カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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八十一話

 東富士演習場。

 富士山の東麓に位置する自衛隊の演習場である。

 非常に広大で、本州の演習場では最大である。

 無数の魔物を迎え撃つ、という判断が下されてから、ここは物々しい空気に包まれていた。

 陸上自衛隊の中で、呪術の隠蔽に一役買った部隊、つまり正史編纂委員会と裏で繋がりを持っていた部隊を中心に迅速に配備が進んだ。

 また、正史編纂委員会の山梨分室、静岡分室を中核とする混成部隊が組まれ、迎撃用の呪的な罠を仕掛けている。

 敵の進軍速度が滋賀分室や岐阜分室の努力によって遅れていることから、多少は時間をかけることができていた。

 愛知県、神奈川県、埼玉県などから呪術師を召集する時間をかせぐことができたのは大きかった。

 それでも、時間が足りない。

 深夜に、無理をして新幹線やヘリコプターなどを動かしたものの、数え切れないほどの魔物を相手にするには人手不足も甚だしい。

 そのため、正面からぶつかる前に、敵を弱らせる必要があった。

 そのための罠である。

 攻撃範囲の広い対空ミサイルなどですでに迎撃が為されている。

 戦果はそこそこ。

 もともと呪力で構成される魔物には、物理攻撃の効きはよくない。

 付け焼刃ではあるが、発射前にミサイルを呪術で強化しているおかげで威力の水増しができている。それが、予想以上の効果を発揮してくれているのが幸いだった。

「だが、市街地上空の敵にミサイルを撃つのは、さすがに気が咎めるな」

 静岡分室に勤めて二十年。ついには室長にまで昇り詰めた男の名は、伊藤修二といった。呪術の腕よりも、実務能力を買われての出世であるが、それを後ろめたく思ったことはない。

 こういった非常時に迅速果敢な判断が下せることが、組織の長として重要な資質であり、そういった視点から見れば、確かにこの男は一分室を任せるに値する能力を有している。

「敵、演習場に侵入を確認。十分ほどで、結界外縁部に到達します!」

「分かった。ずいぶんと動きが鈍っているな。滋賀と岐阜は上手くやったらしい。うちも、後れを取るわけにはいかんぞ。ここが踏ん張りどころだ! 対魔・対物結界を展開だ!」

 修二は声を張り上げる。

 一瞬、視界がブレる。

 広域を守護する結界が演習場を包み込んだのだ。これを一つ用意するのにも、多大な手間がかかった。後方にいるべき、戦闘力の低い呪術師たちも動員した結果である。

「これで、演習場の中の出来事は外に漏れない! 陸自さん方に総攻撃をお願いしろ!」

 部下に怒鳴りつけるように命令を飛ばす。

 その数十秒後。空を斬り裂くオレンジ色の光がいくつも舞い、遠くで遠雷の如き爆音を響かせる。

 数キロから数十キロの射程を持つミサイル攻撃や砲撃が、雲を思わせる魔物の群れに突き刺さり炸裂する。五重に張られた結界の突破に苦労する魔物は、そこで足止めされ、撃ち落されていく。

「悪夢のような光景だな」

「まったくです。このような光景は一生に一度拝めればいいほうですかな」

「できれば、拝みたくなかったものだが」

 副室長と軽口を交わしつつも、戦況を冷静に見極めようとする。

 敵一体一体の戦闘力は、それほど高くないようだ。

 おそらく、中堅以上の呪術師であれば、殊更苦戦することもない程度。しかし、如何せん数が多い。自衛隊からの間断ない射撃を受けて、依然として雲が晴れることはない。

 撃ち落した次から敵が出てくるからだ。

「我々の射程に入ったら、一斉に攻撃する」

 呪術師が控えているのは、五つある結界の外から三つ目。 

 そこにやってくるまでは、自衛隊からの攻撃に任せることになっている。

 

 

