姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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単行本派なので、ここからは選手的な意味で未知のエリアです。
いろいろと違っているはずですのでご了承ください。


39 学年の推移とそれの及ぼす影響について

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 誰に聞いたところで頷くしかないような豪奢なホテルのスイートルームのテレビには、相も変わらず麻雀のインターハイの中継が映っている。やいのやいのと言葉のやり取りは行われているようだが、基本的には部屋にある全ての視線はテレビに向けられていた。高度な技術は経験者も未経験者も魅了する。テレビの解説の優秀さもさることながら、近くに座る経験者がより噛み砕いてくれていることもあって、沢近愛理と塚本八雲は一視聴者として麻雀観戦を楽しんでいた。

 

 対局室を俯瞰した映像に一人の背の高い女性が映る。すこし癖のある黒髪に浅黒い肌。顔立ちはどう贔屓目に見てもアジア系には見えない。女性に対しての褒め言葉になるかどうかは別にして、高校の制服でなければパンツルックの似合いそうな精悍とでも表現するべきスタイルと顔立ちをしている。そんな彼女の姿を見た瞬間に、愛理と八雲を除く一座の長である龍門渕透華が、あ、と声を上げた。

 

 「どうしたの、透華?」

 

 背丈の非常に小さな天江衣を間に挟んで座る愛理が声をかける。透華はひどく複雑そうな表情を浮かべていた。ひょっとしたら童話の三匹の子豚における家を壊された二匹の兄たちと相通ずるところがあるのではないかと思わせるほどの顔をしている。後悔と憤りとを非常に微妙なバランスで混ぜ合わせなければ見られないであろう貴重な感情に違いない。自身の普通でない状態に気付いたのか、透華はひとつ咳払いをして調子を整えた。

 

 「いえ、ただちょっとあの方に縁がありまして」

 

 縁、と言われて愛理がうすぼんやりとイメージしたのは、去年のインターハイのことであった。テレビの解説を聞いていてわかったことだが、どうやらこの浅黒い肌をした彼女の着ている制服の臨海女子という高校は麻雀において名門であるらしい。ならば去年の大会に出ていてもおかしくはないし、そうであるならば去年出場していたという透華たちと試合をしていても不思議はない。先の複雑そうな表情を考えればなんとなく結果も想像できる。もちろんこれは仮定が通ればの話である。

 

 愛理がそちらには触れないように気を遣おうと考えていると、隣に座る小さな頭がぴょこんと跳ねて向きを変えた。百歩譲っても中学一年生くらいにしか見えない少女の寒気がするほど澄んだ瞳に見つめられて、愛理はわずかにたじろいだ。たしかに人はそれぞれ雰囲気のようなものを持っているが、この少女のそれは正直言ってまともなものに分類されるとはとても思えない。何がいけないのだろうと愛理は考えたが、まるで答えは出てきそうになかった。さてどうして自分の方を見ているのだろうと愛理が再び頭を働かせると、衣がその小さな口を開いた。

 

 「エリ、衣は彼奴が嫌いだ。彼奴のせいで衣は無聊を託つこととなった」

 

 天江衣という少女に対してはきちんとした評価を決定できない。愛理が彼女に対して抱いた感想である。見た目どおりの幼い嗜好や言動があったかと思えば、今の発言のように思わず辞書を引きたくなるような言葉遣いをする。それは二面性と呼ぶにはあまりにもシームレスで、性格そのものが変わったとも思えない。どういう経緯があったかは知らないが、それは彼女の中で既に成立してしまっているものらしい。とりあえず衣の言葉の意味が理解できなかった愛理は、そうなの、と無難な相槌を打っておいた。

 

 

 そのあと透華に話を聞いてみると、どうやら彼女が去年のインターハイで他チームを飛ばしたことによって龍門渕高校の決勝戦への道が閉ざされたのだという。愛理はその当時のことをまったく知らなかったため、逆恨みっぽい印象を受けたのだが、この程度のことはインターハイどころか全国の地区予選ですら似たようなことがあるものである。愛理の素人としての感想は、もちろんそこに至るまでの過程で色々とあったのだろうが、インターハイのそれも準決勝で他校を飛ばすなんてすごいプレイヤーなんだろうな、というものであった。

 

 

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 事前にそうなるであろう話を聞かされていたにもかかわらず、絹恵はやはり怯えを抱いていた。インターハイの準決勝でいまさら格がどうこう言うつもりもないが、相手が全て実力者であることに変わりはない。昨年のインターミドル覇者にして機械のごとく合理的な効率を追求する原村和、今大会において初めから副将と大将で勝負を決めるスタイルを貫いてきた有珠山の片翼である真屋由暉子、そして絹恵がその身で強さを体感したことのあるメガン・ダヴァン。彼女たちが一斉に、たとえ協力体制にないにしても、絹恵を狙っているという事実は彼女にとって明らかに重たいものであった。

