「う、ウソついてないでしょうね!?」
月曜日の朝。
教室に向かっていた沙良と一夏は廊下にまで聞こえる声に目をしばたたせた。
「なんだ?」
「さぁ?」
一夏は首を傾げて、沙良と視線を合わせる。
沙良も不思議そうな顔をしている。
そこでシャルロットの声が、教室から聞こえてきた。
「僕も良く分からないけど、この噂で学園中持ちきりみたいだね。月末の学年別トーナメントで優勝したら沙良か一夏と交際でき――」
「あれ、今、名前呼ばれた?」
「俺がどうしたって?」
「「「きゃああっ!?」」」
クラスに入り、普通に声をかけただけなのだが、返ってきたのは取り乱した悲鳴だった。
わたわたと慌てて取り乱す女子の群れ。
「で、何の話だったんだ? 俺の名前が出ていたみたいだけど」
「う、うん? そうだっけ?」
最近一組に入り浸ることの多い鈴音は、微笑を浮かべながら話を逸らそうとする。
「あ、わかった! 今、学園に流れてる噂だね」
沙良がそう言うと、教室の空気が変わる。
それはまるで狩人のよう。
「沙良さん、あの噂は本当なんですの?」
セシリアが恐る恐る沙良に質問を投げかける。
その目は好奇心と期待に満ち溢れている。
「アレでしょ? 女子は優勝したら御褒美が貰えるんでしょ? その内容までは教えてくれなかったけど、とても良い物で、とても興奮して、とても涎が出そうになって、とても鼻血が出そうになるって二年の人に聞いたよ?」
その発言で、クラスメイトはしっかりと把握した。
この子は、誤魔化されたんだと。
クラスメイトは「食べ物かなぁ?」とその商品に心を躍らせている沙良に、「商品は君だよ」なんて言えないのであった。
「そうなのか、俺たちには何かご褒美は出ないのかな?」
一夏も、沙良の言う噂に納得したようだ。
「ね、女子だけせこいよね」
沙良と一夏は、何が欲しいか考える。
沙良は先ほどから食べ物の名前しか挙げていない。
その姿を見て、クラスメイトは思う。
優勝候補はこの専用機持ちの中でも、やはり、沙良だろう。
セオリー無視の戦い方は、初見の相手には対処できない。
それは、多種多様な武装を用いて、どのような機体にも相性を合わせるという離れ業。
専用機持ちの模擬戦闘でも、常に勝率一位をキープしている。
誰かが、声を上げる。
「でも、優勝候補は深水くんかなぁ、やっぱり。そうなると御褒美が……」
その言葉が耳に届いたのだろう。
沙良が、その言葉に反応する。
「でも、出ないかも」
「―-えっ!?」
「僕はエキシビションに出る関係上、まだ本戦に出れるか分んないんだ」
その、沙良の言葉に、皆は瞳に闘志を燃やす。
チャンスはある。
皆が顔を合わせ、頷き合う。
「よし、じゃあ、あたし自分のクラスに戻るから!」
鈴音が、そのやる気に満ち溢れた声をだす。
それを切っ掛けにか、何人か集まっていた女子たちも同じように自分のクラス・席へと戻っていった。
「沙良」
「ん? どうしたのシャルル?」
「えっと、その……」
シャルロットは言いにくそうに言葉を濁す。
「?」
沙良はただ首をかしげている。
「ぼ、僕が優勝したら、沙良から何かご褒美が欲しいなぁ……」
その言葉に沙良は簡単に頷く。
シャルロットは男子の姿をしているが、実際は女子。
シャルロットも御褒美が欲しいのだろう。
沙良はそう判断する。
「そっか、シャルルも欲しいよね。じゃあ優勝したら一緒に買い物いこうよ」
シャルロットは顔を輝かせる。
「ホント?」
「……嫌だった?」
シャルの返事を勘違いしたのか、沙良が悲しそうな表情を作った。
「ち、違うよ!? 嬉しかったから信じられなくて……」
沙良は顔を綻ばせる。
その笑顔を向けられたシャルロットは顔を赤くする。
「良かった。じゃあ約束ね」
「うん!」
その様子を見ていた一夏は、シャルロットに良く頑張ったと言いたくなる。
そして、周りの連中が、変な目で沙良たちのことを見ていることを教えてあげたかった。
「やっぱりそういう関係なのね……今年はこれで行くしかないわ!」
「シャルル君は尽くし受けね。ふふふ――おっと、鼻から」
