沙良がアリーナに到着したとき、既にラウラの機体はその変異を終えていた。
ラウラをそのまま表面化したようなボディラインに最小限のアーマーが付属している。
頭部はフルフェイスのアーマーに覆われ、目の箇所には装甲の下にあるラインアイ・センサーが赤い光を漏らしていた。
そして、その手に持つのは、
「雪片……?」
見間違えるはずもなかった。
それは千冬が振るった刀。
千冬だけの力。
一夏が雪片弐型を構えた。
「一夏、ダメ!」
沙良の叫びも間に合わない。
漆黒の機体は一夏の懐に飛び込む。
居合いに見立てた刀を中腰に構え、必中の間合いから放たれる必殺の一閃。
それは紛れもなく、千冬の太刀筋だった。
「ぐうっ!」
一夏の構えた雪片弐型が弾き飛ばされてしまう。
漆黒の機体はそのまま上段の構えに移る。
「一夏!」
沙良は首元に手を持っていく。
すると、黒のチョーカーが反応を返した。
「行くよ、オルカ!」
沙良の身体に黒の装甲が纏わりつく。
縦一直線、落とすような鋭い斬撃にその身を割り込ませる。
「シャルル! 一夏をつれて離れて!」
沙良はすぐさま『禊』を展開して、漆黒の機体に斬りかかる。
足元を薙ぎ払い、そのまま返す手で上段を払う。そのまま腰を入れて、斬り下ろしを放ち、回転を加えて突きを放つ。
それは全て雪片に似せたブレードによって防がれてしまう。
相手が千冬のデータならまだ遣り様がある。同じ篠ノ之一門として、その剣術の癖は分かっている。
沙良はタイミングを読み、一瞬で戦闘から離脱する。
その着地と同時に、一夏が拳を握り締めて漆黒のISに向かおうとする。
「うおおおおおおっ!」
「ちょっと!?」
それを箒が一夏の頭を掴み、後ろへ叩き落すことによって止める。
「馬鹿者! 何をしている! 死ぬ気か!?」
「離せ! あいつふざけやがって! ぶっ飛ばしてやる!」
一夏が怒るのも無理はない。
あの剣技は一夏が千冬に初めて教わった、『真剣』の技。
沙良もそこにいたからよく覚えている。
千冬は語った。
『いいか、一夏。刀は振るうものだ。振られるようでは、剣術とは言わない』
『重いだろう。それが人の命を絶つ武器の、その重さだ』
『この重さを振るうこと。それがどういう意味を持つのか、考えろ。それが強さということだ』
沙良は覚えている。千冬の厳しく、けれどどこか優しい眼差しを。
「どけよ、箒! 邪魔をす――」
だから沙良は一夏の頭部を蹴り飛ばした。
「沙良!?」
シャルロットはその沙良の行動に驚きを隠せない。
「今の一夏に、あれを相手にする資格なんかないよ」
沙良は一夏に言い放つ。
一夏は言葉を返せない。
「頭を冷やして。それぐらいの時間はあるから」
VTシステムは迎撃だけを行うようにプログラムされている。こちらからアクションを仕掛けなければ、何もしてこない。
一夏はゆっくりと体を起こした。
その瞳には先ほどの感情のブレは見当たらない。
「うん、いい顔になった」
「手間をかけさせたな、沙良」
一夏は白式のエネルギーを確認している。
そのゲージは非情にも赤色に染まっている。
「ダメだ。戦闘に回せるエネルギーがない」
『非常事態発令! トーナメント全試合は中止! 状況をレベルDと認定、鎮圧のため教師部隊を送り込む! 来賓、生徒はすぐに避難すること!繰り返す!』
「聞いての通り、お前がやらなくてもやらなくても状況は収拾されるだろう。だから――」
「無理に危ない場所に飛び込む必要はない、か?」
箒の言葉に、一夏は言葉を重ねる。
「そうだ」
箒の言っていることは正しい。
理路整然としている。
しかし、それでは一夏は止まらないであろう。
それは沙良も同じである。
「違うぜ箒。全然違う。俺が『やらなくちゃいけない』んじゃないんだよ。これは『俺がやりたいからやる』んだ。他の誰かがどうだとか、知るか。大体、ここで引いてしまったらそれはもう俺じゃねえよ。織斑一夏じゃない。俺は、あいつを助けたいからやる。それで充分だ」
結果や過程がどうであれ、見捨てるなんて出来ねえよ。そう笑う一夏に、沙良は喜色を得た笑みを見せる。
「ええい、馬鹿者が! ならばどうするというのだ! エネルギーはどのみち――」
