カンピオーネ~生まれ変わって主人公~《完結》   作:山中 一

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中編 ロサンゼルス編 Ⅱ

 正史編纂委員会は日本で唯一の公的呪術結社である。所属している職員はすべて国家公務員扱いであり、日本伝統の呪術の保全と発展を主任務として日々全国津々浦々で活動している。

 日本の人口は一億人を突破して久しく、少子化が叫ばれる現代でも呪術の本場であるヨーロッパに比べれば人口は圧倒的に多い。そのため、全体的な呪術師の人数も国別で見れば上位に位置している。

 しかし、人口比で見ると呪術師が不足しているのが現状で、なかなか正史編纂委員会の目が行き届かないところが多い。

 『民』と『官』を住み分けすることで、これまでは上手くやりくりしてきたのだが、その合間に付け込んで犯罪を犯す者は後を絶たない。とりわけ、昨年の内訌以来、犯罪の発生件数は微増傾向にあった。

 カンピオーネが正史編纂委員会の長に就任したとはいえ、罪を犯す者は犯す。反骨精神に溢れる者や、カンピオーネに詳しくない三流呪術師などにはまだまだ護堂の影響力が及ばないのである。

 まつろわぬ法道が引き起こした全国的な騒乱が尾を引いて、治安も悪化した。そこで、引き締めを図るために、本格的な掃討戦に打って出たのである。

 埼玉県某所に馨はいた。

 二階建てのビルの一室を借りて、簡易拠点とし指揮を執るために東京から出向いてきたのだ。

 人間の組織を相手にするのは、昨年の五月以来のことで懐かしく思われる。あのときに比べればずいぶんと気持ちが楽である。

『馨さん、こっちはいつでもいけますよ』

 携帯で会話する相手は晶である。あえて、念話を使わないようにしているのは敵にも呪術師がいるからだ。勘付かれるのは、できるだけ避けねばならない。

「分かった。君のタイミングで突入していいよ。ビルの包囲は済んでいるからね。鼠一匹逃げられやしないよ」

『最近、いいように使われすぎている気がします。わたしは、先輩の式神なのに』

「草薙さんの地盤を固めるために粉骨砕身するのも式神の仕事じゃないかな」

『物は言いようですね。……もう、こんな夜遅くに中学生を働かせるなんて労働基準法違反です。公務員なのに』

「それを言えば、僕だってまだ高校三年生だよ。何もせずにうろついていれば補導コースさ」

 労働条件に苦言を呈する二人は、共にそれぞれの分野で日本最高峰の実力者だ。政治的な折衝に関して、馨の右に出る者はいない。晶の力はもはや人間の枠に収まるものではないのでいいとしても、馨のような未成年が組織を回しているというのが、ある意味ではこの国の人材不足を象徴するものといえるだろう。

「まあ、面倒な仕事ほど素早く終わらせるに限る。内部には武装した呪術師が十人以上いるようだけど、応援はいる感じかな? 今ならまだ間に合うけど」

『いりません。中に入ったときと顔ぶれは大して変わっていないみたいですし、あのくらいなら一人で十分です』

「草薙さんに自慢できるくらいには、結果を出して欲しいな」

『分かってます』

 むすっとした声で、晶は返答した。

『わたしもロサンゼルスに行きたかったのに、なんで万里谷先輩だけなんですか』

「それは、君にはこっちの仕事のほうが適任だからね。草薙さんも、それぞれの能力を加味して判断したんだよ」

『うー……分かってますけどぉ』

「羨ましいなら羨ましいって、はっきり言ってもよかったのに、律儀なものだね。君たちは」

『もういいです。そっこーで終わらせてきますので、切ります』

 ブツ、と馨の返答を聞かずに晶は通話を切った。

 納得いかないことを納得できないままに我慢するというのは、自制心が必要だ。晶は生い立ちからして、精神的に未熟なところがあるので、今回のことはそれなりにいい薬になるのではないか。

 政治的には、護堂と祐理をより親密にするという意図もあった。

 馨が意識しているのは次世代の人材だ。後継者が作れない晶や知識に特化した明日香よりも、血に能力を宿している祐理や恵那に寵愛が向くほうが組織としてはありがたい。

 尤も、そのようなことを口に出そうものならどこから槍が飛んでくるか分からないので絶対に言わないが。

 

 

 一方の晶は、三階建ての雑居ビルに巣食う呪術犯罪者の集団に怨念を向けていた。

 学校指定の紺色の体操着を着た晶は、何食わぬ顔でビルの中に入る。こじんまりとした個人事務所という感じだ。一階は駐車スペースになっていて、ガラス製のドアを押し開けるとすぐに階段がある。そこを上っていくと、事務所に通じるようになっているのだ。

