38
パルミドを出て南西に進もうとすると、トーポさんが地面に降りて人の姿になった。
「いやはや……参ったぞ」
「そうですね。まさか馬車ごと盗まれるとは思いませんでした」
「そうではないんじゃ。お前さんが竜神王様と同じ技を使えるとは思いもよらなんでの……あやうく姿が戻るとこだったわい」
何の事だと横を歩くトーポさんを見ると、呆れた顔をされた。
「無意識に凍てつく波動をやったのか……」
……いてつくはどう? って、彼の氷の大魔王様が発端の?
「いやいやいや。そんなの出来ませんよ私」
「やっておったぞ?」
「……気の所為?」
「気の所為でわしの姿が戻されるわけがなかろう」
「でも戻って無いですよ?」
「戻されてはたまらんと咄嗟に逃げて堪えたからじゃよ」
それって、あれだろうか。部屋の隅に猛ダッシュされたことだろうか。
それにしても堪えたからといって補助魔法等効果無効化のアレがどうにか出来るのだろうか? もちろん凍てつく波動なんて私が出せるとは思っていないが、堪える程度でどうにか出来るトーポさんってかなりすごいのではなかろうか。
「頼むからやる時は合図してくれんか。さすがに心構えが要るんじゃ」
「ええと……」
本気で言われてるのだろうか。これ。
言う事言って満足したのかトーポさんはネズミの姿に戻ってしまった。
そう言われてもこちらはそんなラスボスのような真似は出来ないので確約のしようが無い。どうしたものかと思ったが、どうせ出来ない事なのだから気にしても仕方がない事に気付いてスッパリ意識から切り離した。物事は建設的に考えるべしだ。特に今は優先している事があるのだから。
途中で取りやめていた補助魔法を掛けて早速ダッシュ。日が暮れ夜の帳がおりてきているが散発的に照明替わりのメラを放って辺りを確認しつつ進んでいると、堀のように水に囲まれた島? のようなものが見えた。吊り橋のようなものが掛けられているので人の手が入っている事は間違いない。
足をそちらに向け、吊り橋を踏み鳴らして駆け抜けると一軒の家があった。家の前には覆面レスラーっぽいごつい男性が腕組みをして立って居る。爆走してきたものだから完全にこっちには気付いており、ぜーはー言ってる私を盛大に不審がっている。まぁそれは仕方がない。なんとかこうにか息を整えて、今さらだが居住まいを正して男性に近づき声を掛ける。
「夜分おそくにすみません。こちらはゲルダさんのお宅でしょうか?」
「なんだ嬢ちゃん。ゲルダ様に憧れてきたのか?」
ゲルダさんのお宅で正解のようだ。良かった。
「それではこちらに四人連れが訪ねてきませんでしたか? 男性三人、女性一人です」
「……あいつらの連れか?」
来たようだ。だが、ここに居る様子ではない気がする。
「彼ら、今どこに?」
「ビーナスの涙を取りに行ってる」
「びーなすのなみだ?」
聞いた事が無い道具の名前だ。魔法のせいすい的な何かだろうか。
「宝石だよ。宝石」
道具じゃないのか。ドラクエに貴金属という意識はあまり無かったから名前を言われても気付かなかった。
「その宝石を取って来れば馬を返すという話ですか?」
「人の家の前でごちゃごちゃ煩いね、とっとと中に入れな」
「え? いいんですかい?」
「早くしな」
「へ、へい」
家の中から女性の声が聞こえ、中に入る様にとごつい男性がドアを開けて場所を譲ってくれた。
お邪魔しますと声を掛けながら中へと入ると、ひんやりとした夜気とは違い暖かな空気が満ちていた。何かの動物の毛皮が敷いてあり、その奥にロッキングチェアーに座り揺れている女性の姿があった。
女性は何も言わず暖炉の方を見て居るのでこちらから表情を窺い知る事は出来ないが、遠目から見ても露出の部分が多い服装は稼業が一般的なものには見えない。ちょっと緊張しながら近づいた。
「あんたがヤンガスの連れかい?」
数歩近づいたところで女性はこちらに顔を向けた。
