カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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古代編 1

 三月の上旬に入り、世の中は少しずつ暖かくなってきた。

 まだ風には冬の名残を感じるものの、確実に春が近付いてきている。

 石造りの街並(・・・・・・)を眺めて護堂は思う。

 

 

 イタリアは日本に比べればずっと温暖な気候だ。

 もちろん、緯度にはさほどの違いもないのだから、季節の違いは変わらない。しかし、地中海性気候と温暖湿潤気候の狭間にあるここフィレンツェの三月は東京の三月に比べてもかなり暖かい。平均して五℃から六℃は違うだろう。

 それ故に、ここで春の到来を感じても東京はまだ冬の気配を大きく引き摺っていたりする。

 春の麗らかな暖かさは気持ちを楽にしてくれるように思う。

 考えてみれば、カンピオーネになって一年が経過しようとしている。この一年の間に起こったことを思い返すと、よく生き残ってこれたなと感心してしまう。我武者羅に走りぬいてきた一年は、信じられないほど濃密であっという間の出来事だった。そして、これから先の人生もまた、似たようなことの繰り返しになるのだろう。すでに諦観とともに護堂は自分の末路を受け入れていた。――――どこかでのたれ死ぬかもしれない。天寿を全うできる可能性のほうが低いともいわれるカンピオーネの業界だ。それは、幾度も繰り返された『まつろわぬ神』との戦いの中で痛いほど感じてきた真実である。そして、それと同時にヴォバン侯爵や羅濠教主のような人間の寿命を遙かに越えてこの世に君臨する魔王もいる。

 要するにこれから先早死にするか長生きするかはまったく不透明であり、その点に関しては考えても仕方がないと割り切っているのであった。おまけに、死ぬかもしれないことは理解しているが、死ぬだろうとは思わないことも護堂の、あるいはカンピオーネ全般の特徴なのかもしれない。

「先輩、ずいぶんとこの状況に慣れてきましたよね……」

 隣を歩いていた晶が言った。

 小柄な少女の頭は護堂の胸の辺りにある。久しぶりにカチューシャをつけているのだが、それが護堂の位置からよく見えた。

「海外旅行も慣れたもんだからな。つい最近アメリカに行ったばかりだし」

「一月と経たずに西から東に飛び回る高校生なんて、そうそういませんよ。それこそ、世界的に人気のあるアイドルグループくらいのものです」

「まあ、王さまの場合は行く先々で神様と戦う羽目になるんだけどねー。結局ロサンゼルスでも大暴れだったんでしょ」

 恵那が晶に続いて笑いながら言った。

「笑い事じゃないっての……別に戦いたくて戦ってるわけじゃないんだからさ」

 真白に輝く太陽を見上げて護堂を呟く。

 護堂の海外は、基本的には神様に関連した事件の解決のためのものである。そのため、日本を発つときには神様と出会うことを覚悟しているのが大半であった。

 そのため、見方を変えれば護堂のほうから『まつろわぬ神』に会いに行っているようにも見えてしまう。

「護堂さんはこのお話をお断りすることもできたのにしなかった。すべてはそこに原因があると思います」

 祐理が嗜めるような口調で護堂に言った。

 その通りだと、護堂も理解しているので反論はまったくない。

 結局、この問題は護堂の性格に帰結する。頼まれたら断われない。好きなように利用されているというのではなく、自分が何とかしなければならないという義侠心によるものである。使命感のような大それた考え方ではない。ほかに適任者がいるのであれば、そちらを検討してもらいたい。だが、カンピオーネにしか解決できない問題であり、かつ別のカンピオーネに頼むのはかなりのリスクを考慮に入れなければならないとなった場合、選択肢に上がるのは護堂とロサンゼルスの魔王の二人だけとなる。そして、フットワークの軽さと傍から見たらただの学生に見えるというお手軽感が合わさって、護堂を頼りやすい環境ができつつあった。

 もっとも、それでもなおカンピオーネの雷鳴が強烈である。

 頼りやすいというのも他のカンピオーネに比べればという話であり、軽々しく護堂に意見を述べられる者はほとんどいないという点ではそれ以前と変わりはない。

 護堂に話が行くのはよっぽどの緊急事態に限られる。

 例えば、本来頼るべきカンピオーネがどうしようもない大騒動を企てている、というような誰にも止められない事態が発生したときに、何とかならないだろうかと伺いが立てられるのである。

「まあでも、世の中で起きてる神様関連のトラブルが巡り巡って先輩に降りかかることも今に始まったことじゃないですし、事前に現地入りしておくのも間違った対応じゃないかもしれませんけどね」

 晶が困ったような表情で言う。

 カンピオーネはただいるだけでトラブルを招き寄せる体質の持ち主である。

 そして、往々にしてそのトラブルは『まつろわぬ神』に関わるものとなり、その原因にはほかのカンピオーネがいた、などということもある。

 半年前にイタリアを訪れた際のペルセウス戦はサルバトーレ・ドニがやらかした失態の尻拭いのような形だった。

 そして、今回もまたサルバトーレがなにやら悪事を企てているという情報が正史編纂委員会に寄せられたことから護堂と仲間たちの遠出が決まったのである。

 そんな仲間の会話についていけないのは、明日香である。

 法道の一件以降、すっかり草薙パーティに組み込まれてしまった明日香であるが、その思想は一般人の域を出ていない。幼い頃から呪術師としての教育を受けているわけではない彼女からすれば、こうも平然と海外に飛び出してしまう護堂たちが異様に思えるのである。