「無いなら他から持ってくればいい。でしょ? 一夏」
シャルロットがふわりと沙良たちの元へと近づく。
「普通のISなら無理だけど、僕のリヴァイブならコア・バイパスでエネルギーを移せると思う」
「本当か!? だったら頼む!」
「けど!」
シャルロットが沙良と一夏に指差して、強い口調で言う。
「けど、約束して。絶対に負けないって」
「「もちろん」」
声が重なる。
「じゃあ、負けたら二人とも女子の制服で通ってもらうからね」
「うっ……い、いいぜ?」
「え? 僕もなの?」
沙良は『禊』を肩に乗せる。
「じゃあ、一夏はシャルルにエネルギー分けて貰ってて。向こうもそろそろ我慢の限界みたいだしね」
そういって示す先には、電流を体に纏わせ始めた漆黒の機体。
「たぶん、有り余ったエネルギーが機体を侵食してるんだろうね」
沙良は身を低く構える。
刃を下に向け、持ち手を高く構える。
篠ノ乃流薙刀術の構えだ。
沙良は一瞬でその身を機体に肉薄させる。
沙良は刃に近い方の手を離し、もう片方の手だけで薙刀を大きく振るう。
それが当たる瞬間、沙良はその身を反時計回りに回す。その流れで、薙刀を振るっている右腕を引き上げると、その形は自然と上段の構えとなる。
それを左手を利用し、叩きつける。
その上段の一撃も防がれてしまうが、沙良はすぐさま左手で薙刀を持ち直し、右手を柄の先に当てることで、薙刀をすばやく背に回す。
それを手首の捻りを以って下段に振るう。
その一撃ですらも防がれてしまう。
「千冬姉のデータは流石だね」
それでも沙良は、連撃を止めない。
自分に危害が加わるはずがないのだ。
沙良が踊るように薙刀を振るう。その隙を打ち消すかのように飛び交う水弾。
絶大の信頼を置く右腕の掩護を受け、沙良は踊り続ける。
「一夏!」
「おう!」
一夏は右腕の装甲だけを具現化させている。
防御はなし。当たれば即死、良くて重症。
それをさせないために沙良が居るのだ。
「一夏に刃は振らせない!」
沙良は連撃のスピードを上げる。
その沙良の後ろでは一夏が雪片弐型を強く握る。
「零落白夜――発動」
一夏の雪片弐型は普段のエネルギーを纏う姿ではなく、日本刀のような形に集約されたエネルギー刃が展開されている。
沙良が漆黒の機体の刀を上に弾き飛ばす。
その隙を一夏は狙う。
しかし、漆黒の機体はそのまま一夏に袈裟斬りを放つ。
それは千冬と同じ太刀筋。
しかし、それは千冬のものではない。
「ただの真似事だ!」
一夏は叫んだ。
腰から抜き放って横一閃、相手の刀を弾く。
そしてすぐさま上段に構え、縦に真っ直ぐ相手を断ち斬る。
沙良はそれをよく覚えている。
一夏がよく練習していた動き。
それは一閃二断の構え。
一夏の雪片弐型が漆黒の機体を切り裂いた。
その機体から、ラウラが開放される。
その一瞬、沙良はラウラと目があった気がした。
それはひどく弱っている捨て犬のような目。
助けて欲しいと言っているかのようだった。
「……まぁ、ぶっ飛ばすのは勘弁してやるよ」
一夏も、沙良と同じ思いを抱いたようだ。
一夏は力を失って崩れるラウラを抱きかかえる。
その言葉が聞こえたかどうかはラウラにしかわからないだろう。
◆ ◇ ◆
全く、お前たちはどうしてそこまで他人のために躍起になれるのだ。
私など捨て置けばいいものを。
『僕がそんなのことすると思う?』
思わないな。
それが貴方だ。どこまでも他人に厳しく、どこまでも身内に優しい。
『俺は気付いてたら動いてた。理由なんてそんなもんだ』
ふ、貴様もとんだ馬鹿のようだな。
『助けてやったのに、馬鹿とはなんだ』
……強さとはなんだろうな。
『そんなの、人それぞれだよ』
『俺は、心の在処。己の拠り所、だと思う』
己の拠り所……。
『自分がどうありたいか。その意思の強さだろ? 大切なのはさ』
『やったもん勝ちだよ。遠慮してたら損しかしないよ?』
しかし、私は……守れなかった。
『まだそのことを言うの? 『ラウラ・ボーデヴィッヒ』』
っ!? ……そうだ、私は私でしかない。
『お前の人生ぐらい、お前が好きに生きないとな』
では、お前は? お前はなぜ強くあろうとする? どうして強い?
