IS 深海の探索者   作:雨夜 亜由

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第六十話 戦いが終われば

 任務から帰還すれば、きっと全てが丸く収まっているだろう。

 そう考えていた自分が愚かだったと、痺れだした足に悲鳴を上げながら悟った。

 

「……足がっ」

 

「大体、お前たちは専用機を持っているとは言え、学生の――おい、凰、聞いているのか!?」

 

 足が攣っているため正直それどころではないのだが、そんな事は鬼教師には通用しない。

 頭に振り下ろされる出席簿に、くぐもった悲鳴を上げる。

 顔を上げ、その際に周りを見てみると、セシリアとラウラの顔色が真っ赤から真っ青に変化していた。

 箒は正座には慣れているのか涼しそうな顔をしているが、大方体中の痛みを必死で堪えてるのだろう。その手が僅かに震えている。

 このなかで一番怪我の酷い一夏は椅子に座り、説教を聴いているが、千冬の身内ゆえの心無い一撃が度々挟まれているのが哀れで仕方ない。

 椅子に座らせるぐらいならば治療を先に済ませれば良いのに、と考える鈴音が正常なのだ。教師としては生徒の怪我を考慮するのが正しい姿ではないだろうか。

 大方、これも罰の一種なのだろう、と理解はしているが、納得には程遠い。

 

「織斑先生。そろそろ勘弁してあげたらどうです?」

 

「……まぁ良いだろう」

 

 簡単な治療を受け、大広間で正座すること約三十分。

 真耶の一言を以ってようやく説教から開放された鈴音は、畳のあとがクッキリと残った足にため息を漏らす。

 正座を解き、足をよく揉みしだくと、真耶がとある箱を運んできた。

 

「はい、みなさんよく頑張りましたね。では一度休憩を挟んでから今後について説明していきます

ね。スポーツドリンクを用意しましたので一つずつ取ってください」

 

 のそのそと立ち上がり、真耶に手を伸ばすと、笑顔でパックを渡してくれる。

 礼を言い、ぬるめの水分補給パックを受け取ると、早速口に咥える。今更ながらに喉の渇きを思い出し、一気に中身を飲み干した。

 ゴミを真耶に返すと、先ほどから微動だにしないラウラが目に付く。

 

「…………」

 

「何してんのよ?」

 

「……見て、分からんか?」

 

「いかにも足が痺れて動けませんって感じねアンタ」

 

「分かってる、なら、訊くな」

 

「はぁ、ほらアンタの分」

 

 差し出したパックにラウラが手を伸ばす。

 つい、そのパックをひょいと持ち上げると、ラウラの体がそれに釣られて前に倒れていく。

 

「~~っ!」

 

「そんなに足が痺れてんの?」

 

 そういい、足をつんつんと突く。

 

「~~~~っ!? り、鈴、貴様ぁ!?」

 

「お前らは静かに出来んのか」

 

「――っぁいったー!?」

 

 声と共に頭に拳骨が落ちてきた。

 声に詰まる痛みに、頭がグラグラする。

 ラウラに居たっては、頭を抱えプルプルと悶絶していた。

 

「お前らは説教が足りないようだな」

 

「ハンセイシテマス」

 

「…………」

 

「えっと、あはは。そ、そうだ、沙良はどうしたんですか? この場に居ませんけど」

 

「……今回はそれで誤魔化されておいてやろう。次はないと思え」

 

「……スミマセン」

 

「何か言いたそうな顔をしていたのでな。付き添いを許可した」

 

 その言葉に、女子たちがピクリと反応を示した。

 

「ルイスにとっては良い薬になるだろう」

 

 数年の付き合いである鈴音は、沙良が取るであろう行動が簡単に予想できた。

 沙良は、大切な者が自分のせいで傷付くことを何よりも嫌う。その行為を自分から行なったシャルロットはどんな罰を受けているのだろうか。

 

