姫松高校麻雀部監督代行播磨拳児   作:箱女

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 三日目の午前十時頃。拳児がポケットから携帯電話を取り出し、そして練習場から出ていくのをたまたま絹恵は見ていた。いつ聞いたかは正確には覚えていないが、絹恵は拳児が大阪に来てから新たに携帯を買い替えたことを知っている。理由はひどいもので、前いたところにもともと持っていた携帯の充電器を置いてきてしまったのが原因なのだという。それくらい取りに戻ればいいのでは、と思わないでもないのだが、彼の抱えている事情から考えればそれは難しいのだろうと絹恵は結論している。

 

 そういう事情があった以上、拳児の携帯の番号など知っている人はほとんどいないはずである。姫松の部員たちは緊急連絡先としていちおう知ってはいるものの、合宿中であるということを知った上でほいほい電話をかけられるような度胸のある者はいない。そう考えるとその電話の主は拳児の個人的な知り合いでなければならない。だが彼は姫松に来て以降ほとんど休みなく部活に出ているため、人とのつながりを作る時間はなさそうに絹恵には思われた。それにどう見たって自分から友達を作りにいくタイプには見えない。

 

 拳児が練習場から出ていくのを見た郁乃とアレクサンドラは、手を叩いてすべての部員の注意を引いた。打っている最中に手を止めさせるというのは非常に珍しいことである。話があるのならばランニング後や朝食の間、あるいは練習開始前などいくらでも時間はあったはずである。なんとも不思議なタイミングでの中止に、一同はよくわからないといった表情を浮かべている。

 

 「ええとな~、今日これからゲストの方がいらっしゃるからヨロシクな~」

 

 「なんでも播磨少年個人のコネクションらしい。しっかりと勉強させてもらうといい」

 

 そう二人が言った直後に拳児が出ていった練習場の出入り口の扉が開いた。内開きのものであるため拳児が先に入り、扉を開けた状態を維持しつつそのゲストを迎え入れるようだ。百八十センチを超える不良風味のドアマンの横から顔を出したのは、日本の麻雀に関わる者であれば誰でもその存在を知っているトッププロのひとり、野依理沙だった。

 

 真っ直ぐで長い艶のある黒髪にはっきりとした目元、控えめな鼻と口に白い肌。和風美人の要素をこれでもかと詰め込んだような容姿をした彼女はゆっくりと練習場を見渡して、その部屋にあるすべての視線が自身に集められていることに気付いて頬を薄く紅潮させた。とはいえ理沙のそんな心の動きを知る者はいない。彼女はその恥ずかしさを誤魔化すために一言だけ発した。

 

 「壮観!」

 

 

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 「……優秀!」

 

 愛宕洋榎という選手の実力は未だ計り知れないところがある。幼少の頃から麻雀に親しんできた彼女は、大会にも数えきれないほど出場している。そして彼女はそのすべてで優勝を含む好成績を常に残してきた。現在の高校麻雀における怪物といえばまず初めに名前が挙がるのは宮永照であろうが、実は愛宕洋榎もそこに名を連ねるのに十分の資格を有している。彼女も宮永照に届き得る牙の持ち主であるとされているが、不運なことに未だ二人には直接対決の機会がない。もちろんたった一度の半荘ですべてが決定されるはずもないので、どちらが強いかなどということは仮に今年のインターハイで直接ぶつかったとしても断言できるものではない。

 

 そんな彼女が、完全に抑え込まれた。公式戦で一度たりとも収支マイナスを記録したことのない愛宕洋榎が手も足も出ず、またさらに彼女自身にしかわからないかたちで敗北を喫していた。

 

 ( こんだけ見事に完封されて “優秀” 言われてもなあ…… )

 

 局後に一礼をしてさっそく頭の中で反省会が行われる。普段の彼女からは考えづらいことだが、麻雀に向かい合うときのその頭の回転は恭子のそれを遥かに上回る。ぶつぶつと何かを呟きながら考え込んでいるその様はまったくもって似合っていなかった。

 

 「おい、愛宕。聞いてんのか?」

 

 不意に上から降ってきた声に驚いて、跳ね上がるように猫背気味になっていた体を起こす。

 

 「な、なんや播磨か……。人を驚かすのは感心せんなぁ」

 

 「オメーがいきなりぶつぶつ言い出すからだろーが。ちゃんとアドバイス聞いてたのかよ?」

 

 その言葉を聞いて洋榎はぴくんと反応した。今のこの状況から考えるにアドバイスをくれる存在など二人しか思い浮かばない。それは我らが監督代行か、あるいはつい今しがた一緒に卓を囲んだあのトッププロ以外にはあり得ない。しかし相当深くまで潜って考え込んでいたとはいえ、まさか自分に向けられた声を聞き逃すとは洋榎には到底思えなかった。

