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王、ククールさんゼシカさん、ヤンガスさんと続いて建物に入っていき、私は馬車の周りに聖水を振りまき、もう一つ接触阻害のトヘロスを唱えて姫様に近づいた。
「ここでは私の特性は無意味のようです。離れると危険ですので行きましょう」
一瞬姫様は怯んだような顔をしたが、周囲を見渡して一つ頷いた。
それを確認し私は姫様の肩に触れ、人の姿になってもらったところで手を繋ぐ。
「何やってたんだ? って……」
扉を潜ったところで正面の本棚の前にいたククールさんが振り向き、目を瞬かせた。
「………どちらさん?」
「どうしたの………誰?」
ククールさんの声に、その奥にいたゼシカさんがひょっこり顔を覗かせ、怪訝そうに眉を寄せる。
「エイトさん、今の状況だと外は危険なので姫様はこちらにお連れしましたよ」
事後報告で本棚に向かって難しい顔をしているエイトさんに声を掛けると、こちらを向いて、固まった。そういえば話はしていたが、実際に見せてはなかったか。
「お……おお…おおおおお!! ミーティア姫や!!」
エイトさんの傍に居たらしい王はわなわなと震えたかと思うと猛ダッシュ。姫さまは膝をついて王を受け止め片手で抱きしめた。当然、手を繋いでいる私も横で膝をつく事になったが、これはまぁ仕方がない。我が子が元の姿になれば親は嬉しいだろうし、姫様もそんな父親を袖にする性格ではない。
「どうしたんでげすか? あの綺麗な嬢ちゃんは誰でげす?」
騒がしさにようやく顔を覗かせたヤンガスさんも、こちらに近づいてきた。
「こうやって触れていると、元の姿に戻れるようになったみたいなんです。どうしてかは質問しないでくださいね。私もわからないので」
「ってーと、このえらく綺麗なのは姫様ってわけか?」
半信半疑といった風のククールさんに私は頷き、固まったままのエイトさんに声をかける。
「エイトさん、馬車には魔物を寄せないように出来るだけの事はしています。あの船の事を調べている間はこちらで待機しますね」
「……あ、はい。ええと……そう、ですね。はい、すみません。ちょっと驚いて。できるだけ急いで調べますね」
きっと、エイトさんも姫様と話したい事があるだろう。それでも涙ぐみながら王と話をしている姫様を見て、ほんの少し微笑んで本棚に向かい合う姿は、こういっては陳腐だが一歩後ろで見守る騎士のようだ。服装だけみればもちろん騎士とはかけ離れているが、その心根と言えばいいのだろうか。姫様を第一とする姿勢が、そういう風に見えた。
他の面々もエイトさんの落ち着いた態度に拍子抜けしたのか、最初の驚きから早々に脱すると本棚に戻っていきぺらぺらと本を捲りだした。
なんだかみんな多少の出来事には動じなくなってきているような気がするが、気の所為だろう。という事で、こちらをきらきらとした目で見上げ、手を出している王に苦笑しその手を取る。
「おお! 本当じゃ! 人の手になっておる! ぬ!? ……う~む。離れると戻るというのも本当なのじゃな……」
一人ではしゃいで手が離れた所で元の姿に戻りしょんぼりとする王。
「でもお父様、こうやってミーティアはお話し出来て幸せです」
「そうじゃな。うむ。そうじゃな!」
取りあえず、今までまともに会話出来なかっただろうから二人の手を握ったまま私は静かに傍観。魔物に入ってこられるのも嫌なので接触阻害のトヘロスをこの部屋自体にもかける。
「それにしても、どうしてリツに触れておる間は戻るんじゃろうか……」
「それはミーティアにも……リツお姉さまもわからないのですよね?」
暫くぼけっとしていると話す内容も尽きてきたのか、こちらに水を向けられた。
「あぁ、それはたぶん――」
たぶん………たぶん?