「あぁ、あの子も散々ね。沙良、何だかんだで怒ってたし」

 

「あら、やはりそうでしたの?」

 

「表面上だけ取り繕うのが沙良の癖だからな。よく見ていれば気付く」

 

「まぁ、沙良は怒った後のフォローが甘々だし、普段感情を溜め込んでいる分、何だかんだで良い空気になってるんじゃない?」

 

 沙良に対して、熱い想いを秘めているシャルロットが、こんなイベントを逃すとは思えない。感情が高ぶる時こそ、仲が深まるというものだ。

 もしかしたら、シャルロットが一歩踏み出しているかもしれない。

 

「そう考えると…………これは後で話を聞く必要がありそうね」

 

「そうですわね。食事の後に集まりましょうか」

 

「集合場所はどうする」

 

「それなら沙良の部屋が一番都合が良いだろう。一人部屋と聞いているし、シャルロットもどうせ沙良の部屋に入り浸っているだろう」

 

「お前らも程ほどにしておいてやれよ?」

 

 千冬の一言に、皆が苦笑を浮かべた。

 

       ◇ 

 

「なぁ、フィオナ。あいつら何盛り上がってるんだ?」

 

「イチカさん、女の子には女の子にしか分からない話題ってのがあるものなんです」

 

「ふーん。そんなことより夕飯が待ちきれないぜ。昼も食べ損ねたしな」

 

「イチカさんはもう少し女心って物を理解した方がいいかもしれませんね」

 

「おーい、イチカ。先に治療受けろってさ」

 

「おう、わかった。それじゃあ行ってくるわ」

 

「はぁ、これは同情するレベルですね」

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

「最近の医学は発展したものだ」

 

 ナノマシンによる最先端の治療を受けた箒は、痛みのなくなった体に驚きの声を上げる。

 歩くことも辛かったはずの負傷が、今は痛みも治まっている。

 痛みが弱まっているが、怪我自体が完治したわけでもない。だが、幾分かマシになった体に、医学の発展をしみじみと感じる。

 

「それにしても大分遅れてしまったな。皆はもう集まっているだろうか」

 

 治療のため救護室に寄っていた箒は、少し遅れて目的の場所に到着した。

 それは、食事の前に決めた沙良の部屋。

 ここで、シャルロットを問いただそうという話の流れだったはずだ。

 他人の恋愛ごとに首を突っ込むのは野暮のような気もするが、そこは十代半ば。恋愛ごとには敏感な年頃なのだ。

 既にシャルロットは問い詰められているのだろうか。

 ノックをし、どうぞの声に扉を開けた。

 

「――は?」

 

 予想だにしていなかった光景に腑抜けた声が漏れる。まるでパーティーのような飾り付け。それよりも目を惹く大きな垂れ幕。

 

 Happy Birthday。

 

 そう書かれた垂れ幕が箒の視界に映っている。

 

「箒、誕生日おめでとう!!」

 

 一夏の掛け声と共にクラッカーが鳴らされる。

 呆けたままの箒に、紙テープが降り注ぐ。

 

「箒、誕生日おめでとう」

 

 沙良が箒の手を取り、部屋の中へと招き入れる。

 主役の登場に沸き立つ周囲に対比して、箒は混乱に頭が真っ白になった。

 

「ま、待て。確かに私の誕生日は今日だが、教えた覚えがないぞ?」

 

「何言ってんのよ? 一夏と沙良が居るじゃない」

 

 鈴音は、さも当然のように言い放った。

 

「まぁ、あたし達も昨日初めて聞いたんだけどね」

 

「わたくしも昨日初めて聞きましたわ。本当に水臭いお方ですわね」

 

「全く、何故黙っていた。情報の共有は基礎中の基礎だ」

 

「僕も昨日沙良に教えてもらったよ。何でこういうこと黙っているかな」

 

 四人の言い分に、何も言い返すことが出来ない。

 訓練に熱中するあまり、自分の誕生日のことを、自分ですら忘れていただけなのだから。

 

