IS 深海の探索者   作:雨夜 亜由

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第四十三話 夢の残滓

「……何してんの?」

 

 沙良の目線はどこまでも冷たい。

 それも仕方ないことだろうと、一夏は他人事のように考える。

 朝早くからの開発によって疲れた体を引き摺り部屋まで帰って来たのだろう。

 そこでこんな光景が繰り広げられていたら誰だってこうなるだろう。

 沙良の視線は、一夏に跨っている全裸の少女に向けられている。 

 その少女は、瞳を閉じて唇を尖らせている。顔にかかる銀髪が少しくすぐったい。

 

「いちか」

 

「な、なんだ?」

 

「さいてい」

 

 一夏自身、逆の立場なら冷静になれるかわからない。

 

「ち、違うんだ沙良! 話を聞いてくれ!」

 

 一夏は沙良にこの状況を説明しようと必死に頭を回転させる。

 とりあえずは、包み隠さずに話してしまおう。

 一夏は朝起きてから、今の段階までのことを簡単に説明する。

 朝起きたらベッドにラウラが居たこと、裸は拙いとシーツを纏わせようとし押し倒されたこと。

 沙良はその話を聞きながら手を額に当てた。 

 

 沙良は何事も無かったかのように自分の机に歩み寄ると、抱えていた荷物をおろす。

 そして一呼吸入れると、一夏とラウラに向かい合った。

 その瞳は呆れの色が見えている。

 

「ラウラ?」

 

 問いかけに背筋を伸ばすラウラ。

 一夏は顔が離れたことで少しほっとする。

 

「はい、なんでしょうか」

 

「何でここに居るの?」

 

「これが夫婦の一般的起こし方と聞きましたので、早速実践してみようと思いまして」

 

「ラウラ」

 

 沙良がラウラに向かい合う。

 一夏は沙良が注意してくれるならもう大丈夫だろうと、安堵を隠せない。

 

「裸は駄目。夏とはいえ、体を冷やしてしまう恐れがあるからね」

 

「ならば、肌で暖めあえばよろしいのですね?」

 

「せめて下着ぐらいはつけなよ」

 

「沙良がそういうのであれば」

 

 その内容にリアクションを忘れてしまう。

 一夏は裏切られたと沙良に怨嗟の視線をぶつける。

 そういうことじゃないと。

 確かに裸よりかはマシだが、そういう問題ではない。

 このラウラの行動を止めて欲しかったのだが、沙良のせいで許可が出てしまったようなものだ。

 そして何を思ったのか再びラウラの顔が近づいてくる。

 沙良は既にいつでも出れる準備をしている。

 助ける気は更々無いようだ。

 沙良だけに。

 

「なんか変な事考えた?」

 

「べ、別に」

 

 そうなことを話している場合じゃない。

 ラウラは残り五センチというところまで接近している。

 その頬を染めた表情に言葉が詰まってしまう。

 だからか、大した抵抗も出来ず、ただ接近を待つだけになってしまった。

 そして、こんなタイミングの悪い時に限って、いらぬ来客が来るものなのだ。

 

「沙良居る? さっきはごめんね。一緒に朝食にでもどうかな」

 

 扉の向こうから聞き覚えのある声が聞こえてくる。

 一夏は今の状況を考えてみる。

 

 自分。床に押し倒されている。

 ラウラ。一夏の上に裸で馬乗り。瞳を閉じてキスを待っている。

 沙良。何事も無かったかのように、朝食に向かおうと扉に手をかけようとしている。

 

「って待て! 開けるな沙良!!」

 

 しかし、既に時遅し。

 その扉からは明るい蛍光灯の光が漏れる。

 その扉からは綺麗な金髪が見えている。

 

「さっきはごめんね。一緒に食べ……」

 

 ひょこっと顔だけ入ってきたシャルロットは沙良の後ろにいる、一夏とラウラの存在に気付いた。

 最初は状況に唖然とし、その意味が理解できるにつれて、その顔はどんどん朱に染まっていく。

 一夏は天を仰いだ。

 終わった。

 裸の女子に押し倒されてキスをされようとしている。

 こんな話が広まってしまったら幼馴染達の鉄槌は逃れることは出来ないだろう。

 最悪の場合は、世界最強と名高い姉も出てくる恐れもある。

 一夏は、悟ったかのように穏やかな顔で瞳を閉じた。

 短い間だったけど、楽しかった。

 心残りは沢山あるけど、これが運命なのか。

 しかし、瞼を閉じてから十秒が経過したが、周りは静かのままだ。

 いつまでたっても反応を起こさないシャルロットに疑問を感じ、瞳を開ける。

 

