「まあ、そういうことで決闘は二日後になった」
「何がそういうことなんですか!?」
皆が皆、一斉に叫んだ。
あわやナポリを舞台にしてのカンピオーネ対『まつろわぬ神』の戦闘が勃発しそうになったというところで、二柱の神が何故か撤退した。
それでよかったと一息ついたところで、無事帰ってきた護堂がそんなことを言うのだから、半ば反射的にツッコんでしまったのは無理もないことだ。
「さすがは、先輩ですね。旅先では必ず厄介ごとに関わる」
「そういう星の下に生まれてしまったのでしょうか。カンピオーネになられたからなのか、それともこういう方だからカンピオーネになったのか……」
呆れたと言わんばかりの表情で、晶と祐理が護堂を見ている。
今回の件は半ば覚悟していたこととはいえ、この展開は不本意なものなのだ。だから、護堂もそんなふうに言われるのは心外だった。
「別にそこまで言わなくてもいいじゃないか。俺だって、好き好んで首を突っ込んでいるわけじゃないし」
やや拗ねたような言い回しをすると、晶は失笑した。また、護堂は眉根を寄せる。どこか、おかしなところがあっただろうか。
「とりあえず、宿に戻ってから対策を練りましょう……」
その様子を眺めていたリリアナはため息をついてそう言った。
それから歩いて三十分ほどかかるところにあるホテルに向かった。本来の予定であれば車で移動していたところなのだが、一連の騒動でただでさえヒドイ渋滞が、さらに悪化してしまったために、歩いたほうが早かったのだ。
日本から持ってきた荷物はすでに部屋に運び込まれていた。
祐理と晶、そして護堂はそれぞれがワンルームを与えられていた。東京のビジネスホテルとは比べ物にならないくらいの豪華な作りの部屋だった。赤いカーペットに金色のシャンデリアがついた部屋は、明らかに学生が寝泊りする部屋ではなく、逆に落ち着かなかった。
護堂の部屋は六階にあった。ベランダには小さな白いテーブルとイスが置かれていて、そこからはナポリの街が一望できた。
部屋に入ってからすぐに護堂はシャワーを浴びて身体の汚れを落とした。
夏のイタリアは下手をすれば日本よりも気温が高い。
地下神殿は冷えていて快適だったが、外は十分も歩けばそれだけで汗を流しているということになる。
今、リリアナの仲間たちは、竜の出現という大騒動を隠蔽するためにナポリ中を飛び回っているという。原作と違って日が昇っているころに現れたために、目撃者が非常に多く、記憶消去はほぼ不可能だという。よって、彼らは、あくまでも旅行会社が企画した出し物だったということにすることで竜の存在を実状を暈し、光の柱と崩落した道路に関してはガス爆発として片をつけた。
かなり無理のある説明ではあるが、それに関して文句をつける人間には個別に対応すれば言いだけのことだ。不特定多数の大衆は、自分に危害が加わらなければこの程度の問題は気にも留めない。忘れられて消え去るだけだ。
シャワールームから出ると、窓の外は薄暗くなっていた。時計の針は六時半を指している。照明が室内は淡いオレンジ色に染めていた。
「草薙さん。お時間は大丈夫ですか?」
ドアがノックされ、外からは祐理の声が聞こえた。
携帯電話でメールの確認をしていた護堂は大丈夫だ、と返事をした。
「そろそろ、お食事の時間ですので、五階までいらしてくださいとのことです」
「夕食は、五階だったっけ。……わかった、今行くよ。ありがとう、万里谷」
護堂は髪が乾いていることを確認してから部屋の外に出た。そして鍵を閉め、五階のレストランに向かった。
夜景を楽しむことのできるレストランは、護堂たちの貸切状態だった。そのことに驚かなくなったことに驚いたのは他ならぬ護堂である。
テーブルは円形で、一つにつき二人が向かい合う形で座ることになった。護堂の正面にはリリアナが座った。祐理と晶は不服そうにしながらも、隣のテーブルに座った。
「先輩。それってワインですか?」
「ああ、そうだぞ」
護堂のグラスに注がれている赤ワインを見て、晶が尋ねてきた。
「飲めるんですか?」
「破天荒な一家に育ったおかげでな。人並み以上にアルコールは得意なんだ。静花もいける口だぞ」
