カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

37 / 132
三十七話

 白い彗星は大気を焼き払い、衝撃波を撒き散らしながら空に光の筋を刻み付けている。

 天馬を駆るのはギリシャ神話の大英雄ペルセウス。かの有名なヘラクレスの祖先でもある男だ。

 竜殺しの英雄の代名詞とされる彼は、生粋の戦士である。型を繰り返して学ぶ武芸ではなく、実戦の中で培った戦闘経験と勘を頼りにする武を好む。

 剣術のみならず弓術にも長けた彼だが、いかに芸達者であろうとも、敵対する剣士を射抜くことはできなかった。

 流星を思わせるほどの矢を上空から射掛けることすでに二桁。その悉くが、サルバトーレの身体のどこかに当たっているはずだが、傷ひとつ与えることができていないという現実に、ペルセウスは笑みを深くした。

「やはり、直接私の剣で斬り伏せる以外に、あの身体を砕く術はなさそうだな!」

 空を翔るペガサスに、呪力と鞭を入れる。

 ペガサスは、加速を続け、ついにはジェット戦闘機に匹敵するほどの速度となった。

 しかし、威力と速度を併せ持つこの攻撃でも、サルバトーレをしとめ切れない。なぜなら、あまりに深く踏み込んでしまうと、あの剣に容易く斬り伏せられてしまうからだ。そのために、ペルセウスの必殺は威力を殺さざるを得なかった。

 サルバトーレは戦闘開始から一歩も動くことなく、ペルセウスを待ち構えている。三次元的に高速移動するペルセウスをサルバトーレが捉えることは至難の業だ。しかしそれは、前述の理由から、サルバトーレを不利にするものではない。彼の防御は鉄壁であり、如何なる攻撃を受けようとも無傷でいられる。そして、その攻撃は一撃必殺を誇る無双の剣。剣の間合いに踏み込んでくれば一刀の下に切り裂くことだろう。

 ゆえに、ペルセウスは攻めあぐねている。

 彼の間合いと、サルバトーレの間合いは被っている。その上で、必殺という観点から見ればサルバトーレが勝っている。ペルセウスは速度で圧倒し、僅かな隙を作ったうえで、そこに全力を叩き込まなければならないのだが、その隙が見つからない。

「大したものだ」

 ペルセウスはペガサスの熱で焼け爛れた大地に佇む剣士を、称賛した。これまで、攻め込みながらもあの剣を潜り抜けることができず、仕方なしに剣の腹を叩くことで斬撃を避けていた。ペルセウスは、攻撃に出ていながらも最後の最後で防御に回らなければならないことを歯がゆく思っている。

 だが、それと同時に自分をここまで追い込んでいる敵手の存在を心から喜んでもいたのだ。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

「ヤツめ存外苦戦していると見える」

 アテナは、光の筋としか見えないペルセウスの動きを具に観察し、そう評した。

 サルバトーレ・ドニ。ペルセウス。どちらも因縁浅からぬ相手だ。可能であれば、二人纏めて己の手で殺しておきたいところだ。

「---------------ッ」

 アテナは身をかがめた。その頭上を、鉛色の刃が通り抜けていく。

「ふ、気の抜ける相手ではなかったな」

 アテナは美貌に微笑みを湛えて敵を見る。闇よりも深い闇を、さらに凝縮して結晶にしたかのような美しくも妖しい瞳で。

 

 波止場はすでに原型を失っていた。

 突き刺さる無数の刃は、すべて獲物を捕らえそこなったがためにうち捨てられたものだ。

 護堂の新たなる権能は、金属製の道具を自在に生み出すものだった。汎用性が広いのは彼らしく、その攻撃能力の高さも注目に値するだろう。

 とはいえ、この権能はあくまでも武器を生み出す、というだけのものだ。生み出される武器は《鋼》の性質をもち、神の扱う武具に等しいだけの格を有するものだが、如何せん、それを担う護堂が素人だ。どれほど、よく切れる剣を創ろうが、振るう人間が素人では、本来の力の一割も発揮できはしない。

 そこで、護堂がとった戦法は単純に創った武器を投擲するというものだった。

 両刃の剣を六挺生成し、射出する。装飾まで気にまわす余裕がないのか、柄と刃だけの簡素なつくりだが、そこに宿されている呪力は膨大だ。一挺だけでも一流の呪術者が張った結界を難なく斬り裂いてしまえるだろう。

