姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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 別に敵意を見せているわけでもない洋榎の打牌のひとつひとつにびりびりと肌を震わせるものを感じた明華は、思い込みの凄まじさというものを実感していた。実際に怖れる必要のないはずのものが妙に怖く見えてくる。勝手に相手の虚像を作り上げ、それに自分が殉じてしまえばロクなことにはならないのが世の常である。相手を見る目は常に正確でなくては意味がないのだ。その意味で麻雀が精神力を要求するというのは当然だろう。もちろんそれは一側面であるのに違いないが。

 

 ただ、それらを承知の上で勝負を挑んだ明華は一歩も引き下がらなかった。ともすれば手拍子で言うことを聞いてしまいそうになる彼女の打牌に対して立ち止まり、考え、捨て鉢になることなく一定の判断を下し続けた。初めての集中力の領域にいると自覚した明華には、今なら白糸台の手も阿知賀の手もすべてが見えるような気さえしていた。実際は出てくる牌をピンポイントで予見するのではなく、いくつか想定されるパターンのうちのひとつに該当するケースが存在するというかたちをとってはいたが、それでも常人には立ち入ることのできない領域には違いない。自分や他家の動きを見て、大雑把にでも他家の打牌を推測していると言い換えれば、彼女が実行している内容が多少はわかりやすくなるだろうか。

 

 脳が聞きなれない音を立てて軋んでいるような気がした。麻雀をする上ではごくごく普通の頭の使い方だが、深度と密度がこれまでとはけた違いだからだろう。ここまでしなければ同じ舞台にすら上がれないのは明華からすればある種信じがたいことではあったが、だからといって取りやめるという選択肢は彼女の中には存在していなかった。

 

 ひょっとしたらこの中堅戦の流れそのものが、ひとつの終着点を目指したものであったのかもしれなかった。それはどの高校が勝つのかなどということと全く関係のない部分で。

 

 

 観客席のスクリーンやテレビ画面にはあまり映らなかったが、卓に着いている少女たちの表情はどうしてか多様なものだった。眉間にしわを寄せて厳しい表情を浮かべていたり、それとは反対に普段とまるで変わりなく落ち着き払った顔もあった。そしてもうひとつには鬼気迫るような、苦しみのうちにありながら妙に迫力のあるものさえあった。一手の持つ重みと情報量とが、それ自体がほとんど言葉を話すかのように変化していく。虚実を織り交ぜて進行していく局の結末は、本来の情報量の違い以上に観客たちのほうが読み取れていたに違いない。卓上は霧がかかったように不透明で、不親切だった。

 

 明華の打牌は、時に恐怖で進む道を曲げさせ、時にわざと隙を見せることで強気な打牌を呼び込んだ。しかしそれらはすべて道を制限する結果に繋がっていることに明華と()()以外は気付いていなかった。そして彼女はそれに気付いていながらも、わかりやすい反発を見せることはなかった。言う通りに従っていると言えば聞こえが悪いかもしれないが、明華の戦い方は、たしかに苛烈だった。白糸台の渋谷にせよ阿知賀の新子にせよインターハイの決勝まで勝ち進んできたチームの一員であり、そんな彼女たちが見破れないような戦術が簡単に破れようはずもない。この局のゴールはほとんど見えてさえいた。

 

 それは十一巡目のことで、ひたすらに狙われ続けた渋谷から零れた牌で明華は和了を宣言した。明華にとってこのことが持つ意味は計り知れないものだった。きちんと三翻以上で和了ったことによる実力の証明をきっかけのひとつとして、それに歓喜し解放感を覚えた。それどころかほとんど表に出てくることのなかった彼女の自尊心をさえ十分に満たす大きな大きな和了だった。恐怖に立ち向かい、それを乗り越え、そして労苦が報われたのだ。いまこの瞬間に自分より満たされた人間はいるだろうか、と明華は誇張なくそう思っていた。一局とはいえ全力の愛宕洋榎を上回ったのだと、そう確信していた。

 

