カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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十一話

 山田浅右衛門とは、江戸時代から続く山田家当主が名乗る、屋号のようなものだ。一個人の名ではなく、これまでに十四人の浅右衛門が存在してきた。

 別名を人斬り浅右衛門。

 彼らの家は、江戸時代における幕府直属の死刑執行人の家系だ。斬首刑において、剣でもって罪人を斬る。太平の時代にあって、人を斬るということを専門に行っていた家であり、そのために、当主は剣の達人しかなる事ができなかった。

 この家は、武家としては珍しい、血縁を重んじない家柄で、実子が当主を継いだことはこれまでに二例、場合によっては一例とも言われる。山田家の当主は、多くの弟子の中から剣術に秀でたものを選んで跡継ぎとしていたのだ。

 また、驚くべき事に、山田家は幕府から知行を得ていなかった。

 つまり、身分は牢人。にもかかわらず、江戸時代を通して、極めて潤沢な資金力をもっており、その財政力は三万石から四万石の大名に比するともされた。

 収入の多くは、人間の死体をレンタルすることで得ていたようだ。

 当時の日本では、刀の切れ味を試すには人間を斬るのが一番であるという考え方が一般的に存在していて、そのため、多くの死体に触れる山田家は、この死体を貸し出し、時には、自らが刀を振るっていたという。

 歴代当主は、多くの死に触れて、その死によって金を稼いだ。彼らは、自らの糧となった死者を無碍にすることなく、死者の供養に多額の金を惜しみなく使った。

 だからだろうか。いつのまにか、山田家も呪術に関わりを持つようになったのは。

 

 

 

 

 晶と浅右衛門の戦いは依然として拮抗していた。

 長いリーチをもつ晶が、浅右衛門の踏み込みを警戒して守勢に回った事で、互いに攻め手を見つけられないまま小手調べに終始する事となっていた。

 そこにあるのは、槍と刀とを鍔迫り合わせるという、百年以上も前に廃れた、前時代的な闘争だ。

 銃火器の登場と共に、戦争の主導権を取って代わられた過去の戦闘である。

 その原因は、単純に火力の問題だろう。

 晶の持論でもあるように、殺しあうとなれば相手の手の届かないところから、自らの武器で敵を圧倒するほうがいいに決まっている。刀剣を持って戦うとなれば、自らが切り込んだそのときには、同時に相手の間合いに踏み込む事になるのだから、生と死は、必要以上に隣り合わせる事になる。

 銃火器であれば、刀剣ほどに技量が求められるわけでもないし、距離をとっての戦いが主流になれば、近づかねばならない刀剣類が姿を消していくのも当然のことだろう。

 だが、果たしてその判断は正しいのだろか。

 刀槍の類をもって、銃火器に匹敵する破壊を撒き散らせるとしたら、そのことを多くの人たちが認識していたとしたら、現代の戦争もその様相を違えていたかもしてない。

 そう、思わせるほどに、二人の戦いは激しいものだった。

(噂どおり、なかなかの手前。媛巫女最強は伊達ではない、か)

 十数度目となる踏み込みを、穂先で制され、後退した浅右衛門は晶の堅実な守りに攻めあぐね、また、その技量に感嘆していた。

 敵とはいえ、武芸を志す者。評価すべきところはきちんと評価している。

 竿状武具の最大の利点である攻撃範囲の広さ。これを正しく認識し、リーチの優位を最大限に生かした戦法で浅右衛門は常に牽制を受けている。

 彼の武器が刀である以上、晶への接近は不可欠だ。しかし、その接近が許されないとあっては、攻撃したくてもできるはずもない。

 浅右衛門を苦しめているのは、単なる武器の差だけではない。

 晶の並外れた怪力。そして、それを中心とした身体能力の高さにあった。

 長大な槍の基本的な使い方は刺突と遠心力を一杯に使った打撃と斬撃にある。が、致命的な欠点として、連続攻撃には不向きであり、攻撃に出たその瞬間が最大の隙となってしまうというものもある。

