カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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五十八話

 膨大極まりない呪力の奔流を背中に感じ、晶は日光山を振り返った。

 そして、山の中腹あたりから天に昇る雷撃を見て、晶は護堂が大雷神の化身を使用したのだとすぐに察した。

 それは、護堂が持つ攻撃手段の中でも最強の一角に位置する化身だ。

 これまでの戦いでも、幾度も護堂の窮地を救ってきた切り札である。

 それを、ここで切ったということは、羅濠教主との戦いが終盤戦に突入していたということである。

 威力絶大なる大雷神の化身は、射線上のあらゆる物体を消滅させる。上級魔術師は言うに及ばず、戦車で身を守ったとしても結果は同じだ。

 それだけの威力を誇る大雷神の化身だが、それでも、晶には気にかかることがある。

 それは、これまで大雷神の化身は戦いの重要な局面に使用され、劣勢を覆し、敵に大きなダメージを与えてきた。しかし、今までの戦いを閲してみると、大雷神が必殺となった場面はない。一目連、アテナ、サルバトーレと強敵たちと戦いを繰り広げてきた護堂は、いつでも複数の手札を効率的に切ることで事態を打開してきた。

 高い威力を誇る大雷神であっても、『まつろわぬ神』やカンピオーネとの戦いにおいては必殺たりえない。

 おまけに、相手はあのヴォバン侯爵と長年に渡って覇を競ってきた羅濠教主である。

 ヴォバン侯爵と言えば、護堂が唯一勝ちきれなかった相手であり、そのヴォバン侯爵と同等以上の相手というだけで、苦戦は免れないことがわかる。

 大雷神を使用したとして、勝負に決着がついたと思うのは早計であろう。

 

 山を降りた晶たちは、一足早く下山していた冬馬と合流した後、彼の車に乗って予約していたホテルまで移動した。

 ホテルの部屋からは、日光山が見える。護堂の戦いを見守り、その影響が周囲に及ばないかどうかを見るにはうってつけの場所だった。

 それでも、護堂が戦っているのは、鬱蒼とした木々に囲まれ、さらに結界で守護される西天宮。簡単には、その様子を探ることはできない。

 護堂の戦いの趨勢は掴めないが、呪力が時折爆発し、それと同時に土煙が上がるのは見て取れる。

「万里谷先輩、大丈夫ですか?」

 晶は、ベッドに横たわる祐理に問いかけた。

 祐理は下山した直後から、身体の不調を訴えていた。また、ひかりの意識も戻らないので、ホテルへの移動は急務でもあったのだ。

 問いかけられた祐理は、瞑っていた目を開き、頷いた。

 何かしらの術を使っていることがわかるので、祐理の体調不良がそこに起因するのは理解できる。問題は、それが何なのかということなのだが、体調不良の最中にある祐理には問いづらい。

 自らが使う術の代償として、身体に負荷がかかっている。祐理ほどの術者が、そのことを覚悟していなかったはずない。よって、祐理が倒れたのは、半ば彼女の意思によるものだろう。

 そうすると、祐理がそこまでして使用しなければならない術とは何か。

 十中八九、護堂のために何かをしているのだろう。

 戦うこと、露払いしかできない晶には、祐理の霊視のような、本当に護堂が必要としているサポートは行えない。

 祐理にできることが自分にはできない。

 それは、あまりにも情けなく、どうしようもないくらいに晶を苛立たせた。

 ともあれ、今、晶にできることはない。晶の仕事は、これからなのだ。護堂の指示を待つ。タイミングは、祐理に伝えられるというから、『強制言語』を念話に応用するのだろう。

 晶は、再び窓の外に視線を戻す。

 日光山の木々が一部分だけ大きく揺れている。

 あの下で、護堂は今も死力を尽くして戦っているのだ。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 護堂の放つ青い閃光は、一点に収束した雷撃である。その速度は音速などはるかに超え、目で追うことなど不可能である。

