休憩が終わり、体育館の床から腰を上げる。練習後の野良試合のため、ベンチは用意されていない。コートを挟んで逆側を見ると、青峰君達がゆったりとした様子でコート内の定位置に戻り始めていた。
こちらは『無冠の五将』を揃えた、いわゆる中学選抜チーム。だが、『キセキの世代』に比べれば、ただの寄せ集めにすぎない。灰崎君を除けば、個の力で大差を付けられていた。序盤の攻防を経て、続く第2Q。得点は10-16でこちらのビハインド。
「さあ、行きましょうか」
それでも、味方の先輩の士気は高い。むしろ、試合直前よりも表情には力があるほどだ。それもそうだろう。今年、手も足も出ずに惨敗した相手に、十分戦えているのだから。
そして一方、相手チームの様子を横目で窺うと、リードしているというのに浮かない表情だった。困惑気味とも取れる。赤司君と視線が合った。瞳から読み取れる色は困惑と警戒。予想外の善戦をされているから、ではない。理由は真逆。
自分で言うのも何だが、ボクは仲間達からやけに恐れられている。帝光中学の怪物と囁かれるほどに。
――こんなものなのか?
それが彼らの気持ちであろう。勝ち目のない勝負を挑んだボクに対する疑念であった。
試合再開の合図。審判役の先輩の声が耳に届く。帝光ボール。赤司君がゆっくりと運んだボールを使って、青峰君がカットイン。急激な方向転換からの横っ跳び。オーバースローでぶん投げたボールが、何度もリングに衝突しながら捻じ込まれる。
「テツ、本気で勝てる気かよ」
「ええ、もちろんです」
「そうか。楽しみにしてるぜ」
ボクの返答に、彼は好戦的な笑みを浮かべた。
確かにボク達のチームは弱い。全国から選りすぐりの精鋭が集う全中でさえ、百点ゲームかつ一桁完封が普通だった帝光中学の『キセキの世代』。それに比べれば、こうも見られる試合になっているというのは、異常事態であろう。しかしそれでも、所詮は灰崎君頼りの一辺倒。単調な戦術。そんなもので、第1Qの中盤まで持ちこたえたのは上出来だろう。
「残念だけど、もう終わりッスよ」
「だな。オレらのダブルチームを抜いてみな」
嫌そうな顔で灰崎君が舌打ちする。彼の前には、黄瀬君と青峰君の2人が立ち塞がる。まあ、そうなりますよね……。
「チッ……うざってえヤツらだ!」
マークを外すために前後左右に動くが、フリーな状態を作り出せない。灰崎君の顔に焦りの色が見える。『キセキの世代』2人分のプレッシャー、尋常ではない。ボクの中継でさえ、パスを通せる気がしない。
時間一杯を使って、結局葉山さんがペネトレイトを仕掛ける。緑間君を突破し、そのままインサイドでレイアップ。しかし、ゴール下には守護神が君臨する。信じがたい高さのブロック。それをかわそうとダブルクラッチを仕掛けるが、紫原君の反射神経とリーチの前に呆気なく止められた。
「あんなんどーやって決めんだよ」
「やっぱり灰崎無しじゃダメか……」
観戦する先輩たちのつぶやきが耳に届く。インサイドは鉄壁。制空権は相手に握られている。紫原君さえ居れば事足りる。だからこそ、容易に灰崎君にダブルチームできたのだ。
相手の攻撃ターン。またしても時間を目一杯に使ったスローペース。ハーフコートの攻防に持ち込んできた。赤司君の采配だろう。交代要員がいないことに加え、直前までの練習で蓄積された疲労。スタミナ消費を極力抑えるための戦術である。
「赤ちん、ナイスパス」
「ぐっ……速え!?」
高速のスピンターンで根武谷さんを抜き去り、彼は容易くダンクを叩き込む。帝光の得意とするスタイルではないが、そもそも地力が圧倒的に違うのだ。確実に遅攻を決めてくる。
ここで選手交代。『雷獣』葉山小太郎OUT、『夜叉』実渕玲央がIN。
「さすが桃井さん、ベストタイミングです」
計画は第2段階に移行する。
こちらのオフェンス。依然として劣勢が続く。PGの花宮さんは、『天帝の眼』を有する赤司君から逃れるので精一杯。距離を取って、ボールの保持すら困難。SFの灰崎君は悪夢のごときダブルチーム。期待するのは無茶だろう。
