IS 深海の探索者   作:雨夜 亜由

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第五十五話 命令

 旅館の一室。運び込まれたベッドに横たわっている一人の少年。

 未だ目を覚まさないその少年に控えている少女は、ずっと少年の手を握っている。

 

「……いちか」

 

 少女は祈るように少年の手を包み込む。

 そんな少女に声をかける者が居た。

 

「箒」

 

「……鈴か」

 

 ツインテールを揺らした鈴音はただ箒の名前を呼ぶ。

 鈴音は箒が自分を責めていることを知っている。しかし、そこで箒のせいじゃないと言った所で何の意味がある。

 今回は誰も責めることが出来ない。

 誰もが全力を出し、そして負けた。ここで口を出すと言うことは、その全力で事に当たった者達を侮辱するのに等しい。

 箒が得た悔しさや後悔は、誰のものでもない箒だけのものだ。他人がそれを推測で量って良い筈がない。

 

『作戦は失敗だ。以降、状況に変化があれば招集する。それまでは各自現状待機しろ』

 

 感情を押し殺し、そう言い渡した千冬は作戦室に篭っている。全員が状況をどうにかしようと躍起になっているのだ。

 

「ここに居ると思ったわ」

 

 意識を失って運ばれてきた箒。部屋に寝かされていると思い、態々足を運んだのだったが、そこは蛻の殻だった。ならばと思い、ここに来てみたがその考えは正しかったようだ。

 

「アンタも怪我人なんだから寝てなさいよ」

 

 焼けた髪に、包帯が巻かれた肩。そこかしらに治療の跡が見える。骨折をしていなかった事は幸いと言ってもいいだろう。

 

「こんなもの怪我に入るものか」

 

「言うと思ったわ」

 

 鈴音は、ドアに凭れたまま虚空を見る。

 会話が途切れ、そこには静寂だけが残る。

 鈴音は衣擦れの音を聞き取り、箒に視線を向ける。

 そこには、しっかりと前を向いた箒の姿。

 

「祈りは終わった?」

 

 箒が一夏の手を離し、鈴音に向き合った。

 その瞳は決意に満ちている。

 

「鈴……」

 

「何よ」

 

「私は弱い」

 

「知ってるわ」

 

 膠も無く答える。

 

「愚直で、技術もなく、状況判断力にも乏しい」

 

「ええ」

 

「戦術も何も知らない」

 

「そう」

 

「機体が優れているだけの素人に過ぎない」

 

「そうね」

 

「そんな私の願いを聞いてくれるか?」

 

「……馬鹿ね、箒」

 

 本当に馬鹿ね、と繰り返す。

 

「あたし『達』が断ると思ってんの?」

 

 その言葉に、多数の人影が前に出る。

 廊下で待機していたのだろう。そこにはいつものメンバーが勢ぞろいしていた。

 

「水臭いですわ箒さん。そんなことお願いするまでもありませんわ」

 

 まだ、誰も箒からお願いの内容を聞いていない。

 それでも、皆は分かってると言わんばかりに頷く。

 

「何が馬鹿だ……お前らの方がよっぽど馬鹿ではないか」

 

「言ってなさい」

 

 箒はその瞳から雫を垂らす。

 

「頼む。力を貸してくれ」

 

 箒が全員の顔を見渡す。

 

「私は……福音を墜としたい」

 

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 最初に目に飛び込んできたのは、温かみのある木目の天井。直ぐに自分の居場所が分かる。旅館に宛がわれた自分の部屋だ。

 

「…………っ」

 

 身体を起こすと、軋むような痛みが走った。

 どのくらい寝ていたのだろう。未だ外が明るいことからそれほど時間が経っているとは思えない。

 

「シャル……」

 

 情報が足りなさ過ぎる。彼女は一体どうなったのだ。

 一夏は。

 箒は。

 福音はどうなった。

 状況はどう動いている。

 足りない。情報が足りなさ過ぎる。

 

「くそっ」

 

