アレクサンドル・ガスコインは、おそらく最も詳しい情報が世界に流布しているカンピオーネであろう。権能の数だけでなく、その内訳、発動条件などが、賢人議会のホームページに掲載されている。
これは、賢人議会の政敵として長年に渡って対立してきたことによるものだ。
最も付き合いの長いブロンドの魔女は、霊視能力を持っているわけで、隠そうにも隠しきれるものではない。
アレクサンドルの手の内は、もはや曝されているも同然なのである。
しかも、それは賢人議会の存在意義に当てはまっている上にプリンセス・アリスの個人的な意趣返しの意味合いも含まれているという。
これによって彼には隠し玉と呼べるものがなくなり、いつ、どのように手札を切っていくのかという戦略を立てる必要性が生じたのであった。
もっとも、それ自体はアレクサンドルが普段からしていることなので殊更に困惑するはずもない。
迷宮の権能は一度使うと月単位のインターバルが必要だし、神速の権能は魔術破りに弱い、使役する神獣も万能ではあるが顔を見られてはならないという条件がある。さらに切り札である復讐の女神は召喚に時間が掛かる上、敵を彼女たちの目前で暴れさせなければならないという始末。
これからグィネヴィアとランスロットを罠に陥れるため迷宮の権能を使用する関係上、護堂の相手をしている余裕はない。
可能な限り、彼との戦闘は避けるべきであろう。
「あんた、天之逆鉾で何するつもりだ?」
寒空の下、とっぷりと日が暮れて辺りは夜闇に覆われている。
商店街は人口の明かりによって道々が照らされている。もう少しすれば店じまいの時間となる。
少なくなった人の波をすり抜けて、護堂とアレクサンドルは歩いていた。
「連中をおびき寄せるための罠を創る。少なくとも、貴様にも多少の恩恵があるだろう」
「連中? ああ、グィネヴィアのことか」
アレクサンドルは頷いた。
世界各国を放浪するアレクサンドルの目的は聖杯とアーサー王伝説。聖杯の持ち主であり「アーサー王伝説」の元凶であるグィネヴィアとは激突する機会も多かった。
因縁を断つために、都合のいい環境が東京には存在する。
「『最後の王』を知っているか」
唐突に、アレクサンドルは護堂に尋ねた。
「グィネヴィアが追いかけている魔王殲滅の《鋼》だろう。東京近辺に潜んでいるらしいけどな」
「ほう、そこまで知っていたか。どうやら、貴様の後ろにはそれなりの知恵者が潜んでいるらしいな」
正史編纂委員会。そして、その背後にいるという御老公なるブレーン。詳しい情報は、調べ切れていないが、御老公たちが、『最後の王』の復活を阻止しようとしていることは分かっている。
そうでなければ、正史編纂委員会が太刀の伝説を抹消しようとするはずがない。
アレクサンドルは、すでに太刀の伝説が『最後の王』と関連していることを掴んでいた。
「それならば分かるだろう。この地は連中にとって最終到達地点だ。東京近辺に『最後の王』が潜んでいる限り、グィネヴィアが日本から出て行くことはない」
「それで、あんたは俺に何が言いたいんだ。グィネヴィアを倒すのを手伝えってか?」
「いや。貴様が出てくる必要はない。あれは、俺の獲物だ。グィネヴィアが死ぬまで、大人しく様子を窺っていてもらおう」
これまでグィネヴィアに呑まされてきた煮え湯の量を思えば、ぽっと出のカンピオーネに横取りされるのは許せない。たとえ、それが現地のカンピオーネであろうとも、主導権は自分が握らなくてはならないのだ。
当然、ここまで強気な物言いをする必要はない。
護堂に協力を要請すれば事足りる。しかし、アレクサンドルという男には、頭を下げてお願いするという観念が存在しない。
護堂がカチンと来たような表情を見せたときには、この場での戦闘も仕方がないと呪力を練り上げもした。
「まったく、アレク。あなたという人は。そんな言い方じゃ、余計な戦いになるのも仕方ない」
