カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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四十四話

 痛みはなかった。ただ、寒く、そして眠い。

 それが、激痛を脳が遮断した結果なのか、それとも、もう痛みを感じる必要がなくなってしまったのか、霞む頭では判断がつかない。ただ漠然と、死というものを感じていた。

 身体から命が流れ落ちている。この世に生を受けてからずっと感じ続けてきた鼓動が失われた。身体から音が消えるというのが、これほど寂しいものだとは思わなかった。気が狂いそうなほどの無。でも、それが不思議と懐かしい。きっと、それは前世の記憶。かつて、別世界で生き、そして死んだ時の思い出だ。

 ああ、なるほど。

 死んでおきながら別人に生まれ変わるってのは、反則技だ。まともな死に方はできないんだろうな。

 なんとなく、昔から意識の端にそんな思いがあった。

 だからこそ、人一倍普通であることを意識していたのだろう。

 思えば、カンピオーネになる前から、ルール違反を積み上げてきたような人生だった。ただ、生きているだけでも反則。それが、カンピオーネになったのだとしたら、この世の法則からどれだけ外れた存在だったのだろう。自分のような存在がまかり通るなら、世も末だな、と自嘲せずにはいられない。

 倒れた身体を誰かが抱きとめてくれている。祐理か、晶か。おそらくは祐理だろう。自分の身体は、糸の切れたマリオネットのように崩れ落ちた。倒れた方向には彼女がいたと思う。

 視界は暗く、外界の様子は判然としない。

「こふッ」

 不随意に咳き込んだ。それもひどく弱い。肺に溜まった酸素と血が一気に外に出た。左の肺は潰れているから、呼吸そのものができないし、血液を送り出す心臓も身体の外。血は流れ出るだけで脳には届かないし、死ぬことは避けられないようだ。

「草薙さん! 草薙さん! 逝ってはいけません。草薙さん!」

 すがるような声で、祐理が呼びかけてくれている。その声に、応答するだけの気力が、すでにない。

「ああ、ああ、そんな。……あなたはカンピオーネなのですよ。草薙さん……ヴォバン侯爵にも、サルバトーレ卿にも勝ったあなたが、こんなところで倒れてどうするのですか」

 言葉に詰まりながら、祐理が言う。か細い声は、闇に落ちそうになる意識を辛うじて食い止めてくれていた。

「死なないで。お願いです。お願いします。死なないでください。わたし、まだ、あなたに伝えていないことがたくさんあるんです。だから――――――生きてください!」

 祐理らしくない。それは、子どもの我侭のようで、どうしようもない無茶だった。そんな無理を押し通すような娘ではなかったはずだけど、と思いながら、それを言わせたのが自分だというのが、嬉しかった。それほどまでに心配してもらえているということ。目が見えないのが惜しい。祐理ほどの美少女が、体温を感じられるほど近くにいて、自分の名を呼んでくれているというのに、その様子が見られないなんてもったいない。護堂とて男だ。異性に興味関心くらいある。しかし、よりにもよって死の間際にそんなことを考えるとは、余裕があるのか業が深いのか。とりあえず、男の性は一度や二度の死で浄化される代物ではないようだ。

 それでも、消えかけていた意志に火がともるには十分だった。着火材としてはやや不純だったが、心残りはそれだけではない。晶のこともあるし、日本に残してきた静花のこともある。異国の地で、兄が殺害されたと知ったら、静花はどうするだろう。兄離れのできていない妹だ。少なからぬショックを受けることだろう。

 なによりも、心臓を抉り出してくれた敵のことが気にかかる。あれは、放置していい相手ではない。このまま自分が死んだら、晶や祐理が狙われるかもしれない。絶対にそれは避けなければならないのだ。

 死ねない。そう思えるだけで、活力が湧き上がる。死に瀕して理性が薄れ、生物としての本能が浮上してくる。命を繋ぐために、持ちうる全てを利用する。

 なけなしの呪力を振り絞り、若雷神の化身を発動した。心臓と肺を優先して修復する。サルバトーレ戦で呪力を失ったことが大きな痛手となった。臓器を丸々ひとつ作り直すには呪力も時間も消費する。再生する前にこちらの命が尽きてしまうことは明白だった。

