IS 深海の探索者   作:雨夜 亜由

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この作品はにじファンからの移転となります。


第一話 開幕

 ISが世界に知れ渡ったのは少年が小学生の頃だった。

 世にも有名な『白騎士事件』である。

 その圧倒的科学力を持ったISは本来の宇宙開発という目的から逸れていき、いつの間にか兵器としてその存在を主張するようになった。

 その軍事力から、その存在が軍事バランスを崩し、その開発者である篠ノ乃束博士は世界に追われ、その家族もバラバラになってしまう。

 こうして、小学四年の頃、幼馴染は引っ越してしまうことになった。

 それを少年はもう一人の幼馴染と涙で見送った。

 大した言葉をかけれず、ただ涙を堪える幼馴染の姿にまた会えるからと約束を交わし、幼い別れに涙を流し続けた。

 それから姉代わりであった束の言うことを守り、秘密を抱えたまま一年が経ったころ、少年はISについての論文をとある科学誌で発表した。

 それは、年も若い少年が考えたものとは思えないと、世界中から注目を浴びることとなった。

 そして、待ち続けた展開が沙良に訪れる。生まれ故郷であるスペイン、その大企業S・Q社から、研究員として、本社に招きたいとスカウトを受けたのだ。

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

「サラ、本当に行っちゃうのか?」

 

 沙良は、玄関を出て空港までのタクシーを待っていた。

 

「なに言ってんのさ一夏。ずっと前から決めてたって言ったでしょ?」

 

「でも、スペインだなんて遠すぎるよ」

 

 そういう一夏は今にも泣きそうな顔で俯いてしまう。

 それを見ると、沙良も泣き出しそうになってしまうのだが、一生の別れではない。何とか涙を堪えて、気丈に振舞う。

 

「たまには帰ってくるよ。それに姉さんみたいに世界を追われてるわけじゃないんだ。何時でも連絡は取れるよ」

 

 一夏を心配させたくない。そう思う気持ちは一夏にも伝わったみたいだ。

 一夏はこくんと頷くと、右手を差し出してくる。

 沙良はその手をしっかりと握り、別れの握手を交わすと、すぐ後ろで、幼馴染の別れの挨拶を待っていた、千冬に顔を向ける。

 

「行って来ます、千冬さん。二年間でしたがお世話になりました」

 

 そういい深々と頭を下げる。

 二年間だが住まわしてもらっていた織斑家を離れるのは寂しいが、これも決めたことだ。

 後悔はしないと決めたのだ。

 

「ああ、向こうでも元気にな。エルベルトさんによろしく言っておいてくれ」

 

「はい、必ず伝えておきます」

 

 千冬とも握手を交わした沙良は最後に一夏と抱き合い、タクシーに乗り込む。

 

「一年間は忙しいと思うから、来年の夏に一回帰って来るよ」

 

「約束だからな」

 

 一夏と約束を交わした沙良は、スペインに向けて飛ぶために空港に向かうのであった。

 

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

「ここがエスパーニャか」

 

 バルセロナの空港から出ると大きく深呼吸する。

 

――ここが僕の生まれ故郷か。

 

 沙良は自分が生を受けた街を眺める。

 その町並みは日本とは違うが、何故か落ち着く雰囲気を醸し出している。

 

「……ぼんやりしてる場合じゃないや。迎えに来てくれている人がいるはず」

 

 指定されていた待ち合わせ場所に急ぐ。

 だが、見慣れぬ土地故に、待ち合わせ場所も探すのに一苦労だ。ころころとトランクを引き摺りつつもキョロキョロと回りを探す。それは、待ち人を探すという意味もあるが、興味、好奇心を持って周りの風景を見ているというのが一番の理由だろう。

 待ち合わせ場所は空港を出て一番近い駐車場の入り口と聞いている。

 その場所らしき看板が見えたことにホッと一息つく。

 そこには、Sara Ruizとその上に片仮名でサラ・ルイスと書かれた紙を持った女性が立っていた。

 

――あれかな?