 果たして彼女の表情は、すこし楽しそうにほころんだだけだった。

 

 後半戦の東一局で見せた、あのきょとんとしたものでさえない。あの時よりもよほど真正面からぶつかって抑え込まれたはずなのにもかかわらずだ。悔しがる、とまではいかなくとも後ろ向きな気持ちになるのが筋だろうと考えて、次いで麻雀に関する彼女の性格の特異性について頭を回した瞬間のことだった。黒い線のカタマリが、それはもちろん比喩であり錯覚に違いないが、ノイズが走ったようにその輪郭をときおり崩しながら圧倒的な威圧感とともにそこに存在していた。

 

 出力を上げただろうことは明らかだった。そしてそれが指すところは、たとえいくつかの意味があったとしても、いちいち言葉にする必要のないものだ。がこん、と大きな仕掛けが作動してしまった。明華は虎の尾を踏んで、そして重たい扉を開けたのだ。

 

 

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 見たことのない領域は、たしかにそこにあった。明華が先ほどたどり着いたステージは、決して到達点ではなかった。その奥に潜んでいた彼女の思考の奔流は、明華を呑み込んで押し流した。必死で抵抗を試みたところでそれは許されなかった。彼女が明華の考えの先にいつも座り込んでいたからだ。彼女がやっと本気を見せるつもりになったのか、あるいはそれを引きずり出してしまったのかの判別は明華にはつかない。動かせないのは、もう明華の手には負えない凶悪なプレイヤーがそこにいるという事実だった。

 

 結果として愛宕洋榎は雀明華から12000点を奪い取って彼女を叩きのめした。そのことは明華から戦意を根こそぎ持って行ってしまった。文字通りに、一切の過不足なく。

 

 そうして洋榎はちょっとだけ残念そうな顔をして点棒を受け取った。それまで彼女を包んでいた覇気はきれいに霧散していた。そこにいたのはときおりノイズの走る黒い線のカタマリではなく、長い髪をポニーテールにしたたれ目の特徴的な少女だった。

 

 中堅戦の以後の局にも小さな変動はあったが、姫松高校が首位に立ったこと以外には特筆する必要もないだろう。

 

 

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 「……こりゃ播磨少年が優勝を豪語するわけだわ」

 

 盛大なため息とともに、どさりと椅子の背もたれに倒れ込んでアレクサンドラが感心したように口を開いた。彼女についてある程度の予想はつけていたのだろうが、少なくともその予想をちょっとは上回られたということなのだろう。それこそ手を額に持ってきてわかりやすい “やられた” というポーズまでとっている。テーブルに置いてあるコーヒーはすっかり冷めてしまったようで、今は湯気なんて影も形もない。

 

 ひとりの雀士としては今の中堅戦は実に興味深いものであったが、臨海女子の監督として見るとそうはいかない。得点状況だけで見れば三位に落とされてしまったのが残る現実である。とはいえ明華に対してアレクサンドラから言えることなど皆無と言っていい。相手が悪かった、それに尽きる。間違いなくさっきの彼女は宮永照や辻垣内智葉と勝ち負けになる段階にあった。つまり日本の高校生で一番にならなければ勝てない相手である。いくら留学生だからといってそこまでを要求するわけにはいかない。たとえば運動能力が決定的なものになるスポーツとは根本的に考え方が違うのだから。

 

 「んー、サトハ。ここからどう見る?」

 

 もちろんアレクサンドラ自身、この問いを発する前にある程度の結論を自分の中で出している。それでも尋ねる必要があるから尋ねるのだ。こういう時に全幅の信頼を寄せられているリーダーがいることは有利に働く。大会に選出されたメンバーは、どうやら部活動の中や学校生活の中だけでなくプライベートでもよく遊んだりしているらしい。いくらなんでもそこまでは面倒を見きれないアレクサンドラからすれば大助かりだった。

 

 「勝たないことを選ぶなら簡単です。そのままなんとなく局を過ごせばいい」

 

 「ワオ、サトハの冗談なんて珍しいじゃない。出来はあんまりだけど」

 