一触即発の空気を崩したのは、護堂の知らない少女である。
「セシリア。なぜ、ここにいる?」
「あなたが言わなくてもいいようなことを言って、無駄な戦闘になるのではないかと危惧したから。この辺りは日本のカンピオーネの住居があるというし、探索の術を使えばすぐに居場所は見つけられる」
そうか、とアレクサンドルはそれ以上を口にしなかった。
「初めまして。わたしは、セシリア・チャン。アレクの組織の人間よ」
「あ、ああ。よろしく」
突然現れたセシリアに、不機嫌だった護堂は意表を突かれた。そのためか、頭に昇った血が、引いてくれた。
セシリア・チャン。そういえば、原作にも登場していたようにも思うが、主要人物でないので忘れていた。
「ロスのカンピオーネともうまくいかなかった時点で、交渉は他人に任せるべきだった。一歩間違えば、かなり危険なことになっていたのを理解してる?」
「ふん。以前も言ったが、カンピオーネとの関わりに気を遣うほうが馬鹿馬鹿しい。決裂するときは決裂するし、纏まるときはあっさりと纏まる。そういうものだと言ったろう」
「でも、今回は一世一代の大仕事よ。より確実な方法を選択しても良かった。あなたが動くのは、下の者が失敗してからでも遅くはない」
アレクサンドルは、拙速を尊ぶ。その性格が災いして、失敗することが多いのに、反省するつもりは一切ない。なぜなら、自分が悪いと思っていないからだ。
しかし、今回はグィネヴィアを確実に追い詰めるために、どうあっても護堂との争いを避けなくてはならないという条件がある。
「分かった。ならば、おまえに任せておく。急がば回れとも言うしな」
バチ、と紫電が弾けたかと思うと、アレクサンドルの姿は掻き消えてしまった。
セシリアはため息をつくと、護堂に向き直った。
「わたしたちのボスが言葉を誤ったようで」
「いや。いいんだけど、結局アイツは何をしに来たんだ?」
「それは、わたしから説明する」
そして、セシリアは簡単にアレクサンドルの策を護堂に伝えた。原作通り、東京湾に擬似アヴァロンを創り出し、グィネヴィアを殲滅しようというものだった。
「あなたは、東京への被害を気にしているかもしれないけど、戦場が海上になるから、それほど大きな被害は出ないはずよ」
「なるほど。まあ、確かにそうだな」
それに、あの海域には原作で護堂が利用した無人島がある。ランスロットの攻撃力を思えば、アレクサンドルの策は実行してもらったほうが断然いい。
「グィネヴィアたちはあなたにとっても無視できない相手。アレクが言っていたけれど、ここでグィネヴィアを倒さなければ、また何度でも日本で事を起こす」
「そうだろうな。アイツの目的が日本なんだもんな」
より正確には、グィネヴィアの目的は日本に眠るという『最後の王』である。
「グィネヴィアを排除するために、ロスのカンピオーネも消極的な協力を認めたわ」
「そう。というか、それは竜骨の貸与のことだろう」
なぜ、それを。とセシリアは口に出しそうになるが、表情にも出さないようにして言葉を呑み込んだ。
ジョン・プルートー・スミスは、神祖アーシェラに苦しめられてきた過去があるだけに、その神祖の中でも特に活発に活動しているグィネヴィアを危険視している。それが、今回の消極的協力に繋がったのだが。アレクサンドルの背後に、スミスもいると思わせれば、交渉を上手く進められると思ったのだが、まさかアレクサンドルのロサンゼルスでの行動が知られている? そうでなければ、なぜ「竜骨」という単語を出した。
「アレクサンドルの狙いはグィネヴィアか」
「ええ、そうよ」
「なら、ランスロットの相手は俺ってことでいいな。より確実に始末するにはそれしかないだろう。俺も、この機会に敵を始末しておかないと後々困るからな」
