姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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77 キミ本当に高校生?

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 珍しく拳児が教室からまっすぐ部室に向かっていかずに職員室へと歩を進めているのにはワケがある。というのも授業のために教室を移動しているときに郁乃から呼び出しを受けたからだ。部の監督などという立場にある拳児にとって、そういった呼び出しは特別に珍しいものではない。部員たちの耳目を避けたい話題もないわけではないし、そもそも拳児そのものが避けるべき話題だということもある。結果的にそれなりの事情が絡み合うことで、彼が職員室を訪ねることは割と当たり前のこととして受け入れられているフシがある。

 

 相変わらず怖いもの知らずというか、作法のようなものには疎い拳児はノックひとつすることなく郁乃が待つ職員室の戸を引いて開けた。中にいる先生方もちらと拳児のほうに目を向けてそれで済ませている辺り、拳児のこの入室方法は常態化しているのだろう。並ぶ机の合間をずんずんと進んで自身を呼び出した人物のもとへと向かう。

 

 拳児がある程度近づくと、キャスター付きの椅子がくるりと回っていつものとろけそうな笑顔が出迎える。この学校に通うようになってすっかり半年経過しているが、拳児はいまだに彼女のこれ以外の表情を見たことがない。従姉も相当の鉄面皮だったが、確定した笑顔というのもそれはそれで別種の圧力があるように最近は感じ始めていた。とはいえだからといって何が起きるというわけでもないため、拳児はさっさと頭を切り替えて話を聞こうと視線を合わせた。

 

 「ん。じゃあ、さっそくやけど本題に入ろか~」

 

 声も仕草もふわふわしていて緊急性があるとはとても思えないが、そのことは別に何の保険にもなっていないことを拳児はよく知っている。まったく同じフォームから直球と変化球を投げ分けるピッチャーのように、いつも通りの話の入り方からときおりとんでもない話題を放り込んでくることもある。とりあえず拳児にできることは油断しないことだけだ。

 

 「えっとな~、絹恵ちゃんのことなんやけど~」

 

 「妹さんスか?」

 

 「うん~、ここ二、三日ちょっと元気ないような気がして~」

 

 言われて思い出してみるが、拳児にはここ数日とそれ以前の違いがわからなかった。いつものように真面目に練習に取り組んでいたように記憶しているし、かと言って練習に集中するあまり口数が極端に減ったというような感触もない。部員たちが打っているなかを見て回っているときにも、いつもくらいの頻度で声を聞いたような気がしていた。

 

 「俺にゃちっとわかんねースけど」

 

 「ん~、どう言うたらええんかな、無理していつもどおりっぽく見せてるーいうか……」

 

 そう言われてしまえば拳児はそうかと言うしかなくなってしまう。誰かが演技をしているとしてそれを見抜くような目を彼が持っているわけがないし、加えてそのことに自覚的でもあるせいで、演技をして何かを隠しているのではないかという選択肢を初めから消してしまっているのである。あくまで拳児にできることは強さを測ることと全力を出しているかどうかを正確に判断することだけであって、隠そうと努めている人の機嫌どうこうを判断することなどまったくできない。もちろん拳児にできることそのものが異常の極みであることは間違いのないところではあるが。

 

 拳児により正確に伝えるために頭の中で言葉を探しているのか、郁乃は頬に人差し指を当ててちいさく首を傾げた。誤解と勘違いの中で過ごしてきている拳児だが、どうも裏プロだとかそういう勘違い以前に、言葉を尽くせば言いたいことが伝わると思われているらしいのが非常に面倒に感じられていた。まずもって播磨拳児はバカである。相手の気持ちを考えて行動することなどほとんどないし、細かいことは気にもしない。だから言葉を尽くしてニュアンスを吟味されても、そこからきちんとしたものを拾うことはめったにない。それなのに麻雀部の関係者がどうして丁寧に言葉を選ぶ傾向にあるのだろう、と当事者である拳児も考え込むことがたびたびあった。

 

 「あー、細けーとこはいいんで、俺の役割はなんスか?」

 

 「そう? それやったら、できれば拳児くんに元気づけてもらいたいな、て思てるんやけど~」

 

 「愛宕とか仲の良い連中とかじゃなくて、俺?」

 

 「はっきりした事情は掴めてへんからアレやけど、たぶん拳児くんが適任かな、て」

 

 あまり聞くことのできない拳児の素っ頓狂な声にも、郁乃は特にこれといった反応を見せることなく返した。ときおり、ぎ、と椅子が軋む音がするのは体重をかける向きを変えているということなのだろう。