「護堂だけじゃなくて、みんなして慣れてんじゃない」

「慣れてるのは祐理が一番かもね。恵那はあまり海外出たことないけど、祐理は昔から海外によく行ってたし」

「やっぱりお嬢様は違うわね」

 明日香は感心したように祐理を見る。突然話題の中心に躍り出た祐理は恐縮した風に身体を縮こまらせた。

 そんな会話がだらだらと続く。

「何にしても、なるようにしかならないだろ」

 一応は正史編纂委員会の頂点にある者としての立ち居振る舞いは気にかける。

 もちろん、護堂はお飾りでしかなく仕事がこなせるわけでもない。護堂の仕事は神々と戦うことだけで、扱いとしては兵器のそれと大差ない。

 しばらく歩いていると、待ち合わせの場所に辿り着いた。

 フィレンツェが誇るサッカースタジアム、スタディオ・アルテミノ・フランキの駐車場である。

「試合があれば、見てみたかったんだけどな」

 壮大なスタジアムを見上げて、護堂は呟いた。

 惰性で始めたサッカーだったが、それでも中学の三年間を思い返せば楽しかった思い出ばかりである。

「お久しぶりです、護堂さん。日本での魔王ぶりは、ここイタリアでも鳴り響いていますよ」

 話しかけてきたのは、銀色の髪の少女である。

 長い髪をポニーテールにしている妖精の如き美少女だ。

「久しぶり、リリアナ」

 手を振って軽く挨拶をする。

「高橋晶に万里谷祐理も元気そうだな。……そちらのお二方は」

 リリアナの視線が恵那と明日香に向けられる。

「清秋院恵那と徳永明日香。清秋院のほうは万里谷の幼馴染で明日香のほうは俺の幼馴染だったりする」

「なるほど」

 と、リリアナは頷いた。

「では、改めて自己紹介を。わたしは《青銅黒十字》のリリアナ・クラニチャール。一応、大騎士の位階を授与されている。護堂さんとは今まで何度かご縁があって、フィレンツェの案内役を申し渡された次第だ」

 流暢な日本語で、リリアナは二人に話しかけた。

 呪術を扱う者は、幼少期から特別な鍛錬法を積み上げることで様々な言語を極めて短時間で習得する技能を手に入れる。

 恵那もそういった技能には堪能だったが、明日香はそこまでではなくまだ拙いイタリア語である。会話ができるようになるまで一週間はかかるかもしれない。

 もちろん、それでも短期間であることには変わらないが、ものの数時間で完全に外国語をマスターできる護堂のような怪物と比較すれば苦戦しているようにも見えてしまう。

 そういった事情を察してリリアナは日本語で話しかけてくれたのである。

「あ、ああ、よろしくお願いします、リリアナさん」

 明日香がおっかなびっくり挨拶する。

 外国人が苦手――――典型的な日本人である。

「よろしく、リリアナさん。祐理から色々聞いてるよ」

 にこやかに対応する恵那はどこでも生きていけそうな自然児。異国でも臆することもなく適応するであろう。

「それでは、これから卿の下にご案内しますが、その前に観て行きたい場所などありますか?」

 問われて護堂は考える。

 フィレンツェは世界的に有名な古都であり、ルネサンスで花開いた芸術の都である。

 ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロといった偉人の作品が生で見ることのできる好機である。

「とりあえず、それは後でいいかな」

 しかし、護堂は観光を後回しにした。

 これから起こる何かを考えれば、迂闊に遠回りはできない。

 リリアナは了承し、それから一行を車まで案内した。

 

 

 

 ■ □ ■ □

 

 

 

 フィレンツェの街を出た車は、トスカーナ地方の田園風景に囲まれた田舎道をひた走る。

 見渡す限り続く田園風景になだらかな丘陵がアクセントをつける。これだけでも、日本では見られない光景と言えるであろう。

 十分、観光している気分になれる。

 車が進んでいくと、やがて雪が目立つようになっていく。

 斑模様の白が徐々に数と面積を増していく。

 風景も平原から山間部に変わっていた。

 およそ、一時間ほどが経っただろうか。

 停まった車の中から、護堂は大きな古城を見上げていた。

 聞けば中世の城をホテルに改装したものだという。

 今回、首謀者であるサルバトーレ・ドニが丸ごと借り切っているのである。

 そして、ホテルのロビーで二人の神殺しは再会した。

「いよう、護堂。元気だったかい?」

「おかげさまで。そっちも元気そうだな」

「有り余ってるくらいさ」

 サルバトーレは陽気に笑った。

「その元気を少し分けて欲しいもんだね」

「東の果てからわざわざ足を運ぶくらいに元気があるんだから大丈夫だろう」

 にやりを笑うサルバトーレは丸腰だ。しかし、その歩みにはまったくの無駄がなく、立ち姿には隙が微塵も感じられない。常在戦場を実践する男は、こうして笑顔で軽口を叩いていても、その延長線上で殺し合いができる異常者だ。