アレクサンドルはランスロットにはそれほど執心していない。この作戦も、彼から聞かされている限りはランスロットの生死は重視していない。であれば、護堂がランスロットの足を止めてくれるのであれば、アレクサンドルは、グィネヴィアの討伐に注力することができる。
「分かった。アレクに伝えておく」
セシリアは護堂の要望を認め、アレクサンドルに伝えることを約束した。
「ところで、君は俺にあまり謙らないんだな。初めて会う人は、大抵大仰な美辞麗句を並べるか、ビビるかするんだけど」
「それは、普段からアレクにこういう言葉遣いをしてるし。それに、あなたはアレクに似ているところがある。あまり、傅かれるのが得意じゃないんでしょ」
「アイツに似ているかどうかに関しては思うところがあるな。まあ、後半はその通りだけどさ。もしも、俺がそれに怒ってたらどうするつもりだったんだ?」
「その時は、アレクとあなたが戦うことになっていたと思う」
セシリアは冗談とも本気とも付かない台詞でその話を終わらせた。
■ □ ■ □
セシリア・チャンが緩衝材になったおかげで、護堂はアレクサンドルと戦わなくて済んだ。おそらく、あのままではどこかで破綻していただろう。なんとなく、護堂はそう思った。
そして、セシリアと話をしてからちょうど一週間後の午後。冬馬から護堂の携帯に連絡が入った。
「甘粕さん。どうしました?」
『草薙さん。今、お時間よろしいでしょうか? 例の件が動き出しましたよ』
「本当ですか?」
例の件、というのはアレクサンドルの作戦のことである。
セシリアから聞いたことを、護堂は冬馬に伝えていた。東京湾に奇岩島が現れたときには、すぐに連絡して欲しいということも含めて頼んである。
『事前に分かっていたおかげですね。地元の漁師たちにも手を回すことができました。それに、海上保安庁などには通達が行っているはずですよ。船が必要なら、すぐに出せます』
「ありがとうございます。ただ、船は使えないと思いますよ。ミノスの権能がありますから、たぶん近づけません」
迷宮の権能は、結界のようなものである。内側に踏み込むものを迷わせ、弾き返す。力技で吹き飛ばすにも、生半可な攻撃は通じない。城一つ消し飛ばすつもりでなければならないだろう。
「俺たちは、グィネヴィアが動くまで様子見です。俺が動くのは、アレクサンドルがグィネヴィアとランスロットを引き離してからで十分でしょう」
『ちなみに、それはいつ頃になると思われますか?』
「どうでしょう。グィネヴィアが現れないことにはなんとも言えません。そのグィネヴィアも、迷宮を突破するのに時間がかかるでしょうから、今は監視に留めていても問題はないのではないでしょうか?」
『なるほど。確かに、そうですね。それでは、そのようにしましょう。グィネヴィアが現れたときには、また連絡を差し上げます』
「はい、よろしくお願いします」
冬馬との通話はそこで切れた。
アヴァロンが東京湾沖に現れてから数日は、どの勢力も動きを見せず、さしずめ凪いだ大洋のように静かな時間が過ぎていた。
アレクサンドル側と護堂側は、互いに干渉しあわないように距離を取る方針を貫いているために争うこともなく、グィネヴィア側は如何にしてあの迷宮を突破するのか、という点に頭を悩ませている。
こうした状況でできることといえば、可能な限りの準備を整えることなのだが、そもそも護堂が整えるべきものは、今回はあまりない。冬馬は船を用意すると言ってくれたのだが、そもそも神速が使える護堂には必要がない。
「気楽なもんだ」
毎日、海を監視している海上保安庁や正史編纂委員会と異なり、護堂は普通に日々を送っている。
当事者でありながら、悠々としているのはするべきことがまだないからであるが、カンピオーネになったばかりの頃に比べて、ずいぶんと肝が太くなったようだ。
慣れというのは、恐ろしいものだ。
学校の帰り道、大型書店によった護堂はそこで漫画を立ち読みして、夕食までの時間を潰した。
