姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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23 二回戦②

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 片岡の支配領域である東場が終わって、各校の持ち点はわかりやすく差が開いていた。結果的に小瀬川の長考によって連荘は阻止されたように見えたが、その後も彼女の勢いは止まらなかった。親番を逃して以降も和了りそこねたのは一局だけで、東四局を終えた時点で収支がプラスだったのは片岡だけである。彼女はもともとの持ち点である十万点に三万点強の余剰を乗せてみせた。その仕上がっている状態の片岡を相手に小瀬川は健闘したと言うべきだろう。収支で言えばマイナスではあるものの、それをたったの三百点で抑えたことは十分に評価されるべきである。一方で神代と漫は一度も和了ることなく、それぞれおよそマイナス二万点とマイナス一万点で東場を終えた。

 

 この時点での点数だけを見るならば清澄のリードは疑いようがないが、データ通りであるならばここから片岡は失速する。途端に打牌が甘くなるのだ。したがって彼女のここからの勝負は東場で奪ったリードをどれだけ守れるかということになり、他家の勝負は本来であればそのリードを削りとって逆に主導権を奪い取ることになる。それが先鋒というポジションに一般的に課せられた役割であろう。もちろんそれが全てというわけではなく、例を挙げれば拳児率いる姫松高校は伝統的に例外的な戦法を採っている。団体戦は各校五人がそれぞれ二半荘ずつを戦うのだから序盤も序盤の先鋒戦での遅れなど取り返す機会はいくらでもあると言えるが、麻雀という競技において心理的な影響は軽視できないものがある。なにしろ参加選手はまだまだ精神的に未熟な高校生なのだ。どのような状況でも普段通りのプレーをできる選手など稀である。

 

 

 漫の頭脳は忙しく働いていた。これまではとくに状況を鑑みて動きを変えるようなことはせずにその場その場で打ってきたから、違和感を抱えながらの思考であった。慣れないものに違いはないのだから当然その精度はあまり高いものとは言えないが、何も考えないよりは遥かに良い。

 

 ( ……小瀬川さんは実際ウマい。今の私やと稼ぎ合いまで持ってけたら出来過ぎなくらいや )

 

 すこし低めに設定された室温のなかを、自動卓の発する小さな音が抜けていく。卓上を撮影するカメラ以外に余計なものの存在しない純粋な空間には、それで十分だった。

 

 新たに押し上げられた山を賽の目のとおりに切れ目を入れて手を作る。勘違いでなければ片岡の山を崩す手から勢いがなくなっていたように漫には見えた。恭子からもらったデータに全幅の信頼を置いていた漫はそれを当然のように捉えていたし、そこから彼女が復帰するとも考えていなかった。これを恭子に対する信頼と取るべきか油断と取るべきかは難しいところだが、最終的には結果で語られるべき事柄だろう。

 

 南一局の漫の牌姿は東場のものに比べれば多少は良くなっていた。配牌の時点で勝負する気にさえならないものと、楽観の要素を含むとはいえ勝負の可能性を感じるものとでは印象に違いが出るのは当然である。前半戦が終わるまで少なくともあと四局。きちんと食らいつくにはここで粘ることが肝要なのだと漫は理解していた。

 

 自身の弱みを理解している片岡はリードしていながら守勢に回ったが、彼女以外の三人は前掛かりに攻めることを選択していた。そのうちではっきりと実力を見せつけたのは小瀬川だった。漫も素の実力を叩き上げてきたとはいえ、たったの三ヶ月でインターハイの一回戦を勝ち抜くようなチームのエースと張り合えるほどのものを身につけられるわけもない。神代に関しては通常の物差しで測ろうとすること自体が間違いとされる。眠りに落ちた後の彼女は、それこそ鬼神に喩えられるような圧倒的な力を見せつけるのだが、眠りに落ちる前の彼女はただの “麻雀のできる女の子” であって全国のレベルには遠く及ばない。このあまりの落差が彼女を “神降ろし” の名で知らしめる一端ともなっている。

 

