姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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 九月の半ばに実施される奇妙な期末テストを終えた次の週の火曜日の昼休み、播磨拳児はいつもの通りに屋上で昼食を摂りつつぼんやりとしていた。真夏の苛烈な日差しもすこしずつ遠のいて、半袖のシャツで過ごすにはベストに近い気候と言ってもいい。屋上ほどの高さになれば周囲に遮るような建物もなくなるため、まっすぐ通り抜けていく風が肌に心地良い。飛ばないようにパックの飲料で押さえたビニール袋ががさがさと音を立てる。白い千切れ雲が浮かんだ空はむしろ色調がはっきりとして清潔に高く見える。拳児はフェンスに背を預け、そのフェンスのために一段上げられた段差の縁に腰をかけていた。隣には額が印象的な少女が座っている。少女は弁当を持参しているようだ。

 

 「そーいえばセンパイ、体育祭どれに出るんです?」

 

 春のいつごろからだったかを拳児は正確に記憶してはいないが、とにかく週に一度か、あるいは二度ほど昼休みの拳児の場所と化しているこの屋上に姿を見せるようになった漫が問いかける。基本的には漫が話題を振って拳児がそれに答える形式をとっており、それが続くにつれてよく話題が途切れないものだと拳児が感心するようになったのだが、やはり誰もそのことを知らない。

 

 漫の問いかけは季節限定の話題で、この機を逃せば二度と尋ねることはできない種類のものだ。なぜなら週末にその体育祭が控えているからである。この姫松高校はそこらの義務教育とは違って体育祭において競技以外のプログラムが存在しない。フォークダンスもなければ応援合戦もない。それどころか色分けから存在せず、完全にクラス対抗のかたちを採用している。つまり集団演目の練習に時間を取られるということがなく、だからこそテスト直後に体育祭を行うという無茶を通すことができるのだ。このクラス対抗という形式がクラスの団結が異様に強めるという特色を生み、その代わりと言えるかどうかはあやしいところだが、各クラスの競技決めが終わってから体育祭当日までは同学年のあいだの空気が殺伐としてくる。同調圧力とは恐ろしいもので、どう見てもそれほど乗り気になりそうには思えない女子でさえもその空気を部活にまで引っ張ってくるようになるのだから困りものである。

 

 ほんのすこしだけ間をあけて、拳児は漫の質問に答えた。

 

 「玉入れ」

 

 「……へ?」

 

 拳児の口から零れた言葉は、漫のすべての予想のなかで最もありえないとされるものだった。おそらく日本全国を探したところでこの男ほど玉入れが似合わない人物もいないだろう。それ以前に学校中に噂となって広まっている彼の運動能力を考えれば、最低でも100m走か綱引きくらいには出さねばならないはずである。

 

 「だから、玉入れだよ玉入れ」

 

 「えっ、なんでです? 走るのとかめっちゃ速いって聞きましたけど……」

 

 「ナンで俺がわざわざ真面目に走んなきゃなんねーんだよ」

 

 「……ようクラスのひとが許してくれましたね」

 

 ( それでも体育祭に出るだけ生真面目いうかなんというか…… )

 

 実際のところは大紛糾であった。玉入れの競技に出たい人、と司会進行を務めていた恭子が呼びかけ、拳児がそれに手をあげた途端にクラスメイト全員が口々にツッコミを入れたほどである。誰もが華の大トリである学年別クラス対抗リレーのアンカーとして拳児を考えており、一位に与えられる大きな得点に期待を寄せていた。それが他の競技には出ないとばかりに玉入れに出場を希望したのだから教室中がざわめいたのも不思議はないだろう。その後もそれに乗じて洋榎がクラス対抗リレーに出ようとしたり、混乱のうちに競技決めのホームルームが終わったりしたのだが、それはまた別のお話である。

 

 そんな騒動を思い出した拳児は面倒くさそうにひとつ息をついたが、何も知らない漫は不思議そうにその様子をただ眺めていた。あまり付近では見られない大きな鳥が空の高いところで啼いた。