 遠目から見て、その軌跡を目で追うことは可能だろう。しかし、自分に向かってくる雷に反応するというのは、少なくとも人間の反応速度ではありえない。そもそも、人間の行動自体が、脳と神経を行き来する電気信号に支えられているのだから、同じ電気という時点で、その速度に反応できるはずがない。

 それにもかかわらず、羅濠教主はものの見事に防いで見せた。

 金剛力士の黄金の身体が透けていき、やがて、黄金色の輝きを撒き散らして大気に溶けた。

 羅濠教主は、金剛力士の肉体を代償に、大雷神を防いだのだ。

「わたくしの化身を二体も屠りますか。若き王よ。あなたには、本当に驚かされます」

 優美な微笑は変わらぬまま。

「わたくしも、覇道の先達として、あなたの気概に応えるだけの戦をせねばなりませんね」

 羅濠教主は、地を蹴って護堂に迫る。

 その動きは、華麗にして雄大。風のように自然に、護堂との距離を詰める。

『穿て!』

 応戦する護堂は、最も発動の速い権能を放つ。

 空間が歪み、羅濠教主を縫い付ける。軋む空間は、そこを通る光すらも歪める。当然、その場だけ蜃気楼か陽炎のように揺らめくことになるが、その揺らめきを、羅濠教主は拳一つで打ち砕く。

「ッ……!」

 拳を放つ、という動作をしていながら、羅濠教主の速度は落ちることがない。

 もちろん、そんなことは護堂も予測していた。ただ、予想外だったのは、羅濠教主がさらに加速したことだ。

 詰め寄られると同時に繰り出される殴打と足蹴を紙一重で回避し続け、打ち込まれる縦拳が頭蓋を砕く直前に、土雷神の化身で難を逃れた。

「ほう、まだ力を隠していましたか」

 地中を雷速で移動する特性上、この化身は護堂の持つ権能の中で回避に最も優れている。

 移動先が目視されないので、追いかけられることもない。

「今のところは順調か。羅濠の攻撃は、かわせる」

 相手に聞こえないように、そう嘯く。自らを鼓舞し、恐れを打ち払う。

「いくぞ、晶……」

 思念を飛ばし、祐理を介して晶に術の発動を要請する。

 護堂はポケットから、小刀を取り出した。かつて、晶からもらった護身刀。刃渡り五センチほどと、非常に小さく、柄の長さを含めても十センチほどと、女性が隠し武器とすることを前提に作られた、包丁よりも小さい玩具のような刀である。

 しかし、この刃には、いくつもの術を込めることができるように調整が施されている。

 今刻み込まれているのは、水天の種字。祐理が書き込み、護堂の呪力で胎動するそれが、遠方より見守る晶の力に後押しされて呪術として成立する。

 刀を媒介にした、呪術の遠隔発動である。

 護堂は今でも呪術を修めていない。

 いつかは使えるようになっておいたほうがいいと思いながらも、本格的な呪術の修行は後回しにしている。よって、こういったサポートは、味方に頼むしかないのが現状だった。

「霧?」

 羅濠教主が訝しげに眉根を寄せる。

 護堂が地面に放り出した小刀は大気中の水分を操り、一時的に西天宮の周囲を真っ白な霧で覆ったのだ。

「力で勝てねえなら、速度で勝つまでだ!」

 護堂が発動させたのは、伏雷神の化身。

 大気中の水分濃度が高い場合にのみ使用可能になる神速の化身だ。

 護堂は身体中から紫電を発しながら、羅濠教主に突貫する。

 この世のすべてが遅滞する世界においては、あの羅濠教主の動きすらも鈍重に見える。

 まして、今の護堂は祐理の後押しを受けて直感が瞬間的な未来予知レベルにまで昇華しているのだ。羅濠教主の拳も、こうなっては掠りもしない。

「ほう、大した速度ですね。あなたの権能には、そのようなモノも含まれているのですか。中々に芸が細かい」

 感心したような羅濠教主の声は、あまりに速すぎる時の中では、どこか遠くから聞こえてくるようだった。

 護堂の顔面に、カクカクとした奇妙な動きで羅濠教主の裏拳が迫る。

「グッ」

 護堂は無理矢理身体を捻ってこれを回避する。

「今のが、心眼ってヤツか。人間相手だと、初めてだな」

「武を極めたわたくしに、ただ速いだけの挙動など何の意味もありません」

 そう言いながら放たれる絶技の数々。神速についてくるだけならばまだわかる。だが、神速を以ってしても回避に専念せざるを得ないというのは、理解の範疇外だ。確かに、羅濠教主なら不思議ではないと思うが、それでも、実際に目の前でされると驚嘆してしまう。