 南場は小瀬川の連荘を漫が一回で止めた以外はすべて彼女が和了り続けた。うち自摸和了は一度だけで、あとの三回は片岡から直取りで点棒を奪っていった。満貫を上回る大きな和了こそなかったものの、五度の機会のうち四回も点を稼いだことは驚嘆に値することである。もちろん得点状況も小瀬川と片岡できれいにひっくり返っている。一方で神代はわずかに点棒を失い、漫はわずかに点棒を回復させていた。

 

 

―――――

 

 

 

 ( さすがに小瀬川さんと競るんはキツいけど、数字はそこまで悪ない )

 

 前半戦と後半戦の間に挟まれる二十分程度の休憩時間を、漫は対局室と控室の間の廊下で過ごしていた。自身が思っていた以上に集中を深めていたらしく、それが解けた反動で体にずしりとした重さを感じるが、なかなかどうして悪くない。どうやら彼女の精神構造は周囲が考えている以上にタフであるらしい。

 

 人工の光で白く着色された無機質な廊下に置かれた長椅子は、光沢のあるスチールのパイプの脚と革張りの座席部分からなるものだった。病院や市役所、あるいは公民館などにあるイメージのものだ。座りなおすたびにスカートの生地と革がこすれ合ってぎゅむぎゅむと音が鳴る。普段なら気にも留めないような音だが、静まり返った廊下では強調されたように耳に残った。

 

 ( あの “ちょっとタンマ” は意識してやれるワケやないみたいやし )

 

 長椅子に浅く座った漫は、深く息を吸って吐く。気持ちの切り替えの儀式のようなものだ。彼女が自身に下した評価は決して悪いものではないが、かといってその調子が良い意味でも悪い意味でも維持できるとは限らない。これは漫自身についても他の先鋒についても同様である。もう一度、集中力を高い水準まで持っていく必要があった。

 

 ( どうにかしてプラスまで持っていきたいなあ )

 

 

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 漫が対局室に戻ると、思い切り背もたれに背中を預けている小瀬川の姿があった。前半戦が終わった後にも似たような姿勢をとっていたから、ひょっとしたらずっとああやって座っていたのかもしれない。余裕の表れなのか単に体力の回復に努めているのかは漫にはわからなかった。前半戦を戦ったからこそわかるが、ただでさえ表情の変化に乏しい選手なのだ。心情を推し量るなど以ての外だろう。

 

 座席に着くときに、よろしくお願いします、と軽い挨拶を交わす。そうこうしているうちに神代と片岡が対局室に現れて、先鋒戦の後半戦が始まった。

 

 

 東場をストロングポイントとしている片岡は再びチャージをかけようとしたものの、それは前半戦の東場ほど機能していないようだった。あるいは先鋒戦全体として見たときに後半戦であることが影響しているのかもしれない。プレッシャーはもちろん持っていたが、そのレベルが落ちていることは疑いようがなかった。漫は理牌をしながらその違いをはっきりと感じ取っていた。

 

 後半戦の第一局で和了ったのは意外にも神代だった。前半戦で一度も手を開けていない彼女がこれまでツイていたかどうかは漫にはわからなかったが、それは十分にあり得ることだった。単純に和了りきれなければ手が開くことはないからだ。仮に彼女がツイていたとしても他家が運でも技術でも異能でも何でもいい、和了ってさえしまえばそのツキは結果という意味では塗りつぶされる。今回の和了は捨て牌と手出しの頻度を見るに、まさに幸運の賜物という感じのものであった。どうやら漫以外の面子は、片岡こそ東場という条件こそあるもののツキという面では漫を上回っているようだった。状況はベストとは程遠い。

 

 東二局。漫はここで討って出ようと考えた。先鋒戦開始時に比べて次第に配牌などは良くなりつつあるが、それでもどうやら他には及ばないらしい。しかし点棒状況だけで見れば、試合開始前の予想を超えて食い下がっている。本格的に流れがどうなっているのかを確かめるのなら、少なくとも東場の間だ。漫が仕掛けていってそれが通る程度の流れなのか、あるいはどうにもならない程のものなのか。二回戦という括りで見ればさして大きなものではないが、漫にとってそこはたしかに分水嶺だった。

 

