「足が痛い……」
己の欲望を満たした代償に朝から海軍仕込みの水練、
さらにそれ以降の地獄の扱きですっかり筋肉痛となった宮藤芳佳がよろよろとした足取りで歩いていた。
時刻は間もなく消灯時間で後は寝るだけの態勢であったが、
いつもより激しい運動をしたためか小腹を空かせた芳佳は夜食を頂く。
海軍用語でいうところのギンバイをすべく食堂に向かっていた。
「うーん、ご飯はもうなかったはずだし。
乾燥した麺もこの間に切らしちゃったからパンかな…?」
空腹が脳を刺激させ独り言が出る。
欧州ではまず手に入らない扶桑の米は備蓄こそあるが、
今日炊いた分は既になく、この時間から炊き込むには時間が掛かり過ぎる。
素麺やうどんといった麺類も夏という季節ゆえに消費量が激しく、
備蓄を切らしてしまい、次の扶桑からの補給待ちとなっている。
だから芳佳はパンなら沢山あるしサンドイッチにでもしようか、
と思いながら食堂のドアに手を付けた時、先客がいることに気付いた。
「誰だろう?」
ドアの向こうから人の気配を感じる。
どうやら自分と同じことを考えている人間がいるようだ。
「……もしかしてミーナ中佐かな?」
隊員の行動を規則規則と縛り付けることを好まないミーナだが、
少し前の夜食で騒ぎがあり、自粛するように強く要望したミーナが見に来たのだろうか?
そう思い、食堂に入らず回れ右で自室へ戻って素直に寝るべき。
と頭の理性が訴えたが、
「……お腹、空いたなぁ」
それ以上にお腹が空腹であるとの肉体的な悲鳴を前に芳佳は屈した。
だから大丈夫、きっと隊長は理解してくれる、だから大丈夫。
と自分に言い聞かせながらドアノブをゆっくり回しそっと食堂を覗いた。
「ホットドック、
それにホワイトシチューなんて豪勢だな!
いやー感謝感謝、ユニット整備だけじゃなく夜食まで作ってくれるなんて恩に着るよ!」
「そこまで感謝する必要はないぞ、
ソーセージは焼いてパンに挟む、
シチューは缶詰のを今温めているだけだから基本手抜きだ」
そこには意外な人物たちがいた。
バルクホルンとシャーリーであった。
珍しい組み合わせというわけではないが、
服装がどうしてかツナギ姿であちこち油で汚れている。
「しかし、この時間帯にこんなに食べたら…太るな」
「大丈夫、大丈夫。
私はみんな胸の方に栄養が行くから―――どこかのガリア人と違って」
「…前も言ったが本人に言うなよ、気にしているのだから」
シャーリーの冗談にバルクホルンが顔を顰める。
しかし残念賞な胸をしたペリーヌいう事実に異議を唱えておらず、
宮藤も内心でシャーリーの言葉に同意し、無言でうなずいた。
「だがそれでも腹部にも栄養が行くと思うが、その辺はどうなんだリベリアン?」
「ふふん、
私はキラキラ星から来たプリンセスだから、
いくら食べてもお腹周りが増えることはまったくないのさ。
だから、バルクホルンのように腹筋という野蛮な行為からは無縁というわけ」
「悪かったな野蛮な筋肉女で、
その無駄に大きな胸部装甲が垂れてしまえばいいのに」
毒舌の応酬。
しかしそこに険悪な空気はない。
仲の良い友人関係とはこういうものだろうか?
ふと、芳佳は祖国に残した友人と501で得たリーネと目の前にいる2人を比べる。
(うーん、こんな会話はないし…やっぱり年上なんだなぁ)
しかし、2人のように毒舌の応酬をしたことはなく、
毒舌を楽しんでいる様子を見て芳佳は自分がまだまだ子供であることを自覚した。
「おっと――――そろそろ兎のシチューが温まったな」
「兎かぁ…私、使い魔が兎だから少し複雑な気分だよ」
「文句を言うな、
兎は配給の対象外だから手に入れやすい上においしいのだから」
シャーリーの愚痴にバルクホルンが答える。
たしかに缶詰とはいえシチューの香りが鼻を刺激する。
思わず宮藤は喉の唾を飲み込む、そして――――。
ぐきゅう。
空腹に耐えかねた胃が悲鳴を上げた。
「……誰の腹の虫が鳴ったんだ?」
「ん…お、宮藤じゃないか。
もしかして夜食を食べに来たのか?」
「ふぇ!?」
当然ながら気づかれ、
4つの瞳がこっそりのぞいていた芳佳に注がれる。
「こっちこいよー宮藤ー。
我らの上官殿が夜食を作ってくれたのだから、
こわーい、こわい隊長が来る前に一緒に食べようぜ」
そう言うなりシャーリーはホットドックをナイフで半分切り分ける。
「え、あの…いいのですか?
それってシャーリーさんの分だし…」
戸惑い気味に芳佳が問う。
「んんー?
遠慮するなって、宮藤。
別にこの程度どうってことないさ」
皿に盛られたホットドック。
そしてシチューが入った器を芳佳の意思を聞かず、
芳佳が座るであろう場所にシャーリーが芳佳の分を置いていく。
芳佳はそれでも遠慮しようと考えたが、
食べ物の香りが鼻を刺激し、空腹の度合いが大きくなる。
「い、頂きます!」
そして、結局空腹には勝てずに芳佳は好意に甘えた。
頂きますと言うなり、ホットドックにかぶりつき頬張り、
まだ口の中にホットドックがあるにもかかわらずシチューを口にする。
「おーおー。
よく食べるなー。
バルクホルンは相変わらず料理が上手だろ?」
「はい、とても…あっ!