 シャルロットは混乱していた。

 挙動がおかしく、口から漏れる言葉も「あうあう」と意味を成していない。

 百人がみたら百人が混乱してるというだろう。

 そのぐらいの錯乱具合だ。

 しかし、その視線だけは沙良の口元を凝視している。

 沙良もその理由が思い当たらないのか、首をかしげている。

 

「……シャル?」

 

 その沙良の唇が形を変えると同時にシャルロットは走り出した。

 

「う、うわああああぁぁぁぁぁぁ!!!!」

 

 周りの迷惑も顧みない悲鳴に、残された一夏はポカンとするしか方法が無かった。

 

「ちょ、ちょっと!?」

 

 沙良がすぐさまその後姿を追いかける。

 正直、逆効果だと思うが、行ってしまったものは仕方がない。

 一夏に出来ることなど何も無い。

 今はそんなことを考えてる場合ではない。

 なぜなら、

 

「一夏、せっかくだから朝食を一緒にしようと…………」

 

 そこに鬼がいたからだ。

 早朝の鍛錬をしていたのであろうか、その手には竹刀が握られている。

 一夏は、これから自分がどんな目に遭うかを悟った。

 

「一夏ぁっ!!!!」

 

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 頭のたんこぶを擦りながら、一夏は箒に非難の目を向ける。

 既にチャイムの音は鳴っており、SHRの始まりを告げているのだが、痛みは引くことはない。

 しかし、一夏を被害者だと露程も思っていないのか、視線を向けられた箒は鼻を鳴らしてそっぽを向いてしまう。

 これには少しカチンと来る一夏だが、一年一組の教卓には担任教師、織斑千冬の姿が見える。

 ここで騒ぐと、恐怖の出席簿が降りかかるのは、火を見るより明らかだ。

 真耶のSHRとは違い、誰も私語することなく、連絡事項が伝えられていく。

 その様子に、どれだけ恐れられているかがわかる。

 

「今日は通常授業の日だったな。IS学園生とはいえ、お前たちも扱いは高校生だ。赤点など取ってくれるなよ」

 

 IS学園と言えど、高等教育機関に変わりはないため、一般教科を当然のように履修しなければならない。

 勿論、成績というものを出さねばならないため、期末テストは存在している。

 ここで赤点を取ってしまうと、夏休みは補習で埋まってしまうのだ。

 故に、テスト前には自習室や図書館で机に噛り付く生徒が続出する。

 勿論、一夏も沙良に泣き付くつもりで居る。

 いつも厳しいことを言いながらもなんだかんだで教えてくれるため、つい甘えてしまうのだ。

 それに、ここでテストに気をやっている生徒など一人も居ないだろう。

 

「それと、来週から始まる校外特別実習期間だが、全員忘れ物するなよ。三日間だけだが学園を離れることになる。自由時間では羽目を外しすぎないように」

 

 そう、七月頭に行われる校外実習。すなわち臨海学校。

 三日間の日程のうち、初日は丸々自由時間。勿論そこは海なので、十代女子たちにとっては抗えぬ魔力があるのだろう。

 それはテストのことなど、頭の片隅に追いやるほどに強力らしい。

 一夏としては海自体は楽しみだが、水着を買うのはめんどくさい。

 その旨を素直に口にしたらセシリアと鈴音が口を酸っぱくして注意してきたので、沙良に相談したところ、S・Q社の新作水着のモニターを頼まれてしまった。

 一夏としては、タダで水着が貰えると言う事なので快く引き受けた。

 

「ではSHRを終わる。各人、しっかりと勉学に励むように」

 

 その一言で、場の空気が弛緩する。

 千冬が教室を出るのを皮切りに、クラスが一斉に騒がしくなる。

 話す内容は、臨海学校のことだろう。

 しかし一夏は、違うことを考えていた。

 もちろん臨海学校も大事だ。

 だが、それと同じくらい大事な案件が一夏にはあるのだ。

 そのことには沙良も居たほうが良いだろう。

 

「日曜日とか空いてないかなぁ」 

 

 いつも忙しそうに動き回っているが、日曜日ぐらいは休みを取っているだろう。

 そう思い、沙良に話を通すため席を立つのだった。

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 アリーナでは、三つの影があった。

 一つは計測機器を操作するのもの。

 残りの二つは、銀灰色の装甲を纏っている。

 その重厚な装甲を持つ『打鉄』を纏っている箒は、スラスターを噴かし、ブレードを肩の高さまで引き上げる。

 

「はあぁぁぁ!!!!」

 

 振りかぶる刃は、銀灰色の装甲を掠ることなく、ただ空を切った。

 続けて身を回し、その回転で薙ぎ払いを放つが、あっけなく避けられてしまう。

 

「機動力が違うんだから、馬鹿正直に近づいたって当たらないよ」

 

