それは深い青。
まるで深海をそのまま表したような青。
第二世代型ISシークエスト
深海の圧力にも耐えられるように設計された装甲は、見るからに荘厳な雰囲気を醸し出している。
そのフォルムは自分で開発したとはいえ、何時見ても惚れ惚れとするほど合理的で無駄がない。
そのシークエストを纏った少女が、訓練用アリーナで決められた訓練メニューをこなしているのを確認すると、まるで近くのコンビニでも行くかのような気軽さでアリーナに足を踏み入れる。
入ってきた人物に気付き、機体を急停止させる少女。
その、ブレもなく、ピタリと止まった身のこなしは充分合格点を与えてもいいだろう。
少女はISを用いた訓練を開始してから二週間しかたっていないことを考えると相当な進歩だ。
「どうしたの、セラ? 何か用事?」
「んや、今日の講師は僕。カルラさんが今日からドイツに出張だから、今週は僕しか教えれる人間がいないんだ」
「開発は?」
「今の段階では誰がやったってそう大差ないよ。それに、信頼できる研究員しか僕の開発部には居ないからね」
「流石、第一海研はエリートの集まりだねぇ」
開発研究部第一深海作業開発研究室。
沙良を中心とし、シークエストを始め多くの深海探査機を開発する、会社の看板でもある研究室だ。
「早く、ソフィアも入れたらいいのにね」
ソフィアは、いまだ訓練生の身なので、正式に所属している部署はない。
しいて言うなら、秘書課の下っ端というところか。現在では沙良の秘書として会社に属している。
無事に代表候補生になれた暁には、テストパイロットとして開発研究部第一深海作業開発研究室に入ることが決まっている。
「まだ政府の訓練施設にも入ったばかりだからね」
先週、ソフィアは訓練施設の試験をパスした。
もちろん、コネもあったが、それ以上に実力が評価されたのだ。
午前中は、沙良やアントーニョと仲良くハイスクールに通い、放課後はみっちりと軍の施設で扱かれる。そして、夜になると、こうしてSQ社で特訓を行なうのだ。
ISの操縦とは、その搭乗時間が物を言う。
代表候補生になるためには、訓練生の中で、蹴落としあい、勝ち抜かなければならない。皆が同じ条件であるならば、訓練時間の中だけで使用できる搭乗時間では物足りないのだ。
だからソフィアは毎日この社内訓練用アリーナで、講師に訓練を見てもらっている。それは、今年中に代表候補生にならねばIS学園に専用機を持っていけないため。その審査が夏にあると聞いて、ソフィアは史上最短での代表候補生を狙っている。
「訓練はどこまでやった?」
「向こうでは基礎動作全般を詰め込まれてるとこ。特殊無反動旋回とかもやってる」
「瞬時加速は?」
「そこまでの応用はまだ」
「こっちでは?」
「取り合えず、機体の扱いを自分の身体と同じかそれ以上に扱えるようにって訓練メニューを組んでもらってる」
ソフィアが指先をピンと弾く動作を行なうと、沙良の端末にその訓練メニューが表示される。
「ふーん、なるほど。考えてあるね」
「そろそろ良い感じに仕上がってると思うんだよね」
「また調子乗った事言って。じゃあ、今日は基礎的動作から、空中起動までを『完璧』に終わらせて。出来なかったら出来るまで続けさせるから、本気でやってね」
ソフィアの額からたらりと汗が垂れるが、そんなこと誰も見てはいない。
「三日以内に軽く戦闘が行えるレベルまでは達してもらうよ。出来るよね? 自分で大口叩いたんだし。安心して。このテスト室にはエネルギーピットがある。いくらエネルギーが切れても大丈夫だから、出来るようになるまでやってもらうよ」
こうして、ソフィアの地獄の一週間が始まった。
◆ ◇ ◆
死ぬ。
このままだと間違いなく死んでしまう。
ソフィアは張られ続ける弾幕にそう思った。
視界を埋め尽くす弾丸達。
加速された思考が、回避不可と叫ぶが、これをどうにかして避けないと訓練にならない。
だが、
「無理無理無理無理!!こんなの対処できないよ!」
弱音が漏れてしまうのも仕方ないだろう。
無情にもその弾幕はソフィアのシールドエネルギーを削っていく。
「それをどうにかしないと訓練にならないでしょ」
物凄く楽しそうないい表情で照準を合わせ続ける沙良に、背筋に氷片をあてられたような気分になる。
――鬼だ。マジで鬼だ。天使の皮を被った鬼が居る。
心でぼやくが、そんなことしても現状に好転の兆しは見られない。
とりあえず被弾数を減らそうとシールドを展開してみるが、シールドで捌こうにもその弾幕が厚すぎる。
あっという間に使い物にならなくなったシールドに、開いた口が塞がらない。
シールドを沙良に投げつけることで間を取れないかと思ったが、ひょいと避けられてしまった。
「くっそー!」
最初は弾切れまで、様子を見ようと思ってたけど、今では逃げることに必死だ。
よくよく考えると、あの沙良が弾切れを起こすはずがない。
今でも、片手で余裕そうにアサルトマシンガンを撃ち続ける。
こうやってISにのってみて初めて分かる。沙良は天才ではない。しかし、秀才だ。その努力によって染み付いた機体制御力は、才能だけでは対応しきれるものではない。
――あんな、自分の身体の一部みたいに動かすなんて、私には無理だ。
いけない。いらないことを考えていると、刻一刻とシールドエネルギーが削られるだけだ。
――何とかしないと……そうだ!