「静花ちゃんもですか」
「アイツは、ウィスキーをそのまま平気で一瓶開けるからな。将来はかなりの怪物になるだろうな」
現中学三年生の恐るべき臓器に戦慄したのはいつのことだったか。
日本における飲酒年齢は二十歳だ。ばれればかなり危ういものだが、イタリアでは十六から酒が飲める。護堂はイタリアにいる限りにおいては飲酒ができるのだ。
晶は興味深そうに眺めていたものの、結局は水だけで過ごすことになった。まだ十五歳ということも精神的な枷になったのだろう。
港から上がる新鮮な魚介類とパスタに舌鼓を打った後、本格的に今後の話を始めた。
『まつろわぬ神』に対処できるのはカンピオーネだけ。ゆえに、高位の呪術者が何人援護に集まろうと、それは足手まといを増やすことにしかならない。よって、この場にいるのは、護堂とともに日本からやってきた祐理と晶、そして、このナポリに呼び寄せたリリアナだけだった。
とはいえ、結局のところ、護堂が戦うというところは決して変わることはなく、護堂の権能が原作のように相手の能力や経歴を詳らかにする必要性のないものであるから、会話の内容もそれほど深いものにはならない。
目下のところ、最大の問題は、サルバトーレがどこに流されたのか分からないということだった。
護堂が敵側に出した条件はただ一つ。二日後にサルバトーレとともにあの波止場までやってくるから、そこで決着をつけようというもの。それによって、とりあえず状況を整理し、心の準備をする時間を作ることができた。あとは、市民や観光客の安全を確保するだけの時間が足りるかどうかだが。
「それに関しては我々が何とかいたします。不幸中の幸いか、例のガス漏れ騒ぎで、このあたりは騒然としましたから、そこから誘導すれば戦闘区域から遠ざけることはできるかと思います」
リリアナが胸を張ってそういってくれたので、護堂も心置きなく戦うことができる。
戦う場所を波止場にしたのは、極力家や文化遺産を破壊しないようにするためだった。ペルセウスが文句をつけてくるかもしれないが、神様の都合を人間が聞いてやる必要もない。
なんとかして、サルバトーレを見つけだし、交渉のテーブルに着かせる。
「サルバトーレのヤツがどこにいるか分からないと、こっちは一人で戦うことになりかねないっていうことでもあるから、明後日の夜までになんとしてでもアイツを見つけ出しておかないと」
「しかし、この広い海洋上でどのようにしてあの方を見つけましょうか? あれから音沙汰もないのですよね?」
と、祐理。
リリアナは頷いて、
「ああ。しかもあの方の『鋼の加護』は肉体の性質まで鋼に変えてしまう。呼吸の必要がない上にその重さで海底に沈むことも考えられる」
「え゛、さすがにそれはないんじゃないですか? そんな油虫みたいな生命力……いや、あり、うる?」
「晶。俺を見て納得するとはどういう了見だ?」
「あうぅ。ごめんなさい。別に先輩が油虫というわけではなく……」
「晶さん。草薙さんの生命力は《蛇》の力が大きいのですから、どちらかと言えば蛇でしょう」
「ははは、言うなあ、万里谷。万里谷の中では俺は蛇か!」
「あ、いえ、そういうことではなく。すみません。言葉を誤りました」
申し訳なさそう恐縮する二人と、つっこみを入れる護堂を傍から見ていると、王と臣下というよりももっとフラットな関係性に見える。先の晶の発言もそうだが、普通、間違っても王をゴキブリには例えない。陰で言うことはあっても真正面からは絶対にいえないことだ。それがここではまかり通っている。そのことを興味深そうにリリアナは眺めていた。
ごほん、とリリアナは空咳をした。いつまでじゃれているんだという非難が僅かばかり籠もった空咳に三人は現実に帰って押し黙った。
半眼でジロリと見渡した後、リリアナが口を開く。
「さて、それでは始めましょ----------------」
と、リリアナがやっと喋り始めようとしたときだった。
「あら、やっぱりここにいたの」
リリアナから見て背後。レストランの入り口にいるはずのない第三者が立っていたのだ。
