姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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04 慈愛と共感覚

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 小鳥のさえずる春の朝。季節特有のなにか漉したようなやわらかい光を背に受けて、播磨拳児はひたすらページを繰っていた。大写しにされた写真と煽り文、余白を埋めるように羅列された細かい文字に目を走らせる。

 

 読んでいるのは麻雀雑誌だ。先ほど行われた末原恭子女史による牌譜とインハイ関連のテストをようやく終えて、手持ち無沙汰になったところにちょうどよく雑誌があったから手を伸ばしたのである。やると決めた以上はきちんといろいろ知っておくのが筋だろう。本当なら部のものとして管理されている麻雀雑誌はそんなところには置いてはいない。真瀬由子と末原恭子が結託して拳児の近くに置いてみたところ、見事に功を奏したというわけである。

 

 ぱらぱらと流し読みをしていると、あるページを過ぎたところではたと手が止まった。今しがた妙なものが目に入ったような気がする。おそらく勘違いなのだろうが気になった拳児はそのページに戻ることにした。ちなみに止まったページには大沼プロのインタビューが載っていた。

 

 件のページに戻って拳児は目を剥いた。大々的に特集されているのはどこからどう見ても前日に腹痛の自分に対局を申し込んできたあの少女である。そっくりさんかとも思ったが髪形まで似ているのは明らかにおかしいうえに、きちんと紹介の部分に氏名と高校名が書かれている。

 

 「ふふ、まるで信じられないものを見たような顔をしてるのよー」

 

 「いや、なんでコイツこんなとこに載ってんだ?」

 

 「なんでも何も洋榎は全国で五指に数えられるくらいの選手なのよー?」

 

 「いィ!? あいつそんなスゲーのかよ……。人は見かけによらねーんだな……」

 

 「それを洋榎に伝えておけばいいの?」

 

 「余計なことは言うんじゃねえ」

 

 くすくすと口元に手をやって上品に笑う。

 

 「その調子ならこっちでも十分にやっていけると思うのよー」

 

 「ンだそりゃ? 喜んでいいのか?」

 

 「私のお墨付きなんてそうそうもらえないのよー」

 

 気が付けば隣に座っている由子は身長差のせいもあって、拳児を見上げるかたちになっている。年頃の男子ならそれだけで撃沈するほどの状況かつそれを達成するのに十分なルックスを由子は備えていたが、由子本人にもその気はなかったし何より拳児の心を揺り動かすのはほとんど不可能に近いと言っていい。したがって別段その場に変化は訪れなかった。

 

 しつこいようだが拳児は不良である。しかしそうであるにも関わらず人を遠ざけるような空気を持っていない。それどころか拳児がいると安心感を覚える人もいる。また人間ではなく動物に限ればペットであれ野良であれ瞬時に心を通わせることさえ可能である。これは彼が過ごした高校二年生での一年間の賜物であって、生来持ち合わせているものではない。しかし拳児の持つそうした雰囲気はどうしてか、ぴたりと彼に馴染んでいた。

 

 「オウ、そうだ。おめー名前は?」

 

 「真瀬由子。それにしてもそういう名前の聞かれ方は初めてなのよー」

 

 「播磨拳児だ。これから世話ンなるぜ」

 

 「こちらこそ」

 

 部室内には相変わらず牌と、ときおり点棒の音が満ちていた。不思議なものでそちらへ意識を向けていると人の肉声は耳の入り口で弾かれるようで、拳児にはロンだのチーだのの声は聞こえていなかった。控えめに開いた窓から春の風が吹き込んでカーテンを揺らしている。風にのって飛んでくる花粉に苦しんでいる部員はそれなりにいるようで、マスク姿が目立つ。健康優良児である拳児には病気をした記憶がとんとない。忘れているだけかもしれないが。

 

 並んで座っている二人に、とくに会話があるというわけではなかった。椅子にどっかりと座った拳児は変わらずに雑誌のページをめくっているし、その隣にちょこんと座っている由子はどうやら部室全体を見渡しているようだ。何も事情を知らないものがこの光景を見れば、あんな男の隣から逃げないなんてすさまじい度胸の持ち主だ、なんて賛辞が由子に贈られるかもしれない。

