姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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70 播磨拳児の価値2nd

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 自然に囲まれた環境と比べるわけにはいかないが、それでもすっきりとした秋晴れの下に辻垣内智葉の姿があった。寮から部室までのそれほど長くはない見慣れた景色をゆっくりと楽しみながら歩いていく。すでに部を引退しているのだからとくに部に顔を出す必要はなく、それどころか智葉個人はOGが頻繁に顔を出すのは好ましくないとも考えているのだが、可愛がってきた後輩たちのたってのお願いとあらば聞かないわけにもいかないだろう。唯一智葉にとって奇妙に思える点は、一緒に寮を出ればいいものをメグがさっさと先行してしまったことだった。たしかに練習開始時刻と比べればずいぶん重役出勤だと言えるが、そもそも呼び出されたのがこの時刻なのだから仕方がない。むしろメグがそんなに練習に出たがっていたのかと智葉は驚きをさえ覚えていた。

 

 時期としては制服の夏服から冬服への衣替えを済ませてすこしだけ経った辺りで、まだ日によっては上着を脱いでしまいたいこともある。今日は特別に暑いとも寒いとも感じないが、おそらく歩いているうちに汗がにじんでくるだろう。見慣れ過ぎたやけに大きな校門を通り過ぎる。思えば休日に高校へ来るのはしばらくぶりで、そういえば校内に入るまでは運動部の声がよく響いていたのだったと智葉は思い出した。現役だったころはほとんどそちらに気を配ることはなかったが、余裕のある身となった今では意外と興味の対象となる。自身でもそれほど運動が苦手だとは思っておらず、またそれを眺めるのも嫌いではない智葉は先ほどよりも歩くペースをすこし落とした。

 

 普段ならまずありえないことだが親しんだ高校の敷地内ということもあったのだろう、わき見をしながら歩いていた智葉は前を行く誰かにぶつかってしまった。どれほど気を抜いていたのかと自分に呆れながら謝罪をしようと視線を前に戻すと、とても奇妙というか存在するはずのない背中がそこにあって、智葉の頭からは謝罪の言葉が吹き飛んでしまった。

 

 「あ?」

 

 不機嫌そうに振り向いたボタンを一つも留めていない学ラン姿のその男に智葉は見覚えがある。いや見覚えがあるどころか彼女からすればぶっちぎりで複雑な立場にいる男だ。臨海女子の優勝を阻んだ姫松の監督でありながら多大なる勘違いに巻き込まれており、なぜかその秘密を智葉だけが知っているという、どう扱えばいいのかわからないことこの上ない男だ。ついでに言うなら智葉の個人的事情に顔を出し始めているとする説が、本人は全力で否定するだろうが臨海女子の麻雀部で上がってもいる存在でもある。

 

 本当にいつ見ても変わらない出で立ちのおかげで一目で判断がつく。サングラスにカチューシャに山羊ヒゲ。せいぜい違うところを挙げるとするならカバンを肩から提げているところだろうか。なぜか荷物を持たない印象がついているため、似合わないような気さえしてしまう。さすがに大阪から東京まで来てフリーハンドは考えにくいのだから、拳児が荷物を持ってきていることは別段おかしいことではないのだが。ちなみに彼女は例外的にサングラスをかけていない拳児を見たことがあるが、そのことに今は触れる必要もないだろう。

 

 「ンだ、オメーか」

 

 「あ、ああ。すまない」

 

 ある種の混乱状態から智葉がやっと絞り出したのは、ぶつかったことに対する謝罪の言葉だった。この辺りに彼女の律儀な性格が透けて見える。内面がどうであれ外から見ればそれほど取り乱したように見えないのも鍛錬の賜物だろうか。

 

 ぶつかってきたのが智葉であると確認した拳児がさっさと向きを変えて歩き出す。拳児らしいと言えば拳児らしいが、それをそのまま放っておけるわけもない。言ってみれば問題が服を着て歩いているようなものなのだ。

 

 「いやちょっと待て播磨、お前そもそもなんでここにいるんだ?」

 

 「呼ばれたからに決まってんだろ。でなきゃわざわざ大阪から来ねーよ」

 

