六月頭。
日曜日。
沙良はとある部屋に来ていた。
休日のため、どこかに出かけようかとも考えた。しかし、一夏が中学の友達の家に遊びに行ってしまった為、出かける当ても無い。
下手に外をうろついて、恐らく隠れて着いて来るであろう護衛を振り回すのも気が引ける。
それならばと、学内で普段来ない所に着てみたのだが、暇をもてあました結果、
「なんで、抱っこされてるんだろうね」
ソフィアの膝の間に収まっていた。
沙良は特に抵抗することも無く、その膝に挟まれた状態で読書に耽っていた。
胸が押し付けられているが、沙良は慣れたとでも言わんばかりに関心を向けない。
沙良は小柄である。
ソフィアよりもその身長は小さい。
研究所にいたころから膝の間に抱えられることが多かった沙良は、いつものことだと認識していた。
「ねえ、ソフィ」
「ん? なーに?」
呼びかけに、甘い声で答えるソフィア。
既に、機嫌は山の天辺まで上ろうとしている。
全く現金なものである。
「汗かいちゃったからシャワー浴びてもいい?」
「いいよー。一緒に入る?」
鼻息を荒くしながらソフィアが聞いてくるが、沙良は軽く流す。
「狭いからやだ」
狭くなかったら入るのかといわれれば、沙良は別にどっちでもと答えるだろう。
研究所には大浴場は一つしかない。少数の男性のためだけにもう一つ大浴場を作るという案は、未だに出ていない。
もちろん、男は沙良一人だけではない。元々機械工学系に進んでいた者がIS関連に転向するのは良く聞く話だ。SQ社の開発部にも、微々たる数だが男性社員が存在している。しかし、男共はシャワーだけで満足するような者ばかりであり、大浴場を利用する者は少数派であった。もっとも、沙良以外の男性が利用しようものなら、即警報が鳴らされて、女子職員からの私刑が待っているだろうが。
ましてや、研究職に決まった時間に行動しろと言うほうが無茶がある。
皆が適当に大浴場に入るのだ。そこに混じる沙良としては、女性の裸など見慣れたものであり、なおかつ、皆が沙良と一緒にお風呂に入ろうと日々計画を練っていたりしていたので、既に興奮する対象ではなくなっていた。
「ちぇー」
「覗かないでね」
一応言っておく。
それが実行されるかは分からないが。
沙良は、ソフィアの抱擁から抜け出そうとするが、ソフィアが離そうとしない。
「ちょっと、離してよ」
「えー、もうちょっとだけー」
そういって、体を左右に揺らし始めたソフィアに、沙良はため息をつくしかない。
そうして、沙良とソフィアがゆったりとした時間を過ごしていると、その部屋に来客が訪れる。
いや、来客ではない。元々がその者の部屋なのだから。
◆ ◇ ◆
「ふ~、疲れたわ~。ソフィアいるの?」
帰宅と書かれた扇子を持った少女は悠然と扉をくぐり、タイを緩める。
「あ、会長だー。お帰りー」
「たっちゃんお帰りー」
沙良と、ソフィアは帰宅した楯無に声をかける。
「ええ、ソフィアも沙良君もただいま。用事があるから直ぐに出るわね。夕食は――」
そういって、自分のベッドまで歩こうとしたが、楯無はピタリとその足を止める。
そして、ギギギとゆっくり顔だけ動かし、ソフィアの膝に挟まれてる沙良の姿を視認する。
視線が合うと、沙良はにっこり笑って、その手を振った。
楯無は手を振り返し、そして数秒後叫んだ。
「どうしてあなたがここにいるの!?」
「話があるって言ったのは会長じゃない?」
「そうだとしても、ここは私の部屋よ?」
「ソフィの部屋でもあるもん」
遊びに来ただけだとニヤニヤしながら楯無をおちょくる沙良。
楯無は、何故気づかなかったのかと自分を責める。
(確かに話があるからって呼び出したのは私だけど、まさか部屋に来てるとは思わないでしょ!?)
