姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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48 あの子が嫉妬を受けるワケ

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 辻垣内智葉と宮永照が意図的に漫を叩いたのには理由があった。単純に彼女を恐れたからである。技術的にも経験的にもまだまだ未熟なところがあるのを承知した上で、それでも彼女を自由に泳がせてはならないと判断した。

 

 異能には必ず制約がつく。あるいはそれに等しい条件付けがされている。それはたとえば打ち筋の限定であったり、寄ってくる牌が偏っていたり、ものによっては発動のために達成しなければならない条件を備えているものまである。これまで麻雀の歴史上で確認されてきた異能の中で、例外はただのひとつもない。それがあればこそ持つ者と持たざる者とで棲み分けをせずに麻雀を打てる環境が現存しているのであり、そこが崩れれば競技性そのものが失われる可能性すらあった。

 

 智葉と宮永の二人が漫を恐れたのは、彼女の “爆発” の異能がルール破りのものである可能性にたどり着いたからであった。制約とは制限であり、強力な特殊性を得るかわりにどこかで息苦しい思いをすることを要求する。もちろん異能の持ち主たちからすれば、それはあって当然のものなのだからさほど息苦しく感じてはいないだろう。しかしそれは雀士としてのスタイルに小さくはない影響を確実に及ぼす。いや、どちらかといえば及ぼさなければならないのだ。そして漫の異能は、そのどちらも満たしていなかった。

 

 爆発状態は配牌から自摸に至るまで、運の要素が絡む部分を飛躍的に向上させる。しかし向上する部分が限定的であるためにそれ以外の部分にはそれほど影響が出ない。幸運なことに彼女が入学した姫松高校は基礎的な技術を叩き上げることにおいて他の追随を許さない精度を誇っており、そのおかげで漫は爆発状態とそうでない状態で打ち方に差が出なくなっていた。したがって彼女自身の打ち方に成長が見られれば、それが爆発状態においてはそのままスケールを拡大したものとして実になるのである。そしてそれ以上に厄介なのが、漫のその異能にはつけ入る隙を持つという意味での制約らしい制約が見当たらないことだった。

 

 彼女が爆発状態に入るかどうかは完全にランダムであり、外的要因のひとつとして対局相手の実力が関わっているという説もあるが、それは未だ仮説の域を出ていない。そして彼女の異能には、そのランダム性以外に制約が見当たらない。彼女が不利になる可能性が存在していないのである。言ってしまえば上重漫はただ彼女自身が有利になるだけの抽選を試行し続けているようなものであり、なおかつその代償に払うものは何もない。たとえばこの異能が発展途上のものだと仮定して、それが完成したとすればどれだけの脅威になるかは想像に難くないだろう。

 

 智葉と宮永の二人が恐れたのはまさにそこだった。上重漫には成長する余地が十分すぎるほどにあり、そしてそういった雀士が最も成長するのは実戦をおいて他にない。二人はそれぞれ別の理由から漫が格上と打つことで成長曲線を変えることと、自分たちが高校レベルではその最たるものにあたることを理解していた。成長は一瞬で行われる。そうなる前に上重漫を切り落としておかなければならなかった。彼女の存在は、可能性の話ではあるが、まさに爆弾そのものだった。

 

 その意味で漫は間違いなく高校最強レベルの二人を振り回していた。

 

 

 鈍い痛みがカタマリとなって心臓のあたりを圧迫しているのを、漫はほとんど物理的な現象だと知覚しかけていた。実際にはそんな痛みなど存在するはずがない。麻雀で和了られて痛みを感じるなど馬鹿馬鹿しいにもほどがある。そんなことは漫にもわかっていた。つまりこれはただの思い込みで、逆に言えばそれだけの衝撃を受けたということだ。理由など考えるまでもない。()()()()()()()()。つい今しがたまでばちばちと弾けるような音を立てて漫自身を鼓舞していた種火が、まるで何もなかったかのように。

 

 漫としてもこれは未体験の感覚だった。あるべきものがない。もちろん五体は満足だが、ある意味で言えばそれよりも重要な何かがないのだ。どうすれば取り戻せるのかはわからない。そもそも試合中に取り戻せるものなのかもわからない。当然ながら漫は対策など立てておらず、少なくともこの先鋒戦のあいだに解決策が見つからないだろうことは、実感として明らかだった。

 

 