 音速を超えて放たれた六つの刃のうちの五つをアテナは軽やかな身のこなしで避けた。まるで、放たれるよりも前から、どこに攻撃が来るのかを予測していたような動きだ。それでも、最後の一挺、護堂が意図的にタイミングをはずして放った剣は、絶対に外れないコースを辿ってアテナの眼前に迫っていた。

 交差は一瞬。

 響き渡るのは肉を切り裂き骨を砕く醜悪な音ではなく、鋼と鋼を打ち合う金属音だ。

 火花が咲いて、アテナの顔を照らし出す。

「ふふ」

 闇色の鎌を構えたアテナが妖艶に笑う。幼い顔立ちなのに、どことなく年上にも思えてしまう不思議な容貌。それはおそらく、地母神が持つ、三相一体の性質のためだろう。紀元前七千年のアナトリアから続く、地母神が持つ三つの相は、満ちて欠ける月の相であり、生と死を繰り返す生命の循環を示している。地母神が月と結びつくのは、三相一体の思想と月が結びついたためだ。

 最古の例は少女-母-老婆の相。処女から始まり、子を産む母となり、そして知恵を蓄える老婆へと変化する。

 ギリシャにおいては処女ヘーベー、母親ヘラ、老婆ヘカテーがそれにあたり、また、アテナ-メティス-メドゥサも三相一体の女神として挙げられている。

 今垣間見えたのは、メティスかメドゥサか。少女の顔とは思えなかった。

「《鋼》の武具を生み出す権能。たしかに厄介だが、あなた自身にそれを使いこなす技量がないのだな。なんとも粗雑な使い方をする」

「あいにくと、武芸はからっきしでな。火器登場以前の旧態依然とした戦いはできそうにないね」

 あっさりと認めた護堂は、剣を新たに五挺生み出して滞空させる。

 神剣と呼ぶにふさわしい威圧感を帯びているが、アテナほどの女神がたかだか五つの神剣に狙われたからといって怖気づくはずがない。

 あくまでも余裕の体で、これを見ていた。

 《鋼》はアテナにとっては天敵に等しいが、それを使うカンピオーネのほうが未熟では恐れる必要がない。問題は、このカンピオーネの素性が読み取れないことか。奇怪なことだが、知恵の女神として、敵の権能を目の当たりにしていながら、その正体が掴めない。なにか、素性を隠す権能を使っているのか。何れにしても、権能の数は一つ二つではないだろう。

「己の弱所を簡単にさらすとはな。戦士としては甚だ未熟か。だが、それでも油断するなと妾の戦神としての勘が訴えている。……ふふふ、面白い敵だ」

 サルバトーレのように、権能と技量を重ね合わせた戦士とは違う。あのカンピオーネの戦いは権能に頼り切ったものでしかないのだが、敵の隠れた実力が、霧か霞にでも覆われているようで読み取れず、警戒しなければならない。その警戒心が、アテナの戦いを消極的なものにさせていた。

 普段であれば難なく敵の正体を看破するこの瞳が、この知恵が、敵の正体を見抜けない。そのために、明確な攻略法が思い当たらない。

 ----------------面白い。

 声ならぬ声でアテナは言う。

 彼女は理知的で気高い戦士である。同じ戦神でも守護神としての側面を強く持つから、アレースのようにただ血と肉を撒き散らす下品な戦は願い下げだ。アテナが欲するのは知恵と力を出し切った戦争であり、決闘。力にのみ頼った殺戮ではない。

 敵に素性を誤魔化す頭があるのなら、こちらはそれを暴きたてよう。知恵を絞った戦いのほうが、ただぶつかり合うよりも性に合っている。

「ひとつ、聞いておこう。あなたの名はなんだ?」

「名前? 俺のか?」

 問い返す護堂に、女神は、ああ、と頷いた。

「これから倒す敵の名を知っておかなければなるまい。あなただけが妾の名を知っているというのも気分が悪い」

 護堂は、そういうアテナの提案の裏に、なにか戦略が隠れていないかを疑った。押し黙り、頭を動かすこと数秒。結局、特になにも思いつかなかったから、問われるままに名乗った。