 こんなところでぼさっとしている場合じゃない。

 

「どこに行くんですか」

 

 立ち上がろうと、力を入れたと同時に声がかかる。

 

「もう一度言います。どこに行くつもりですか、沙良さん?」

 

 押さえ込むように触れられる手。肩にかかる栗色の髪。

 

「フィーナ」

 

「ええ、わたしですよ」

 

「状況はどうなった?」

 

 大人しく倒された沙良は、突然現れたフィオナに驚くこともしない。

 

「それを聞いたら大人しく寝てくれますか?」

 

「善処はするよ」

 

 嘘ばっかり、とフィオナが小声で漏らす。

 

「じゃあ話すことは出来ません。おやすみなさい、いい夢を」

 

「待って、フィオナ」

 

「なんです」

 

「これは『命令』だ。僕の質問に答えろ」

 

「はぁ……良いですよ。命令と言われたら仕方ないですね」 

 

 そう言ってフィオナは予め用意していたのか、まとめていたデータを沙良の端末に送った。

 

「まず、現状から。福音への奇襲は失敗。織斑一夏は未だ意識を取り戻してはいません。篠ノ之箒は先ほど意識の覚醒が認められました。お二人とも負傷していますが、命に別状はありません」

 

「続けて」

 

 端末から目を逸らさずにそう言う沙良に、フィオナがため息を吐く。

 

「シャルロット・ルイスは墜落。ポイントは此処から北北東に二百五十五と言った所ですね。深海四百メートル付近に引っ掛かっています」

 

「その水深なら、カイラの救護パッケージが使えるな」

 

「詳しい位置は流石に割り出せなかったのですが、大まかな位置を端末に表示しますね。これはシークエストシステムによるものですから、まだ学園側が把握していない情報です。表に出すのは控えてください」

 

「仕事が速いね」

 

「これでも、沙良さんの片腕を名乗らせていただいてますから」

 

「この位置を見る限り、深海を飛んでも大した問題はなさそうだね」

 

「ですが、現在、福音はそのポイントの真上に陣取っています。確かに行きは深海を飛んでいけばいいでしょう。しかし、帰りはどうするんですか? シャルさんを連れて深海を飛んだら、シャルさんが持ちません。今のシャルさんは致命領域対応によって生かされているだけなのですから」

 

「選択は二つか」

 

 危険を顧みず浅瀬を飛ぶか、一か八かで深海を飛ぶか。

 

「三つですよ」

 

「フィオナ?」

 

「わたしが福音と交戦しましょう」

 

「何を――」

 

「沙良さん一人で行こうとしてませんか?」

 

 フィオナが、言わせませんよ、そう瞳で伝えてくる。

 

「……」

 

「駄目です」

 

「フィーナ」

 

「わたしも行きます」

 

「駄目だ。こんな危険なことに巻き込むわけには行かない」

 

「危険なら慣れっこです」

 

「今回は、死ぬかもしれないんだぞ!?」

 

「それでも駄目です」

 

「分からず屋」

 

「ええ、秘書課の人間ですから」

 

 秘書課。

 それはSeaQuestCompanyの中でも、特別視されている部署だ。

 そこには居る人間は、様々な思惑はあれど一つの思想を持って動いている。

 忠誠。

 それは、本来の秘書の在り方とは異なる。

 

「ソフィアさんとは違い、私は簡単には頷きませんよ? 普段からソフィアさんは甘やかしすぎです」

 

 言葉が段々と硬くなる。その口調は日常で使われるものではなく、仕事用に誂えたもの。

 

「アルファーロ第一秘書が居ない今、沙良様の筆頭秘書は私となります。私は、沙良様に危害を加えさせるわけには行きません。例えそれが命令でも。それが秘書課の役目ですから」

 

 いつもの間延びした口調は鳴りを潜めている。

 沙良様。

 フィオナが沙良をそう呼ぶ時は、仕事として沙良に接しているということ。

 それが分かっているから沙良は強く出れない。

 この時のフィオナは沙良の言うことを聞かない。命令も一つしか受けつけない。

 