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

「え?」

 それは、自分の声だったのか、それとも他の誰かのものなのか。意味のない、ただの音が無意識に喉から漏れ出たのだろう。

 赤が舞う。桜の花吹雪のようで美しく、目を奪われた。鉄錆のようなツンとした匂いが立ち込めて、頭がおかしくなりそうだった。

 ああ、きっとこれは夢だ。夏の暑さにやられて白昼夢を見ているに違いない。

 仰向けに倒れた護堂は、全身が弛緩して動く気配は一向にない。

 膝枕をするように祐理がその身体を受け止めている。彼女は必死になって護堂に呼びかけている。

「は、あ――――――は、あ―――――――」

 息継ぎを忘れて泳ぎ続けた後のように、晶は空気を求めて喘いだ。

 周りにいた多くの人が、一瞬静まり返り、そして悲鳴をあげて逃げ惑う。その中で、晶はただ呆然と立ち尽くしていた。

 祐理のように、護堂に呼びかけることもできず、目の前で起こったことを否定することで精一杯だった。そうしなければ、自分がどうにかなってしまいそうで恐ろしかった。

「終わってみれば、呆気ないものね」

 呆れを含んだ声色で、影が言う。

 女性、なのだろう。護堂と同じくらい、血の気の失せた今の晶の頭ではそれくらいしかわからない。

 ローブの袖から出ている白い腕は、今や真っ赤な血でべっとりと染まっている。護堂から引きずり出した心臓は、ビクン、と脈打って中に留まっていた最後の血液を送り出した。職務に忠実に、ポンプとしての役割を果たそうと。それでも、その血液は千切れた血管から外に出て、アスファルトを汚すだけだ。

 それを見て、心拍数が急上昇した。

 足りなくなった血をなんとか脳に送り出そうとしている。吐き気はするし、耳鳴りはするし目の前は真っ白になる。ふらふらとして、今にも膝から崩れ落ちそうだ。

「あ」

 声は出なかった。歌を忘れた小鳥のように、口を開くだけ。

「あ――――――」

 今度は出た。声帯が震え、その刺激が声を取り戻させた。

「あああああああああああああああああああああああああッ!!」

 晶は、呪力を爆発させた。

 轟、と熱力学に存在しない不可視のエネルギーが大気を押し広げる。呪力を宿した突風が、ホームを駆け抜けていく。

 遠巻きに様子を窺っていた一般人は、事ここに至り、危険を察知して逃げ出した。懸命な判断だ。晶には、佇む黒いローブ姿の女しか目に入っていないのだから。

「晶さん。今は!」

 祐理が何か叫んでいるが、聞こえなかった。

 御手杵を呼び出し、警告も無しに突きかかる。カンピオーネに手を出し、その心臓を抉り出した正体不明の敵。しかも、自分も祐理も気づかないほどの隠形の使い手。呪術者としての格は相手のほうが上なのは間違いない。

 だからどうした。

 そんなことは、武器を振るわない理由には程遠い。

「うわあああああああああああああああああああああああッ!」

 感情の爆発は、あらゆる本能を凌駕しつくし、思考を簡略化してしまう。敵の戦力を一切考慮に入れず、突き出した穂先は、虚しく虚空を突いた。

「主の仇討ちってわけ? ふん。たかだか木偶人形風情が、このあたしに敵うもんです――――――!?」

 黒いローブは、そこで言葉を切って飛びのいた。一息で晶の十歩分は後退した。跳躍の魔術を使ったのだろうか。術の発動に気づけないほど、精工な術式だ。まさか、自前の筋力ということはあるまい。