 

 「よォ、この宮永……、なんて読むんだコイツ」

 

 「テル、って読むのよー」

 

 「そうか、助かるぜ。で、この宮永照っつうのは何なんだ? すげえ名前出てくるんだけどよ」

 

 「正真正銘の化け物」

 

 「あァ? どういうことだ?」

 

 「その子は私たちと同じ学年なんだけど、公式戦で一着以外を取ったことがないのよー」

 

 会話こそしているものの視線を合わせているわけではない。拳児は雑誌に目を落としつつ質問をしているし、由子も部室に目を配りながら返している。

 

 「ま、あなたも同類だろうから私たちよりは理解できると思うのよー」

 

 ( 一着以外取ったことないのと同類ってことは…… )

 

 「フ……、しばらく前に “最強” なんて称号には飽きちまったヨ……」

 

 拳児は窓から見える青い空を見やって遠い目をする。サングラスのおかげで見えないが。もちろんその言葉の指す方向に麻雀という単語は存在していない。会話の流れからいけば麻雀の話であることは明白であるはずだがそんなことは拳児には関係がない。

 

 「しばらく、ってことはずいぶん歴が長かったり?」

 

 興味を持ったのか由子は顔を拳児の方へと向ける。左右に流された前髪がやさしく揺れる。

 

 「中二のころにはもうそっち(ケンカ)の世界にどっぷりよ」

 

 「……つらくはなかった?」

 

 「さァな。忘れちまったよ」

 

 「ここにいればそっち(裏プロ)に戻らなくて済むのよー」

 

 慈しむように目を細めて語りかける。こちらを向いた由子の顔にちょうど陽の光がななめに差し込んで、より一層その表情の印象を強くしていた。すこしの間だけ視線が交錯して、不意に由子が立ち上がる。

 

 「じゃ、そろそろ練習してくるのよー」

 

 「おう、頑張んな」

 

 胸元の紐のようなタイがひらりと舞って、話し方に特徴のある少女が背を向ける。濃いめの灰色をしたカーディガンは学校指定のものなのだろうか。同じものを着用している部員の数は、割合で言えば半分を超えるくらいいそうだ。再び雑誌に目を戻した拳児は、昼頃まで熱心に読み続けていた。

 

 

―――――

 

 

 

 今日は前日と違って一日を通しての練習のようで、昼食休憩の時間になるとその旨の指示が洋榎から飛んだ。それぞれが弁当や買ってきた食べ物を手に移動したり、あるいは何も持たずに部室を出る者もあった。おそらくこれから買いに行くのだろう。拳児もそのクチで、近くのコンビニへと出かけるつもりである。ぺたぺたと床とスリッパがなんとも間抜けな音を立てている。家出をする際にまさか上履きが入用になるとは思っていなかったため、拳児は今日も来客用のスリッパを借りているのだ。あまり動きやすくもないのでそのうち買いに行かねばなるまい。

 

 姫松高校の最寄りのコンビニは校門を出て右に曲がって、すこしだけまっすぐ進んだ曲がり角のところにある。所要時間は二分。しばらく前からあるのか未だに押したり引いたりして開けるタイプの扉だ。さすがに学校が始まれば休み時間に行くことは禁じられているそうだが、今は部活のうえに春休み期間であるから問題はないだろう。

 

 扉を押してパンを売っているコーナーへと向かう。目的はやきそばパンだ。自炊など考えたことさえない拳児は、食事に関しては出してもらう、買う、お湯を入れる、の三つのイメージを持ってしまっている。将来は苦労するかもしれない。

 

 お昼時とはいえ住宅街にある高校の側のコンビニだ。そうそう品切れになるようなこともない。問題なく目当てのやきそばパンを手にして、今度は飲み物を選びに紙パックの並んだ棚の前へと移動する。たかだかひとつの店舗の棚だというのに目移りしてしまうほどに飲み物の種類というものはあって、それだけなくてはならないものなのだなと拳児はひとり納得する。

 