 

 女性に近寄り声をかける。

 

「!Mucho gusto! Soy Sera Ruiz.? Es una persona de S Q?(始めまして、僕がサラ・ルイスです。貴女がS・Q社からのお迎えですか?)」

 

「あら、あなたが沙良君ね」

 

 返ってきた返事は、聞きなれた言語である日本語だった。

 あまりにも流暢に喋るものだから、釣られて日本語で話してしまう。

 

「日本語がお上手ですね」

 

「社用語が日本語ですから」

 

 そうなんだと言わんばかりの表情を作る沙良に微笑が向けられる。

 

「ふふふ、意外ですか?」

 

「ええ」

 

「ISを扱う会社ですもの。全ての資料が日本語で書かれたものを研究するんだから、この業界ではみんな日本語を覚えるのよ」

 

 なるほど、と頷く。それを見て、笑みを深くする女性。

 そこで沙良は、女性の名を聞いていないこと気付いた。

 

「あ、すいません。改めて自己紹介をさせてもらいます。サラ・ルイス・フカミ、日本名で深水沙良といいます」

 

「これはご丁寧にありがとう。私はカルラ・ファリーノス・イエロよ。気軽にカルラと呼んでくれて構わないわ」

 

「わかりましたカルラさん」

 

「それでは、早速行きましょうか」

 

 そういって、車を指差すカルラ。

 黒塗りの車体に全長を伸ばし、拡大された後部空間。

 その車は、何処からどう見てもリムジンだった。

 気後れしてしまうのも仕方ないだろう。

 視線に気付いたのだろう、運転手らしき人物が頭を下げたので、沙良は慌てて頭を下げ返した。

 

「何処に連れて行かれるのですか?」

 

「それは着いてからのお楽しみよ」

 

 そこから、カルラは楽しげに笑うだけで、質問には答えてくれなくなった。

 着けばわかるってことか、と幼いながらに判断し、初めて乗るリムジンに心躍らせた。

 まぁ何とかなるよね。そう楽観的に考えて、とりあえずは町並みを楽しむことにしよう。

 

 流れていく異国の景色を堪能してると大きなビルが近づいてくる。

 それは、この街で見たものの中では異様なスケールを誇っていた。

 大きなビルに車が入っていくと、なにやらカードをスロットに入れているのが見えた。

 指紋認証に静脈認証、網膜認証、そして声帯認証をパスし、ようやく車がゲートをくぐった。

 その情報管理の厳しさに沙良が目を丸くしていると、カルラが「凄いでしょ」と胸を張るのだった。

 

 車を降り、社内をカルラに手を引かれて歩いていく。

 別に手を引かれなくても歩けるのだが、カルラがどうしてもというので、されるがままとなっている。

 その際、社員と思われる女性たちに囲まれたりしたが、何とか切り抜けることが出来た。

 そうして綺麗なオフィスを通り、エレベーターで最上階に上がると、そこには重厚な扉が沙良を待っていた。

 連れて来られたのは、社長室だった。

 しかし、沙良には気負った様子はなく、何処か嬉しそうな気色すら見せている。

 

「社長、沙良様をお連れしました」

 

 カルラが畏まって扉をノックし、沙良が訪れた旨を伝えると、入れと低い声が聞こえる。

 

「失礼します」

 

 カルラが開けてくれた扉をくぐり、沙良はこの会社で一番の権力者と向かい合う。

 太陽を背に、尊厳な雰囲気を醸し出した初老の男性。

 その男性が、笑みを浮かべて口を開いた。

 

「随分長いこと待たせたな、沙良」

 

「お待たせ、お祖父ちゃん《・・・・・・》」

 

 

 

 

 

 ソファーに座り、今までのことなどを楽しそうに話す沙良。

 社長である祖父も、その孫息子が歩んできた人生を、時に驚き、時に笑い、時に怒り、時に感動し、楽しそうに聞いてくれる。

 

「そうか、タバネも元気にしているのか」

 

「束姉さんも、千冬さんも、一夏も、お祖父ちゃんに会いたがっていたよ」

 

「それならまた日本に視察に行かねばならぬな」

 

