IS 深海の探索者   作:雨夜 亜由

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第三話 たわいもない日常

 ソフィアが沙良の部屋に泊り込んで訓練を行なうようになってから既に二週間がたっていた。

 日々、身体作りにトレーニングを重ね、あらゆる武術を学び、ISの基礎を学ぶ。

 その疲労は想像するに容易い。

 身体には多くの生傷や、痣を拵え、筋肉痛で満足に歩くことも困難である。

 この日も早朝からトレーニングに出かけ、午前だけの授業をこなし、SQ社で専門の講師を招き学習や訓練に励んでいた。

 その残骸とも言えるものが、開発で疲れて返ってきた沙良の目の前に転がっていた。

 

「……ソフィ、玄関で寝ないで。邪魔」

 

 限界を開けると、床にうつぶせに倒れている少女の姿があった。その服装は乱れ、髪もボサボサ。そして、その目は生気を映してはいない。

 

「……うぅ、あ」

 

「パンツ見えてるよ」

 

「……」

 

「隠す元気があるなら大丈夫だね。僕はお風呂入って来るから、上がってくるまでに勉強の準備しといてね」

 

 ソフィアの一日は、自らの部屋に戻っても終わりではない。疲れた身体に鞭を打って、無理やり学校の勉学を詰め込むのだ。

 日本語が苦手なソフィアは、毎日のように夜遅くまで日本語の勉強を沙良と行なうのが日課となりつつある。

 

「ちょっと、何時まで寝てんのさ」

 

 バスタオルと着替えを片手で持った沙良がソフィアの身体を足でつつく。

 これは悪戯でもなんでもなく、ソフィアが脱衣所の前で寝てるから退けと暗に言いたいのだ。

 

「……もう、限界」

 

 筋肉痛で悲鳴を上げる身体で床を這うように移動しながら、かすれた声で訴える。

 

「うん、じゃあ限界を越えるまで頑張ってみようか」

 

 脱衣所に消えていった沙良はとても良い笑顔でそう言い遺して行った。

 

「……死ぬ」

 

 ここは地獄か、鬼の巣なのか。

 鞭だけでは人間生きていけないと声高らかに叫びたい。

 

「あ、そうだ。勉強する前にマッサージしてあげるからマット出しといて」

 

 訂正、地獄には間違いないが、きちんと飴が用意されているようだ。

 

「セラの……マッサージ……」

 

 想い人が自分のためを思って行なってくれるご褒美。

 それも直接、手が触れる系統の。

 ソフィアも、思春期の少女なのだ、こんな美味しい御褒美を目の前にして動かないわけがない。

 こうして、少女は襤褸雑巾なりながらも、飴と鞭による辛い訓練を乗り越えていくのである。

 

「……とりあえず、マット」

 

 痛む身体を引き摺り、マットを引き、机に勉強道具をセットすると、マットにうつ伏せで倒れこむ。

 シャワーの音だけが部屋を支配し、少女はただ水音が止むのを待つのであった。

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

「……ぃ……ソフィ!」

 

「はい!」

 

 ばっと身体を起こすと、そこには天使がいた。

 

「おはよう」

 

「な、何分立った?」

 

「三十分ぐらい」

 

 どうやら、疲れに負けて眠ってしまったようだ。

 少しだが、身体のだるさも取れている気がする。

 

「待ってる間で授業中の復習ぐらい出来たでしょ? 何で寝てるの?」

 

「い、痛い!、待って、筋肉痛で、あ、そこは押さないで!」

 

 訂正。天使の顔をした鬼がいた。恋する乙女のフィルターを通してみても、その所業は天使とは思えない。

 

「たまにはご褒美あげないとなぁって思って、マッサージしてあげようと思ったのになぁ、これだもんなぁ」

 

「痛い痛い痛い痛いごめんなさい!! 人間の関節はそっちには曲がらないからぁ!!」

 

 筋肉痛に加え、関節を決められる痛みに悲鳴を上げる。

 しかし、湯上りの沙良に密着されて内心ラッキーと思っているのは内緒だが。

 

「ま、ソフィが頑張っているのは見ててわかるからね、お疲れ様」

 

「あぅ……」

 

 関節を開放されたと思ったら、そのままマッサージが開始された。

 その心地よさについ声が漏れる。

 

「ん、どう? ふぅ、んっしょ。痛く、ない?」

 

「うん、気持ち良い……」

 

――それに吐息がエロイです、はい。何、あの風呂上りで上気した頬。肩から覗く鎖骨とかもう色っぽ過ぎて、身体が動いてたら押し倒したよ!?