「どうせ、自分でも忘れてたんでしょ」

 

 沙良の指摘に肩が跳ねる。

 

――落ち着け、ポーカーフェイスだ。

 

「そんな事はない。私だってそこまで抜けているわけじゃない」

 

「……今、ギクッって顔したわよね」

 

「ええ、していましたわ」

 

「箒って顔に出るよね」

 

 車椅子に乗ったシャルロットが笑うと、ラウラが頷く。

 

「隠し事が出来ないタイプというやつだな」

 

「ぐぬぬ……」

 

「言いたい放題だなお前ら。ほら、箒もむくれてないでこっち来いよ。ケーキも用意したんだぜ」

 

 そこに並べられたのは紙コップに注がれた炭酸飲料と大きなケーキ。

 苺によって飾られたシンプルなチョコレートケーキは、まるで宝石のように輝いている。

 

「……よく用意できたな。この辺りで洋菓子を扱っていそうな店など無さそうなものだが」

 

「ああ、旅館の人に言ったら快くキッチンを貸してくれたんだ」

 

 通りで食事中に姿を見ないわけだ。

 少しだけ姿を探していたのだが、キッチンに居たのならば見つかるわけもない。

 

――ん? 貸してくれる?

 

「まさか、一夏が作ってくれたのか?」

 

「おう、口に合うか分かんないけどな」

 

 再び、ケーキを注視する。

 店で買ったような完成度。一介の学生が作ったとは思えないクオリティー。

 

「これを、一夏が……私のために……」

 

 そう思うと、顔が熱を帯びてくる。意識すればするほど、紅潮はより深まる。

 

「切り分けるぞー」

 

「あ、あたしその苺大きいやつが良い」

 

「あら、主賓を待ちませんの?」

 

「うむ、これは美味い」

 

「あ、これ中に胡桃が入ってるんだ」

 

「ら、ラウラまだ食べちゃ駄目だよ! 沙良もまだフォークで切っちゃ駄目!」

 

 箒が一人でモジモジしている間にも、皆がケーキに群がり始める。

 一夏が一人ずつ皿に盛っていくが、受け取った傍から食べようとする者や、既に食べてしまった者など、纏まり等あったもんじゃない。

 

「ま、待て、私の分も残しておけ!」

 

 箒はその輪の中に慌てるように入っていった。

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 音を立てぬようにそっと障子を引く。

 流れる空気がひんやりとしている事に、夜も更けてきたと実感する。

 自慢の長い黒髪が風に撫でられ少しこそばゆい。こそりと抜け出し縁側に出たが、室内は未だ騒がしい。

 後ろ手に障子を閉めると、空間が切り離されているようでいないともいえる、曖昧なおぼろげさを醸し出してくれる。

 近くの柱に背中を預けて、室内の喧騒に耳を傾けた。

 

 未だ賑やかに盛り上がる仲間たち。

 皆が自分を祝ってくれたことは素直に嬉しい。

 あれからも様々な人物が自分の元を訪れ、祝いの一言をかけてくれる。

 この居心地のよさが、逆に何処かこそばゆく落ち着かなくなる。

 

 暫し、落ち着いた空気に身を任せていると、微かに感じる空気の流れ。

 其方の方を向くことなく、その名を呼んだ。

 

「一夏か?」

 

「よく分かったな」

 

「ふふ、歩き方で分かる。同門だからな」

 

 音を立てぬよう障子を静かに引き、箒の横に立つ黒髪の少年。その音を抑えた歩き方は、確かに篠ノ之流の癖が残っている。

 

「沙良だって同門じゃないか」

 

「あいつは完全に音を殺して歩いている。それに音の消し方が私たちとは少し違うからな」

 

「そっか」

 