「草薙護堂だ」

「草薙護堂。耳慣れぬ名だ。やはり異邦人。雲流るる東の果てを思わせるな」

 謳うように呟くアテナは、一瞬だけどこか遠いところを見ているようだった。だが、それも護堂が見逃してしまうほどの僅かな時間のことだ。

 鎌を構えるアテナからは、護堂の首を獲るという意思しか伺えない。

「では、いくぞ。妾が武具の使い方というものを教授してくれる」

 吐息のようなささめきに、必殺の意思をのせ、アテナは駆け出した。

 

 小さな身体から火山の噴火を思わせるほどに強烈な呪力が噴出した。

 

 あまりの苛烈さに、地面には蜘蛛の巣状の罅が入り、踏み込みに耐えられなかった地面が砕け散った。

「正面から、来るか!」

 護堂は待機していた剣に命令を出す。

 あの女神を止めろ、と。

 そして、剣は忠実に主の指示を履行する。夜闇を切り裂く五つの閃光は、音速を超えて女神に殺到する。

 だが、所詮は五つの脅威。数多くの戦場を駆け抜けたアテナにとってはありふれた攻撃でしかない。

「ふん!」

 顔を逸らすことで一撃を避け、掬い上げる鎌で三つを落とした。身体を半回転させることで残りの二挺をやり過ごす。目標を捕らえられなかった剣は、遥か後方に突き立ち、地面を抉った。

「その首を貰うぞ、草薙護堂!」

 そして、女神の爆発的な加速は、護堂の予想の上を行き----------------十メートルの距離が、一瞬にして詰められていた。

「ッ!」

 思考に先んじた土雷神の権能が、護堂の命を繋ぎとめた。

 横薙ぎの刃は空を切り、目を見開くアテナの背後に現れた護堂が剣を振りかぶる。

 たとえ護堂が、剣の素人であろうとも、振り下ろすだけならば簡単にできる。

 獲った!

