこういう扱いは慣れっこというか、言ってしまえばむしろこういった状況に自身が置かれていること自体が不自然ですらあった。

 

 「へー、じゃあヒロは部のほうに出られなくなるの?」

 

 「ん、ちょくちょく戻ってくるみたいやからそんなこともないと思う」

 

 「授業はまあええにしても卒業式は出られんの?」

 

 「大雑把に言うたら野球選手のキャンプと似たようなもんやろし、大丈夫ちゃうの」

 

 「お、なんだ近いうちに北海道行くのかオメー」

 

 「この距離でハナシ聞いてないとかウソやろ、チームの練習で呼ばれてんの」

 

 しっかりとリアクションを取ってくれた割には説明をしてくれる辺り拳児にとってはありがたい存在である。あるいは彼女たちにとっても未だによくわからない部分があるせいで、対応が一段慎重になっているのかもしれない。

 

 「そォか、そんならせいぜい頑張んな。応援くれーならしてやるぜ」

 

 「…………」

 

 ちょっと待っても叩いた軽口への返しがないものだから、別に何を見ているというわけでもなかった拳児も不審に思ってとくに何もないテーブルのある点から視線を上げると三人娘がそれぞれ説明しづらい表情をしていた。共通しているのは何を言ったものか困惑しているところである。さてそうなると拳児も困ったもので、別におかしなことを言ったつもりもない。それほど日を置かずにプロとしての練習が始まると聞いたから、それに対してエールを送っただけの話である。それだけだというのに真瀬由子に至ってはぷるぷると小刻みに震え始めているというのだから始末に負えない。いったん言葉を切ってしまっていることもあり、拳児も簡単に口を開けなくなってしまった。

 

 やはりと言うべきか、見るからに我慢の限界が近そうだった由子がもういちど噴き出した。ふふふと必死に声を殺してはいるのだが、笑っているのはいくらなんでも隠せていない。そうかと思えば他の二人は変わらず微妙な表情を浮かべており、拳児からしてみると余計に状況が掴みにくくなってしまった。ボックス席でそれぞれの距離も近いせいで、さすがの拳児も降参ということらしい。

 

 「オイ真瀬、何がそんなに面白れーんだ」

 

 「いや、ふふ、その、あなたがっていうんじゃなくてね、この変な空気が」

 

 「ハァ?」

 

 「だって、インハイでも言わなかったようなこと、急に言ってこの空気って、んふふ」

 

 なんとも気まずそうに目を逸らした二人を見て、拳児はそれが事実なのだと理解した。同時に考え始めて、おや、と立ち止まらざるを得なくなった。つまり拳児は監督代行という身分にありながら部員に対して応援をしてこなかったということになる。言われてみて初めてそうなのかと疑い始めた程度である、これまで自身が監督としてどんな態度を取ってきたかなど拳児は考えもしなかった。

 

 実際にはそれでどうにかやれたどころか団体優勝まで決めてみせたのだから文句の出る筋合いはないが、実質お飾りのポジションであることに拳児自身思うところがないわけではなかった。見た目がどれだけアレであっても彼とて男子高校生であり、その本質は何もせずに転がり込んできたものを後生大事に抱えるようなタイプではない。だから拳児は普段から麻雀部の監督であることを他人にアピールしたりはしないし、きちんと真面目に部に関わろうという姿勢を維持している。もちろんこれらはすべて塚本天満を攫うために利用するつもりであるが、それでも男児として納得のいく行動を取ろうとしている辺りに彼の美学がちらついている。

 

 「あー、オイ、そんなに似合わねーこと言ったか俺」

 

 「すくなくとも “頑張れ” なんて聞いた覚えがないのよー」

 

 見方を変えればそれでも部は回っていたということでもあって、それは部活そのものが持っている地力のようなものに拳児が甘えていたということでもあった。部員たちは露ともそんなことを思ってもいないだろうが、拳児にとってはそういうことになってしまうのである。

 

 動作にこそ表れていないものの拳児が軽くヘコんだのだろうことがなんとなく空気で察せられて、そのことがその場の雰囲気をなぜか明るくした。基本的に弱いところを見せない男が、こういったくだらない会話で普通の高校生みたいなリアクションを見せたからかもしれない。それはなんだか普通の友達みたいで、どちらにとってもひどく新鮮に感じられた。

 

 「ま、漫ちゃんたちにはちゃんと言うたり。新しい子もおるんやしな」

 

 「うるせーよ」

 

 「せや播磨、来年言うたらスカウトとかしてへんの?」

 

 「なんだそりゃ」

 

 「優秀な中学生に姫松に来えへんかって声かけんねん、うちもそれやで」

 

 「つーかそもそも練習あんだから探しに行く余裕ねーだろ」

 

 それもそうかという話になって、そこから話題は赤阪郁乃のことに移っていった。それならいったいいつの間に彼女はいろんな情報を仕入れているのだろう、というような始まりである。いろいろと謎の多い人物であるために、いったん話が始まるともう止まらなかった。特定の人物に対してイメージだけでしゃべり始めるとどうしたってロクなことにならないいい例である。しかしこれはこれで学生のガス抜きのひとつの方策ではあって、なんとも平和な年始のひとときであった。

 

 

 

 

 

 

 




誤字報告機能で初めて連絡をいただきました。ありがとうございます。
なるほどこれは便利やでぇ。

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