 一夏は箒の横に腰を下ろすと、呆けたように空を眺める。

 同じように腰を下ろすと、木の板張りの床がひんやりとお尻を冷やす。一瞬の寒さに身を震わせ、温もりを求めて一夏に擦り寄ると、ただ満天の星空を見上げる。

 

 一つ一つが存在を主張するように輝き、他の光を邪魔することなくより引き立てる。

 その中に、悠然と浮かぶ上弦の月。

 それを掴もうと、求めるように手を伸ばした。

 

「掴めそうか?」

 

「ああ、もう少しなのだがな」

 

 それはきっと憧れの象徴。幽玄に照らすその光は、求めても求めてもこの手に収まることはない。

 

「綺麗だな」

 

 届かないからこそ輝く。誰にも掴めないからこそ、魅力的に見えるのだ。そう思っていた時期もあった。今は違う。その月に本気で手を伸ばしている人物を箒は知っている。あの月にも何時か手が届く時が来るだろう。だから、箒にとって月に手を伸ばすのは憧憬などではない。何時か自分も掴んでやるという意志の現れ。

 

「箒」

 

「ん? ……どうした?」

 

 月に心奪われるあまりに、空返事になってしまう。すぐに言葉を付け足したが、少しばかりの羞恥の念が心に残った。

 

「ありがとな」

 

 それは、今回の事件のことだろう。

 箒はその言葉をただ受け取るわけにはいかない。自分がもう少し強ければ、状況はマシになっていただろう。そう考えるのは傲慢だろうか。

 一夏を助けた。沙良を助けた。それはシャルロットだけが言えることだ。ただ運んだだけに過ぎない箒にはその礼は重過ぎる。

 だから素知らぬ顔で恍けた。

 

「なんのことだ?」

 

「色々と、だ」

 

 だからか、一夏は肝心な部分を暈かす。

 分かっているよな、と言わんばかりの態度に、箒は苦笑するしかない。

 

「……お前はずるいな。そのような言い方では、受け取るしか出来ないじゃないか」

 

 一夏は満足そうに笑うと、障子に手を掛け少しだけ隙間を開ける。

 その動作に、箒が不思議そうな視線を向けるが、一夏は笑みを崩さぬままただ障子の向こうを見つめている。

 答えが分からないもやもやを抱えながら、同じように障子に意識を向けていると、そこに影が映る。こちらに誰かが向かってようだ。

 その障子に手が掛けられると、

 

「終わった?」

 

 翠玉の瞳がこちらを覗き込んだ。

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

「行ったわね」

 

「ええ、行きましたわ」

 

「ああ、行ったようだな」

 

 トランプで視線を隠すように障子の向こうに注意を向ける三人。

 

「沙良がどうかした?」

 

 何故、先ほどから沙良の動作に気を向けているのだろう。

 シャルロットは鈴音の手持ちから一枚カードを抜き取ると、自分の手札に加える。そこには数字の書いていない死神の姿が。

 

「ちぇっ。……よし。はい、ラウラ引いて」

 

 ジョーカーを右端に配置してラウラの方に向ける。

 ババ抜きをするのが初めてというラウラは、先ほどから右端からカードを取る癖があるようだ。

 少しズルのような気もするが、真剣勝負に卑怯も何も関係ない。

 

「はいはい、トランプはここまで!」

 

 鈴音が手持ちのカードをぽいっと真ん中に投げる。

 

「え?」

 

 同じようにセシリアとラウラがカードを手放した。

 

「何? 急にどうしたの?」

 

 三人は相談するように顔を寄せ、頷きあっている。

 とりあえず真似するように手札をぽいっと投げ捨てると、手の届くところに置いておいた炭酸飲料のボトルを手に取り、ストローを口にくわえた。

 のどの渇きを潤している間に何か結論が出たのか、三人を代表して鈴音がシャルロットに向かい合った。

 

「アンタ、沙良にエロイことしたでしょ」

 

「ちょっと鈴さん、それは――」

 

「――ぶふっ!!」

 

「うわ、汚っ!?」

 