護堂は、あ、と声を漏らし、リリアナは目を見開いて唖然としている。
蜂蜜を溶かし込んだかのような黄金の髪と透き通っているかのようなシミ一つない肌。年齢ゆえに幼さは残るものの、大人のモデルと比較しても遜色ない美貌だ。すでに少女から女性へと変貌しつつあり、客に媚を売る可愛らしさとは無縁。知性と自信に溢れる赤と黒の騎士。
「エリカ・ブランデッリ。……あなたがなぜここにいるッ!」
彼女の名はエリカ・ブランデッリ。
リリアナの所属する《青銅黒十字》のライバル組織である《赤銅黒十字》に所属し、大騎士の位階とイタリア人騎士筆頭たる『紅き悪魔』の称号を得ている天才騎士だ。
このホテルは《青銅黒十字》の系列である。だから、リリアナとしては、ライバルであるエリカが平然とここにいることに悪党に聖域を踏み荒らされた神官のような気分で叫ばざるを得なかった。
「リリィ。人がいないのをいいことにそんな風に大声を上げてはいけないわ。淑女として恥ずかしいわよ」
リリアナの抗議の声をそよ風とも思っていないのか、まったく余裕を崩さずに鷹揚に受け流したエリカは、そのまま護堂たちの座るテーブルにまで歩み寄り、こともあろうに護堂の隣に腰掛けた。イスをどこかから取り出していたことに、今の今まで気がつかなかったのはさすがの手際である。
「相変わらずわたしの探知に引っかからないんだもの。このわたしが足で探す男はあなたくらいのものよ」
エリカが隣に来たとき、仄かないい香りが漂ってきた。嫌味にならない程度の香水も、淑女の嗜みだといわんばかりだが、その香りも、エリカという少女を引き立てるものでしかなかった。
「ど、どういうつもりだ!?」
「どういうつもりって、座っただけじゃない、リリィ。あなた、まさかこのわたしを立ったまま放置するつもり?」
「そういうことではなく、なぜエリカが平然と護堂さんの隣に座っているのかということだ!」
リリアナがテーブルを叩き、エリカに指を突きつけた。
エリカは怪訝そうな表情を浮かべる。
「あまり魔術師が指を人に向けるものじゃないわ。品がない上に妙な勘違いをされてしまうこともあるもの」
エリカの指摘を受けて、とりあえずリリアナは手を下ろした。人を指差すのは礼儀が悪いといわれることだが、それだけでなく西洋には指差しで人を呪うガンドという呪術がある。呪術を心得ているからこそ、指を向けられるのは不愉快を通り越して警戒してしまうのだ。たとえ相手が幼馴染であろうとも、任務によっては剣を交える仲なのだから。
「それで、あなたがわざわざここに来た目的は何だ」
「何って、それはもちろん護堂に会いに来たのよ。ほかになにがあるって言うの?」
エリカは物怖じすることなく、即答した。
表に知られていないことではあるが、護堂はエリカと今でも交流がある。頻度はリリアナほどではないが、情報の交換なども行っている。それを表ざたにしないのは、今回のリリアナのような騒動に巻き込まれる恐れがあるからだった。サルバトーレに目をつけられれば、どうなるか分かったものではない。それをエリカは親友の苦労を眺めて再確認したのだった。
「ここはナポリ。別に《青銅黒十字》だけが、この街に根を張っているわけじゃない。わたしたち《赤銅黒十字》だって支部を置いているわ。今回、護堂がこの街に来たのなら、面識のあるわたしが派遣されるのは火を見るより明らかでしょう?」
正論だ、とリリアナも認めざるを得ない。
そも、海外のカンピオーネを招きいれたのは《青銅黒十字》であるが、その影響を被るのは下手をすればイタリア全土である。草薙護堂の人となりは極東の日本での活動以外は確認されておらず、また、彼の傘下におさまっているという正史編纂委員会が意外なほどに曲者だったということで情報が流布していないのだった。
だから、他のカンピオーネと違い比較的温厚であることは知られていても、それがどの程度のものか判断がつかないのだ。触らぬ神に祟りなし。多くの結社は護堂を監視するにとどめて直接的な接触は《青銅黒十字》に任せきりにしていた。
「ふふ、様々な結社の方々が遠巻きに窺っておられるけど、よからぬ魂胆が見え隠れしているわ。例えば、ここで護堂が暴れだせば、その責任を『青銅黒十字』に押し付けることもできる、とかね」