 『まつろわぬ神』以上に、この女性は不条理な存在だったのだ。

 護堂は、相手を見て、感じて拳を潜り抜ける。隙を見て踏み込もうにも、膝が、蹴りが、護堂の踏み込みを阻止している。

 そうだからといって、距離を取ってどうにかなるかというと、そうではない。最大火力の大雷神の化身はすでに使用済み。同じく破壊に特化した火雷神の化身は、伏雷神の化身と併用ができない。切断能力という高い殺傷力を持つ咲雷神の化身も、金剛力士を相手に使ってしまった。

 『強制言語』は決定打に欠け、『武具生成』は、散々使っていながら羅濠教主に生成した武具が逆に強奪される始末。

 これらのことを鑑みても、遠距離からの攻撃は、すでに手詰まりと言ってよい。

 今、護堂にできること。それは、唯一護堂が羅濠教主に勝る速度という武器を以って、惑乱し、かき回し、なんとか隙を生み出して一撃を入れることなのだ。

 護堂は、雷化せずに最高速度で走り続ける。

「ッ……」

 一歩踏み出すごとに、脳が悲鳴をあげる。神速の副作用とでも言うべきか。肉体を保持したままでは身体に負担が大きいのである。おまけに、常時『強制言語』と併用している状態でもある。脳の酷使という点では今までにない速度で疲労が蓄積されていっている。

 護堂の狙いは一つ。原作と同じく、緩急をつけた動きで羅濠教主の懐に入り一撃を入れることである。

「オオッ!」

 羅濠教主が信じられない速度での上段蹴りを放った直後、護堂は、一気に彼女の懐に入り込む。

 無論、羅濠教主には、その動きが見えている。神速の先を読み、放たれる豪拳。羅濠教主の白い拳が動いた瞬間、護堂は減速した。羅濠教主の目から見て、護堂の動きはとてつもなく奇妙に映ったことだろう。最高速度から、体勢も足運びも変えずに速度が変わるというのは、少なくとも武芸では再現不可能だ。

 狙い通りに、目測を誤った羅濠教主の拳が護堂の眼前を通過していく。

 

 ――――ここだ。

 

 護堂は再度、最大加速した。

 瞬間的に、一歩を踏み出し、拳を握り、羅濠教主に目掛けて突撃する。

 すでに、彼我の距離は数十センチ。身体を傾けるだけで、相手に届く。

 それが、この日、護堂が見せた最大の隙となることも知らず。

 

 

「む?」

 踏み込まれた羅濠教主は、護堂の再加速を目で追いながら表情を険しくした。

 護堂の動きに、違和感を覚えたからである。

 それまでの動きは、極めて野生的で本能的であった。護堂が武に恵まれていないのは一目見て明らかだったが、それでも羅濠教主の攻撃をかわし続けてきたのは、その勘と目によるところが大きい。

