夜のひやりとした空気に小さな息をそっと吐いて息を吸う。
「私は魔物では無いですし、まして邪神的な何かでもないです。あとどこかのお抱えでも、密偵でもなんでもないですよ。
以前言いましたっけ? 迷子だと」
「あーなんかそんな事あいつに言ってたな」
あいつ、というのはマルチェロさんかな。
「それは本当です。ただ、世界を超えてしまった迷子というだけで」
「……世界を超えた?」
怪訝なククールさんに、私はこちらに来た日の事を思い出す。
「私がこちらに来たのは仕事帰りのタイミングでした。足元の穴に靴を引っかけてしまい、気が付いたらこの世界にいきなり投げ出されていたんです。山中を彷徨って行き倒れになりそうなところをエイトさんに助けてもらい、トロデーンの住民に保護してもらいました」
本当にあの時はやばかった。人生の中で初めて死を覚悟した瞬間だった。
「私の故郷に魔法はありません。魔物もいません。宗教は数多ありますが、女神の一神教は覚えている限り知りません」
「そいつはまた……本当に突拍子もないっつーか……いや、じゃあなんで魔法が使えるんだ?
それに前、魔法について他の人間と情報交換してるようなことを言ってなかったか?」
「魔法についてはお伽話としてありましたから。なんで私が使えるのかは、はっきりとした原因はわかりません」
「はっきりとしないって事は、予想は?」
答えると決めていてもちょっと躊躇う。でも誰か一人ぐらいには事情を把握してもらっていた方がいいのではないか、という思いもあったので口を開いた。
「女神の欠片を私が持っているからだと」
「めがみのかけら?」
おそらく信仰心ゼロのククールさんが、信仰心ゼロの私をまじまじと見る。
「え、なに? リツって実は教会の――」
「じゃないです。どっちかというと教会は苦手です」
「めがみのかけらって?」
全く信じてないのか、片言のように聞くククールさん。
「私も全て理解しているわけではないので、そこは断っておきますよ?」
「おう」
「以前テアーの話をしましたが、それがどうやらこの世界の女神と呼ばれていた存在のようでして。
随分昔にはじけていろいろな世界に飛び散ったらしいんですよ。そのうちの一つが偶々私の世界まで飛んで来ていてくっついたみたいで」
さすがの内容に、ぽかんと口を開け唖然とした顔を晒す。が、すぐに復帰した。
「ってことは、今教会が祈ってる意味って」
「不在宅を訪問しているようなものでしょうか」
「不在、宅……人間っぽい言い方されると不毛さをよけいに感じる」
「あ、でもなにか伝わるようになっているのかも?」
「伝わる?」
「私がこの世界に来たきっかけが、その女神の欠片が誰かの声を聞いたからみたいなんですよ。誰かに呼ばれたような気がしたって言ってました」
「は? ……まさか…話せるのか? 女神と?」
正確には、その欠片ですけどね。と言えば、ククールさんは再び口をぽかんと開けてしまった。
「名前は聞いたんですけど、発音が出来なくて。私はにゅーちゃんと呼んでいます」
「にゅー……ちゃん……女神……にゅーちゃん」
それをつなげて言うと、女神にゅーちゃんという全く新しい神が爆誕しそうだなと役体もない事を想像してしまう。ミニサイズの可愛い感じの幼女女神的な。
「話したいです? 気が向いたら出てきてくれると思いますけど」
「いや……いや、ちょっと待ってくれ」
額に手を当て頭を振る姿からは大いに混乱している様子が見て取れた。
「その反応が普通だと思いますよ。私も人から聞けばまぁ精神病んでるのかと思いますから」
「そこまでは思ってないが……」
しばらくククールさんは無言で考え込んでいたかと思うと、顔をあげた。
「……ひとつだけ、一つだけ教えてくれ」
「なんでしょう」
「女神は人間のことどう思ってるんだ」
いつになく真剣な顔のククールさん。
その表情には見覚えがあった。たぶんだが、聞きたいのは院長さんの事ではないだろうか。
あの時、最期まで神の存在を院長さんは信じていた。神が死ぬべき時と定めていなければ自分は死なないと言って。けれど結果は………。それはつまり神が死を認めたという事になるのではないか。そういう事だろうか。
〝にゅーちゃん、答えられる?〟
〝みんな愛しい子よ〟
答えはすぐに返ってきたが、私の口を使う気はないようだ。
〝……見守っている感じ? 手出しするつもりはなくて〟
〝うーん……なんて言うのかしら? ほら、律の世界のテレビみたいな感じかしら? 律に中継してもらってるような?〟
〝直接どうこうは出来ない?〟
〝多分? 前は出来たような気もするけれど、その時は今みたいな気持ちで覗いてたりしてなかったと思うわ〟
〝女神だった頃は違うんだ〟
〝なんていうのかしらね? うーん……ほら、律がパソコン睨みながらずーっと指を動かしてたでしょ? あんな感じ?〟
〝それ仕事の事?〟
〝そうそう〟
〝義務感みたいなものってこと?〟
〝どうかしら? 大事っていう気持ちはあるわ。でも今みたいにふわふわした気持ちはあんまり無かった気がするのよね〟
「さすがに聞いてはもらえないか」
無言でにゅーちゃんと語り合っていたらククールさんが項垂れた。
「いえ、聞いたんですけど」
「答えてもらえないか……」
なんでネガティブ方向に捉えますかね。
いや、普通に考えたら神なんてホイホイ人間と会話するようなイメージないか。にゅーちゃんが例外なわけで。
「回答が曖昧だったので、ちょっと確認していました。
にゅーちゃんは人間の事大事に考えてるそうです。でも今は私から得た情報を見る程度しか出来ないみたいですよ。
私の身体を動かす事もありましたけど、それ以上はたいして何もしてなかったですしね」
ククールさんはギョッとした顔で私を見た。
なぜに?
