Mが襲撃をかけてきたためにキャノンボールファストは中止となり、観客は皆帰っていく。
そのことを残念に思う人々であるが、その中には寧ろ驚愕している者達もいた。
それは企業の人間であり、今回のレースでネルガルのISの性能を見せつけられたのだ。
その性能は現状のISを遙かに凌駕するものであり、技術の提供や共同開発をしたいと言い出す企業がネルガルに殺到することだろう。
だが、それは一夏が気にすることではなくアカツキ達の仕事である。
なので一夏はそのことを全く気にせずにIS学園へと帰っていった。
そして一週間が経った。
その間一夏が特にすることはなく、いつもと変わらない情報収集をして過ごしていた。
実は先の騒動にて市街地で勝手に戦闘を行った事について当然咎められたが、とある所からの圧力でかなり減罰された。IS学園はどこの国からの干渉を受けないということになっているが、それでも全てを防ぐ事は出来ない。各国政府は勿論、巨大な企業からの圧力や意向には何かしら左右されるものなのだ。
そこで一夏に下った処罰は『反省文』四百枚なのだが、一夏がこれを真面目に受ける訳が無い。
一夏はこの反省文をネルガルのシークレットサービスに任せ、偽造文を作成させて提出したのだった。一夏自身反省などないし、そもそも真面目に書くなんてこともない。
そんなことに時間を費やしているのなら、その分の時間を情報収集に当てた方が何も見つからなかったとしても有意義である。
一夏は自分に当てられた処罰をさっさと済ませ、屋上で日課に集中していると、突如プライベートチャネルでの通信が入った。
それが誰なのかは見なくても一夏には分かっている。
「………情報は………」
『君は本当にせっかちだなぁ~』
ホロウィンドウにはアカツキがいつもと変わらない笑みを浮かべて映っていた。
「…………………………………」
一夏はそれを無表情で答える。
そもそも、アカツキからの連絡というものは情報が手に入った時以外にはない。
それを理解しているからこその反応である。
アカツキのおふざけに付き合う気は毛頭ないのだ。
『君はもうちょっとユーモアを学んだ方がいいと思うよ。まぁ、それは置いといて。まずは良くない情報から教えようか』
アカツキが苦笑しながらそう言うと、一夏は無言で頷く。
『君がエスコートしてきた彼女なんだけど、これが中々に強情でね。中々に教えてくれないんだよ。前の彼女みたいにこっちでやれば全部分かるんだろうけど、流石にあの人と契約した手前、勝手にするわけにもいかなくてさ』
「…………それで連絡してくる理由は………」
『まぁ、それで終わりだったら連絡しないよねぇ~。実はねぇ、その彼女なんだけど、君に会いたいっていうんだ。会ったら話してくれるっぽいんだよね。だから明後日の休みにこっちに来てくれない』
「…………わかった………」
一夏はそう返事を返すと、通信を切った。
そろそろ秋も深まる冷たい風が頬を撫でるが、一夏はその冷たさを感じる事も無く屋上を後にした。
その通信を受けてから明後日、祭日であり休みとなっている。
学園の生徒が悠々とくつろぎ己が時間を有意義に過ごしている中、一夏は学生服のままネルガルの地下研究所へとボソンジャンプを使って跳んだ。
そして到着次第、さっそくアカツキに呼び出された部屋へと向かうことにした。
そのまま研究所内を無言で歩いて行く一夏。すれ違う研究者達は一夏を見ても特に何か思うこと無くすれ違っていく。お互いの不文律のように、研究者は基本的に一夏には話しかけないようになっていた。だが、それは単に一夏が怖いからではなく研究に夢中だからである。ネルガルの研究員の殆どは変人であった。