 距離をとった敵は、自らの手の甲を眺める。

「その槍《鋼》か! 厄介な槍をもっているわね」

 憎悪を込めた唸り声で、晶に殺気を飛ばした。

 晶の手にある槍は、一目連との戦いの折に折れたものを作り直したものだ。この際、穂先を護堂の権能で用意した《鋼》に付け替えたのだった。

 敵の手には晶の槍に付けられた傷があり、人間を下に見る彼女にとっては度し難い屈辱だった。

 その発言と雰囲気から、人ではないことは確かだ。だとすれば、神祖か、それとも零落した『まつろわぬ神』か。

 どうでもいい、と晶は切って捨てた。

敵が何者であるか、そんなことは一切関係がない。ただ、一つ。護堂を殺めたという事実があるだけだ。

「殺したな」

 感情が、限界点を超えた。

「先輩を殺したな!」

 恨み、憎しみ、悲しみ、怨嗟、敵意、復讐心、ありとあらゆる感情は、負の一点で混じりあい、地獄のように混沌とした黒い殺意へと昇華する。

 コロス、コロス、コロス。湧き出る殺意は止めどなく、怒髪天を突く勢いで敵に踊りかかる。

 ひたすら敵の息の根を止めるためだけに槍を振るう。轟、轟、と槍が振るわれるたびに大気は悲鳴をあげる。掠めたアスファルトは裂け、烈風で看板が吹き飛んだ。カンピオーネの戦いに比べれば規模こそ小さいながらも、人知を超えた戦いなのは言うまでもない。

「おっどろいた。まさかここまでやるなんてね!!」

 晶が大嵐であれば、ローブ姿の敵は大海で風に揉まれる小船のようだ。

 槍撃の合間を、風を読んでいるかのように潜り抜けている。楽しげな声は遠くから聞こえてくるようで、詳しく聞こうと集中すればするほど本質から離れていく気がする。敵は身元を隠していたいのだろう。そういう呪術を使っているに違いない。

「そのローブを剥ぎ取って、全部衆目に晒してやる!」

「あんた、今、凄い顔してるわよ。血が見たくって仕方ないって顔」

 ローブの奥で、敵があざ笑っている。直後、その表情が、固まったのを晶は感じた。

「チィ!」

 ローブが両腕をクロスした。そこに、鉛玉が撃ち込まれていく。壁という壁に反響する銃声。槍で追いきれないと見るや、H&K MP5へと武装を変えたのだ。至近距離からの弾幕は尽くローブに牙を突きたてた。弾丸には、対呪術師用に術を施してある。マガジン内に装填されていた三十二発の9mmパラベラムを撃ち尽くしてから、再び槍と入れ替え、間髪入れずに敵の胸を突く。

 怒涛の連撃に、敵の余裕も崩れた。銃撃に晒されて怪我をしないのは恐るべきことだが、さすがに、《鋼》の神槍に突かれては一溜まりもないのだろう。決して槍を受け止めようとはしなかった。

 裏拳で、槍の柄を叩き、軌道を逸らす。

「あんまり調子に乗らないことね。小娘!」

 槍が生み出す豪風を、ローブの魔女は、あっさりと踏み越える。

 壁とも思える槍の高速連撃であっても、引き戻す際には僅かなタイムロスが生じるものだ。すべての長柄武器に共通する弱点。長いリーチを誇る代わりに、その内側に踏み込まれてしまうと大きな隙を生み出してしまうのだ。

 無論、それだけで晶の槍捌きから逃れられるわけではない。彼女は若くして媛巫女最強と呼ばれるまでになった戦闘の鬼才。達人の域にまで上り詰めた技量に、呪術によるブースト、さらに彼女固有の能力である地母の力が上乗せされるのだ。一刺の威力は砲弾に勝るとも劣らず、その筋力ゆえに引き戻しの隙も最小限に抑えられる。なによりも、内側に踏み込まれても、横薙ぎに槍を振るって柄で敵を叩くこともできる。晶の力なら、大の大人を弾き飛ばすこともできよう。だからこその槍。長柄の武器を敢えて選び、鍛錬を重ねてきたのは、彼女の能力と実に相性がよかったからだ。