 そう思ってしまったからか、

「甘い!」

 本当に甘く入った剣はアテナをしとめるには至らず、彼女の大鎌に受け止められて、

「ぐ……!」

 同時に、身を捻ったアテナのかかとは、護堂の脇腹にめり込んでいた。

「かはッ!」

 恐ろしいまでの怪力だ。シチリア島を投げ飛ばした伝説は伊達ではない。大の男が、ただの回し蹴りで十メートルは跳ね飛ばされた。

 息が止まり、視界に星が飛んだ。

 ヤバイ、という感じがすれば大体当たる。護堂の危機察知能力は同朋よりも上なのだ。よって、今、まさにその首を刈ろうとする鎌を見ることなく避けることができた。

「む?」

 いぶかしみながらも手を止めようとはしないアテナの斬撃を、バックステップで護堂はかわした。

「その《鋼》を攻略してみせよう」

 アテナはそう宣言し、鎌を護堂に振り下ろした。

「我は鉄を打つ者。我が武具を以て万の軍をまつろわせよ!」

 護堂の正面に現れたのは円形の楯。アテナの矢を防いできた《鋼》の防壁だ。その防御力は古の城壁に匹敵するほどだ。

「う、わ」

 護堂は慌てて、後退する。

 鎌の切っ先と触れた楯が、まるでバターを切るかのように両断されたのだ。

 アテナが笑い、護堂が訳が分からず目を見開いた。

 だが、アテナが止まらないのであれば、護堂は防御するしかない。なぜか楯はダメだった。けれど、剣はどうだと、二挺の剣を創った。

 アテナが鎌を振るうよりも早く生成を終えた護堂は、柄を掴んで刃の部分をクロスした。

 十字を描く刃の重なり合う部分で、闇の鎌を受け止めた。

「重い----------------ッ!」

 手首が折れそうな衝撃に、護堂は奥歯を噛み締めた。

 だが、受け止めることはできた。

 楯が切り裂かれたのは、生成過程で集中力がたりなかったためだろうか。少しほっとした瞬間に、視界の黒が増殖した。

「なんだァ!?」

 鎌との接点から闇が溢れていた。

 闇が広がるにつれて、鎌の刃がズルズルと護堂の刃に斬り込んでいる。

『弾け!』

「ぐむ!?」

 言霊を至近距離で受けたアテナが後方に飛ばされる。そのおかげでなんとか剣を斬り落とされずに済んだが、これはいったいどういうことか。

 手持ちの剣を見て、護堂はその正体を知った。

「錆び付いてる。クソ、そういうことか」

 二挺の剣は、どちらも錆びに覆われていた。特に鎌と触れ合っていた部分は腐敗が進んでボロボロだ。これでは女神の鎌を防げるはずがなかった。

「何も驚くことはないだろう。妾は冥府の女王だぞ? 万物に等しく死を与える神が、剣を朽ちさせることができぬとでも? それこそ、短慮の極みだぞ」

 頬肉を吊り上げて、アテナは笑う。

「あなたの権能も、今ので視えた。ガブリエルだな。妾の神殿を奪い取った忌々しき宗教に現れる天使。バビロニアに起源を持つ、神の言葉を伝える者!」

 言霊をその身に受けたからか、アテナの超越した知覚力が護堂の権能を詳らかにしてしまった。

「妾の霊視を邪魔立てしていたのもこの権能だな。ガブリエルの言葉は、第六感に働きかけるものだからな。正体さえ掴んでしまえば、こちらのものだ。あなたの力、すべて表に引きずりだしてやろう」

 アテナは凶悪に微笑んだ。敵の正体を知っているのか知らないのかでは、戦いに対する備えがまったく異なる。アテナは護堂の能力の尽くを見極め、対策をとるだろう。敵を知り、己を知ることが、戦いの基本であるならば、アテナは今まさに、勝利の地盤を磐石にしようとしているのだ。

「ウルスラグナにばれたわけじゃねえし、アテナに正体を知られたからといって困ることはない」

 そう呟いて、護堂は心を落ち着かせる。

 相手がウルスラグナであれば、かなり致命的な情報漏洩でも、アテナには言霊の剣のような相手の正体を知っているからこそ発動する権能があるわけではない。アテナの権能は石を操り、闇を呼び、死を与えること。どれも手持ちの権能で防げるものだ。だから、焦る必要はない。

 今、護堂に求められているのは、集中力だ。ジェットエンジンの音すら気にならないくらい集中をしなくては、剣は脆くなる。

 アテナが飛ぶように走る。足元の悪さなど、気にも留めない。ささくれ立った地面は、彼女の疾走を止めるほどの障害にはならないのだ。

 護堂はそれを待ち構えるように立っている。

 余計な思考は必要ない。今、為すべきことに全力を傾ける。心の中からわき出でてくる情報に逆らわない。

 水減し、積沸かし、下鍛え、積沸かし、上鍛え---------------そういった単語が湧き出てくる。

 闇に打ち勝つためには、それ相応の武器でなくてはならない。呪力をただ単純に込めるだけでなく、武器として優れたものでなければ、アテナの鎌に対抗できない。

 幸いにして、この権能は日本が誇る鍛冶製鉄神から簒奪したものだ。武器に関しては超一級品の知識がある。限界まで、情報を引き出して、なぞる。権能となったからには、自分の力だ。できないことはない。

 一目連が最後の最後で生み出した、精魂を込めたというあの刀を再現するのだ。

「オオオオオオオオ!」

 喉を引き裂く気合を発し、ただ一振りの刀を創る。

 呪力が光の粒子となって腕の中に集まり、太刀となる。反りの入った刃は三日月を思わせた。

「む、ほう?」

 アテナが感心するのも無理はない。アテナの神力を凝縮した死の鎌は、護堂の生み出す如何なる守りも朽ちさせて殺すはずのもの。それが、ただ一振りの刀に受け止められれば、戦神たるアテナは感心せずにはいられない。

「ふふ、なるほど。東の国の製鉄神か! 面白い権能だな!」

「そう言ってもらえると、嬉しいね。これで、あんたの鎌も攻略したってことかな?」

 護堂の刃はアテナの鎌と鍔迫り合いをしていながらも、その神力に侵食されることなく持ちこたえている。精密に作り上げれば、より完成度の高い武器を作ることができるということの証左となった。

「得意になるなよ草薙護堂。あなたに剣を振るう技術がなければ、その武具とて宝の持ち腐れだ!」

 アテナは鍔迫り合いのまま、一歩足を踏み出した。

 それだけで、地面が砕けた。地母神としての力なのか、彼女の力はまさに怪力。護堂が力で太刀打ちできるものではなく、たたらを踏んで、後退させられる。

「う、く、この!」

 アテナの攻撃はどれも必殺だった。強く、速く、的確に護堂を殺しに来る。鎌を構成するのはアテナが生み出した闇であり死の呪詛で、かすり傷でも体内に毒が入り込む仕様になっている。護堂のとるべき手段はかわすか刀で受け止めるかだった。