 祐理だけが、選ばれて護堂と共にロサンゼルスに渡ったというのは腹立たしい限りだ。我慢したのは、ただ護堂に面倒をかけたくないからというそれだけのことで、断じて納得したわけではない。

 年頃の男女がホテルで同室だったりしたらどうなるか。

 一緒に寝たり風呂に入ったりもあるかもしれない。護堂は公式ハーレム王なので、間違いがあってもまあ、なんとでもなるかもしれないが、女として不愉快なのは否めない。

 そもそも、高校一年生で二人きりでのお泊り会など不健全だ。同室や風呂など言語道断。まったくもって破廉恥だ。

 渋い表情のまま、晶は霊体化する。相手が呪術師なだけに、ビルには警報用の結界などが張られているのだが、実に低レベルのものでしかなくすり抜けるのは容易だ。姿を消したまま、晶は二階へ。

 この世ならぬもので構成された晶の肉体には物理攻撃が通じない。身体の構造としては『まつろわぬ神』や神獣に近いので、呪術も対神用の秘術でなければ効果は薄いという破格のスペックだ。それが、姿を消して忍び寄ってくるのだから、対応できる人間などそう多くはない。

 十六人の呪術師を一方的に無力化した晶がつまらなそうな口調で馨に連絡を入れるまでに、五分とかからなかった。

 

 

 

 

 □

 

 

 

 

 護堂と祐理はSSIの職員と共にマイクロバスで自然公園に移動することになっている。

 ロスフェリスを出た一行はヴァントーラフリーウェイを通って、市街地の中を進む。ロスフェリスの街がそもそも山麓になるのだが、今、護堂たちの左手に見えている山地は、ロスフェリスの背後に佇む山と繋がっている。山脈といったほうがいいかもしれない。

 アルテミスの被害者たちが収容されているのは、この山の中でも特に自然豊かなサンタモニカ・マウンテンズ国立保養地の奥地であるという。

 市街地を抜けて荒涼とした大地が見えてきたところで左折し、山に向かう。アメリカらしい光景に、護堂は内心でいたく感激する。

 そうして、休憩を挟んで三時間あまりの行程を経てやってきたのは土の匂いに満たされた森の中であった。

 サンタモニカマウンテンは、一〇の公園が集まる総面積一五万エーカーにもなる巨大公園だ。大都市に近いものとしては全米でも最大規模だというが、日本のこじんまりとした公園しかしらない者からすれば、公園という言葉の意味を考え直さなければならないとも思えるだろう。

「気軽に遊びに来るところではないな」

「キャンプとかにはいいかもしれませんね」

「ああ、沢遊びもできそうだしな」

 なんにしてもアメリカは規模が違う。

 経済もそうだが、国土が桁違いなのだ。その中にあっては公園も巨大化するのだろう。

 どういうわけか、アニーとスミスの姿はない。聞くところによると、邪術師がまたよからぬ企てを始めたらしく、その討伐に赴いたというのだ。

 アニーがいなければスミスもいない。当然のことだ。

 日本でも晶に似たようなことを任せてきたなと思いながら、護堂は自分の役割をこなそうと意気込む。

 遊歩道を歩いていると、呪術の気配を感じた。目には見えないが、結界が張ってありその奥に別の道がある。

 結界に気付いた護堂と祐理の様子に、先行するジョーは微笑む。

「気付きましたか。そうです。この奥に、件の施設があるのです」

「結界で区切って、一般人が入らないようにしているんですね」

「そうだ。ゴドーは呪術に触れて浅いと聞くが、カンピオーネともなると簡単に見つけてしまうのだね」

「似たようなものを前にも見ましたから」

 土地を隠す結界は、日光や高橋家を訪れたときに見ている。この結界は一般人を対象にしているので、呪術師の侵入を想定していた日光と高橋家に比べればそれほど秘匿する力は強くないように思える。

「そのまま、真っ直ぐに行けば通れるようになっているから、構わず進んでくれ」

 そう言って、証明するようにジョーは結界の奥に消えた。護堂の目からすると、薄ぼんやりとした風景の奥にジョーの姿が歪んで見える。一般人から見れば、木々しか映らないのだろう。

「なるほど、こうなっているのか」

 感心しながら、護堂は結界を通り抜けた。

 

 