「さて、僕はもう行くよ。せっかく来たんだし、楽しんでいってくれたまえ」

 はっはっは、と大袈裟に笑ってサルバトーレは去って行った。

「まだ神獣のほうは発見できていないようですね」

 すっと隣にやってきたリリアナが護堂に話しかけてきた。

「ああ、恐竜みたいなヤツなんだって?」

「直接見た者は少ないので、何ともいえませんが、そのように聞いています」

 護堂がこの地にやって来たのは、サルバトーレの企てに対処するためのお目付け役を依頼されたからである。

 イタリアの騎士の誰もが、サルバトーレの目的を知らされていない。

 表向きはカゼンティーノの近隣に出現した神獣を捜索し、討伐するためであるとしているのだが、サルバトーレは神獣の討伐には消極的だったはずである。神獣程度の弱敵では面白くないというのがその理由であるが、出現場所がカゼンティーノと聞いて俄然やる気を出したらしい。

「あいつがここで何かしようとしているのは間違いないってことだな。噂のアイーシャ夫人ってのも気になるところだし」

 この辺りに、アイーシャ夫人が出現したとの情報がある。

 根拠のある者ではなく、目撃者がいたという程度のものだが、現在最も謎が多いカンピオーネだけに護堂もまたその正体には興味がある。

 曰くアレクサンドリアの洞窟の中で隠棲しているとのことだが、信憑性としてはどうか。

 護堂がそうであるように、カンピオーネは存在しているだけで『まつろわぬ神』と縁を持ってしまう生き物なのだ。

 それを思えば、洞窟の中で悠々自適な生活が送れるとは到底思えない。

 すでに一世紀以上を生きているという時点で、色々と奥に抱えていそうな怪人だというのは明確である。

「アイーシャ夫人のことが気になるのだったら、わたしが教えてあげましょうか」

 凛とした声。

 眩い黄金の髪に赤と黒の衣装が映える。

「エリカ……お前も来てたんだな」

「イタリア全土の大騎士以上の階級に属する騎士が集められているのだから、当然でしょう。まさか、わたしがこの集会に呼ばれない程度の腕前だと思っていたわけじゃないでしょうね」

「いや、まさか」

 護堂は首を振る。

 エリカが同世代の中でもトップクラスの実力者であることは周知の事実である。彼女は、《赤銅黒十字》の次代を担う才媛なのだ。

「エリカ、一体何のようだ?」

「相変わらずねリリィ。わたしが護堂に挨拶に来るのがおかしい? 少なくとも、この集まりの中では最高位のVIPなのよ」

「む……確かにその通りだが」

 言い澱むリリアナはエリカに口答えすることができなかった。

 エリカが護堂に話しかけることを邪魔する道理がない。単にエリカへの敵愾心から食って掛かっただけなので、道理で責められると弱い。

「あなたたちも半年振りね。知らない顔も混じっているけれど、護堂のほうは噂に違わずといったところなのね」

 エリカの視線が祐理と晶に向けられる。

 二人揃って苦笑いを浮かべることしかできない。

「何だよ、噂って」

「聞きたい?」

「いや、いい。こんな遠くで何を噂されていようが関係ないしな」

「自分の評判に頓着しないわね、あなた」

「俺が知る限り、他のカンピオーネも似たようなものだった気がするけどな」

「それもそうかもね。結局、あなたたちって、我が道を行く人ばかりだから」

 くすり、とエリカが笑った。

「それで、アイーシャ夫人の情報ってなんだ?」

「アイーシャ夫人の権能」

「知っているのか?」

「さっき、わたしの叔父様と聖ラファエロ……アイーシャ夫人と顔見知りの方なんだけれど、このお二人と話をしていたの。そのときに聞いたわ」

「へえ……」

 護堂は好奇心を刺激された。

 アイーシャ夫人は護堂が知る「原作」でも正体が分からない人物であった。もちろん、権能についても詳しい事が分かっておらず、春と冬を呼び込む、とかその程度の断片的な情報だけであった。

「待て、エリカ。まさか、護堂さんに好からぬ条件をつけて交渉を迫るような真似はしないだろうな?」

 リリアナが確認口調でエリカに迫った。

「もちろん」

 とエリカも答える。

「そんなことをしたら、わたし酷い目に合わされそうだしね」

 冗談っぽく、エリカが笑う。

 とりわけ晶がピリピリとした空気を醸し出していたのを感じ取っていたのだろう。

「でも、別室に移動する必要はあるわね。広間のビュッフェで食事を摂りながらというのは目と耳が多すぎて困るし」

「アイーシャ夫人の権能は今までほとんど情報が公開されていなかった秘事。迂闊に口にするわけにはいかないということか?」

「それもあるけれど、徒に不安を煽っても仕方がないでしょう」

 リリアナは首をかしげる。

 そこに声をかけたのは祐理であった。

「それはつまり、アイーシャ夫人の権能が多くの人々の生活に何らかの悪影響を与えるかもしれないものだということですか?」

「さすがね。もしかして、何か感じたのかしら?」

「いえ、そこまでは。何となく、不吉な気配を覚えたものですから」

 祐理の虫の知らせはよく当たる。

 それを考えれば、アイーシャ夫人の権能はやはり、かなりの危険物である可能性が高い。

「話を聞くのは、俺だけか? それとも、ほかの皆も聞いていいのか?」

「どうせ、護堂の周りの面々には伝わるでしょうから、別に構わないわ」

 と、エリカが言うので護堂は背後の四人に目配せする。

 頷きあう四名。それに加えてリリアナがエリカに同行を申し出る。

 秘事と言いつつも、そこまで厳重に情報を守るつもりもないようでエリカはあっさりとリリアナの同行も許可した。

 そうしてやって来たのは古城の二階にある一室。

 木製のドアの先に、小さな談話室があった。

 ソファに腰掛けて、エリカと向かい合った。

「それで、アイーシャ夫人の権能って、一体どんなんだ?」

「性急ね護堂」

「それが目的でここまで来たんだからな」

 やれやれ、と言った様子のエリカ。とはいえ、護堂としては別にリップサービスを並べてエリカを楽しませるつもりはない。彼女のような優美な女性を相手にするのは難しい。護堂はそこまで気が利く男ではないのである。