 反撃の隙はない。もとより近接戦闘の技術では天と地ほども差があるのだから、護堂から攻撃に踏み切れば、そのときこそ護堂の首は胴体と別れをつげることになるだろう。

 では、技術に圧倒的な差があれば、カンピオーネを討ち果たすことができるのだろうか、という疑問も湧き出てくるだろう。彼らの肉体は人間よりも頑丈だが、大騎士以上の位階を持つ者であれば、その防御を斬り裂いてしまえる切れ味を剣に与えることもできるのだから、技術さえあれば、彼らの首を落とすこともできるのではないだろうか。

 だが、それは大きな誤りであることは、長い呪術の歴史の中で培われた経験則として欧州呪術集団の中に刻み込まれている。

 カンピオーネは常識の埒外の存在である。それは、単に権能が強大で挑んだところで意味がないとかそういう次元の話ではないのだ。戦いにおいて、単純な技術の差はカンピオーネを死に至らしめるものではない。もしも、技術云々でカンピオーネを討ち果たせるのであれば、魔王などと呼ばれることはありえないのだ。

 とてつもなく不利な状況下に置かれ、絶えず攻め込まれていながらも、護堂はいまだに五体満足の状態で立っている。

 頭一つ飛びぬけた危機察知能力と目と反射神経を活用し、アテナの攻撃をいなし続けてきたのだ。護堂の直感は瞬間的な未来予知にも等しい。アテナが攻撃してくるまえに回避行動に移ることができていた。

 アテナの攻撃は苛烈を極めた。

 ガブリエルの『強制言語』を第六感の強化に回し、ひたすらに刀で防ぐことでなんとか均衡を保っているが、逆に言えば、それ以外の手段に出られないのだ。土雷神で撤退しようにも、発動の瞬間に斬られる、という確信があった。

 十五合を打ち合うと、刀が僅かに刃毀れした。

 三十合に達したときには、内側に曲がり始めた。

 刀に呪力を流し込んで死に抗いながらも、着実に汚染は広がっているのか。護堂が刀の基本的な使い方を習得していればこんなことにはならなかっただろう。日本刀は正面から相手の武器を受け止める類の武具ではないのだ。闇雲に振り回したところで、刀の寿命を短くするだけだ。

「よい武器を創ったものだが、それもここまでのようだな!」

 アテナにも確信めいたものがあったのだろう。振り下ろす鎌はその重量と斬撃力で、終に護堂の刀を半ばから真っ二つにしてしまった。

 打ち上げられた切っ先が、月光を反射して光っている。

「終わりだ! 草薙護堂!」

 アテナが、戦いの終わりを宣言する。事実、アテナの鎌が護堂を斬れば、それで護堂の命は終わりを迎える。

 迫り来る凶刃を前にして、護堂がとった行動は、回避ではなく攻撃だった。

『弾け』

 アテナまでの距離は僅かに一メートル五十センチ。言葉という性質上、対象との距離が近いほど効果が増していく言霊の権能だが、アテナはさほど気にしなかった。

 これは外部から襲い掛かる呪詛のようなもので、そうとわかってしまえば対処することは難しくない。『まつろわぬ神』は呪術的外圧には滅法強い存在だ。言霊が身体に襲い掛かろうと、その言霊ごと護堂を斬り殺してしまえばいいのだ。

 そして、鎌を振り上げた右肩に、予想外の痛みを受けて、アテナの身体は大きくのけぞった。

 

「く、これは……」

 アテナは初め、何が起こったのかわからないという表情で右肩を見た。

 肩から流れる血は、白いシャツに大きなシミを作っている。

「咄嗟にこのような真似をしてくれるとは。つくづく神殺しは生き汚い」

 アテナは、この戦いが始まってから笑みを浮かべ続けていたが、ここに来てその笑みをさらに深くした。

 それは、自分に傷を与えた敵に対する賞賛の笑みだ。この敵が、ただ自分の力に屈して頭を差し出す雑兵でなくてよかったと、この敵を打倒することは己の武威を示すことになるのだという確信を得た今、笑わずにはいられなかった。

「まさか、妾が斬りおとした切っ先を飛ばしてくるとはな」

 アテナの肩に刺さっているのは護堂の刀。それも、つい今しがたアテナによって破壊された刀の上半分だった。

 護堂の言霊が干渉したのは、アテナの身体ではなく、空中に打ち上げられた刃だったのだ。この刃自体が《鋼》の属性を帯びた神具である。アテナの身体に傷をつけることは造作もないことで、護堂を獲ったと油断したアテナの至近距離から、弾丸を思わせる速度で放たれれば防ぐことなどできはしない。

