IS 深海の探索者   作:雨夜 亜由

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第二十七話 深夜の姉弟通話

 時刻は二十四時を回っている。

 しかし、沙良はその身をベッドの上で休ませてはいない。

 現在いるのは、寮の屋上。

 夜風に当たりながら、携帯端末を握り締める。

 その顔は、普段のにこやかなものとは違い、真剣な瞳をしている。

 沙良は、来る途中に買っておいた缶コーヒーのプルタブを開け、苦いコーヒーを胃に流し込む。

 この空間には、沙良しかいない。

 故に、沙良は今は思うがままに感情を押し出す。

 

「はぁ……」

 

 沙良は柵に凭れ掛かり、ずるずるとその身を沈めていく。

 それは、悔しさ。

 原因は時間を遡る。

 それはクラス対抗戦に起因する。

 

 無人機。

 それは、束が開発した新しい可能性。

 遠隔操作と独立稼動を可能にした、新しい探索機(・・・)

 それは、沙良の研究による深海での作業稼動データと束の開発力により実現した、宇宙・深海探索用無人機。

 それは、未だに人類が足を踏み入れていない領域に挑む、希望の光だったはず。

 

 束は語った。

 宇宙ってどんな住み心地だろうね、と。

 沙良は答えた。

 住んでみればわかるよ、と。

 しかし、その夢は簡単に打ち破られた。

 

 研究所がIS六機により襲撃を受け、無人機の製作試作機、論文、稼動データ、その全てが奪われた。

 それの襲来は、沙良にとって決して許しがたいものであった。

 希望の機体が、悲劇の道具に使われる。

 その状況を沙良は許せなかった。

 送り込まれてきた無人機を調査し、様々な研究所にハッキングを仕掛けた。

 しかし、返ってきた結果はどれも『NOT DATA』の文字だけ。

 それは、普通の企業ではないということ。

 それなら考えられる組織は二つしかない。

 そのうちの一つを沙良は呟く。

 

「亡国機業……」

 

 それは、沙良と一夏、それに鈴音すら巻き込んだ事件の黒幕。

 あの誘拐事件から、相当な大きさの組織ということはわかっている。

 それに、各国からISを強奪する出来る組織力。

 沙良は、親の仇のように憎しみを込める。

 

 知っていることもそう多くはない。

 古くは五十年以上前から活動していること。

 第二次大戦中に生まれた組織だということ。

 国家によらず、思想を持たず、信仰は無く、民族にも還らない。ゆえに目的は不明。存在理由も不確かで、その規模もわからない。

 わかっているのは、組織は大きく分けて運営方針を決める幹部会と、スペシャリスト揃いの実働部隊の二つが存在すること。

 そして近年、その主な標的はISであること。

 そして、その実動員の中にアメリカで奪われた第二世代型IS『アラクネ』が用いられていること。

 実働部隊の何人かは顔も割れている。

 沙良は直々に相対したことがあるのだから。

 

 世界最高峰のハッカーと呼ばれる沙良でさえも、この程度の情報しか得られなかった。

 これは、相手に感づかれないようにして、ということだ。

 これ以上踏み込むと、こちらの情報が相手に漏れてしまう。

 情報が漏れていいのならば、沙良は、敵を丸裸にすることは可能だと考えている。

 しかし、それは大きなリスクを伴い、下手をすれば第四次世界大戦が始まる可能性も出てくる。

 沙良は、断腸の思いで調査を打ち切った。

 そして、沙良はその過程で、思わぬ情報を見つけた。

 

 それは独逸の秘匿研究資料。

 そこに書かれた文字に、沙良は、目を疑う。

 『ヴァルキリー・トレース・システム』

 それは、アラスカ条約で現在どの国家・組織・企業においても研究、開発、使用全てが禁止されているはずのものだった。

 沙良はすぐさま、束に連絡を取った。

 今は、その束からの連絡を待っているところだ。

 束との連絡ということで、態々人の居ない場所、居ない時間を選んだのだ。

 沙良の携帯が震える。

 それは、耳に当てて使うのではなく、端末を置いたまま扱う。

 

「もしもし」

 

『やぁ、セラの愛しのお姉ちゃん、束さんだよ!』

 

 空のような真っ青なブルーのワンピース。

 エプロンと大きなリボンが目を引く。

 その頭につけられたうさ耳が、視線を奪う。

 端末から、束の立体映像が浮き出た。

 向こうには座り込んでいる沙良の姿が映し出されているだろう。

 束特製、テレビ電話システムだ。

 作った理由は動いている沙良が見たいということらしい。

 

「調査結果は?」

 

『セラはお姉ちゃんがいなくて寂しいかな? 束さんは寂しすぎてセラの抱き枕を作っちゃったよー』

 

 立体映像の束はクネクネしながら自分を抱きしめている。

 そんな自称姉を、沙良は冷たい目で見る。

 

「そうか、やはり独逸は研究を進めていたんだね」

 

