カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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十六話

 その日は全国的に雲ひとつない快晴で、朝のニュース番組では、どの局もお天気日和という見方を示していた。天気図や、雲の動きを上空から見ても、雨はおろか、太陽光を遮るような雲が東京に流れこむ可能性は皆無と言っていい。祐理のクラスでも体育はグラウンドで行われたし、彼女は昼食も屋上で摂った。あの時、見晴らしのよい屋上から青空に覆われた都内を見た。見渡す限りの青空は、天の高さを祐理に思わせた。

 変化は唐突だった。

「あら?」

 放課後、校外に出た祐理は不思議そうに空を見上げた。

 あれほど、透き通っていた空が、気がつけば重苦しく黒々とした雲に覆われていた。今にも墜ちてきそうな雲の天上は、波うち、うごめき、雷鳴を打ち鳴らし始めた。次第に風が強くなり、ポツポツと雨が降り始めてきた。

 一体どこから雲が流れこんできたのだろうか。

 雨の気配などまったくなかったために、傘の用意もしていない。見た感じでは、とてつもない土砂降りが、一分もしないうちに襲い掛かってくるだろう。

 祐理は、息を深く吐き出した。

 雨に濡れて帰ることになるのは、憂鬱以外の何物でもない。

 とりあえず、屋根のあるところで雨宿りでもしてみようか。

 どう見ても数時間は雨が続く。雨宿りは、安直な時間稼ぎでしかないとわかっているのだが、雨に打たれることの勇気が出てこない。

 初夏とはいえ、雨はまだ冷たい。風邪を引くことにならないといいが。

 しかたなく祐理は学校にもどった。生徒玄関に入ったところで、本格的に降り始めてしまった。校門近くに植えられているイチョウの木が、風に大きく揺さぶられ、撓った。

「万里谷先輩……」

 聞き覚えのある声に呼ばれて、祐理は振り返った。

「晶さん? どうしたん、ですか……?」

 祐理は、晶の様子が普段と違うことにすぐに気がついた。

 初めて会ったのは今から五年ほど前のこと。巫女の修行をしていたときのことだ。一つ年下の彼女は、祐理に遅れて修行を始め、その図抜けた才能を遺憾なく発揮して周囲を驚かせていた。その一方で、常に明るく、可愛らしい彼女は、才能を鼻にかけることなく、多くの人から好かれていた。まるで春のような少女だと思ったものだ。

「先輩……すみませんが、いっしょに来てください。委員会の仕事です」

 重々しい口調で、晶はそう言った。

 人の気持ちの機微には疎いと思っている祐理にしても、晶が何か大きな感情を押し隠しているように思えた。悲壮、不安、憤り、といった感情の綯い交ぜになったような複雑な心象が、水底から気泡が浮かび上がるように表情に浮かんでは消える。

「はあ、委員会の……それは、どのような」

「とにかく! 急ぎのようなので、叔父さんに車も用意してもらいました。今すぐ行きます!」

 有無を言わせぬ迫力で、祐理の手をとる晶は、そのまま雨の中まで引っ張っていく。

 事情がまったくわからないまま、祐理は晶に従って外に出ざるを得なかった。

 雨と風が顔を強く打ちつける中、目を細めた祐理の前に、一台の車が停車した。黒いミニバンのドアが開き、中から呼びかけられた。

「万里谷さん、晶さん、早く乗ってください」

 言われるがままに、車に乗り込む。シートベルトの確認もせずに、ドアが閉められ、進みだす。

 ハンドルを握るのは冬馬だった。

 車は、雨風を切って東進する。静まった車内には、エンジンの音と、窓を叩く雨、そしてワイパーの音だけが聞こえていた。祐理の隣に座る晶は、窓の外を憂鬱そうに眺めているだけで、言葉を発しない。嫌な緊張感が、漂っているのだ。

「甘粕さん? これはいったいどういうことですか? 委員会のお仕事と聞きましたが、それは?」

 たまらず、祐理は尋ねた。

 ろくな説明もないままに車に乗せられ、どこに行くのかもわからないままに景色が後方に飛んで行く。せめて、目的くらい話してくれてもいいものだろう。

 それに、この状況は明らかに異常事態の発生を告げている。

「申し訳ありませんね、万里谷さん。私としても、何から話せばよいものか」

 冬馬は言い出しにくそうにしながら苦笑いを浮かべ、そして重い口を開いた。

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

「私の同類? すると、君がこの国に誕生したという新しい王か。思っていたよりもずいぶんと若いな……いや、思えば私が王となったのも君と同じくらいの頃だったか」

 ヴォバンは乗り込んできた護堂に動じることなく泰然とした様子で立っていた。

 護堂が同じ王であるとわかった後も、その態度はまったく変わることはない。それも仕方のないことだろう。三世紀に渡って王を務めてきたヴォバンからすれば、王となって三ヶ月ほどの護堂など、同じ肩書きであったとしても、その地力には天と地ほどの差があるのだから。

 彼からすれば、護堂というカンピオーネに噛み付かれたことなど、野良犬に吼えられた程度でしかない。

 護堂もそれをわかっているから絶対に油断などしないように、すでに心身ともに戦闘態勢を整えている。『まつろわぬ神』ではないから、戦うための身体の変化は生じない。それでも、負けたら死ぬ、という厳然たる事実が、護堂の集中力を極限まで高めていた。