楯無が、表面上は取り繕って、内面で大慌てしていたら、いつの間にか、沙良がソフィアの抱擁から抜け出していた。
「会長、シャワー借りますね」
そう言う沙良に、楯無はこれはチャンスと、いつものように飄々とした言動で沙良を惑わそうとする。
「あら、シャワー浴びるの? お姉さんが一緒に入ってあげようか?」
「えー、狭いから嫌です」
「じゃあ狭くなかったら入るのかしら?」
楯無の中では、これで沙良があたふたしてくれるはずだった。
その姿を見て、楽しもう。そう思っていた。
「別にどっちでも」
「――えっ?」
しかし、帰ってきた答えは予想の斜め上をいっていた。
ならば、実際にその状況になったら流石に恥ずかしがるだろう。
その時におちょくってあげればいい。
「じゃあ、大浴場に向かいましょうか。お姉さんが色々と教えてあげるわ。日曜だし、この時間なら生徒会長権限で――」
その言葉は背後から向けられる殺気で止まってしまう。
その禍々しい視線を辿ると、ソフィアが、拳銃を片手に楯無へ銃口を向けていた。
その顔は笑顔だが、完全に目が笑っていない。
ソフィアとしては、せっかく沙良が自分から遊びに来てくれたこの時間を、楯無に邪魔されてしまったことへの怒りも含まれている。
ソフィアの癒しの時間が奪われたことへの八つ当たりである。
「そ、ソフィア? じょ、冗談よ?」
今まで滅多なことでは怒らなかったルームメイトの逆鱗に触れてしまったことを楯無は悟った。
「へー、面白い冗談だね。もっと聞かせてもらおうか」
銃口が頭に押し付けられる。
流石の楯無もこの状態から状況を逆転させることは出来ない。
「生憎だけど、今はネタを切らしてるの。また今度聞かせてあげるわ」
「そう。……それならたっちゃん、頭への刺激で何か思いつくかも」
「流石にお断りするわ。そんなことされたら、いくら私といっても思いつく前に思考が停止してしまうもの」
「大丈夫、ゴム弾だから。程よい刺激かもよ?」
のらりくらりと怒りを流すが、段々ソフィアの顔から笑みが薄れていくのが分かる。
――あ、やば。
流石に、身の危険を感じた楯無は、助けを求めようと、沙良の姿を探す。
しかし、その姿はどこにもいない。
耳を澄ませば、シャワーの音が聞こえる。
――なんてマイペース!?
楯無は、その無表情に近くなっていくルームメイトに本気で恐怖を感じ始めた。
生徒会長はIS学園最強。それが不文律だが、流石にISを展開していない状態で、学年でもトップクラスの代表候補生に銃を突きつけられていたらどうしようもない。
自らの武術に自信があるとはいえ、相手もそれなりの使い手だ。
――これは、本気でマズイかも。
そう楯無が思った瞬間。
「ソフィー。リンスーてどれー?」
助けが入った。
「あ、二番目の青いのがそうだよ」
ソフィアは、拳銃を懐にしまい、洗面所に向かう。
「わかんないー」
そして、沙良が居るであろうシャワー室に入った。
「これよこれ」
「ああ、ありがとう」
「いえいえ」
「…………危なかった」
楯無は躊躇無くシャワー室に入っていったソフィアや、それに対して、何もリアクションを取らない沙良に突っ込みを入れることもせず、ベッドに座り込んだ。
◆ ◇ ◆
「エキビション?」
「ええ、そう。それに出てくれないかしら?」
沙良は、またソフィアに後ろから抱きつかれた状態でベッドに腰掛けていた。
「それはどういうことをするの?」
「今月末の学年別個人トーナメントでは多くの来賓が来られるわ。そこで、IS学園としてはショーとしての模擬戦闘を見せたいってこと」
「なんで僕?」
「それは、あなたが有名人だからよ」
沙良は、納得する。
「見世物としては最適なんだね」
楯無はそれに頷く。