書店を出たときには、すでに日が暮れていた。長い時間、書店にいたわけではない。日照時間の減少は、季節の移り変わりを感じさせてくれる。
さっさと家に帰ろう。そう思ったところで、ポケットが振動した。
「ん……携帯に感有りってか」
メールだった。しかも、相手は清秋院恵那。
「珍しいこともあるもんだ」
護堂の仲間たちの中で、まともに携帯を使いこなしているのは晶だけだ。祐理は携帯の使い方がそもそもよく分かっていないし、恵那は電波が通じないところにいることが多い。さらに、本人も充電を満足にしていないというように、現代機器の扱いには疎い面がある。
その恵那からのメールは、それだけで護堂の興味を引くに足るものである。
道の端によって、護堂はメールの内容に目を通した。
まず、書き出しに「拝啓」と「時候の挨拶」がある時点で、何かが致命的に間違っているように思う。
「要するに、すぐに会いたいってことか」
護堂は、手早く文字を打ち込んで返信する。もちろん、答えはオーケーである。具体的な話は会ってからするので、恵那の目的は分からない。けれども、このタイミングでわざわざ会うのだから、何か呪術的なことなのだろうと思う。
そうして、護堂は恵那との待ち合わせ場所である七雄神社へ向かったのだった。
□ ■ □ ■
七雄神社に着く前に、護堂は静花に連絡を入れた。案の定、静花の機嫌を損ねてしまったものの、クラスの皆と夕食を摂ると言ったので、それほど反発はなかった。
小さな罪悪感を抱きながら、護堂は長い石段を登る。
小高い丘の天辺に向かう、この小さな道は、立ち枯れた木々を左右に侍らせ、寂寞の中にひっそりと浮かんでいる。
針のような枝の群れ。その向こうに見える色とりどりの光が護堂の足元を照らしている。星の光が届かない濁った東京の空。夜を払うのは、やはり人造の光だけだった。
石段を昇りきった護堂を待っていたのは、巫女服を着た恵那だった。他に人の気配がないところから、彼女が指示を出していたことは明白だ。
「わざわざ人払いまでしたのか」
「うん。せっかく王さまと二人きりになれるチャンスなんだから、精一杯利用しない手はないでしょ」
そう言って、恵那ははにかんだ。
舞台は社務所に移る。
知る人ぞ知る、という程度の七雄神社の境内は丘の上にあることもあって、それほど大きいものではない。関東を守る媛巫女が常駐するのだから、霊地としては中々のものなのだが、重要な神事さえ行えればいいというのか、その機能に神社以上のものはない。
時間が過ぎるごとに下がっていく気温。
話をするにも、暖を取る必要があった。
「やっぱり、暖かい飲み物は落ち着くね」
社務所の一室で、護堂は恵那と向かい合う。室内は、程よく暖まっている。恵那が事前に暖房を付けてくれたからだろう。
恵那が両手の平で包み込むように持つ湯のみからは、白い湯気が立ち上っている。
「王さま、おかわりはいる?」
「いや、いいよ。あまり、一気に飲むようなものじゃないだろ、これ」
冷たいものならば別だが。
年季の入ったガスストーブは、上に薬缶を乗せられるタイプ。家庭用ではあまり見なくなった形。確か、小学校の低学年くらいまでは教室にあった。
「懐かしい形だな」
「そう? 恵那はよく使うよ。このタイプ」
「そうなのか。昔は、教室でも使ってたんだけどな。俺の高校じゃ、温風が出るヤツだから」
「あ、アレでしょ。上の蓋のところに水滴落として遊んだりしたでしょ」
「やった、やった。終いには鉛筆の削りカスを焦がし始めるヤツもいたりしてな」
「あー、いたね。恵那のところにもいたよ。先生に怒られてたなー」
一歩間違えれば火事だから。
けれど、子どもにとってはそんなあるかどうかも分からない危険は考慮に入れない。物が燃えることは危険だと、知っていながらも、その危険が自分たちと関わりがあるとは思っていない。そんなものだ。子どもというのは。それを、大人に怒られたり、失敗したりして学んでいく。危険に関わらない方法。危険から身を守る方法。危険を知る方法。