「暴れたりしねえし。失礼な奴等だな」
グラスを傾けながら、護堂は顔をしかめた。いまだ顔が赤くなっていないところを見ると、体質的にも相当アルコールに強いことが分かる。
「そ、そんなことはどうでもいいですけど、あなたは先輩の何なんですか!? さっきから気安く呼び捨てにしてますけど、この方がどのような人か分かっているんですか!?」
堪らず晶が詰め寄る。それでもエリカは堂々としていて、一分の隙もない。むしろ、詰め寄った晶を妹の我侭を笑顔で許す姉のような面持ちで見つめている。
「たしか、あなたは高橋晶さんだったかしら?」
「え、はい。……そうですけど」
名前を知られていたことで、晶は勢いをそがれてしまった。
「なぜ護堂を呼び捨てにしているかと言うと、それは、以前会ったときに彼がそれを許したからよ。ほら、護堂って、あまり人に謙られるのが好きじゃないでしょう。王に最もよい接し方をするのも、彼らと関わる上での基本なのよ」
敬意を示しすぎて不快感を与えては本末転倒だとも付け加えた。
西洋人らしく、エリカは晶の目を見て話す。しかし、日本人たる晶は目を合わせることが苦手で、おまけに眼前には自信に溢れる超絶美人。気圧されてしまうのも無理はなく、たじろいでしまった。
「で、でも……」
「ところで、あなたこそ護堂の何かしら? わざわざイタリアまで付いてくるところを見ると、愛人だったりする?」
「あ、愛人!?」
瞬間、護堂はワインを吹きそうになった。晶は素っ頓狂な声を出して真っ赤になり、激しく首を振って否定した。
「あらそう。じゃあ、そちらの方がそうなのかしらね。護堂もそういう関係の方がいるのならちゃんと教えてくれればいいのに」
そちら、というのは祐理のことだった。
不穏な空気を憂いながら見守っていたところに流れ弾が飛んできて祐理は跳ね上がりそうになった。
「ち、違います。わたしと草薙さんはそのようなふしだらな関係ではありません!」
はちきれんばかりに脈動する心臓を押さえて、祐理は強く否定した。それでも、否定したときに心の内の隅っこに自分でもよくわからない重い感情が湧き出でてきたことに気づかなかった。
エリカは、祐理を見て何を思ったのか、それ以上は祐理に何かを言うことはなかった。
「そう、ということはまだ護堂には恋人も愛人もいないということなのね。それはよかったわ。わたしたちの関係を変に疑われてしまっては、後々面倒になってしまうものね」
と護堂を流し目で見ながら、あえて『関係』のところを強調するところが、エリカの性格を如実に表している。
「せ、先輩。関係って、どんな……?」
「草薙さん。これはどういうことですか?」
すっかりエリカに気圧された晶は弱弱しく、祐理は笑みを浮かべて尋ねてくる。
「はあ、エリカ。あまり、からかわないでやってくれ。二人とも本気にしてしまっているだろ?」
「おかしいわね。わたしは別に嘘をついているわけではないのだけれど」
「言い方次第では誤った意味で相手に伝わってしまうことくらい理解しているだろうが」
エリカは政治的な方面に非常に強い。騎士というよりも秘書官という性格が強いのだ。その彼女だから、話術はお手の物で、真実しか言っていないにも関わらずに、相手にまったく違う意図として伝えることすらも可能としている。言葉だけでなく、その使い方、強調、雰囲気なども簡単に支配できてしまうのだ。
「ま、心配しなくても大丈夫よ。わたしと護堂は言ってみればビジネスパートナーみたいなものよ。深入りするつもりはないわ」
と、エリカはあっさりとそう言った。
エリカの名は祐理も晶も聞いたことがある。なにせ、草薙護堂というカンピオーネの存在を賢人議会に最初に報告した人物だ。つまりは、護堂と最初に接点をもった呪術関係者ということになる。そういう意味では、祐理も晶も新参であり、エリカの言を真実とするならば、小まめに連絡を取り合っていたということでもあった。
そこは、祐理も晶もなんとなく、気に入らなかった。