「瞬間加速!」
ソフィアは急な加速により、弾幕から抜け出そうと試みる。
つい先ほど習ったばかりの応用技術。
これなら裏をかけるか。
しかし、抜け出した先には、アサルトライフルを両手に構えた沙良が見えた。
「教えられたことを即、実践。それは良い事だよ。でもね」
抜け出したと思ったら、新たな弾幕を張られ、シールドエネルギーがガリガリと削られていく。
――なんで、逃げ出した先に待ち構えてるのよ!?
「使えることと、使いこなすことは全く違うことだと頭に叩き込んだほうがいいよ」
「ちょ、ちょっと待って!!」
もちろん、待ってくれるわけがない。
躊躇無く引かれる引き金に、ソフィアは涙目で逃げようとするが、急に方向転換などできる訳もなかった。
瞬時加速には、使用中は加速に伴う空気抵抗や圧力の関係で軌道を変えることができず、直線的な動きになるという欠点がある。
その高い加速力に使い勝手の良さを感じるが、初動が大きく、行動が読まれやすいなどのデメリットも存在する。
ソフィアは回避しようとPICを切ることにより重力の影響を受けることによって、その軌道を僅かにずらした。
それは確かに効果的な避け方だったであろう。
しかし、PICを切るという行動は一瞬だが機体の制御を手放すのと等しい。
熟練したIS乗りはマニュアル操作によってPICを制御できるが、そこまでの技術がなかったソフィアは切断という手段をとるしかなかったのだ。
その一瞬の隙を沙良が見逃すはずもなかった。
――速っ!
一瞬にして懐に入られてしまう。
その際用いられた技術は、ソフィアが先ほど利用したのと同じ、瞬時加速。
エネルギーを取り込み、圧縮して放出するという過程を経る為、少なからず行動に兆しが見えるものだが、それが一切なかった。
それはエネルギーの運用に一切の無駄がないことを示しており、その加速度も、初動も、姿勢の制御もソフィアとは比べるも烏滸がましい。
ソフィアは咄嗟に装甲に収納されていたナイフを取り出す。
しかし、沙良はそれを気にも留めず、ソフィアの機体に突っ込んだ。
機体という大きな弾丸が持つ質量が、膝に集中し、ソフィアの腹部に突き刺さる。
「へ?」
ソフィアの機体が浮いた。
簡単な話だ。ソフィアに体当たりしたまま瞬時加速を続けているというだけ。
「ちょっ」
背部に衝撃が走り、腹部に突き立てられている膝がより深くめり込み、息が詰まる。
「チェックメイト」
ちかちかする視界を挙げてみると、銃口が真っ先に目に入った。
天使のような笑顔を浮かべる沙良。
しかし、ソフィアは引き攣った笑みしか返すことが出来ない。
足で壁に押し付けられ、顔面に銃を突きつけられているのだから。
「こ、降参し」
両手を挙げて降伏の意を示そうとしたが、それより先に、銃口が火を噴いた。
シールドがあると分かっていても顔面に迫る銃弾に、恐怖を抱かないわけがない。
それも一発ではない。フルオートのアサルトライフルのマガジンが無くなるまで只管に銃弾の雨に耐える。
正直、トラウマになってもおかしくないレベルだ。
そしてあっけなく銃弾はシールドエネルギーを削りきった。
甲高いブザー音が鳴る。
『そこまで、沙良もソフィアもピットに戻ってください』
「はい」
沙良が返事を返すが、ソフィアは口を開くことが出来ない。
呆けた頭で、煙を吐いている銃口をぼんやりと眺めることしか出来なかった。
「立てる?」
沙良が手を伸ばしてきた。
何時の間にISを解除したのだろうか、気付けば地面にへたり込んでいた。
手を頼りに、立ち上がると、足が小鹿のように震えていた。
「大丈夫?」
「……無理」
「喋れるなら大丈夫そうだね」
沙良との訓練を始めて既に五日がたった。
始めは沙良がISに乗れると聞いた時に、衝撃を隠しきれなかったソフィアだが、打ち明けてくれたということは、それだけ自分が信頼を得た事だと気付き、よりその忠誠度を増した。アントーニョがソフィアより先にその事実を知っていたことが腹立たしいが、仲間と認めてもらえたようで、喜びは隠し切れない。
そんな沙良との訓練も残り二日となっている。
二日したら出張で講師を交代していたカルラが戻ってくるため、このような地獄の訓練から開放されるだろう。
「エネルギーチャージして、もう一回ね。状況を判断する力をもっと付けた方が良いよ。そのとき取るべき方法は何か。どのように動けば最善の結果が出るか。そこを良く考えて行動してみな。何も考えなしに手札を切ってもエネルギーを無駄にするだけだよ」
沙良のありがたいお言葉に、しょんぼりと頷く。
「はい」