 声高らかに豪快に笑う祖父に、本来は秘書なのかカルラが近づいた。

 時計を気にしていることからこの後の展開も想像出来る。

 

「社長、家族の交流も結構ですがそろそろお時間です」

 

 社長はあからさまに嫌な顔をし、カルラに睨まれたが、沙良に向きなおした時には、その目は真剣なものになっていた。

 

「そうだな、家族の交流もいいが、本題に入らせてもらおう」 

 

 そう祖父が言うと、沙良も真剣な顔つきに変わる。

 

「今回、サラをエスパーニャに呼んだのは他でもない。現在、世界を変えていっているISを研究してもらいたい」

 

 沙良はわかってると頷く。

 ISの登場により、世界の構成はがらりと変わった。

 それは、平和ボケしている日本がその法律を変え、ISを配備していることからも分かるだろう。

 いまでは、ISを持っているかどうか。そのISが最先端をいっているか。それがその国の力を表す事につながっている。

 

「我が社はエスパーニャで唯一、ISの開発許可を勝ち取った。既にドイツ、イギリス、イタリアには遅れを取り、最近ではフランスのデュノア社も動き出したとの事。あまり、悠長にしている時間はないのだ」

 

 フランスはISの開発でいうと後進国である。

 そのフランスに遅れを取っているというのは、かなり良くない状況だろう。

 しかも、研究者は何時でも不足しているという事態だ。

 

「今回のプロジェクトには、国からの莫大な支援がある。しかし、一国家からの支援など知れたものにしか過ぎない」

 

 それに沙良はゆっくりと頷く。

 全てがギリギリの中、最大級の成果を残さなくてはならない。

 

「だが、遠慮は要らない。必要と思うものは全て用意する。目的は、一つ。新世代のISの開発だ」

 

 新世代。その言葉にどれだけの期待が乗せられているか。

 

「子供だと、幼いことを理由にする者はこの社にも居るだろう。私のコネだと言いまわるやつも居るだろう、七光りだと言われることもあるだろう。だから、私は一切手を出さない。見返してやれ。タバネに付いて行く事が出来たサラならば出来る」

 

 社長は、右手を差し出す。

 それは、沙良を、孫としてではなく、一人の研究者として捉えていると言うことに相違はない。

 沙良もその右手を掴みしっかりと握手を交わす。

 

「太陽の昇る国から太陽の沈まない国へようこそ小さな探求者よ。私たち、Sea Quest Companyは貴方を歓迎する」

 

 こうやって、篠ノ乃束に教えを受けた若き研究者、深水沙良の研究生活が幕を開けた。

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

「セラ、起きて」

 

 身体を揺らされ、不快な声が漏れる。つい不満を口にしようとしたが、起こしてと言ったのは自分だったため、素直にベッドから身体を起こした。

 

「んー……おはよう」

 

「はい、おはよう、よく寝てたわね」

 

「んー、そだね。懐かしい夢見るほどにぐっすりと」

 

「どんな夢?」

 

「僕が始めてエスパーニャに来た時の夢。懐かしいなぁ」

 

 ふぁっと伸びをし、首を回す。

 ここは本社の経営部の仮眠室であり周りを見渡せば、まだ仮眠を取っている社員がたくさん居た。

 開発部の仮眠室では落ち着いて眠れないため、こちらに避難して来たのだ。

 

 本当に懐かしい夢を見たものだ。あれから一年半は過ぎた。

 

 研究に専念しようと、当初は学校に行く気は全くなかったのだが、義務教育は出ておくべきと言われ、しぶしぶミドルスクールに通うことになった。それも飛び級を重ねて既に大学入試資格は取得しているのだが、ミドルスクールには通い続けている。

 しかし、優秀なIS部門の研究員に支えられて、学校に通いながらも第二世代のISを完成させることに成功する。

 それは、会社名からを名を取ってシークエストと名づけられた。

 ここで、量販機として世界に公表しようとしたところ、とある弊害があった。

 

 それが沙良の存在である。

 

