続きです。
「うーむ」
今は授業中(ちなみに数学)。時計を見ながら落ち着かない気持ちを露にする紲。
紗香から生徒会室で告げられた策について、紲としては納得のしづらい内容だったのだ。
―――止めようと思ったけど、さや姉に口で勝てる訳なんてない。
策を言われた時に注意したがきくみみもたずだった。知らずに漏れる溜め息。
その溜め息は最悪の形で拾われた。
「ほう新原? 俺の授業で溜め息とは……度胸があるな」
頭上から厳かな男性教師――担任の福富が見下ろしていた。体育と数学の兼任をしているので今も居るわけだ。
無骨とも言える表情から動かないもので恐怖の象徴として見られているのは言うまでもない。それでも上級生には人気があるようで、まだまだ入学仕立ての新入生には分からない事だろう。ちなみに紲と健司はこの手のタイプは何度も見てきたので特に驚きもない。
だと言っても、今の状況では雰囲気から恐怖を覚えていた。
「さて、覚悟は良いな?」
福富の握り込んだ拳が数秒と経たず、紲の頭上に落ちてきたのだった――。
「いってえ……」
脳天を擦りながら紲は机に伏していた。
授業は終わり、昼休みとなった。
「いつもなら紲君は学食に飛んでいくのに今日はどうしたのです?」
「ちょっと、色々と約束がなー」
央佳の言うように紲は昼休みと同時に
だが、今回はノロノロとしていたので福富先生の拳骨で動けないのかと心配になったが違うようだ。
「待ち合わせでもしてるのか?」
「ああ、そうだ」
健司に問われて返答をし終えた矢先、教室の扉が開く音がし、クラス全員がそちらへ視線を向けた。
クラスの注目が集まるのも当然だった。学園の憧れの的――天宮紗香が立っていたからだ。
「姉ちゃん?」
彼女が来た事に一瞬だけ懸念を覚えた後に用件についても気が付いた。
「いたいた。紲!!」
目的の人物の名を呼びながら、紗香は紲の席の前まで歩み寄ってきた。
何事かとクラスがざわつき始める。
「紲、学食に行きましょう」
「そうだな」
ダイナマイト発言が生徒会長の手で放り投げられた。爆破した矢先、クラス中は言葉を失っていた。
よもや、あの生徒会長に誘われて仲良くランチなどとは1年の癖に何てラッキーボーイなんですかねー? 爆発してくれないかなー? と口々に呪詛を紲に振り撒いた。
「健司も行くか?」
「いや、オイラはいいや」
嫉妬の波動など感じてないようで、紲は健司を学食に誘おうとするが断念する。
「なら、央佳はどうだ?」
「ご迷惑でないのでしたら……お願いしたいのです」
「決まりね」
紗香、央佳という美少女2人に挟まれる紲が学食に向かう途中に恨み辛みの念を何度も当てられたのは言うまでもないと思う。
学食に足を運んだ一行に待ち受けていたのは生徒からの好奇心に満ちた視線の嵐だった。
その嵐の素となるのは当然と言えば当然、天宮紗香である。彼女自身がこの場を訪れる事こそが珍景色とさえ言われる。
「さっ、紲。あそこに座りましょう」
「でもまだ学食を買ってないんだけど?」
学食においての強い味方、500円玉をポケットに忍ばせた紲が訴えた。
彼は弁当を用意してくれる心優しいママンではなく、自分で買うようにとめんどくさがられる投げ遣り気質な母上様だ。今日も今日とてワンコインを渡されて学食に出陣した。
「大丈夫よ。お弁当は用意してあるから」
制服の下から弁当箱を器用に2つ取り出した。
何処にしまっているのやらとツッコミをしたくなったが、聞くのは止めておく。理由はこちらに向けた男子生徒の視線で察して欲しい。
「紲君達もお弁当なのですか?」
「そうだけど……央佳もか?」
「はいなのです」
学食だというのに揃って持参の弁当とは完全に喧嘩のバーゲンセールをしに来たらしい。
でも、そんな生徒はちらほらと居るので気にするだけ無駄な話か。
「そんじゃ、座って食べましょうや」
学食の手前側には沢山の生徒が座れるようにと長方形のテーブルが並べられている。奥側には数は少ないものの、丸テーブルがある。
今回、紲達は丸テーブルを3人で独占する。元々それくらいの大きさしかないので独占なぞ簡単ではあるが。
学食で無料で貰える水を入れたコップを脇に置いて弁当を広げる。
「では、いただきます」
「「いただきます」」
この世の全ての食材に感謝を述べながら紗香が持ってきた弁当を開いた。
左半分に梅干しを乗せたご飯、右側にはきんぴらごぼうだの唐揚げや卵焼きなどのシンプルなおかずがある。全部が全部、紗香お手製なのは長年の付き合いで見抜ける。たまに紗香の母が作ったものが混ざっていたりするのも分かるが、黙っておくのが優しさだ。
「これは天宮会長が作ったのですか?」
「そうよ。良ければ交換しない?」
紗香の弁当は紲のものと同じ。央佳は鶏そぼろやトンカツに千切りにしたキャベツなど。体型には見合わないボリューミーさがあった。
2人共におかずの交換を仲良く済ませ、その間に紲は自分の分を食べ進む。
「わり、ちょっとトイレ」
いち早く食べ終えた紲が席を離れ、紗香と央佳の2人だけになる。
「ところでメイアさんは学校に来てるのかしら?」
「うう……それがメイアちゃんはあれから来てないみたいなのです」
央佳の差したのはこの前の廃墟となったホームセンターでの一件だ。
紲伝で央佳から話は聞いている。メイアは帰宅はしているが、央佳とは鉢合わせないようにしているのだとか。