切れ長の綺麗な顔だ。着ている服装は革の胸当てに、腿まであるブーツ、そしてたぶんビキニ系?の上に腰巻を巻いている。腰巻取ったら完全にビキニタイプの水着だ。この人寒くないのだろうか。あ、だから暖炉の前に居るのか。
「はい。馬と馬車の返却依頼に参りました」
「それはもうヤンガスと話をしてる。あんたが出張るような事じゃない」
なるほど。先ほどからヤンガスさんの名前が出ているという事は、何がしか繋がりがある人なのだろう。話をしているというのなら無理にこじらせるような真似はしない方がいいかもしれない。実力行使に移るのは交渉決裂してからでも遅くないだろう。
「では、馬と馬車を確認させてもらえないでしょうか?」
「……隣の小屋に繋いでる。勝手にしな」
「ありがとうございます」
礼を言って外に出て、横手にあった小屋に入ってみると人の良さそうな男性が干し草を準備している姿が見えた。そしてその前には姫様。姫様は私に気付くとすごくホッとしたような顔をして微笑んだ。すぐさま駆け寄りたいのを抑えて、男性に声を駆ける。
「あの……」
「ん? なんだおめぇさん」
盗賊の拠点に居る人とは思えないフレンドリーな調子で目を向けられた。もしかしてアルバイトの人だろうか。んな訳あるわけないか。
「彼女に近づいてもいいですか? 元は私達と一緒に旅していたんです」
「おお、あの人らのお仲間か。どうやって育ててるんだ? こんな綺麗な馬は見たことないべ」
問いには答えてもらえていないが、問題ないだろうと判断して姫様に近づきそっと首を撫でると顔を寄せられた。
『リツお姉さま』
「え?」
耳に鈴を転がしたような可愛らしい声が飛び込んできた。
「だからどうやって育ててるんだべ?」
私の戸惑いの声に、後ろから再度男性が聞いてきた。ちょっと黙ってろとか思ったが、口にはしない。そんな事より目の前の事の方が重大だ。
「……姫様、お怪我はございませんか?」
『ありません。怖い思いをしましたが、ここにお父様やエイトが来てくれて、すぐに解放するからと言ってくださいました』
小声でそっと尋ねると、姫様は首を振って答えてくれた。答えて、くれた。
「お怪我が無いようで何よりです。お傍を離れ申し訳ありませんでした」
『いいえ! リツお姉さまは皆さまの為に頑張ってくださっているのです! ミーティアが不甲斐ないだけです!』
ぶんぶん首を振って否定を示す姫様は、私に声が聞こえているとは思っていないのだろう。私はこれまで通り表現に対して小さく微笑み、男性に向き直った。
「私はお世話をさせてもらっているだけですので何とも……
それより夜になりましたが、ここには住込みで働かれているんですか?」
「え!? もう夜だべか!? あちゃー。悪いがおらは急ぐで、そこの干し草だったら使っていいべ」
「はぁ、ありがとうございます」
飛び出して行った男性に、なんだかなと思いながら小屋の戸を閉めて、中から突っ張りを当てる。それから馬車のところへと行き、荷物を確認する。幸いな事に、金品含め盗られたものは無さそうだ。釜もしっかり鎮座されている。
ひとまず状況確認が出来た所で姫様の所へと戻り、私は姫様の前に桶を逆さまにして座った。
「姫様、落ち着いて聞いてくださいますか?」
『なんですか?』
小首を傾げる姫様に、私は深呼吸を一つして、告げた。
「どうやら、姫様の声が聞こえるみたいです」
『………え?』
「今、『え』と聞き返されましたね」
姫様は大きく目を見開いた。大きな瞳がこれでもかと開かれたので零れ落ちるんじゃないかと心配する程驚かれ、次第に理解しはじめたのか焦ったような顔で私に近づいた。
『あ、あの、あの、えっと、その、あの』
「大丈夫です。ゆっくり深呼吸をして、そう、息を吐いて、ゆっくり吐いて、それから吸って」
慌てた姫様を落ち着かせるように落ち着いた声で促すと、姫様は深呼吸を繰り返してようやくといった様子で落ち着きを取り戻した。
『あの……本当にミーティアの声が聞こえるのですか?』
「聞こえます。大変可愛らしいお声です」