 沙良は、束の開発当時から、その傍で束を支え続けてきた。ISに触れたのも世界で二番目。つまり千冬の次にISを動かしたのだ。

 IS開発最初期はまだ『女性しか使えない』と認識されていなかった。

 女性だけが扱える現在が不思議なのであり、当初は男性も乗ることを考えて沙良がその役をかって出ていたのだ。

 だから沙良も簡単に考え、そのことを誰にも言わずに成長してきた。

 知っていたのは、束と動かしたときにそばにいた千冬だけだ。

 もちろん沙良は男である。

 その沙良がこの『女性しか使えない』と認識された世界で、開発に関わったシークエストを世界に出したとしたら、沙良に他国から盛大に注目を集めることになるだろう。それは秘密が漏れるリスクが高まることに繋がる。ここで、利益を最優先させるなら、ISを公表するべきだっただろう。

 

 沙良が、ISを扱える男と知られること、それが広告版にもなる。

 それが、沙良にどんな負担を与えることになっても、その利益は見過ごすことは出来ないほど大きいだろう。

 まさしく世界が動く。

 それも後発国であるスペインを中心に、だ。

 このチャンスのような事態に政治家が甘い蜜を吸おうと群がったのだ。

 

 しかし、この会社の社長がそれを許さなかった。

 世界に発表すべきだという意見に真っ向から反対し、ISの開発によって国に根付かせた経済の力を持ってして、反対意見を捻じ伏せた。

 しかし、その機体はスペイン海軍で普及し、国民の殆どがSQ社の開発部門をISをエスパーニャにもたらした英雄として認識していた。

 ここまで広まれば外国にも開発部の技術力が広まってもおかしくはなく、たびたび欧州連合でその研究を共有したり共同研究などを行なえるようになった。

 こうして、落ち着いた研究環境を手に入れた沙良は第三世代の開発に着手していた。

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 仮眠室から戻った沙良は休憩時間が少し残っていたため、暢気にパソコンを弄りながら紅茶を飲んでいた。

 すると手元に置いていた携帯が鳴り出す。

 

――この着信音は

 

 案の定そこには姉さんの文字。

 篠ノ乃束からの連絡である。

 別に姉弟というわけでもない。沙良が束に色々教えを受けていた頃に、「お姉ちゃんと呼びなさい」と言われてから、ずっと姉さんで通してきたのが未だに残っているだけのことである。

 

「もしもし」

 

『はろー♪ セラ元気してた? あなたのお姉ちゃんの束さんだよー。 束さんは元気モリモリ、イエイ!』

 

 そのテンションの高さに沙良は顔を顰めてしまう。

 ちなみにセラとは沙良の愛称である。

 

「姉さん、今度は何処にいるの?」

 

『オヨヨ……、セラが束さんをシカトするんだよ……』

 

「はいはい、僕は相変わらず元気ですよ、姉さんも元気で何よりです。で、今度は何処に身を潜めてるの?」

 

『ふっふっふ、そんなこと教えると思ってるのかい!?』

 

 電話しながら、キーボードを叩き出した。

 この携帯の通信から束の居場所を割り出そうと考えたのだ。

 

「別に教えてくれなくてもいいよ」

 

『えー、面白くな~い♪』

 

 そして、お望みの結果が現れる。

 それを見て、額に手を当てる。これは面倒くさくなった時の沙良の癖である。

 

「……そうか、ノルウェーか。また逃亡しにくい所に行ったね。あれほど北欧は駄目だって言ったのに」

 

『…………セラ、ハックしたね?』

 

「何のことでしょう?」

 

『まぁセラは束さんの味方だから別にいいけどねー』

 

「で、またエスパーニャの入国に手引きして欲しいと?」

 

『流石愛しの弟。束さんのことはお見通しだね』

 

「まぁ愛しの姉にお願いされて断るような僕じゃないよ。って返事を期待して、僕に連絡を入れる姉さんほどではないよ」

 

 電話越しに、楽しそうな笑い声が広がる。

 その声を聞いて、あぁ、いつも通り元気だなぁとだけ思うのはどこかズレているのだろうか。

 