「エキビションはタッグで行われて、私と簪ちゃん対ソフィアと沙良君で模擬戦が行われる予定なの」
IS学園最強の生徒会長と、日本代表候補生のその妹のタッグは確かに人目を引くだろう。。
それで、相手が学年トップクラスのスペイン代表候補生と、今一番の話題の人物であるスペインの英雄なら話題も尽きない。
「なるほど、それでスペインの機体もアピールして、S・Q社の機嫌も取っておこうと」
IS学園のスポンサーだからね、と沙良はあっけらかんと言い放つ。
「そんなはっきり言わないの。上層部だって、スポンサーへのアピールに必死なんだから」
「会長もはっきり言ってるじゃないですか」
「あら、楯無って呼んでくれていいのよ?」
「十七代目と呼んで欲しいと」
「冗談よ」
「なんと都合の良い」
「そういう時は聞き流してあげるのが紳士ってものよ?」
「淑女相手じゃないとエスコート出来ない性質なんで」
「はぁ、もういいわ。で、沙良君はエキビションに出るから、本戦は免除でいいそうよ」
「……まだ出るって言ってないけど?」
「もう、出るって書類出しちゃったから、今更訂正できないわ」
「…………」
「えへ♪」
沙良は大きなため息をついた。
「もし、本戦に出る場合はどうなるのですか?」
「その場合は普通に参加できるわよ。でも、まだ本戦についての細かい規定が決まってないらしいから、そこは情報待ちね」
「了解。…………ソフィ?」
沙良は、先ほどから一言も喋らないソフィアに怪訝な表情をする。
そして、そのソフィアのにやけただらしない顔を見て、額に手を当てる。
目の前で手を振って見ても、反応は無い。
心ここにあらず。
これは、夜まで部屋に帰れなさそうだ。
沙良は、ソフィアに抱きつかれたまま、楯無とお喋りして、時間を潰すのであった。
◆ ◇ ◆
「ねえ、聞いた?」
「聞いた聞いた!」
「え、何の話?」
「だから、あの織斑君と深水君の話よ」
「いい話? 悪い話?」
「最上級にいい話」
「聞く!」
「まぁまぁ落ち着きなさい。いい?絶対これは女子にしか教えちゃダメよ? 女の子だけの話なんだから。実はね、今月の学年別トーナメントで――」
沙良はソフィアと楯無と二年生用食堂に来ていた。
二年生用といいながらも、一夏と沙良が入学してから一年生用食堂に多くの上級生が押しかけているため、その区別はほぼ意味を成さなくなっていた。
「ん? なんかあそこで盛り上がってるね」
沙良は食堂の一角を指差す。
二年生用食堂が騒がしいのは珍しいことだ。
「えええっ!? そ、それマジで!?」
「マジで!」
「うそー! きゃー、どうしよう!」
何かよほど面白いことでもあるのだろうか。
黄色い声が津波のように押し寄せてくる。
「ん、騒いでるの、二条先輩だ」
沙良は知り合いの姿を見つけ、集団に近寄ることにした。
「セラ?」
「ちょっとだけ」
ソフィアも後ろをついてくる。
楯無はその噂の内容に心当たりでもあるのかニヤニヤしている。
「どうしたの?」
沙良は近くに居た女子に話しかける。
「それが、すごい噂が流れてるの!!」
「噂? どんな?」
彼女は相手が沙良と気づいていないのか、女子だけと言っていた噂を語りだす。
「なんと、今回の学年別トーナメントで優勝したら織斑君と深水君とつ――」
「待って!! その人、噂の沙良君だから!!」
その少女の発言は、途中で沙良に気づいた初音によって止められる。
「えっ?」
「優勝したらどうなるの?」
沙良は首を傾げ、初音を見つめる。
その「教えてくれないの?」という沙良の視線に初音は耐え切った。
「くっ、そんな目で私を見ないで。うぅ、いくら沙良君でも、これだけは言えないのよ!!」
初音は、そのまま走り去ってしまう。