 やはり超越者同士の戦いとなれば、既存の武芸のみで優劣を競うことは不可能。ならば、自らが持ちうる技術、精神、あらゆるものを動員しなければならないのは道理である。

 羅濠教主は経験も実力も護堂に勝る。それは、誰が見ても明らかで、厳然たる事実である。

 羅濠教主から見て、技術も実力も劣る護堂が自らに喰らいつき、死力を尽くしているということが微笑ましくて仕方なかったのだが、今、この一瞬でそんな高揚感は消え去った。

 この動き方は、明らかに今までのそれではない。

 加速と減速を使い分けた緩急は見事。しかし、その目が語る。これは、草薙護堂の戦い方ではないと。

 小手先の技術で倒せるほど、羅濠教主は甘くない。

 何よりも羅濠教主が許せなかったのは、自らの戦い方を放棄し、安易な手法に身を任せる護堂の惰弱さであった。

「他人の技を決闘に持ち込むとは真に愚か! 出直しなさい!」 

 そして、一喝とともに羅濠教主の足は地面を離れ、護堂の無防備な胴体を薙ぎ払ったのだった。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 再び立ち上がるには、あまりにも重い一撃だった。

 必勝を期した突撃。しかし、それは同時に護堂の甘さにも繋がったのだ。勝利を目前にしての油断。羅濠教主という格上を相手に、それは一瞬であろうとも致命的であった。

 指先一つ動かない。

 痛覚がダメになっているのか、自分の身体の損傷具合もわからない。

 目も見えなくなり、暗闇の中に落ちていく意識を必死に繋ぎとめようとするのだが、もはや自分に意識があるのかどうかもわからなくなっていた。

 

「あれ?」

 そして、気がつくと護堂は見知らぬ場所にいた。

 何もない、空虚さだけが漂う空間だった。

 色は灰色。空も大地も灰色一色に塗り固められていて、地平線の彼方まで何一つとして変化がない。

「ゴドー、やっはろー!」

 やけにハイテンションな挨拶が背後から投げかけられた。

「?」

 振り返ってみると、そこでは、ツインテールの童女がにこやかに手を振っていた。

 歳の頃は十四ほどだろうか。静花と同じか、それ以下にも見える。

「あ、ひっどーい。反応が超薄い」

「ああ、いえ。すみません。突然のことで混乱してました。お久しぶりですパンドラさん」

 パンドラ。

 人類に災厄と一撮みの希望を与えた魔女。

 『まつろわぬ神』ではなく、正真正銘の女神である。

 パンドラは、カンピオーネの庇護者であり、生みの親とも言うべき女神で、第二の母を自称する。そのためか、七人いるカンピオーネに『お義母さん』と呼んで欲しいと訴えているのだが、誰一人としてその願いに答える者はいなかったりする。

「それで、俺はどうしてこんなところにいるんでしょうか?」

「ん? そりゃ、わたしが連れてきたからだよ。こう見えて、れっきとした女神だからね、わたし。こうでもしないと出てこれないのよねー。ゴドーってば、なかなか死んでくれないもんだから、再会にも時間がかかっちゃった」

「死んでって、俺はまだ死んでませんよ」

 パンドラの言い回しに憤慨する護堂だったが、一抹の不安はあった。羅濠教主の蹴りの直撃を食らったのだ。即死でも不思議ではない。

 だが、その不安は、パンドラが打ち消してくれた。

「そうね。ゴドーはまだ、死んでない。あなたの身体は、現世で修復の真っ最中よ。内臓の半分がとろとろの液化状態だけど、しぶといね!《蛇》の力、取っておいてよかったでしょ」

「そうですね。そうか、その状態でも死んでないのか」

 ありがたいことだが、内臓が液化という表現が誇張でないとすれば、草薙護堂は完全に化物である。死に際して若雷神の権能を全力で稼動させたわけだが、功を奏したことになる。

「で、なんで俺をここに呼んだんですか?」

「なんか冷たくない? あなたがカンピオーネになったとき以来の久々の親子水入らずだっていうのに」

「そうはいっても、俺、これから羅濠教主を倒さなくちゃいけないんで」

「勝てるの? 今のゴドーに」

 パンドラの視線が護堂に突き刺さった。

 鋭くも暖かい。本気で、護堂の身を案じていることがわかる。

「もうわかってると思うけど、最後の戦い方だと、羅濠ちゃんには勝てないわよ」

「わかってますよ」

「それならいいんだけど。カンピオーネの戦いって、本能に任せたほうがずっと力が出せるの。知識に縛られちゃダメよ。人の技は人の技。見よう見まねで使っても意味がないでしょ。ゴドーはミトリゲイコができるほど器用じゃないんだし、自分の戦い方をしないと」