『俺は強くないよ。まったくな』
断言、か。
あれほどの力を持ってなお、強くないという。それが理解できない。
『けれど、もし俺が強いって言うのなら、それは――』
それは……?
『強くなりたいからでしょ?』
『あ、人の台詞取ってんじゃねえよ!』
『かっこつけようとしてー』
『サーラー』
『ごめんごめん』
……仲が良いな。
『家族だからね』
血も繋がってないのにか?
『家族ってのはな、血のつながりがなくても、心が繋がっていたらそれで良いんだ』
……家族、か。
『俺は、誰かを守ってみたい。自分の全てを使ってでもただ誰かのために戦ってみたい。それが、あの事件からずっと強さを求めている理由だ』
それは、まるで……貴方達みたいだな。
『家族だからな』
嬉しそうに笑う男だ。
『ポジティブだろ?』
『ただの馬鹿とも言う』
『サーラー?』
ふふ、お前らは。
『ねえ、ラウラは吹っ切れた?』
博士……。
『もう、ここでは博士って呼んじゃダメだって』
では何て呼べば……。
『また、沙良って呼んでよ』
しかし、私には……貴方を守れなかったのに。
『もう、何で君たちはこうも面倒くさいのさ』
『おいおい、俺を含めるな。俺はもう吹っ切ったんだ』
お前は……強いんだな。私はまだそんな風に考えられない。
『でも、僕はラウラに名前を呼んでもらえないと悲しいよ』
呼ぶ資格など……
『あぁ! もう、間怠っこしいな! ラウラは僕を沙良って呼ぶの! 分かった!?』
は、はい!
『俺は一夏でいいぜ』
……お前にとっては、先ほどまで殺気を向けていた相手だぞ?
『そんなの関係ねえよ。俺は今、こうしたいと思ってやっただけだ』
ふ、ふふ。一夏に沙良……か。
『お前は何がしたいんだボーデヴィッヒ?』
私は……私は何がしたいんだろうな。
今まで、考えたこともなかった。
ただ我武者羅に生きてきただけだ。過去から目を逸らすかのようにな
『じゃあ、ちょうど良かったじゃん。この三年間でそれを見つければ良いよ』
……本当に、甘いなお前らは。甘いじゃすまない。劇甘だ。
私に自己を与えてくれただけではなく、道まで標してくれるなんて。
『おいおい、標しただけで、選ぶのはお前なんだぞ?』
わかっている。
ただ、短い期間でもいい。
私も同じ景色を見たくなっただけだ。
◆ ◇ ◆
「う、ぁ……」
「気がついたか」
その声に、ラウラは身を起こそうとする。
「くっ」
「無茶をするな馬鹿者」
その声は自らが敬愛してやまない千冬のものだった。
「私……は……?」
「全身に無理な負荷がかかったことで筋肉疲労と打撲がある。しばらくは動けないだろう。無理をするな」
千冬の話題の誘導にラウラは引っかからなかった。
当事者として、誤魔化されるわけにはいかない。
「何が……起きたのですか……?」
ラウラは身を起こし、ただ真っ直ぐに千冬を見つめる。
「ふう……。一応、重要案件である上に機密事項なのだがな」
そう言われても引き下がるような相手でもないのを充分承知しているのか、千冬はここだけの話と無言で示すと、口を開いた。
「VTシステムを知っているな」
「はい。しかしあれは――」
「そう、IS条約で研究・開発・使用全てが禁止されている」
「それが……積まれていたのですね」
「巧妙に隠されてはいたがな。操縦者の精神状態、機体の蓄積ダメージ、そして操縦者の意志……いや、願望か。それらが揃うと発動するように細工されていたらしい。現在、学園はドイツ軍に問い合わせている。近く、委員会からの強制捜査が入るだろう」
ラウラはきつくシーツを握る。