「リツお姉さま?」
「あ……いえ。私にもどうしてなのかは」
「そうですよね」と姫様は首を傾げ、王は唸ったまま。
私は内心眉を寄せた。『たぶん――』その後、私は何を言おうとしたのだろう。先程までは確かに理由を理解していたような気がする。何かを忘れているような気もするが………考えてみても何も浮かんでこない。
「リツお姉さま、何か気になる事があるのですか?」
視線を上げると姫様のそれとぶつかった。どうも様子を伺われていたようだ。
「いえ、大したことではないですよ」
「そうなのですか?」
首をかしげる姫様に和みながら苦笑を浮かべて肯定のため頷く。
本をめくる音と、ポツリポツリと姫様と王が会話する音だけが……いや、ヤンガスさんのいびきも聞こえる。まぁ識字率の事を考えると読めないというのも仕方がない気もする。休める時に休むというのはこの世界においても重要な事だ。適材適所、出来ること出来ないことを互いに補いあえればそれでいい。
エイトさん、ククールさんは無言で黙々と本をめくっている。ゼシカさんは疲れたのか何度か本から顔を上げて目を揉みほぐしている。私も参戦したい所だが、すらすら読める域にまで達してはないので大して役には立たない。
「そういえば」
ふと王が私の手を離し本棚に駆け寄っていった。何だろうと思っていると、緑の手で本を抱えて戻ってきたーーかと思ったらまたかけていき本を抱えて戻ってきた。片手で本を手に取り見ると、どうも錬金の本らしい。膝に乗せて捲ってみると、手引書ではなく研究又は推論書のようだ。
「我が城にある錬金に関する書物じゃ。どうせならば、役に立ちそうなものを持って行こうと思ってな。あぁそうじゃ!」
ドンと数冊の本をまた置いて、思いついたというように声を上げる王。それにヤンガスさんが起こされたらしく、がばりと身を起こしている。
「他にも使えるものがある。リツよ、ついてまいれ!」
え、いや、ここの魔物普通じゃないんですけど。思わず顔が引きつった。
「陛下、ここの魔物はリツさんがいても襲ってきます。危険だと思われますので、後で僕が参ります」
「あ、それならあっしが行きやす。どうせ本なんて読めないでげすからね」
「いや、でもかなり強いよ、ここ」
「なら私も行くわ。目がさっきから痛くてちょっと休憩したいって思ってたし」
エイトさんは困ったように私を見た。いやいや、私も困ってますって。戦闘に関してはど素人。支援魔法を後ろからかける事は出来るけど、魔物に近寄られたらどうなるかわからない。ピオリムでかっ飛ばすというのも一つの手だが、王がいるとなると突発的な事をされる可能性もある。
ここは安全策第一だろう。そう思った時、頭に音が響いた。
〝大丈夫よ〟
音と共に柔らかな声が聞こえる。
〝二人ともとても強いわ。小さな人も、ね〟
頭に響く音なんて現象だけ考えるとホラーなのだが、その声には安心感を与える何かがあった。流れる旋律はエルフの男性と謳ったいつかの曲。あぁ、そうだ。彼女は――
「リツさん?」
エイトさんの声にハッとして我にかえる。
「あ、いえ……」
思い出そうとした何かが薄れていくが、意識をエイトさんに戻す。
「えーと、お二人がいていただければ大丈夫だと思います。こちらは任せてもいいですか?」
「大丈夫ですか?」
なんだろう。大丈夫だと、不思議な安心感がある。頭では戦力分散は得策ではないと思っているのに。それでも、大丈夫だと後ろから支えられているような、不思議な感じ。
「はい。なるべく時間をかけないようにしますので」
そう言うと、やや不安そうな顔をしながらもエイトさんは頷いた。
十分な広さがあるので姫様にはここに残ってもらい、可能な限りの支援魔法をかけ、さらにトヘロスを使って図書室から出る。
日が翳り茜色が差し込む廊下は、かつて見た姿からさらに風化を匂わせていた。
「宝物庫に向かうぞ。こっちじゃ」