「げほっ……ごほっ……」

 

「――そのリアクション、まさかとは思いますが、本当に如何わしいことをされたのでは……?」

 

「な、ななな何言ってんのさ!? そ、そ、そんなことしてないよ!?」

 

 ボトルを投げ捨てるかのようにテーブルに置くと、両手でわたわたと否定してみせる。

 

「例えば、どんなことよ?」

 

「そうですわね……」

 

 まるで何でも見透かしているかのような、間の空け方。変に動悸が激しくなる。

 

「キスとか」

 

「まさか、そこまで――」

 

「み、見てたの!?」

 

「――え?」

 

「あ」

 

 鈴音の驚く顔に、先ほどの言葉が鎌をかけたのだと気付いた。

 

「今、アンタなんて言った」

 

「や、ちがっ、待って」

 

 にじり寄る鈴音から逃げようと車椅子をバックさせる。

 

「ラウラさん、車椅子を押さえていてくださいな」

 

「分かっている」

 

「ちょっ、離し、いや、え、その、あの」

 

 ラウラに後方から押さえられると、セシリアが詰問するためか距離を詰めてきた。

 

「キス、なさったのですわね?」

 

「ちがっ」

 

「キス、なさったのですわね?」

 

「……えっと、あの…………はい。しました」

 

 否定すると増す圧力に、シャルロットは呆気なく折れてしまった。

 

「どちらから?」

 

「え……と、それはちょっと……」

 

 無理矢理唇を奪ったなんて言ったら、どんな目を向けられるだろうか。

 この質問にだけは答えてはいけない。

 

「……」

 

「……」

 

「ちょっとわたくし教員室に行ってまいりますわ」

 

「待って! 言う、言うから、織斑先生にだけは何卒!!」

 

 立ち上がろうとしたセシリアの肩を必死で押さえつける。

 怪我をしているシャルロットが抑えることが出来ている時点で、本気ではないことが分かるが、切羽詰っているシャルロットにはそんなこと判断できない。

 

「……く、から……」

 

「え? 聞こえませんわ」

 

「……ぼく、から」

 

「もっと大きい声で言ってくれませんと、聞こえませんわ」

 

「くっ、調子に乗って……」

 

「ちょっと、教員室に――」

 

「僕からです! 僕から迫りました!!」

 

 必死にセシリアを押さえ、声を荒らげる。

 なぜ、こんなことを暴露しなければならないのか。理不尽な責め苦に涙を流したい気分だ。

 

「セシリア、アンタ性格悪いわね」

 

「シャルロットさんが良い反応をしてくれるものですからつい」

 

「どうしたシャルロット、顔が真っ赤だぞ?」

 

 顔を覗き込んできてまで言うラウラに、裏拳を放つが、ひょいと呆気なく避けられてしまう。

 三人のニヤニヤとした顔が憎たらしくて仕方ない。

 

「もう、放っておいてよ!!」

 

 シャルロットの心からの叫びが、夜の静寂に響き渡るのだった。

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

「こうして三人で話したのも久しぶりだな」

 

「いつ振りだろうね」

 

「束さんが居た時だから相当前だな」

 

「……またこうして三人で肩を並べることが出来るとはな」

 

「ああ、本当にな」

 

 箒が各地を転々とし、沙良がスペインを拠点としてからは、三人で集まることなど一度もなかった。沙良と一夏は良く会っていたらしいが、箒はそうはいかない。自分の居場所を伝えることも出来ない。連絡も取れない状況に居たのだ。同郷の友との会話にノスタルジックに浸るのも仕方ないことだ。

 

 不意に会話が止まる。だが、居辛い訳でもない。無言でも何処か心地よい空間。幼馴染だからこその落ち着き。

 

「なんだか、室内が騒がしいな」

 

 静寂だからこそ室内の喧騒が良く耳に付く。先ほどとは違った騒がしさが耳を擽る。

 