 噛みあわない会話。

 

『あぁ! またハックしたねセラ!?』

 

「ふむ、政府はこのことに気づいていない様子だね」

 

『……セラ? 束さん、寂しくて泣いちゃうよ?』

 

 束は、泣き真似を始める。

 

「はいはい、姉さんはいい子だからそんなことでは泣かないよね」

 

『いつもそうやって誤魔化されるお姉ちゃんではないのです』

 

「いい子にしてたら今度帰ってきた時に添い寝してあげるよ」

 

 その言葉に、ピシッと姿勢を正し、束は手元の資料を読み上げる。

 

『そうだね、束さんが調べた結果から言うと、とある軍の研究施設が独断で進めたっぽいね。どの機体に搭載されているかのデータが、削除されてたから、恐らくだけど、相当追い詰められているよ。発動条件は、操縦者の精神状態、機体の蓄積ダメージ、操縦者の意志および願望の三つが大きいみたいだね。どう? 束さん頑張ったよ?』

 

 束はその身を褒めて褒めてと言わんばかりに揺らしている。

 

「流石は姉さんだね。ご褒美に一日だけ『お姉ちゃん』って呼んであげるよ」

 

『お、お姉ちゃん……はふぅ』

 

「もう、姉さん。トリップするのが早いよ。その研究所はどうしたのさ?」

 

 妄想に浸ってしまい、現実に帰ってこない束を、沙良は呼び戻す。

 

『へへ、……ふふぅ……はっ!? え? 何て?』

 

「その研究所はどうしたの?」

 

『もちろん、地上から消えてもらったよ。言わなくてもわかってると思うけど、死亡者はゼロね。赤子の手を捻るよりも簡単だったよ。なんせ束さんは――』

 

「完璧にして十全……でしょ?」

 

 束は嬉しそうな顔を作る。

 

『流石はセラだね。束さんをことを良く分かってる』

 

「あんだけ一緒にいれば、そりゃ理解するさ」

 

『ううん。セラは私を理解しようとした。それは、他の誰にも出来なかったことだよ』

 

「そこにしか、居場所がなかっただけだよ、『姉さん』」

 

『そうだね、『愚弟』』

 

「懐かしい。まだ姉さんが僕に興味を持ってなかった頃の呼び方だ」

 

 沙良は、楽しそうに笑う。

 それを束は目を半月状にして見守る。

 いろいろあった。

 最初は沙良も、全く相手にされない人間の一人だった。

 しかし、沙良は、束を理解しようとした。

 沙良が小学生に上がる前には束は既に、ISの研究を始めていた。

 だから、それに必要とされる知識を片っ端から集めた。

 情報源は、束の部屋に転がっている。

 束のやっている事を学び、束に話しかけ、また次のことを学ぶ。

 両親が亡くなり、篠ノ乃家に居候していた沙良は、その居場所を箒ではなく、束に求めたのだ。

 沙良が、束がやっている事を理解できるように学び始めてから一ヶ月以上経過した時、束は気づいた。

 この人間は、私に追いつくことはなくても、私を理解してくれるかもしれない。

 天才の思考に誰もついてこれないのなら、ついてこれように凡才を育てればいい。

 そう考えた束は、沙良に、『愚弟』と呼び名をつけ、自分を『姉』と呼ばせた。

 そして、自分が持てる限りの知識と技術を沙良に教え込んだのだ。沙良はそれを必死に習得した。

 天才の束が教えても、凡才の沙良は理解するのに時間がかかる。束が三分で理解するものを沙良は三日かかるなど、当たり前のことだった。

 普通の者なら、ここで諦めてしまう。しかし、沙良は諦めなかった。

 諦めたら、篠ノ乃家での居場所が無くなってしまうと思ってしまったから。

 いきなり、十を教える束のやり方に、沙良は自分で一から調べることで付いていった。

 そして、ついに、長年の指導の下、凡才が天才を理解できる領域まで達したのだ。

 沙良が束に勝てるようになったものは唯一つ。

 ハッキングの技術だけ。

 しかし、それでも世界から見ると充分な技術を持っている。

 天才と言われてもおかしくないぐらいに。

 

「そういえば、姉さんが、僕のために怒ってくれたときがあったね」

 

 沙良は、世界から天才と呼ばれた。

 それに対して、束は怒りをあらわにした。

 天才といって簡単に考えてしまう。どうせ才能があるからといって、その過程を見ない。

 常人では考えられない程の努力して、ここまでの技術と知識を手に入れた沙良に対して、天才だからとその過程を踏み躙ることを束は嫌った。

 束は沙良をこう評した。

 

 『世界最高峰の凡才』

 

 それは、沙良の文字通り、血の滲む努力を知っている束だからこそ出来た評価。

 それを踏まえて、世界は沙良をこう評した。

 

 『世界最高峰の頭脳の理解者』

 

『それは、あいつらがムカついたんだもん。束さんのセラなのにさ、ちゃんと評価しないんだもん』

 