 その一言に隠された拳児の事情を智葉はかなりの精度で読み取った。智葉からすれば拳児が麻雀に関して指導をするレベルにないことを知っているのは赤坂郁乃、辻垣内智葉自身の二名のみであり、世間的に見れば姫松を優勝に導いた高校生にして新人のとんでもない監督ということになる。それは智葉が所属していた臨海女子の麻雀部でも認識は同じであって、たとえば郝慧宇は彼に敬意を表して “(ラオ)” と呼んでいる。そしてそんな拳児がどんな指導をしているのかを知りたいと思えば実際に呼び寄せるのが最上の策に決まっている。また都合のいいことにと言うべきか悪いことにと言うべきか、ゴールデンウイークのあいだにともに合宿を行ったという縁もあってよその高校より依頼を通しやすいのはたしかなところだ。つまるところ彼に関する誤解が呼び込んだ事態であると考えていいらしい。

 

 彼が監督を務める姫松においてどうやってその指導ができないという問題に対処しているのかはわからないが、同じ手法がここで取れるとは智葉には考えられなかった。たまたまインターハイの本選のあいだに出くわしたときに交わした会話のおかげで、智葉は拳児の異常な目のことを知ってはいる。しかしその能力がもたらすものはあまりに抽象的すぎて指導に使うのには向かないのではないかと思われた。そしてそうなればこの臨海女子での指導で馬脚を露わにしてしまうことになりかねない。一瞬でそこまで思考した彼女は拳児にこう問わざるを得なかった。

 

 「断る選択肢もあっただろう。どうして話を受けたんだ」

 

 「るせェな、なんでもいいだろ」

 

 ふいと智葉のほうへ向けていた顔を前へ戻して再び拳児は歩き出した。今度は止めるのではなく智葉がついていくかたちで話を続けていく。ただ、どの順番で話したところでどうしてここにいるのかを話すつもりは拳児にはもうないようだった。そもそも拳児は周囲に誤解されっぱなしの実力を正しいものに認識し直してもらおうとしてきたにもかかわらず、それがまるでうまくいかなかった現実があるということを彼女が思い出すのはもう少し先のことである。

 

 

―――――

 

 

 

 部活動が始まる前から気になっているのに誰も言い出さないからなんとなく言い出せなくて、練習そのものは粛々と続けられていくのがまた余計に漫の気になるセンサーを刺激した。誰一人として表情には出していないが、それでも全員が同じことを気にかけていることを漫はわかっていた。象徴というか、あって当たり前のものが今日に限ってないのだから。

 

 そのことに一枚噛んでいるだろうコーチは、いつものようにふらふらと卓のあいだをさまよってはメモを取ったりときおり立ち止まってじっと特定の卓を見つめたりしていた。もちろん打っている最中に止めて話を始めるようなことはないし、対局の合間のアドバイスははっと気づかされるようなものがほとんどである。改めて考えてみれば郁乃だけでも相当に優秀な指導者だというのに、よく播磨拳児を迎え入れようとしたものだ。

 

 ふんふんと気分良さそうに鼻歌混じりであっちへ行ってはこっちをのぞき込む彼女の姿は、このまま黙っていたら拳児がこの場に姿を見せていない理由をきっと話してくれないだろうと思わせるのに十分だった。漫個人としても気になるのには違いないし、新主将としても監督がいない理由は知っておかねばなるまい。想像しにくいがもし病気などしていたらお見舞いなども選択肢に入れる必要があるだろう。漫はついに決心して郁乃のほうへと足を向けた。

 

 「あの、コーチ。播磨先輩は今日お休みですか?」

 

 「ん、ああ、拳児くん今日は東京におってな~」

 

 「えっ」

 

 漫が郁乃に質問をしに行った時点で部員のほとんどがそちらに意識を集中していたが、郁乃が答えを返した瞬間に彼女たちはいっせいに振り向いた。初めからぼんやりとした予想しかしていなかったにせよ、彼女たちにとって東京というアンサーは文字通り遠いところにあるものだった。

 

 「東京いうたら東京しかないやん~。ほら、あの夢の国のある~」

 

 「それは千葉です」

 