 浅右衛門は、刀を槍の穂先に一当てする。

 それだけで、槍は大きく横にぶれた。長大な武器であればあるほど、梃子の原理が働いて手元にかかる負担が大きくなる。槍先が流れる一瞬に、得意の摺り足で距離を詰める。 

 刀を振り上げる必要はなく、ただ突きを放てばよい。

「ぐ……!」

 太い柄が真横から浅右衛門を叩き、押し投げる。再び、両者の距離は遠のいた。

 異常な速さでの切り返し。遠心力を使わずにこれだけの怪力を発揮する細腕。

 おかげでたとえ穂先を潜り抜けても、殺傷範囲まで接近する事が出来ないでいたのだ。

 攻め手と守り手が入れ替わる。

 晶は、突きを断続的に放つ。弾かれ、かわされるが、浅右衛門が踏み込もうとするときには、すでに引き戻され、次の刺突に備えて刃をぎらつかせている。

 また、ときには足払いを仕掛けたり、斬り上げたりと戦法を変化させながら、浅右衛門を圧倒する、ようにみせている。

 しかし、実態は、晶も浅右衛門の技量の高さに驚き、常に死を感じていた。

 晶は、槍を真ん中よりも少し後ろで持っている。 

 実際のリーチは二メートル後半と言ったところ。相手の刀の長さはおよそ九十センチほどで、腕の長さを加味すれば百九十センチが攻撃範囲になる。ということは、槍の内側に一メートルの接近を許せば、その時点で、極めて危険な状態になるということでもある。

 しかも、敵の狙いは、こちらの攻撃後の隙を突くカウンター。踏み込まれてから回避するのは、難しいのだ。

 一メートルをいかに死守するか、それが晶の対浅右衛門戦略の基礎である。

「これほどの剣の腕前をお持ちでありながら、敵方につかれるとは。本当に残念でなりません」

 それは、晶の心からの賛辞と無念の言葉であった。

 浅右衛門は、表情をこれといって変えることはなく、刀を構えたまま、

「それは俺の意見だ。とはいえ、この時世に、刃を合わせる相手がいてくれたことには感謝しなければならないがな。いかに剣の腕が優れていても、戦う相手がいなければ無意味だ。そういう意味では、お前と敵対できた事はうれしい誤算だった。レプリカとはいえ、天下三名槍の一つを目の当たりにすることもできたのだしな」

 と、浅右衛門にしては饒舌に晶を賞した。

 浅右衛門の目は、晶の大槍――――御手杵に向けられている。

 天下三名槍と呼ばれた御手杵は、戦国時代の武将・結城秀康の槍として有名だ。

 その四メートル近い長さに、二十二キロになる重量は振り回せるものではなく、槍の穂先は三角柱になっていて突き刺すための槍だったようだ。 

 秀康の後は、五男直基の前橋・川越松平家に受け継がれた。

 オリジナルの御手杵は、第二次大戦中に松平家の所蔵庫が焼夷弾を受けて焼失してしまったのだが、この槍はどのような関係性があるのか。

 晶は、浅右衛門の視線を受ける御手杵を手の中で回しながら、微笑みを浮かべる。晶にとってもこの槍は自慢の逸品なのだ。

 おまけに、ただのレプリカというわけでもない。

「この槍は、松平邸の焼け跡から見つかった御手杵の残骸を回収し、再利用したものです。たしかに、史料的価値は喪失しましたが、その鋼のもつ呪的意味合いはむしろ強くなったのですよ」

 炎の中から蘇った鋼。

 神話における英雄のモチーフの一つでもある。オリジナルの御手杵とは形状からして異なる新生御手杵であるが、その魂は確かにそこに息づいている。

 失われた名槍の魂を継ぐ武具を前にして、浅右衛門は、俄然闘志を燃やした。

「なるほど。有名無実、というわけでもなかったか。それは、ますます剣戟を交えてみたくなるというものだが……俺にもすることがある。口惜しいが、決着を早めねばならないな。お互い、呪術を扱う身。卑怯とは言うまい」