 とくに食い合わせなど気にしない拳児はぱっと目についたヨーグルト飲料を買うことに決めた。見回してみると店内には麻雀部の部員やおそらく他の部の部員だろう生徒たちがそれなりに入っており、レジにたどり着くには並んで待たなければならなかった。パンとヨーグルトを持って列に並んでいると、背中をつつかれる感触があった。何気なく振り返るとそこには先ほど雑誌で見た少女が立っていた。

 

 「でーぶいでー」

 

 「は?」

 

 「でーぶいでー」

 

 ( ……麻雀つええヤツってのはどっかおかしいのか? )

 

 「あれ、おかしいなあ。昨日はどっかんどっかん来たんやけど」

 

 「何が?」

 

 「ま、ええわ。自分お昼何なん?」

 

 「やきそばパンだ」

 

 そう言って右手に持ったパンを洋榎に見せる。ビニールに包まれたそれはコッペパンの真ん中を切って、濃く味付けされたやきそばをそこに挟んだとてもスタンダードなものだ。

 

 「うおぅ、その見た目にやきそばパンて。コテコテやん。なんやったっけ、ストロボタイプ?」

 

 「……ステレオタイプじゃねーのか?」

 

 「ん、あ、ああ、そやな。ちゃんと知っとるで? アレや、洋榎ちゃんの常識チェックや」

 

 なぜか視線をそらしつつ矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。

 

 「お、おう……」

 

 「なんやその、冷静に返されると恥ずかしいな」

 

 うへへ、と後頭部を右手でさすりながら洋榎が小さな声でつぶやく。言葉通り恥ずかしいのか、頬がうすく朱に染まっている。恥ずかしがるくらいなら不確かな言葉など使わなければいいのに、と思ったが口にしないだけ拳児は成長したのかもしれない。

 

 「お待ちのお客様どうぞー」

 

 タイミングよく店員からの声が入ったので、拳児はさっさと支払いを済ませてコンビニを出た。

 

 

―――――

 

 

 

 麻雀に限らずあらゆる競技において、ツキや流れといった不確かで目に見えないものへの信仰は篤い。もちろんそんなもの実在しないと主張するひともあるだろう。それは無限大の確率のなかの結果の偏りであって、ただの偶然の所産なのだと。言葉遊びを許してもらえるのなら、その偏りを引き寄せるものこそツキや流れなのだと言うこともできるのだが。今、播磨拳児は初めてそれら実体のないものを明確なかたちで認識するという稀有な体験をしていた。

 

 

 コンビニで買ったやきそばパンを胃へと押し込んで、独りで拳児は部室へと戻ってきた。全体練習の日の昼食休憩の時間は決められており、拳児は休憩の終わりの十分前に戻ってきた。彼に不良としての自覚があるのかは定かではない。ちなみに拳児がいるのは第一、と呼ばれる部室である。姫松高校の麻雀部はその部員の多さから部室を二つ与えられている。ひとつの部室が二教室をぶち抜いた広さであることを考えると異常とも言える待遇だ。

 

 午前中に由子と話した内容を拳児は思い出す。カンタンにまとめれば愛宕洋榎は圧倒的な強さを誇るのだという。麻雀における強さの定義にぴんときていない拳児は、それを確かめるために実際に彼女の対局を外から見てみようと考えた。もちろん監督代行として部員の実力を把握することも大事な仕事であり、一石二鳥のことに思われた。

 

 

 「つーわけでだ、オメーの実力を見ないことには始まらねえと思ってよ」

 

 「……なんや。昨日うちが本気やないってわかっとったんか」

 

 「え?」

 

 「そう考えると勝負にならんー、いうんはそういう意味か」

 

 また勘違いが一歩進む。あっけに取られた拳児の声は聞こえていないのだろうか。

 

 「まぁ播磨の言うことももっともやな。ええやろ、ガチもガチの試合モード見せたる」

 

 そう言うと洋榎は右手を前に突き出し人差し指をぴんと立てて、麻雀するものこの指とーまれ、と楽しそうに部室全体に声をかけた。すると学年を問わずに部員の多くが洋榎の指をめがけて駆け出した。なかには足を雀卓にぶつけてしまった部員もいるようだ。それだけ彼女と打つことには大きな意味があるのだろう。