 

「ん……しょ。今、なんか変なこと考えてるでしょ」

 

「ソンナコトナイワヨ」

 

「ふーん」

 

「な、何?」

 

「チラチラと鎖骨見てるよね?」

 

「――っ!!」

 

 ばれてたかーと枕にクッションに顔を押し付けて、照れ隠しを試みる。

 

「まぁ、見ても減る物じゃないし良いけどさ。何処か重点的にやって欲しいとこある?」

 

「足、とか」

 

「りょうかい」

 

 痛かったら言ってねーと沙良は乳酸が溜まりきった足を揉みしだく。

 

「あぁぁ……」

 

 これが天国か。

 今までの地獄の日々も、この天国の存在を知っていれば耐えられる気がする。

 

「じゃあ痛くするよー」

 

「痛たたたたたたたたたた!!!!」

 

 そんな妄想も一瞬で砕かれ、一瞬で地獄を見たソフィアは、暴れてもなお、未だに足裏を指圧している沙良をバシバシと叩く。

 飴と鞭の比率が明らかにおかしいと、ソフィアは訴えたくなる衝動をグッと押さえる。

 

「痛い痛い!! 冗談抜きで!! 足ツボはヤバイって!!」

 

「ちょっと、暴れないで。押しにくいから」

 

「あぁぁぁぁぁ!!痛いってぇぇぇ!!」

 

「はい終了」

 

「はぁ、はぁ、はぁ」

 

 もう無理、そう呟いた途端だった。

 

「次は反対の足だね」

 

「あぁ痛ぁぁぁぁ!!」

 

 しかも今度は暴れられないように海老反りの体勢で足をホールドされているため、床をバシバシ叩くことしか痛みを訴えることが出来ない。

 

「ちょっと、下の人に迷惑だから止めてよ」

 

「じゃあ、足ツボをやめてよぉぉぉぉ!!」

 

「ここで最後だから頑張って」

 

「あぁぁぁぁぁぁ痛っいって、ば!!」

 

「はい、しゅーりょー。痛かったけど、足は楽になったでしょ?」

 

「はぁ、はぁ、ん、確かに、楽にはなった、かな?」

 

「次、どこ揉んで欲しい?」

 

「お尻とか?」

 

「お尻凝る様なことやってないでしょ」

 

 軽くお尻を叩かれる。

 

「じゃあ胸?」

 

「セクハラで訴えるよ?」

 

 実際には結構な勇気を以って言ってみたのだが、あっけなく流されてしまう。

 

「定番だけど腰が限界きてるからお願い」

 

「はいはい」

 

 すぐに手が伸びてきて、背骨の付け根をぐりぐりと指圧される。

 

「うぅ……」

 

 手の平の下部による指圧も加わり、ソフィアの口からは吐息が漏れるようになる。

 

「はぁ……セラ、どこでマッサージなんて覚えたの?」

 

「ん、言ったことなかったっけ? 日本にいる兄弟みたいな子の話」

 

「イチカだっけ?」

 

「そうそれ。その一夏がマッサージが上手くてね。一緒にやり合ってるうちに覚えちゃった」

 

「へー……」

 

「ソフィ? もしかして眠い?」

 

「んー」

 

「ん、じゃあ今日のお勉強はいいや。このまま寝ていいよ」

 

「ほんと?」

 

「本当、本当。その代わり明日から三日間訓練が無しになって、勉強の時間が増えるからね」

 

「はーい」

 

 マッサージもただ指圧や揉むだけではなく左右から圧迫したり、リンパ腺にそって擦ったり、軽く叩いたりと、バリエーションを持たせ、ソフィアの睡魔を誘う。

 

「このまま寝てもいいよ。ベッドまで運ぶから」

 

 その声を聞いた後、瞼を開けるのが辛くなり、そのまま瞼を閉じてしまう。

 最後、意識が落ちる前に聞こえてきた「おやすみ」に、声に出さずに「おやすみ」と返すと、ソフィアの意識は眠りに落ちていくのだった。 

 

 

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「で、訓練はどうした?」

 

「今日はお休み……てか三日間は休息日なんだって。良くわかんないけど昨日セラが言ってた」

 

 あぁ、筋肉の回復を待つのか、と少年が問いかける。

 しかし、問いかけられた少女は、昨日のマッサージは気持ちよかったなぁと頬に手を当て、くねくねと気持ちの悪い動きをしていた。

 腰に当たる太ももの感触がぁ、といいつつ肩をバシバシと叩いてくる幼馴染を放っておいて、少年は手元に目線を戻す。

 