 まあ、それも護堂よね、とエリカは一人で納得する。

「アイーシャ夫人の権能について、護堂はどこまで知っているの?」

「そりゃ、永遠の冬を呼ぶとか、若さを保つとかその程度の噂を聞きかじったくらいだ」

「そうね。わたしも、さっきまではその程度だったのだけど」

 エリカは珍しく憂鬱そうな顔を浮かべた。

「アイーシャ夫人の権能の中で一番厄介なのは、孔を開ける権能だと聞いたわ。この世とは異なる別の世界へ通じる孔を通って、アイーシャ夫人は異界を旅しているのだそうよ」

「それって、幽界とかアストラル界とか言われている場所か? 俺も何度か行ったことがあるけど」

「あら、もうそんな経験をしているの? でも、それだけじゃないみたい。聖ラファエロ曰く、あの方の孔は、文字通り過去の世界にも通じているらしいの」

「過去、だって?」

 護堂はさすがに驚いた。

 もちろん、世の中には時間を司る神もいる。そんな神がいれば、時間旅行も不可能ではないだろう。時間そのものに干渉するというのであれば、神速の権能などはその典型例に挙げられる。

「あ、ということはアイーシャ夫人が過去の世界で歴史を変えちゃうかもしれないから恐ろしいっていうことなのかな?」

 恵那が口を挟んだ。

 思ったことを口にしただけのようだが、存外的を射ている。

「歴史が変わる。例えば、アイーシャ夫人の行動の結果わたしの父が生まれなければ、ここにいるわたしはどうなってしまうのだろうか、ということだな。バタフライエフェクト……もう、SFの世界だな」

「ふふ、そういうの好きでしょうリリィは」

「妙な勘違いをするなよエリカ。わたしは一般論を言っているだけだからな」

 小悪魔的な笑みを浮かべてリリアナを見たエリカに慌てたリリアナが反論した。

 おそらくはリリアナがひっそりと書き記している「物語」についてちくちくとからかっているのであろう。

「そもそも、過去を改変すると現代に影響が出るんですかね。小説とかでは、並行世界という形で別に歴史が生まれるだけって考え方もありますし」

「そこまでいくともう哲学ね。現代の技術でタイムスリップが実現していない以上、アイーシャさんにしか分からないんでしょうし、もしかしたら本人にも理解できていないのかもしれない……」

 晶の疑問に明日香が答えた。

「並行世界の理論が現実であって欲しいところね。もしも、現代を改竄できてしまうようなものなら、最強の権能と言っても過言ではないわ。何せカンピオーネと敵対しても、その人物がカンピオーネになる前の時代に移動して殺してしまえばいいのだから」

「俺を見るなよ、エリカ……」

 護堂は生唾を飲んだ。

 エリカの言うとおり、歴史を簡単に変えられるのであれば、意図的に気に喰わない相手を消すことだってできるのである。しかも、歴史そのものが変わってしまうため、その人物がいたという事実すらも残らない。その場合、世界がどのように矛盾を解消するのかはまったく分からないが、よくない事態になるのは明白と言えよう。

「それで、問題はそれだけではなくて、サルバトーレ卿の目的もアイーシャ夫人である可能性もあるから……」

「アイーシャ夫人が目撃された土地で暴れる神獣か。もしかしたら、その孔から出てきたって可能性もあるんだな」

 沈鬱な空気が談話室を覆った。 

 問題児サルバトーレの目的が何となく見えてきたような気がした。

 アイーシャ夫人そのものに用があるのか、アイーシャ夫人の孔に用があるのか――――おそらくはその両方なのだろうが、あのバトルジャンキーならば、見ず知らずの世界に飛び込むことに躊躇はするまい。まして、過去の世界はサルバトーレが得意とする剣が横行していた時代に通じているかもしれないのである。武者修行だ、などと戯言を吐いて過去に旅立つ、そして好き勝手に暴れて歴史が変わるということもありえなくはない。

「いや、むしろあり得てしまうのか」

「卿のことだから、本当にやりかねないわよね」

 一番なのはアイーシャ夫人が作り出した孔をサルバトーレが発見できずに終わることである。そうなれば、迷い込んだ神獣を討伐するだけでこの問題は終わる。

 サルバトーレに呪術の才能はないから、孔もそう簡単には見つからない、はずだと思いたい。

 中々に厄介な案件を持ち込んでくれたものだと護堂はため息をつく。

 ちょうどそのときであった。

 古城ホテルが僅かに振動したのである。

 カタカタと調度品のカップや電灯が揺れる。

「どうやら、来たみたいね」

「噂の神獣か」

 神獣の捜索は、呼び集められた騎士の中から選ばれた数人が行っていると聞いていた。

 城の外から甲高い雄叫びが聞こえ、地響きを立てて大きな何かが暴れているのが分かった。

 