 

 「したら先着の三名様を特製卓にご案内や。ええな、キチンと勝ちに来るんやで?」

 

 洋榎が卓についた瞬間、拳児の喉の奥をなにかがつかむような感覚が襲った。種目にかかわらず強者は強者の匂いを嗅ぎ分ける。拳児は麻雀に関してはほとんど門外漢と言ってもいいが、段違いに強いものに対する感性は鋭敏そのものだ。その感性が告げるには先日同卓したときの気配の変容とはまるで違う。まさかたまたま来ることになった学校で、それも麻雀という競技でこれほどセンサーに訴えてくる存在に会えるとは拳児は思っていなかった。逸る気持ちを抑えて、席決めをした洋榎の後ろへと陣取る。

 

 山を崩して手牌を揃え、手慣れた様子で位置を入れ替えて牌姿を整える。洋榎は南家だ。手牌を覗いてみるとそこまで良いとは言えそうにないものだった。拳児は一目でシャンテン数を数えるような技術は持っていないから、ひどく大雑把に見積もる。次々と山から牌が自摸られ、そして河へと捨てられていく。先日の牌譜を書くトレーニングのおかげかその速度に置いていかれるようなことはなかった。

 

 洋榎の下家からリーチがかかる。八巡目の比較的早いリーチだ。河から察するに筒子が安全そうには見える。萬子も索子も一枚ずつしか捨てられていない。だがそこから推測するのはいくらなんでも不可能というものだろう。洋榎の手を見てみると先ほどよりは進んでいるようだが、今から下家のリーチと勝負をするのはいささか冒険が過ぎるように思われる。そのまま場の進行を見ていると、どうやら洋榎はオリを選択したようだった。ちなみにその局はリーチをかけた少女が四巡後に自摸和了った。

 

 東二局をまたもや下家が早めに和了って東三局となった。洋榎の一度目の親はあっさりと流された。当の本人は何を気に留めるというふうでもなく、淡々と手を動かしていた。そこへ来た配牌はドラをふたつ抱えた横に伸びていきそうな手。きれいに嵌まれば一気通貫も見えるような好手だ。洋榎は理牌を終えたあと、並びを整えるため牌の背をやさしく撫でる。表情は変わらない。来るのが当たり前だとでもいうように。

 

 圧巻だった。しなやかに伸びる腕の先から新たに牌が手へと持ち込まれるたびに不要牌が外へと出されていく。二巡目に一度いらない牌が来ただけで、あとは流れるように聴牌へと漕ぎつけた。それも九索が出れば平和一通ドラドラの理想的ともいえる形でだ。間髪入れずに洋榎はリーチ棒を場へ放る。

 

 「さあさあリーチや!一発ドボンには気ぃつけや!」

 

 怪物手と言うには物足りないが、速度と合わせて考えれば異常と言うには十分な手だ。まだまだ安牌は少ない。拳児の位置からは他家の手は見えないが、持っている牌次第では冒険に出なければならないだろう。あるいは比較的安全に思える端牌にすがりつく可能性のほうが高いか。案の定というべきか、どうしようもなかったというべきか、対面から九索は零れた。

 

 一気にトップに立った洋榎はそのままガンガン攻めるかと思いきや、聴牌こそしたもののリーチをすることなくダマで構えていた。拳児の数少ない経験則に従うと、こういうノリのいいタイプは勝負ごとにおいてもその姿勢を崩さないのがほとんどである。だが目の前のこの少女は違った。勝つ為に適切な手段をきちんと選び取っている。前局での高め一発の印象が強すぎてリーチの印象を植え付けられたからか、他家はリーチをしていない洋榎に対して危険牌を無警戒に切ってくる。捕まらないわけがなかった。

 

 「ロン。そんな美味そうな牌ぽんぽこ捨てたらあかんなぁ」

 

 喉の奥の感覚がすこし強まる。

 

