雀だろうか、小鳥の囀りに目を開いてみると、外は明るくなっていた。
金色の髪が目にかかり、鬱陶しげに髪を掻き揚げる。
「朝かぁ」
ぐっと伸びをして、そこで不思議なことに気づいた。
「んー…………え? 何この膨らみ」
腰の辺りがこんもりと膨らんでいる。
シャルロットが借りることになったベッド。
それは沙良が普段使っているものである。当初は床で寝るとシャルロットが言い張ったのだが、想い人に「お客さんにそんなこと出来ない」と上目遣いで迫られたら 誰だって頷くしかないだろう。
表面上は渋々と、内心では発狂するぐらいの喜びを以って、ベッドに潜り込み沙良の匂いを堪能したのが昨夜の話だ。
その際にはシャルロットの他には何も無く、こんな膨らみが作れるようなぬいぐるみなども何も無かった。
「じゃあこれって」
考えうる答えなど一つしか思いつかない。
高鳴る心臓を抑えて、恐る恐る布団を捲ると、
「んぅ……すぅ……」
想い人が心地良さそうに眠っていた。
それもシャルロットの腰にしがみついて。
「な、な、な」
咄嗟に自分の口を塞ぎ、大声を出さなかったことを褒めて上げたい気分だ。
何故、沙良がここで寝ているのだ。
昨日だって、
『駄目だよ。シャルを床でなんか寝させられないよ。ねぇ、お願い。ね? シャルもベッドで寝たいよね?』
と言っていたではないか。
そこでシャルロットは気づく。
「そういうことか」
確かに、沙良の部屋にはベッドが一つしかなく、お客様用の布団なども無いとの話だった。
当初、シャルロットが床で寝ると言い張ったのだが、それを沙良が拒否。自分のベッドで寝るようにとお願いしてきたのだ。
だから、シャルロットはてっきり沙良が床で寝るか、何処かで寝床を確保するものだと思っていた。
だが、ここで思い出して欲しい。沙良は自分が床で寝るとは一言も言ってない。
そして、あの時は疑問に思わなかったが、沙良は『シャルもベッドで寝たいよね』と言ったのだ。シャル『も』と。
最初から沙良がベッドで寝ることは決まっていたのではないだろうか。
「って、ちょっと待ってっ!?」
寝てる最中、シャルロットは腕が寂しくなったため、布団を抱いて寝ていた記憶がある。
だが、起きた際には布団はきちんと掛かっていた。それに、布団にしては質量があると寝ぼけながらに感じていた。
今なら分かる。沙良だ。
恐らく先に寝てしまったシャルロットに気を遣って、起こすことなくベッドに入ったのだろう。それに気づかずにシャルロットは横に居た沙良を抱き枕にしてしまったのか。
「まさかまさかまさか」
シャルロットは顔を真っ赤に染め上げる。
自分で自分を抱いてみると、微かに沙良の香りがした。
腰に感じる重みに、ついその抱きついている沙良を見る。
肌蹴た寝巻きは、沙良を色っぽく見せ、その襟元から覗く鎖骨は尋常ではない色気を醸し出している。
すると、こみ上げてくる気持ち。
有体に言えばムラッとしたのだ。
――あ、駄目。理性が。
沙良を起こさぬように静かに、けれどもすばやくベッドから降りると、すぐさま沙良から借りているジャージのまま部屋から飛び出した。
きつく靴紐を結ぶと、無心で敷地内を走り回る。
「煩悩退散、煩悩退散、煩悩退散」
それは沙良がシャルロットの姿が無いことに気づき、探しに来るまで続いたのである。
◆ ◇ ◆
沙良は優雅に紅茶を飲んでいた。
気を利かせた研究員が淹れてくれたものだ。
まるで花のようなフローラル香。恐らくはダージリンだろう。
紅茶好きな社員が多いため、マリアージュ・フレール、フォション、フォートン&メイソン、ハロッズ、エディアール等様々なブランドが取り寄せられている。
沙良の好みを良く知っている研究員は、マリアージュ・フレールを選んでくれたようだ。
「ふぅ、おいし」
激務の間の小休止。
その少ない休憩時間を沙良はコンソールから動くことなく過ごしていた。
普段は休憩室に行くか、ソファーに座って社員と喋ったりしているのだが、今はある人物を目で追っている。
「シャルロット!! さっきのデータはまだ!?」
「す、すみません!!」
「シャルロット!? ここの数字間違ってるわよ!? やり直しなさい!!」
「すみませんっ!!」
「シャル。二時間後に武装テストをするから」
「え、今それどころじゃ……」
「それまでには終わらせなさい」
「で、でも……」