 

 

 □ ■ □ ■

 

 

 

 護堂たちが現場に到着したときには、すでに戦闘が始まっていた。

 戦場となったのは、中庭だった。

 どうやらあの神獣、城の壁をよじ登って内部に飛び込んだらしい。

 二十人ばかりの騎士が中庭には駆けつけていたが、実際に戦っているのは二人だけであった。

 紫色のケープを纏ったポニーテールの女性と赤と黒のケープを風に靡かせる壮年の男性の二人である。

「聖ラファエロと叔父様――――パオロ・ブランデッリよ。欧州でも最高クラスの騎士なの!」 

 エリカが興奮した様子で教えてくれた。

 確かに二人の力は真っ当な人間を遙かに上回っていた。

 輝く呪力の守りはそのまま身体能力の底上げにも使われているらしい。噂に行く聖絶の言霊というものであろうか。大剣を持つラファエロが近接戦で神獣を抑えると、その横っ面を馬上槍を構えたパオロが撃つ。見事な連携で、神獣の反撃を許さない。

「すごい、安定感だな」

 護堂の感想にエリカもリリアナも驚いたように目を見張る。

「この光景を見て、すごく強いとかじゃなくて安定感と表現できる辺り、やっぱりカンピオーネなのね」

「確かに、あなたからすれば弱敵なのかもしれないが……」

 神獣は全長七メートルほどで、二足歩行の恐竜という感じの見た目であった。それこそ、子どものころに見た映画に出てくる小型の肉食恐竜そのままの姿である。

 特徴的なのは足の爪の一つが異様に肥大化しているところであろう。

 「恐ろしい鉤爪(デイノニクス)」と、呼ばれる恐竜が現代に蘇ったかのような光景であった。

「先輩!」

 晶が叫び、跳んだ。

 瞬時に莫大な黒い呪力がその身体から噴出し、空中の何かを打ち払った。

「二体目か。コイツはちょっと大きいな」

 驚く様子もなく、護堂は新たに現れた神獣を見た。

 奇襲が失敗したデイノニクスはそれでも護堂への敵意をむき出しにして唸っている。

「仕方ないから、俺が……」

「中庭で先輩が権能なんか使ったら色々と危ないじゃないですか」

 と、晶が護堂の前に出た。

「せっかくなので、わたしがやります」

 その発言に、中庭に詰めている誰かがぎょっとした。

 護堂の仲間たちはこれといった不安も見せずにいる。

 神獣をたったの一人で相手にするという愚行を、日本からきた呪術師たちは容認するというのかと。

 しかし、それも仕方のない話である。

 何せ、高橋晶という少女は見た目で判断するにはあまりにも特異な立場にいるのだから。

 その存在そのものが、目の前で暴れている神獣と同格、或いは上を行くのである。

「分かった。じゃあ、手早く終わらせてくれ」

「はい!」

 元気よく返事をした晶は、次の瞬間にはデイノニクスの頭上を取っていた。

 雷光の煌きを纏った少女は、思い切りデイノニクスの頭に拳骨を打ち込んだ。

「火雷!」

 爆弾が爆発したような音が響き、晶の腕から炎が上がる。

 デイノニクスは衝撃で大きくよろけた。

 脳震盪でも起こしたのであろうか。

 しかし、神獣の肉体はそこらの獣とは次元違いの頑丈さを誇っている。

 負けじと踏ん張り、空中にいる晶に向けて尾を振るった。

「ッ……!」

 晶は両腕をクロスして尾を受け止める。空中で踏ん張れずに跳ね飛ばされたが猫のようにくるりと回転して着地した。

「ふう……芯に響く」

 手を握って開く。

 両腕には前腕部を覆う籠手が煌いていた。

 神具である。

 一目連の権能を借りて咄嗟に造り上げたものだ。

「よし、来い」

 神槍を召喚し、ぐるりと回す。

 デイノニクスは大きく吼えて、晶に向かって跳びかかった。

 