 南一局に入る。配牌は先ほど一発で和了った局ほど良いものではない。しかしどちらかといえば良い方に分類できる、といったくらいのものだ。しかし自摸は次々に手に吸い込まれ、みるみるその形を変えていく。当たり前のように展開されていくその進行は違和感さえ抱かせないものであった。それこそがおかしいことだと後ろで見ている播磨でさえ気付けなかった。

 

 瞬く間に仕上がった手を見て、ついに洋榎が表情を変えた。いや表情そのものはこれまでの対局のあいだにもころころと変わってはいたが自身の感情を露わにしたのはこのときが初めてだった。まるで童女のような笑みを浮かべてごそごそと点棒の入った箱を漁る。リーチ宣言のための千点棒を抜き取り、卓上に供託した。

 

 彼女の待ちは平凡も平凡の両面待ちだった。聴牌速度は追随を許さぬものであったが、わざわざ洋榎のリーチに対して中の方に寄った暴牌をしなければ振り込むこともないだろう。はじめはなぜ先ほどダマを選べた彼女がリーチを選択したのかが拳児にはわからなかった。しかし他家の少女たちが牌を切って洋榎の自摸が近づくたびに、それがくっきりと見えてくるような気がした。

 

 ( こりゃあ、持ってくるぜコイツ……! )

 

 「来るで来るでぇ、一発ドカンのほいっさっさや!」

 

 指先で牌の感触を確かめ、目で見ることなく洋榎は自摸牌をひっくり返して卓上へと自信たっぷりに置く。ついで手牌をきれいに倒し、和了であることを卓に臨む相手に見せつける。

 

 以後の局について語る必要などないだろう。

 

 

―――――

 

 

 

 「どやった? どやった? カッコよかったんちゃうん?」

 

 ありがちなヒーローがしそうな、両手を斜め上に平行させたポーズをとりながら洋榎が声をかける。その割にはいわゆるドヤ顔ではなく、拳児の口から良い方面の感想が出てくるのをわくわくしながら待っている表情だった。

 

 「オウ、決まってたんじゃねえか?」

 

 満足いく返答が得られたのか、せやろせやろー、と嬉しそうに拳児の背中をたたく。褒められて素直に喜ぶその姿は犬に見えないこともなかった。対局後に卓に突っ伏した部員たちを前に話をするのもはばかられたため廊下に出たのだが、そのせいで洋榎の動ける範囲が見事に広がってしまい若干うっとおしかった。

 

 「また播磨と打つときは遠慮せえへんからな、そんときが楽しみや」

 

 「あァ? 冗談じゃねえよ。俺はあんなレベルじゃねえ」

 

 「はぁー……。もう隠す気ゼロやろ自分。裏プロやって認めたらええやん」

 

 もともと持っている意識の差でこれだけ解釈に違いが出る会話も少ないだろう。いつこのズレが解消されるのかはそれこそ未来でも見えない限りは誰にもわからないことだった。昼休みの直後の一半荘だったため、まだまだ太陽は高い位置にある。この場で洋榎の誤解を解くことを諦めた拳児が、このあと実力を見るべき部員を郁乃と恭子のどちらに聞くべきかを考え始めたとき、赤阪郁乃が廊下の向こうからやってきた。

 

 相も変わらず彼女のいる場所だけ重力が少し弱まっているのではないかと疑いたくなるほど軽い足取りで拳児たちの方へ近づいてきて、いつものようにぶんぶんと手を振る。

 

 「わ、洋榎ちゃんに拳児くんやん。ちょうどええわ~」

 

 「あれ、代行どないしたんです?」

 

 「んー、もう代行とちゃうけどそれはまあええとして~。合宿ってやるべきやと思う~?」

 

 「え? まぁ、した方がええ思いますけどね。根詰めて打てるし」

 

 「いつの話スか」

 

 「あ、心配せんでも大丈夫やで~。もうちょっと先の話やから~」

 

 「……まぁ、時間があるならいいんじゃないスか」

 

 「ん、わかった~。そんな感じでやっとくわ~」

 

 それだけ済ませるとまた廊下の奥へと戻っていく。いまひとつ郁乃の切り出した話の内容が呑み込めず、拳児と洋榎は誰もいなくなった方を見つめてしばらくのあいだ突っ立っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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