 

 「それとなーくでいいからお話聞いてあげてくれる~?」

 

 「ま、それぐれーならいいスけど」

 

 

 職員室を出て、考えをまとめるためにえっちらおっちらと拳児が歩く。スクールバッグを右肩にかけて両手をポケットに突っ込んでいる。学ランのボタンは一つとして閉められていない。内に着たシャツもインナーが見える程度には胸元が開いており、それだけ見れば比較的どこにでも見られる男子学生と呼ぶこともできそうだ。もちろんそれ以外の要素はあまりどこにでも見られるようなものではない。

 

 ( つってもな、元気づけるってどーやりゃいいんだ……? )

 

 これまでの人生でとがり続けてきたこの男にとって誰かを元気づけるというのは未経験に属する事柄である。実際には無自覚にやっていることを含めれば案外と経験を積んではいるのだが、なにしろ本人がそう思っていないのだから学習のしようもないのである。漫や恭子、つい最近では洋榎も拳児のおかげで立ち直ることができたが、本人がそう認識していないと教えてもちいさく笑って納得するだろう。噛み合っていなくて成立する関係などいくらでもあるものだ。

 

 単純な拳児の脳みそでは、頑張れ、と言うくらいしか方法が思いつかない。しかしもしそんな程度でいいのならわざわざ郁乃が自分を指名するわけがないということくらいは彼にもわかる。だから悩むのだ。

 

 ( ……クソ、埒があかねーな。誰かに聞いたほうがいいのか? )

 

 ( 聞くにしてもウチの連中だと本末転倒だな。それじゃあ赤阪サンが俺を呼んだ意味がねえ )

 

 条件は校外の人間で、かつ人を元気づける術を知っていそうな人間ということになる。そもそも連絡先を知っている知り合い自体が極端に少ない拳児の選択肢は驚くほどに限られる。そして拳児が矢神時代に仕込まれた年上に対する敬意を持った思考回路は、平日の昼日中に社会人に連絡を取るのは褒められた行動ではないという結論を弾き出した。この瞬間に誰に相談するかの選択肢はひとつしかなくなってしまった。とはいえプロ雀士と高校生の二択になればほとんどの人が後者を選ぶだろう。その意味では拳児に選択肢などなかったと言うことができるのかもしれない。

 

 

―――――

 

 

 

 校門を出て一〇分と少し歩かないと寮までたどり着けないが、意外と智葉はこのからっぽとも言える時間が好きだった。具体的に何を、というわけではないが、この歩くだけの時間は切り替えるのに実に適している。どうせ部屋に戻っても勉強しかしないのだから、そういった最低限の精神的余裕は欲しいところなのだ。

 

 すっかり秋も深まって、きっとこれから加速度的に冬が近づいてくるだろう。緩く巻いたマフラーの隙間から冷たい風が忍び込んでくる。そのうちきちんと冬用の衣類の虫干しでもしないとならないな、と考えているとポケットの中のスマートフォンが震えた。どうやら電話がかかってきているらしい。この時間は珍しいなと思いつつ、電話をかけてきた相手を確認してみると目を疑いたくなるような名前がそこにあった。

 

 「……もしもし」

 

 「は? 相談? いやなんで私なんだ」

 

 「妹、というと愛宕のところのか。ああ、はぁ? そんなことわかるわけないだろう」

 

 「違う違うそういうことじゃない。そもそもの事情がわからないと言っているんだ」

 

 「はぁ……、あのな、単純に元気づけると言っても中身は単純じゃないんだよ」

 

 「というかその妹さんは部の重要なポストにいるんじゃないのか?」

 

 「それならなんというか、そうだな、責任感みたいなのを自覚させたらどうだ」

 

 「そうだ、忙しいというのも案外悪くない」

 

 「あぁ、うん、あぁ、部員は大事にしてやるといい。じゃあな」

 

 ここが一人の帰り道で本当によかった、と智葉は深いため息をついた。たまたまとはいえメグが隣にいないことに関しては、信じてすらいないが神に感謝してもいいとさえ思った。それにしても、と監督代行の秘密を知っている智葉は歩きながらぼんやり思う。

 

 ( ……あいつ、意外とまともに仕事してるんだな )

 

 

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 地域によってはもう空から白いものがちらつくだろう晩秋も晩秋の昼下がり。お弁当を食べ終えた恭子はなんとはなしに教室を見回してぎょっとした。普段ならチャイムが鳴るくらいにやっと姿を見せる男が、今日に限っては既に机について頭を悩ませているのだから。よく見てみれば机の上には開かれたノートらしきものが置いてあって、状況から見るにおそらくペンを動かしては消し、というのを繰り返しているのだろう。それがあの男に似つかわしいかどうかは別にして。