「動かすって、そんな事されて平気なのかよ」
「あぁ、はい。今は大丈夫ですよ」
「今は?」
細かいな。
「ひょっとしてあれか、アスカンタの。座り込んでたやつ。足が動かないって」
しかも勘がいい。
「ご名答です。今は大丈夫とにゅーちゃんも言ってますからそういうことは無いですよ」
「……そうか」
それきり、ククールさんは黙り込んでしまった。
だんだんと冷めてきたお茶を飲み、小さく息をつく。
さらっと説明したが、結構緊張した。いくら魔法のある世界だといっても女神がどうのとか、かなり頭いっちゃってる内容だ。意外とククールさんは冷静に聞いてくれたが。
しばらくは私がお茶を啜る音だけが続いた。
「なぁ」
ククールさんは整理がついたのか、口を開いた。
「女神の欠片を呼んだのは誰だと思う?」
「呼んだ相手……そういえば深く考えた事もなかったです」
「普通に考えたら聖職者、神父あたりじゃないかと思うんだが」
確かに。一般の人の声が届いてたらもっと早い段階でにゅーちゃんはこの世界に戻ってるような気がする。
「でも、教会関係ににゅーちゃんは特に反応してないですよ」
「教会ってより、個人に反応するんじゃないのか? 具体的に言うと呼んだ相手とか」
「んー……どうでしょう? 今までにゅーちゃんが特定の個人に反応する事ってありませんでしたけど」
「まだ会ってないだけかもな。もし、その誰かと会ったらリツはどうなる?」
私? 言われてみれば……何かあれば巻き添え第一候補になるのか。
〝にゅーちゃん的には呼ばれた相手に会ったらどうしたいの?〟
〝とりあえずはお話してみないとよくわからないわ〟
〝そりゃそうだ〟
「相手の話を聞いてみないとわからないと」
「そうか……」
「……もしかして心配してくれてます?」
ククールさんはガシガシと頭をかいてため息をついた。
「あんたは精神的な支えだろ。どうにかなったらまずいだろうが」
そうだろうか? エイトさんがいればなんとかなると思うけど。こういう気配りが出来るククールさんもいるわけだし。姫様は気がかりだけどゼシカさんがいてくれる。サポートもトルネコさんがなんだかんだやってくれそうだ。
「まぁいい。とりあえずリツの事情は理解した。女神の欠片ってのは他には言わない方がいいな」
「そうです? っていうか、信じるんですか?」
「少なくとも、あんたは嘘をついてないと俺は思う」
ククールさんはいつものように茶化す事も無く真っ直ぐに言った。ちょっとそれが胸を突いた。
なんというか、人に信じてもらえるというのは、結構安心するというか、嬉しいものだと。
照れなのか恥ずかしいのか、自分でもわからないが口が勝手に動く。
「あーでも、エイトさんとか姫様は話しても大丈夫だと思うんですけどね」
「エイトはあの王様に聞かれたら喋らざるをえないだろ。姫さんも」
早口で言う私に少しだけククールさんは意地悪そうな顔をしたが、話題転換に乗ってくれた。
「そうですかね」
最近のエイトさんは結構柔軟なので大丈夫だと思うんだけど。それに王が今更私の素性を問いただすなんて事ないと思うし。
「まぁ、言わない方がいいなら何も言いません。言ったところで何が変わるわけでもないですしね」
「そーいうこと」
すっかり冷たくなったであろうお茶を飲み干し、うーんと伸びをするククールさん。
「スッキリしました?」
「ぼちぼち。ドルマゲスに追いつく前にモヤモヤは解消出来た」
「あ、なるほど。後顧の憂いを断つという事でしたか」
「気掛かりがあるとどこで隙が生まれるかわからないからな。まさかリツがドルマゲスと繋がってるとかは考えてなかったが、変な横槍入れられる可能性もなくは無かったわけだし」
「ベルガラックから差し向けられた人みたいな?」
「その程度ならいいが、漁夫の利を狙うような奴がいたら面倒だろ?」
例えばエイトさん達が追い詰めたドルマゲスを横からかっさらうように倒そうとするとか、トドメを妨害するとかかな?
「それは確かに」
「リツほどの魔法の技量があれば可能だからな」
「外側だけ見ればそうなんでしょうねぇ」
「くくく。そういうのは苦手そうだ」
ええはい。とても。やれと言われて必要なら頑張りますけど。
そしてどーでもいいですけど、悪役みたいな笑い方ですよククールさん。