 神獣と晶の戦いは、晶が圧倒する形で進んでいる。

 驚くべき反応速度と、人間を遙かに越えた威力の攻撃を放つ晶にエリカもリリアナも驚愕を隠しきれない。

「やはり、以前とはまるで別人だな。すでに、人間を止めていたのか」

 リリアナが悲しげに呟く。

 直接戦ったことのあるリリアナには、晶の戦い方の変化が一目瞭然であった。そして、魔女の目が晶の存在がこの世のものではない別物になっていることを見抜いていた。

「人間を……? そういうこと、護堂の使い魔になっているわけね」

 非難がましい視線をエリカが護堂に向ける。

 事情を知らない人間からすれば、当然そのように映るだろう。

「まあ、色々あったんだよ。晶にもな……」

「ふうん、そう。まあ、護堂が一方的にそんなことをするとは思えないし、詮索はしないけれど……」

 視線は再び晶とデイノニクスの戦闘に映る。

 晶もずいぶんと力を使いこなしてきたようだ。

 時折、笑みすら浮かべてデイノニクスを手玉に取っている。技ではなく、圧倒的な力によってねじ伏せるスタイルでの戦闘で、デイノニクスの身体が宙を舞う。

「ところで、これだけの騒ぎなのにサルバトーレが出てこないのは何でだ?」

 護堂の疑問に、確かにと少女たちは思案げな顔をする。

「ねえ、護堂。サルバトーレさんって別に神獣に興味があったわけじゃないんでしょ?」

 明日香が言葉を選びながらという感じで言った。

「みたいだけどな。もしかして、アイーシャ夫人のところに向かったとか?」

「可能性としてはあるんじゃないかな。この騒ぎだから、面倒なお目付け役の人とかからも逃げられるんじゃない?」

 明日香の意見にますます少女たちは困った顔をした。

「確かに、徳永明日香の意見は信憑性があるな……」

「ねえ、リリィ。ここは、魔女の目でサルバトーレ卿を探してみたほうがいいのではないかしら。なんていうか、本当にどうしようもないことが進行している気がするの」

「だな、一つ探ってみよう」

 そうして、リリアナは目を瞑って魔女の目を飛ばし、問題児の行方を探ったのであった。

 

 