 護堂はこの隙をついて土雷神で距離をとった。三十メートルは離れたか。

「今、ここで俺をしとめなかったことは失策だったな! アテナ!」

 再出現と同時に、護堂は宙に手を翳す。

 それにあわせて、頭上に煌びやかな武装が展開される。その数は実に三十挺。剣であり、槍であり、矛であるそれらは、全てが《鋼》であり、アテナを打倒するだけの威力を秘めている。

「なに!?」

 アテナは驚愕に目を見開いた。

 身体を貫く殺気は、目前の神殺しが掲げる武器からだけではない。気がつけばアテナを取り囲むようにして、刃が整然と並んでいたのだ。

 それらは戦いが始まってから、護堂が創っては撃ち出した剣の群れ。敵を仕留めきれずに打ち捨てられていたはずの武器は、護堂の指示にあわせて息を吹き返したのだ。

「喰らえアテナ! これはすべて、お前を斬り裂くための剣だ!」

 号令一下、刃がアテナを襲う。

 その肉と骨をズタズタに引き裂き、原型をとどめないほどに破壊しつくすために。

 砂塵を巻き上げ、瓦礫を吹き飛ばし、呪力が爆発した。あまりの破壊力のために、周囲には突風が吹き荒れ、遠く離れた家の窓を叩き割った。

「なんだ、これ」

 だが、それほどの攻撃を叩き込んでおきながら、護堂は勝利したという気分にはなれなかった。アテナの呪力は今でも健在で、それどころか強くなっているような気さえする。

 そして、吹き上がる砂塵と瓦礫は、内側から膨らむ圧力で、弾き飛ばされた。まるで爆弾が爆発したかのような衝撃に、護堂は腕を交差して視界を守った。

 消し飛ばされた粉塵から現れたアテナを、護堂は見た。

 

 

 

 その攻撃は、アテナにとっても予想外のものだった。

 考えなしにひたすら射出していたように見えた刀剣の使い方は、敵の権能が無尽蔵に武器を生成できるということから考えればベストであるが、剣そのものの使い方としてはいまいちだ。

 おまけに外れればそれまでで、射出されてしまえば方向転換することもできないのだから、避けることは簡単だった。当たればまずいが、当たらない方法はいくらでもあった。

 そうして、敵が無駄撃ちして、つもり積もった剣の群れ。なんの意味もないと捨て置いたそれが、ここに来て一斉に切っ先を向けてくるとは思いもしなかった。

 アテナはわずかばかりの忘我を己に許し、そして、喜悦をあらわにした。

 してやられた、ということに、アテナは満足していた。相手は戦術家だ。サルバトーレ・ドニとは異なる戦いをする。ただ愚直に力をぶつけ合うよりも、ずっと好ましい。

「さすがに、これを受ければ妾も危ういか」

 目測だけでも六十を超える《鋼》の刃。危ういを超えて、肉片一つ残さず消滅するだろう。だが、今のアテナにはその運命は訪れない。

 降り注ぐ剣群を前に、アテナは呪力を高めて力を振るう。

「さあ、アイギスよ。妾の声に応え、その真の力を振るうがよい! ギリシャ最高の楯は、最強の矛でもあるのだということを示せ!」 

 視界が歪む。

 音が消える。

 アテナの呪力に犯された風が渦巻き、圧縮され、小柄な少女を包み込んだ。

 アイギス。

 アテナが持つ、最強の楯の名である。それが、その名の通り、あらゆる災厄を弾く楯であるのなら、たかだか六十程度の刃を押し返せないはずがないのだ。

 敵が敷いたこの罠を、アテナの風が駆逐した。

「クハハハハ! 草薙護堂よ。認めよう。あなたは妾の手で殺すべき神殺しである!」

 護堂がそうしたように、アテナも宙に手を翳す。

 もはや、風はアテナの思いのままだ。一先ず、邪魔な粉塵と瓦礫を吹き飛ばす。

 アテナは、視界を塞ぐあらゆるものを一息で取り払い、仇敵をにらみつける。

「興が乗ったぞ。今より、我が最強の武具たる、このアイギスの本来の力を見せてくれよう」

 アテナが手を振り下ろすのと、護堂に雷撃が襲い掛かるのは、ほぼ同時だった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。