「そうですね。バカをしました。次は、全力でぶつかっていきますよ」

「うむ。それなら良し。まあ、羅濠ちゃんもわたしの娘だから、どっちを応援ってわけにもいかないんだけど、そこはほら、経験の差を考慮ってことで」

 パンドラから見て護堂は末っ子だから、まだ甘やかそうと思えるのだろうか。

 パンドラのお節介は、記憶には残らないものの、心の片隅に刻み込まれる。何かの拍子に閃きを与えてくれるものでもあるのだ。

「最後に、一ついいですか?」

「ん? なあに?」

「俺が人の技を真似したこと、なんでわかったんですか?」

 護堂がそう尋ねると、パンドラはイタズラっぽく舌を出して笑った。

「お義母さんは、なんでも知ってるの」

 

 

 目が醒めたとき、護堂の頭はいつにも増して冴え渡っていた。

 理由はわからない。若雷神の化身が身体を癒すと同時に、疲れをも吹き飛ばしたのだろうか。

 身体は動く。

 戦意も充溢している。

 それだけで、十分に戦える。

 羅濠教主は、護堂に背を向けて西天宮から立ち去るところだった。殺害した相手には興味がないとでもいうように。

 霧は、まだ消えきっていない。使おうと思えば、伏雷神の化身が使える。

「やってやる」

 護堂は、もはや慣れ親しんだ一目連の権能で数十の刃を生成すると、瞬時に射出した。

 羅濠教主が驚愕の表情で振り向き、不意打ちに対応する。いくつかの刃が、漢服を掠めて鮮血が舞った。

 そして羅濠教主が飛来する刃を砕き、かわし、逸らしているうちに、護堂は身体を跳ね上げた。

 迸る紫電。

 伏雷神の化身を発動すると同時に意識が加速。

 肉体は、すでに限界に達しつつある。走り始めが遅い。神速に入りきるのに、僅かばかりの遅延。意識に身体が付いていかない。

 羅濠教主が、刃を捌ききった。

 護堂と羅濠教主。互いの視線が交差する。

「オオオオオッ!!」

 護堂が殴りかかる。羅濠教主は、神速に達する護堂の突進は、かわし、身体の位置を入れ替える。

 ほぼ、同時に反転する。神速のおかげか、一歩分だけ護堂が速い。羅濠教主の手刀が空を切り裂いて護堂に迫る。脳天を割る軌道。それを可能とする怪力。頭を砕かれては今度こそ死ぬ。

 

 

 ――――ダメか

 

 ――――問題ない、行け

 

 頭の片隅に、響く声。誰か、などと問う間はない。

 護堂は迫り来る手刀を前にして、さらに一歩を踏み込んだ。

 そして、空気が爆ぜた。

 

「なんですって!?」

 ここに来て、羅濠教主は目を見開いて驚いた。

 護堂と羅濠教主。

 二人は、吐息がかかるほどの距離で動きを止めていた。

 しかし、それはこれまでの戦いの経過を見てもわかるとおりありえないことである。護堂には至近距離で羅濠教主の攻撃を受け止める手段はほぼ皆無であり、黒雷神の化身や楯で防ぐことはできるが護堂の身体は吹き飛ばされるはずである。