 二つ目の結界が突破されるまでにかかった時間は、およそ十分。

 格の低い魔物でも数が多ければそれだけ強力な群れとなる。指揮官など必要ない。ただ、数で押し、数で呑み込むだけで決着がつく。

 最前線で戦況を見守る呪術師たちは、ついに目前となった戦いに対して心胆を震え上がらせていた。

「何体いるんだよ……」

 もはや絶望するしかない。

 敵はあまりに数が多く、それは無数が一つに凝り固まった雲のようであった。

 漆黒の雲が、鎌首を上げて雪崩となって押し寄せてくる。

 堪らず、誰かが叫び声を上げた。

 その魔物の群れを押し返したのは三つ目の結界。

 とりわけ強靭に術式を組み上げた結界であり、触れるだけで相手を浄化する破魔の性質を付与している。弱い魔物であれば、触れるだけで消え去る代物である。 

 押し返されたところに、砲撃が集中する。

 大気を震わす大音響。爆発と煙が、魔物の群れを削っていく。

「よ、よし。自衛隊に遅れるな」

「押し返すぞ」

「気持ちを合わせろ」

 僅かでも自らが優位に立っていると思えれば、それだけで人間は勇気を振り絞ることができるものである。

 自衛隊からの遠距離砲撃が派手なので、より強く実感することができていた。

「ノウボバ・ギャバテイ・タレイロキャ・ハラチビシシュダヤ・ボウダヤ・バギャバテイ――――」

 三百人の呪術師が、精神を統一して仏頂尊勝陀羅尼を唱える。

 これは、浄除一切悪道仏頂尊勝陀羅尼とも呼ばれ、あらゆる罪障を打ち払う霊験ある陀羅尼だ。特に、百鬼夜行を退けることに関しては、他の追随を許さない。

 湧き立つ清浄な呪力が、白い光となって暗雲を照らす。

 聖なる光に打ちのめされた鬼たちは、堪らず逃げ惑い、喚き、悲鳴をあげる。

 そこに降り注ぐ砲弾の雨。

 浄化され、弱った鬼は次々と撃ち砕かれた。

「ノウマク・サラバタタギャテイビャク・サラバボッケイビャク・サラバタタラタ・センダマカロシャダ・ケンギャキギャキ・サラバビギナン・ウンタラタ・カンマン」

 仏頂尊勝陀羅尼を唱える一団の背後で、さらに三百人の呪術師が一心に不動明王の火界呪を唱える。

 炎の濁流が、魔物の群れに襲い掛かり、焼き払う。

 仏頂尊勝陀羅尼、火界呪。共に、魔物退治の代表格である。それを合計六百人の呪術師が精神を統一した状態で唱えれば、並の魔物では太刀打ちできない。

 紅蓮の炎が渦を巻き、灼熱の風が暗雲を焼き払う。

 大火炎の中心で、魔物たちは叫び声を上げて逃げ惑い、焼き尽くされる。

 それはさながら焦熱地獄のようだ。

 徐々に、魔物の勢いに陰りが見えてきた。

 依然として数は多いものの、それだけである。結界で動きを封じ、安全圏から強大な呪術で攻撃していれば、何れ敵は瓦解する。

 呪術師たちは、ただ一心に真言を唱え続ける。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 戦況はこちらが優位に立って進めている。

 前線の様子を観察しながら、静岡分室長の伊藤修二は口元を僅かに緩めた。

 戦闘が始まるまでは、どのような展開になるか分からなかったものの、概ね作戦通りに事が進んでいる。

「陸自の弾幕も予想以上に効いているな」

「はい。しかし、弾切れも間近です。陸自にはここで引いてもらうべきではないでしょうか?」

 副室長の進言を聞いて、修二は考え込んだ。

 砲弾は一発で数百万から数千万もの値段になる。撃てばそれを使い捨てることになるので、できるだけ使いたくないというのが陸自の本音であり、それは公務員である彼にも理解できる。

 おまけに、うまく呪術が嵌ってくれたのでそちらに注力した方が高い効果を出せるようにも思われる。

 なんといっても、呪術は使う分にはタダだ。

 費用対効果という面では、呪術に軍配が上がる。

 陸上自衛隊の砲撃が、相手に与える打撃は効果を挙げているが、それはあくまでもこちらの準備が整うまでの時間稼ぎに過ぎない。

 ならば、ここで陸上自衛隊には後方に下がってもらい、新たに呪術師の一団を増援として送り込むべきだろう。

 時間が稼げたことで、余剰戦力がある。

 今も続々と戦場に集ってくれている、各地からの増援がいるのだ。

 もちろん、そのすべてをここに集中することはできない。

 周辺住民の安全確保に、三割近くを割いているし、残り三つの結界を維持することにも、少なくない人員を配している。

 破られた結界を維持していた呪術師を集め、増援によって生まれた余剰戦力を遊撃隊として組織する。

 送り込めるのは、ざっと四百か。

 今までは正面からの呪術攻撃だったが遊撃隊を二百人ずつに分け、左右から挟ませる。

 これで、敵を一塊にして呪術を効率よく作用させることができるはずだ。

 作戦は順調に推移していた。

 修二は遊撃隊として選抜した四百人に出撃を命じた。

 

 

 現在、魔物の群れと交戦している部隊を本隊とすれば、右翼と左翼に展開した部隊は確かに遊撃隊となろう。

 右翼の部隊に配属されている呪術師の一人は、愛知分室からの出向である。

 彼は現場の人であり、基本的に愛知県内の事件を担当する。よって、よほどのことがなければ、県外の呪術師と顔を合わせる機会などない。こうして、他県の指揮下に入って呪術戦を行うのは、春に起こった内訌以来のことである。

 本来、こうした戦いは利害調整などがあり綿密な準備の下で遂行されるはずだが、近畿全域を巻き込む災害の直後、数時間の内に迎撃に持ち込んだ上層部の動きは見事という他ない。