 それからの数局を、漫はかたちのあるものとして記憶していない。ちょうど映像資料を見ているときの、あのどこか決定的な部分には入り込めない感じが漫自身の記憶に残っていた。まったく覚えていないというわけではなく、むしろ鮮明でさえあったが、そこには肉感が伴っていなかった。リアルタイムで進行していく自分の身体を使った自動進行に対して、そのときの漫は何も思わなかった。奇妙だとも気持ち悪いとも思わなかった。別のところでただひたすらに()()と向かい合っているような感覚だけがあった。

 

 宮永照と辻垣内智葉しか存在していない卓では、舞台に上がることすら許されない漫と松実玄はただただ少しずつ風に削られていくだけの取り残された遺跡と大差ない存在だった。もし少しでも彼女たちが油断してくれたら、などという願いすら持てない。舞台上の二人は目も意識も絶え間なくあらゆるところに注いでいた。“強い” ということがいまさらながらに身に染みる。私は知っていたはずなのに、とそれだけがぽつりと漫の頭の中に浮かんでいた。

 

 

 ( ……これは、勝たれへんかな。この人らは主将とおんなじ、ほんまもんのバケモノや )

 

 ( 爆発も切れてもうたみたいやし、それ無しはいくらなんでも…… )

 

 ( ……本当に? まったく一個も何にもない? 播磨先輩来て、合宿行って、それでもゼロ? )

 

 ( いやいやいやいやそれはないわ。まだヘタクソやけど鳴きも練習したし )

 

 ( だいいち()()()()()()()()()()()()んやから諦めるんは一番ナシやろ )

 

 じりじりと点棒を削られていくなかで、ようやく漫は怪物二人に向かい合うだけの精神力をかき集めることができた。確かな技術と鋭い読みに裏打ちされた、圧倒的な速度で展開される宮永照と辻垣内智葉の打ち合いは、余人の立ち入る隙などまるでなかったが、むしろそのせいでと言うべきか、打点は低いところから決して動かなかった。考え方を変えれば高打点を連発されるよりはマシな展開と言うこともできるだろう。

 

 漫の自省は “上重漫の戦い方” にまで及んだ。勝てるやり方を選べ、という拳児の言葉から始まった多くの部分での意識の変更。速度と打点の兼ね合い、相手の見方。そしてそれでもやはり自身の強みの根にあるのが爆発の生み出す強運であることに漫は思い至った。そしてそれがどれほどのものかをあと一歩で完全に客観視できるところまで踏み込んでいた。

 

 たまたま配牌が良い、引きがいい。よくあることで誰にでも起こり得ることだ。ツキと呼んでもいい。言ってしまえば爆発とはツキを固めて呼び寄せるだけのことだ。しかしそれで十分なのだ。それさえあれば上重漫は勝てる。それだけの技量は有している。漫は考えた。はたして()()()()()()()()()()()()()()()。答えはイエスだ。これまで部での練習や対外試合で対局してきたなかで何度も経験している。つまりは待てばよいのだと漫は理解した。技術的にはまだまだ差がある相手を前に、幸運が訪れるのを待つしかない。たとえその幸運が彼女自身ではない別の誰かに舞い降りる可能性があったとしてもだ。今の漫にはそれしかできないのだから。上重漫は、諦めることよりも待つことを選択した。

 

 

 運命と呼んでも奇跡と呼んでも正確ではない得体の知れない何かは、自らの立ち位置とできることを理解した少女に微笑んだ。先鋒戦の最後の一局、情勢は間違いなく白糸台に傾いていた。これまでの流れ通りに行けば宮永が二連続めの和了を決めて先鋒戦が終わるだけの、ほとんど消化するだけの一局となりそうなところだ。もちろん智葉は鋭い戦意をまだ放ち続けているし、松実玄からはいまだにどこか固い印象を受ける。変わったのは漫の覇気がなくなったことだけだった。配牌のためにゆっくりと山を崩していく。漫の感触としても特別な何かが湧き上がるようなことはない。だから誰も気付けない。彼女の手にただの純粋な幸運が訪れていたことに。

 

 彼女はいま爆発状態にない。したがって恐ろしいまでの火力を備えた手など縁遠いものとなっている。そこにあったのは、和了るための道筋があらかじめ書かれているような、綺麗な手だった。

 