『ご想像の通り、マドリードまでお願いできるかな』

 

「はいはい、じゃあ明後日の午前四時から五時の間に、バルセロナの空港で降りてください。僕が一時間だけ空路を止めておきますから。降りた所に社員を向かわせますので。あとは社員に何とかしてもらうように言っておきます」

 

『うう、いつもすまないねぇ』

 

「そう思うなら、たまには顔を見せに来てよ」

 

『もちろんだよ!! 今回は無理だけどまたいずれ顔を見せにいくからね!!』

 

「楽しみにしてるよ、姉さん」

 

『じゃね~、束さんもセラの第三世代機【オルカ】を楽しみにしてるよ♪』

 

「ちょ、なんでそれを知ってんの!?」

 

 しかし、先に通信が切れてしまったため、沙良の叫びが束に届くことはなかった。

 

「……向こうもちゃっかりハッキングしてるじゃないか」

 

――おかしい、シークエストが完成してから、ハッキングに備えて、対策員を数人持ち回りで在住させていたはずなんだけど……

 

 サイバー攻撃をリアルタイムに可視化、警告を発するプログラムも自作し、セキュリティー部門を独立させ自社で抱えるなど、並半端な攻撃では崩れないほどのセキュリティーを誇っていると自負していたのだが、それも勘違いだったらしい。

 

 一通りの流れを見ていた研究員たちは、沙良が振り向くとビクッとして身を硬くした。

 その顔には笑顔が浮かんでいるが、目が明らかに笑ってない。

 

「ここ一週間のハック対策員って誰?」

 

 その言葉に、研究員は、同期を庇おうと必死に言葉を重ねる。

 

「ほ、ほら、ハッキングされたといっても相手はあの篠ノ乃博士じゃないですか」

 

「そ、そうですよ。それを責めるなんて少し可哀相じゃないですか」

 

「セ、セラ。ほら、また好きって言ってたチェロス買って来てあげるから」

 

「ほら、ここにプリンがあるよ!? 所長が楽しみに取ってたやつだけど」

 

 そこにたまたま所長が通りかかった。

 

「みんな集まってどうした? おいちょっと待て、それは私の」

 

「「「「所長は黙っててください!!」」」」

 

 研究員の必死な説得により、沙良はしぶしぶプリンに手を伸ばす。

 なんだかんだ言っても沙良も中学生である。好きなものが目の前に出てきたら、おいそれと欲望を封じてしまうことは難しい。

 沙良がチビチビとプリンを食べ始めたのを見て、所長以外の研究員はホッと一息つく。

 そのチビチビと食べる癖は小さい頃から変わらない。

 研究員の安心した顔は、いつの間にか沙良を温かく見守る顔となっていた。

 しかし、結局、ハック対策員は呼び出され、罰として束の手引きに駆り出されることとなった。束に発信機を付けてこい、と命令を下されることになった対策員は、涙目で同期に助けを求めたのはまた別のお話。

 

 

 

 

 

     ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

「ロサ居る?」

 

 そう言い、所長室を覗くと、そこには茶色の髪を後ろで結上げている二十台前半の女性がゆったりとコーヒーを飲んでいた。

 

「カルラさん」

 

「あら、セラ。所長なら会議でしばらく帰ってこないわよ?」

 

「なんとタイミングの悪い」

 

 カルラは自分の横をポンポンと叩く。

 ここに座ればの合図だ。

 これといって断る理由のない沙良はチョコンとそこに座る。

 しかし、横に座ったはずが、いつの間にか膝に抱えられている。

 

「何で後ろから抱っこされてるのですか?」

 

「ちょっと待ってなさい。今、社長に自慢のメール送るから」

 

「お祖父ちゃんも頑張ってるんですから、あんまりいじめないであげてくださいね」

 

 沙良は、ため息をつき。大人しくカルラの腕の中でじっとしている。

 頭には、豊かな双丘が押し当てられているのだが、幼い頃から束に引っ付かれ、スペインに来てからは、同僚が全員年上の女性という環境で働いているのだ。そんなことでは全く動じなくなっていた。

 

