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「リツさん」
声を掛けられ、私は目を覚ました。まだ歩いている揺れがあって寝ぼけ眼で前を見るとオレンジの頭。
「トロデーンにつきましたよ」
オレンジの頭から視線を横に移動させると、見事なお城が見えた。
見事な……お城が、見えた。目を瞬かせても、お城に見えた。
「………とろでーん?」
「そうですよ。僕はトロデーンの兵士なんです」
「兵士?」
「はい」
どんどんお城に、そしてその裾に広がっていると思われる街に近づいていく。
「あ、え、えっと、降ります。歩きます。ありがとうございます」
「大丈夫ですか?」
ゆっくりと地面に降ろされて、ふらつきながら自分の足で立つ。
頭の中では『落ち着け』を連呼した。
「こっちに兵士の詰所がありますから、そこで地図を確認しましょう。あ、それとも先に宿で休まれますか?」
「いえ、詰所の方で。場所を確認させてください」
我ながら固い声が出た。ふらつく私を見兼ねて手を取って支えてくれる青年についていく形で、私は私の知る街ではない街へと足を向けた。
「おいエイト、その嬢ちゃんは?」
入口のところでいきなり呼び止められ、足を止めると甲冑に身を包んだ男が近づいてきていた。
「バイアーさん。南の森で迷われていたんです。詰所の地図で場所を確認しようと思うんですけど、大丈夫ですよね?」
「そうなのか?」
男に顔を覗きこまれたが、ぐっと我慢して肯定する。
「はい。この歳になって迷うというのも情けない話ではありますが彼の言う通りです」
「そうか。それは大変だったな。エイト、詰所にアミダばあさんのパイがあるから」
「ほんと? やった、じゃあ僕ももらうね」
「先に飲み物と一緒にこのお嬢ちゃんに出してやれよ」
「わかってるって」
頭をこずかれた青年はじゃれるように笑ってから、私を手招いた。そのまま街に入って横にある建物に入ると、くつろいでいる甲冑姿の男達の視線を浴びた。
「あれ? お前今日は非番じゃなかったっけ?」
「ちょっとね。奥の部屋を使わせてもらうから」
「そっちの嬢ちゃんは? こんなとこに連れ込む気か?」
「この人は南の森で迷われてたの。失礼だよ」
「へいへい」
野次を聞き流す青年が、こちらを見てすまなそうに笑った。私も気にしていないと小さく笑う。余裕が無くても笑うくらいは出来る。物々しい装備をした男相手に顔が引き攣りかけたけど。
「どうぞ、座っててください」
小部屋のようなところに入ると、作りのしっかりした今時見かけない木の椅子をすすめられ、大人しく座る。目の前には簡素なこれまた木のテーブル。でも、こちらもしっかりとした作り。アンティークとしてはちょっと無骨だが、それなりに味はある。
「おまたせしました」
濡れた布巾? を手渡され、かぼちゃパイっぽいものが乗った木の皿とフォーク、薄茶の飲み物っぽいものが入った木のコップを置かれた。湯気が立っているから暖かそうだ。
青年も同じものを自分の前に置いて、それから壁に何かをひっかけた。と思ったら地図のようだ。
「暖かいうちに食べてください。説明しますから」
「ありがとうございます。いただきます」
礼を言って飲み物を一口。紅茶っぽいけどもっと香ばしい。まぁそれは何でもいい。パイのようなものもかぼちゃではなかったが、甘味があって本当においしい。それもまぁ、ありがたいが今は重要ではない。
「トロデーンはこの地図でいうとこの辺りです。僕がリツさんを見つけたのはこの辺りで、この道筋でトロデーンに来たんです」
私はじっくりと地図とやらを見た。
「……これより大きな、もっと広域な地図はありますか?」
欲を言えば測量法できちんと取られた地図を見たい。
「大きいものですか? すみません、これが一番大きな地図で……と言いますか、これは世界地図なんですが」
これが世界地図? 先程青年が教えてくれた私の発見場所からここまでの距離と、歩いた時間を考えるとこの地図は世界地図と言うにはかなり小さい。少なくとも朝方に青年と出会って太陽が中天を過ぎるごろにはここへと着いている事からして、長くて五時間か六時間。青年が相当な健脚で休み無しだとしても、三十キロから四十キロ程度。東京から横浜プラスちょいぐらいの距離だ。それを世界地図と言われても俄かには信じがたい。
ただ、青年の顔を見れば冗談の類でやっているわけじゃないことはわかる。そもそも始めに気付くべきだった。青年の服装は見かけないものだ。甲冑なんて、もっての他だ。
「どこだここ……」
思わず出た言葉に、青年が首を傾げた。
「この地図は見たことが無いんじゃないでしょうか。もっと各地方ごとの地図を見慣れていたら、どこかわからないかもしれません」
「いえ、そうでは……」
言いかけた時、フォークを取り落した。コップを持ってなくて良かったとか思う前に身体が横に傾いだ。だが身体が動かずそのまま床に倒れた。
「大丈夫ですか!?」
「おい、どうした?」
青年と甲冑の男の声を遠くに感じながら、視界が黒に塗りつぶされプッツリと意識が切れた。