 

 ちょくちょく耳に挟んだ噂話やら実際に拳児に聞いた話を思い出せば、彼が何をしているのかというのはすぐにわかる話だ。新しい団体のメンバーの選定に頭を悩ませているということだろう。しかしそんな話を聞いてからもう軽く二ヶ月以上は経過しているが、未だ決められないのだろうかと恭子はすこし不思議に思っていた。たしかに春の大会までに決めさえすればいいのだから焦る理由はひとつもないし、それに春までわずかな期間とはいえ急成長する部員が出ないとも限らない。そう考えればまだ決まってないこと自体には納得がいく。そのかわりにしばらく放っておけばよいのでは、という疑問が湧いてはくるが。

 

 「さっきから何してんの?」

 

 「あ? 末原か、イヤ実はちと考えてることがあってよ」

 

 拳児はほんの一瞬だけ視線を上げて、すぐにノートの上に視線を戻した。そこには苗字がずらっと並んでおり、ぱっと見た感じでは現麻雀部の名簿のような印象を受ける。

 

 「ああ、また団体メンバー考えて……」

 

 「そうじゃねえ。……あー、まあ間接的には間違っちゃいねえのか」

 

 「は?」

 

 予想外の返答があって聞き返した恭子にも動じることなく手を動かし続ける様子は、播磨拳児という名前を前提に置くとあまり見られるものではない。そもそも教室の最後列に席があるために普段の授業でも彼の勉強している姿を見ることのできるクラスメイトはほとんどいない。実際に拳児が何について考えているのかが気になった恭子は、そういう珍しいものが見られるといった事情も含めて空いている隣の席に座ることにした。

 

 あらためてノートをよく見てみるとやはりそこには部員たちの名前があって、恭子には先ほど口にした内容で考え込んでいるようにしか思えなかった。違和感を挙げるとするならなぜかノートが四つに区分けされていて、そこに部員たちが学年も実力もばらばらに配置されているといったことくらいだ。このまま眺めていても埒が明かないだろうと考えた恭子はそのノートに書かれた区分けが何なのかを尋ねてみることに決めた。

 

 「で、その四つに分けてんのはどういうこと?」

 

 「一度よ、部の中でチーム分けして団体戦やってみようかと思ってんだ」

 

 「団体戦?」

 

 「おおよ、ウチは人数は十分にいるしよ。逆に多すぎてチーム分けで困ってんだけどな」

 

 ぱっと聞いた感じでは悪くなさそうだと恭子にも思えたが、一拍置いてみるといくらか疑問点が湧いてきた。監督としての手腕を考慮すれば、この男はおそらく自分が質問するだけ時間の無駄になるだろうプランを練っているのだろう、と恭子は思うのだが、しかしいまは昼休みで退屈な時間だ。せっかくなのでいろいろと尋ねてみようと考えた。

 

 「団体戦やるなら別に四つやなくてもええんやないの? 五人組たくさん作ったら」

 

 「たしかに勝負の仕方を体験するってのもあるんだけどよ、主眼はそこじゃねえんだ」

 

 「ほーぅ」

 

 「二年生の連中が先頭切って考えたり決めたりすんのにもちっと慣れなきゃなんねえ」

 

 「そこは漫ちゃん中心にしっかりやってるんとちゃうの」

 

 「そりゃ構わねーけど最終的に上重に行き過ぎなんだよ、負担を分散してやんねーと」

 

 拳児の言ったことが恭子にはすぐにピンと来た。どちらかといえばこれは漫側の問題ではなく、部員側の問題だ。これまで頼りにするべき存在がいる状態が当たり前だったために、自覚的かどうかは別にして新しく頼るべき存在に思い切りもたれかかってしまっているのだ。もちろん漫自身は頑張ろうとするだろうから、問題がすぐさま表面化することはないだろう。そしてそれが続けば、いつの間にか彼女が潰れているといった事態になりかねない。そこまでは自身でも考えることがあったから、恭子はなるほどね、と相槌を打って理解を示した。方策としてはまあまあ乱暴と言えそうだが効果がまるで見込めないということもなさそうだ。ついでに言えばいくらかプラスアルファが望めそうでもある。

 