 アリーナの端で計測機器を操作している沙良の一言に、何も言えなくなる。

 実際に、模擬戦が始まってから刃が当たったことはまだ無い。

 わざわざ訓練に付き合ってくれている面識の無かった少女にも申し訳が立たない。

 

「簪、稼動データは充分。『夢現』を使っていいよ」

 

「……わかった」

 

 珍しい髪色をした少女は、新たに薙刀のような武装を展開した。

 データ取りをかねて訓練に付き合ってくれているのだから、それ相応の動きを示さなければならない。

 つまりは、そのデータが取れるぐらいに、箒がその稼動についていかなければならない。

 自然に右手に力が入る。

 そのブレードの感触に、箒は自分を奮い立たせる。

 自分は弱い。

 ならば出来ることをやるだけだ。

 箒はブレードを正中に構える。

 今からは、一切余計なことを考えるな。

 ただ、相対することだけを考えろ。

 そう自分に言い聞かせる。

 

「っ……」

 

 相手の表情が変わった。

 そのより一層引き締められた空気に、自分が押しつぶされぬように、気を張り続ける。

 恐らく、今の状態は長く持たない。

 ならば、勝負は一瞬。

 

「っ!!」

 

 少女が動いた。

 その動きを、五感全てを以ってして感じ取る。

 一直線。

 何のフェイントも無い突き。

 相手の薙刀の軌道が読める。

 後は、その線上にブレードを添えるだけで良い。

 そう判断し、それを実行に移した。

 それが罠だと気付いたのは、少女の口元に笑みが浮かんでいるのに気付いてからだった。

 

「なに!?」

 

 軽い金属音が響き渡る。

 その薙刀はブレードによって受け流されるはずだった。

 しかし、現実に箒の目に映る光景は、薙刀に弾かれた自分のブレードだった。

 その信じがたい光景に、箒は硬直を余儀なくされる。

 その時間はほんの僅かだっただろう。

 しかし、そのほんの僅かが生と死を分けることを、箒はよく知っていた。

 

 沙良がよく言う言葉。

 

『情報とは武器である』

 

 その武器を持たない箒は、対処する術を持たない。

 故に、迫り来る刃をただ見つめることしかできないのだった。

 

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

「え? 臨海学校来ないの?」

 

 沙良は計測機器を操作しつつ、問い返すように簪に言葉を投げかける。

 既に箒はシャワーを浴びに行ってしまったが、計測データを出す必要があるので、沙良と簪は未だにアリーナに残っている。

 あのボロボロになった後姿には、簪でさえも同情を誘う。

 

「更識で出ないといけないことがあって……」

 

 本当は行きたいんだけど。その意志が反映したのか、語尾が弱まっていく。

 

「それに、錦の開発は完全に倉持から離れちゃったから、追加武装なんて来る筈が無いし……」

 

 口から漏れる言葉はただの言い訳。

 海に行きたかったなぁ。

 そう呟きがこぼれてしまう。

 それを沙良は優しく頭を撫でることで慰めてくれた。

 

「また夏休みに入れば海に行く機会なんていっぱいあるよ」

 

 沙良の柔らかい笑みに、簪は頬をほんのりと朱に染める。

 ここにシャルロットが居たら簪に対して何かしらのアクションを取っただろう。

 しかし、シャルロットは、第二アリーナで誰かしらの訓練に付き合っているはずだ。

 リナとフィオナが整備室に居ることは知っているし、ソフィアも今日はアリーナに顔を出す用事は無いと沙良から聞いている。

 簪は、シャルロットが居ないここがチャンスと言わんばかりに、身を乗り出す。

 

「あ、あのね沙良。良かったら今度のやす――」

 

「セラー!!」

 

「あ、シャルだ」

 

「……」

 

 言葉を遮るように沙良の名前が呼ばれる。

 あからさまな妨害に、ムッとしてしまう。

 わざわざ『セラ』と呼ぶところにも作意を感じる。

 こちらに走ってくる金髪の持ち主を見ると、その瞳は簪を凝視していた。

 その瞳は語りかけてくる。

 

『抜け駆けは許さない』と。

 

「箒の訓練は終わったんだね。こっちも一夏の訓練は終わったよ」

 

「そっか、お疲れ様」

 

「そうだ、一緒に夕飯を食べようよ」

 

 そのわかりやすい妨害。

 それを簪に見せ付けると言うことは、

 

「……その前に、模擬戦をしよ?」

 

 恋愛においては容赦しないと言うことだろう。

 それなら、簪だって同じ事だ。

 その喧嘩、買った。

 

――友達と言えども譲れない。

 

 沙良の静止の声も聞かず、アリーナに青と銀灰の線が通っていくのであった。

 


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