 それを物ともせずに、乗り越えてくる敵がいるとすれば、単純に、晶以上の技量を持っているということだろう。

「あ、が!」

 一撃。

 晶の胸を突き飛ばす。それだけで身体が宙を舞った。

 視界が回転し、息が止まる。

「かふッ!」

 呼吸を再開したのは、地面に背中を打ち付けてからだった。身体の内側から押し出された空気が口から漏れ出て、息苦しさから、大きく息を吸って吐くことを繰り返した。

「ふん。木偶人形が。分を弁えて舐めた真似をしないことね」

 頭を打って、少しは冷静さを取り戻したのか。晶は、敵と会話する余裕が出てきた。

「あなたは、何者ですか。なんで、先輩を」

「殺したのかって? 敵だからに決まっているでしょ。加えて言うならあたしがあたしであるために、必要なことだったとも言えるケド」

 そう言うと、敵は護堂の心臓を愛おしそうに撫でて、口元に運んだ。

「な!?」

 晶は、目を疑った。

 ぐちゃ、くちゃ、と粘つく音が耳を打つ。こともあろうに、目前の魔女は、護堂の心臓が採れたてのりんごであるかのようにかぶりついたのだ。

 たったの三口で、赤黒い塊を飲み込んだ彼女は、恍惚とした口調で、

「うーん、やっぱり本物の戦士は濃さが違うわ」

 と呟いた。よほど気に入ったのか、手についた血も舐め取っている。

「あなたは、なんてことを―――――――」

 なんとか立ち上がった晶は、その猟奇的な光景に絶句した。

「言ったでしょ。必要なんだって。戦士の臓器が、血が、あたしの心を滾らせる。失った物を取り戻すために、あたしはこうしなければならないの。まあ、でも、それはあんたも同じでしょ?」

「な、ふざけたことを言わないでください! 誰が、そんなことを!」

「ん? 自分の獲物を取られて逆上したわけじゃないんだ。へえ。……ねえ、それならどうしてそんな風に物欲しそうな顔してるの?」

「なんのこと、です」

 晶は、ギリ、と奥歯を噛み締めた。

「別にいいんじゃないの。木偶人形でも望むままに動き欲望を満たす程度は許されると思うケド?」

 楽しそうに、ローブが笑う。今までとは違う意味で、晶の心臓は早鐘を打っていた。何を言っているのか、分からない。分からないけれど、これ以上口を開かせてはいけないと、本能が警鐘を鳴らしていた。高橋晶が、高橋晶でいるために、敵の口を封じねばならない。半ば衝動に突き動かされるように繰り出した槍は、やはり敵には届かない。

「そこまで濃い《蛇》の血を宿しているのだから、血液に惹かれるのも無理はないわ。太古の地母神たちは生と死の連環を司っていたのだからね。恥らうことなんて何もない。本能に身を任せ、求めるままに喰らいなさい。そういう風に、その身体はできているんだから。試しに、あの神殺しの血でも舐めてみる? 新しい世界が見えるかもしれないわよ」

「ッ!」

 下がろうとする晶よりも速く踏み込んだ敵影が、手を伸ばす。ガードしようとする晶だが、敵の狙いは足払いだった。バランスを崩したところで、再び手が伸びる。今度は為す術なく、喉を押さえられ、押し倒された。晶の開いた口に、強引に指がねじ込まれ、背中を地面に打ち付けた衝撃で槍が手を離れて転がっていった。魔女の指先には、護堂の血液が付着しているようだ。咽るような鉄錆の味が、口内に広がった。

「んんぐう!」

「はいはーい。大人しくしなさーい」

「んーんー!」

「ふふふ、ほら、あの神殺しの味よ。しっかり味わいなさい」

 万力のような力で押さえつけられている。その上、このような醜態を晒してしまった。護堂の仇に、いいように弄ばれていることが悔しくて堪らず、しかし、現状を変えられないことに無力感を抱いた。情けなさで胸が苦しくなり涙が溢れた。