 

 これは姫松を含む全ての高校に言えることだが、“二位” の持つ重要性が非常に大きくなっている。姫松、清澄、有珠山からすれば決勝卓に上がるための絶対に譲ることのできないただ一つの席であり、現在トップの臨海女子からすればどこを残せば決勝でやりやすくなるかが変わってくる。そういった意味で、姫松は同卓している三校から見れば明らかに邪魔な存在だった。誰が悪いというわけではなく、優勝を第一義に置くならばそれは当然の振る舞いとさえ言えた。

 

 絹恵も昨年の秋からレギュラー入りを果たした身であり、そういった卓上の敵意くらいは何度も受けてきている。ならばなぜ今それに対して怯えなければならないのかと言えば、それは一回戦や二回戦に比べて明らかにその濃度が上がっていることと、それを彼女が感知するまでに成長したからに他ならない。昨年の秋はレギュラーに抜擢されて訳も分からぬままにそれなりの結果を残し、春の大会では調子が上がらず足を引っ張ってしまった。もちろん練習を重ねていくうちに精神的な部分も少しずつ成長を遂げていたのだが、二年生になろうかという矢先に大きな転換期が訪れた。播磨拳児の監督就任である。拳児が来たことによる部への大きな影響は、それまでと違う緊張感が生まれたことだった。そのことは絹恵にとって明らかに良い刺激となった。それこそ今まさに正しく身を守る意味においての怯えを感じていることがその証明になる。その意味においては郁乃はたしかに向いていなかったが、それだけで彼女を非難するのは酷というものだろう。彼女が仕込んだ基本的に無口な新監督がときおり放つ刺すような指導が、絹恵を一段階上のレベルに引き上げたのも間違いのないところである。

 

 

 ( 気楽に攻めたらダメや。周りは死に物狂いで私を狙いにくる )

 

 すでに東三局まで場は進行しているが、これまでの二局で絹恵のその考えはより強固なものに叩き上げられていた。使う予定のない牌の整理をしている最序盤はまだしも、序盤の終わりごろから中盤の始まりにかけての他家から感じるプレッシャーは並々ならぬものがあった。三人ともが自身を蹴落とそうとしていることが手に取るようにわかる。都合の悪いことにこの副将戦の卓に着いているのは刻んで点数を稼ぐタイプではなく、どちらかといえば火力に長けたプレイヤーばかりだった。和了られること自体も歓迎するべきではないが、絹恵は振り込むことはもっと避けなければいけないと自身に言い聞かせていた。仮に絹恵が8000点の放銃をしたとすれば、和了った相手からすると16000点も差を詰めるか広げることになるからだ。

 

 選択肢はいくつかあった。速さで圧倒して他家を封じてしまうやり方がひとつ。腰を据えて真正面から点数の稼ぎ合いに持ち込むやり方がひとつ。ただただ他家に振り込まないよう徹底的に逃げ回るやり方がひとつ。しかしこれらのやり方は絹恵からすればどれも決定打に欠けていた。それは相手の問題というよりはむしろ彼女の実力を原因としていた。速度にも火力にも絶対の自信などなかったし、逃げ回るにしても自摸和了りは止められない上に事故のような振り込みの危険性も常に付きまとう。それならば、と副将戦が始まる直前に絹恵は心を決めた。

 

 細い糸を張ったような緊張感のなかで、牌と牌がぶつかり合う軽い音とラシャと捨て牌のくぐもった音だけが現実であることを主張する。神経を張りつめさせた今の絹恵には、余計な思考の入り込む余地がなかった。ほんの少しだけ冷えた雀牌の軽くて固い感触も、動かしている腕が自分のものであるということすらも意識に上ってはこなかった。恭子に比べれば手牌の読みは甘く、由子に比べれば戦い方は幼く、洋榎に比べれば勘は冴えわたらない。それでも絹恵は目を皿のようにして必死に他家に気を配った。彼女たちの手の方向性や流れをつかむために。絹恵が自分で出した結論は、その局に応じて三つの策の中から最善を選ぶというものだった。

 

 他家があまり早くなさそうなら鳴きでも何でも使って早和了りを目指し、火力が低いと見れば振り込むことを恐れずに腰を据えて打ち回し、どうにもならないと読めば徹底的にオリる。見方を変えれば基本的なプレイングを徹底しているだけの話だ。絹恵には絶対的な武器などなかったからそうせざるを得ないが、スケールを上げていけば最終的には世界の頂点であってもそこに落ち着くことになる。いわゆる地力でどうにかしなければならないこの状況は、成長の観点からすればうってつけのものであった。無論だがこれは勝敗を度外視した言い分であって、絹恵本人はそんなことを露とも思ってはいないだろう。