『え…そんな……』
恥らう姫様もグッドです。……じゃなかった。
「どうして聞こえるようになったのかは不明ですが、お話しさせていただけるというのは喜ばしい事です。今まで、お困りになられている事などございませんでしたか?」
『いいえ! ミーティアが困っていたら、いつもリツお姉さまが助けてくださいましたもの!』
「私がさせていただいたのは必要最低限の事だったと思うのです。叶えられるご希望ならば伺いたいのです」
こんな素直で可愛い子の願いは出来るだけ叶えたい。頑張っているのだから、それに何か見合うだけのものを用意したい。
『………では、あの………一つお願いしても?』
「一つと言わずいくつでも」
姫様は意を決したように手を握りしめた。
『ミーティアの声が聞こえる事は黙っていて欲しいのです』
「……と、いいますと?」
完全に予想外の内容だった。どういう事かと尋ねると、姫様は固い表情で口を開いた。
『おそらくですけれど、エイトやお父様にはミーティアの声が届かないと思うのです。きっとミーティアの声が聞こえるとわかると、エイトやお父様は今以上にリツお姉さまをミーティアの側に居るようにすると思うのです。でもそれではリツお姉さまの邪魔になってしまいます』
「邪魔だなんてそんな事は」
『ミーティアは嫌なのです。皆さまが一生懸命ドルマゲスを追いかけているというのに、ミーティアの為にその歩みを遅くしたり負担をかけるような事は、嫌なのです。
最初は馬にされてとても悲しくなりました。どうしていいのか本当に困りました。でも、今は馬にされて良かったと思うのです。きっと人のままだったらミーティアは何もお手伝いする事が出来ませんでした。馬だから、馬車をひいて皆さまのお手伝いをする事が出来るのです。ミーティアはそれがとても嬉しいのです』
「姫様……」
言葉が出なかった。
馬にされて嬉しいと本気で言う少女の強さに、果たして何が出来るのだろうか。
「……わかりました。ですが、私以外も声が聞こえたら別ですよ」
『はい。その時はきっとお父様はびっくりして慌ててしまいますから、落ち着いていただけるようにお願い致します』
「ちょっと自信がありませんが……心得ました」
ふふっと二人で想像して顔を見合わせ笑った。たぶん姫様も慌てふためき騒ぎ出す王の姿を想像したのだろう。
「ところでエイトさん達はいつ頃ここに来たのですか?」
『リツお姉さまがこちらに来られる二刻程前でしょうか……ビーナスの涙が隠されている場所に向かわれました』
四時間前か……別れてわりとすぐにこの騒動にぶちあたったんだな。
『それ程遠くない場所にあると聞いたのですが……帰りが遅いのかもしれません』
どことなく不安そうな姫様に、さてどうしようかと悩む。姫様と離れていて今回の事になったのだ。今離れるのは心配だし、姫様も不安だろう。
『リツお姉さまはどこに行かれていたのです?』
「今日はちょっと今まで訪れた町などに戻っていたのです」
『……魔物には会わなかったですか?』
「はい。あいかわらず」
『…………でしたら、お願いします。様子を見てきていただけませんか』
あぁ、エイトさん達も心配というわけか。
だがなぁ………いや、街に使われてる守りを流用すればあるいは……トヘロスと同じ構成をしていたからそれを持続させれば………
『駄目でしょうか……』
「いえ、姫様をお一人にしてしまいますが、それでもよろしいのですか?」
『はい。ここの方はミーティアを害するようには見えませんから』
あらま。しっかり見てること。さすが姫様と言ったとこか。
「わかりました。その隠された場所というのはどこにあるかご存知ですか?」
『ここから北にある洞くつだそうです。罠が仕掛けてあるのでとても大変だとヤンガスさんが言われていました』
知らなければゲルダさんに聞きに行こうと思っていたが、助かる。
よしと奮起して立ち上がり、姫様と馬車に即席のトヘロスを原型とした接触阻害の魔法をかけて小屋を出た。