 静かな口調とは裏腹に、愚直なまでに真っ直ぐに振り下ろされた上段斬りは、閃電のようだった。

 咄嗟に晶は半歩引き、上体を逸らした。眼に見えない呪力の刃。風の斬撃が彼女の胸を掠め、ボディアーマーに亀裂を生じさせた。

 恐ろしい切れ味だ。晶は戦慄した。

「避けるか。さすがだ」

 浅右衛門は、再び刀を振るう。

 飛びのく晶が、一瞬前までいた石畳が、斬り裂かれた。

 風の刃は眼に見えないぶん、回避しにくい。幸い、呪術である以上、呪力を用いねばならず、刀の軌跡にそって斬撃が飛ぶこともわかっているため、攻撃を見てから避けるのではなく、相手の動きや呪力から先読みして避ければ、何とかなる。

 晶は、呪力を高め、槍に力を注ぐ。

「えい!」

 槍で風刃の側面を叩き、弾き消す。

 膂力よりも、素早さを重視して身体能力を底上げし、喰らいつく。

()

 風刃に対処しながら、竜を支配する水の神である水天の種字を唱えた。

 変化は劇的なものだった。

 まず、雨が止んだ。

 より正確には、晶と浅右衛門の周囲にだけ、雨粒か消滅しているのだ。次いで、濡れた地面が乾燥し、水溜りが消滅する。晶の衣服も、浅右衛門の衣服も瞬く間に乾燥する。

(なんのつもりだ?)

 浅右衛門は心中で首をかしげた。

 戦いの最中に雨よけをする意図がわからなかったのだ。

 あるいは、雨で足元が覚束なくなる事を気にしてのことだろうか。それとも、浅右衛門を倒すための呪術なのだろうか。 

 浅右衛門には、そうした細かい呪術の機微を察する力はない。

 その才覚のほとんどを剣と斬撃の呪術に費やしたがゆえに。

 よって、晶がどのような手段で攻撃を加えてきても、それらを切り払って勝利する以外の選択を取れるはずもない。

(来るなら来い。すべて、斬り伏せてやろう……!)

 同時に、晶の刺突が、勢いを増した。風刃を出させないためなのか、身体よりも、刀を狙っているような筋だ。

 呪術合戦は、再び前時代的闘争へと舞い戻る。 

 以前のような、ある種の小手調べ的な刀槍の応酬ではなく、晶はここで押し切り、討ち果たすために持ち前の武技を駆使して浅右衛門に挑んでいる。

 一撃一撃が重く速い。

 浅右衛門は、卓越した心眼を用いて、その尽くを刀で弾き、逸らし、かわしていく。

 槍に押されて、浅右衛門は後退する。そこを、晶は鋭い一突きで追い討ちにかかった。

 唸りを上げる刃が浅右衛門に迫る中、彼は、薄くほくそ笑んでいた。

(ここだ!)