 

 「え、なんか言うてた? 言うてたらホンマごめん。聞き逃してたわ」

 

 「あー、理沙サン、すんませんコイツにもっかい言ってもらってもいいッスか」

 

 図体の大きい拳児の影に隠れていたのか、理沙がひょっこりと顔を出した。見る限りはどうにも難しそうな顔をしている。指導しに来た高校生が話を聞いていないともなれば無理もないだろう。洋榎は内心で深く反省をしたのだが、理沙自身はそれを気に留めるどころかいまだに拳児以外の高校生とどう接すればいいのかわかっていなかったためそれどころではなかったのだがやはりそれも理沙以外の知るところではない。仮にもトッププロという立場にいるのだから人前にはそれなりに慣れているべきなのだろうが、中にはこういう人もいるということである。

 

 拳児の言葉にこくこくと頷きながら若干コミュニケーションに不安の残るトッププロが口にした助言は、先ほどとまったく変わらないたった一言のものだった。しかもなぜかそれを横で聞いていた拳児がうんうんと頷いている。

 

 「……いや優秀や言ってもらえるのはうれしいですけど、それアドバイスとちゃいますよね?」

 

 「通訳!」

 

 自分を中心とした話のはずなのに、洋榎にはなにがなんだかわからなくなっていた。

 

 「あれだ。オメーが巧いのはいいんだけどよ、時にはもっと欲張ってもいいっつってる」

 

 「えっ」

 

 「ま、見極めはもっとシビアにする必要があるけどな」

 

 「ちょぉ待ちや、播磨。それホンマに野依プロが?」

 

 「あン? 本当もクソも聞きゃわかんだろーがよ」

 

 今度こそまったく本当に意味がわからなかった。あのたったひとつの単語のうちにそんなに深い意味があったこともおかしいが、それを寸分違わずに取り出せるというのも信じられない。拳児は特別なことをしたような態度は取っていないし、理沙はどこか満足げな顔をしている。それが意味することは、この二人にとってこの程度の事態は当たり前のことで、かつそれが極めて正確であるということだ。世の中に以心伝心という言葉があることは洋榎も知っているが、実際に目にするとこれほど気味の悪い現象もなかなかないだろう。

 

 たしかに世界には不思議なことがたくさんあるし、現代の科学では説明しきれないことも山ほどある。その辺のことに特別に関心を示さない洋榎であっても、とりあえずこれを聞かないわけにはいかなかった。

 

 「いやいやいやいや、何をどうしたらそんなん分かんねん」

 

 「あ? フィーリングでイケんだろ」

 

 「燃えよドラゴン!」

 

 まともな返答があるとは考えていなかったが、もはや完全に思考を放棄したと言っても過言ではないようなふたりの言葉に洋榎はため息をついた。本来ならばこういう役目は恭子のものだろう、と心の中でよくわからない八つ当たりをする。

 

 「やったらうちの考えてることもわかるー、いうことか?」

 

 「バカ言え、俺ぁエスパーじゃねえよ。似たような知り合いがいるってだけだ」

 

 訪ねてきた目的が目的なので、理沙はいつの間にか別の卓へと移動していた。ついさっきまではそこで有名なカンフー映画のテーマを口ずさんでいたと思ったら、今はもう卓に着いて席決めまで終わらせている。やはりトッププロともなると特殊な感性や呼吸を持っていたりするのだろうか。

 

 「……失礼な話やけど、野依プロに似てる人ってそうはおらんやろ」

 

 「別に何から何まで似てるってわけじゃねえ。あんまりしゃべろうとしねえだけだ」

 

 「よーそんなんと知り合いになったな」

 

 「たまたま足を引きずるようにしてたトコに居合わせてよ」

 

 「あー、もうええもうええ。うちが悪かったわ」

 

 洋榎が踏み込むのをやめたのも当然だろう。条件が揃い過ぎている。まず第一に姫松高校の部員たちは郁乃を除いて全員が拳児を裏プロだと認識している。そんな拳児の知り合いで、口数が少ない上に足を引きずるなんて事情を抱えた人種などそうそういない。どう考えても関わってはいけないタイプの人に決まっている。

 

 もちろん洋榎が想定しているような知り合いは拳児にはいない。ただいつだって拳児には言葉が足りなかったし、また動物を人間と決定的に区別するには動物に対する情愛が深すぎた。というのも一年近く前、失意の底にあった拳児に寄り添ってくれたのは誰よりもまず動物たちであったからだ。だから拳児は自身に近寄ってきた動物に対してのみではあるが、友人とも呼べるような扱いをするようになっている。知り合い、というのも彼なりの愛情表現のひとつと言っていい。