ある意味、この研究所だけが一夏に物怖じする者がいない場所である。
そして一夏が呼ばれた部屋に近づいて行くと、部屋から何やら五月蠅そうな声が聞こえてきた。
「だ~か~ら~、抱きつくなと言っているだろう!」
「えぇ~、いいじゃん。だってこんなに柔らかくてすべすべしてて抱き心地がいいんだからさぁ~」
「や~め~ろ~!」
何やら騒がしい様子だが、一夏は気にせず部屋に入った。
「…………………………………」
入った途端に目に入ったのは、白いワンピースを着た亡国機業のMが篠ノ之 束によってもみくちゃにされている光景であった。
一夏はその光景を見て……………気にせずに置いてあったソファに座りアカツキに来たことを伝える。
「あ、いっくん、おっひさ~。元気~」
一夏に気付いて束が声をかけるが、一夏は何も答えない。
それでも束は気にせず、Mをいじり始めた。
「いや、そこは止めるところだろう!」
Mは束にもみくちゃにされながら一夏に突っ込むが、一夏はいつもと変わらない無表情で何も答えないままであった。
そのまま少ししてからアカツキがその部屋へと入ってきた。
「いやぁ、呼び出しといて遅れてごめん。ちょっとエリナ君に怒られてねぇ」
アカツキはさわやかな笑顔を浮かべながら近くにあった椅子に座る。
「べっつに~。『アッキ~』はどうせ遅れてくるって分かってたし~」
そんなふうに束が返してきた。
束のことを知っている人間なら誰しもが驚愕することだろう。
束が名を呼ぶということは、つまり個人を認識しているということである。それはつまり、束がアカツキを認めているということだ。きっと取引の時に何かしらあったのだろうが、一夏は気にしない。
束は世紀の大天才だが、アカツキも負けない程の天才である。ただし、その才は悪事にのみ向いている才で、一夏はアカツキのことを『悪事の大天才』だと認識している。
天才同士、何かしら認め合うものがあったのだろう。
「そう言われると手痛いね。お詫びと言ってはなんだけど、美味しいケーキが手に入ったんだ。それを御馳走するよ」
「え、ケーキ! やった~」
アカツキはそう言うと室内の連絡機に連絡を入れてケーキを持ってくるよう命じる。
その様子に一夏は内心呆れた。
遅れてからのこの提案まで全て計算の内だろう。それを白々しくやるアカツキを見て一夏は面倒な奴だと思った。
そしてケーキが届けられ次第、早速皿に取り分け束達に配膳される。
束はそのケーキに喜び、Mも気になるのかちらちらと見ていた。
「それじゃあ、話す前にこれで気分を落ち着けようか」
「お~う!」
アカツキの声に束が頷き、さっそく一口食べ始めた。
「う~~~ん、甘~い、美味しい~!」
束は笑顔でそう言うと、Mに向かってケーキを掬ったフォークを差し出した。
「ほら、あ~~~ん」
「自分で食べられる!」
「別にいいじゃん。はい、あ~ん」
束にケーキを差し出されたMは嫌がるが、束は強引に口の中にケーキを入れる。
そのことに若干驚きつつもMはケーキを咀嚼し…
「美味しい……………」
その美味しさに恍惚とした表情を浮かべた。
そして自分がそんな顔をしていたことに気づき、顔を羞恥で真っ赤にしながら咳払いをした。
そしてそんな光景を見ても一夏は何も言わずにアカツキをじっと見る。
「………これは嫌がらせか……」
「いや、そういうわけじゃないよ。ごめんごめん、忘れてたよ」
一夏がアカツキにそう言った理由。それは、一夏の前にもケーキが置かれているからであった。
一夏に味覚が無いことを知っているのにこんなことをするアカツキに一夏は若干ながら苛立つ。
このわざとらしい行為。それにどんな意味があるのか?