 護堂は、ヴォバンを見据えた。

 整えられた銀髪に、皺一つない衣服。真っ直ぐな背。知的な表情。なるほど、これだけを見れば大学で教鞭をとっているといわれても不思議ではない。彼には、そんな風格がある。ヴォバンの傍らには、護堂が突入してから一言も話していない少女が控えている。

 リリアナ・クラニチャールだ。原作キャラクターとの邂逅に思うところがないわけではない護堂だが、生憎と目の前の敵から目を離すわけにもいかない。今度話す機会があったら話でもしてみようという程度で割り切った。

「それで、君は何をしに来たのかな? ずいぶんと乱暴な訪問だったが」

「あなたの目的を阻止しに来たんです。娯楽に餓えて女の子を拉致しようなんて、見過ごせる話じゃないですから」

 護堂の台詞に、ヴォバンが顔が真剣みを帯び、隣のリリアナが目を見開いた。

「ほう……驚いたな、なぜ私の目的を知っていたのかね。このことは外部に漏らさないようにしていたはずなのだが」

 やはりそうか、と護堂は心中で頷いた。

 かつての失策から、ヴォバンは秘密裏に事を進めてきたのだろう。万が一にも、サルバトーレのような不埒者が現れて儀式を台無しにしてしまわないようにだ。

 それをあっさりと指摘した事で、ヴォバンの警戒心を高める事になったのだ。これで、彼の興味の対象が祐理から護堂に移ってくれれば御の字だが。

「クラニチャール」

 ヴォバンが短く、はっきりと名を呼んだ。

「はっ」

「君は今すぐに巫女を探しに行け。私はここでこの少年の相手をすることにした」

「承知しました、候」

 リリアナは一瞬護堂に視線を向けると、二人の王に背を向けて窓から外に飛び出していった。

 部屋の中には護堂とヴォバンの二人だけが残る事になった。

「さて、君は他の王に知り合いはいるかな?」

「いや、直接会うのはあなたが初めてになる」

「そうか、ならば私が直接教えておく事になるか。覚えておくといい、我々には生涯の敵と見定めて戦い抜くか、不可侵の同盟を結ぶ以外にないということをな。君は、それでもこのヴォバンを相手に戦うというのかね? そうなれば、君はこのヴォバンの生涯の敵として人生をおくることになる。いや、明日の朝日を拝む事もできないかもしれない。それでも、私に挑むかね?」

 ヴォバンのエメラルド色の瞳が光を強くする。リリアナの開け放った窓からより強くなった風が吹き込んできた。ヴォバンの気持ちが昂ぶっているのだ。

 負けじと、護堂は宣言した。

「当然だ。俺はあんたと戦うためにここに来た。耄碌したジジイに、若い力ってヤツを見せてやるよ」

「フハハハハ! よく言った小僧! 貴様の若い力とやらを見せてもらおうじゃないか!」

 ヴォバンの雰囲気が変わった。

 それまでの好々爺然とした対応から、偉大で凶悪な肉食獣のように牙をむく。

「だが、ただ戦うだけではつまらん。貴様にハンデをくれてやろう」

「ハンデ?」

「そのとおり、このままでは私が勝つことは明らかだ。それでは面白みがない。これはゲームだ。ゲームには敗北のスリルがなくてはならない。そうだろう?」

 口角を上げたヴォバンの口に、鋭い牙が見える。

 命がけの戦いを、ゲームと称する精神性。圧倒的な強者の自信がそこにはあった。

「どんだけ自信家なんだよ、あんたは……」

 護堂がそう呟くのも仕方ないことだろう。とはいえ、ヴォバンとの間には、確かな実力の断絶というものがある。所持している権能の数、生き、戦いぬいた年数、どれをとってもヴォバンのほうが護堂を圧倒している。対カンピオーネ戦においても、護堂がこれが初戦なのに対して、彼は『知恵の王』なるカンピオーネとの激しい戦いを繰り広げたという話があるとおり、その道のプロだ。

「まあ、いいさ。あんたの好きなようにすれば。勝つのは俺だしな」

「くく、その減らず口もすぐに叩けなくなる。ルールは簡単だ。夜明けまでに私は貴様を殺す。夜明けまで生き残れば貴様の勝ちだ」

「俺が勝てばあんたはこの国を出ていくんだろうな?」

 護堂の確認に、ヴォバンは頷いた。

「ああ、無論だ。もっとも、そのような事は起こりえないだろうがね。私はただ殺し、巫女を手に入れるだけのことだ……さあ、始めるとしようか」

 ヴォバンが右手を掲げる。ステージで舞う俳優のように優美なしぐさ。その中に、明確な殺意を宿して。

 ヴォバンの手に引き寄せられるように、風が生まれた。部屋の中をぐるぐると渦を巻いた風が、花瓶を叩き割り、机をひっくり返し、壁に飾られた絵を剥ぎ取った。不可視の風ながら、護堂はそれを知覚する事ができていた。呪力によって束ねられた風は、自然界の風と違って意識を集中すれば感覚的に捉える事ができるのだ。だから、護堂はその力の強大さに戦慄する。

 ヴォバンの掌中に集まる風の力は小型の台風にも匹敵するのではないか。

 凝縮された空気の塊が、屈折率を狂わせて視認できるまでになる。野球ボール大の球体にまで押さえ込まれたそれは、風の爆弾と言ってもいいだろう。

「まずは小手調べからだ。簡単には死んでくれるなよ」

 ヴォバンが指揮をするように手を下ろす。

 それを合図に、小規模な台風のような風の奔流が、護堂に向かって放たれた。

 


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