青峰君が抜けて空いたPFは、一応ボクがカウントされるが、もちろんゴール下でできることなど無い。Cの根武谷さんも、パワー以外の全ての性能で大差を付けられている。
結果、パスが渡るのはただひとり。
「決めろ!実渕!」
放たれるフェイダウェイの3P。『天』のシュート。後方に跳躍し、緑間君のブロックを回避して放たれたボールは、リングを掠りながら通過した。
「よっしゃ!」
根武谷さん達が歓声を上げるが、『キセキの世代』の面々に焦りはない。緑間君と違い、その精度は完全とは程遠いからだ。まあ、成功率100%の彼と比べるのは酷だが。
落ち着いた様子で帝光ボール。ゆったりとしたペースで、赤司君がセンターラインを越える。マッチアップする花宮さんが腰を落とし、守備に専念。一挙手一投足に至るまで見極めようと集中する。しかし相手はさほど脅威には感じていないらしい。淀みなくパスを出し、時間を使う。赤司君の意図に沿って、流れるようにコート中をボールが飛び回る。
「さすが、隙がねえ」
誰かがつぶやいた。だが、そのボールは――
「らあっ!」
――大きく跳び込んだ灰崎君がカットする。
強引な割り込みが功を奏する。そのまま単独速攻。灰崎君がドリブルで駆け上がる。もちろん、それを見過ごす相手ではないが、同時にボクも動き出していた。とっさに赤司君の前に身体を入れ、進行を阻害する。
わずかでも戻りを遅らせれば、残りは黄瀬君との1対1。雷速のクロスオーバーでぶち抜き、ダンクを決めた。
「ナイス!灰崎!」
「よくやったわ」
根武谷さんと実渕さんが手を出し、彼の掌を叩き合わせる。
油断なく赤司君がボールを出し、緑間君、青峰君と繋がる。やはり時間を一杯に費やして、体力の消耗を防ぐ構え。じっくりと落ち着いて、相手は攻め方を選択する。
しかし、残念ですね。考えれば考えるほど、思考は糸に絡めとられる。
「なっ……どうしてそこに!?」
赤司君の出したコートを縦に切り裂くパス。ゴール下の紫原君を狙ったそれを――
――ボクの右手が掴み取る。
「スティール!?またかよ!」
「これは花宮真の支配領域――『蜘蛛の巣』なのか」
赤司君が苦々しげな表情を浮かべた。かつて翻弄された記憶を思い出したのか。
「だけど、昔と一緒にされては困るね」
わずかに目を細めたのち、開眼する。未来を見通す超越能力。ワンマン速攻を狙う灰崎君の手元から――
――ボールが弾き飛ばされる。
「チッ……『天帝の眼』。さすがに厄介だな」
反撃は瞬時に止められる。やはり灰崎君でさえ、あの『眼』の前には無力。ボールを取り返し、悠然とこちらに歩み寄る。
「こちらの研究はされ尽したのだろうね」
チラリと横目で、コート外の桃井さんに視線をやる。
「たしかに以前は苦戦した。だが、すでに僕らはその段階にはいないよ」
「……ナメやがって」
花宮さんの言葉に、彼はそんなつもりはないさ、と答える。
「むしろ評価している。情報のスペシャリスト、桃井がデータを集め、キミがリアルタイムで演算する。それに加えて、黒子の神出鬼没。見事と言う他ないよ。パスを封じるための、理想的な戦術だ」
以前、帝光中学が味わった『蜘蛛の巣』とは別次元の完成度。ボクが加わることで、スティールの成功率は格段に跳ね上がった。わずかに興奮した様子で、赤司君は笑みを見せる。未知の戦術に対する好奇心だろう。
「だが、パスを封じたところでオレ達は。蜘蛛の張るか細い糸など踏み潰す」
ドリブルをつきながら、赤司君の集中が高まりだす。一方、花宮さんは冷めた様子で、軽く嘆息した。
「パス、ねえ……。安心したぜ。その程度までしか、まだ見抜けてないってことによ」
花宮さんの声を無視して、彼は自身の異能を開眼する。未来を見通す『天帝の眼』。ドライブと見せてのレッグスルー。たった一度の切り返しで、相手の横を抜き去った。