 これで智葉がアレクサンドラの意図していることを汲み取っていることがわかった。頭までよく回るとは実に頼りがいのあるリーダーだ。

 

 「……結果論にせよ過程を重く見るにせよ、大将戦がキーでしょう」

 

 冗談がつまらないと言われたことが気に障ったのか、機嫌を若干悪くして智葉が返す。どうにも彼女の口調が天気予報みたいで、アレクサンドラにはそっちのほうが面白かった。

 

 「そうなのよね、見事にどこも厄介そうなのを大将に集めてきてる。まあ当然なんだけど」

 

 「カントク、副将は無視でスカ?」

 

 「違う違う、メグは勝つの前提だっての。どれだけ勝つかは別にしてだけど」

 

 わざと大げさにリアクションを取る。今さら緊張に押し潰されるような精神をしているとは思っていないが、わざわざプレッシャーをかける必要もない。これはまったく真面目に言ってダヴァンが副将戦で負ける要素はないと断言してもいい、とアレクサンドラは考えていた。麻雀そのものが運次第の競技なのだから見当はずれだという声もあるかもしれないが、それは誰もが同じ条件なのだからダヴァンの負ける要素と捉えるほうがお門違いというものだろう。

 

 準決勝では妙に気の入っていないところが見受けられたが、それでもダヴァンは勝っている。つまるところ彼女はそういうレベルのプレイヤーなのだ。彼女を相手に真剣にプラスを考えようと思うのなら、最低でもインターハイ出場校のエースクラスを引っ張ってこなければならない。だからアレクサンドラはその辺りの心配をほとんどしない。というよりも先の中堅戦のような例外が無い限り、メンバーたちは基本的には期待に応えるため、これまでアレクサンドラは心配という行為をしたことがない。実に楽な仕事だ、ただ試合を観ていればよかったのだから。しかしここへ来て、それが崩されようとしていた。組み合わせの妙や局における幸運不運すべてを含めて楽観できない状況が作り上げられていた。繰り返しになるが、だがそれでも彼女は副将戦に対しては砂粒ほどの心配もしてはいない。

 

 

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 館内放送を受けて廊下を歩く絹恵の前に立っていたのは、先鋒戦以降まったく姿を見せていない上重漫だった。いったい廊下のどこに隠れていたのだろうか。この廊下は少なくとも由子と洋榎が一回ずつは往復しているはずの通路で、対局室へとつながる扉以外には入るところすら存在していない。多少は不思議な点が残るが、それでも本当に姿を消してしまうよりははるかにいい。わずかに腫れた目が、少女の感情の経緯を教えてくれた。

 

 「なあ、絹ちゃん」

 

 絹恵が聞く限りはいつもの漫の声だった。震えてもいないし妙に強いわけでもない。どことなく優しい感じのする声で思い出すのは、ふたりでコンビニに飲み物を買いに行ったときのことだった。そろそろ副将戦が始まるのも事実ではあったが、かといって時間がないわけでもない。絹恵が漫の話を聞かない理由がなかった。

 

 「どしたん?」

 

 「頑張ってな、うちにはもうこれ以上のことは言われへん」

 

 そう言ってじっと見つめる少女の顔から絹恵は目を離すことができなかった。なんとも奇妙な (奇妙という言葉でも重要な要素を落としているように絹恵には思われた) 表情をしていた。多くの感情が混ざり過ぎて色を失ったような印象を受ける。なぜ絹恵がそのような感想を抱いたかといえば、表情に反して言葉からはわかりやすく応援の色を感じ取ることができたからだ。

 

 「うん。頑張るわ。大丈夫とかおっきなことは言えへんけどね」

 

 言葉と視線を受け止めて絹恵は力強く頷いた。同い年の二人だからできる会話だった。それ以上の言葉を交わすことなく、絹恵は対局室へと歩き出し、漫はその背中を見送った。絹恵が曲がり角を曲がってその姿が見えなくなると、漫は控室へ向けて歩き始めた。

 

 