「私は、この忠誠を『貴方』に捧げました。その私が、地雷原でタップダンスするような真似を見逃すとでも?」

 

 カルラ率いるSeaQuestCompanyのなかでも選りすぐりの馬鹿共。あらゆる命令を遂行する実働部隊。

 フィオナはその中でも、特出して忠誠心が強い。それも会社に向けてではない。ただ、自分が敬愛する沙良に対してだ。

 

「ですから、私が踊りましょう。死地に赴く。それも職務です」

 

「……駄目」

 

「さぁ、ご命令を」

 

「……ヤダ」

 

「どうか、ご命令を」

 

「……分からず屋」

 

「知ってます」

 

「……馬鹿」

 

「光栄です」

 

「……死ぬかもしれないんだよ?」

 

「承知してます」

 

「……僕はフィーナが死んだらやだよ」

 

「無上の喜びとするところです」

 

「……ばか、ばかばかばかばか。きらい。フィーナなんてだいきらい」

 

「それでも私は構いません」

 

「……うそ、だいすき」

 

「分かってます」

 

 フィオナは、その冷たい表情に、感情を戻す。

 いつものように柔らかい笑みを浮かべて、沙良の瞳を覗き込む。

 

「ねえ、沙良さん。わたしじゃ駄目ですか?」

 

「フィーナ……」

 

「わたしじゃ信用できませんか? その任務、わたしには任せられないですか? わたしには出来ないと、そういうことですか? 一人のほうが良いと。わたしは足手まといとそういうことですか?」

 

「違う、そういうことじゃないよ。フィオナは左腕として信用している」

 

「じゃあ、わたしにも手伝わせてください」

 

「それは……」

 

「仕事抜きにしても、わたしにとってシャルさんは大切な友達です。助けたいんです。その気持ちを汲んでもらえませんか?」

 

「ずるいよ、フィオナはずるい。そんな事言われたら意地張れないじゃん」

 

 沙良は、声を絞り出す。

 秘書課の人間に出来る命令はたった一つ。それに返って来る答えも一つだ。

 それは今まで何度も繰り返されてきたであろう命令。

 沙良が初めて行う命令。

 

「…………『僕のために、死んでくれる?』」

 

「ええ、もちろん。『喜んで』」

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

「結局、こうなるのね」

 

 リナはため息を一つ吐く。

 

「沙良さんが付いて来るのは目に見えていることですからね」

 

 フィオナは新しくインストールしたパッケージの確認に忙しい。

 選んだのは防御型パッケージ。

 それは、今回の作戦において、フィオナのポジションの苛烈さを想像させる。

 

「じゃあ二人とも準備は良い?」

 

 同じく救助用防御型パッケージをインストールした沙良がマップを開く。

 同期されたマップは沙良が書き込むたびに同様の書き込みが更新されていく。

 

「ただ真っ直ぐにシャルに向かい、僕がシャルを救護カプセルに押し込み確保する。ここで、シャルのエネルギーが回復するまでゆっくりと深度を上げる。無いとは思いたいけど、福音がこちらに気付いたらフィーナは福音と交戦」

 

「はい」

 

「リナは大型海洋生物などに注意しながら斥候に出て」

 

「了解」

 

「もし福音がフィーナを無視して僕らに突っ込んで来たら即座に足止め、フィーナと共に迎撃に回って。シャルのエネルギーが回復しだい、救護カプセルを戦闘域から離脱させる。その際、福音は僕をターゲットにすると思われるので、二人はしっかりと護衛を頼んだよ」

 

「「!vale!」」

 

「これは命令ではない。辞退は今のうちだよ」

 

「「!Si!」」

 

「もう……馬鹿ばっか。じゃあ、二つ命令を出すよ」

 

「「!Si!」」

 

「死んでも成功させて」

 

「「!vale!」」

 

「そして、絶対に死なないで」

 

「「!vale!」」

 