「上司の発言には口答えしない!!」
「は、はい!!」
「新人!! 入社の書類が出てないわよ!! 早く本社の庶務課に出しに行きなさい!!」
「す、すいません!!」
「シャルロット、ISスーツの採寸があるから一時間後に本社の総務課に顔出して」
「一時間後……」
「シャル、三十分後の会議までにこの資料作っといて」
「そ、そんな……」
忙しく走り回る社員の中でも、特に慌しく動く一人の少女を眺める。
その姿を見ているだけで、微笑ましくなる。
新人が入るたびに見ることになる光景に、懐かしさを感じる。
この風景は沙良が入社して五年経った今でも変わらない。
S・Q社の中でも第一深海作業開発研究室は希望倍率が高く、中々入ることができない。
その倍率は400倍を超える。
沙良がIS学園に入学することが決定してから、新しく職員を入れたようだが、そのときも同じような光景が広がっていたに違いない。
この研究室に求められるのは即戦力。
ゆえに、初日から仕事を押し付けられてしまう。
ただでさえ人手不足なのだ。いくらテストパイロットとはいえ、研究員として入社したからには研究や雑務もこなしてもらわなければならない。
例え、明日IS学園に帰るといってもそれは変わらない。
「セラ、休憩中にごめんね。さっきのデータ纏められてる? 至急必要になったんだけど」
「ああ、出来てるよ」
「部長! すいません! データに間違いがあったみたいです」
「あぁ、ここは入力するデータが違うんだ。B-264のデータに置き換えて提出して」
「セラ、休憩中に御免だけど仕事が追加よ。一時間後にモニタールームでテスターをやって欲しいの」
「了解。詳しいデータを端末に送っといて」
「セラ! 本社から納品のミスがあったって! 部署の子が謝りに来てる!」
「うん、わかった。十分後に行くから応対室に通しておいて。出来たら先に内容聞いて対処。個人で判断できなかったらロサに通して」
「セラ、報告書が届いたから置いとくわよ」
「ありがとう。コンソールの上に積んどいて」
沙良は、紅茶から手を離すことなく対応する。
飽く迄も休憩中なのだ。
そこに仕事は入れたくない。
「大変だねぇ、セラ」
コンソールから動くことのない沙良に、声がかけられる。
声のした方に顔を向けると、白衣に身を包んだロサが
「あ、ロサお疲れ様。ロサも休憩中?」
「まぁそんなところだね。すまないね、仕事で帰ってきたわけじゃないってのに。あの子達も仕事ができないってわけじゃないんだけど、セラがやるのとは比べ物にならないからね」
その口からはため息がこぼれていた。。
その疲れきったロサの姿に、沙良は苦笑を浮かべると、両手を上に向け、肩をすくめて見せる。
「まぁ、仕方ないと割り切ってるよ。当分の目標は新人教育だね」
「それはそうと、あの子は良いのかい?」
ロサの視線はシャルロットに向く。
「言われたとおりに、大量の仕事を押し付けておいたけど、そんなことして何になるって言うんだい?」
「純粋にここでの仕事に慣れてもらうためだよ。テストパイロットといっても、所属が研究室だから研究を疎かにしちゃいけないしね」
「あの子の姿を見てると、ソフィアの時を思い出すねぇ」
「二人ともコネで入ったようなものだしね」
「あえて厳しい状況において、あの子への非難を減らそうってことかい?」
「わかってるじゃん」
沙良は楽しそうに白い歯を見せる。
シャルロットは、せかせかと働いている。
その姿は働き始めたときのソフィアと重なる。
その姿を見て、沙良はあることを思いついた。
それはソフィアのときにも行ったこと。
そのときのソフィアは信じられないといった具合に悲鳴を上げていたものだが、シャルロットはどうなるだろう。
沙良はその顔に浮かぶ楽の表情を隠そうともしない。
「あ、そうだ。ねぇ、シャル」
沙良は、思い出したかのように装い声をかける。
「な、何?」
シャルロットは忙しそうに対応しながらも、沙良に声をかけられたのが嬉しかったのか、その声色は少し喜を含んでいる。
そのシャルロットの机の上に、自分の雑務を置く。
「はい、これ。僕らが帰るまでには処理しといて」
積まれた仕事は、今までの書類の比ではなかった。
沙良がやればおおよそ三十分程度の仕事。
それはシャルロットの仕事ぶりだと、おそらく二、三時間は掛かるだろう。