 部員を四チームに分けて、それぞれ五人ずつの代表を決めてから団体戦形式で試合をするとなると、代表を決める話し合いも含めて考えれば少なくとも土日のどちらかを使う必要がありそうだ。恭子は軽く脳内でシミュレーションしてみて、二度三度とうなずいた。シビアな話をすれば二年生よりも一年生のほうが強い、なんてこともざらにあるために、二年生は勝利を優先して自身を切らなければならないこともあるだろう。というよりそれができなければならないのだ。

 

 ペンを机の上に放り投げて顎を撫でていた拳児がぴたりと動きを止めて、誰に聞かせるでもなく独り言のようにつぶやく。

 

 「いや、そうか。上重まるごと外しちまったほうがやりやすいんじゃねーのかこれ」

 

 「へ? 漫ちゃんひっぺがす意味は?」

 

 「上重が入ったチームは上重に頼っちまうだろ? それがなくせるってのがひとつだ」

 

 「もう一個は?」

 

 「愛宕にゃ及ばねーにしても外から全体を見る練習は必要だろ、それだ」

 

 「んー? それ漫ちゃんに要る?」

 

 「バカ言え。負担かけすぎるのはアレでも主将は主将なんだから最低限はあんだよ」

 

 そーだそーだその辺のことは愛宕に教えさせりゃあもっと都合いいだろ、といつの間にか手にしていたペンを走らせている様子を見ると、よほど新しい主将の扱いに困っていたということなのだろう。恭子にはもう詳しいことはわからないが、今の部に絶対的と呼べるほどの実力を有している部員がいるとは思えない。そう考えるならば、たしかに全体として動くこと、あるいは逆に全体を見極めることも必要になってくる可能性はある。世代が変わればチームの運営方法も変わるのだ。それはもちろん当たり前、と言ってしまえばそれまでのことだし、どこの部でも同じような苦労をしているだろう。ちょっと例外的な彼女たちの世代は普通の世代交代ではなかったから体験しているわけではないが、その移行作業が簡単ではないだろうことくらいは恭子にもわかる。決して口には出さないが、自分と同い年でさらに監督一年生なのにそんなことまで考えてよくやるなあ、とその辺りは素直に尊敬している。

 

 拳児がひたすら手を動かしているものだから、必然として恭子は手持ち無沙汰になる。もともと真剣でも何でもない興味本位から近づいたのであって、真面目に相談に乗ってあげるつもりもない。することもなければ自分の席にさっさと戻るのも億劫だったので、由子の机に頬杖をついて、これまで眺めることのなかった播磨拳児という男をまじまじと眺めてみた。よく見てみると、変な男だ。

 

 「なあ、播磨」

 

 「ンだ」

 

 「本当に高校生なん?」

 

 ぐるりと拳児の顔が恭子のほうへと向き直る。それだけで脅迫になりそうだ。

 

 「西暦から生年月日教えてやろうかコラ」

 

 「それはいらんけども、改めて見るとおかしないかなー思て」

 

 「どこもおかしかねーだろが」

 

 「身体大きいのはまあええけど、高校生でそのヒゲはおかしいやろ」

 

 確認しておくが拳児のヒゲは無精ヒゲのようなレベルではなく、口ヒゲにアゴヒゲときちんと整えられたものであり、本人としてもツヤなどを気にかけているほどである。たとえば社交界に出てくるような身分の人物がそんなヒゲをしていれば、立派ですね、と声をかけられるようなレベルにある。もはや見慣れ過ぎて誰もそこには触れないが、そのこと自体がおかしいのだ。

 

 恭子の言葉をどう受け取ったのか、拳児は得意げに自分のヒゲを一撫でして鼻を鳴らした。普通なら褒めていないことくらいはわかるのが自然だろうと恭子も思うのだが、付き合いを持ってしばらく経つというのに目の前の男の価値観が彼女にはまるでつかめていなかった。ちょっとわからないところがあるだとかそういった領域の話ではないし、詳しく聞いたところで共通の言語なのに何を言っているのかさっぱりわからないといった事態が起きることは想像に難くない。

 

 「うん、褒めてないからね?」

 

 「オイ末原、オメーこれにどれくらい手間かかってんかわかってねーだろ」

 

 拳児との噛み合わない会話の応酬に、恭子はこれまで人前で見せたことのないような疲れた目で対応をしてみせた。憐れんでいるようで、蔑んでもいるようで、ひどく複雑な感情の乗った視線だった。後輩たちがこの恭子の顔を見たら、きっと彼女に対するイメージが変化してしまうに違いない。そう確信させるほどのあまりにもな表情が生まれた会話が、平和な昼休みの片隅で展開されていたことなど誰も知るわけがなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 


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