 だから、護堂が羅濠教主の手刀を片手で受け止めているというのは、絶対にありえないはずである。

「ぐ、ぎ……!」

 護堂は苦悶の声を漏らして両足で地面を踏みしめる。

 羅濠教主の怪力が、今にも護堂を押しつぶそうとしているのである。

 だが、倒れない。

 護堂は、羅濠教主と同等の怪力で、彼女の腕力に抗っている。

 護堂の右腕に宿る相棒の能力が、ここに来て決定的な好機を生んだ。

 天叢雲剣が持つ、権能を吸収し護堂の肉体に還元する力。この力によって羅濠教主の『大力金剛神功』を模倣したのである。

「これで、逃がさない」

 羅濠教主の手をしっかりと握り締め、護堂はにやりと笑った。餓えた狼か獅子のような、野性味溢れる笑みである。

「散々殴ってくれたお礼だ。歯ァ食いしばれ!」

 護堂は空いた手の五指を握りこみ、もう片方の手で羅濠教主の腕を思い切り引いた。

「く……ッ!」

 羅濠教主は抵抗しようとしているが、もう遅い。

 こうなることがわかっていた護堂と完全に虚を突かれた羅濠教主とでは出だしがすでに違う。羅濠教主には思考の空白があり、護堂の肉体は未だに神速の領域にある。常ならば対応できていたはずの羅濠教主も、このときだけは後手に回った。

「オオオオオオオオオオオオラアアアアアアアアアッッ!!」

 今までに、これほどの力で人を殴ったことはない。

 踏みしめる地面は、護堂の力に負けて砕け散った。

 それでも、そこから得られる力は莫大に過ぎた。

 無我夢中のままに、目の前に佇む敵へ向け、全身の力を込めた拳を突き出した。

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

 戦いの趨勢が決したと判断したのは祐理だった。

 結果としては護堂の勝利。ただし、護堂自身も手痛い怪我を負っていて、満足に動ける状況ではない。祐理は、護堂の権能の一部をサポートしていたために、身体に多大な負荷がかかった。そこで、自分はその場から動けないことを悟り、晶と恵那に護堂を迎えにいくように頼んだのである。

 言われなくとも、と意気込んで参道を駆け上り、西天宮に向かう二人。

 西天宮を守護する結界は、二人のカンピオーネの戦いによって消し飛んでいる。数百年の歴史ある結界が、跡形もなく消し飛ぶというのは、衝撃的なことだが、カンピオーネに慣れてしまった晶にはむしろ、消し飛ばないほうがおかしいというように思えた。

 そうして飛ぶように石段を登りきった先には、例の如く破壊されつくした西天宮があった。

「晶に清秋院か。二人とも、大丈夫だったみたいだな」

 そういう護堂は、二人の顔を見て安堵したようだったが、恵那と晶のほうは安堵する以前に心配した。護堂は、辛うじて残った燈篭を背にして地面に座っているのだが、完全に脱力しきっている。

「王さま!」

「先輩!」

 二人は、駆け寄って、すぐ傍に膝をついた。

「おい、慌てすぎだって。別に大したことはないから」

「大したことないわけないじゃないですか。どうせ、怪我だって若雷神で治したから見当たらないだけですよね?」

 心配そうにする晶に顔を覗きこまれて、護堂は目を背けた。

「まあ、そういうところはある」

 それに、今回は心臓をアナトに抉られたときと同じくらいに重傷だった。

 それも戦闘中であり肉体の修復に大半の呪力が費やされたのは事実である。今は、ほとんど体力も気力も失われている状態だ。

「王さま、羅濠教主はどうしたの」

「あそこだ。陸鷹化が起こそうとしているだろ」

 と言われてみれば、地面に倒れた羅濠教主に陸鷹化が話しかけている。

「怪力の権能で思いっきり殴ったんだけどな」

 羅濠教主は気絶で済んでいるらしい。

 それは羅濠教主が地に足を付けている状況にあれば、大抵の衝撃を逃がすことができるのに加え、護堂が『殴る』という行為に慣れていなかったからでもある。

 羅濠教主のように、全身を上手く使って力を拳に伝達する方法を知っていれば違っただろうが、残念なことに護堂は殴り合いの喧嘩すらもしたことがない。腕の力だけで殴れば、当然ダメージは少なくなる。それが、羅濠教主の命を救った要因だ。