「だとしたら、俺は学んでいないということかな」
進んで危険に飛び込んでいくのは、純粋なのか馬鹿なのか。
もともと持つ気質なのか、カンピオーネだからなのか。そもそも、この世に生れ落ちたからなのか。スサノオの言葉から察するに、どうやら魂レベルで危険を冒すタイプの人間なようだ。
「それで、清秋院は俺になんの用なんだ?」
一頻り話をした後で、護堂は恵那に尋ねた。
「王さまはさ、恵那がどうして王さまのところに来たのか知ってたよね」
「…………まあ、一応はな。常識的に考えれば、馬鹿なことを、って言いたくなるけど」
「王さまには常識、通用しないけどね」
「いや、俺じゃなくて、清秋院家のことだろう」
――――確かに、カンピオーネには常識なんて木っ端みたいなものだけど。
護堂は、普段の生活だけは努めて常識の範疇にいるようにしているのだ。
「ふふ……そうそう、うちも普通の家庭からしたら結構違ってるよね。妾もオーケーってあまりないみたいだよね」
「『あまり』は正当な評価じゃないだろ。常識的におかしい」
清秋院家の家主は、外に何人も女を作っているらしい。しかも公然と。元より前時代的な日本呪術界だ。その頂点にいる一族が、近代的な家庭であるはずもない。
「で、娘である清秋院に妙な指示を出してきたわけだ」
「うん。王さまと子どもを作りなさいって」
やや恥らいながら恵那がそう言った。
分かっていたことだが、魅力的な少女の口からそのような言葉を聞くと、ドキリとしてしまう。
「まあ、それも王さまが手出し無用って言い出しちゃったからね。今は、様子見状態だよ」
「そういえば、そんなことも言ったな。初めて会ったときに」
「うん」
恵那は楚々とした仕草で湯のみを置く。それだけの行動が、とても奥ゆかしく見える。野生児と大和撫子が、渾然一体となった不思議な少女だ。
「それで、今日はね。王さまにお願いがあったんだ」
「お願い」
「うん。本当は、夜伽でもって思ったんだけどね。さすがに、今の状況でそこまでは求めないよ。天叢雲剣を、恵那に貸して欲しいんだ」
「天叢雲剣を……?」
護堂は、右手を見た。そこに宿っている、より正確には護堂の精神に溶け込み、右手を媒介にこの世に力を現す神剣。スサノオから歴代の太刀の巫女に貸与され、そして今代の太刀の巫女である恵那の暴走をきっかけに完全に所有権が護堂に移った。
「この前の戦いで、恵那は童子切安綱で戦った。日光のときもそう。けれどね、やっぱりそれだけじゃ足りないんだよ。神憑りを使っても、安定して神獣と戦えるわけじゃない。でも、天叢雲剣が一緒なら、もっと上手くやれるはずなんだ」
至って真剣な表情で、恵那は言った。
「アッキーには槍を上げたんでしょ。霊刀じゃ、神剣神槍には勝てないよ。恵那は、もっと王さまの役に立ちたい」
「今でも十分、役に立ってる」
「これからのことを考えれば、今のままだと不十分だよ。天叢雲剣なら、ただの神剣以上に相性がいいし。お願い、王さま」
恵那が頭を下げてくる。
さすがに、護堂もそれ以上何か言うことはできない。ここまでしてくれる相手を無碍にするのは、人として問題があるだろう。
「分かったから。頭を上げてくれ」
女の子に頭を下げさせるヤツがあるか、と己を叱咤する。
「それで、俺はどうしたらいい」
わざわざ護堂を呼んだからには、護堂がいなければならない理由があるだろう。
尋ねられた恵那は、倒れこむようにゆっくりと護堂に枝垂れかかった。
「お、おい」
「王さま。動かないで」
囁くように、恵那は言った。
「天叢雲剣と恵那を同調させるの。そうすれば、恵那は天叢雲剣の分身を手元に呼び出せるようになるから」