「お待ちください。ヤンガスさん、申し訳ありませんが先頭をお願いしてもいいですか?」
「がってん承知でげす!」
王が先導しそうになるが、先頭はヤンガスさんに任せる。近接戦が出来るのは、この中ではヤンガスさんだけ。スクルトを一定時間毎に掛け直してはいるが、何があるのかわからないのだ。などと考えているが、不思議な安心感は変わらず。
突然廊下の角から飛び出てきた蔦の竜にも身体は強張らず、魔法を飛ばすゼシカさんと鎌で斬りかかるヤンガスさんを視認しながら王を抱えて下がる事が出来た。
この世界に来た当初ではあり得ない反応だ。自分でも驚く。恐怖心はあるし、魔物にびっくりしてもいるのに、身体は咄嗟にきちんと動いてくれる。まるで誰かが怯える心を宥めて助けてくれているみたいだ。
「むう。わしとて戦えるのじゃが……」
口を尖らせる王に脱力しそうになる。エイトさんもそんなような事を言っていたが、このリーチの短さでどうやって戦うというのか。間合いに潜り込むしかないと思うのだが、そうしたら魔物に大きく近づくという事になり、危険はいや増す。
「いいじゃない。戦闘は私達に任せれば。リツの魔法のお蔭でこっちもかなり楽だもの」
「そうかもしれんが、わしだって華麗に魔物を仕留めてやれるという事をだな……」
ブツブツと言っている王を肩をすくめてスルーするゼシカさん。
「それより、リツに聞きたい事があるんだけど」
「戻ってからじゃ駄目ですか? ここ、かなり危険だと思うので」
集中力を欠くような事はなるべくしたくないと言えばゼシカさんはかろやかに笑った。
「大丈夫よ。どれだけの魔物を相手にしてきたと思っているの? リツが居ない時の魔物の群れに比べれば全然平気よ。ね、ヤンガス?」
「そうでげす。あれはヤバいでげすからね。これぐらいどって事ないでげす」
それは……頼もしいというか、すいませんと言うべきか……
「でね、リツって途中で魔法を止められるの?」
「……止める?」
「ほら、ルーラで船を動かせないか試そうとして無理だって言って止めたでしょ?」
「あぁ。そうですね」
思い出してそう答えれば、ゼシカさんは溜息をついた。
「やっぱり自覚は無いのね」
呆れ顔で言われているが、何の事を言っているのかさっぱり見当がつかない。どういう事かと視線で問うと呆れ顔のまま答えてくれた。
「普通。発動まで至った魔法を止める事は難しいの」
「……ほう」
「ほう。じゃないってば。いったいどうやってるわけ?」
「どうやってって……こう、構築陣に魔力を流すじゃないですか。それで、完全に起動させずに少しだけ魔力の道筋を残しておいて、止める時はそこから構築陣自体の魔力の流れを切るんです。そうしたら構築陣が力を無くして消えますよ」
「…………はぁ」
額に手をあてて、ゼシカさんは盛大なため息をついた。それから残念な子を見るような目で私を見てくる。ひどい。
「それ、無理。いえ、無理かどうかははっきり断定できないけど、魔力の道筋を残すなんて普通出来ないわ」
「そうですか? メラの威力最大の改造版が出来るなら、その要領で出来ると思いますよ。あの細さが維持できるなら同じようにずっと構築陣全体に魔力を流すんですよ。いつまでも保てはしませんが、ある程度は出来ますよ。完全に維持する場合は魔力を構築陣と自分の間で循環させる必要がありますが、それも慣れの問題だと思いますし」
「そう。いえ、そうなのね。はぁ……本当無茶苦茶よねぇ……」
「確かに難しいとは思いますが、本当に慣れなんだと思いますよ。ほら、お湯を出す魔法あるじゃないですか」
「あぁ、あの無駄に凝った技術でただのお湯を出すやつね」
言いぐさが地味にひどいよゼシカさん。ついでに投げやりだよゼシカさん。
「あれが出来るようになってから、私も出来るようになりましたから」
と言っても、繋げ方を体感してしまったら構築陣にアクセスする事がさらっと出来てしまったので、ゼシカさん達の言う魔法の扱いとは違うとは思う。思うが、原理的なものは一緒だと思うので出来ない事は無いと思う。