 うふふ、と郁乃は満足そうに微笑んだが、漫をはじめとして部員たちの顔は困惑に満ちていた。監督が部活を休むところまではわかるにしても、なぜ東京に行く必要があるのだろう。東京で開催される大会に出る予定はないし、そもそも拳児がひとりで行ってどうなるわけでもない。それにきちんと郁乃が行き先を知っているということはサボリでもないのだろう。

 

 もはや練習が完全に止まったことに郁乃以外は誰も気付いていなかった。郁乃はほんのわずかに笑みを深めて漫に答えてあげるふりをして部室全体にそのやわらかい声を届けた。練習が止まっていることに不快感を示すだろう洋榎は先ほどトイレにダッシュで向かっているため、この空間は完全に郁乃のものだった。

 

 「あんな~、実は拳児くん臨海さんにお呼ばれしててな~」

 

 「臨海て、辻垣内さんのトコですか!?」

 

 「もう辻垣内ちゃんは引退してるけどな~。そろそろ練習に参加しとるんちゃうかな~」

 

 「なんでまた……」

 

 「ホントのこと言うとな~、インハイ終わってからいろんなオファーたくさん来とってん」

 

 実際問題、高校生監督ということで就任直後から注目を集めに集めた拳児ではあったが、本人の経歴がまったくわからないことと年齢のことを踏まえて、その実力を疑問視する向きがあったのは事実である。それに加えて年度初めはインターハイの予選が近いために、近隣の学校とはよほど力が均衡していない限り合同練習や練習試合を行うことはない。さらに予選が終わってしまえば残すは本選だけとなり、より高密度の練習が要求される。たとえばインターハイ出場校同士ならばその要求は達成されるだろうが、予選以降はその条件にあてはまる学校同士での練習が規定で禁止されている。これは完全とは言えないものの地方ごとの練習格差を少なくしようとする動きから来るものである。

 

 インターハイを終えてみれば姫松は団体戦でみごとに優勝を決めてみせ、それは各選手の能力の証明と同時に監督がすくなくとも無能ではないことの証明にもなっていた。そんな姫松と合同練習を行いたい、あるいは未だ高校生という若さにして白糸台と臨海女子を押しのけて優勝へと導いた播磨拳児から話を聞きたいと考える学校が出るのは自然な流れとさえ言えるだろう。とはいえ今回の出張は双方ともに意図するところが違っているのだが、それに部員たちが気付くにはヒントが足りなかった。

 

 「でもそれ全部受けてると私らも練習ならんし、拳児くんずっと大阪におれんくなるから~」

 

 「それやとどうして臨海はオッケーやったんですか?」

 

 「サンドラちゃんがすごいから勉強してほしいのと~、偵察?」

 

 ふわふわとしたいつもの笑顔のまま放たれたその言葉を聞いて、漫の口は思わずひくついた。

 

 「あと言うても拳児くん高校生やし、他の環境も見やんと進路狭まってまうもんな~」

 

 「……進路?」

 

 漫からすれば、あるいは部員たちからすれば郁乃の言っていることの意味がよくわからなかった。現在監督を務める拳児の進路などひとつしかない。というより進路という考え方そのものが存在せず、あの春の衝撃的な出会いから彼が監督なのであってそれが続くものだと思い込んでいた。いや、もっと正確に表現するなら続くか続かないかで考えたことすらなかった。

 

 じわりとねずみ色をした空気があらゆる物の隙間から滲んでくるような気がした。インターハイで感じられるような不安感とはまた違った、何かが崩されていくのではないかというイヤな予感が初めて生まれた。大会中に絹恵が教えてくれたように、拳児は()()()()である。そうだ、彼はまだ監督ではない。それはつまり来年にはいない可能性があるということでもあって、漫はそれがイヤだった。単純に持っていかれてしまうような気がした。

 

 「えっ、ちょっ、播磨先輩卒業したら辞めてまうんですか!?」

 

 「それは拳児くんに聞いてみいひんとな~、もちろん私も続けてほしいとは思うけど~」

 