 

 「あ、播磨先輩はテストどうでした? 三年のってやっぱ難しいんですか?」

 

 「……うるせェ」

 

 どう聞いてもこれまでとはトーンが変わっているのにそこをイジらないわけがない。漫から見た播磨拳児という人物は驚くほどに嘘をつくのも誤魔化すのも下手だ。そのくせ逃げることを良しとしない美学のようなものを持ち合わせているがゆえに、つつけばつつくだけ何かしら面白いものが出てくる。見た目からでは口が裂けても言えないが、もうその振る舞いは可愛いと言って差し支えないところまで来ているのではないかと漫は考えている。

 

 「……まさか、アカとか」

 

 「んなヒドかねーわい!」

 

 その反応だけでおおよそどれくらいの出来だったのかが推し量れてしまうのも相手が拳児だからである。すくなくとも姫松高校麻雀部の監督は、恭子や由子側の人間ではないらしい。隠さずに言ってしまえば漫もデキるタイプではなく、さすがに常に学年トップを争うような人たちと比べられても困るだけなので、その辺りのからかい方はかなり丁寧にやっていたりする。

 

 漫はくすくす笑いながらちょっと失礼なことを考えていた。どのみち来年もここで監督業をやるのだから留年したところでいったいどんな問題があるのだろう、と。それどころか同じクラスになる可能性もあって、もしそうなれば楽しいことになりそうだな、と拳児の事情など一切考慮しない仮定の話は夢に溢れていた。一般的に日本の高校までの教育機関において学年とは決定的な要素であり、仲の良い先輩やあるいは憧れの先輩とその部分が違っていることは、時にどうしようもないもどかしさを胸に残すものなのだ。彼女がそこまでのものを抱えているかはわからないが。

 

 

 機嫌が良くないことは良くないのだが、どこか拗ねてるだけにも見える態度を取っていた拳児がいつもよりちょっとだけ早く教室に戻るのを漫はのんびりと見送った。拳児は行動を起こす際には他人の状況を確認もしなければ一声かけるということもまずしないため、たとえば今のような状況でいっしょに屋上を後にしようと考えてもなかなか難しい。しかし漫からすると結局は帰る教室も違うのだからそれほど優先順位は高くなく、あまりその辺りを気にしてはいなかった。

 

 じきに午後の予鈴が鳴る時間になり、漫はいそいそと手回りのものを片付けて教室に戻る準備を始めた。拳児が来て以降だれも来なくなった屋上は、いま漫ひとりのものであり、立っている場所から見える青空と薄汚れた屋上の地面に挟まれただけの景色は、気分のいいものであると同時にどこか寂しくもあった。スカートを軽くはたいて扉へ向けて歩き出したとき、あ、と間の抜けた声をあげた。

 

 ( またプレゼントのハナシ聞くん忘れた…… )

 

 大星淡による播磨拳児の東京における行動報告からすこしばかり日が経って、多少なりともその過熱ぶりは収まったと言えるが、それでも興味の対象としての価値を失ったわけではない。程度で言えば無遠慮な視線が減ったくらいのもので、拳児の意中の相手が誰であるのかはやはり誰もが気になるところであった。加えてインターハイの二回戦を終えたあとのインタビューにおいて拳児がふと見せた表情も相まって、余計に世間は()()()()()()に期待を寄せた。ある種のおせっかい心が働いていると言えるのかもしれない。世間は、拳児がすくなくともここ一、二年のあいだに恋人を喪ったのだと認識している。

 

 

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 いつもよりちょっとだけ早めに屋上を出たせいか、廊下で見かける他のクラスの生徒の顔ぶれも普段とは違っているように拳児には感じられた。とはいっても人の顔と名前を覚えない彼からすればそんな気がする程度のもので、別に大事なことでもなんでもない。それに常に完全に決まった時間に拳児が教室に戻ろうと廊下を歩いたところで日によってちょくちょく顔ぶれは変わっているはずである。変わらないのは屋上から教室までの距離だけだ。

