「一夏、ちょっといいか・・・・・・」
寮の自室で情報を漁っていた一夏は急に部屋に来た千冬にそう話しかけられた。
箒はその急な事態に固まっていた。
自分を知っている人間なら当然来るであろうことは、箒の件でもすでにわかりきっていた。
一夏は何も言わずに千冬について行くことにする。この手合いは答えないとずっとへばり付くのだ。
一夏がこれからもすべきことに、それは邪魔以外の何物にもならない。だからこそ、一夏は千冬と話すために部屋を出た。
絆という繋がりを断つために・・・・・・
千冬に連れてこられたのは寮の外の林だ。
この時間に室内では、誰かに聞かれるかもしれないからだ。少なくとも、聞かれて良い話では無い。
「何の用だ」
一夏は林につくなり、千冬にそう聞き始めた。
その声には不満も何も感じられない。淡々としたその声に千冬は恐怖を感じながらも一夏に聞く。
「お、お前が居なくなってからの二年間心配していたんだぞ! 一体どこにいたんだ! ずっと探していたのに見つからなくて・・・・・・」
千冬は一夏のことを如何に心配していたのかを一夏に言うが、一夏はそのことに何の感情も浮かばせずに黙ったまま聞いていた。
そして千冬が言い終えると、やっと口を開いた。
「それだけか・・・・・・なら俺は戻らせてもらう。こちらは忙しい」
一夏はそれだけを言うと、この場を去ろうとする。そんな一夏の態度に、千冬は言いたいことを言い切れず、頭の中が滅茶苦茶になって何を言おうとしていたのかが分からなくなってくる。このままでは一夏が去ってしまうッ! そう思った千冬は思わずに叫んでしまう。
「ま、待て一夏! 復讐なんて止めるんだッ!!」
その叫びに一夏の足が止まる。
そして千冬の方に振り返ると、今度は一夏から話しかけてきた。
ただし、その顔には冷徹な殺意が貼り付いていた。
「・・・どこでそれを聞いた。返答次第では・・・・・・殺す」
初めて一夏に向けられた殺意に、千冬は自分の呼吸が乱れ冷や汗を掻き始めたことを自覚した。
怖いと、そう素直に感じた。昔の一夏からは想像も出来ないその感情。それを初めて向けられた千冬は一夏に恐怖した。
「保健室で外部の男が言って来たんだ。か、髪の長い男で、精神を逆撫でするような笑みを浮かべていた。そいつが言っていたんだ。今の一夏は昔とは違う別人で、関わるなと。お前が拉致されてどんな実験を受けさせられていたのかは知らない。でも、復讐なんてやっても無駄だ。やったところで何かが戻ることなんてないのだから・・・」
そう千冬は捲し立てるように言った。
一夏はそのことを聞いて内心で軽く舌打ちを打つ。
(アカツキめ・・・・・・来ていたのなら、こんな茶番をさせる必要もないだろうに・・・・・・)
アカツキが笑う姿が一夏の頭の中に浮かぶ。
それを少し腹立たしく思いながらも、千冬の話に耳を傾け、そして・・・・・・ドロドロとした怒りがこみ上げてきた。
目の前の奴は何を言っている? 復讐なんてくだらない。やるだけ無駄だからやめろ? せっかく助かったのだから、お前は幸せになれ?
(冗談ではないっ!!)
この時、初めて一夏は感情らしい感情を外に出した。
しかし、それは千冬の望んだものからはほど遠い。
別に声が荒立っているわけではない。顔が歪んだりしているわけではない。
只の無表情。声も淡々としたしゃべり方で、いつもと変わらないように聞こえもするだろう。
しかし・・・・・・その『声』は、誰が聞いても分かるくらい、黒い感情があふれ出していた。
「無駄かどうかではない。奴等が生きていることが許せないからするんだ。これは俺が俺足り得る唯一のものだ。邪魔する者はだれであろうと、それこそ肉親だろうが友人だろうが容赦なく殺す。奴等を殺すことを邪魔するのなら、俺はすべて殺し尽くす」
一夏から発せられるあまりに凄まじい殺気に千冬はさっきまで話していた口が止まってしまった。
何も話せなくなる。それどころか呼吸すら出来なくなり、さっきから喉からヒューヒューと空気が漏れる音だけが聞こえてきた。
「幸せなど俺には必要ない。奴等を殺せさえすれば後はどうなるかなど、知ったことでは無い。助かっただと? あんたにわかるのか? 五感すべてを失うということがどういうことなのかを。何も見えず、聞こえず、感じられず、己が生きているのかも分からない状態を。わかったような口をきくんじゃない」
一夏はそう千冬に淡々と言う。
千冬の顔はあまりの恐怖に真っ青に変わっていった。
一夏はある程度湧いて出た感情を吐き出すと、千冬に真っ正面から向き合う。
そして、箒にしたように目の前でバイザーを外す。
途端に一夏の目には闇夜よりも真っ暗な闇が広がった。
周りで聞こえていた喧噪や音の一切が聞こえなくなる。
肌を撫でていた風の感触が消え去った。
一夏は何も感じられない状態のままに、千冬に話しかける。自分が何を言っているのか聞こえない。どんな顔をしているのかわからない。千冬がどんな顔をしてこの言葉を聞いているのかわからない。
それでも、一夏は言った。
「頼むよ、千冬姉。これが千冬姉の弟である、織斑 一夏の生涯最後のわがままだからさ。何も言わず、俺に一切関わらないでくれ。あなたの知っている弟はもう死んだ」
バイザーを外した一夏は笑顔でそう言った。
勿論本人に自覚は無い。その声も優しさに満ちたものだった。
それを聞いた瞬間、千冬は泣き崩れてしまった。
そして理解してしまった。
もう一夏を救うことは出来ないと・・・・・・
一夏は再びバイザーをかけ直す。その表情はさっきまでの笑みからはほど遠い無表情へと戻っていた。
そのまま一夏は何も言わずに千冬の前から去って行った。
林の中からは、静かに泣く千冬の声だけが聞こえていた。
次回はやっとセシリア戦になりそうですよ~。