 そこは、真白な施設だった。

 一見すれば博物館のような印象を与える。建造物としては小規模で、駐車場もない。寝泊りし、呪術の研究をする。ただそのための建物のようだった。

「ここが、アルテミスの呪詛を研究する専門機関だ。ゴドーが彼らを救ってくれれば、業務時間の七割が浮くことになる」

「それはいいんですか?」

「無論だ。その分だけ研究に時間を費やせるというものだ。こんな業界だからね、我々も人手が足りないんだ」

「どこの世界も同じというわけですか」

 日本とアメリカ。人口も規模も異なる両者だが、共に内訌を経験している、政府所属の機関であるなど接点は多い。SSIに関しては長年神祖率いる邪術師一派の『蝿の王』と戦いを繰り広げていたためにそれなりに消耗しているのである。

「善は急げだ。このまま、彼らの下に案内するつもりだが、いいかね?」

 ジョーが尋ねてくるので、護堂も頷いてその提案を受け容れる。

 施設に入って真っ直ぐ進むと、鍵のかかったドアがあった。ジョーが職員から鍵を受け取って、ドアを開けると、その先は広大な自然公園の中に続いていた。

「昨日説明した通り、結界と網で行動範囲を絞っている。肉食獣に変えられた人は、別にいるからそこも案内しよう」 

 このようなとき、結界は便利だと思う。

 網を使っているが、結界を張るほうが資金面では楽なのではないか。手間もかかるまい。維持管理がどうかは分からないが。

 護堂の視界にいるだけでも百余匹の動物がいる。馬であったり鳥であったり羊であったりと種類は多彩だ。

「これが、元人間か」

「正確には元人間も混ざっているですね」

 動物に変えられた人間と動物との区別をつけることができないのだという。

 さすがにシマウマやヌーあたりは人間だと判断できるが、在来種に変わった人はどうにもならない。

「分かりました。それじゃあ、始めます」

 目前を行き交う動物たちが人間だと思うと怒りが湧き起こってくる。確かに、神話上でもアルテミスはカリストーを大熊に変身させるなどしているが、それは物語だから許されるのである。

 護堂は脳裏に黄金の剣をイメージし、言霊を紡ぐ。

「アルテミスは、ギリシャ神話の女神だが、その信仰は新石器時代にまで遡り、系統としては紀元前六〇〇〇年頃には存在した多産の女神の系譜に当たる。もともとギリシャ民族の女神ではなく、それ以前の信仰を核としてギリシャ神話に取り込まれた外来の女神だ」

 古き地母神。例えば、アナトリアのチャタル・ヒュユクで発見された女神像はキュベレーと関係付けられるが、アルテミスは多産の女神としてこのキュベレーの系譜を引く。

 彼女たちは生と死の円環を司る大地の女神であり、多産の女神の系譜は、アルテミスが百獣の女神とされる由縁でもある。

 これとは別に、水と鳥と蛇に縁を持ち天空と地上を繋いだ女神の一群もあった。

 この系統は、インド・ヨーロッパ語族系の民族の侵入によってヨーロッパの中央部から駆逐され、ギリシャやエーゲ海近辺、クレタ島などで生き延びた。

 ヘラやアテナの系統である。

 農耕文化以前の思想を残す水と鳥の女神に対して、多産の女神は純粋に農耕文化から派生したと考えられる。

 こうした神格の背景を語り、そのまま武器とするのが『戦士』の権能だ。

 護堂が一言呟くたびに、その周囲を黄金の光が取り巻いた。

 神々を斬り裂く黄金の剣。言葉によって紡がれる歴史を暴き立てるものだ。

「アルテミスの職能は広い。古くから豊穣や出産を結び付けられて信仰されてきたが、それと同時に凄腕の狩人でもあった。古代ではアルテミスには人間が捧げられていたが後に生贄が雄牛に変わり、そのために『雄牛殺し(タウロポロス)』という別名がつけられた」

 黄金の星が宙をかける。流れるように標的を追いかけ、討ちぬいていく。オランウータンが一瞬にして人間の男性に変わった。鳩が、雉が、シマウマが、次々と人の姿に戻っておく。

 護堂は手応えを感じながら、言葉を続ける。

「アルテミスが後に月の女神と同一視されるのも狩人の側面があったからだ。夜に狩りをするアルテミスの行動は、破壊者として欠けていく月を連想させた」

 アルテミスの神話を解体していくごとに、園内にいる動物と人間の比率が変わっていく。子どももいれば、大人もいる。人種も多様だ。それだけ多くの人がアルテミスの犠牲になっていたのだ。

「アルテミスの神話は他の神々のそれと同じく当時の人々の文化を下地にして構成されたものだ。例えば、自分の裸身を見たアクタイオーンを鹿に変えて八つ裂きにするのは古代ヨーロッパの『王殺し』の風習に影響を受けているし、ゼウスと交際したカリストーを熊に変えるのは少女が結婚して大人になったことの暗喩だともされる」

 古代ヨーロッパには力を失った王を殺して新たな王を立てることで秩序を回復するという文化があった。北欧神話の王であるドーマルディが、飢饉に対処できなかったことから豊穣神への生贄にされた話などが代表例だ。