パスが無理ならドリブルで、圧倒的な個人技で押し潰せばいい。今年の全中ではそうやった。再戦した彼らはそうやって『蜘蛛の巣』を振り払ったのだ。しかし今回はやらせない。花宮さんの背後から、漆黒の影が出現する。
――ボクの手がボールを弾き飛ばした。
「あれは『天帝の眼』破りか……!」
1on1専用能力の弱点を突いた、視界外からの一撃。赤司君の顔に驚きが浮かぶ。
帝光の攻撃。赤司君を起点に、慎重にボールを回す。彼らの顔には警戒の色が浮かんでいた。『蜘蛛の巣』から逃れようと試みる。
ちなみにこの戦術に対処するのは簡単で、ラン&ガンの走り合いに持ち込めばいい。速攻で目まぐるしくコート全域を動き回る展開だ。そうなれば、ポジショニングはバラバラ。攻撃パターンも無数に生まれ、花宮さんの予測の糸に絡めとられることも減る。しかし、彼らはそれをしない。体力的にできないのだ。
ゆえに選択は、ハーフコートでの個人技による圧殺。
「おっ!青峰が仕掛けた!」
ストバス仕込みのトリッキーなドリブル。プラスして、埒外の敏捷性(アジリティ)。マッチアップの木吉先輩を揺さぶり、一息の内に突破する。
「ってオイ、テツ!?」
「隙あり、ですよ」
ドライブで相手を抜いた直後の一瞬の気の緩み。そこを突いた視界外からのスティール。仕組みは『天帝の眼』破りと同一。
「チッ……だったら。隙が無いように攻めりゃいいんだろーが!」
青峰君が吠える。視線は縦横無尽にボクの姿を探し回り、意識は神出鬼没を捉えることに専心。対戦相手は、目の前の木吉先輩ではなく、幻想の中のボク。ドライブの直後に狙われるスティールを最警戒。だがそれは――
「そんな散漫なドリブルで!」
――木吉先輩にボールを弾かれる。
「やっべ」
甘く見過ぎですよ。これでも彼らは『無冠の五将』。無警戒で倒せる相手ではない。影に意識を割けば、疎かになるのは必定。
どろりと沈む泥沼のごとき深淵に、彼らは足を踏み入れた。彼らは影を恐れてしまったのだ。纏わりつく闇は意識を縛り、手足を重くする。攻守共にその呪縛から逃れることはできない。もはやボク達の術中。
今のプレイで、ハッとした表情を見せる赤司君。どうやら気付いたらしい。ボク達のチームのコンセプト、唯一の設計思想に――
目元を細め、こちらに厳しい視線を向ける。
「そういうことか……。見誤ったよ」
「何を言っているのだよ、赤司」
緑間君が疑問の声を上げる。
「灰崎の才能でも、桃井のデータでも、花宮さんの演算でもない。彼らが目指しているのはたったひとつ――」
『キセキの世代』と互角に戦えるのは。
「――黒子テツヤ。このチームは、彼の特性を最大限に発揮するためだけに作られている」
灰崎君の『光』も花宮さんの『蜘蛛の巣』も、ただの目くらまし。ギミックに過ぎない。全ては影に潜む深淵に引きずり込むための――
「これが未曽有の怪物、黒子テツヤの全戦力なのか……」
気配を消すのではなく、負の気配を纏うという、別解釈の影。過去に戻ってから作り上げた、異彩を放つアプローチ。幻影に対する恐怖や脅威を植え付ける、異端の戦術。
――『モード・黒子(ブラック)』
「まだ終わりじゃありませんよ。あと一手、ボク達は戦術を残しています」
『光と影の連携』、深化版『蜘蛛の巣』、『モード・黒子(ブラック)』。未知の戦術、奇襲の数々。手を変え品を変え、彼らを翻弄してきた。それも残り一手。しかし、乾坤一擲のそれは、今回の試合における唯一の勝機なのだ。
こうして第2Q終盤、ボク達はようやく彼らの得点に並ぶ。パスを封じ、ドリブルを封じ、影に隠れて隙を突く。そうして全員にありもしない幻影に警戒させる。
しかし、ボクには分かっていた。このような奇襲が通じるのはここまでだと。後半戦は対応策を取られるはずだ。なにせ、相手は天下無敵の天才集団『キセキの世代』。その天才性は人外の領域である。
この後は彼らの独壇場。第3Qは再び点差を空けられ、終盤戦に突入する。
ここまで概ね計画通り。