「アハハ! なに、泣いてんの? そんなに嬉しかった?」

 それすらも、相手にとっては遊戯の一環なのか。明確な嗜虐を露に、晶を嬲る。

「面白い玩具だわ。あの神殺しの趣向なのかしら? まあ、いいわ。ちょっと、内側を書き換えて、あたしのペットにしてあげ――――――ッ!?」

 晶の口から、勢いよく指が引き抜かれた。赤が混じった唾液が糸を引く。それが、自分のものなのか、敵のものなのかは分からない。晶は口の中を切っているし、

「ゲホッゴホッ」

「この――――――噛んでんじゃないわよ、木偶人形が!」

 玩具と呼び蔑んでいた晶に噛まれたことが、よほど気に障ったのか。ローブで身を隠した敵は、金切り声を上げて叫び、咳き込む晶を罵る。

「あー、もう。最悪。たかだか使い魔風情に噛まれるなんて。恥だわ」

 そう言いながら、事も無げに、ガツン、と晶の頭を殴った。

「う、ああ」

「今さら謝ったって許さないわよ。……徹底的に調教して、二度と逆らえなくしてあげるわ!」

 感情に任せて拳を振るう。ヒステリーを起こしているかのようだ。護堂を仕留めたときの用意周到さは鳴りを潜めて、欲求をむき出しにしている。とても不安定な精神構造をしているのか、それとも、護堂の心臓を飲み込んだことで、彼女が本来持つ『性』が表に浮き上がってきたのか。『まつろわぬ神』というには人に干渉しすぎる。だが、ただの呪術者というには強すぎる。その力は、神獣に匹敵するのではないか。

「あが、かは」

 身体を思い切り蹴り上げられて、晶は地面を跳ねた。脳震盪を起こしてしまったのか、視界が揺れてしまっている。うつ伏せに倒れたまま、荒れた呼吸を整えようと酸素を求めて喘いだ。

「痛みが快楽に変わるくらい優しく躾けてあげるわ。手足を摩り下ろされて悦に浸る変態に教育し直してから、街中に吊るしてあげる。人形にはふさわしい末路よね」

 狂ったように笑いながら、歩み寄ってくる敵影を、晶は霞む目で睨み付ける。

 距離が縮まるにつれて、相手の威圧が高まっていく。恐ろしい力を感じる。あのローブの内側に、いったいどれほどの呪力を内包しているのだろうか。

「今は大人しく、寝てなさい!」

 晶のすぐ傍にまでやってきた魔女が、足を上げた。晶を踏みつけるつもりなのだろう。だが、晶は、それを甘んじて受け入れるつもりは毛頭なかった。じっと地に伏して敵が明らかな隙を生むその時を見計らっていたのだ。

「御手杵。来て!」

「なに?」

 晶が叫び、敵はキョトンとして動きを止めた。まさか、相手に反撃する力が残っているとは思わなかったのだろう。

 晶の呼びかけに応えた大槍が、跳ね上がる。穂先を魔女の背中に向けて宙を飛んだ。

 人の扱う武器ではあるが、その穂先はカンピオーネが権能で生み出した《鋼》で形作られている。圧倒的な力を見せ付けてきたこのローブ姿の敵も、この槍だけは危険視していたのだ。

「く、こんなので、あたしが倒せるか!」

 虚を突かれながらも、反転し、迎撃に出る。足を下ろしてから飛びのくのでは遅いと判断したのだ。振り上げていなかった軸足を半回転させ、槍と向かい合うように体勢を変えた。必然的に晶に背を向けることになる。敵に背後を見せるのは、戦において悪手でしかないが、この魔女は晶を敵とも思っていない。だから、警戒心もなく背中を見せた。