それを理解した一夏は呆れて物も言えない気分になった。
一夏は無言で出されたケーキをMの前に持って行く。
それを見たMは真剣な目で一夏を睨み付けながら聞く。
「………いいのか……」
「………俺には必要ない……」
一夏がそう言うとMはそのまま無言でケーキを自分の方にたぐり寄せた。
きっと本人は自覚していないが、その顔は喜びに満ちていた。
一夏はそれを気にせずアカツキの方を向いて早く話を進めるよう催促する。
そんな一夏をアカツキはなだめながら少しの時間が経過した。
そしてやっと落ち着いてきたのか、話を聞けるような雰囲気になった。
「さてと。気分も和らいだところでさっそく君……『織斑 マドカ』君のことや、組織について教えてもらおうか」
Mのまたの名は織斑 マドカというらしい。
それが本名なのかまた別のものなのかは分からないが、Mと呼ぶよりは呼びやすいだろう。
そう言われたマドカは、束の膝の上に座らせられ抱きしめられながら話し始めた。
自分が織斑 千冬のクローンであることや亡国機業のことを。
「君が一夏君に会わせたら素直に話すと言っていたから会わせた。それで素直に話してくれるのは嬉しいけど、一体何でだい?」
アカツキが優しい顔でそう聞くと、Mは束にケーキを食べさせられながら答えた。
「戦った時に思ったんだ。あの北辰がそこまで執着する奴がどんな人間なのかを。それにどっちみち捕まった時点で私に帰る場所などない。姉さんを殺したいと思っていたが、そんな気持ちすらもう起きないくらいに叩き潰されたからな」
重要な話をしているはずなのだが、口の端に付いたクリームのせいで重みが全く感じられなくなっていた。
「それで…実際に一夏君はどうだい?」
「実際に見て思ったよ。私では絶対に勝てないとな。何だ、この男は! まるで闇を濃縮したような奴じゃないか。この感じ……北辰かそれ以上だ。こんな不気味な奴を私は北辰以外知らなかった。確かに姉さんは強い。だが、姉さんでも天変地異には適わない。そこにいる奴はそれと同じだ。人が手を出しても止まることを知らない。そんな奴に勝てる訳が無い。そんな奴を敵に回していたと思ったらな……何だかバカバカしくなってきたんだ」
どこか達観した様子でマドカは語る。
一夏が特に気にすることは無い。欲しいのは北辰達の情報であって、マドカの生い立ちやら何やらではないからだ。
「ウチの一夏君を高く評価してくれるのは有り難いね。でも、組織の情報を話しちゃっても本当に平気かい? 裏切ったと思ったりは?」
「姉さんを殺そうと思ってたので精一杯だったし、ナノマシンで私の命は握られていたからな。逆らう気はなかったが、逆らうことも出来なかったんだ。まぁ、もう私をさっきから弄ってる奴が外してしまったようだから意味を成さないがな」
「ふ、ふ~ん。あの程度、束さんに掛かればお茶の子さいさいなのさ」
そう言いながらマドカを抱きしめる束。マドカは束の大きな胸に埋もれて苦しそうにしていた。
それからも話は続き、亡国機業の大体の作戦内容をアカツキはマドカから聞いていった。
それにより今後の亡国企業の作戦が明らかにされていく。
「うん、大体分かった。ありがとう」
アカツキはそうお礼を言うが、マドカはフンッ、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
そしてそのままお開きになるかと思われたが、マドカは一夏を見つめながら聞いてきた。
「最後に聞きたいことがある。どうして貴様はそこまで強い。どうして……」
その質問を受けた一夏は、口元をニヤリと笑みを浮かべながら答えた。
「……殺したいからだ。あの男を……北辰を殺したいからだ……」
マドカはそれでも納得がいかなかった。
それだけなら自分と同じだからだ。それがどうしてここまで差が出たのかを知りたかった。
一夏は更に口角を上げながら言う。
「あの男は…全てを奪った……目を、耳を、鼻を、肌を、俺の世界の全てを奪った…それが許せない……取り戻したいのではない……そうなった原因である奴が許せない……だから殺す!」
その怨嗟の声を聞いてマドカは納得した。
既に差がここまで違うと。
マドカは千冬のクローンで名は無かったが、ちゃんと見えるし感じることも出来る。存在の定義は曖昧だったが、それでも一人の人間ではあった
だが、一夏は奪われていた。名こそあったが、人の人たる物の殆どを奪われてしまった。
それはもう存在の定義からは外れてしまっている状態である。
マドカは千冬を憎みこそすれど、恨んではいない。だが、一夏は北辰に憎悪する。
これが差となったのだ。
「そうか……それが人を超えた者か……」
マドカはそう言うと席を立ち、部屋から出て行った。
それを追って束も外に出て行く。
それらを見送ってアカツキは一夏に冗談を言うように聞いてきた。
「羨ましいかい、彼女が」
それを受けた一夏はニヤリと口元を笑いながら答えた。
「………笑わせるな……俺には必要ない……」
そんな二人の会話は、廊下で騒ぐ束とマドカの声でかき消されていった。