「えっと……この料理は303卓か」

 

「ちょっとトニー、私の話を聞いてるの?」

 

「ああ、聞いてる聞いてる。今日は海老とマッシュルームのアヒージョが美味そうって話だろ? いい海老が入ったんだ、味は保障するぜ」

 

 手元の料理を視線で示し、胸を張る。

 

「ちょっと聞いてないじゃない。つまりは、私の天使がいかに天使かって話よ」

 

 くだらないと肩を竦め、料理に手を伸ばすソフィアの腕から料理を遠ざける。

 

「誰がお前の天使だよ。てか摘まもうとするんじゃない。これは向こうの卓の客のだ。食いたかったら自分で注文しろ」

 

「何よケチ。そんなんだからモテないのよ」

 

「同じ台詞をあそこの客に言って来いバカ野郎。それに俺はそこそこモテる」

 

「バカって何よ!?」

 

「てか、まず仕事中だ。話しかけんな。もう直ぐで休憩に入るから大人しくカウンターでジュースでも飲んでセラが来るまで待ってろ」

 

 幼馴染に冷たくあしらわれたソフィアは、ブスッと不貞腐れたようにカウンターに突っ伏した。

 

 今日は休息日ということで、一切の訓練が休みとなった。沙良曰く、休むのも訓練のうちだとか。

 それならばと、最近足を運んでいなかった三人のたまり場に集まろうという話になったのがつい先ほどだ。

 咄嗟に決めたため、アントーニョは仕事、沙良は学校の用事で遅れている。

 その間、ソフィアは一人で、三人のたまり場、アントーニョの実家であるリストランテ・バール『トルメンタ』のカウンターで店の主のアントーニョの父親に構ってもらっていた。

 

「ははは、ソフィちゃんも不貞腐れてないで何か飲みね。おっちゃんの奢りだよ」

 

「おじさん……」

 

「親父、あんま甘やかすな」

 

「おっと、うちの若いバーテンダーがお怒りだ」

 

「本当ケチね。誰に似たのかしら」

 

「そりゃ母さんだろ」

 

「違いねえ」

 

 カウンターの主がからからと笑う。

 

「そろそろセラが来るころか? お、噂をすれば」

 

 扉が開き、いらっしゃいませの声にそちらを向いてみると、翠の目に茶色が混ざった黒髪の少年がキョロキョロと何かを探しているような素振りを見せている。

 

「案内行ってくるわ」

 

 アントーニョが沙良を出迎えに行くと、案の定沙良は常連客に捕まっており、あたふたと戸惑っている。

 

「お客さん、すんません。こいつは今日はこっちの貸切なんで勘弁してやってください」

 

「トニー、遅い!」

 

「いや、なんでもないです。勘違いでした。どうぞご自由に」

 

「わー嘘、嘘!! 待ってたよ、ありがとう!」

 

 まるで漫才のような掛け合いに、店内がドッと沸いた。

 

「相変わらずお前ら三人組は仲良いな」

 

「まぁ親友なんで」

 

 トニーがあっけらかんと言いのたまう。

 

「そんな三人に乾杯!!」

 

「「「「乾杯!!」」」」

 

 常連客やノリの良い客が一斉にジョッキを掲げ、アルコールを呷る。

 そして、一斉にドリンクのおかわりの声が殺到し、アントーニョはご注文ありがとうございますと営業スマイルを浮かべるのだった。

 

「んで、お前はこんなところで暢気に飯を食ってる場合か?」

 

「ほえ?」

 

 沙良を連れて戻ると、何時の間に注文していたのか、魚介のパエリア、蛸のトマト煮、イベリコ豚のアヒージョ、牛頬の煮込みガーリックトースト添えなど多くの料理がカウンターに並んでいた。

 

「とりあえず、口に入れてるものを飲み込め」

 

 頷き、もぐもぐと口を動かすソフィアに、はぁとため息が漏れる。

 

「三日後に迫った卒業考査の勉強に来たんじゃないのかお前は」

 

 ハッと今思い出したようなリアクションに、沙良もついぷっと吹き出してしまう。

 

「いや、セラ笑い事じゃねえぞ。こいつ、この二週間授業中寝てやがるからマジでヤバイ」

 

「は?」

 

「ちょっとそれは内緒って」

 

「ソフィア?」

 

「す、すいません……つい、太陽が気持ちよくて」

 