 

 表情や声からはまるで読み取れないが、どことなく不満げな仕草で真屋が自摸和了を宣言する。改めて本人に聞くまでもないだろう、彼女も絹恵から直取りが欲しいのだ。もちろん和了は和了で真屋にとって前進には違いない。それはただの効率の差であって、絹恵からすれば喜べないことに変わりはない。

 

 

 親が回って来た東四局でさえも絹恵は慎重な姿勢を崩さなかった。よほどの良い手が来ない限りは自分からアクションを起こしてはいけない。そう自分に言い聞かせていた絹恵に、親番かどうかという視点はあってないようなものだった。まだ全幅の信頼を置くには至らない自身の感性に従って大物手に振り込むような事態になってしまえば、それこそ点棒以上に取り返せないものができてしまう。別にそんな経験があるわけではないが、絹恵は論理を超えた部分でそれを理解していた。

 

 手の方向性を限定することなく様々な可能性を残す打ち回しのおかげで、絹恵はこの卓では和了ってこそいないものの、まだ振り込んでもいなかった。他家の自摸で削られていることは確かだが、取り戻せない点差でもない。もう副将戦の四分の一は消化していることを考えれば、下手を打たない限り凌げる公算が高い。そしてそういった状況にあってなお絹恵の集中は解けていなかった。内的な要因で姫松が崩れ去ることはないとさえ断言できた。

 

 ただ、それはあくまで戦況が変化しないという条件を前提としたものでしかなかった。

 

 同卓している相手も人間、それも麻雀に関していうならとびきり優れた、というおまけつきだ。そんな彼女たちが指を咥えて変わらぬ戦況を眺めているわけがなかった。現状に納得がいかないのなら、それをなんとかして作り変えるくらいのことは当然のようにやってくるプレイヤーたちだ。残念ながら絹恵は揺さぶっても微動だにしないレベルのプレイヤーではない。確実に隙は存在していたし、彼女たちがそれを見逃すはずがなかった。

 

 絹恵の採ったいくつも選択肢を残す打ち回しは、どうしたって初動が遅れることになる。周りを見てから動き始めるのだから仕方ないとも言えることだが、それは見切られてしまえばただの足踏みでしかない。東一局から東三局までの打ち方と、絹恵のこれまでの戦い方を見てみればすぐに思い当たる。それはどこまでも点棒を守る動きであり、他家の序盤の捨て牌を素直に信じた動きと言っていい。それならば初めの第一打から迷彩として進めていけばどうなるか。もちろんあの姫松の副将だ、そう簡単には崩れないだろう。しかし完璧とは程遠いのも事実だ。それだけで試してみる価値は十分にあると言っていいだろう。

 

 この事態はもちろん絹恵も想定していた。同じ状況で同じプレイングをされたらおそらく自身もそうやって崩そうとするだろうから。しかし想定こそしていたものの、それに対する対抗策は事前に浮かんではこなかった。正確に言うならば、対抗策そのものはあった。だが絹恵にはそれが実現可能ではなかったのだ。迷彩を打たれるならばそんなことをしている暇がないほどに攻めたてればいいのだが、彼女にはそれができない。だから絹恵はあくまでもスタンスを変えないことにした。ただちょっと河が読みづらくなっただけのことだ、どうしようもなくなったわけではない。

 

 果たして戦法がかみ合ったのは、迷彩を打つことを選んだ彼女たちだった。東四局での真屋への放銃を皮切りに一気に絹恵は崩れ始めた。もちろん全ての局で振り込むようなことはなかったが、ほとんど泥沼と言っても差し支えないほどだった。今の彼女の戦い方で自身の読みに対する不信が一度でも生まれてしまえば状況は悪くなったと言わざるを得ない。自分の捨てようとする全ての牌が誰かにとっての当たり牌のように思えて手が竦む。そして不思議なことに麻雀という競技はそういった状況下になればなるほど吸い込まれるように悪手を選択してしまうのだ。彼女が一定の決断をしたと思われる後の引きを見ていると、偶然でさえ絹恵の敵に回ったようにさえ映った。

 

 

―――――

 

 

 

 「あ、あの、播磨先輩?」

 

 「あ?」

 