 その想いに応えるように、漫の配牌は攻めのプランがいくつか考えられるような広がりを持つものだった。火力の面では不満がないわけでもないが、この際それは無視をすることにする。まずは染め手の方向なのかタンピン系に持っていくかの判断だ。どちら側に牌が寄っていくのかを見極めなければならない。可能性の話を始めるとどこまでも結論など出ないため、どこかで決断してしまうのがプレイングとしても精神衛生の観点からも正しいと言えるだろう。

 

 漫の決断は染め手だった。無茶をするわけにはいかないが鳴けるというのが大きい。それに寄って来る牌もどちらかといえば萬子に偏っている。場況は五巡目、既に片岡からは聴牌まではいかないにしてもきな臭いものを感じる。よくもこう短時間に調子がころころ変わるものだと思いたくなるが、それは漫が言っていいことではない。

 

 次巡、かねてから欲しいところであった四萬が上家の神代から零れた。間を置かずに漫はチーを宣言して手牌から二萬三萬を晒して神代の河から四萬を奪い去る。現在の漫の河を見れば、彼女がどういった方向で手を進めようとしているかがかなりのレベルで推測できる。なぜなら漫の河には萬子が一つも捨てられていないからだ。もちろんまだ役牌やタンヤオの可能性も残ってはいるが、それも絡めた上での染め手と判断するのは容易いと言えた。攻めと言うには甘っちょろい方策で、そんなことは漫も承知の上である。彼女は言外に含んだのだ。 “バレることなどどうでもいい、このまま引いてみせるぞ” とケンカを吹っ掛けたのである。

 

 その漫のアクションに対して退くか突っかかるかは個人によって差が出るとしか言えないが、今この卓にはほぼ間違いなく退かないプレイヤーがいる。それは東場という限定領域において力を発揮する彼女を措いて他にない。片岡にしてみれば漫の行為は庭を荒らされるに等しいものであり、また有利な状況下でのめくり合いともなれば後退する理由などどこにもないのだ。

 

 ( ここで罠とか張れるようならカッコええんやけど、そんなんできひんしなぁ )

 

 内心でため息を吐きつつ、漫は正面からぶつかり合う覚悟を決めた。

 

 

―――――

 

 

 

 「なんや漫もずいぶん成長したなあ」

 

 「ホンマですね。春までのイメージしかない人は面食らってるんとちゃいますか」

 

 漫の鳴きに対して洋榎と恭子がうんうんと頷き合いながらしみじみと喜んでいる。それが成功につながるかどうかは別にして、どうやら価値のある決断だったらしい。一つしか年齢が変わらないのに大した先達ぶりだと思わなくもないが、実際にこの学年のレギュラー三人は技術的に卓越している。それこそ一山いくらの指導者では手に余るほどのプレイヤーなのだ。そういった感想が出てきても咎めることはできないだろう。

 

 かたや拳児はというと、二人が褒めた鳴きがただの鳴きにしか見えていなかった。テレビの近くに陣取っている洋榎と恭子からは離れた位置に座っている拳児は、ひとりで腕を組んで黙りこくっている。これを正直にわからないと言えば姫松の部員たちも勘違いから覚めてくれるのではないかと考えもしたのだが、インターハイという舞台は拳児に活路を残してはくれなかった。解説の位置にいるプロが漫の鳴きの意味を懇切丁寧に細大漏らさず説明してくれたのである。テレビから流れたことを同室している人間に尋ねるなど麻雀素人とかいう以前に人としてマズいことになるため、拳児は別の方面から攻めてみることにした。

 

 「なあ、そんなに春までのと今の上重は違げーのか?」

 

 「……まあ、春までの漫ちゃんは完全に “爆発” 頼りだったから」

 

 それでも十分に脅威だったけどね、と付け加えて由子はゆるく微笑んだ。テレビに映っている先鋒戦が終われば自身の出番だというのに、その受け答えにはどこか余裕すら感じられる。

 

 「そりゃあアレだ、チョウジョウ、ってやつだな」

 

 「……なにそれ」

 

 「俺様もまだ成長段階にあるってえことだ」

 

 「恭子の真似は別にして、漫ちゃんの成長のきっかけはあなただと思うのよー」

 