シャルロットの周りの空気がまるで時が動いていないかのように止まった。
そして、極み付けの言葉を言い放つ。
「仕事が片付かない限り、帰らせないからね」
シャルロットの悲鳴が研究室に谺するのであった。
◆ ◇ ◆
「ひどい目にあった一日だった」
シャルロットは荷物をバッグに詰め込むと、ベッドに腰をかけた。
その体はIS学園の制服に包まれている。
思い返すと、大変だったが、有意義な一日だったかもしれない。
仕事自体は大変で、皆も鬼のように仕事を振ってくるが、いざ仕事が終われば、優しく接してくれる。
スペインに不慣れなシャルロットのために、皆が会社周りでお勧めの店などを教えてくれたり、沙良の昔の話を聞いたり、研究所で密かに製作されているセラコレクションとやらの存在を知ったりと、収穫の多い時間を過ごせた。
当然、セラコレクションはお買い上げしている。
今日、シャルロットと沙良はIS学園に戻る。
日本とスペインの時差はおおよそ九時間。
ここからS・Q社の沙良送迎用に開発されたジェット機を使い、約三時間のフライトの予定だ。
合計時間は約十二時間になる。
向こうに十二時に着く予定のため、出発予定時刻は二十四時になっている。
今の時刻は十九時。
仕事が終わり、家に帰って来たのだが、出発まで時間は残っている。
「少しの期間だったけど、お世話になったわけだし、挨拶だけでも行っておかないとなぁ」
シャルロットは沙良と同じ社宅に部屋を貰うことになった。
その社宅は会社まで徒歩十分という立地条件のため、気軽に足を運ぶことが出来る。
「よし、一回街に寄ってザイダさんのお勧めのチェロスをお土産に買っていこうかな」
シャルロットはIS学園の制服のまま、スペインの街に出かけるのだった。
◆ ◇ ◆
「あれ? シャルどうしたの?」
シャルロットは手に持った袋を掲げると、沙良は納得したように頷いた。
「わざわざ差し入れ買って来てくれたんだ」
「せっかくだし街にも行ってみようと思ってね。沙良はまだお仕事?」
その言葉に頷きが返ってくる。
「シャルは知ってるよね。シークエストの第三世代機ケートゥスシリーズ」
言われた名前に、頷くことで答えとする。
「これがそのケートゥスシリーズの一つ。名を『ドルフィン』」
最初にこの研究室に足を踏み入れたときから気になっていたもの。
全面ガラスの部屋にケーブルによって繋がれた白い機体。
その周りには研究員が群がって作業している。
「帰る寸前まで作業なんて大変なんだね」
「僕しか出来ないことだしね」
その言葉に、シャルロットは首を傾げる。
その理解が足りていないシャルロットの様子に気付いたのか、沙良は説明を重ねる。
「そっか、シャルは知らないのか。ケートゥスシリーズの機体は、特殊な性質があるんだ」
「特殊な性質?」
「簡単に言うと、機体が搭乗者を選ぶんだ」
その沙良の言葉に、シャルロットは驚きを隠せない。
確かに、ISには自己があると言われており、それゆえにISをパートナーと認識するのが今の流れだ。
しかし、IS自体が搭乗者を選ぶなんて聞いた事は無い。
「何で搭乗者を選ぶようになったのかは各説があるんだけど、そのおかげで機体と搭乗者の相性は抜群なんだ」
その各説と言うのも気になるが、それよりも沙良の首に巻かれているチョーカーに目が行ってしまう。
「セラが専用機を二つ持ってるのって、もしかして」
「いや、これは僕と相性がいいコアを使った僕専用機。後から選ばれたんじゃ無くて、選んでくれたコアを使って作ったんだ」
おそらく『カイラ』は『オルカ』が完成していないから専用機としているのだろう。
「それじゃあ、ソフィアさんも?」
「ソフィも僕と一緒のパターンだね」
つまりは、元々誰かの専用機として作ろうとすれば問題はないようだ。
問題となるのは量販した時の相性だろう。
その場合は、発注後に相性を確かめてからそのコアを使って制作をするのだろうか。
「生憎、僕も『ドルフィン』に選ばれた訳じゃないんだけど、僕以外の研究員には反応さえしないから仕方なくね。僕がやるしかないんだ」
「選ばれるとどうなるの?」
「選ばれると
「セラの負担が大きいね……。僕も手伝えたらいいのに」
シャルロットは優しく『ドルフィン』を撫でる。
少しでも力になれたらいいのに。
そんな思いで触れる。
――ねえ、力が欲しい?