 

 しかし拳児が教室に戻る時間が、ひいては廊下を歩いている時間というものが一学期までの彼の生活を通してだいたいは決まっていたということがひとつの引き金になった。

 

 拳児のおよそ五メートル先を歩く男子ふたりが周囲のことを気にせずにそれなりの音量で話している。彼らの後ろ姿にまったく見覚えがないということはおそらく別のクラスの生徒なのだろう。それ自体はとくに校内であれば不思議はないのだがその内容が問題だった。もちろん彼らは後方を歩く拳児に気付いてなどいない。

 

 「やっぱ言うほどちゃうんやって、尾ひれやろ、噂やし」

 

 「ま、さすがに玉入れはないわな。フツー足速いんやったら100mとリレーやしな」

 

 「あんなん見た目だけやって! えぐい言うても麻雀部やろ?」

 

 彼らに悪意はない。きっと話しているうちに盛り上がってつい口をついて出てしまった言葉の綾というやつなのだろう。誰だって友人と話していて必要以上に大きなことを言った経験くらいはあるものだ。ましてや今回の対象はふらりと姫松に訪れ、間違いなく名門である麻雀部の監督の座にいきなりついた上にインターハイの優勝をかっさらってきた人物である。そのことはもちろん、また別の意味でも男子の嫉妬を集める要件を拳児は満たしており、敵対的な態度を裏で取られるのはある意味で仕方のないことと言えた。

 

 ただ、そのこと自体を拳児が仕方のないこととして呑み込むかどうかは別の話である。今でこそ優勝監督などという肩書をつけられてはいてもその本質は不良であって、そしてその本能はナメられっぱなしであることを強烈に拒否する。もしここが姫松高校でなければ、あるいは現在の拳児でなければ五メートル先の彼らは殴られていたに違いない。しかし拳児はこめかみをひくつかせながらも踏みとどまることに成功した。なぜならば彼は大きな目的のためにこの学校を卒業しなければならず、そのためにはここで問題を起こすわけにはいかなかったからだ。従姉である絃子の厳命には逆らえない。それ以上に自由の国にいる塚本天満を必要以上に待たせるわけにはいかない。いま暴力に訴えることのできない拳児は、それとは異なる方法で自身に対する侮りを払拭しなければならなかった。

 

 

 授業中以外は開きっぱなしになっている引き戸を猛烈な勢いでくぐってきた拳児に3-2の誰もが注目した。こんなことは今まで一度もなかったからだ。たとえ寝坊をして遅刻したとしてもまるで急ぐ様子を見せたことのない男が、明らかに何かを抱えて教室に戻ってきたのだ。耳目を集めないわけがない。一瞬で静まり返った教室の様子に気付くこともなく、拳児はずんずんと歩を進めてある少女の席の前で立ち止まった。

 

 「末原、俺をリレーに出せ」

 

 「は?」

 

 拳児の事情など何一つ知らない恭子からすれば当然の反応だろう。なにせこの男は、つい先日のホームルームで周囲の期待をまるごと裏切って玉入れへの出場を希望したのだから。それが心変わりか何なのかは知らないが、いきなりリレーに出せとはずいぶんとわがままが過ぎる。ここでにこやかに了承などすればそれこそ脳の代わりに蒸しタオルかなにかが詰まっているのではないかと疑われること間違いなしである。つまり、そうそう簡単に拳児の要望を認めてやるわけになどいかないのだ。

 

 「だからリレーに出せっつってる。ナメられっぱなしは性に合わねえ」

 

 「何言うてるかわからんけど、ダメに決まっとるやろ。もう実行委員に提出したし」

 

 「くそっ、マジかよ! なんとかなんねえのか末原!」

 

 「マジやしなんともならん。そもそも明々後日が当日やからね?」

 