「それで、ロサに何か用でもあったの?」

 

「ちょっと機密事項なんですけど、聞きたい?」

 

「私を誰だと思ってるの? 社長の右腕よ?」

 

「その右腕さんはこんなところで油売ってていいんですか?」

 

「もちろんまずいわ」

 

「……」

 

 今、沙良は「おじいちゃんにメール送ってたよね」とか思いつつも、指摘するのが面倒くさくなったので何も言わないことにする。

 

「で、何があったの?」

 

 本当は軽々しく喋っていいようなことではないのだが、ロサに言ったところで、その報告を受け取るのはカルラなので、大した問題でもない。

 そしてここはエスパーニャである。唯一、篠ノ乃束を追わない国である。

 ましてや、研究所では束は沙良の姉として認識されているため、研究所の人間なら誰の耳に入っても大丈夫だろう。

 

「またあの兎さん連絡してきましてね。うちまで逃げ切りたいから手引きしてくれと」

 

 兎さんとは束のことである。

 沙良に会いに研究所に来たときに、その頭についたウサ耳から兎さんと研究所では呼ばれている。

 

「また?」

 

「またです」

 

「半年前にも来たばっかじゃない」

 

「それが、よりによってノルウェーに逃げちゃったから、東欧方面に逃げられなくなったんだって」

 

「それで、エスパーニャ経由でアメリカにピョンかしら?」

 

「そこまでは知らないですけどね」

 

 カルラは考える素振りを見せ、タブレット端末で社員のスケジュールを確認する。

 胸が強く押し当てられる形となった沙良も、もう諦めたかのように何も言わない。

 

「出来れば、ハック対策員を連れてってもらえません?」

 

 そこで、カルラはパタッと携帯を閉じ、恐る恐る聞いてくる。

 

「まさか……ハックされたの?」

 

「兎さんにですけどね」

 

 ホッと胸を撫で下ろすカルラ。

 それを背中に感じ、沙良は少し機嫌が悪くなる。

 

「姉さんだからってハックされていい訳ありません」

 

「それでも荷が重いのは確かじゃない。兎さんは沙良レベルじゃないと無理よ」

 

「それはわかってますよ。でも、駄目です。ミスはミスです。お給料を貰っているならちゃんとその分は働かないと」

 

「会社員の鏡ね。……本当、世知辛いわ」

 

 カルラは心の中で、先週のハック対策員に同情の念を送り、兎さん手引き作戦のメンバーにその名前を書き込むのであった。

 沙良は用も言い終わったので、ソファーから腰を浮かす。

 

「もう行っちゃうの?」

 

「うん、そろそろシエスタだからね。さっきザイダがチェロス買ってくれるって言ってたから、一緒に行こうと思って」

 

「そう、時間に遅れないように気をつけてね」

 

「そんなこといって油断させて覆面で護衛つけてるくせに」

 

「あら、気付いてたの?」

 

「そりゃ、ね」

 

「次からは見つからないように気をつけるように言っておくわ」

 

 沙良は違うと身振りで表現する。

 

「そうじゃなくて、護衛を外して欲しいなぁって」

 

「それは無理ね」

 

 カルラはさもあっけらかんと言ったぐらいで肩をすくめる。

 

「なんで?」

 

「あの孫バカの社長がそんなの許すわけないもの」

 

 カルラはコーヒーを飲みながら、近くの雑誌を手に取る。

 

「でも、僕だって、専用機持ちなんだけどなぁ。襲われたって、襲ったほうが可哀相になるぐらいの戦力差があるのはカルラさんでも分かってるでしょ?」

 

 ペンダントの状態で待機しているシークエストを掴み、訴える

 

「ええ、分かってるわよ」

 

「じゃあ」

 

「でも、衆人の前でISを起動できないでしょ?」

 

「うっそれは……」

 

「銃だって未だに上手く扱えないじゃない。もう少し影でセラを守っている人たちに、感謝しなさい」

 

 貴方が自由に過ごせるのはその人達のおかげなんだから。その言葉に、沙良はこくりと頷くしかなかった。

 

 

 


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