 アテナイではアルテミスの祭で少女が熊の真似をして踊ったという。これは、結婚して大人の仲間入りをする通過儀礼をアルテミスが司っていたということであり、処女を失って熊になるカリストーの神話がこうした文化を下地にしていることは推測できる。

 山の神(狩猟神)が結婚と出産を司るのは日本も同じであり、アルテミスとカリストーの神話は処女=自然から熊=獲物=文化(結婚)の状態に移行することを示しているのである。

 処女に聖性を認めていた西洋と異なり、老人に聖性を認めていた日本ではアルテミスの役割は山姥という妖怪に当てはめられる。

「スイスのヘルヴェチカ人は、アルテミスを雌熊として崇拝し、アルティオと呼んだ。ケルト人がこの神を取り入れ、アルトと省略し、やがてアーサーへと転訛する。ケルト人社会で熊は戦士階級を示すから、英雄の名前として取り入れるには都合がいい」

 呪詛という呪詛をなで斬りにする。

 星の数は空を覆い尽くさんばかりになり、流星群のように地上に降り注ぐ。逃げ道を塞ぎ、推し包むように結界内を一掃するのだ。

「ジョー先生。肉食獣のほうに行きます」

「あ、ああ。分かった。すぐに案内する」

 黄金の剣を維持したまま、護堂はジョーをせっついて施設の中に戻る。肉食獣は、主として熊だった。共食いの危険性が低いからいくつかのグループに分けられて分散隔離されていた。

「アルテミスは強大な女神だったが、やがてその立場を落とされることになる。アルテミスの双子の兄であるアポロンが母権制社会を破壊して父権制社会を創始したからだ。アルテミスは本来アポロンの母であり、だからこそアポロンは狼や鼠といった大地と闇に関わる姿をしていた。これが覆されてアルテミスは太陽神の妹という立ち位置に落とされた」

 母権制社会の象徴とも言えるアルテミスの否定は、革命的な事件であろう。アポロンの役回りは、神話学的に見ても非常に大きい。

 黄金の剣が舐めるように熊たちに殺到し、施設内を輝かしい光で埋め尽くす。

 光が消えた後には、それぞれの姿勢で倒れる人々の姿があった。

 施設職員が慌しく救護していく。意識がない人々を介抱するのは、とても骨が折れる作業だ。

 とはいえ、事前に分かっていたことなので、人手の用意はしてあった。素人の護堂が手を出すまでもない。

「すばらしい。すばらしい権能だ。ゴドー。見たところ言霊による神格への直接攻撃かな」

「それは秘密です。といっても、使えばすぐにばれてしまいますけど」

「ああ、分かっている。他言はしないよ。これだけの人を救ってくれたことに、ともかく感謝する」

 感動したのか、目尻に涙さえ浮かべてジョーは護堂の手を取った。

 大袈裟な、と感じるものの、護堂がいなければ彼らを救うことはできなかったのだ。それだけの結果を出したと喜ぶところだろう。

「草薙さん!」

 ちょうど、そのときだった。

 それまで、静かに成り行きを見守っていた祐理が叫んで、駆け寄ってきたのである。

「どうした?」

 焦ったような祐理の表情に、護堂は不安を覚えながら尋ねる。

「何か、近付いてきます。ものすごく、大きな力が」

「なんだって……?」

 護堂は表情を引き締めた。

 祐理の勘はよく当たる。霊視が使える者は、危険に敏感だというが、祐理のそれは半ば予知の領域に足を突っ込んでいる。

 祐理が危険と言うからには、それなり以上に危険な存在が接近しているということだ。

 祐理に遅れて、護堂の身体にも変化が生じた。

 身体の奥から力が湧き上がってくるこの感覚は、これまでに幾度も経験してきた戦闘態勢への強制移行の合図だ。

 つまり、向かってくるのは『まつろわぬ神』だということだ。

「なんだってこんなときに」

 護堂は毒づいて、ジョーと目配せする。スミスがいないこの場に『まつろわぬ神』が現れたのだから、護堂が対処せねばならない。ジョーは護堂の意を汲んで、施設職員と倒れた人々を安全な場所に避難させるべく指示を飛ばし始めた。

 結界の上を大きなドラゴンが通り過ぎて行ったのを見送って、護堂は施設の外に出たのであった。




この話で百話目です。
もうすぐ九十万字じゃあああああああ。







??「先輩の部屋しばらく誰も来ないんだ」
  
??「ああぁぁぁせんぱぁぁいぃ、早く帰ってきてよおぉぉぉぉぉ、はぁはぁもぞもぞ…………うっ…………」


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