 恵那と晶が護堂を気遣っている間に、羅濠教主も目を覚ましたようだ。

 一瞬だけ、自分がなぜ倒れているのかわからないという表情をしていたが、すぐに護堂の強烈な一撃を受けたことを思い出したようだ。

「このわたくしが、王となって一年と経たない若者に土を付けられることになろうとは、思いませんでした。草薙王」

 ダメージは如何ほどのものなのか。羅濠教主の足取りは倒れる前と変わらず優美だ。

「此度の戦。あなたの実力を甘く見たわたくしに落ち度があります。敵を前にして意識を失うなど、首を差し出すに等しい行為。この羅濠、勝利を盗み取るような真似はいたしません」

 そして、羅濠教主は、護堂の前で宣言する。

「草薙王。あなたに勝利を預けます」

 羅濠教主が自ら、敗北を認めたのだった。

 

 それと時を同じくして、空に浮かぶ蛇体が大きくのたうった。

 砕け散った祠の隙間。空間の亀裂から閃光が奔り、レヴィアタンの頭を穿つ。

「はっはー! 戻ってきたぞ、皆の者よく聞けぃ! 我こそは斉天大聖孫悟空さまであるぞーッ!」

 それは、金毛の猿である。

 しかし、ただの猿ではないことは一目瞭然。言葉を操る程度はまだ序の口。空を飛び、莫大極まりない呪力を無尽蔵に放出するのは、この世のものではありえない。

 『それ』は、軽快に空を駆け抜け、レヴィアタンの身体を鋭い爪で切り裂き、強靭な顎で噛み千切る。もともと死にかけていたレヴィアタンは、為す術なく地に落ちて、消滅した。

 レヴィアタンが健在だったことから、原作と違って初めから猿の姿で降臨できたということか。

 大蛇を始末した孫悟空は、軽々と木々を飛び越えて、潰れた西天宮の屋根だった場所に降り立った。

 そして、その金色の瞳で護堂と羅濠教主を見下ろした。

「ほう、ずいぶんと疲れておるの。おまけに社が消し飛んでおる。さては、外でも戦っていたな。物好きどもめ」

「ついに蘇ったのですね、美猴王」

 羅濠教主の問いかけに、孫悟空は大きく満足げに頷いた。

「うむ。百余年ぶりの現世だが、ずいぶんと様変わりしておる様子。くくく、これは遊び甲斐がありそうじゃ」

 そして、疲弊しきった神殺しを睨む。

「いずれにしても、我にとってお主らは邪魔じゃ。ちと消えてもらうぞ」

 孫悟空が何かしらの聖句を唱え、呪力が護堂たちを包み込む。

「ッ……! これは!」 

 護堂たちの足元が石化していく。それだけに止まらず、木々もまた時を止めて灰色に変わる。さらに、足が石に呑み込まれていく。信じがたい光景だ。

「わたくしたちを封印するつもりですか!」

「邪魔といったろう? 我がかつて閉じ込められた石山巌窟の法を以ってして封と為す!」

 護堂はすでに足首が埋まりつつある。

 さらにまずいのは、恵那と晶まで巻き込まれているということだ。

「く……清秋院、晶。脱出を!」

「ごめん、王さま。ちょっと無理っぽい」

「先輩……」

 呼び掛けも虚しく、恵那と晶は腰まで埋まっている。カンピオーネほど呪術に耐性がないために、呑み込まれる速度が速いのだ。

「くっそ……」

 このまま呑み込まれてしまえば、孫悟空を止める者がいなくなる。それだけは阻止しなければならない。

『弾け』

 ありったけの呪力を掻き集めて、発した言霊は、羅濠教主の身体を浮かび上がらせた。

 弾き飛ばされる羅濠教主の身体は、孫悟空の封印術の効果範囲外にまで飛ばされた。

「な……草薙王!?」

「あなたはソイツと決着つけんだろ? とりあえず、こっちはこっちでやっとくから、ケリつけといてくれよ」

 目一杯強がって、先に沈んだ仲間の下へ護堂は落ちていった。

 




さーて、今週の私は

① 俺の成績がこんなに悪いわけがない 
② やはり俺の秋期実習は間違っている。
③ 僕は単位が少ない 

 の三本でした。

 ネクストゴドーズヒント
 『密室』
 

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