「私が、力を求めたからですね」
勝ちたいと願った。その結果がこれだ。
ラウラは俯いたまま顔を上げることが出来ない。
「ラウラ・ボーデヴィッヒ!」
「は、はいっ!」
いきなり名前を呼ばれ、ラウラは驚きも合わせて顔を上げる。
「お前は誰だ?」
それはいつも沙良がする問いかけ。
「私は…………私は、私です。私は、ラウラ・ボーデヴィッヒです」
言葉に出来た。
自分を認めることが出来た。
そのことがラウラの涙腺を緩ませる。
「それなら話は早い。後は、お前の生き方を決めるだけだ。何、時間は山のようにあるぞ。なにせ三年間はこの学園に在籍しなければいけないからな」
「あ…………」
それは、特殊意識干渉での会話とまったく同じ。
まさか、千冬が自分を励ましてくれるなど思いも寄らなかったラウラは口をぽかんと開けたまま呆けてしまう。
千冬は席を立ってベッドから離れる。
もう、言うことはないといったように。
千冬は、ドアに手をかけ、振り向くことなく言葉をかける。
「たっぷり悩めよ、小娘」
千冬はそう言い、部屋から出て行ってしまう。
「ふ、ふふ……ははっ」
何て姉弟だ。
まったく同じことを言う。
結局は自分で考えろと、そういうことではないか。
その頬には涙が伝っている。
完敗だ。
織斑一夏。
――貴様には完膚無きまでに敗北したわけだ。
だが、それは決して悪いことではない。
そのおかげで、スタート地点に立てたのだから。
◆ ◇ ◆
「邪魔するわよ」
そう言ってノックもせずに入り込んでくる小柄な少女。
「貴様は……」
「凰鈴音。鈴で良いわよ」
あっけらかんと言い放つと、ベッドの横にあった椅子に腰掛ける。
「どう、一夏は。強かったでしょ?」
鈴音は気負いもなく話しかけてくる。それがラウラにとっては信じられない。
「……お前は恨んでないのか?」
「ただ模擬戦やっただけで恨む必要があるの?」
「お前はそれでいいのか……?」
「アンタは何時までも後ろ向きね」
「お前らが前向きすぎるのだ」
「そうかもね」
鈴音はケラケラと笑うと、ラウラの言葉を待つ。
どうして、悪意を向けた人間にこうも普通に話しかけてくるのだろうか。
どうして、何も無かったかのように接することが出来るのだろうか。
「お前は、あの事件で一夏を恨まなかったのか?」
「バカね、アンタ。一夏を恨んでも仕方ないじゃない。恨むなら足手まといになった自分自身よ。私がいなければあの二人は助かったかもしれない。私を守るために二人は傷を負ったのかもしれない。それがあたしの罪」
「……お前も、私も、罪の感じ方は一緒なのに、どうしてここまで向きが違うのだろうな」
ラウラは自分の胸に手を置く。
「……どう、一夏は。強かった?」
同じ問いかけ。
「ああ、強かった。私にはなかった強さだ。私が欲していた強さだ」
「そう、なら良かった」
「……お前も、似ているな。あの二人に」
「一緒に居ると、自然に似てくるのよ。困ったことにね」
「そうか」
会話が途切れる。
ただ、静寂に身を任せると、鈴音が席を立った。
「じゃあ、あたしは行くわ。セシリアには一応謝っときなさい」
「ああ」
ラウラは考えるように俯く。
それをどう受け取ったのだろうか、鈴音が声をかけた。
「……一発、殴ってあげようか?」
「助かる。と言いたいところだが、大丈夫だ。私は前を向いたのだから」
そう、と笑った鈴音は、晴れやかな笑顔を浮かべ、部屋から出て行った。
「……本当に、甘い人間だらけだ」
ずっとここに居たらふやけてしまいそうな程のぬるま湯。
「だが、それを悪くないと思う私も……確かに存在するのだ」