すみません、少し食べ方が下品で…。
その、今日はいつもより体を激しく動かしたから…」
自分の食べっぷりにシャーリーに指摘され芳佳が顔を赤らめる。
そしてそうなった原因を口にしたが、
「あー、そういえばそうだったな。
少佐の胸を揉んだ宮藤のせいだけど、災難だったな」
「自業自得だ」
「あうううう~」
シャーリー、バルクホルンの指摘が入る。
そうした激しい訓練をする原因が自分である事を自覚する芳佳は顔を俯かせた。
「あれ…?」
視線が下に下がったことで芳佳は机の上にノートや説明書、
計算尺に計算を記した紙束が広がっているのに気づく。
「ああ、これはイェーガ大尉…シャーリーのユニット改造のメモだ」
「2人はユニットを弄れるのですか?」
まあな、すごいだろ!
芳佳の問いにそれぞれ違う言葉で返す。
「ふふん、勉強したからな。
宮藤も勉強しなきゃ駄目だぞ。
勉強していれば自分が出来る範囲が広がるからな」
「私、勉強はブリタニア語とか座学で手一杯です…」
「まあ、そうだな。
今宮藤に必要なのはワタシの座学で良い成績を収めることだ。
次回の小テストはしっかり点を取ってもらわないと、リーネに抜かれるぞ?」
「ば、バルクホルンさ~ん!!」
唯でさえ外国語の勉強、
軍隊の座学で手一杯な芳佳にバルクホルンの無慈悲な言葉に悲鳴を上げた。
「軍隊に入っても勉強ばかりだよ…」
溜まりにたまった疲労と空腹が満たされ、
気が緩んだのか思わず愚痴が芳佳の口から出る。
「それは違うな宮藤。
どこに行っても勉強は必要さ。
例え好きなことをしても、いや好きな事だからこそ勉強が必要だよ」
ホットドックを食べ終え、
口元についたケチャップを拭きながらシャーリーは芳佳に語る。
雰囲気こそ何時もの飄々としたものだが、その視線は真剣なものであった。
「突然だけどさ宮藤、空を飛ぶのは楽しいか?
義務感とか堅苦しい感情抜きで空を飛ぶのは楽しいか?」
「シャーリーさん…?」
何時にもない問いかけに芳佳は戸惑う。
何故彼女の口からそんな話が出たのかわからず、
バルクホルンの方に視線を向けるが彼女もまた予想外のことらしく、
シャーリーの突然の問いかけに対して驚いている様子が伺えた。
「宮藤は凄いさ。
ウィッチとして技能は今こそ経験が足りないから、
模擬戦や訓練では私達に負けるけど、才能は間違いなくある。
しかも才能頼りじゃなくて努力も忘れないという美点だってある」
コーラを一口飲み、喉を潤してから続けて語る。
「でもさ、時々思うのだよ。
もしかして宮藤は義務感だけに突き動かされないか?
飛ぶことが実は嫌いなんじゃないか、無理しているんじゃないかって」
「…どうして、シャーリーさんはそう思ったんですか?」
芳佳はシャーリーの言葉が理解できず疑問に対して疑問で答える。
「乙女の勘さ!
と、茶化したい所だけど、
だって宮藤は頑張り過ぎだから見ていて心配なんだ。
だからここ501の仲間として私は聞きたいんだ、宮藤の真意を」
「あ……」
シャーリーの回答に芳佳は初めて自分がそう思われていることを知った。
さらには、自分が心配されていたことにも初めて気づいた。
「教えてくれないか、宮藤?」
「私は…」
ここで誤魔化しはできない。
既にシャーリーだけでなくバルクホルンも注目している。
何よりもこれは自分自身の問題であるのだから。
芳佳は父親と約束した時の風景を思い出しつつ、その時の心情と決断を言語化することを試みた。
「…私、お父さんとの約束を守りたいのです。
みんなを守れるウィッチになる、この約束を守りたいのです。
シャーリーさんの言う通り義務感で動いている、というのはたぶん、間違っていない」
一拍。
「皆は私に戦争の才能がある、
と言っても私は戦争は未だ嫌いだしネウロイとはできれば戦いたくない。
そう思っているけど、それと同じくらいに私はここに来てよかった思っています、だって皆と一緒にいるのが楽しいから!」
坂本少佐の厳しい訓練や日々緊張を強いられる実戦。
しかしそうした辛い日々以上に501の隊員との交流。
育まれた友情と思い出は芳佳にとって貴重な楽しい記憶として蓄積されてきた。
ゆえに芳佳はシャーリーの考えは杞憂であると胸を張って答えた。
「そっか、なら私の考え過ぎか…安心した」
芳佳の回答に対してシャーリーが肩の力が抜けた呟きを漏らした。
しばらく周囲は静寂な時間が流れる。
「話は終わったか?
なら食事を再開しよう。
皆に隠れて食べる夜食はなかなかおいしいぞ」
少しの間場が沈黙に浸っていたがバルクホルンの一言で場が動き出す。
「お、バルクホルンの言う通りだな。
辛気臭い話はここで終了っと、よし食べようぜ宮藤!」
「はい!」
バルクホルンの意見に全面的に賛同したシャーリー、芳佳は食事を再開させた。