「オン・シュリマリ・ママリ・マリシュシュリ・ソワカ」

 穢れを喰らうという烏枢沙摩明王の真言を、一斉に唱える。

 魔物の群れの側面を、排他的障壁で叩く。

 左翼の部隊もまた、同様の術を使う。

 これで、魔物は逃げ場を失った。左右に展開された光の壁が魔物の逃げ場を塞いでいるのだ。

 本隊の術式が尚一層力強くなる。

 この機を逃さず、一気呵成に攻め立てようと呪力を高めたのだ。

 三方向からの破魔の檻が魔物たちを追い込んでいく。

 このまま押し込んでいけば、じきに討伐は完了する。

 誰もが、そう思ったときだった。

 大小様々な魔物の群れの、その中心から、一際巨大な呪力が迸った。

 放射された呪力が結界を強かに打つ。

 そして、

 

 ガツッ

 

 と、出現した巨大な爪が、結界を八つ裂きにしていた。

「な……!?」

 唖然として、それを見る。

 それは、爪の化物だった。

 漆黒の前足。鋭い爪は、不釣合いなほどに巨大で、鉞が食い込んでいるかのようだ。

 真っ黒な身体は、不定形に蠢き、常に形が変わる。辛うじて安定しているのは四肢のみで、胴体は蛇かナメクジのようにうねっている。

 同族を巻き込むことをなんとも思っていないのか。その巨体は結界の切れ目に身体を押し付け、無理矢理に押し通ろうとする。

 みしみしと、結界が軋み、亀裂が広がっていく。

「いかん! 右翼と左翼は結界の補修に切り替えろ!」

 現場指揮官の声が飛ぶ。

 さらに、火界呪と仏頂尊勝陀羅尼を集中して、何とか押し返そうとする。

「ヒョオオオオオッ」

 激しい咆哮。

 耳を劈くとはまさにこのこと。

 鼓膜が、あまりの激しい音に悲鳴をあげる。

 雑音を煮溶かして、濃縮したような声だ。聞くだけで不快な気持ちになる。

「まずい、こいつ。……神獣だ!」

 内包する呪力。生物としての格。そういった諸々の要素が、魔物たちとは一線を画す存在だ。

「無数の魔物が融合して神獣の格を得たのか」

「あ、あああ。鵺だ。鵺が出たぞ!」

 呪術師が口々に叫ぶ。

 恐怖が伝染し、呪術の精度が落ちる。

 神獣は、まともに戦って勝てる相手ではない。最高位の呪術師が、部隊単位で然るべき準備を整えて挑む相手だ。対して、今回は実力はそれなり以上を揃えているが、準備は万端とは言い難く、呪術師同士の結束力も低い。ただの寄せ集め。烏合の衆である。

 吹けば散る、とはこのことで、鵺の出現で部隊の統制は一気に瓦解した。

「落ち着け。まだヤツは結界を破りきれていない。今なら、まだ押し返せる!」

 指揮官が吼える。

 しかし、その声を遮るように、新たな神獣が目を覚ます。

「二体目!?」

「奥にもいるぞ!?」

「神獣クラスが、一体何体出て来るんだよ!?」

 信じがたいモノを見た。 

 結界に喰らいつく神獣・鵺の後ろから、続々と新たな神獣が生まれてきたのである。

 それは悪夢と区別がつかない光景。

 本物の鬼、鳥の姿をした何か、巨大な蟲。その他様々。目視で確認できるだけでも、ざっと十は超える。

 とても、人間でどうにかできる相手ではない。

 絶望が、胸を埋め尽くす。

 結界が、遂に存在の重みに耐えかねて崩れ落ちる。砕けるのではなく、大きく湾曲した後、ゴムが切れるようにあっさりと弾けて消えた。

 その衝撃で、隊列が大いに乱れた。当然、辛うじて維持されていた呪術が完全に機能を麻痺させた。

 精神を統一することで、無数の魔物を寄せ付けない強固な呪術としていたのだ。それが神獣の出現により、恐怖と恐慌で人心が乱れ、呪術として成立しなくなってしまった。故に、これは当然の結果であり、

「て、撤退だ! 結界まで、何としてでも逃げるんだ!」

 這う這うの体で逃げるしかない。

 倒れる誰かに気を向けることもできず、ただ次の結界に向けて真っ直ぐ走る。それ以外に、助かる術はない。

 だが、人が出せる速度など、高が知れている。

 相手は巨大な四足獣。

 狙い済ました相手に一歩で近づき、反撃の暇すら与えず一口で喰らってしまうだろう。

 恐怖する呪術師の反応に気をよくしたのか、鵺は猿にも似た顔で笑った、ように見えた。

「ヒョオオオオオオオオオン!」

 一鳴きして、後ろ足を撓ませる。長く強靭な爪で大地をしっかりと掴んで、跳躍した。

 物理法則を無視した異様な跳躍で、逃げる呪術師を追う。

 そして、その最後列に爪をかけようとしたとき、空から降り注ぐ光の雨に撃たれて、鵺は血と呪力を撒き散らして吹き飛んだ。

「時間がないんだ。手早く済ませて帰らせてもらうぞ」

 どこからか現れた少年は、神獣と魔物の群れに臆することなく立ちはだかる。

 彼を取り囲むのは、黄金に輝く剣の群れ。

 闇を受け止め、打ち払うかのごとく燦然と輝く神剣が、その切先を揃えて敵に殺到した。


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