「ああ、指切りしてる、肌が触れ合ってるよ!!」
「デュノア君、顔真っ赤だよ!?」
「これは、本当に脈ありか!?」
「ああ、お母さん、私を生んでくれてありがとう!」
一夏はシャルロットが女子と知っているため、この光景は微笑ましいだけなのだが、周りの女子から見たら男同士が仲良くしているように見えるのだろう。
一夏は、そっとため息をつくのだった。
◆ ◇ ◆
一夏は全力で走っていた。
トイレが三箇所しかないため、走らなければ授業に間に合わないのだ。
のんびりしている時間はない。次の授業はISの格闘技能に関する基礎知識と応用なのだ。
一夏にとっては死活問題となりうる授業だろう。
「この距離だけはどうにもならないな……」
一夏がぼそっと呟いたときだった。
「なぜこんなところで教師など!」
「やれやれ」
声が聞こえた。
それは曲がり角の先から聞こえてきた。
その声に一夏は足を止めてしまう。
それは聞き覚えのある声。
「何度も言わせるな。私には私の役目がある。それだけだ」
「このような極東の地で何の役目があるというのですか!」
千冬とラウラだ。
ラウラは、不満や思いの丈を千冬にぶつけていた。
「お願いです、教官。我がドイツで再びご指導を。ここではあなたの能力は半分も生かされません」
「ほう」
「大体、この学園の生徒など、教官が教えるに足る人間など少数ではありませんか」
「なぜだ?」
「意識が甘く、危機感に疎く、ISをファッションか何かと勘違いしている。ISは兵器です。それを理解できないような程度の低い者たちに教官が時間を割かれるなど――」
「――そこまでにしておけよ、小娘」
「っ……!」
ラウラは凄みのある千冬の声に言葉を途切れさせてしまう。
「少し見ない間に偉くなったな。十五歳でもう選ばれた人間気取りとは恐れ入る」
「……教官は何にこだわっているのですか?」
その声は震えている。
恐怖。
圧倒的な力の前に感じる恐怖と、かけがえのない相手に嫌われるという恐怖。
「教官の目的は教育よりも、この場所の維持なのですか?」
「…………」
しかし、その恐怖を感じても言わねばならぬことがラウラにはあった。
大切なのは、生徒なのか、それとも一部の者だけなのか。そのような質問に千冬は答えなかった。
それが、答えだ。
「……授業が始まるな。さっさと教室に戻れよ」
「教官っ!」
「二度も言わせるなよ?」
千冬は声色を元に戻す。
もう話す事はない。
暗にそう言っているのだ。
ラウラは、千冬に背を向けると、黙したまま早足で去っていった。
「まったく、沙良に出会ってからあいつも頭が回るようになった。本当に扱いづらくなったものだ」
千冬は呟く。
それは本心だろう。
沙良は周りの人間によくも悪くも影響を与える。
「そこの男子。盗み聞きか? 異常性癖は感心しないぞ?」
「な、なんでそうなるんだよ! 千冬ね――」
「織斑先生だ」
「は、はい」
一夏が千冬の名を呼ぼうとすると、その頭に出席簿が振るわれる。
いつもながらの衝撃に、感嘆すら覚える。
「そら、走れ劣等性。このままじゃお前は月末のトーナメントで初戦敗退だぞ。勤勉さを忘れるな」
「わかってるって……」
「そうか。ならいい」
ニヤリと笑みを見せる千冬は今だけは姉として言ってくれているようだ。
「じゃあ、教室に戻ります」
「おう。急げよ。――ああ、それと織斑」
「はい?」
「廊下は走るな。……とは言わん。バレない様に走れ」
「了解」
どうやら見逃してくれるようだ。
一夏は教室までの道のりをバレないように全力で走り抜けたのだった。
◆ ◇ ◆
「「あ」」
二人そろって間の抜けた声を出してしまう。
鈴音とセシリアだ
時間は放課後。場所は第三アリーナ。
お互いに既にISを纏っている。
「奇遇ね。あたしはこれから月末の学年別トーナメントに向けて特訓するんだけど」
「奇遇ですわね。わたくしも全く同じですわ」
誰も居ないアリーナ。それもそうだろう。HRが終了して真っ先にここに来たのだ。
専用機持ちは、機体の使用申請が要らない。そうとはいえ、この早い時間から訓練とは、流石は代表候補生といったところか。