 何かに導かれるように牌を引いて、捨てる。それしかできなかった。しかしそれでよかった。論理や技術を叩き潰してしまうような幸運があることを、彼女は知っている。なにせ彼女はそれで、部内の練習でたった一度とはいえ、あの愛宕洋榎をさえ打ち破っているのだから。過程はたしかに重要である。そこには技術や経験や思惑といったものが詰め込まれている。しかしそれらが和了かあるいは勝利という結果に結びつかない限り、それらに対して和了以上の価値を置くことは許されない。そしてそれも麻雀の一側面であることを誰も否定はできない。

 

 最後の最後での漫の和了は大勢に影響を及ぼすようなものではなかった。打点は決して高いものではなかったし、局面としても重要な場面ではない。実際、先鋒戦の終了を告げるブザーが鳴ったときも誰一人として動揺したようなそぶりを見せてはいなかった。最終局の大本命であった宮永照はこれまでもこういった極端な幸運に和了りを奪われること自体は何度か経験していたし、外から見てもそれほど珍しいものというわけでもなかった。

 

 重力が一段階弱まったような感覚が漫を支配していた。身体がふわふわとして、どこか落ち着かない。対局が終わったのだと頭で理解はしているのだが、なぜだかその実感が湧いてこなかった。漫が自分の感覚に置いて行かれているあいだに、対戦相手の三人はそれぞれ挨拶を交わし始めていた。漫もわずかに遅れて三人と握手だけをして対局室を後にした。彼女たちがそれぞれ何を思っていたのかは、表情からだけでは何も読み取れなかった。

 

 

―――――

 

 

 

 「……めちゃめちゃ気が重たいのよー」

 

 困ったようにちょっとだけ眉を寄せて笑いながら、由子がこぼすように言った。

 

 「え~、真瀬ちゃんやったら大丈夫やって~」

 

 どこまでもいつも通りの調子を貫いていると確信させるような能天気さで郁乃が励ましの言葉を贈る。心配しているようには見えないのだが、それが実力を信頼してのものなのか何も考えていないのかの区別がつかないのが難点だった。相手があの宮永だったとはいえ、一位である白糸台との得点差だけを見てもため息をつきたくなるような状況だが、そこ以上に由子が普段なら吐かないような弱音を口にする理由があった。あのねえ、と友達に話すようにコーチである郁乃に言葉を返す。

 

 「そのまま先鋒に持ってっても遜色ないような面子が相手やー言うてるのよー」

 

 由子の言葉は決して誇張した表現ではない。むしろ控えめであると言ってもいいだろう。それだけの言葉が許されるほどに決勝の次鋒戦は激戦区なのだから。仮に次鋒戦に座る面子がよその学校に入学していたとしたら、その学校がインターハイに出場するほどの強さを誇るとしても、そこで先鋒を張ることに何の違和感も抱かせないほどだ。白糸台の部長を務める弘世菫、ダークホースである阿知賀をポイントゲッターとして支え続けてきた松実宥、そして準決勝ですら余裕で実力を隠し通した郝慧宇。そんな彼女たちを相手にプラスで終えてくるというのは、控えめに言っても難しい。相手と由子が求められている成果を考えれば彼女の心情もわかろうというものだ。

 

 ( まあ、でもね。やり方がゼロってわけでもないなら )

 

 ちらりと由子は拳児に視線を送るが、彼は退屈そうにソファに全身を預けていた。郁乃を含めた姫松の誰もが気付かなかったことに、彼だけが気付いた。そしてそれは、由子が彼女たちと対等に戦うために絶対に欠かせないキーとなるものだった。もちろんまだ推測の域を出ていないものや実戦の中で調べたいこともいくつか存在はしている。それにもかかわらず、口で言うほど彼女は絶望していなかった。笑みが残っているのがその証拠である。

 

 

 控室にはまだ漫は帰ってきておらず、次鋒戦が始まるまでにも少しの時間があった。もともと控室ではできるだけリラックスするように努めているが、やはり試合中よりも空気は弛緩していた。そんななか、洋榎が頬杖をついて、じっと黙って誰も映っていないテレビ画面を険しい表情で見つめていた。大抵の場合において姫松の騒ぎの中心にいる彼女が黙りこくっているというのは非常に珍しい。拳児が正しく話を理解するのとおおよそ同程度の貴重さだ。

 