 

 それ以来なぜか動物の声を聞き取ることができるようになった拳児は、たまたまクーラー修理のアルバイトで訪れた家で、とある猫の足のトゲを抜いてあげることになった。拳児の “野依理沙に似ている知り合い” とはこの猫であり、それ以外の何者でもない。その猫の名前は伊織。塚本家で飼われている猫である。

 

 拳児に対する謎というか疑念が深まりはしたものの、トッププロからアドバイスをもらった洋榎は満足げだった。彼女のレベルに達すると、やみくもに練習するだけではもはや効果は得られないのだ。着地点を見定めて、どう打ちまわしていくかの指針を持って初めて成長と呼べるものを呼び込む準備を整えたと言えるのだ。愛宕洋榎の器の大きさは、未だ計り知れないところがある。

 

 

―――――

 

 

 

 「しかしまあ、本当にアイツには驚かされるよ」

 

 「播磨のことですか」

 

 もう三日目ともあって、一緒に食事を摂ることになんの違和感も覚えなくなってきた昼休みに、智葉がぽつりと呟いて恭子がそれに返す。同い年だというのに敬語を使う恭子にくすぐったいから止めてくれと頼んでみたが取り合ってくれなかった。それにも慣れてしまった辺り本当に仲良くなったと言っていいだろう。智葉と恭子以外ももちろん学校の区別関係なしに食卓を囲んでいる。

 

 「だいたい播磨のやつがどうやって野依プロとつながりを作れるっていうんだ?」

 

 「あー、播磨のインタビュー記事って見ました?」

 

 なぜか恭子はすこしぎこちない笑顔を浮かべていた。明らかにそこに良い思い出があるようには見えないが、智葉はそこにどんな事情があるかなど知らないのだから小さな疑問を抱くくらいしかできなかった。

 

 「いや、話には聞いていたが直には見ていないな」

 

 「実はそのときのインタビュアーが野依プロやったんですよ」

 

 話に上がっている当人たちは指導者組の四人で固まって食べているようだ。拳児がカレーライスを頬張っている様子が妙に目立つ。理沙もちょこちょこと箸を動かしてはいるようだが、拳児の体とカレーが邪魔をして何を食べているのかまでは見えない。タイプが違い過ぎてあのテーブルでの会話が成立しているのか気になるところではあるが、智葉と恭子にそれを知るすべはない。

 

 「ということはそのたった一度のインタビューで気に入られたと?」

 

 「そーみたいですよ。どんな魔法使たんか知りませんけど」

 

 「……わからんものだな」

 

 「言うても辻垣内さんにもそれなりに仲良くしてもらってるように思いますよ?」

 

 「私の場合は被害者と言ったほうが正確だ」

 

 眉尻を下げて困ったように笑う。被害者とはずいぶん剣呑な表現だなと思わなくもないのだが、相手がアレではそういう言い方でも仕方ないかなと恭子は思う。まるでマンガの中から連れてきたような典型的な不良の見た目をしているのだから。

 

 「なにせウチの連中がまとめて懐いてしまったようだからな」

 

 今度はうんざりしたようなため息とともに一言。実際に会うまでは知らなかったことだが辻垣内智葉という少女は意外と表情豊かであるらしい。恭子が一方的に持っていたイメージではそれこそクールで誰も寄せ付けないような人だっただけに、その落差にびっくりである。あるいは日本人より積極的に感情表現をする留学生が周囲にいる環境が彼女に影響を与えたのかもしれないが、どちらにしろ彼女が魅力的であることに違いはなかった。

 

 「まあ興味持つのは仕方ないですよね、播磨みたいなのは珍しいですし」

 

 「それだけでもないようでな。本当に人当たりも悪くないらしい」

 

 そういえば初日の昼食休憩のときにそんなことを話したな、と恭子は思い出す。またこの場合の人当たりの良さとは下心の無さや正直さを指すものであって、間違っても爽やかさや話しやすさといったイケメン要素ではない。はっきり言ってしまえばバカ限定の要素である。

 

 拳児は基本的には嘘をつかない上に、ついたところでバレる。よく男が嘘をついてしまう状況のひとつに見栄というものを大事にするときというのがあるが、これも塚本天満がいないので見栄を張る必要が拳児にはない。実のところ、矢神高校を離れるということは拳児自身のスペックを思い切り発揮できる環境に身を置いたに等しいことだったりする。誤解のないように言っておくと、天満がいれば拳児は軽々と自身の能力以上のものを引き出すことができるので、一概にどちらがいいと断言することはできない。

 