「はいはい練習あるのみね」とゼシカさんには流されてしまったが、何だかんだゼシカさんは向上心があるのできっと会得してしまうだろう。
コツとかイメージを説明しながら瓦礫で塞がれた道を迂回して進み、宝物庫へと辿り着く。
そこで王は私の方を向き鍵を指差した。
「リツよ」
「あ、はい。開けるんですね」
鍵を持っているのかと思ったら、鍵は担当者が管理しているらしく在り処を知らないとの事。まぁこれだけ大きな城全て王が管理できる筈もないが、大事な宝の鍵も他者に任せているというのはトロデーンらしいというかなんというか。
宝箱には大きな葉と木の実、古びたボロボロの剣。他にも金目のものもあったが資金は足りているのでよしとした。荷物になるので。
最初は宝物庫の中で王が選んだ品物に疑問符が湧いたが、インパスをこっそりかけたところで理解した。確かに、宝物庫にあっておかしくないものだった。
大きな葉は、世界樹の葉。インパスの通りなら死者を蘇らせる事が出来る。木の実はふしぎなきのみ。マジックポイントを増やす代物。古びたボロボロの剣は、もとは竜の剣と言われていたらしい。現在は切れ味など無く、一度使えば折れてしまいそうな有様だが、錬金釜で修復可能とあった。竜と名のつく剣なので、使えるようになればかなり有能なものになるだろう。……なったら、いいな。
「こんなボロボロ、何になるってんだ」
「ふん! お前のような輩にこの剣の有り難みなど分からぬであろうよ!」
「なにぃ!?」
「実際ボロボロよね。使えそうにもないし。邪魔じゃない?」
ヤンガスさんとゼシカさんに、現状だけ見ればもっともな事を言われて肩を怒らす王。
「それ、多分ですけど本当に大切な物だと思いますよ」
「本当に?」
「はい。直せるかもしれないので持って行きましょう」
「おお! それは真か! さすがリツじゃ!!」
喜ぶ王に苦笑を返し、「結局リツ嬢さん頼みでがすか」と呆れるヤンガスさんにそれ以上言わないよう口に人差し指を当てて止める。
「日も随分と翳りました。暗くならないうちに戻りましょう」
言ってそれぞれを促し宝物庫を後にする。すれ違う茨に囚われた人には視線をあまり向けないように。
見てしまうと、助けられないかと思ってしまうので。もし、姫様達と同じように呪いが解かれても、離れたらまた元に戻ってしまう。それは………さすがに恐怖だろう。今も意識があるのかわからないが、何度も何度も茨にとらわれる恐怖を味わわせてしまうのは、私が耐えられそうにない。アミダさんを見たら反射的に駆け寄ってしまいそうだから家に近づくのも怖い。
図書室に戻ると、エイトさんはまだ本をめくっていた。その向こうでククールさんは疲れたのか床に座り込んで本を開いては積み重ねていた。
「戻りました。その様子ですと、なかなか難しそうですね」
「おかえりなさい。はい、まぁ……一冊だけそれらしきものがあったんですけど、それ以外は見つからなくて」
これです、と別によけてあった本を渡してくれたので開いてみる。題名は荒野に忘れられた船。内容はあの船の事に関する雑多な話だった。曰く、地上を走っていた。曰く、神の乗り物。曰く、この世の終わりから旅たつための乗り物で、限られた人々しか乗ることは叶わない。
眉唾の噂話を集めたといった内容だ。一つ正しいと言えるのは、現在の造船技術とは異なる手法で作成されており、その材質、その操舵方法、動力が全くの不明であること。
つまり、何もわからない。
さすがに疲れたのか、エイトさんは首を回している。
「日も暮れましたから、一度他の街に飛びましょう。明日また……」
言いかけて、言葉が消える。
壊れた窓枠が視界に入った時、何かがよぎった。すぐさまトヘロスを唱え全員に支援魔法をかけようとして、違うことに気付いた。
2016.08.03 誤字修正 有難うございます 久しぶりに笑いました