 顎に人差し指をあてる仕草は普段と変わりないが、いつもと違って少しだけ眉を困らせて郁乃は返答した。その様子は部員たちに、郁乃から見ても拳児は重要な役割を担っているのだろうことを思わせた。同時にその言葉から拳児自身が姫松に居たいと思えば監督を続けてくれるということに思い至った。

 

 とはいえあの男が相手となると何がその琴線に触れるのかがまるでわからない。たとえば拳児が好むものは何か、と問われたところでせいぜい漫に答えられるのはバイクぐらいのものだ。それも別に乗り回している拳児に遭遇したことがあるというわけでもなく、インターハイ決勝の控室での話題にちょろっと出ただけでどの程度の入れ込み具合なのかはまるで知らない。そのほかとなるとさっぱりだ。立ち止まって考えてみれば播磨拳児という男の趣味も嗜好も思考回路も判断基準も何一つとしてわかっていないことに初めて気付いて漫は愕然とした。つい最近似たような体験をした少女がいるのだが、もちろんそんなことを彼女が知るわけもない。

 

 見方によっては全国優勝を目指す名門としての環境がこの状況を生み出したと言えるのかもしれない。全体的に生活のリソースの大部分を部活に捧げてきた彼女たちに大きな余裕はなく、謎に満ち満ちた新監督について考えている暇などそれこそなかった。そしてその大目的であるインターハイを終えて、“播磨拳児の人間化” がやっと始まったのだ。細かい部分の解釈はそれぞれ分かれるかもしれないが、いきなり奇妙な環境に放り込まれて半年ほど経ってようやくこの扱いになる辺り、彼は同情をされて然るべきだろう。

 

 

―――――

 

 

 

 最終的に諦めた智葉を連れて臨海女子麻雀部の部室の扉を開けた拳児は、姫松とは違うタイプの広さを有している室内を見回して初めに足を運ぶべきところを見定めた。もちろんいきなり開いた扉に日本を含むさまざまな国籍の部員たちがその視線を拳児に集めたが、いまさら彼がそんなものを気にするわけがない。当たり前のように一歩踏み出そうとして途中でやめ、くるりと振り向いて智葉に向かって口を開いた。

 

 「オメーもあれか、先に監督サンとこにアイサツするつもりか?」

 

 「まあ、そのつもりだ」

 

 この言葉が拳児の口から自発的に出されたということをいったい誰が信じるだろうか。あるいは姫松の部員たちであればまだ理解してくれるかもしれない。もしも姫松以前の彼を知る人物に聞かせたら間違いなく冗談だと笑うだろう。それもずいぶん下手くそだと付け加えた上で。以前から振る舞いは粗暴だったわりに誰かに叩き込まれたのかと思うくらいに意外と目上に礼儀を通すことは知られていたが、そこに “誰かに対して気を遣う” という新たな芽がゆっくりと育っていたことは知られていない。実は姫松に来る前の段階からわずかなりともその萌芽は見られていたのだが、粗暴という凝り固まった拳児のイメージがそれを改めて認識することを阻害していた。

 

 こう声をかけられたからには智葉としても拳児の後ろをついていくのが自然な流れだろう。気を遣われたこと自体に、へえ、と思わなくもなかったが、ここで監督として来ている彼の前に立って歩くのはいくらなんでも無礼が過ぎるというものだ。それなりに礼儀に通じているのかと思いきやポケットに手を突っ込んでチンピラのように歩く拳児に疑問を抱きながら、智葉は彼の後ろを数歩下がって歩き始めた。

 

 

 OGとしての挨拶を先に済ませた智葉はとりあえずその場を離れることにした。監督同士の話に首を突っ込む気はさらさらなかったし、自分の居所としても違うと感じたからだ。ひょっとしたら部員には聞かせたくない話題が出ることもあるかもしれないしな、と智葉なりに気を遣った部分もないわけではない。智葉の足は特に距離の近かったあの夏の団体メンバーのもとへと向いていた。

 

 「この面子で卓を囲んでいるのを見てもとくに新鮮味は感じないな」

 

 「あ、サトハ」

 