 「一日二日で懐ける度胸もすごい思いますけどね」

 

 「肝は据わってるさ、あいつらも留学なんて大変なことをしてるんだからな」

 

 この合宿中でおそらくもっとも穏やかで落ち着いた会話だった。他は常にどこかしらで規模こそ大小の差はあれ騒ぎが起きているような状況であった。彼女たちが共通して真面目になるのは麻雀に向かい合っているときだけで、それ以外はもう仲の良い女子高生として振る舞っているのが大勢を占めていた。大阪のノリと諸外国のノリというものは意外と相性がいいというのはひとつの発見と言ってもいいものだろうか。

 

 

 前日や前々日と違って薄い雲が空を覆っている。梅雨まではまだ時間があるが、明日もどうやら曇り空らしい。一雨来て、それから気温が上がってくると天気予報では言っていた。梅雨入りのころにはインターハイ予選が始まる。残された時間は、平等に少なかった。

 

 

―――――

 

 

 

 朝からのびのび過ごしていたように見えた理沙ではあったが、さすがにプロというべきか予定が詰まっているらしく、夕食の時間を迎える前に帰らなければならないようだった。一通り見回ったところで拳児の肩を叩いて注意を引く。

 

 「拳児」

 

 「……あいつらにもいい経験になったんじゃないスかね。世話ンなりました」

 

 「三か月後に期待!」

 

 「当然スよ、誰にも邪魔なんてさせやしねえス」

 

 「また東京で!」

 

 「ま、インタビューの準備でもしててくださいヨ。俺ァ勝たなきゃならないんで」

 

 理沙と拳児の会話はかろうじて意味が通っているように聞こえるが、実際の情報量で言えばその三倍くらいは詰まっていると見たほうがよい。その補足ができるのはすくなくともこの場には拳児ひとりしかいないため、外から聞いてその内容のすべてを理解できる者はいないが。

 

 最後に一度だけ軽い会釈をして理沙は臨海女子を後にした。

 

 

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 最終日の朝はランニングがなかった。そもそも意味も意図も不明だった上にたった二日だけしかやらなかったため、合宿が終わった後にそれぞれの高校でそれに関する議論が行われたりしたのだが、結局は指導者組が何も言わなかったせいでそれを解明することは誰にもできなかった。全体で見ればランニングに関する件はそれほど大きなことではないため、どうでもいいと言えばたしかにどうでもいいことである。なぜならこの合宿ではそれぞれが何かしらの大事なものを掴んでいたからだ。それの芽吹くのが早いかどうかは別にして、生徒間での対局や普段とは違う指導者の指摘、あるいはトッププロという刺激は間違いなく大きな成長の糧となっていた。

 

 誰しもが何かを手に入れるというほとんど奇跡のような合宿の終わりは、案外とさっぱりとしたものだった。全員で朝食を摂ったあとに一度だけ対局をして、それでおしまい。もちろん新幹線の時間まではそれなりに間があったから個人個人で話をしている者たちがほとんどだったが、拳児はひとり外でぼんやりとしていた。別に姫松も臨海女子も嫌いというわけではないのだが、ああいう空気だけは未だに馴染めないのだった。

 

 空はやはり雲が出ていて、爽快な気分になるとはさすがに言えないようなものだった。拳児からすればサングラスをしているので色合いで言えばそこまで差はなかったりするのだが、太陽が出ているかどうかというのは意外と重要であるらしい。

 

 さく、と乾いた芝を踏む音が後ろから聞こえた。

 

 「おやおや、監督代行殿はおひとりが好みなご様子で」

 

 「ハン、オメーも物好きだな。わざわざ来るたあ思ってもいなかった」

 

 立っていたのは丸い眼鏡に長い黒髪を後ろでひとまとめにした少女だった。場所はあの夜と同じで、それ以外はだいたいがさかさまの状況である。

 

 「バカを言え、部長が合宿相手の監督を無視するわけにもいかんだろう」

 

 「……ずいぶんと義理堅えこって」

 

 「お前こそな。野依プロにもウチの監督にも挨拶してただろ」

 

 「…………チッ」

 

 頬をくすぐる程度の、ごく弱い風が流れる。あの夜と同じように、不意に沈黙の時間が訪れた。それがどれくらいの時間なのかはわからなかったが、しばらくして拳児が先に口を開いた。

 

 「そーいやオメーよ、こんなトコにいていいのか? また探されてんじゃねえか?」

 

 「フッ、いま探されてるのはお前だよ。なんなら呼んでやろうか?」

 

 

 こうして姫松と臨海女子の合同合宿は、騒ぎのうちに幕を閉じることになった。

 

 

 

 

 

 

 

 




合宿編、これにて終了

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