「十分間耐えないと今日は終わんないからね」
チラッと時計を見ると、既に二十二時を回っている。
明日、英語の小テストがあった気がするが、そんなこと、勉強が出来る沙良に伝えたところで、「日頃から勉強していないのが悪い」と説教される理由を与えることになるだけだ。伝えなかったところで赤点を取って説教される未来が簡単に想像できるわけだが。
「あ、明日の小テスト、もし赤点取ったらどうなるか分かるよね?」
ああ、この世に神は居ないらしい。
先に逃げ道を塞ぎに来るなど、狩人の鏡ではないか。
そんな私は哀れな得物。仕留められて、いいように扱われてしまうのだろう。
天使のような笑顔で、悪魔のような仕打ち。戦乙女も真っ青だ。
――せめてもの抵抗を。
「じゃあ、帰って勉強した方が……」
「日頃から勉強し」
「よ、よーし、訓練再開!! 頑張っちゃうよ!!」
「…………」
予想されていた説教が始まる予感を感じ、咄嗟に言葉を被せてしまう。
言葉は止まったが、そのジト目が辛い。
「…………」
「……あは、あはは…………すみませんでした」
◆ ◇ ◆
今日もダメだったか。
沙良との訓練を始めて既に五日。戦闘を行えるようになったけど、未だに沙良に手も足も出なかった。
結局、十分逃げ切ることが今の精一杯だ。それも成功するまでに三時間の時間をかけているが。
「お疲れ様、ソフィ」
「あ、ザイダさん、お疲れ様です」
ピットから出ると、使った機体の整備に来ていたであろうザイダに声を掛けられた。
「今日も残念だったわね」
「うう、道のりは遠いです……」
「そんなソフィに朗報です」
そう微笑みかけるザイダはいつもより輝いて見える。
「先週の写真が現像できましたー」
それを聞いたとたん、ソフィアはザイダの手を握っていた。
「待ってましたよ!!」
「ふっふっふ、しかも今回は中々レベルが高いものをチョイスしたよ」
そういって、ザイダは一枚の写真を見せてくれる。
「……」
「どう? 最高の写真じゃない?」
渡された写真には、恥ずかしそうにウサ耳をつけている沙良の姿が写っていた。
――ああ、これは着替えてる時の写真か。着衣ポーカー恐るべし……!!
しかし、ザイダはひょいと写真を取り上げてしまう。
――あぁ、私の癒しが……
写真をひらひらと目の前で揺らされ、つい奪おうと手を伸ばしてしまうが、高く掲げられて写真に手が届かない。
傍から見たら小学生のいじめだ。
「この写真も含まれたコレクション、欲しい?」
「もちろんです!」
「五千円」
「ぼったくりじゃないですか!」
写真の現像代なんて安いものだろうに。
「何言ってんの。モデルもやっている沙良の生写真、それもプライベート写真よ? お金で買えること自体感謝しないと」
「……でも、学生にはきついです」
一ヶ月に五万円のお小遣いをSQ社から貰っているが、携帯代や食費に消えて大した額は残っていない。
「それじゃあ、今回の条件……どうしようかしら。そうね、今やってる戦闘訓練で、三十分耐えて見なさい」
「……分かりました」
「分かりましたってそんな嫌そうに言わないの。沙良はそこまで戦闘訓練は積んでないんだからそれぐらい耐えられないと、代表なんて夢のまた夢よ? しっかりしなさい」
今日ですら十分耐えるのに十八倍の時間を掛けてしまったのだ。
三十分なんてどれぐらい掛かるだろうか。
しかも沙良と訓練できるのはあと二日しかないのだ。
タイムリミットは決められている。
「もう……じゃあ、もし達成できたら、今までの写真もアルバムにして渡してあげるわ」
「うおー! やるぞー!」
現金だな、と自分でも思ったが、乗せられてしまったものは仕方ない。
「はいはい、その前にシャワー浴びて、着替えていなさい。沙良、待たせてるんでしょ? 日付超えてるわよ?」
「しまった」
「ほら、沙良を待たしたくなかったら、急ぎなさい」
「はい!」
沙良は恐らくシャワー室に先に行ってるだろう。
早くシャワーを浴びてしまわないと、休憩室で、沙良が何時までも暇を持て余すことになってしまう。
せっかく訓練に付き合ってくれた人をそんな目に合わせるわけにはいかない。
疲れた身体で、通路を全力疾走する。
「こら、走るなー」
起こられたので、早歩きで、シャワー室に向かう。
――やっと今日も終わったかぁ
明日の訓練では、より一層気合を入れなくては。
頭の中ではウサ耳を付けた沙良がピョンピョン跳ねている。
「ふふふ、ふっふっふ」
そして、二日後の訓練で、逃げずにあえて攻め続けるという戦法をとり、ソフィアは無事にコレクションを手に入れることに成功したのである。