 「主将、どないしたんですか。もう誰も映ってないですよ」

 

 見かねた恭子が声をかける。洋榎は顔も動かさずになんとも適当な生返事を返した。目こそ開いているが、見るという機能が正常に働いているかは怪しいところだ。ただ閉じてないだけ、というのが表現としては近いのかもしれない。人差し指が頬を五度叩いたあとでひとつ息をついて、洋榎はやっと恭子の方へと顔を向けた。

 

 「いやあ、やるもんやなあと思って」

 

 「ああ、そういうハナシですか。さすが宮永照、でしたね」

 

 合点がいったように恭子が薄く微笑むと、今度は逆に洋榎が不思議そうな顔をした。

 

 「何を言うとんねん。いま言ったんは辻垣内のハナシや」

 

 「え? いやプラスで残したんはたしかに凄いですけど、差が……」

 

 あちゃあ、と言わんばかりに額に手をやって頭を振る洋榎の様子に、恭子は面白くないといったふうに眉をしかめた。そもそも芯から心を許していない限りは見られない仕草であるため恭子からすればそれなりに見慣れたものではあるのだが、それでも何も思わないというわけではないのだ。

 

 「宮永よりドラそば握らされてキツい状況下で打って、の差やけどな」

 

 重要な試合であるとはいえそこまで気を回していなかった恭子は驚いた。というよりもテレビには各選手の配牌を全て映すような、麻雀玄人向けの配慮はされていない。だからその辺りをきちんと確認するのは大抵の場合において牌譜を採り終えたあとのことになる。それらのことを踏まえて考えると、何度も思い知らされてきた愛宕洋榎の能力の高さを改めて認識させられる。テレビに映る情報から手格好を割り出して、その上で打ち回しの評価を下している。もちろん超能力を使っているわけではないから、突き詰めれば誰にでもできることではある。リアルタイムで実行しているというのが、彼女を非凡たらしめる根拠であった。

 

 

―――――

 

 

 

 「ねー、スミレー」

 

 腕を組んだり頭を抱えたりと忙しなく悩むポーズを変え続け、ついに自分では満足のいく答えが出せないのだと結論を出した淡は菫に声をかけた。菫は次の自分の試合のための支度は既に済ませており、あとは館内放送による呼び出しを待っている身だった。先鋒戦が終わった直後というのもあって、宮永照はまだ控室に姿を見せてはいない。

 

 「どうした?」

 

 「なんでテルーは()()()()()()()()()()使()()()()()()()?」

 

 何気なく淡が口にしたそれは、宮永照の秘中の秘である。知っているのは白糸台のレギュラーである虎姫の五人と、昨年の個人決勝まで上がった三人だけである。詳しいところまでとなると宮永本人と菫以外は誰も知らない。

 

 「そんなに難しい話じゃないと思うがな」

 

 菫はほんの短い間だけ中空に視線をさまよわせると、こぼすように呟いた。

 

 「どーいうこと? 臨海とかにもっと差つけてもよかったんじゃないの?」

 

 「たぶんアイツはあれで十分だと思ったんだよ」

 

 小さな子から本質的な質問をされたときのような、ちょっとした困り顔をしながら菫は答えた。本当ならば宮永照についての質問を受けてそれに答えるとき、菫は常に推測の域を出ることはできないと考えている。それは仲の良い友達であってもわからないところはあるといったレベルの話ではなく、素質としてどこかが決定的に違っている人間について話すことだからだ。しかしながら日本中で宮永照をもっとも理解しているのも菫で間違いはなく、今回の質問に対する答えにはそれなりに自信を持っていた。無論それが全てではないことも同時に理解していた。

 

 「んん? よーするにこの淡ちゃんが最後にいれば問題ナシってこと?」

 

 「……まあ、そういうことだな。もっと詳しく知りたいなら照に聞け」

 

 「だいたいのところはわかったからそれでいーよ。テルーとは別のお話する」

 

 そうか、と菫は優しく頷いて、また静かに呼び出しが入るのを待ち始めた。

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のためのカンタン点数推移


         東三局開始時    先鋒戦終了

辻垣内 智葉  → 一一二三〇〇 → 一一一二〇〇

宮永 照    → 一四〇三〇〇 → 一五四一〇〇

上重 漫    →  七七五〇〇 →  七五三〇〇

松実 玄    →  六九九〇〇 →  五九四〇〇

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