 浅右衛門は轟然と地を蹴った。

 後退から前進へ、一挙動で全体重を移動させた。足腰を徹底して鍛え上げ、絶妙な体バランスを手にいれた武芸者ならではの反転。

 半歩遠くを狙った晶は、腕が伸びきり、身体も前傾姿勢となっている。

 これでは、槍をふるって打撃を与えることも、素早く引き戻す事もできない。

 攻めにこだわりすぎたがゆえに、浅右衛門の誘いに乗ってしまったのだ。

 向かってくる槍を潜り抜け、高速の一歩を踏み込む。

 柄を握り、必殺の一刀を浴びせようとして、浅右衛門は目をむいた。

「な……!?」

 避けたはずの槍が、目前に迫っていたのだ。

 ――――――――やられた。

 浅右衛門は、己の失策をさとった。

 罠に嵌めたつもりでいて、その実、誘い込まれていたのは浅右衛門のほうだったのだ。

 御手杵が晶の手元に現れた時と同じ、転送の魔術。

 剣や槍などの武器を呼び出す程度のことしかできないが、持ち歩く必要がないために多くの術者から重宝される基本魔術。

 突きを放ち、大きな隙を作ったまさにその瞬間、晶は槍を転送した。

 突き出した左手は手ぶらになり、槍の後ろを支えていた右腕に穂の根元が来るようにしたことで、踏み込んでくる浅右衛門を迎撃するのだ。

 左半身を前にしていた晶だったが、この瞬間に右足を大きく踏み出した。勢いにしたがって、右手の槍が突き出される。

「くお……!!」

 もはやなりふり構っていられない。

 浅右衛門は身体を投げ出すように捻った。このまま、衝突してしまえば、護身の術とて切り裂かれる。避けるしかない。

 そのとき、一流の剣士ならではの動体視力が、槍の穂先を湿らせる水を捉えていた。

 浅右衛門の脳内がスパークする。

 晶の呪術の意味を、初めて理解したのだ。

 消失した水。

 いまだに、この辺りの地面は乾き、空からは雨粒の一滴すらも落ちてこない。天候は、雷雨でありながらだ。ということは、あの時の晶の術は現在も発動し続けており、空から降り続ける大量の雨水を消している事になる。

 消すだけならばまだいい。

 問題は、消えた水の行方。蒸発したのか、他のところに転送されているのか、それともここだけを避けているのか-------------そのどれでもない。降り注ぐ雨水も、地面に染みこんだ水もすべて、最初からここにあったのだ。

「オン・バロダヤ・ソワカ!」

 水天の真言とともに、呪力がはじける。

 封印された水気が、解放の歓喜に打ち震えた。

 穂先から滴る水滴は、一瞬にしてあふれ出し、渦を巻いて瀑布となった。

 激流の巨大槍。

 呪力による防壁も、紙切れのように吹き飛ばし、爆発的な勢いと巨大質量によって、浅右衛門は跳ね飛ばされた。

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 戦闘開始から三十分。

 当初は頑強に抵抗していた反・主流派の魔術師たちであるが、装備や実力の違いから徐々に圧倒され、すでに壊滅しかけているという状態だった。

 それでも、彼らは最後の一兵になるまで抵抗を続けるという意気込みで結界を張って部屋に篭城したり、打って出たりと、戦いは予断を許さない状況が続いている。

「なんで、ここまでの抵抗ができるの?」

 晶は、槍を肩にかけて、つぶやいた。

 多くの術者は降伏を良しとせずに戦いに臨んでいる。武士らしく名誉ある死でもしようというのだろうか。

 しかし、彼らの抵抗する姿を見ていると、不思議と生を諦めている様子もない。

 玉砕覚悟ではないということか。

 一矢報いるという悲劇的な闘争ではなく、なにかしらの希望を抱いての戦い。

 そこまで考えて、ぞくり、と晶の背筋を氷塊が滑り落ちた。

 はじけるように顔を上げ、大声で指示を出す。

「手の空いている人はどれくらいいる!?」

「すぐに動けるとなると、十人ほどですが」

 十人。少なすぎる。部下からの報告に、晶は歯軋りした。

 絶対になにかを見落としているはず。彼女はそのように確信していた。

「なら、その全員を建物の内部に突入させてください!彼ら、何かしでかすつもりです!見落としがないように、隠し扉や隠し部屋とか、もう一度、徹底的に探してください」

「全員ですか?しかし……」

「すぐにお願いします!!」

「は、はい!」

 晶の剣幕に押されて、部下は指示を飛ばした。

 手が空いているとはいっても、彼らには彼らの仕事があり、多少なら他とも兼務できるという程度だったのだが、部隊長に指示されては反論もできない。

 本来の職務に未練を残しながらも、指示通りに動き出す。

 その瞬間だった。

 