 脛の骨を神槍で砕いた手応えを感じた。

 悲鳴を上げて崩れ落ちるデイノニクス。

「と、ど、め、だ!」

 叫ぶ晶の全身を真っ黒な炎が包み込んだ。

 右腕の炎が肥大化し、巨大な拳となる。

「だあああああああああああああああああああ!!」

 ズグン、という地響きが城の窓ガラスを鳴らした。

 鉄槌と化した晶の拳がデイノニクスを押し潰したのである。

 腹部を完全に破壊された神獣は小さく呻いてから、それっきり動かなくなった。

「終わった。先輩、片付けました」

 何事もなかったかのように護堂の下に駆け寄る晶に、エリカは呆れ顔を浮かべる。

 まるで子どもが散らかした玩具を片付けただけと言わんばかりの言動である。

「リリアナさんは何を?」

「ちょっと、サルバトーレの居場所を探ってもらっているところだ」

「サルバトーレ卿の?」

 そう言えば姿が見えない、と晶は中庭をぐるりと見渡す。

 中央では未だにパオロとラファエロがデイノニクスを相手に死闘を演じている。

 さすがにただの人間である二人では、神獣を相手に善戦をできても圧倒はできないようだ。長期戦になれば、こちらが不利であろう。

「じゃあ、わたしあっちに加勢してきます」

 晶がそう言って槍を構え直したときだった。

「ッ……!」

 目を瞑っていたリリアナが跳ね起きるかのように顔を起こした。

「卿に勘付かれたようだ。魔女の目が破られた」

「さすがといったところかしらね」

 エリカが深刻そうな顔をする。

「でも居場所は分かったんでしょう」

「ああ」

 リリアナは頷いた。

 そこで、神獣が吼えた。

 おまけにその口から無数の雷撃が飛び出て、騎士たちを薙ぎ払う。

「こっちもこっちで中々……! 天叢雲、力を貸して!」

 恵那が虚空から天叢雲剣を引き抜いた。

 真っ黒な剣は天叢雲剣の影であり写し身である。日本風に言えば、分霊となろうか。本体と寸分変わらぬ力を持った型代である。

 敵の気配を感じ取ったデイノニクスが強靭な足で恵那に飛び掛った。

「やああああああああああああ!」

 恵那が颶風を纏って天叢雲剣を一閃。

 太い爪と神剣が激突し、爆発する。

 ビリビリとした振動が中庭に広がる。

「神降ろし!? そんな希少能力まで! 本当に護堂、あなたのパーティはどうかしてるわね」

 呪術の本場を自認する欧州にすら、この手の能力者はほとんどいない。血統も伝統も宗教的な弾圧などで多くが死に絶えたからである。

「でも、まあ、この戦力なら何とかなりそう。護堂。あなたはサルバトーレ卿を追いかけて」

「大丈夫か?」

「叔父様たちも全然問題ないみたいだし、恵那さんみたいな切り札もあるしね。わたしも高みの見物をするつもりはないわ。まあ、一匹仕留めるには十分な戦力よ」

 大騎士クラスが二十人余、聖騎士クラスが二人、そして神降ろしの巫女。さすがの神獣も力を与えてくれる何者かがいなければやがては討ち取られるであろう。

「草薙護堂。わたしが、サルバトーレ卿の下にお連れします」

「できるか?」

「はい。飛翔術ならば、すぐに目的地まで行けますから」

 リリアナが大きく頷き、呪力を練り始める。

「あの、わたしも行きます!」

 晶がリリアナに言う。

「分かった。だが、これ以上は無理だぞ」

 無理と言われて残念そうにする恵那や明日香。

「まあ、仕方ないか。現状の最高戦力だしね。こっちは任せといてくれればいいから」

 明日香はため息をついて、祐理の隣に立った。

 戦えない祐理を守るという意思表示であろう。

「すみません、お力になれず。あの、……護堂さん。お気をつけて」

「王さま! 恵那たちもすぐに追いかけるから、無理しちゃダメだよ!」

 祐理と恵那がそれぞれ思いを込めて送り出してくれる。

 仲間の声援を受けて、護堂は頷いた。

「ああ、ちょっと行ってくる」

 そして、リリアナは護堂と晶の手を掴んで、飛翔術の呪文を唱えた。

 青い光が球となって三人を包み込み、あっという間に視点が上空に至った。

「うお、すげえ」

 護堂は思わず口走っていた。

「目的地まで直線でしか移動できませんが、その気になれば数百キロを移動可能です。先ほど確認したサルバトーレ卿のお近くまで、一気に行きます!」

 そして、雪化粧が残る山を眼下に収めてリリアナと共に護堂と晶は飛んだ。

 サルバトーレの気配を護堂は明確に感じ取った。

 ガブリエルの直感が、サルバトーレを認識したとき、護堂たちは地上に降り立った。

 リリアナの言ったとおり、目的地まではあっという間であった。

「うん? おお、護堂じゃないか。奇遇だね」

 渓流の畔でぼけっとしていたサルバトーレがにこやかに笑った。

 この寒空の下で、薄着に剣を一振りだけ持ち歩いているという馬鹿みたいな格好である。

「お前が探してたっていう神獣。城に襲い掛かってたぞ」

「知ってるよ。だから、こうして抜け出してきたんじゃないか。アンドレアもそれどころじゃないはずだしね」

 やっぱりか、と三人は呆れ返った。

「あんたの真の目的がこの場所だったって訳だ」

「ふふ、そうそう。ちょっとばかりゲームがしたくてね」

「ゲーム?」

 なんだろうか、その不穏な響きは。

 ゲーム、遊戯、子どもの遊び。しかし、サルバトーレが引き起こすとなると、遊びでは済まされない。

「あの神獣、どうやらこの世ではないどこかに繋がっている孔から出てきたらしいんだよね。僕はそこを潜ってみたいのさ」

「アイーシャ夫人の権能でできたっていう孔か」

 護堂が言うとサルバトーレは目を輝かせた。

「そうそう。それさ。さすがだ、護堂。知っていたんだね」

「さっき聞いたばかりだよ」

 肩を竦める護堂は、サルバトーレの後方に自然と目が向いた。

 ピリピリとした感覚が護堂の肌に走っている。

 サルバトーレの背後、何もないはずの空間が異様に気になる。ある一点だけ、妙に呪力の濃度が違っているのである。それは、水に塩の塊を入れたときに、濃度の違いで水溶液中に揺らぎが見えるのと似ていた。不自然な呪力の流れをサルバトーレは野生の勘で探り当てたのである。

「気付いたかい、護堂」

「ああ、どうやらそこにあるみたいだな」

 一度気付けば、その存在を明確に意識できる。

 ほかのカンピオーネを上回る勘の持ち主である護堂ならば、見えない洞窟を探り当てることなど造作もなかった。

「そこで提案だ、護堂。僕と一緒に孔を潜ってみないか?」

「何?」

「ゲームって言っただろ。この孔の先に、僕たちの知らない世界がある。そこで、どっちが大きな活躍ができるのか競ってみないかい? ほら、最近日本のアニメでも現代人が異世界に飛ばされて~って展開増えてるだろ。ブームなんだよ。来てるんだよ! 乗るしかないだろ、このビッグウェーブに!」

 次第に語調を強めて、熱く語るサルバトーレ。

 とりあえず彼が日本のサブカルチャーに詳しいということを再確認した上で、護堂は槍を生成した。

「言いたいことは分かったけど、アイーシャさんの権能でどっか行って戻ってこれる保証はないし、こっちにどんな影響があるかも分からないんだ。そう簡単に許せるもんじゃないな」

「ふふふ、君ならそう言ってくると思ったよ」

 かつて一度は戦った者同士。

 しかし、護堂はあのときよりも手札を増やしているし、サルバトーレは隠された第四の権能がある。手の内を知っているというには程遠い状況にある。

「ここで君と再戦するのも面白そうだけど、やっぱり今は向こう側に興味があるからね」

 そう言うサルバトーレの身体から濃密な神気が流れ出る。

 権能を発動するつもりなのだ。

 察した瞬間、リリアナに啓示が下りた。

 狂乱と陶酔に関わる宗教の主神であり、東方からやってきた神の似姿がリリアナの脳裏に浮かぶ。

「酒と豊穣、狂乱の神――――デュオニュソス!?」

「それが分かるとは、さすがクラニチャール」

 サルバトーレの表情が変わった。

 朗らかで能天気な青年は、今や神を殺す戦士の表情を浮かべて剣を握っている。

「第四の、権能か!」

 護堂は初めてサルバトーレの隠し玉を見た。

 攻撃的な権能には思えない。しかし、この男の権能は一芸に特化したものか、あるいは限定的ながら、極めて面倒な効果を発揮するタイプの権能である。このデュオニュソスの権能も、この状況で使うからには意味があるに違いない。

 どうする――――そう思案したとき、護堂の手の中で槍が弾けた。

「な、に」

 呪力を吹いて、槍が暴れたのである。

 思わず地面に取り落とした神槍は、地上でガタガタと震えて呪力を発散している。

「ふふふ、驚いてくれたかな護堂。今の僕はあらゆる神秘の力を強化したり、活性化させたり――――というか暴走させることができるのさ。使い手の僕ですら、まともに権能の制御ができなくなるんだ。絶対にコントロールできないから、使おうとか思わないほうがいいよ」