 沙良はフィオナにそっと近づくと、その頬を両手で挟み、額に軽い口付けを落とす。

 それを、リナにも同じように行なうと、二人の手を握り締める。

 祝福のキス。

 それは切なる勝利への願い。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 三人の身体が光の粒子で包まれると、そこに青の装甲が現れる。

 

「「「DIVE!!」」」

 

 青がより深き青へと潜っていった。

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 光の届かない領域。

 そこに適した生き物だけが生息できる過酷な場所。

 色の乏しい世界に軌跡を残す三つの青。

 それは、周りの黒に溶け込み影すらも残さない。

 

『ポイントまで残り千。ソナー開始』

 

『了解。すぐさま斥候に出るわ』

 

『気をつけて』

 

『ええ、そっちも気をつけて』

 

 一機が集団から離れ、深度を上げる。

 その動きは緩やかに見えるが、その実高速で水中を飛ぶ。

 

『ターゲットを発見。前方三時の方向、距離五百』

 

 ソナーの結果が通信で知らされる。

 暗視装置も付いているが、それよりもソナーの方が確実だ。

 沙良は、指示された方向に動く。

 

『了解、救護カプセル展開』

 

『了解』

 

 指示されたポイントに到達すると、其処には捜し求めていた姿があった。

 

『ターゲット発見! 保護に入る』

 

『了解。深度を上げ、警戒に入ります』

 

 すぐさま、救護カプセルに、ISごとシャルロットを押し込める。

 

「――っ、酷い」

 

 その姿は見るも無残だった。重厚な装甲は全て剥がれ落ち、機関部も基礎部分だけを残しあらゆる全てが欠損している。もう二度と『空良』として空を泳ぐことは無いだろう。

 

「良く、守ってくれたね」

 

 海水に浸かっていたせいか、血圧が低くなっている。明らかに向きのおかしい左腕に、焼き爛れた両足。あらゆる部位に傷が見られ、血液が流れ出ている。急いで救助に来て良かった。もしかしたら間に合わなかった可能性もある。

 だが、生きている。

 確かに生きている。

 

「絶対に助ける」

 

 救助カプセルを操作し、すぐさま輸血を開始する。

 一般的な血液型ならば用意してある。何も問題はないはずだ。

 海良を経由して指示を出すと、カプセルが自動で輸血を開始する。

 

「ばか、ばか、ばか」

 

 沙良は、自分が涙を流していることにも気付かない。

 

「……シャルが居なくなったら僕は嫌だよ」

 

 少しずつ深度を上げる。

 救助カプセルに入っている間は、自動で減圧を開始するが、万が一ということもある。

 減圧症だけには最大の注意を払う。

 ISがきちんと動いていれば、減圧症の恐れなど無い。だが、今のシャルロットはただ生かされているだけであって、そのような調節機能など機能していない。

 減圧症や肺破裂の恐れが無いのであれば、深海を連れて帰る事が出来たのだが、それは叶わない。それに深海は何が起こってもおかしくない。潜水作業の際は、常に死を傍に連れ添っているのだ。

 

「絶対に三人で日本料理食べに行くんだ。僕は諦めない。絶対に死なせない」

 

 ゆっくりと、少しずつ浮上していく。

 相手が軍用機である以上、ステルス機能がどこまで通用するかは分からない。

 慎重に、事を運ぶ。

 そして、恐れていたことが起きた。

 リナの機体からサインが飛ばされる。

 その信号の色は赤。

 危険を知らせるサインだ。

 

『フィーナ!! 福音行動開始!!』

 

『――っ!? 気付かれるのが速い!』

 

 軍用機相手とはいえ、いくらなんでも気付くのが速すぎる。

 

『くっ、防衛に出ます! 沙良さんはその水深で待機。私のパーソナルに沙良さんの情報をペーストしてください。注意を逸らします』

 

『了解! ……フィーナ』

 

『何でしょう?』

 

『絶対帰ってきて』

 

『はいっ!!』

 


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