 一人掛けの立派な革張りの椅子に頬杖をついて座っていた拳児におずおずと漫が声をかける。返事は普段と変わりのないはずのものだったのだが、状況がそれを不機嫌そうなものに見せた。まだある程度の余裕がある点差とはいえ、洋榎が広げた清澄と有珠山に対するリードが明らかに削られているからだ。彼女にいつもの元気がないのはおそらくそれが原因だろう。もしこのペースでの失点が続くとすれば、それはほとんど最下位転落と同義である。恭子の言っていた清澄に対するリードの件も含めて、絹恵にはここで踏ん張ってもらわなければならないのは明白である。声をかけてきた漫の様子を考えれば、彼女の頭の中の不安が透けて見えるようであった。

 

 「……絹ちゃんに声かけに行かんでええんですか」

 

 漫の声にはまだ震えがわずかに残っていた。日常生活や部での練習中ならいざ知らず、試合中に拳児に対して意見することは彼女にとって未だに経験のないことだった。漫からすれば播磨拳児は麻雀に関しては非の打ち所がない圧倒的な監督であり、その立場の存在に口を出すことがどれほど勇気の要ることかは計り知れないところがある。

 

 声をかけられた方へとゆっくり顔を動かし、拳児は漫の顔を見た。彼女が立っていることもあって俯いているのはまだおかしくないが、今にも泣きそうな顔をしている。これではまるで自分が泣かしたみたいじゃないかと拳児は浅くため息をついて、さっさと質問に答えることにした。

 

 「行かねー」

 

 「そんな! 絹ちゃんピンチかもしれへんのにですか!」

 

 周囲の上級生たちは黙って動向を見守っている。誰も止めに入らないし、誰も口を挟まない。

 

 「いいか、よく聞けデコスケ」

 

 「デコっ……!?」

 

 拳児は顔の向きだけを変えたままいつもと変わらない調子で話し始めた。漫は拳児と話すたびにいつも思うのだが、この男には普段以外の調子が存在しないように見える。どんな場面であってもいつも通りに振る舞うし態度の大きさも変わらない。もし彼が緊張するときがあるのならば、それはいつなのだろうと思う。

 

 「まず第一に俺様が行ったところで妹さんのやるべきことは変わらねー。これはいいな?」

 

 漫はそれに頷いた。

 

 「で、オメーが言いてえのは向こう行って落ち着かせてこいだとかその辺なんだろ?」

 

 「そうです! きっと今しんどい思いしてるはずです!」

 

 食い入るように漫が合わせる。顔つきはさっきまでの怯えたものではなくて必死なものだ。絹恵のもとへ行くべきだと言外にこれでもかと伝えてくる。もちろんチームとしての姫松の決勝進出のことも考えてはいるのだろうが、何よりも仲間であり友達でもある絹恵のことを大事に考えているのだろう。

 

 「……あのよ、オメーもそうだが妹さんはレギュラーだ。ヤワじゃ困る」

 

 説得するようなものでも呆れたようなものでもない。本当にいつも通りの、一緒に廊下を歩いて話をしているときの声だった。

 

 「ホントなら頼られる立場だ、だがオメーらはそうなってねえ。だから甘やかさねえ」

 

 「う……」

 

 「すぐにオメーと妹さんの時代が来る。わかるな?」

 

 それだけ言うと拳児は視線を前に戻した。もう話は終わったと判断したのだろう。拳児には部活という概念がこれまでの人生に存在しなかった。ずっと一匹狼で通してきた。だから部活の先輩後輩の機微をまったく理解しないままに監督代行を務め、わからないからそこに関する話をしてこなかった。しかし激戦だった二回戦の様子を通して、初めて年長者の役割のようなものが見えた気がしていた。二年生の二人にとって三年生は間違いなく実力的にも精神的にも頼れる存在であった。しかしこの夏が終わればその頼りになる三年生はいなくなる。監督としての思考を当たり前にこなすようになった拳児は、そこを気にかけたのだ。

 

 もちろんそれが敗北につながってしまえば笑い話にもならない。ならばなぜ拳児が絹恵のもとへ行かないという決断を下したかと言えば、後ろに控えているのが末原恭子であるからだった。播磨拳児は未だ以て敗北のことをちらとも考えてはいない。

 

 「それまでの尻ぬぐいは末原に任せりゃそれでいい。そんかしさっさと一本立ちしろ」

 

 拳児はひょんなことから務めることになってしまったこの監督業を意外と楽しんでいることに、自身ではまったく気付いていなかった。

 

 「お前サイテーやな!?」

 

 一拍置いて予想外の責任転嫁を受けた恭子の声が控室に響いた。

 

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のためのカンタン点数推移


             副将戦開始    前半戦終了

原村 和      →   七三〇〇〇 →  八二六〇〇

真屋 由暉子    →   六三〇〇〇 →  七六七〇〇

メガン・ダヴァン →  一三六二〇〇 → 一三七二〇〇

愛宕 絹恵     →  一二七八〇〇 → 一〇三五〇〇

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