 由子は姫松の全員がそう思っていることを口にしただけなのだが、拳児はなんだか納得のいかないような表情を浮かべていた。そもそも拳児の思考回路としては、麻雀の下手な自分が教えるようなことは一つとして存在していない、というものである。彼女たちが成長したのだとすれば、それは実質的には郁乃の手腕によるものだと理解していたし、また漫の成長に関しては本人から辻垣内智葉の名前が挙がっている。このため拳児は部員たちの成長に自分が関与しているとは露とも考えていないのである。

 

 塚本天満という存在が関わっていなければという注釈はつくが、基本的には何も気にしない大らかさと物事を楽観ではなく前向きに捉える能力は麻雀においてかなり重要な能力なのだが、やはりそれにも拳児は気が付かない。それを知らず知らずのうちに態度や行動で伝えているなどとは夢にも思っていないだろう。彼の人生はそれらの能力がなければ生き抜けないほどに、ある意味ハードであったのだ。もちろんそんなことは誰も知らない。それでも世界は順調に回っていくのだから、なるほどよく出来ていると言わざるを得まい。

 

 

―――――

 

 

 

 神代の四萬を拾った時点では、まだ漫は聴牌には届いていなかった。もうひとつ牌を持ってきてようやく聴牌である。一方で牙を剥いている片岡もまだ聴牌にはたどり着いていないと漫は直感していた。そこまでどれだけ離れているかはさすがにわからないが、リーチをかける場合が多いことと気合の乗り方が今ひとつということがその根拠にあたる。まだお互いにめくり合いの状況に達していないが、ごく近い未来にそうなることを、同卓しているふたりはおろか観客の多くも理解していた。

 

 先手を打ったのは片岡であった。牌を引くや否やそのかわいらしい顔に似合わない不敵な笑みを浮かべ、手牌から一つ抜き出して曲げて河へと捨てる。親こそ逃してしまったが主導権はまだこちらにあるのだ、と言わんばかりの手つきだ。続く小瀬川と神代はぶつかっていける手ではないのだろう、素直に退くことを選択した。同巡、逃げる選択肢を押し潰すように漫にもちょうど欲しい牌が入った。これで両者が聴牌となり、めくり合いの実現となった。

 

 分が悪いのは漫も承知の上である。だがそれでも()()()()()()()()()()()()()()が、片岡が本流にないことを証明していた。あとはその状態の彼女ならびにツキの回ってきているであろう小瀬川と神代を相手にどれだけ食い下がれるか、それが漫にとっての問題となっていた。

 

 聴牌後の一巡目、片岡は自摸牌をそのまま切る。

 

 漫も当たり牌を逃す。

 

 二巡目、片岡の手牌は倒れない。

 

 漫の欲しい牌は姿を見せない。

 

 そして三巡目、ついに牌が倒された。

 

 手を晒したのは、やはりと言うべきかさすがと言うべきか、清澄高校の片岡優希だった。瞳に宿る強気な光は未だ失われてはいない。自身の流れを逸していると理解して、なお果敢に攻める様は誇り高くすらあった。火力も死んだというにはまだまだ遠い。彼女は満貫を自摸和了ってみせた。

 

 ( あれだけ上手くいって届かんのやったら仕方ない。東場はガマンやな )

 

 

 東三局は本当に幸運が向いているのか、異様に早かった神代の聴牌を読み切れなかった小瀬川が振り込んでしまう。先鋒戦終了後に彼女が事故としか言いようがない、と悔やんだ一局であった。一本場となって神代の進撃が始まるのかと思いきや、片岡がノミ手を自摸って場を流した。自身の親番でもある東四局であったが、漫はここでも攻めるという選択肢を採らなかった。闇雲に前進したところで傷口を広げるだけだという判断である。結果的には小瀬川が神代から和了り牌を奪い取って東場は幕を閉じた。

 

 

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 ( ……技術的に怖いのは小瀬川さんだけ。さあ、ここからや )

 

 漫は一度のまばたきで気持ちを切り替える。こうして南場に逃げ込めば、片岡の脅威はなくなるどころか場合によっては狙い目にすらなり得る。加えて神代には流れが来ていることが予想されるが、彼女の麻雀技術そのものは甘さの抜けないものである。これらのことから考えて、漫は自分が前に出てもこの場であるならば十分に勝算が見込めると判断したのである。たしかに流れの有無を感じてはいるが、致命的なレベルに達しているとは思えない。何よりリードを奪われている状況で逃げ腰というのは漫からすれば考えられない話であった。