つまり、自身を天叢雲剣の眷属のようなものにするのである。神剣は剣である以上、使い手がいなければならないが、一個の自我を持つ神でもある。それが厄介なところなのだ。ともあれ、恵那は儀式を経ることで、天叢雲剣から神気を受け取ることができるようになるのだ。
「王さまは、恵那とイメージを重ねるようにして」
そして、恵那はゆっくりと護堂に口付ける。
初めは触れ合う程度に、それからより深く結びつく。
カンピオーネとイメージを共有するには、経口摂取で呪術をかけるしかない。分かりきっていることであり、だからこそ恵那は人払いまでしたのだ。
今、この空間は紛れもなく護堂と恵那の二人だけの世界だ。
邪魔をされるだけでなく、誰かが踏み入ってくるのも嫌だった。
僅かなずれを少しずつ調整して、護堂と恵那はイメージを形にする。
雷鳴轟く嵐の夜と、焼け付くような炎の熱を脳裏に描く。それらが、一振りの剣を創り出し、二人で柄に手を添える。
そして、息を合わせて鞘から抜き放った。
瞬間、恵那は溢れ出る呪力と、燃える炎の奔流を肌に感じた。包み込まれるような、暖かい炎であった。
朝の日差しが窓から差し込んでくる。
護堂は瞼に掛かる太陽光に朝の訪れを感じ、ゆっくりと目を開けた。
まぶしい。
瞑っていた目に、涼やかな日差しは強烈に響く。
上体を起こし、目を擦る。
背中が痛いのは、固い床で寝たからか。畳の上とはいえ、一晩をここで過ごしたのであれば、当然の結末だ。
ストーブは未だに運転中。火力低めで室内の温度を一定に保ってくれている。上に乗った薬缶からは、辛うじて湯気が吹いている。中のお湯は残り僅かとなっているのだろう。
とりあえず、ストーブを止めよう。
そう思って、護堂は立ち上がろうと手を付いた。
むに、と柔らかな手応えに、護堂は固まった。
「清秋院……!」
護堂の隣で心地よさそうに眠る恵那。巫女服が乱れているのは、昨夜の情事を思い起こさせる名残だ。彼女の豊かな双子山に思いっきり触れてしまったのだから、目も一気に覚めることとなる。
「んんー。王さま、早いねぇ……」
護堂の呼びかけか、それとも触れてしまったことからか。恵那は目を覚まして伸びをする。
「早い、か?」
「まだ、六時ちょっとだよ。日も出てきたばかり。学校行くにしても、狩猟採集するにしても、もうちょっと日が昇ってからでしょ」
「狩猟採集とか、普通やらねえから」
縄文人か、おまえは。
「弥生人でも稲作やってるからねえ」
「弥生時代といっても、中国じゃ三国志の時代だからな。むしろ、日本が遅かっただけで」
一体何の話をしているのか。
護堂の目はすっかり覚めてしまった。
「王さま、今日学校でしょ。ここから行く?」
「いや、教科書が家だ。一回帰らないとだな」
結局、夜を社務所で過ごしてしまった。制服のままであるし、今から家に帰れば、風呂に入る時間も取れるだろう。
「なんか、愛人宅から逃げるように帰る間男みたいだね」
「言うと思ったけど、嫌な表現だな!」
■ □ ■ □
「アレクサンドル様と草薙様は不戦の約をされたようです」
東京都を一望する高層ビルの屋上に、グィネヴィアはいた。はるかな高みに身を曝していながら、髪は微動だにしていない。吹き渡る風は、彼女に触れるのを恥じ入るかのように避けていく。
「ほう、それは真か」
ランスロット・デュ・ラック。槍の神。護堂から受けた傷は、ほぼ快癒した。失った腕も、時を置いて再生している。
不死性を持つ《鋼》の神だ。まして、戦いを本分をする彼が、怪我程度で行動不能になるはずがない。治癒も当然ながら、その性質通りの速度を有している。
「巷の術者どもが口々に申しておりましたわ。アヴァロンが浮かんでから早五日。草薙様に動きがないところを見ると、強ちただの噂ということもないでしょう」
グィネヴィアは呪術師というカテゴリーの中では最高の技量を持つ。人ではなく神でもない、そして魔女の庇護者にして王。そして、彼女自身もまた魔女。そんな彼女は情報を集めるのにわざわざ足を使うことはない。風の囀りに耳を傾け、鳩の言葉に相槌を打つ。それだけで、知りたいことは大抵知ることができる。