(そう、来てない……ね)
紗香は央佳の言葉を反芻しながらコップに手を伸ばす。
「あら? 風?」
密封状態の学食に風が吹いた。吹いた方を見てみれば窓が空いていたので不自然さは何もなかった。
幽霊の正体見たり枯れ尾花――現実の不思議を探せばこんなつまらないものだ。もっとも『魔法』の栄えた世界で言えたものでもない。
「強くないですけど、急に吹くと驚いちゃいます」
「ふふ、そうね」
央佳の言う事は的確だと肯定しながら水を飲む。
央佳も渇きを覚えた喉を潤そうとコップに手を伸ばし――
「うっ……!?」
紗香が突然、呻き出した。テーブルの上に手を付き、口元を抑える。吐き気を抑えるかのような仕草に一緒に座っていた央佳は慌てる。
「生徒会長さん!? どうかしたのですか?」
「ごめんなさい。少し目眩が……」
咄嗟に出た言葉が嘘だと言うのは央佳にもすぐに分かった。
幸いにも昼の食堂。生徒も目立つ生徒会長の様子を訝しく感じたようだ。
喧騒も一層に忙しなくなる中、出入り口は静寂な空間であった。
「成功した……」
その空間に佇む人物の手が震え、作戦が成功したのを実感していた。
だが、達成感など微塵もない。生まれたのは「やった」という後悔のみ。
その上でもやらなければならない免罪符を内で反芻させていく。
(もう用はない)
今日の生徒会長の動向を監視しており、食堂に行くと知ったのは先程。
一陣の風に紛らせて、『エクリプス』のリーダーである圧山剛毅から渡された薬をコップに仕込んだ。
無論、薬というのはこの辺りで配布されている麻薬である。結構なコントロールを要したが、成功すれば関係ない。
(ここを離れよう)
最初から決めていた事だ。これを行えば自分は決して戻れない。尻拭いになるかは分からないが、この学園を離れれば終わる話だ。
「ここに居たのか。探したぜ」
紗香に注目が集まる中、唐突にその声は切り離された空間によく響いた。
喧騒を横に聞きながら、彼――新原紲は訊ねた。
「もう1度聞くぞ。何をしてるんだ? メイア?」
訊ねても答えなかった人物――メイア・アトリブトに再度として問い掛けた。
「別に……何処でも良いでしょ?」
「当ててやろうか? 今、風を吹かせて紗香のコップに麻薬を入れただろ?」
紲の指摘にメイアは肩を震わせる。
その反応だけで紲には十分だった。
「っで、責任取って学校を辞めようとか思ってんだろ?」
「悪い?」
誤魔化しても無駄だと悟ったメイアは開き直った。自白しているに等しいのは黙っておく。
このやり取りで分かった。彼女は実に義理堅い。こんなにも心優しい少女を紲は見逃しておけるものか。
「ああ、悪いね。納得できない」
紲はあっさりと、メイアの言葉を斬って捨てた。
「でも生徒会長に薬を飲ませたんだよ? 社会的に罰せられる」
麻薬を取り扱い、自覚した上で他人に飲ませたりするのが罪なのはどの世界でも変わらない。しかも『魔法』が絡んでいるとなれば、効果が永続して取り返しのつかない事になるから尚の事だ。
紲の幼馴染みで学園の生徒会長を手に掛けたのだ。恨まれる道理はあれど、救われる理由はない。
「大丈夫だよ。さや姉は無事だ」
「う……そっ!!」
メイアへの返答が驚愕に染まっていた。
まあ、当然だろう。紗香は確かに薬を飲んだのだ。
「ああ、間違いなくさや姉は薬を飲んださ……」
だけど――と紲は繋げた。
「俺の『魔法』さ」
正確に言うなら紲の扱える手札の1つ《ヒール》である。
指定範囲はあるとは言え、距離が範囲内であれば《ヒール》を対象者に当てる事が出来る。
《ヒール》の効果は単に回復だけではなく、内に入った毒素も取り除ける。ただ、《ヒール》の効果の内容は消えていないので30秒以内に攻撃をされればパアとなる。
そこまで教えてやるつもりはないので、紲はお口にチャックしておくが。
「さて、これでお前は心配せずに学校に居られる訳だが……」
紲はスッと目を細めて更に本題に突っ込む。
「何でこんな事をするんだ?」
未だに紗香は苦しんでいる(フリな訳だが)。
その間に決着を付けるのが紲の役割だ。
「そんな事……アンタに説明する必要があるかい?」
「そう言うだろうと思った」
メイアが何を背負ってこんな事をしたのかは紲には分からない。
だけど、背負った物の重圧が大きいと言うのならそれを軽くしてやる。紗香と央佳からの依頼は『メイアの更生』なのだから。
「悪いけど、力付くでも連れて行かせてもらうぞ」
紲は最初からこうなる事は想定していた。場所は関係無い。人目があろうとメイアはそう答えるだろうなという予感はあったから。
紗香の周囲に集まる野次馬は未だにこちらの一足即発の空気には気付かない。
「悪いけど、アタイにはやる事があるん、だ!!」
メイアは腕を右から左へと力強く振るった。直後に突風が吹き荒れて紲の身体を膠着させる。背後に居た生徒達は何事かとざわつき始めた。
「くっ!?」
予想できなかった訳ではないが、こうも強い強風を起こせるのだとは予想を上回っていた。
その隙にメイアは食堂に背を向けて、走り去っていた。
「逃がす訳にいくかよ!!」
紲は逃げていくメイアの背中を追い掛ける。
絶対に手を放す訳にはいくまいと誓ったのだから。
如何でしたでしょうか?
なんだかんだで長くなりそうなので区切る形となっていましました。
次回の更新予定は来週の金曜日です。