「よし、休息日は全部お勉強だね。この三日間付きっ切りでみっちりしごいてあげるよ」

 

「ええぇぇぇ! そんな御無体なぁぁぁ!!」

 

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

「終わったぁ」

 

 グッと背伸びをして、凝り固まった身体を解す。

 三日間に亘る卒業考査は、座りっぱなしの生徒の関節と精神をガリガリと削っていた。

 

「お疲れさん」

 

「あ、トニーお疲れ。どうだった?」

 

「まぁ日本語の問三の引っ掛けが難しかったが、ほぼ取れてるだろ」

 

「流石、学年次席」

 

「首席に言われても嬉しくともなんともねえよ」

 

「ははは、ごめんごめん。ソフィは?」

 

 アントーニョが親指で背後を示す。

 その先に目線を向けてみると。

 

「おおう」

 

 真っ白に燃え尽きた少女が椅子にもたれ掛かっていた。

 

「あれは、どう捉えたらいいの?」

 

「まぁ卒業考査はハイスクールの入試にも関わってくるからな。持ち上がりとはいえ、この辺りでは一番の進学校だし、その基準点に達してねえんじゃないのか」

 

 ちなみに、基準点とは十一教科平均八十点取れていればパスとなる。

 

「哀れだね、ソフィ……」

 

「本当にな」

 

「まぁ僕たちがみんな同じ学校を受けるってことで、学校側も何らかのアクション取るでしょ」

 

「まぁ内申か一芸か」

 

「ソフィはもう、うちで訓練を始めてるし、一芸なら確実に受かるでしょ。未来の国家代表だよ?」

 

「そんなに才能あんのか?」

 

「まぁ才能もあるけど、何よりもその才能に胡坐を掻かないのがソフィの長所だよ。努力する天才ほど応援したくなるものはないさ」

 

「ふーん」

 

「寂しい?」

 

「そんなんじゃねえよ。って言いたいけど、まぁ仲間はずれは寂しいな」

 

「ふーん」

 

「何ニヤニヤしてんだ気持ち悪いな」

 

「僕もトニーがいないと寂しいなー」

 

「はいはい言ってろ。頻繁にうちに晩飯食いに来てんじゃねえか」

 

 言葉と裏腹に、その手は沙良の頭をわしゃわしゃと撫でている。

 

「おっと、そろそろ時間か」

 

「どこ行くの?」

 

「呼び出し、ちょいと屋上までな」

 

「あぁ、お礼参りってやつだね」

 

「そっちじゃねえよ、バカ。お前の苦手な恋愛方面だよ」

 

「へー、トニーモテモテだねー」

 

 ニヤニヤとトニーの脇をつつく。

 

「お前には言われたくねえよ鈍感野郎が」

 

「敏感だよー。脇とか」

 

「そういうこっちゃねえよ、バカ…………ソフィが哀れで仕方ねえ」

 

 はぁとため息を吐き、小声で何かを呟くが、そこまでは沙良には聞き取ることが出来なかった。

 

「俺はそろそろ行って来る。お前らは先帰ってろよ。今日はうちで会社の奴等と飯食うんだろ? 大人数の予約が入ってたし。また、そん時にな」

 

「はーい行ってらっしゃい」

 

 片手を挙げて教室から出て行くアントーニョを見送る。

 何時までもフリーズしている少女に目を向けると、一つため息をつき、一緒に帰るためにフリーズを解きに掛かるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

「あれ、ロッカーは寄らないの?」

 

「昨日のうちに全部持ち帰ってるから大丈夫」

 

「じゃあちょっと待ってて」

 

 そう声をかけ、自分のロッカーから荷物を全部取り出すと、それを持ってきていた大き目のカバンに詰め込む。

 その際に沙良のロッカーを見ると、案の定在るわ在るわ。ロッカーに詰まった手紙や小包の数。

 

「哀れだ……」

 

 少しでも沙良のことを理解してれば、最終日に慌てて持って帰るような性格ではないことぐらい分かるだろうに。

 少しでも沙良と仲良くしていた者は、いまごろ沙良に直接アタックしている。

 ソフィアがいると、みんな遠慮してるのか沙良に関わらないが、ソフィアが居なくなると、急に積極的になる。

 それを、分かってて態々一人の時間を作ってあげたソフィアの余裕は、恐らくライバル共には伝わらないだろうが。

 

「これも、持って行ってやるか……」

 

 鞄にはまだ余裕もあることだ。今日ぐらいは優しさを見せても良いだろう。なんせ今日は特別な日なのだから。

 


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