「如何する。事ここに至っては、かの神殺しに取り入ることもできまい」
「はい」
とグィネヴィアは頷いた。
「可能ならば、アレクサンドル様と相食ませたかったところですが」
幼いながらも女を感じさせる妖艶な面貌を曇らせる。
並みの男であれば、この表情を見ただけで、彼女の心にたゆたう雲を取り除いてやりたいと願うだろう。
「もはやそれも叶わぬ」
アレクサンドルが、すでに護堂と手を結んでいるのであれば、グィネヴィアとランスロットは二人のカンピオーネを相手にしなければならなくなる。
「だが、それもまた一興よ。二人を蹴散らせばよいのであろう。余がすべきことに変わりはない」
ランスロットは猛る心に任せて言葉を紡ぐ。
戦こそが、彼の故郷。心の在るべき場所なのだ。
グィネヴィアは思案する。
普段の彼女であれば、不利な状況にあっては無理をせずに撤退を選ぶ。アテナやアレクサンドルから逃げ続けたようにだ。
今回も逃げればいい。
否、それではだめだ。
前身となる神祖から数えて数百年の月日を『最後の王』の探索に費やしてきたのだ。そのゴールが、今目の前にある。迷宮の権能で鍵をかけられ、おそらくはグィネヴィアにとって致命的な罠が仕掛けられている奇岩島。求めて止まない理想郷は、目の前にありながら遥か遠く。
「そうですね、叔父様」
グィネヴィアは意を決したように瞳に強い意志を宿す。
「この数百年の流浪の旅を終わりにすべき頃合のようです」
「では」
「はい。アヴァロンに向かいます。叔父様の守護も、今日この時まで」
「うむ、賭けに出るのだな。よかろう。それでは、最後の奉公といこうではないか!」
ランスロットの身体に力が漲ってくる。
白き地母神が彼にかけた呪い。不完全な神霊として、グィネヴィアの傍に仕える術を解いたのである。これで、ランスロットは十二分に力を振るうことができるようになる。
その代わり、戦いが終われば次ぎの戦いを求めて世界を放浪することになるだろう。グィネヴィアのことを頭の片隅に置くこともなく、《鋼》の性に従って冒険の旅に出るのだ。
よって、これがグィネヴィアにとって最後の戦いとなる。
敗れれば、再起の可能性はない。
身を守る楯も剣もなくなり、丸裸も同然となったグィネヴィアには、生き残ったとしても身を守る術がなくなる。アレクサンドルや護堂の追撃から逃れることはできないだろう。
ここが正念場なのだ。
グィネヴィアは屋上から宙空に身を躍らせる。
固いアスファルトに叩き付けられる無様な姿はない。蝶のように優雅に、燕のように速く空を飛ぶ。海を目指し、そして瞬く間に海岸線に到達し、
「今こそ船出のとき。グィネヴィアをあの方の下に連れて行って!」
懇願とも取れる言葉は、正しく呪術であった。
海水が持ち上がり、透明な水が黒く染まる。瀑布のように下り落ちる海水の中から現れたのは、一隻の帆船であった。
その甲板に、ランスロットと共に着地して、船を動かす。
呪術で操る船なので、人手はいらない。
幽霊船のような不気味さで、軍艦のような威容の帆船は動き出す。
激しい戦いを覚悟して、グィネヴィアはキッと目的地を見つめ続けた。
各ヒロインを取り上げた日常回でした。
イメージ的に正妻ポジは祐理って感じがする。原作でもそういう扱いですが。ダメなものはダメというので、押しに弱いけどあげまんというイメージ。
恵那は、本人の主張もあって都合のいい女。最後の最後で受動的になりそう。
晶は、従順かつ相手を全肯定するタイプなので、相手によっては「真面目だったのに、長期休業明けたら部活にも学校にも顔を出さなくなる」事件が起きるタイプ。
明日香は、特筆することのない共働きの普通の家庭を築きそう。公務員タイプ。
上記は筆者の勝手なイメージです。
静花は小悪魔で確定。