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 

「ッ……」

 いつの間に倒れていたのだろう。うつ伏せになった晶は震える腕でなんとか身体を起こした。頭を強く打ったのだろうか、思考が安定しない。ぼうっとしてしまう。

 地面に座り込んで、ゆっくりと辺りを見回した。いまだに心ここにあらずといった様子で、その光景に理解が追いついていなかった。

「うっく……」

 腹部に鈍い痛みを感じて、顔をしかめた。 

 痛みのおかげで、思考がクリアになった。

(わたしは……たしか、相手がなにか仕組んでいるんじゃないかと……これは、いったい)

 凄惨な光景だった。

 本堂の半分が無残に消し飛んでいる。

 ぼうっとした頭が覚醒し、徐々に、記憶が蘇ってくる。

 晶が敵に何かよからぬ思惑があると考え、部下達に突入を指示したとき、突如として、本堂が爆発したのだ。強大な呪力が吹き荒れ、多くの魔術師達を巻き込んでいった。ちょうど本堂に立ち入ろうとした晶も爆発に巻き込まれたのだった。

 爆心地周辺には突然の爆風に晒された委員会関係者や敵の魔術師が地面に倒れ、うめいている。

 それでも、被害は委員会側のほうが多いように見える。

 もしや、これが狙いだったのだろうか。はじめから爆発が起きるとわかっていたのなら、それから身を守る準備ができていてもおかしくはない。

「晶さん!ご無事ですか!?」

 駆け寄ってくる部下も、額から血を流していた。血止めくらいはすればいいものを。晶は、立ち上がって無事をアピールする。

 部下はほっと一安心といった様子だったが、すぐに表情を引き締めた。

「馨さんから通信が入っています」

「わかりました。傷の手当を早くしてください」

 そう言うと通信機を受け取った。

 晶のものは、今の爆発で破壊されてしまったようだ。

『よかった。無事だったか。晶さん』

「まあ、なんとか。何が起こったんです?」

『おそらくだけど、膨大な呪力を一気に解放したんだと思う。炎を撒き散らしてないだろう。熱を伴わず、衝撃波だけでこれだけの被害だよ』

「事前に探知できなかったんですか?そちらの媛巫女にはなにも?」

 晶の疑問も最もだ。

 馨は、敵を監視するために最新科学の結晶だけでなく、媛巫女まで動員していた。大規模な呪術を行使しようものならすぐに察知できたはずである。

『すまない。こちらはまったく察知できなかった。ずいぶんと周到に隠されていたみたいだ』

「まさに隠し玉ってことですか。しかし、これだけでは」

『たしかに意表は突かれたけど、すぐに体勢の立て直しはできる。この混乱に紛れるつもりだったのかもしれないけど、そうするのなら寺院を根こそぎ吹き飛ばすくらいはしないといけなかったね』

 そう。委員会側には後詰の部隊も控えている上に、戦線は寺院全体に広がっていた。本堂を吹き飛ばす程度で、包囲を抜けられるほどの混乱は作り出せないのだ。

「ただの自爆?」

『結果としてはそれに近いね。負傷者を搬送しつつ、残りを掃討してくれ。君はまだ戦えるかい?』

「はい、問題なく」

 もともと、打たれ強いのが自慢の一つだ。全力で呪術戦をしていたために、防御も普段以上になっていた。ダメージは無視できるレベルと言えるだろう。

 大きな破壊によって混乱しかけた指揮系統も、馨の力で復旧してきている。 

 敵に逃亡の猶予を与えるわけにはいかないと、動ける術者は捕縛に向かっている。

 晶も立ち上がって、御手杵を一振りする。

 地下の奥深くから、間欠泉のごとく膨大な呪力が吹き出してきたのは、まさにこの瞬間だった。

 大地を引き裂く轟音と振動に、晶は溜まらず槍を地面に突き刺して支えとした。

 比叡山で戦況を見守っていた馨たちが背筋を凍らせる。

 先の爆発とは比べ物にならない呪力が吹き出して、渦巻いている。

 正和たちにしても、これは想定外の想定外だった。

 本来、彼が語ったように、壷から解き放たれた呪力は寺院をまとめて吹き飛ばすだけの力があった。正史編纂委員会の前衛を行動不能に陥れるだけの破壊は撒き散らせるはずだったのだ。