「何かあったのかな?」

 

「大方、シャルロットが騒いでいるのではないか?」

 

 箒の言葉に、一夏と沙良が揃って首を傾げる。

 

「まぁ、女子には女子にしか分からん話があるのだ。で、沙良、ずっと疑問に思っていたのだが……」

 

 箒の人差し指が、沙良の膝の上に鎮座している包みを指した。会話している時からずっと気になっていたのだ。

 

「その抱えているそれは一体何なのだ?」

 

 沙良が、嬉しそうに包みを解くのを見て、何故か嫌な予感がした。

 

「これはね……じゃじゃーん」

 

 そう言って広げて見せたのは、黒く染められた和風の着物。朱色で描かれた蝶がまた上品だ。よく見てみると、椿の花まで入っているではないか。黒と朱で構成された模様は、まさに芸術の一言。

 

「箒のために誂えた長襦袢だよ! これからの季節に着れるように夏物を選んでみました」

 

 その価値は良く分かる。普段から和服を好んで着用する箒にとって、それが良い物であるのは一目で分かる。

 

 だからこそ、ふふんと胸を張って褒めて褒めてと言わんばかりの沙良に、震える拳を振り下ろした。

 

「この馬鹿者が!」

 

「あいたぁっ!!」

 

 箒は、まるで信じられないものを見るように沙良を見下ろした。その姿は何処か威圧感を放っている。

 

「何すんのさ!?」

 

「こんな高いものを学生の誕生日に贈る馬鹿がどこにいるか!!」

 

「高くないよ、ほんの数十万じゃないか」

 

「充分高いわ!!」

 

「何さ、箒が喜ぶかなと思って選んだのに!」

 

「ああ、喜んでいるとも、喜んでいるが、少しばかり常識というものを考えろ!」

 

 箒の言い分に、訳が分からないと反論する沙良。

 これだから金持ちは、と愚痴りたくなった箒は、決して間違えてはいないだろう。

 

「な、だから言っただろ? 絶対怒るって。箒も分かってくれ。こいつ単衣も買おうとしてたのを必死に止めたんだ。むしろ、長襦袢だけに抑えたことを褒めてやっても良い」

 

「こいつは金銭感覚が麻痺しているのか……」

 

「まぁ、忘れがちだけど、こいつ社長令息だからな。で、だ。箒。これは俺から」

 

 どこに隠し持っていたのだろうか、綺麗に包装された小包が箒の手に載せられる。

 

「あ、ありがとう。開けてもいいか?」

 

「もちろんだ」

 

「これは……帯か、それにリボン」

 

「帯は沙良からのと合わせて使ってくれ。リボンはちょうど良かったな」

 

 そう言って視線が髪に向けられる。

 福音との一戦でリボンが焼き切れてしまったので、今は髪を下ろしているのだ。

 ニヤニヤと笑みを浮かべる沙良を手の平でぐいっと押しのける。

 楽しそうにはしゃぐ幼馴染に、お前も他人事じゃないぞと言ってやりたいものだ。障子の向こうの会話を是非とも聞かせてやりたい。

 一先ず、一夏の期待の篭った視線に応えるため、そのリボンを手に取る。

 

「いい生地だ」

 

 その純白のリボンを口に咥え、髪を持ち上げるとその根元を結い上げた。

 

「うん、髪を下ろした箒も新鮮だったけど、俺はその箒が一番好きだな」

 

「す、す、好きだと……」

 

 その言葉が、箒の期待する意味ではないことは良く分かっている。

 それでも嬉しいものは嬉しいのだ。

 

――本当、難儀な男に惚れてしまったものだ。

 

 照れ隠しに星空を眺めることにした箒は、横にいる一夏を横目に見る。

 箒に釣られる様に星空を見上げているその精悍な横顔は、いつでも箒の胸を高鳴らせる。

 

「なぁ、一夏」

 

「ん?」

 

「綺麗だな、月」

 


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