「え?」
シャルロットはパッと『ドルフィン』から手を離す。
その動作に沙良が訝しげな視線を向ける。
「あ、な、なんでもないよ!?」
シャルロットは手を胸の前で握ると、恐る恐る、その雪のような機体に触れる。
――ねえ、力が欲しい?
先ほどの声は気のせいではなかったようだ。
あまりのことに、シャルロットは頭が真っ白になる。
――聞こえてる?
声が離れていく。
シャルロットは慌てて聞こえてると強く念じた。
――ああ、良かった。声が聞こえたのは君で六人目だよ。
その言葉にシャルロットは選ばれたわけじゃないと悟る。
――さぁ、問いに答えて。
シャルロットは考える。
力が欲しいかといわれれば、それはもちろん欲しい。
この世の中は、力が無ければ淘汰されてしまう。
どんなに容姿が良くても、どれだけ頭が良くても、どんなにお金を持っていても、それは力が無ければ食い物にされるだけだ。
進化し続けていくためには、生き延びていくためには力が必要。
しかし、力だけを持っていても、世界には通用しない。
それをシャルロットはデュノアで学んだ。
だからこそシャルロットは答えた。
『欲しいけど……いらない、かな』
――なんで?
聞き返してくる声色は心なしか楽しそうに聞こえる。
『僕は沙良を守りたい。それは強く思う。でも、本当にしたいのは、ただ近くで支えていたい。それだけ。力なんて無くたって支えることは出来るから』
自分が力を持つ必要はない。自分が沙良の力になりたいと願っているのだから。
『まぁ、力はあるに越したことは無いけどね』
――君の想いはわかったよ。
『うん、なんかごめんね』
――ふふふ、君は面白いね。……うん、決めた。僕が――
シャルロットの周囲にモニターが現れる。
その数はあっという間に十を超え、そして百を超える。
シャルロットは急なことに反応が遅れ、身動きが取れなくなる。
そのモニターに覆われる形になったシャルロットに研究員が慌てた声を上げる。
「システムを落とせ!!」
「回線はどうなっている!?」
「モニター!! データを!!」
「救助に入る!!」
シャルロットは一言、大丈夫と発しようとした。
しかし、その声が出ることは無かった。
「大丈夫、シャルを信じよう」
沙良が、そう言葉を発した。
すると、周りの喧騒が嘘の様に収まる。
そのタイミングを見計らっていたかのように、モニターが一斉にスクロールする。
流れていくのは『ドルフィン』のスペックに、
「これは、僕のデータ?」
見覚えのある数字は、シャルロットが自分でまとめて報告した自分の稼動データである。
情報の乱流は収まることは無く、その勢いを増していく。
その様子に、周りが息を飲むのが分かる。
少し、注意を外に向けると、パッとモニターが霧散する。そして、『ドルフィン』が光の粒子に変わり、シャルロットの体に纏わりついた。
しかし、その粒子は形を成さない。
疑問に思った瞬間、シャルロットにだけ見えるようにモニターが現れた。
そこに表示された文字を見て、シャルは微笑を零した。
――君があの子を支えるのなら、僕が君を支えてあげる。
「よろしくね、『ドルフィン』」
その言葉を待っていたかのようにドルフィンがその形を成した。
――Start system, Access――
――Fitting Start――
――Sea Quest Diving system, Access――
――搭乗者を確認、搭乗者を登録――
――Secret system, Start Access――
――皮膚装甲展開……完了――
――推進器稼動確認……完了――
――ハイパーセンサー最適化……完了――
――ようこそ。そしてよろしくね、シャルロット――