 ところが、蓋を開けてみたら、呪力の爆発は本堂を吹き飛ばす程度の威力にしかなっておらず、至近距離で爆風を受けた正和がいまだに息をしているところからも、威力不足は明確だった。

 死を覚悟しての行動だったにもかかわらず、この体たらくかと、自嘲するしかない。

 もっとも、正史編纂委員会を混乱に陥れるというのなら、壷が予定通りに作動しなかったほうがよかったのかもしれない。

 壷の呪力は呼び水となった。

 この地に眠る化物を呼び覚まし、この世に復活させることとなったのだ。

 境内の北。真言院のほど近くに巨大な椋の木が存在する。

 その根元から、怪異は発生した。

 『源頼光朝臣塚』と書かれた塚の奥深く、胎動する呪力が形を得るのに、そう時間はかからなかった。

 まず、黒々とした長く硬質な足が地面から突き出してきた。八本の足の先は鋭い爪が付いていて、真言院を破壊し確りと地面を掴んで胴体を引き出した。

 禍々しい力の塊が、地面のそこから顔を出す。

 その身体の構成は、複数の生物が合成しているという点では、ギリシャで言うところのキマイラにあたるだろう。

 足は蜘蛛、胴体は虎、頭は般若のように憎悪を吐き出す鬼の面。二本の猛牛を思わせる角を持っている。

 正史編纂委員会も、この事件を引き起こした反・主流派の術者も一様に、その異形を前にして呆然とした。

「……土蜘蛛だ」

 平安の時代。京を混乱に陥れた伝説の怪物が、再び現世に蘇った。

 

 

 

 

 

 京都から少し離れた兵庫県川西市。

 土蜘蛛の出現と同時刻、この都市にも、強大な呪力が渦巻いていた。

 神獣やまつろわぬ神が降臨した際、周囲に思わぬ影響をもたらす事は、呪術に関わる者ならば誰もがよく知るところだ。彼らはその権能や伝説に従いごく当たり前のように周囲の環境すらも変化させてしまうのだ。 

 神が降臨するということは、そこには何かしらの縁があるということ。

 縁さえあれば、神は降臨し得るのだ。

「ふむ。いったい何の因果が某を呼び出したのか……」

 長身の男は、時代錯誤な大鎧を着込んでいた。星兜に野太刀を佩いた威風堂々たる武者姿は、見るものを例外なく圧倒し、臣従を叫ばせるだろう。

 鎧武者は、しばし黙考したあと、不意に北の方角を見た。

「京よりなんとも怪しげな気配が立ち上っておる。なるほど。今再び京を守護せよという神仏のお導きか。実に小気味良い。久々に腕がなるというものだ!」

 カッカと大将した鎧武者は、馬を呼び出した。

 これも見事な汗馬で、彼と共に戦場を駆け抜けた友であろう。

 鎧の重みを感じさせない身のこなしで鞍に跨ると、手綱を手にとった。

「いざ。戦のときぞ!」

 

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 夜も深まり、雨が窓を叩く音だけが聞こえる中、護堂は布団の上に寝転がっているだけで、眠ってはいなかった。

 この日の深夜から、正史編纂委員会の攻撃が始められるということは、護堂も聞いていた。連絡をよこしたのは、晶で、彼女自身も作戦の実行部隊に配属されているのだとも言っていた。