その意識の差が、彼女たちを代表候補生たり得るものにしているのだ。
鈴音とセシリアは顔を見合わせると、そのまま隣り合って歩いていく。
そして、アリーナ中央にたどり着くと、少しの距離を置いて向かい合った。
「ちょうど良い機会だし、この前の実習のことも含めてどっちが上かはっきりさせとくってのも悪くないわね」
「あら、珍しく意見が一致しましたわ。どちらの方がより強くより優雅であるか、この場ではっきりとさせましょうではありませんか」
鈴音としては、射撃特化なセシリアと訓練して、銃撃戦に慣れておくに越したことはない。
射撃主体の高機動型。その相手の懐に潜り込むことが、今後必要なはずだから。
セシリアは『スターライトmkⅡ』を、鈴音は『双天牙月』を構える。
「では――」
「面白そうなことをやっているな」
いきなり声を被せるように言葉がかけられる。
二人はそろって、そちらに視線を向ける。
そこには、あの漆黒の機体がたたずんでいた。
「ラウラ・ボーデヴィッヒ……」
セシリアの表情が苦くこわばる。
その表情の険しさは先日聞いた話が頭に残っているからか。
「何か用かしら?」
「中国の『甲龍』にイギリスの『ブルー・ティアーズ』か。……ふん、データで見たときの方がまだ強そうではあったな」
いきなりの挑発的の物言いに鈴音とセシリアの両方が口元を引きつらせる。
一夏の話を聞いてから、二人はラウラにいい印象を持てていなかった。
「何? やるの? わざわざ ドイツくんだりからやってきてボコられたいなんて対したマゾっぷりね」
「あらあら鈴さん、こちらの方はどうも言語をお持ちでないようですから、あまり苛めるのは可哀想ですわよ?」
「ああ、良かった。あたしの頭が悪いから言ってることがわかんないのかと思ったわ。ほら、早く帰ってジャガイモ農場で温いビールでも飲んでなさい」
ラウラの全てを見下すかの目つきに並々ならぬ不快感を得た二人は、その怒りの捌け口を言葉に求めた。
しかし、それはラウラの口元を綻ばせるだけに終わった。
「それは、私に喧嘩を売ったわけだな?」
そう言ってとある機械を取り出す。
ボイスレコーダー。
「私から喧嘩を売ると、あの人が怒ってしまうのでな。これで、私は、堂々と貴様らの喧嘩を買うことが出来る」
「はっ、アンタのようなやつが軍人やれるなんて、ドイツも随分廃れたものね」
ラウラはボイスレコーダーをしまうと、二人を見下し気味に言い放つ。
「状況も把握できず、後先考えぬ発言。実力も伴っているようには見えん。貴様ら本当に代表候補生か? よほど人材不足と見える。数と真似することしか能のない国と、古いだけが取り柄の国はな」
鈴音は、頭で何かがキレるような音を聞いた。
二人は、装備の安全装置を外す。
「ああ、ああ、わかった。わかったわよ。この喧嘩、高値で買い取りなさい。その値段に応じて楽しませてあげるわ」
既に戦闘態勢に入る鈴音。
「ちょっと、鈴さん。私を忘れないでくださる?」
「はっ! 二人がかりで来たらどうだ? 一足す一は所詮二にしかならん。下らん種馬を取り合うようなメスに、この私が負けるものか」
それは明らかな挑発。
しかし、すでに堪忍袋の尾が切れている鈴音にはもはやどうだっていい。
「――今、何て言った? あたしの耳には『どうぞ好きなだけ殴ってください』って聞こえたけど?」
一夏を馬鹿にされた鈴音はその怒りのゲージを振り切らせる。
ただでさえ、ラウラには事件関係者として思うところがあるのだ。怒りを堪えることは難しい。
「この場に居ない人間の侮辱までするとは、同じ欧州連合の候補生として恥ずかしい限りですわ。その軽口、二度と叩けぬようここで叩いておきましょう」
「言葉もきちんと扱えないようなやつと、自分のことは棚に上げるようなやつが何を言っているのだ。私を笑わせたいのか? それなら笑ってやるぞ? 貴様らの頭に足を乗せてな」
得物を握り締める手にきつく力を込めるふたり。それを冷やかな視線で流すと、ラウラはわずかに両手を広げて自分側に向けて振る。
「とっとと来い」
「「上等!」」