残された沙良はポカンと口を半開きで固まってしまう。
「ほうほう、それは美味しいわね。上級生にも当てはまるの?」
「そこまではわかんないけど、期待は持てるわね」
後ろではソフィアがちゃっかり別の人から噂を聞きだしていた。
「ソフィ?」
「何?」
「優勝したらどうなるの?」
その首をかしげている沙良の頭を撫で、ソフィアは物凄くいい顔を作る。
「なんでもないわよ。女子にはご褒美が当たるってだけの話」
それは全くの嘘ではないだろう。
だから沙良もそれを疑わずに鵜呑みにする。
「そっか」
沙良はそれで納得したのか、食券を買いに、販売機に並ぶ。
その後ろでは、ソフィアを筆頭に、二年女子が狩人のような瞳で沙良を見つめていた。
それを、楯無は面白そうな顔でただ眺めているのであった。
◆ ◇ ◆
「あ、のほほんさん」
沙良は、前を歩く女子三人組から馴染みのある声を見つけ、声をかけた。
「あ、ふかみーだ」
だぼだぼの袖を振り回しながら、楽しそうに笑う少女。
簪の従者であり、簪と同じく整備科志望の本音である。
「今日、簪見なかった?」
「ご飯は一緒に食べたけど、その後はわかんないなー」
「そっか、どこか、行きそうな場所って分かる?」
「んー、日曜日だから、かんちゃんも整備室に居ないよねー」
「そうなんだよね。簪、端末持ち歩いてないのかなぁ。連絡もつかないんだ」
「かんちゃんを見かけたら、ふかみーが探してたよ~って伝える?」
「お願いしてもいいかな?」
「まかせてー」
大げさに胸を叩く動作をする本音に、つい笑みが漏れる。
「谷本さん、邪魔しちゃってごめんね」
「ううん、本音も深水君も頑張ってね、機体作り」
「ありがと。あ、のほほんさん待って」
沙良は、にっこりと笑顔を作ると、ポケットに手を突っ込んだ。
「これ、調節の参考資料。流石に、簪のパーソナルデータを僕が見るわけにも行かないしね」
「むー、わたしの仕事増やしたな~」
「のほほんさんを信用してのことだよ」
「今回だけだよー?」
毎度、そう言って仕事を振っているのだが、帰ってくるのは決まった台詞である。
彼女も、自分の幼馴染でもある簪を手伝うことは嫌ではないだろう。
「あ、あと会長に『よろしく』言っておいて」
本音の眉がピクリと動く。
しかし、それは直ぐにいつもの顔に塗り替えられてしまう。
「わかったー。『よろしく』言っておくね」
手を振り、別れの挨拶とすると、廊下を別方向に歩いていく。
簪の専用機作成を手伝い始めてから既に二ヶ月が経過しようとしている。
手伝ってくれているメンバーも、既に30人近くは居るのではないだろうか。
実用レベルまでは後ほんの少しというところまで来ている。
今は最終段階だ。
そろそろ、技術的な問題だけではなく、政治的問題にも目を向けていかねばならない。
コアは倉持技研のものだが、その機体製造は、途中から簪の手に完全に委ねられ、IS学園製と言っても良い機体が仕上がっている。
このIS学園という特殊な環境で作られたこの機体は、完全に簪の機体として扱うには少々手続きが面倒くさいことになる可能性が高い。
そこで楯無だ。
裏の住人でもあり、国家代表という表の立場も持っている楯無ほど、こういう政治的問題で利用しやすい人物は居ない。
既に沙良は面倒くさいであろう事柄を全て楯無に押し付ける気満々である。
「たっちゃん、ふぁいと」
今頃、沙良が部屋に置いた書類を見つけて大騒ぎしているであろう楯無に、心の篭っていないエールを送るのだった。
◆ ◇ ◆
「あーもう! こっちも忙しいって言うのに!! このぐらい自分でやりなさいよ!!」
「たっちゃんうるさい」
「ソフィアも手伝うのよ!」
楯無の苦難の日々は、まだまだ続くのである。