 静花と同じか、もしかしたらもっと小さい少女だ。ファンタジックな力を使える以上は、見た目と実力は比例しないし、体重差すらも問題にならないのだろうが、心配は心配だ。

 無事終わったなら、連絡を入れるようにと約束を取り付けた。

 犯行グループを取り押さえるだけならば、そう時間もかからないだろう。

 そのように考えていたのだが、一向に携帯が鳴ることなく、さらに夜が深まっていく。

 自分達に関わる戦いなのに、自分の知らないところで展開されていることに、時間とともに苛立ちが募っていく。

 護堂は自分でも驚くくらいに好戦的な性格をしているらしい。

 カンピオーネはそういうものか、と思う反面、そうじゃないはずだと自制しようという気持ちもある。

 しかし、家族のこととなると、その自制心も押さえ難い。 

(こっちから電話をかけてみようか)

 邪魔になる可能性をわかった上でそんなことが頭を過ぎったとき、携帯が鳴った。

 来た。

「晶さんか!?」

 通話ボタンをかつてないほどに素早く押した。

 晶の携帯番号だったのだが、それは晶の声ではなかった。

『夜分遅く、申し訳ありません。王よ。わたしは、正史編纂委員会の沙耶宮馨という者です』

 護堂は眉を顰めた。 

 沙耶宮馨といえば、原作でも正史編纂委員会の重要ポストに就いていて護堂を主君として仰ごうとしていた人物だ。

 まだ、この段階では、護堂との面識はない。

「沙耶宮、馨さん……それ、晶さんの携帯ですよね」

『はい。高橋からは、任務の終了とともに王に連絡を入れることになっていると聞いていましたので。この時間でも連絡がつくと考えました。ご迷惑でしたか?』

「いえ、そんなことは。それよりも晶さんは大丈夫なんですか?」

 晶の携帯を他人が使っている、ということは晶が現在通話できない状況にあるということも考えられる。

 戦いの情勢よりも晶を真っ先に心配する辺り、他のカンピオーネとはやはり違う。

 馨も、今の会話でそのことを確信しただろう。

『高橋は今のところは大丈夫です』

「今のところって……なにかまずいことにでもなっているんですか?」

 馨の声に不穏な響きを読み取って、護堂は身を硬くした。

『そうですね。非常にまずい事態になりました』

 護堂は馨の説明を聞くと同時に家を飛び出した。

 戦場に突如出現した神獣。『土蜘蛛草子』や『平家物語』に登場する伝説の魔物である土蜘蛛が現れたのだという。

 現場は住宅地に近く、委員会の魔術師達も疲弊している。それでも、誰かが抑えなければならない、ということで、晶を筆頭とする数人の魔術師達がこの土蜘蛛と交戦しているのだ。

 神獣は、まつろわぬ神ほどではないにしても、その力は自然界の生き物をはるかに凌駕している。

 人間の魔術師が単体で挑んでも勝ち目はない。

 馨は、護堂に迎えを行かせたと言っていたが、断った。

 東京から京都では遠すぎる。新幹線も動いていないし、この嵐では航空機も飛べはしない。委員会が用意できる足は車しかないが、それでは一体何時間かかることか。

 傘も差さずに外に出た護堂は、雨に打たれながらも確信する。

 新たなる権能。火雷大神から簒奪した権能が、今なら使うことができる。

 星明りも通さない黒く重い雲と日本中に降り注ぐ雨。自然の水がそこかしこに存在する。発動条件は満たされていた。

「雷雲に潜みし、疾くかける稲妻よ。集い来たりて我が足となれ!」

 聖句を唱えると、護堂の身体が青白く発光した。パリパリと、身体の表面がスパークしている。

 火雷大神は、八雷神とも呼ばれ、八柱の雷神の集合体だった。

 護堂が得た権能は、そんな雷神に纏わる力。

 伏雷神の神速を今度は護堂が使用する。

 目指す京都まで、雲間を縫って一気に移動するのだ。

 神速ならば、京都まで時間はかからない。晶が土蜘蛛に倒される前に救援に駆けつけることができるだろう。

 護堂は、地を蹴り。雷となった。 

 


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