 

 せり上がってくる新しい山に期待を寄せつつ、回る賽に目をやる。出目は一と六だった。

 

 先鋒戦開始からほんの少しずつではあるが改善の見られつつあった漫の配牌は、ドラ含みの三向聴にまでなっていた。うまく育てば化ける可能性を持った手でもある。改善されてやっと普段からよく見られるような配牌になっている辺り、前半戦の、特に東場がどれだけ酷かったかが知れるというものである。

 

 気分よく打ち進められそうな状況の漫の前に立ちふさがったのは、事前の恭子の言葉を証明するかのように小瀬川であった。前半戦でそれほど見せることのなかった奇妙なタイミングでの長考をここで見せたのである。警戒をしようにも発動はランダムだと思われる上に、そもそも長考など防ぎようがない。漫にとっては一番控えてほしい状況での長考だった。これ以降、場は小瀬川にとって都合の良いほうへと転がり続ける。もちろん漫もただ傍観するような真似だけはしなかったが、やはりその状態の小瀬川相手では分が悪かった。彼女は弱った片岡に満貫を叩き込んで自分の親番を手繰り寄せた。

 

 トップを走る彼女の連荘だけはどうしても止めなければならないため、漫は必要とあらば差し込むことすら考えていた。しかし直前で奮った小瀬川の調子がなぜか上がらずに、神代だけが聴牌しての親流れとなった。どこでケチがついたのかはまるでわからないが、往々にしてこういうことが起こるのが麻雀である。

 

 何にせよ小瀬川の親が流れてほっとしていた漫は、頭の整理が完全にはついていない状態で新たな山から次の配牌を拾ってくることになった。特別に流れの早い卓というわけではないのだが、各人が全国大会に出られるだけは打ち込んできているのだ。手慣れた作業になっているために自然と所要時間が減っていくのは当然の理である。そこで配られた牌に何の気なしに目をやって、漫は目を見開いた。意図的に翻数を下げていくようなことさえしなければ満貫はカタい大物手が転がり込んできたのである。理牌をして検めてみると速度も問題はなさそうだ。特定の牌だけ妙に引けないといった事態に陥らない限り、この局を取れる公算は高そうだ。いきなり配牌が良くなったから疑ってはみたものの、自身で何も感知してはいないから “爆発” が起きたわけではなさそうだった。

 

 できるだけ他家に悟られないようにと漫は普段通りを意識しようとしたが、それがきちんと機能していたかどうかは怪しいところであった。もともとそういった技巧派ではないのだが先輩たちの影響が強いのかもしれない。そんな彼女の河は外から見ると平凡で、そこから強烈な手を想像するのはなかなか難しいものだった。迷彩で隠れようとしたわけでもなんでもなく、ただ牌を引いて捨てていく順番が見事にかみ合ったのだ。それはこの先鋒戦でトップを走る小瀬川が不用意に振り込んでしまっても仕方がないと言えるほどにきれいな流れであった。

 

 

 状況で見ればトップ目に跳満を直撃させての自身の親番である。波に乗れないわけがない。会場に来ている観客たちもテレビの前で観戦している人たちも、あるいは卓についている片岡や小瀬川ですらそう思っていたかもしれない。もちろん漫もこのままの調子で連荘を重ねて、できる限り点棒を稼ごうと考えていた。勝ってもいないのにオーラスの親番で逃げる意味など何一つとして存在していない。これまで以上に気合を入れて、いざ賽を回すボタンを押そうと左腕を伸ばしたその瞬間だった。

 

 空間が、歪んだ気がした。

 

 ぞわりとした悪寒が背中を走る。漫は自分の左肩が、喪失した空間を埋めようとする空気の流れに引きずられるような感覚に襲われた。音はない。頭はそれが錯覚であることを理解してはいる。しかし理性を飛び越えたなにかが、そう認識することを許さない。ボタンを押そうと伸ばした手が中空でぴたりと止まったまま動かせない。漫の左に座っているのは神代のはずなのに、どうしても左に視線を向けることができない。体中の毛穴から一斉に汗が噴き出す。

 

 ( ……な、こ、なんやこれ!? 何が起きとる!?)