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 「……へ?」

 

 先鋒戦が終わってから控室に顔も出さずに心配をかけただろうことで怒られると思い込んでいたものだから、叱られるどころか拳児からその行動は正解だと言われたせいで漫は面食らっていた。室内を見渡せば恭子だけはわずかに不機嫌な様子が見られるが、あとは由子がほっとした表情を浮かべているくらいで他は特別な事象が起きたとは考えていないらしいことが見て取れる。

 

 室内に入ったきり、ぱちくりと目をしばたたかせ続けている漫に、拳児がそのまま続ける。いつものように一言だけで済ませるわけではないらしい。思い返してみれば大会中は普段よりも拳児の話を聞いている気がする。やはり実戦に放り込むことで見えてくるものがあるということなのだろうか、と漫は余計なことを考えていた。

 

 「別に理由は聞かねえし、何を考えてんのかを知るつもりもねえ」

 

 「え、えーと、はい……」

 

 漫はなんだか手がかりのない草原に放り出されたような気分になった。これでその言葉を口にしている相手が播磨拳児でなければ、“どうでもいい” と言われているに等しいくらいだ。しかし拳児の積み重ねた四ヶ月は、部員たちにそう思わせないだけの信頼を彼に与えていた。もちろんそこには郁乃のフォローの影響も間違いなく大きな要素として存在はしていたが、拳児個人の働きも要素として外せないものになっていた。

 

 「ただよ、オメーが今回の負けに対してナンか抱えてるってーのはわかる」

 

 口を開くわけにはいかなかった。別に拳児が責めているわけでも慰めているわけでもないことは彼女本人にもわかっている。しかしどうしてか拳児のその言葉は、漫の奥深くに刺さった。堪えることを意識しなければ何かが決壊していたかもしれない。漫の立っている位置と拳児の座っているソファの方向と位置の関係上、拳児が顔の向きを変えなければ互いに顔を見ることはできないが、漫にはそれがありがたかった。

 

 「だからまァ、それでいいんじゃねーの」

 

 大げさに言えば、救われたような気さえした。先鋒戦の組み合わせが生み出した限定的で特異な状況は、彼女の精神にもまた限定的で特異な状況を生み落とした。試合結果は複雑に組み上がった漫の内心を打ち砕き、そうしてそのことが彼女の目を赤くした。拳児の言葉は全面的な肯定ではなかったが、決して否定というわけでもなかった。

 

 漫がその場に立ち尽くして動けなくなったのには理由があって、つん、と喉の奥を熱いなにかが通るのを感じて、少女はそれがどうにかかたちにならないように耐えようとしていたからだった。監督としての播磨拳児はいつもこうだ。前置きはなく、言葉は足りず、そのくせ妙に鋭いところがある。麻雀に関して漫がはじめて拳児からもらった言葉は、いまだに漫の心に小さく火を灯している。勝てないやり方を選ぶバカはいないと監督が言ったから、漫は火力一辺倒の戦い方から速度の有用性を考えるように変わった。彼女にとって播磨拳児はひとつの契機であり、道標だった。

 

 さらに言葉が続く可能性もある一言だったが、どうやら拳児の話はこれで終わりらしかった。彼の視線は話している途中と変わることなく前に注がれていたが、もうなにかを言いそうな雰囲気はない。それどころか気が付いてみれば、控室にいる誰もが拳児と同じように視線をテレビ画面のほうへと固定しているではないか。ああ、この人たちは先輩なのだな、と漫の心は理解した。

 

 

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のためのカンタン点数推移


        東四局開始時   南一局終了時   中堅戦終了

雀 明華   → 一一〇七〇〇 → 一〇二六〇〇 → 一〇〇三〇〇

渋谷 尭深  → 一三〇九〇〇 → 一二七〇〇〇 → 一二一二〇〇

愛宕 洋榎  → 一一三八〇〇 → 一二五八〇〇 → 一三〇〇〇〇

新子 憧   →  四四六〇〇 →  四四六〇〇 →  四八五〇〇

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