「言いたいことは色々あるけど、勝手に所有物にしないでよ」

 

『えー、弟は姉のものって相場が決まってるんだよ? 前やったゲームで言ってたもん。その弟がさぁ、セラに似ててねぇ。ぐふふ』

 

「そのゲームを即刻捨てなさい」

 

『いいよー、束さんには本物がいるもの』

 

「そのゲームみたいな内容はやらせません」

 

『えー。子作りしよーよー?』

 

「よし、姉さんとは一回、家族会議が必要なようだね。もちろん、お話は肉体言語で」

 

 沙良は、拳を鳴らす。

 その威圧感に、束は引き気味に冗談だよと言葉を紡ぐ。

 

「そっちはもう十七時半ぐらいかな?」

 

 沙良が、時計を見ながら呟く。

 

『そっちは二十四時半ぐらいかな。ていうか時差がわかってるってことは――』

 

「なんでバルセロナにいるの?」

 

『バ、バレてる』

 

「しかも、こっそりと僕の研究室に入ったでしょ? システムにハック跡が残ってたんだけど」

 

『こっそりじゃないもん。ちゃんと狐が入れてくれたもん』

 

「カルラさん……まあ、その分、僕も姉さんの情報を抜き出したけどね」

 

『ちょっ!? セラ!?』

 

「まあ、何て機体を作り上げちゃってるんですか」

 

『本当に抜き出されてるしー』

 

「まあ、本人に乗りこなせる気はしないんだけどね。この機体」

 

『そんなことないよ!? 箒ちゃんなら大丈夫だもん!!』

 

「ほほう、箒にあげる機体なんだね。これ」

 

 立体映像の束がその動きをピタリと止める。

 

『あれれ? ……謀った?』

 

「騙される姉さんも可愛くて好きだよ」

 

『……はにゃん』

 

「姉さんトリップしないで」

 

 沙良は、蕩けた顔をする自称姉に苦笑を漏らす。

 しばらく、その自称姉の人には見せられない顔を眺めていた沙良はふと話を切り出す。

 

「……姉さんごめんね」

 

『ん? いきなりどうしたんだい?』

 

「やつら、取り逃がしちゃった」

 

『セラで無理なら、誰も出来ないよ』

 

「そう言ってくれると助かるよ」

 

『セラは、今回のイベントで、何かしら起こると思ってるの?』

 

「うん」

 

『大丈夫。お姉ちゃんがあの組織を見張っててあげるから』

 

「ありがとう『束姉』」

 

『た、た、束姉!? 録音してなかった! ね、セラもう一回! もう一回だけ――』

 

「こっちは夜遅いから僕はもう寝るね。お休み」

 

『あぁ、待ってよセラぁぁぁ!!』

 

 沙良は、端末の横のスイッチを押して、端末の通話を切る。

 そして、ため息をつくと、手すりに背中を任せる。

 今回のトーナメントは結構な課題を抱えていた。

 まず、一夏とラウラが確実に戦わなければならない。

 正直に言うと、ラウラは決勝まで上がるだろうが、一夏は上がれるかどうかは怪しい。

 途中で負ける可能性だって高い。

 恐らく、フィオナとリナのチームには勝てないだろう。

 沙良ですら、あの二人に勝てるかと聞かれると簡単に頷く事はできないのだから。

 ならば手を打っておく必要がある。

 沙良は、先ほどの携帯端末とは違う端末を取り出す。

 この時間にも関わらず、沙良はとある人物に電話をかける。

 

「…………ああ、おはようございます。え? 寝付けたばっかりなんですか。それは申し訳ない。でも、そんなこと僕には関係ないんで。……ええ、そうです。それでお願いがあるんですけど……。はい、ええ。一夏を第一試合に、ボーデヴィッヒを、ええ流石、察しの良い。それではそれでお願いしますね」

 

 沙良は電話を切ると、屋上の扉にもたれかかっていた人物に声をかける。

 そこにはジャージ姿の女性が一人。

 

「千冬姉、盗み聞きはよくないよ?」

 

「この時間に屋上に出る非行少年に言われたくはないな」

 

 千冬は沙良に近づく。

 

「あぁ、そういう事言うんだ。僕は姉さんの相手をしてあげてたんだよ? 千冬姉の負担を減らしてるのは僕なんだから感謝してよね」

 

 心外だよとぷんぷんして怒る沙良に、千冬は微笑を漏らす。

 

「わかったわかった。感謝している。ほら、そろそろ部屋に戻れ。トーナメントの工作は見なかったことにしてやるから」

 

「そういうのは口に出しちゃいけないんだよ」

 

 沙良は笑いながら、屋上を後にする。

 

「おい、空き缶を放置するなよ」

 

「おっと、これは失礼」

 

 沙良は空き缶を手に、階段を下りる。

 空き缶を自販機横の空き缶入れに捨てると、エキシビションに備えて、真っ直ぐ部屋に戻るのだった。

 


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