 智葉が声をかけると、卓についていた四人がいっせいに視線を上げた。面子はそのまま全国大会上位レベルの卓と言っても過言ではない。対局途中で声をかけるのはよろしくない行為だと理解はしていたが、今日のメインとされているだろう男が到着したのだから問題ないと智葉は判断した。四人の表情を見るに彼女が声をかけてきたことに不満を持っている者はいないようだ。

 

 もともとの立場もあるため彼女たちとの会話も挨拶程度に収めて、新たに部を担っていくことになった新部長に声をかけにいくつもりだったが、智葉のその見通しは甘かった。彼女はまだ渦に巻き込まれていることにさえ気付いていない。ちょうど背中を向けて座っていたネリーが、振り向いて夏以前を思い出させるような調子で口を開いた。

 

 「監督とのお話終わったの?」

 

 「ああ、私は簡単な挨拶だけだから」

 

 「ふーん。ケンジはいつ話終わりそう?」

 

 「監督同士の話だから見当もつかん。……あまりちょっかい出し過ぎるなよ?」

 

 思い返せばあの合宿でちょくちょく一緒に行動していた映像がよみがえる。身長差で言えばメグとネリーのほうが差が開いているはずなのだが、拳児とネリーの並びはそれ以上に違和感を与えるものだった。現実に何がどうなるというものでもないが、とりあえずよその監督の邪魔をするのは止めるべきだろう。そんなことを話しているうちに拳児とアレクサンドラの話も終わったようで、軽い会釈をして姫松の監督が移動を始めた。

 

 「あ、終わったみたい。ちょっと行ってくるね!」

 

 どうせこうなるだろうと思っていた智葉はちいさくため息をつくだけで済ませた。視線を卓についている残った三人に戻すと、なんとも言い難い表情をしていた。悪いことが起きたときの表情ではないことは確かだが、ならば良いものに分類できるかと言われても困るタイプのものだ。三人ともがそれぞれ浮かべている表情は違っていたが、その根源にあるものは同じであるように智葉には思われた。

 

 ネリーは席を立ってしまったし、誰も手を動かしていない。彼女たちの注意はもう卓上には向けられていないようだった。ある意味では正しいだろう。今日のゲストである拳児と智葉、それに先に到着していたがメグが揃ったのだから。しかし本来ゲストの身分であるはずのメグは、どちらかといえばホストの立場にいるような雰囲気だった。なにか面倒くさい匂いを嗅ぎ取った智葉はわずかに言葉に険を滲ませてメグに問うた。

 

 「そのカオはどういうつもりだ?」

 

 「どういうもナニもありませンヨ。ただ播磨クンとサトハが監督のところに行くノガ」

 

 「行くのが?」

 

 「お世話になったヒトに結婚報告してるようにしか見えなかっただケデ」

 

 メグが言葉を切ると同時にそれまで頑張って黙っていた明華と郝が噴き出した。いちばん付き合いの短い郝とでさえそれなりの密度の時間を過ごしてきた自負はあったしその郝より学年がひとつ上の明華は言わずもがなだが、それでも初めて見るほどの勢いであった。よく見なくても笑いださないようにくつくつと堪えているのがわかる。つまりこのどうしようもないアホどもは未だに同じネタを引っ張り続けるつもりなのだな、と智葉が修羅になりかけたとき、郝が震えながらまさかの追撃を加えた。

 

 「さ、三歩下がってついていくなんて、くふっ、り、立派な奥方ではありませんか……!」

 

 「なあ前から思ってたんだが日本文化の知識が妙に偏ってないかお前」

 

 いま智葉が実力行使に出ていないのは練習時間だからであって、もし練習時間でなければ確実にネリー以外を追い回す場面が見られただろう。それは臨海女子の持つ対外的なイメージからすると衝撃的ですらある。しかしどれだけ外から大人っぽく見えようと中身は高校生なのであって、友人とはバカなことをしているのが実際のところなのである。

 

 即座に実力行使に出られない智葉はかなり本気で三人を睨んで、後で起こることを意識させた。それは彼女たちから苦笑いを引き出したが、そのなかに苦くないものがわずかに混じっていることなど智葉にわかるわけがなかった。彼女が評した “どうしようもないアホども” はまだその本領を見せてはいなかった。

 

 

 

 

 

 

 


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