 恭子の否定はかちんと固いものだった。3-2の全員がそうであるように、恭子ももちろん競技決めをするまでは拳児のリレー出場を期待していた。その意味で言えば彼女も裏切られた被害者のひとりであり、当然ながらルールの上でもそれは無理なのだが、いまさらの拳児のリレー出場を止めたことに私情がわずかながら入っているのは事実である。というよりそれが入らないほうがおかしいだろう。拳児の運動能力はそんな夢を見せるほどなのだから。

 

 こうなれば恭子は梃子でも動かない。彼女が頑固というよりは意固地になる場面ができあがってしまったと捉えたほうがより近いだろう。拳児も何度かこの状態の恭子と接したことがあり、こうなった以上は諦めるしかないというのが彼の出した結論であった。もしかしたら彼女が有能な参謀役であったがゆえに、ある種のイメージを抱いてしまっているのかもしれないが、それはやはり誰にもわからないことであった。

 

 

 それからごく短いあいだ、教室と麻雀部の部室、それと特定のルートの廊下以外では見られなかった拳児の姿がちょくちょくほかのところで散見されるようになった。

 

 

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 校風がそうさせるのか、誰一人としてジャージを着ることなく半袖とハーフパンツで校庭に出てきている。クラスごとに色分けされた鉢巻きは頭に巻いたりネクタイのように首にかけたり、そのまま手に持ったりとそれぞれ扱い方が違ってこそいるが、やる気に満ちていることだけは伝わってくる。七百人に届こうかという全校生徒が静かに闘志を燃やしている、あるいは睨みをきかせているさまは異様な眺めとしか言いようがなかった。どうしてこれほどまでに体育祭に入れ込んでいるのかは誰にもわからない。それをさらに煽るように綺麗な青空が姫松高校を包んでいた。

 

 校長と実行委員長による開会の挨拶を誰もが適当に聞き流し、競技が始まるのを今か今かと待っている。高校生にもなると整列の順番は適当な場合が多い。それでも雑談の声があまり聞こえないところを見ると、体育祭に対して真剣であることが伝わってくる。

 

 その開会式が終わって、各クラスがそれぞれのビニールシートが敷いてある場所に向かい始めた辺りからだろうか、ひとつの奇妙な噂が流れた。()()()()()()()()()()。その噂は大々的になることはなく、あくまでほそぼそと伝わっていった。しかし現実的に考えればそんなに短時間で人は縮まない。それに拳児の体格を正確に把握しているかと問われれば、他クラスの生徒たちはただの勘違いかもしれないと考えざるを得なくなる。したがって噂はずっと噂のままでしかなかった。

 

 

 学年別のクラス対抗の形式を採ってはいても体育祭自体は全学年で並行して進められるため、仕方のないことではあるが進行はそれほど早いものではない。しかし生徒一同の熱気はそれに比例しない。どの学年の競技であってもうるさいほどの応援がどの方向からも飛んでくる。座って休憩するための場所であるビニールシートになど寄り付きもしないで応援している生徒も珍しくないほどだ。ちなみに体育祭から明けて二日くらいは喉が嗄れる生徒が続出するのが半ば風習のようなものになっている。

 

 3-2の面々も半分以上はビニールシートを離れて、残りはそれでも立ち上がって応援をしている。音頭をとるのはもちろん愛宕洋榎である。翌日どころか午後からのことさえ考えにないかのごとく声を張り上げて応援をしている。正直なところ運動能力においてまず貢献できないことがはっきりしているぶん、力を注ぐべき部分を定めているのだろうことがよくわかる。しかしその一座にまるで馴染まない姿があった。カチューシャとサングラスをした男がそこで声を張り上げている。まず考えられない事態であることに加えて、その姿はどこか物足りなさを感じさせた。

 

 ちょうど三年男子100m走で3-2の柿沢という文字が胸に躍る男子がぶっちぎりで一位を獲っていた。その様子を見ながら他クラスの男子が感心したように言葉を漏らす。

 

 「ふだん目立たんいうてもやっぱ柿沢のヤツ速いわ、さすがサッカー部だけあるわな」

 

 「な、()()()()()()()()()()()()

 

 

 

 

 

 

 


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