 

 漫が視線を左に向けないように上げると、そこには冷や汗をかいた小瀬川と物理的に後ろに下がることを必死で堪えている片岡の姿があった。とくに片岡は対面に座っているためそっぽを向くわけにもいかないのだろう。その表情は笑うのを我慢しているようにも見える。そこには、漫の左隣であり西家にあたるそこには、つい先ほどまで存在していなかった異物が、居る。

 

 びりびりと肌に突き刺さるようなプレッシャーは、これまでに体験したものとは質そのものが違う。そもそもそれは人間が放てる種類のものではないのだ。だがいつまでもそんなことは言っていられない。今ではなんとも頼りなく見える伸ばした左腕で顔の下半分を隠しつつ、漫は神代のいた方へと視線を投げる。果たしてそこに座っていたのは、こくりこくりと船を漕いでいる巫女の装束を身に纏った少女であった。漫が見たときには既に揺らぎは治まりはじめており、そう時間の経たないうちに彼女の揺らぎは完全に止まった。そして彼女の目が開く。

 

 端的に表現するならば、厳かで据わった目をしていた。姿かたちは神代小蒔であることに間違いはないのに、そこにいるのが彼女本人かと問われて答えられる自信が漫にはなかった。その代わりに断言できることがひとつあった。今の神代には神仏、少なくともそれに類するものが降りてきているということである。

 

 

 第二回戦先鋒戦は神代小蒔が小四喜の役満を自摸和了り、幕を閉じた。

 

 

 

 

 

 

 

 




色々気になる方のための点数推移 (前局の続きより)


片岡優希  (清澄)→ 一一八五〇〇 → 一二六五〇〇 → 一二六五〇〇 → 一三四五〇〇

小瀬川白望 (宮守)→ 一〇一八〇〇 →  九七八〇〇 → 一〇一七〇〇 →  九九七〇〇

神代小蒔  (永水)→  八三七〇〇 →  八一七〇〇 →  七七八〇〇 →  七五八〇〇

上重漫   (姫松)→  九六〇〇〇 →  九四〇〇〇 →  九四〇〇〇 →  九〇〇〇〇


片岡  → 一二六五〇〇 → 一〇二四〇〇 → 一一三四〇〇 → 一〇五四〇〇 → 一〇三八〇〇

小瀬川 → 一〇七七〇〇 → 一一三八〇〇 → 一一三八〇〇 → 一二一八〇〇 → 一二八二〇〇

神代  →  七五八〇〇 →  七五八〇〇 →  七五八〇〇 →  七五八〇〇 →  七四二〇〇

上重  →  九〇〇〇〇 →  九〇〇〇〇 →  九七〇〇〇 →  九七〇〇〇 →  九三八〇〇


――後半戦――


片岡  → 一〇三八〇〇 → 一〇一二〇〇 → 一〇九二〇〇 → 一〇九二〇〇 → 一一〇六〇〇

小瀬川 → 一二八二〇〇 → 一二六九〇〇 → 一二二九〇〇 → 一一一三〇〇 → 一一〇九〇〇

神代  →  七四二〇〇 →  七九四〇〇 →  七七四〇〇 →  八九〇〇〇 →  八八四〇〇

上重  →  九三八〇〇 →  九二五〇〇 →  九〇五〇〇 →  九〇五〇〇 →  九〇一〇〇


片岡  → 一一〇六〇〇 → 一〇二六〇〇 → 一〇一六〇〇 → 一〇一六〇〇 →  九三六〇〇

小瀬川 → 一一六一〇〇 → 一二四一〇〇 → 一二三一〇〇 → 一一一一〇〇 → 一〇三一〇〇

神代  →  八三二〇〇 →  八三二〇〇 →  八六二〇〇 →  八六二〇〇 → 一一八二〇〇

上重  →  九〇一〇〇 →  九〇一〇〇 →  八九一〇〇 → 一〇一一〇〇 →  八五一〇〇


見づらいことこの上ないですね

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