 晶は、跳ね起きた。うつ伏せになっていたから、立ち上がるのも容易だった。痛む身体をおして駆使するのは、転移の術。

「ッ!?」

 魔女の顔は見えないが、息を呑んだことは理解できた。

 それもそうだろう。目の前に迫っていた凶器が忽然と姿を消せば、誰だって、目を見開くほど驚くに決まっている。

 気にかかるのは、消えた槍の行方。背後で、大量の風が、呪力とともに収束するのを確かに感じた。

「木偶人形、貴様!」

 振り向いたときには、すでに晶は槍を突き出していた。

 穂先に風が纏わりつく。渦巻く烈風。白銀の刃を取り巻く、無数のカマイタチが、一点に集中する。

 突き出される槍は、ローブのど真ん中に吸い込まれ、惜しげもなく、風を解き放った。

वा(バー)!」

 晶が口にするのは風天の種字。吹き荒れる風が、ローブを切り刻む。

「ああああああああああ!!」

 悲鳴をあげる魔女。受けた攻撃の衝撃に耐え切れず、大きく後方に吹き飛んだ。地面を転がる姿は、少し前の晶と同じようだ。

「はあ――――――はあ――――――」

 息は荒く、心臓は破裂寸前だ。晶は、それでも敵を見据えて槍を構えた。

「この、よくも。木偶人形のくせに」

「人のことを木偶人形木偶人形うるさいんですよ。わたしには高橋晶という立派な名前があります」

「は、はは。まさか、あんた。嘘でしょ、くく、あはは! 滑稽ね。本当に、滑稽だわ! そんなことだからあんたは木偶なのよ!」

 突然、腹を抱えて笑い出した魔女に、晶は不快そうに眉根を寄せた。

「どういう意味ですか?」

「さあ、どうだろうねえ。あんたが、あたしのペットになるって言うのなら教えてあげても―――――――」

 と、言葉を切った瞬間、その場に流星が降り注いだ。黄金の閃光は、派手に呪力を爆発させ、ローブを切り裂き、駅のホームを粉々に砕き割った。

「あ」

 晶が声を漏らした。見紛うことなどありえない。これは、まさしく護堂の権能だ。

 振り返る。

 視線の先に、護堂が立っていた。

 貫かれた胸から下は、鮮やかな赤に染まっている。しかし、その瞳は依然として力強い。

「そっか、若雷神」 

 なぜ、失念していたのか。護堂には死の淵からでも蘇ることのできる、奇跡のような回復力があるではないか。

 ストン、と晶は膝から崩れ落ちた。緊張から一気に解き放たれて腰が抜けたのだ。

「心臓抉られて復活するなんて、やっぱり神殺しは化物だわ」

 魔女は生きていた。纏うローブは形を失い、影か煙のようにその身を包んでいる。あのローブですら呪術で生み出したものだったのだ。

「あんたはなんだ? 神祖か? 兄の仇ってのは、どういうことだ?」

「さあ、どういうことでしょうね。答える義理はないわね」

「そうか。じゃあ、死んどけ」

 冷厳な口調で、護堂は槍を投げた。晶の使う槍と同じ形状なのに、その力は別格といってよい。さすがに、心臓を抉り出されたことは、温厚を自負する彼をして敵対象の抹殺を最優先させる事柄だった。

 一条の閃光と化した槍が、着弾。爆発する。

「さすがに神殺しと正面から戦う愚は犯さない。縁があればまた会いましょう。異国の神殺しと巫女、そして愚かな道化! 願わくば、あなた達の旅路に騒乱と不幸があらんことを!」

 不吉な文言を残して、黒いローブは霞と消えた。

 

 

「ありがとう、晶」

 へたり込む晶の隣に、護堂がやってきた。

「お礼なんて言わないでください。わたし、何もできなかったんですから」

 声がか細いのは、自らの無力を嘆いているからだ。そんな晶の頬を護堂は軽くつねった。

「ひたいです、せんひゃい」

「そんな顔すんな。お前のおかげで、回復する時間が稼げたんだ。晶がいなかったらどうなってたかわからん。とりあえず、今は胸を張ってくれ」

 護堂は晶の頬から手を離して、その手を頭に軽くおいた。

「先輩」

 晶は胸に迫る様々な思いで喉を詰まらせた。 

「う、うぅ―――――――」

 そして、泣いた。ついに、感情の処理能力が限界を迎えた。護堂が生きていたことで、安堵したから、抑えきれなくなったからだ。

 晶は、この時、実に数年分もの涙を流した。




さて、そろそろ春休み課題をしようか。
明日から頑張る暦二週目。さすがにヤバイ。

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