「なんだ、それ。反則だろ」

 そう、反則だ。

 ぎちり、と頭に激痛が走る。

 使用していたガブリエルの権能が必要以上に活性化されたせいで頭痛を引き起こしたのである。目の前が真っ赤になり、脳が熱を帯びている。

 慌てて、護堂は権能への呪力供給を遮断した。

 ブレーカーが落ちたかのように、護堂の頭が一瞬真白になった。

「くっそ……」

 サルバトーレには剣があり、こちらは丸腰だ。

 権能に頼らなければ大した戦力を持たない護堂と元々世界最強クラスの剣士とでは、素の戦闘能力に大きな開きがある。負けるとは思わないが、圧倒的に不利だ。

「いざ、バッカスの巫女たちよ――――神の子を呼び参らせよ。荒ぶる神の酒に酔い、家を捨て、山を彷徨え。我等の神を崇め奉れ!」

 サルバトーレが聖句を叫ぶと、護堂の体内の呪力までが活性化し、暴れ始めた。全身が熱くなり、興奮状態に陥ったかのようだった。

 相手にまで強制的に干渉する力は、凄まじいの一言だ。

 そして、護堂は見た。

 サルバトーレの背後に大きな洞窟がぽっかりと孔を開けているのを。

 その孔に周囲の空気が吸い込まれていく。

 真空に向かって空気が流れ込むようなものだろうか。引力のような何かが、護堂たちまで捕らえていた。

「ちょうどいい感じに暴走してくれたな。よしよし」

「よしよしじゃねえ。この、ドアホウ!」

 吸引力がますます強くなっていく。

 護堂とリリアナは姿勢を低くして吸い込まれないようにする。

「じゃあ、僕は向こうに行くよ。また会おう、護堂」

 サルバトーレはふっと全身の力を抜いて吸引に身を任せた。

 青年の身体は真っ黒な洞窟に呑み込まれて消滅する。

 サルバトーレがこの場を離れても、吸引は終わらない。

「護堂さん! 撤退しましょう、このままではわたしたちも呑み込まれてしまいます!」

「ああ、分かった。――――晶」

 護堂は晶に呼びかける。

 が、晶は苦悶の表情を浮かべて膝を突き、身体を丸めてしまった。

「お、おい、どうした!?」

 護堂の目の前で晶が身体を震わせる。

「――――つい」

「?」

「熱い、身体、が、熱いんです、い、ぐぅううッ」

「あ、くっそ――――」

 そこで護堂は思い至った。

 権能や呪術を暴走させる。それはつまり、肉体を権能と呪術で構成している晶にとっては身体中の細胞が暴走しているに等しい状況に陥ったというわけである。

「護堂さん、高橋晶との接続を一端切ってください!」

「分かってる!」

 晶の暴走を止めるには、ガブリエルの権能を遮断したように晶への呪力供給をストップし、強制的に霊体にしてしまうしかない。

 しかし、その判断は僅かに遅かった。

 晶の全身から、墨汁を煮詰めたかのような漆黒の煙が吹き上がり、炸裂したからである。

「あああああああああああああああああああああああああああああああああッ」

 内側を引っ掻き回されるような激痛に苛まれた晶は耐え切れずに絶叫し、呪力を爆発させた。

 結果、護堂もリリアナも踏ん張りが利かず、意識を失った晶と共に先の見えないトンネルに放り出されてしまったのであった。

 

 

 

 

 ■

 

 

 

 雷鳴が轟いた。

 木々は倒れ、川は氾濫する。

 恐るべき神気が大気に満ち満ちている。

 相対するのは二柱の『まつろわぬ神』。

 ――――金と銀が入り混じった髪を肩口で切り揃えた女神は雷光を背負い、黒い瞳で空を睨み付ける。美しく柔らかな絹の衣装は戦闘によって破れて素肌がところどころ露出していた。

 ――――金の髪を風に乗せ、穏やかな笑みを浮かべる神は、少年とも少女ともつかない美しい顔立ちだ。トーガのようなゆったりとした服を纏って、悠然と宙を踏みしめている。

 二柱の神の上空では、数え切れないほどのフクロウが互いにぶつかり合い、爪と嘴で傷つけあっている。舞い落ちる羽が嵐に飛ばされて何処かに消え、落下した死骸も呪力の粉と化して消える。

「ずいぶんと息が上がっているようだね、女神様。この辺りが潮時かな」

「抜かせ異教の野蛮人が」

「それを言ったら君もそうだろう。僕からすれば、君は邪悪な異教の雷神さ」

 ふわりと、空の神は手を広げた。両手には雷の球が発生し、その背後に氾濫した川の水が持ち上がる。

「く……」

 女神も負けじと雷を招来する。

 しかし、力が足りない。

 疲弊しきった今の女神では、この神には届かない。

「じゃあね」

 穏やかな微笑を湛えたまま、その神は無造作に死の放流を叩き込んだ。

 川の水が一匹の竜となり、雷を吸収して女神を押し潰そうとする。

 押し寄せる水の塊を前にして女神の雷撃はあまりにも心細い。

 打ち込んだ雷撃ごと、その小さな身体は瞬く間に濁流に呑み込まれて勝敗は決した。




久しぶりに書いてみた。

古代編は長丁場になりそうだから完結を外してみたり。
終わったら、またつける予定。

とりあえず、オリジナルを挟まないと死んじゃう病ということで原作未登場神様二柱登場です。ウルディンはその後じゃ。

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