「それで、結局あなたは何をしに来たんだ? 護堂さんに挨拶がしたいだけならもういいだろう。わたしたちはペルセウスとアテナという二柱の神への対策で忙しいんだ」
と、リリアナが言うと、エリカはワイングラスに赤い液体を注ぎながら、
「もちろん、わたしも世間話に来たわけじゃないわ。ナポリの危機はイタリア全土の危機でしょう? ただでさえ不景気が続いているというのに、最大級の観光地が廃墟になるのは困りものよね。わたしはね、他の結社の小心者とは違う。騎士としての誇りがあるわ。この危機を見て見ぬ振りはできないの」
これで半年前のエリカであれば、ペルセウスに単身挑んでいたかもしれない。あの時のエリカはまだ『まつろわぬ神』の脅威を知識としてしか知らず、無謀だったからだ。
「つまりは、協力の申し出か?」
「そうね。ただし、《青銅黒十字》との協力ではなく草薙護堂への協力よ。そのほうがあなたもいいでしょ、リリィ」
「ふん。別にわたしには、あなたの協力は必要ないからな」
《青銅黒十字》だけでも十分解決できるという意気込みを感じさせる答えだった。もちろん、エリカもそれを予期していたのだろう。あくまでも笑みを崩さない。そもそも、エリカの交渉相手はリリアナではなく護堂だ。リリアナがどのような答えをしようとも、護堂が頷けばそれで決着する。ゆえに、ここでのリリアナの答えにはさほど重要性はない。
「それで、協力というけど、それはつまりなにかしらの有益な情報があるということか?」
護堂はエリカに尋ね、エリカは頷いた。
優雅にワイングラスに口をつけ、僅かに唇をぬらす。
「もちろんよ。そうでなければ、ここには来ていないわ」
「それは心強いな。それで、それはどんな情報なんだ?」
エリカは太陽のように見えて蠱惑的な笑顔を見せる。
「サルバトーレ卿の現状とかは今一番知りたいことじゃないかしら?」
「……知っているのか?」
「ええ。さっき、うちの魔術師が知らせてくれたわ。さて、この情報の価値はどれくらいかしらね」
「むう……」
エリカの情報を受け取ることで、護堂が得られる利益は大きい。とはいえ、エリカが言うように護堂と彼女との関係はビジネスライクであるから、こちらにも支払い能力がなくてはならない。問題は、この情報への対価をどうするのか、ということだが、
「エリカ、貴様、護堂さんに情報を売りつける気か!?」
リリアナが抗議する。エリカはそんなリリアナに今度は視線を向ける
「ふふ、冗談よ。特別サービス価格で、今回はタダでこの情報をあげるわ。ナポリの危機だもの。それに、以前の借りもあるしね」
メルカルトとの戦いで、エリカが命を落としそうになっていたときに、助けたのは護堂だった。ヴォバン侯爵との戦いで、リリアナのノートをコピーして送ったのも、そのときのことで借りがあったからだ。
エリカも、ただそれだけで命の恩が返せるとは思っていないし、カンピオーネとの関係で重要なのは、敵対しないでいてもらえるかということだ。エリカが護堂と良好な関係を維持している限り、《赤銅黒十字》には陰から護堂の権威に守られる。強いて言うならば、それが対価だった。
「それじゃあ、サルバトーレは---------------」
「無事よ。何時間か海をさまよってサルデーニャのあたりでマグロ漁をしていた漁船の網に引っかかっていたところを捜索中の使い魔が見つけたの」
「網……」
「目茶苦茶だな、本当に」
護堂は背もたれに体重をかけて天井に目をやった。サルバトーレのしぶとさには分かっていてもため息がでる。
「それで、護堂。あなたは、サルバトーレ卿を見つけてどうしたかったの? なにか、よからぬ策をめぐらせていたみたいだけれど?」
エリカが護堂の顔を覗きこむように見つめてくる。その目は義務感などに突き動かされた騎士の目ではなく、純粋に面白いことに噛ませろという意思を伝えてくる。
エリカがここにいるのは僥倖だ。彼女の交渉力と胆力は同世代はおろか、ベテラン騎士であっても真似できないほどのものだ。これからサルバトーレと交渉しようというときに現れてくれたことは感謝すべきかもしれない。
そう思って、護堂はエリカに計画の全貌を明かすことにした。